軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1.隣国にて

母国にいる妹がいじめを受けている。

相手は年上の男子生徒。

実に。

実にふざけた話だ。

大陸暦312年

5月23日

小離宮ウェリアンテ、私応接室

その連絡がアルジェンヌの元に届いたのは初夏の花がほころび始めた美しい午後だった。

嫁ぎ先となる隣国へすでに生活基盤を移し始めていた彼女は、その報告も妹からは遠く離れた異国で受けることになった。

腐っても貴族の令嬢・令息間の関係だ。

直接的な暴力はない。

その中心となる男子生徒は、数名の取り巻きを引き連れて、アルジェンヌの妹レシェナに付きまとったり取り囲んだりして下卑た声かけをしているらしい。

さらにはレシェナが自分たちの持ち物であるかのような話や、まるで彼女が自ら望んで彼らを誘惑したといった話も言いふらしているようだが、さすがにこれを真に受ける者はまだ多くないようである。ただ、これも長く続けば信じる者も出かねない。

「そう」

と、話を聞いたアルジェンヌは呟いた。

「まずはお礼を。

レシェナは我慢強い子です。養父殿が気付いて迅速にご連絡をくださったこと、心より御礼申し上げます。ネキア男爵へよろしくお伝えください。

より詳細な情報が必要ですね。貴家ですでに調査を進めてくださっているとのことですが、並行してわたくしの方でも人を手配します。お手紙を書きますので、タウゼント侯爵家との連携をお願いします」

ネキア男爵家の使者はしっかりと頷いて了解する。

アルジェンヌとレシェナは血の繋がった姉妹だ。

地方領主エルト子爵の娘に生まれ、実父の死没後にそれぞれ別の家の養子になった。姉のアルジェンヌはタウゼント侯爵家へ、妹のレシェナは母とともにネキア男爵家に。

今は身分も立場も大きく違う。

だが、レシェナがアルジェンヌの大切な妹であることは変わらない。

「急ぎ、わたくしの帰国の段取りをします。恐縮ですが途中にネキア男爵領へ立ち寄らせてください。その際、情報のすり合わせをいたしましょう。母とレシェナにもお話をします。レシェナは今も王都ですね?」

「仰せの通り、今もレシェナお嬢様は気丈に学園へ通っておいでです。ほどなく初夏の競馬の時期になりますので、主はそれを理由にお嬢様を一度領地へ呼び戻すことも考えております」

「そうなのね。分かりました。領地に帰らせるかはできれば本人の希望を聞いてあげて」

「は」

使者は頷き、一拍を置き。

「中心人物とみられるゲルトラン・リジット伯爵令息、あるいはリジット伯爵家への処遇に関して、 あなた様(レディ・タウゼント) は、何か思し召しはございますか」

と尋ねた。

アルジェンヌは少し沈黙して考える。

ゆるい瞬きをして、膝の上に置いていた調査報告書をぱらりとめくった。そしてほとんど聞き取れないほどの小さな声が落ちる。

「その男も、同じ目に遭えばいいのに」

+ + +

「アルジェ!」

「エンディオン様」

先ぶれの後、召使が開いた扉をくぐって華やかな青年が現れた。

エンディオン。

姓はない。なぜならば彼はこの国の直系王子であるから。

上に兄が二人いて、本人に国を継ぐ意思はまったくないのだが、もしも彼が王位につけばその名はエンディオン二世と呼ばれるだろう。六代前の国王がエンディオン一世となる。

二人は手を取り合い、一度だけそっと軽く身を寄せる。

高位貴族の婚約者同士にふさわしく、すぐお互いに身を引いたが、エンディオンはその手を解放せずに握ったままアルジェンヌの瞳を心配そうに覗き込んだ。

「聞いたよ。君の妹がつらい状況にあるんだって?」

「ええ。だからエンディオン様。単刀直入に申し上げますわ。力を貸してほしいの。どうかあなたも帰国についていらして。レシェナにひどいことをした相手と向き合うために、持てる権力をありったけ総動員したいんですの」

出会って一分も経たないうちの発言がこれである。

エンディオンは目を丸くして、それから弾けるように笑った。

「出発は?」

「早ければ早いほど」

「君の実家、タウゼント侯爵家には連絡は取っているよね?」

「もちろんよ。出した手紙の控えがあるわ。もし読みたければエディも読んでくださって良くってよ。お義母様に調査結果と必要書類を持ってネキア男爵領で落ち合っていただけるようお願いしてあるの。 義父(ちち) を動かす気はありませんけど、委任には一筆書いてもらうつもり」

「動きが早いな、僕の奥さんは!」

たまらずぎゅっと抱きしめてしまって、アルジェンヌから肩を叩いてたしなめられる。

「未来の奥さんでしょう。未来の。まだ駄目よ、エディ」

言いながらも彼女の目尻は柔らかく下がる。

まっすぐな飴色の髪と、グリーンとブラウンの中間のようなヘーゼルの目。

眼光が鋭く姿勢が良いせいで時に威厳めいたものすら漂うアルジェンヌだが、顔立ちそのものは必ずしも気の強そうな造形ではない。化粧で隈取を強めにして吊り目加減で勝気に見せているものの、たまに力を抜くと微笑みはがらりと甘やかな印象に変わる。

普段は家族などのごく親しい関係の中でだけ見せるその表情を見る機会に偶然恵まれてしまった者は、その多くがどきりと胸を跳ねさせることになる。

誰あろう、エンディオンもそのギャップに撃ち抜かれた一人だ。

数か国の代表を集めた通商関連会議の場で、七日の日程のうち二日間、アルジェンヌがホスト国のメンバーとして補助に入ったことがあった。エンディオンは本来そちらの会議の参加予定はなかったのだがたまたま別の者の代理で同席し、一日だけの予定だったが立ち去りがたく、二日目も素知らぬ顔で席を用意させた。他にも妙に若手に参加希望者が増えて調整役が苦笑いしていたのを覚えている。

そして予定していた議題がすべて終了した時、ただでさえ理解と手回しの良さにほれぼれしていたところに、行程が無事に終わった安堵からふっと彼女が頬を緩めたところを見てしまった。

刹那、胸のどこかに蝶が止まったような感触があった。

彼女はとても優秀で、振る舞いは常に洗練されている。けれどその裏側に真摯な気負いと人間らしい温かさがあることが、その一瞬で、春の落雷のようにエンディオンの脳裏に焼き付いた。

時間を忘れて呆然としていたら、視線が合った。

見られていたと気付いたアルジェンヌは瞬きをし、そしてすぐに子供のようにいたずらっぽく笑みを濃くすると、深い共感と仲間意識のにじむ目をして『お疲れさまでした』と口の形だけで言ったのだ。ほんの少しだけ恥ずかしそうに。

それで王子エンディオンは、自分でも驚くぐらいのチョロさで落ちた。

そこからは誠意と熱意と勢いで押して、四日後には内々諾に近い形で婚約への前向きな返答を勝ち取った。頭脳戦を好むタイプだと直感したので、周辺情報は徹底的に調べ上げたうえで、むしろプロポーズは感情だけで押し切った。

エンディオンの国は大国で、アルジェンヌの国に対して立場がかなり強く、本気で要請すればアルジェンヌを得るのはたやすい。だからこそ真心を伝えられなければ、戦略的に認め合う夫婦関係は築けても心を得るまでに何年も回り道してしまうと思ったのだ。

その戦法は悪くはなかったようで、アルジェンヌはエンディオンのひたむきな愛に応え、婚姻に向けた準備に意欲的に取り組んでくれている。小国とはいえ国元では侯爵家の娘として高水準の教育を受けており能力や身分に不足はなく、婚約に伴って、彼女にはすでに準王族の身分が正式に与えられていた。

「僕はただ同席すれば良い感じかな。むしろ口出し不要、的な」

「そう。あなたが横にいてくれるだけで皆はわたくしの後ろに獅子を見るわ」

「僕自身が獅子には見えないんだ」

「ご不満かしら?」

「まさか」

「まあ。怠け者ね」

二人はくすくす笑う。

あなたの権力を使わせてね、というのは時々アルジェンヌが口にする言葉で、エンディオンはそれが気に入っている。彼女はその力を自分のものだとは決して考えない。安易に触れてはいけないものだと理解したうえで、これから借りると宣言し、確かな自覚をもって迷いなく使う。

アルジェンヌは王族の持つ強権を正しく恐れながら、必要なら迷わずに大鉈でも振るってみせる意思がある。そのうち王位継承権を放棄してドロップアウトしたいとのらくらしている第三王子の自分より、よほど王族に向いているとエンディオンは思っていた。

それにしても、ただ名前を使うだけでなく、物理的な同道を求められるとは。

エンディオン個人は婚約者に呼ばれればどこへなりとも…という気持ちなのだが、一国の王子という駒を動かすのはそれほど簡単ではない。

どうも相手はアルジェンヌをよほど怒らせたらしい。

「伯爵家の三男だっけ?」

その下手人は。

「ええ、名前はゲルトラン・リジット。レシェナの一学年上、年齢は五つ上」

「五つ」

王子の口から唖然とした声が出た。

「それは……、ずいぶんと、出来が悪そうだ」

そのようねとアルジェンヌは同意する。

頭も素行も悪い。

調査報告書はそう告げていた。