軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百二十七話 失恋の夜に

会場を去るシオン。その背を追いかけたのは、ティオーナ・ルドルフォンだった。

決闘の途中に会場に入った彼女は、シオンとアベルの壮絶な勝負を見た。

そして、それに敗れ会場から去るシオンを……彼女は追わずにはいられなかった。

アベルやミーア、エシャールはもちろん、忠臣のキースウッドでさえ声をかけるのがはばかられる状況であっても、ティオーナは迷わなかった。

話せる時に話さなければ、踏み出す時に、躊躇わずに踏み出さなければ……。そんな思いに背中を押されて、彼女は小走りにシオンを追った。

普通であれば呼び止められても仕方のないところ。実際、ティオーナは見張りの兵に呼び止められそうになった。けれど、幸運が味方した。先ほど、エイブラムが部屋に運び込まれた際、ティオーナが同行していたのを目撃していた兵がいたのだ。

そのおかげで、怪しまれないどころか、逆に感謝すらされ、さらにはシオンの居場所まで知ることができた。

そうして、導かれるようにして彼女がたどり着いたのは、城の監視塔だった。暗い中、硬い石の階段をゆっくり上っていく。と、不意に石の壁が途切れ、月明かりが零れ落ちた。

頂上に着いたのだ。

ティオーナはゆっくりと外に出る。と、シオンが屋上の淵の石壁にもたれかかるようにして、街を眺めているのが見えた。

「シオン殿下……」

「誰だ!?」

鋭い声、と同時に、シオンが振り返って……、

「ああ……。ティオーナ嬢か」

ホッと、肩の力を抜いた。

「どうかしたのかい? こんなところに来るなんて……。道にでも迷ったのかな?」

優しい笑みを浮かべて、首を傾げるシオン。そんな彼を、ティオーナは真っ直ぐに見つめて……、

「どうして、あんな戦い方をなさったんですか?」

「ああ、先ほどの戦いを見ていたのか。はは、我ながら不甲斐ない戦いを……」

「わざと負けようとしたんですか?」

ぴくり、と肩を震わせて、それから、シオンは真面目な顔で首を振った。

「それはアベルに失礼だ。俺は全力で戦い、そして敗れた。それだけのことだ」

「でも、シオン殿下ならば、ほかの戦い方だってできたはずです。勝つためだけだったら、アベル殿下の力を封じるような、そんな戦い方だってできたはず。それなのに、どうして……」

「……先ほども思ったが、君は、案外……」

シオンは、そこで黙ってから、小さくため息を吐いた。

「単純な剣の腕前を競い合うだけならば、君の言うとおりだ。勝つ方法はないことはなかった。でも……それでは意味がなかった。俺にとってあれは、ただの勝負じゃなかったんだ。自分勝手な話で申し訳ないが……、俺は天秤にかけたんだ。ミーアへの気持ちと、王として俺が背負うものとを」

自嘲するように、苦笑いを浮かべて、シオンは言った。

「そして、俺はそれを捨てることができなかった」

それから、シオンは城下の街に目をやった。

「父も母も、エシャールも……、キースウッドやランプロン伯、我が王家に仕える者たち、あの街に住む民たちも……、俺は捨てることができなかった」

月明かりにぼんやりと浮かび上がる街、そこに住む数多の民の、その生活が、ティオーナには見えたような気がした。

「だから、アベルに負けた。彼は純粋だった。ミーアのためだけに戦っていたんだ。俺には無理だった。俺には、背負うものが多すぎた……」

もしも、あの場で、アベルに勝っていたとしたら?

エシャールは救われないだろう。それに、ミーアと結ばれるために、シオンは国を捨てなければならなかったかもしれない……。

だが、シオンはその道を選ばなかった。

彼は、次のサンクランドの王で、この地に住まう民の安寧を守る責任があった。

正義と公正をもって、この地を治める、その義務から逃れることを、彼は望まなかったのだ。

その姿に……、ティオーナは先ほどのエイブラム王に通ずる、悲しいほどの高潔さを見てしまって……、思わず、口を開こうとして……でも。

「と、そう思っていたんだがなぁ……」

そこで、シオンは、はぁああっと深々とため息を吐いた。

微妙に……流れが変わった。

「……ミーアは逃がしてくれなかったよ」

「え……?」

きょとん、と首を傾げるティオーナにシオンは、ずぅんと気落ちした顔で言った。

「俺が、国や責任のせいにするのを許さなかった。きちんと告白させて……、きちんと断ってくれた。たぶん、ミーアのことだから、その納得の仕方だと国を恨むようになるかもしれない、とか、いろいろ考えて、そうさせたのだと思う。けど……、やっぱり落ち込む……」

そんな、ちょっぴり情けないシオンを見て……、ティオーナは、思わず……、

「……シオン殿下は、意外と……」

「ん? なにかな?」

「……可愛い人なんですね」

「うぐっ……」

呻くシオンに、思わずティオーナは笑ってしまった。

いつだって完璧に見えたシオンが見せた弱々しい姿が、なんだか、可愛らしく感じてしまって……。

「笑うなんて酷いな……。一応、俺は失恋してへこんでいるんだけど……」

「ふふ、すみません。でも、ふふふ」

笑ってみて気が付いた。

ミーアがしたことの意味……。

ミーアは……、シオンを「王」ではなく「人」に引き戻した。

今、ティオーナの目の前にいるのは、失恋に沈む一人の少年だった。

――すごいなぁ。ミーアさま……。

心からそう思った。

ミーアは、王としての葛藤としがらみに絡め取られていたシオンを、恋敗れた少年に変えてしまったのだ。きっとシオンは一人の少年として失恋に傷つき、そして、そこからまた立ち直っていく。

王に連なる者としてではなく、普通の少年としてだ。

それをティオーナは、好ましいことのように感じた。なのに……。

「さて……。そういうわけだから、ティオーナ嬢、俺は少し一人で心を整理したい。すまないが、このあたりで帰ってもらえるだろうか?」

そう口にした時のシオンの顔はひどく大人びていた。

いや、大人びているというのとは、少し違うのかもしれない。

先ほどまでの少年の表情とは打って変わった、冷静で、近寄りがたい……、それは王の顔だった。

悩みを誰にも相談せず、弱音を吐くこともなく、ただ一人、自分の心を自分で捌く。

孤高なる王の姿が……、そこにあった。

――せっかく、ミーアさまが、取り戻してくださったのに……。

そう思った瞬間……、ティオーナは思わずシオンに歩み寄っていた。

彼のまとう、常人を寄せ付けない王の空気も、大国サンクランドの王子という肩書も……、ここから立ち去る数多の理由を完全に無視して……踏み越えて、ティオーナはシオンに手を伸ばす。

今、シオンは目の前にいる。

傷心の彼が、手を伸ばせば届く場所にいる。ならば手を伸ばそう。

この時、この場所にいることができたのだから、手を伸ばそう。

そう心に決めて、ティオーナは……、シオンに歩み寄り……、

「…………ティオーナ? え……?」

シオンの困惑の声。それも当然のことだった。

なぜなら、彼の頭を、ティオーナが抱きしめていたから。

両腕で、自分の胸に、ギュッとシオンの頭を抱く。それは幼子を抱きしめる母のように、あるいは……弟を慰める姉のように。

「これは……、なんのつもりだろう?」

慌てたような声。そこに含まれる、幼さを残した少年の声に、ティオーナはホッと安堵の息を吐く。

それから……、

「シオン殿下……、実は私の弟も、ミーアさまのことが好きなんです」

「うん……?」

怪訝そうな声を上げるシオンに、ティオーナは続ける。

「でも、きっとその恋は実らないんだろうなって、きっと傷つくんだろうなって……思っていて。だから、私、弟を慰める時、どうすればいいか、ずっと考えてたんです」

セロが失恋して、傷ついた時、どうやって励まそうか、ずっと考えていた。けれど、励まし方はわからない。だって、ティオーナ自身、恋をした経験がないのだから。

考えて、考えて……、結局、出た答えがこれだった。

抱きしめて、ただ、そばに寄り添うこと。

セロが泣くならば、一緒に泣いてあげること……。それだけだった。

「だから、シオン殿下で試させてください」

「……子ども扱いされるのは、心外なんだが……」

「シオン殿下は、お誕生日はいつなんですか?」

「十日ほど前だ……」

その答えに、ティオーナは、くすくすと笑った。

「それなら、私のほうがお姉さんです。私は春でした。年下の男の子は、こういう時はお姉さんに甘えるものだと思いますよ」

「なんだ……それ」

呆れたような声が、聞こえてくる。

実際、ティオーナ自身もそう思う。なんだそれ? と。

でも……、それでも、このままシオンを放っておくことはできなかった。

きっと、それをしてしまったら後悔する。そんな確信が、ティオーナの中にはあったのだ。

「それに、大丈夫です。シオン殿下。私は辺土伯の娘ですから……。変な噂になったとしても、誰も本気になんかしません」

「なんだ……それ」

シオンはもう一度、ぽつり、と、

「君は…………案外、お節介な人だな、ティオーナ」

小さな声で、つぶやくのだった。

そんな二人の姿を見て、ふぅーっとため息を吐く男がいた。

――やれやれ……。どうやら、俺の出番はなさそうかな……。

キースウッドは、二人の様子を眺めて、かすかに微笑んだ。

――シオン殿下もこうして、弱音を吐ける友人ができたのはめでたいことだが……。しかしな……、ルドルフォン嬢は、ああ言っていたけれど、この場面を誰かに見せるわけにはいかないな……。塔の下で誰も入ってこないように止めておくか……。

苦労人の忠臣、キースウッドの夜は、まだ終わらない。

一方、その頃、ミーアは……。

「……うーむ……。なんだか、ホッとしたらお腹が減ってきてしまいましたわ。なにか、食べるものはないかしら……? 先ほどのクッキーはいずこに……」

お開きになった会場で、きょろきょろしていた。すると、

「夕食をあまり食べてなかったものね。どうかしら? 今から、私の部屋で軽くお食事というのは……。もちろん、お菓子もつけていただくけれど……」

「まぁ、ラフィーナさま、よろしいんですの?」

ミーアはパッと顔を輝かせる。

「先ほど、アンヌが差し入れてくれたジュースは、あの宿のものだったようですし、お礼を言わなければと思っておりましたのよ」

「うふふ、それはちょうどよかったわ。せっかくだから、ほかの方も呼ぶのはどうかしら。エメラルダさんは……難しいかもしれないけれど、シュトリナさんとベルさんも一緒にどうぞ。もちろんアンヌさんも。それに、ティオーナさんとも合流しましょうか」

ということで、ラフィーナの宿で二次会を行う運びとなったのであった。

ミーアたちの女子会の夜も、まだ終わらない。