軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3.組織と家庭(2)

6月4日

未明前

まだ日も昇らぬ時間、深夜と未明の境の時刻。

「はぁ? そっちかよ」

足と腕を組んで椅子に座ったゲルトランが、レシェナ・ネキアの名を聞いて口からこぼしたのはそんな言葉だった。

「どういう意味だ」

「あー、はいはい、ネキア男爵ご令嬢お嬢サマ。子リスちゃんね。知ってる知ってる。何? 親とか出てきた? 遅えんだよいい加減こっちだって飽きてきたわ。可愛がってやってんのになびきやしなくてよ。っんだよ、クソが」

リジット伯爵は唖然とする。

言葉遣いが平民に染まりきって、いったい何を話しているのか、そもそもの単語から聞き取ることができなかった。

「お前、なんだその口の聞き方は!? リジット家の人間が賭場のサイコロ振りでも気取る気か!!」

怒鳴りつけても素知らぬ顔。

殴りかかろうと一歩踏み出した伯爵を長男デンダールの手が止めた。自分たちへほとんど視線を向けようともしない弟に冷たい声で淡々と告げる。

「ゲルトラン。

下宿の契約、そこに置いている荷物、この王都邸宅のお前の部屋、学園の籍、リジット領のあらゆる建物の部屋、金、私物、家名を名乗る権利。

この順番で没収する。

そのつもりで態度に気をつけて話せ」

「!」

弾かれたように顔が上がる。

たっぷり五秒ほど兄弟は睨み合う。

弟のゲルトランは憎々しげに、兄のデンダールは冷ややかに。

リジット家の男兄弟のうちこの二人は身体や顔の特徴が比較的よく似ている。背が高めで、やや赤い色味のある金髪、強い印象の通った鼻筋とがっしりした顎の形。貴族だけあって不細工ではない。デンダールは書類仕事が多いのを反映してどことなく疲労感が伺えたが、表情がないと威圧感を与えやすい雰囲気は共通していた。

睨み合いの後、チッ、と明らかに聞かせるための音量で舌打ちしてからゲルトランは姿勢を正して座り直す。

「は。兄上も父上もずいぶん虫の居所が悪そうだ。男爵家が何を言ってきたんですか」

「何も言っとらん」

「はあ?」

「お前の行動が王城でまで噂になっている」

「……へえ」

瞬間、むしろ素直に面白がるように三男の目はきらめいた。

「俺も出世したものですね」

「馬鹿者が!」

怒号が降る。

「先に事実確認だ。最初にその令嬢と接触したのはいつだ」

「さあ。半年くらい前だったかな。前から目はつけてたんです。格好は地味ですけど顔のいい女で、胸と尻が」

「ゲルトラン!」

「父上、まだ夜中です。休ませている者もいるので興奮を抑えてください。お体にも悪い」

「くっ……」

「今は自分が聞きます。座っていてください」

興奮して話にならないリジット伯爵を椅子に座らせる。

「デンダール兄上。誓って言いますけど、俺はあの男爵令嬢に、いたって紳士的にしてるんです」

「はっ。紳士的か」

「それはもう」

「具体的に言え」

「肩を抱いたこともない。無理強いもしてないし、街歩きをすげなく断られても毎回優しく笑ってやりましたよ。ま、少し大きな声を出したことはあったかもしれませんけど。

こっちは付き合えばアクセサリーのひとつやふたつ恵んでやってもいいと考えてたのを知ったらあの女だって悔しがるかもしれません。

頭が弱いとか、計算ができないというのはかわいそうなものです」

「デートに誘って断られたということだな。複数回」

「まだ誘ってる『途中』ってやつです」

ゲルトランは肩をすくめる。

「女ってのは時間をかけてやらないと駄目でしょう。特にああいう、地味で貧乏で、 身持ち(ガード) の固いことしか誇りにできないようなのは」

「……………………」

デンダールが心を落ち着けるためにゆっくりと拳を開閉したのを弟は気付きもしていない。

「ま、ちょっと話も流してやったので、その身持ちの固さも周りに信じてもらえるかどうか」

「何が言いたい?」

「兄上知ってます? あの女――割と兄上もタイプだと思いますけど――後妻の連れ子なんですよ。父上たちの耳に入るほど噂が回っても家から直接何も言ってこないんなら、男爵家での扱いなんて見えてるようなものだ。そう思いませんか」

「何が、言いたい」

「察しが悪いなぁ」

にやぁっ、と。

笑った六つ年下の弟の顔のあまりの軽薄さに、デンダールは生涯で初めてに近い衝撃を受ける。それが自らの感情として『おぞましい』と感じる心であることを、この時には理解するにも咀嚼するにも余裕がなさすぎて、ただただ衝撃にすべての動きと情動を凍らせるほかに道がなかった。

「父親と血が繋がってなくて立場の弱い末端貴族の娘なんて、一度評判が落ちたらすぐもらい手がなくなる。どうとでもできますよ。

あ、こういうのはどうです?

うちの領で取れる小粒のエメラルドでも握らせてやって、父親と母親を懐柔する。それで正式に愛人に差し出させるんです。俺のでもいいし、兄上に譲ってもいい。

男爵家の娘が伯爵家と縁ができるなら、向こうだって悪い話じゃないはずだ」

リジット伯爵は椅子に座ったまま額を押さえていた。

(…………被害者は)

被害者は大人しく争いを避ける貞淑な性格。

男爵夫人側の娘であり、現在の父のネキア男爵とは血の繋がりがない。

直接的な身体接触はしていない、または多くない。少なくとも 本人(ゲルトラン) の証言によれば。

その娘には悪評が流れている。

ゲルトランはわざと、自覚的に、噂を流す行為もした。

その後も時折合いの手を入れるだけでべらべらと垂れ流される話を聞き続け、そうやって砕いて情報だけを抽出する。何かを感じ取ってしまったら自制が利かなくなりそうだった。

+ + +

「ゲルトラン、お前は謹慎だ。これからお前の話がどこまで正しいかと、わざと話さなかったことがないか確認を取る」

反応の薄い兄と黙り込んだ父をオーディエンスに気持ちよく三十分以上も演説していたゲルトランが話すことがなくなって黙ると、ため息を噛み殺してデンダールはそう告げた。

「間違っても逃げるなよ。一歩でも部屋から出たらさっき言ったものは全部没収する。貴族令息の身分も私財もすべて失うぞ。ああ、言っておくが母上は数日ほどご友人宅にお泊まりいただくことにした。この屋敷にはいない」

聞いている弟の眉毛がぴくりと動く。

母親に泣きつくつもりだったのが丸見えだ。あわよくば放免を狙い、駄目でも小遣いをせしめて脱走するつもりだったのだろう。

「連れて行け」

使用人たちに命じて、外から鍵のかかる窓のない手洗い付きのゲストルームへ連行させる。

「父上」

「…………ああ」

返答は呻き声に近かった。

「どうしますか」

「………………………………」

何やら恨みがましそうな目で睨んでくるが、デンダールの心情としては『どうしてくれるんですか』と言わなかっただけ感謝してくれても構わないぐらいだ。

「儂が城に出ている間に、贈答に出せそうな宝飾品を見繕っておけ」

「ゲルトランの言うように?」

「その意図はない! エメラルドやルビーが我が領の代名詞なのは相手も知っておろう」

自分は相手の男爵家に大した知識もない癖に、相手にはリジット伯爵家の評判が届いていて当然だと思っているらしい。領土愛の強いことだ。

「男爵家が娘の状況を把握しているかは、実際、今後の対応の 要(かなめ) になる。城でロキシデア地方の出身者が見つかれば良いが……」

頭を押さえて首を振り、リジット伯爵は立ち上がった。

「お前は夜明けまでにゲルトランの話の概要を書類にまとめておけ。儂は朝まで少し寝る」

了解を取ることもせずにそう命じて伯爵はろうそくの明かりが揺れる暗い部屋から廊下へ出た。デンダールもまた 歯噛(はが) みを堪えてその後に続く。伯爵は寝室へ、デンダールは父と二人で使っている書斎へ。

「兄上?」

「トールス。お前、寝てなかったのか。明日も城だろう」

「いや、なんていうか、落ち着かなくてさ」

互いの顔を見て、どちらからともなく苦笑いをした。原因を同じくする苦労の渦中にあると、人は労りの気持ちが出るものだ。

「どうだった?」

「想像以上にやらかしていた」

「ゲルトの手口が想像よりマシだったこと、一度もねぇよなぁ……」

「トールス」

「んあ?」

「俺は、悪魔というのは、聡明で……頭が良くて、だから策略を巡らすものかと思っていたんだが」

あくびをしかけていた次男は、ぱちぱち瞬きして兄の顔を見る。

「ただ何も考えていなくて、薄っぺらい、悪意と自己保身だけの、醜悪な存在があるのかもしれない」

「…………ゲルトが、そう見えちゃった?」

「まあ、な」

目を逸らしたデンダールの背に、ぽん、と弟の手が触れる。

ぽんぽん、ともう二回。

「弟なのになぁ」

お調子者で冷めた目の次男は、時々こうして 機微(デリケート) すぎる感情を言語化する。それは大抵鋭い皮肉の形を取るが。

「まあ実際、悪魔みたいなもんだよあいつ。他人の痛みが分からないとかよく言うけど、俺、逆だと思う。相手が痛がらなきゃつまらないんだよ。ゲルトは」

「加虐趣味か」

「そんな立派な言葉あるんだ」

「辞書を引け」

「自分が同じ目に遭ったらどう思うか考えろって説教、母上はよくするけど、分かってないなって兄上思わない? ゲルトにとったら、自分じゃない奴の痛みは自分じゃないから嬉しいで論述終了なんだわ」

なんて酷いことを言うの、

お前がゲルトだったらどう思うの。

デンダールやトールスたち兄弟姉妹は母親のそのヒステリックな声を何度聞かされたことだろう。

ある時限界を超えて受けて立ったこの弟が『僕がゲルトだったら何やっても全部母上が庇ってくれるんだからなんて人生楽勝なんだろうって思いますね! ゲルトが六十超えても母上がミルクを飲ませてトイレでズボンを上げ下げしてやったらどうですか!』と叫び返して三日ほど伯爵夫人が泣き暮らしたことがある。

あまりにうっとうしくて父がトールスの方を叱ったくらいだったが、殴られても張り飛ばされてもこの時のトールスは一切謝罪をしなかった。父の折檻が次男に向いたのを見た母は今度は父から次男を庇うものだから、あの時のカオスっぷりと言ったら忘れようにも忘れられない。

きっと今話しているのは、その頃からずっとトールスが考えていたことなのだろう。

「もし本当にゲルトランがあいつの被害者と同じ目に遭わされたら、あいつは反省するんだろうか」

「無理でしょ」

ずばりと一刀両断。

「兄上。あれは一発殴られたら二発殴り返さずにいられない奴ですよ。まあ例えば侯爵家の息子か何かが出てきてゲルトがよくやるみたいに『お前の家がうちに逆らえるとでも思ってるのか』と脅し付けるとして、表面上は恐れ入りましたーって頭は下げるかもしれないけど、うちが潰れたって、実のところ大してあいつの進路変わらないんだし」

「進路が変わらない?」

「学園が終わったらゲルトは家を出されて平民だ。いくら母上が泣いても学園はこの学年で終わりになる。来年エナが入学だから」

リジット伯爵家の子は五男に三女の合計八人。

エナは一番下の妹だ。

ゲルトランの二つ下の妹でエナの姉にあたる次女フィーネは、ゲルトランと同じ学舎へ行くことを断固として拒否して領地の学校へ通うと言い張り、リジット伯爵と大喧嘩になった。

リジット伯爵家が子沢山なのは伯爵が手駒として婚姻に出せる女児をなるべく多く欲しがったからだ。男ばかりが生まれてしまったが、少なくとも三人の娘は手に入れた。王都での淑女教育と人脈は家格がそこまで高くない貴族令嬢にとって婚活市場へ挑むために非常に重要だ。箔をつけて娘を売りたい父親と、ゲルトランの妹というレッテルを抱えていれば箔が付くどころか破滅しかねないと抗う娘の対立は激しく、壮絶なバトルになった。

結局、次女のフィーネは在籍が重なるからと一年入学を遅らせて療養名目で領地へ移り、ゲルトランが留年確定との報を打てば領地の学校の手続きを済ませたと速達便で戻してきた。

王都にこだわって領地に戻りもしない父親の怒りなどどこ吹く風だ。

母親からの庇護の薄い娘たちは男兄弟たちよりシビアに親の見極めをしており動きに迷いがない。下の妹のエナは姉のフィーネの招きに呼応して二年前から領地で暮らしている。末娘まで王都の教育を手放させるわけにはいかず、さしものリジット伯もエナが入学する年にはゲルトランは学園を辞めさせるとかねてから言っていた。

「あと一年もしないで、どうせ全部なくなる。

家があれば母上に擦り寄って金をせびりには来るだろうけど、身分は平民のものになる。いくらなんでも除籍は確定だから、リジット家の名前も使えなくなるだろ。

その未来が変わるわけでも、変える努力をしてるわけでもない。ゲルトはその後どうなってもいいっていうか、どうなるか考えないようにしてると思う。

前から思ってたんだけど、ゲルトはたぶん、将来のことや嫌なことが頭に浮かぶと暴力や賭博に走りやすい。年が上がるほど遊び方や態度がひどくなってるのは、そのせいじゃないかと思うんだ」

未明の伯爵邸。

書斎の一角、闇の深い夜を照らすには心許ないランプのオレンジ色の光の下で、兄は弟の顔をまじまじと眺めた。

「お前、そんなこと考えてたのか」

「うん」

子供の頃のような素直な返事。

「だから、もしもこのリジット伯爵家が傾いても、潰れても、ゲルトは『別にどうでもいい』と思うかもしれない。それどころか、もしかしたら、喜ぶことだって、あるかもしれない」

「喜ぶ……?」

「ざまあみろ、って。ざまあみろ、お前らも道連れだ」

ぞわっと全身に鳥肌が立った。

デンダールの背筋を冷たいものが駆け下りる。

「『俺より不幸になれ』」

トールスの声が、別の弟の声の錯覚を起こす。

「落っこちろ、落っこちろ。俺、ゲルトはずっと、周り中にそう思ってる気がする。

あいつ、兄上が言う通り、悪魔だよ。

人を不幸に引きずり込みたいばっかで自分が幸せになれるなんて最初から信じてもいない。不幸を増やせればいいんだ」

それでも。

それでもトールスは今もゲルトランをゲルトと愛称で呼ぶ。

親戚が誰一人その名で呼ばなくなっても、他家に嫁いだ姉が呼ばなくなっても、デンダールがいつの間にか呼ばなくなっても、母親とトールスは三男のことをゲルトと呼ぶ。

「その気持ちが分かる俺も、そこそこ悪魔の素質あるんじゃねえかなって思ったりして」

俺たち、どうしたら良かったんだろうな。

ぽつりとトールスは言った。

(……どこかで、なんとかしてやりたかった)

それを声に出して言ったかデンダールは自分でもよく分からない。

(ああまで酷い状態だとは……)

ゲルトランが初めから悪の性質を持っていたのか、父や母や自分たちが悪かったのか、それ以外の何かなのか。

それはある程度まで配分を出すことはできるかもしれないが、すべて絡み合っていて、どれかひとつだけが原因ではないだろう。幼少期からゲルト少年は際立って残忍で性悪だったが、昔は反省して落ち込むこともあったし、下の子の面倒を見ようとしたり兄や姉に認められようと無茶をすることもあった。彼らの両親はどう贔屓しようと思っても明らかに褒められた親ではないが八人のうち七人は性格や能力が多少でこぼこしているとしても一応まともに育っている。

「あー、なんか眠くなってきた」

明かり取りの窓がうっすらと色合いを変えてきている。

話を切り上げようというサインを受け取ってデンダールはわずかに微笑んだ。

「少しでも寝ておけ。あいつの話の要点は朝までにメモを作ってお前に渡すから先に読んで父上に回してくれ」

「え、父上ってば兄上に丸投げして自分は寝たの」

「丸投げでも『頼む』の一言があれば腹も立たないんだがな……」

「ひっでぇ」

「俺は日中に寝させてもらう」

机の魔道ランプをいじって魔力残量を確認し、兄のために明かりをつけてからトールスは部屋の出口に向かう。貴族年鑑を本棚から引き抜きながら、デンダールはそちらを見やった。

「おやすみ。トーリィ」

昔の愛称に一番上の弟は虚をつかれた様子だった。

そして、にやっと笑う。

「おやすみなさいだぜ、ダール 兄(にい) 」

それもまた、ゲルトランも使っていた昔の愛称だった。