軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

10 黝簾石のアミュレット

王立魔法大学の入学試験に向けての準備は滞りなく進んだ。

ローレンスさんは二週間の間、毎日アリアの家に来て魔法を教えてくれた。

仕事がない日は午前中から。

仕事がある日も夕食後に来てくれて親身にアリアの質問に答えてくれた。

帰り際までしつこく尋ね続けてもローレンスさんは嫌な顔をまったくせず、うれしそうに聞いてくれたからアリアは好きなだけ聞きたいことを聞くことができた。

(素敵な先生すぎる……! 魔法を続けてよかった……!)

五年間ずっと一人で続けてきた魔法だから、先生がいるということが本当にありがたい。

教えてもらえる喜びを堪能しているうちに、月日はあっという間に過ぎていく。

入学試験前日。

ローレンスさんは合格祈願のお守りを買ってきてアリアに渡してくれた。

「黝簾石のアミュレットだよ。正しい判断力と落ち着き、思慮深い思考を授けてくれると言われてる」

〈ありがとうございます!〉

「普段通りやれば大丈夫。君ならできるよ」

あたたかい言葉に目を細める。

二つ目のお守りをもらったのはローレンスさんが帰った後、夕食の時間のことだった。

アリアの一番好きな食べ物であるいか焼きがところ狭しと並ぶテーブル。

お母様は真剣な顔でアリアの手を握って言った。

「がんばってね。今朝、お守りを買ってきたの」

夜空のような色の丸い天然石が連ねられたブレスレットだった。

「黝簾石のアミュレットよ。正しい判断力と落ち着き、思慮深い思考を授けてくれると言われてるわ」

二個目だった。

まったく同じものだった。

アリアは一瞬固まってから、手帳に〈ありがとう〉と書いて見せた。

お父様が言った。

「奇遇だな。実は俺もそれを買ったんだ」

ローレンスさんのものを含めて、数珠のようなブレスレットが三つ連なった。

何らかの宗教に強いこだわりがある人みたいな手首になった。

でも、アリアはおしゃれについてはよくわからないので、あまり気にせずうれしい気持ちで家族の時間を過ごした。

「初めて買った魔法の本をずっと離さなかったもんな。あれ何歳のときだ?」

お父様の言葉にお母様が言う。

「四歳のときよ」

「それから毎日練習してたもんな。本当に、毎日……」

お父様は一瞬言葉に詰まって、視線を少し上げた。

何かを堪えるような仕草だった。

「すごいよ。お前は本当にすごい。一日も休まず続けてきた。その事実を何よりも俺は尊敬してる。こんなことを試験前に言うのは違うかもしれないが。どんな結果になっても、お前はパパの誇りだ」

お父様の言葉に、お母様はうなずいた。

「アリアの価値は学校の試験なんかじゃ計れないの。どんな結果になってもアリアはママの宝物。自分を責めなくていいの。そのことを忘れないで」

お母様はそう言ってアリアを抱きしめてくれた。

なんだかいつもと少し違う何かが空気に含まれていた。

伝わってくる両親の優しさがアリアは好きだった。

テーブルいっぱいのいか焼きを完食し、お風呂に入ってその日は早く眠った。

翌朝、両親は馬車でアリアを大学の正門前にある広場まで送ってくれた。

アリアが受験するエルネスティ王立魔法大学は、王国の最高学府として知られている。

長い歴史を称える石壁に蔦が絡まる正門。

尖塔がいくつも連なるお城のような学舎。

王国で最も蔵書が多い煉瓦造りの図書館。

水滴が宝石のように輝く青々とした芝生。

「がんばれよアリア!」

「何があってもアリアの味方だからね!」

心強い言葉に勇気をもらいつつ、正門をくぐる。

たくさんの人が緊張した面持ちで歩く試験会場。

大学の入学試験だけあって、周囲の受験生はアリアより年上の人ばかりだった。

(リオンくんはいないか)

入試を受ける受験生は二千人以上。

試験は十箇所の会場で行われるという話だから、姿が見えないのも自然なことなのだろう。

(まずは自分のこと。合格できるように最善を尽くさないと)

首元の聖痕を覆うマフラーの裾を引く。

手首では三つのブレスレットが揺れている。

(それにしても、見たことがないものがいっぱい……!)

入学試験の日でも、少なくない数の在校生が魔法の研究や実験を続けている。

浮遊する魔法植物が集められた浮遊植物園。

目が合った小型の虫を石に変える魔法動物。

夜空の星を魔法で操作して観察できる虚空のプラネタリウム。

魔力の流れを視覚化し、魔法を色彩を伴った形として観察できる魔法の万華鏡館。

目を輝かせながら夢中で見ていたら、気がつくと周囲には誰もいなくなっていた。

(いけない。変なところに入るなって怒られちゃうかも)

慌てて元来た道を戻ろうとするけど、広大な大学の構造は複雑でどちらが元来た道だったのかも判然としない。

さらに、アリアを襲ったのは予想外のアクシデントだった。

(すごくトイレ行きたくなってきた……)

薄々そういう気配は感じていたのだけど、つい後回しにしてしまっていた。

トイレなんていつでも行けるという油断。

しかし、十二歳のアリアにとって広い大学は迷路のように複雑だった。

あっちの方かな、こっちの方かな、とふらふらと歩いてみるけれど見つからない。

(やばい、これは本格的にまずい……)

首筋を冷たいものが伝う。

迫る惨劇の予感。

もしここでトイレを見つけられず内に秘めたものをフルバーストしてしまったら、アリアはさすがにもう試験に立ち向かうことができない。

涙目で試験を受けられずに家に帰ることになってしまう。

(は、早く見つけないと……!)

それらしい建物に入ってみるけれどトイレは見つけられない。

募る焦り。

そのとき視界に映ったのは壮年の男性の姿だった。

品の良いチェスターコートと黒ずんだ肌。

頬に傷が刻まれたその顔つきは、いかにも歴戦の強者という感じだった。

(こ、怖い……絶対話しかけていいような人じゃない……)

優しい物腰のローレンスさんとは真逆の怖い魔術師さん。

しかし、背に腹は代えられない。

アリアは慌てて駆け寄って手帳を見せた。

〈トイレはどこですか!?〉

手帳を見せる。

男性は少し驚いた顔をしているように見えたが、アリアにはそんなことを気にしている余裕が無い。

お腹の中から限界警報が発せられる。

もはや一刻の猶予もない。

胸元を掴んで激しく揺する。

(早く! 早くお願い! 泣くぞ! わたしは漏らしたら泣く女だぞ!)

男性は無言でアリアを見ていた。

強靱な体幹は岩のようにびくともしなかったが、やがて厳かに石造りの建物を指さした。

「あの扉を入った先にある」

〈ありがとうございます!〉

手帳を見せて、トイレに駆け込む。

(間に合った……よかった……!)

勇気を出して怖い系魔術師さんに声をかけてよかったと思う。

手首で揺れる三つのブレスレット。

落ち着きと思慮深い思考にはほど遠かったけど、正しい判断力は授けてくれたのかもしれない。

(ありがとう……ありがとうお守り……!)

◇ ◇ ◇

その男は、王立魔法大学の中で最も魔法戦闘の経験がある教授として知られていた。

準特級魔術師クローヴィス・ナイトハウンド。

大学卒業後、本人の強い希望で国境警備隊に入隊。

聖壁の向こうに広がる旧魔王領の【禁域】

他の地域よりも突出して高レベルの魔物と戦う中で腕を磨き、当時最速の速さで国境警備隊筆頭魔術師に就任。

三年前に負った深手をきっかけに国境警備隊を辞職した際、学長からの強い勧めを受けて王立魔法大学から特別枠での教授職として迎え入れられた。

その魔法は目の前の標的を狩ることに特化している。

罠を巡らし、気配を消し、気を抜いた隙を突いて一撃で仕留める。

入学試験で彼は、学内施設と研究成果を外部の人間から守る役割を任されていた。

試験に紛れて、他の研究機関や犯罪組織が学内の施設に侵入した事例が過去に何度かある。

大学は敷地境界全域に不可視の探知用魔法障壁を設置し、警備の人員を増やすなどの対策を行っている。

その最後の砦としての役割を任されているのが彼だった。

隠蔽魔法を張り、気配を消す。

研究施設棟の周辺を歩きながら、探知用の結界に異常が無いかを確認する。

小柄な少女が研究施設棟の施設内に迷い込んでいることに、クローヴィスは気づいていた。

変身薬を使った侵入者の可能性を考えて最初は警戒したが、観察してそういう手合いではないと判断した。

あまりにも隙がありすぎる。

少女は植物園のガラスに額をくっつけて蝶を目で追い、飼育されている魔法動物の身じろぎに目を輝かせていた。

初めて見る魔法大学の設備が、冷静さを失うほどに魅力的に見えているのだろう。

そういう受験生は例年何人かいる。

クローヴィスの主観だが、合格する者も少なくない印象がある。

大事な試験前にもかかわらず、目の前の魔法に関することを夢中で楽しめる『好き』という気持ちが彼らを優秀な魔術師に育てるのだろう。

しかし、迷い込んだ少女は受験生にしてはあまりにも小柄であるように見えた。

(……十歳くらいに見える。おそらく見た目よりは上の年齢なのだろうが)

合格者の歴代最年少記録は、ローレンス・ハートフィールドが記録した十五歳九ヶ月。

だが、今年はそれを上回る可能性がある生徒が二人いると話題になっている。

王室史上最も才能ある神童と称される第三王子リオン・アークライト。

そして、魔法界で最も歴史と伝統ある名門エヴァレット家の最高傑作と称されるヴィクトリカ・エヴァレット。

二人は二ヶ月前に史上最年少の十二歳で準一級魔術師試験を合格したことで、今回の入学試験で記録を塗り替えるのではないかと噂されるようになった。

試験問題を作成した教授の話によると、準一級魔術師試験であの出来なら首席合格の可能性も十分にあるとのこと。

しかし、迷い込んだ少女はエヴァレット家の特徴である燃えさかる真紅の髪ではなかった。

銀色の髪と口元を覆うマフラー。

おそらく、どこかの貴族家の娘なのだろう。

隠蔽魔法を解いて注意することも考えたが、幼い少女の好奇心を尊重することを選択した。

(試験まではまだ時間がある。好きにさせておいていいだろう)

干渉しないことを決めたクローヴィスの視線の先で、少女は研究棟の窓に額をくっつけて覗き込んだり、魔法生物の前で変な踊りを踊ったり、懐からいか焼きを取り出して食べたりしていた。

(楽しんでいるのはわかるが自由すぎる……)

思わず気が散ってしまいそうになるが、対価をもらっている以上責任を持って職務に当たるのがクローヴィスの信条だ。

目線を切り、探知用の魔法結界の反応を確認していたクローヴィスは、近づいて来た少女の姿に目を見張った。

(隠蔽魔法が効いていない……?)

息を呑むクローヴィスに、少女は背伸びをして手帳を見せた。

〈トイレはどこですか!?〉

自然とマフラーで覆われた口元に視線が向いた。

この子は話せないのだろうか。

涙目で胸元を揺する少女にトイレの位置を伝えた。

背を向けて駆けていく後ろ姿を見ながら、頭をよぎったのは隠蔽魔法が効かない魔物のことだった。

高レベルの 月光蛾(ムーンライトモス) の中には、聴覚が優れていることで視覚認識を阻害する魔法の影響を受けない個体が存在する。

また、 黒夜梟(ミッドナイトオウル) の目は可視光線の波を振動として捉えることで隠蔽魔法の効果を無力化することで知られていた。

(話せないことで生じた感覚器官の発達。どちらか、あるいは両方の性質を獲得した……?)

クローヴィスは観察するようにその後ろ姿を見つめる。

(いったい何者……)