軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二百四十五話 サナーレ・テラペイア視点

――雨期のとある日。

「いいのあった? サナ」

「ううん。リェチは?」

「こっちもないや」

「もっと奥に行ってみる?」

「そうだね」

「「行こう!」」

連日降り続ける雨で濡れた森の中、そう言ってリェチと一緒に走りだす。

今日は数日前に教わった薬草の見分け方と効能の復習をしておくよう言い付けられていたけれども、見張っていた兄さんは父さんに呼ばれお手伝いに行ってしまい家に居るのは私とリェチに甘い母さんだけ。そんな状況で私とリェチが大人しく勉強などするわけなく、形ばかりの母さんの制止の言葉を振りきって雨遊びに興じていたのは一刻ほど前のこと。

昨日の夜いっぱい雨が降ったお蔭で家の前には大きな水たまりができていて、泥遊びに飽きた私達は色々なものをその中に投げ入れた。

浮かぶ花びらが降り続ける雨粒に打たれてクルクル回り、その間を押し出した葉っぱの船がかき分け進む光景はなかなか綺麗で心躍る。大きな葉っぱの船や色々な花を浮かべて遊べば、きっともっと楽しいに違いない。

そう考えた私とリェチは家の側から森との境い目へと足を延ばし、現在はもっと大きな草花を求めて森の中まで来ていた。

雨粒が木々や岩を叩く音。

ぬかるんだ地面。

湿った森の香り。

何度も入っている通い慣れた場所のはずなのに、音も踏みしめた感触も香りもいつも違う。そんな光景になんとも好奇心がくすぐられ、私とリェチの笑い声が木霊する。

けれども、楽しい時間は長くは続かなかった。

「――見つけた!」

聞き慣れた声がした。

次いで首根っこを掴まれた感触と浮かび上がる私とリェチの体。

「リェチ! サナ! 雨期の森は危険だから入るなと言っただろう!?」

間近で発された怒声が鼓膜をビリビリと震わせ、自ずとビクッと体が跳ねる。横を見れば顔を引きつらせたリェチが居て、その瞳には同じく情けない顔をした私が映っていた。

――お手伝い、夕方までかかるって言ってたのに!

なぜこんなに早くと思ったけど再び片割れと共に名を呼ばれ、ただヤバイという感情が胸を占める。頭の中に浮かぶのは机に広げっぱなしの薬草や本や羽ペン、それから『俺が居なくてもちゃんとやるんだぞ。遊ぶのは終わってから』だと言って出て行った今朝の兄さんの姿だ。どうしよう。全然やってない。

同じことを考えているだろうリェチと見つめ合うこと数秒。またもや名を呼ばれた私達は観念して互いから視線を外し、そろそろと顔を上げる。そうして私達を掴んでいる腕の先を追えば、そこには厳しい表情を浮べる兄さんがいた。

――やばい。超、怒ってる!

見上げた浅緑の瞳から感じる圧力にゴクリと息を呑んだのは、私とリェチのどちらだろう。他の大人達と違ってなんやかんやと口うるさいゼーゲン兄さんだけど、こんな風にきつい眼差しを向けられたのは初めてだ。

「「ぜ、ゼーゲン兄さん」」

目が合ってもゼーゲン兄さんが口を開くことはなく、私達はそっと地面に下ろされ兄さんと向か合う形で立たされた。無言で私達を観察する浅緑の瞳がものすごく怖い。

「は、早かったね!」

「もう、お手伝いは終わったの?」

反応が怖くて、リェチと一緒に矢継ぎ早に言葉を投げかけてハハハと白々しい笑みを浮かべたけどゼーゲン兄さんは無反応。

き、気まずい……。

続く沈黙に「ど、どうする?」「どうしよう……」とリェチと目で会話するけど、初めて体験する状況に焦りと不安が募るばかりで、解決策は一向に見つからない。

そんな私達にゼーゲン兄さんがようやく返した反応は、長い安堵の吐息と抱擁で。

「こんな時期に森に入るなんて……どれだけ心配したと思ってるんだ!」

そう言った兄さんの腕の中はとても温かった。

濡れるのも気に留めず抱き寄せられて驚いたのも束の間。

そのあと、私とリェチはゼーゲン兄さんにしこたま怒られた。

引きずられるように歩いた帰り道も、体を温めている間も、ご飯中もずっとお説教。翌朝になっても体調に異常がないとわかるや否や、ゼーゲン兄さんの監視下のもと逃げ出した日やるはずだった復習をやらされた。

そしてそれは数日たった今日も続いている。

薬作りをするために作れた部屋の中はとても静かだった。ゼーゲン兄さんは時折私達を確認しながら黙々と薬草の分別をしているし、向かい側に座らされたリェチと私の前には積み上げられた薬草の山。

私達が扱いやすいようゼーゲン兄さんの手によって小さく刻まれたその薬草はよく乾燥しているので、乳鉢に入れて乳棒ですり潰せば簡単に粉状になった。薬草がパリパリと軽快な音を立てて砕けていくのは、それなりに楽しい。始めのうちは私もリェチも喜々としてやってた。

でも、繰り返すうちにそんな感情も薄れていき、ただ乳棒を動かし続けるだけの単調な作業に飽きてしまった。せめてリェチとおしゃべりしたいところけど、関係ない話をしているとすぐにゼーゲン兄さんから注意されてしまうのでできない。

元はといえば、昨日おしゃべりが盛り上がって、そのまま遊び出しちゃった所為なんだけどね……。

昨日の出来事を思い出しながら厳しく見張るゼーゲン兄さんと罰として増量された薬草の山を見て、ため息を吐く。悪いのは私達だとわかっていても、つまらないものはつまらない。これだって製薬に必要な【粉砕】というスキルを習得するためには必要な作業だと知ってるけど、ひたすら薬草を粉状にし続けなきゃいけないと思うとうんざりするし、やりたくない。兄さんは一か月かからず習得して優秀だったと聞いたから、なおさらだ。

一か月もこんなことやってられないよ……。

チラリと横を見れば、リェチも退屈そうな顔をしている。きっと私と同じようなことを考えているんだろう。ずっと一緒だったから互いが考えていることはよくわかるんだよね。

やる気がなくなり窓の外を見れば、いつの間にか雨粒が小さくなり雲も薄くなってきていた。この調子なら午後は止むかもしれない。雨の中でも外で遊ぶのは私とリェチくらいだけれど、止めば他の子供達も出てくる。そうしたら鬼ごっことか、かくれんぼして遊べる。二人じゃ盛り上がらないけど、皆とやればきっとすごく楽しい。

思い描いた午後の予定にワクワクしながら、相変わらず口をへの字に曲げている片割れの脇腹を小突く。

「(リェチ、リェチ)」

「(なに? 真面目にやらないとまた兄さんに怒られちゃうよ?)」

「(外見てよ!)」

叱られた記憶が残っているのか薬草を磨り潰しながらそう言ったリェチだったけど窓の外を示せば手が止まり、一気に目が輝いた。そして向けられた顔に浮かぶ、悪だくみの前兆。

――これはどうにかして抜け出さないとね。

――だよね!

そう、目配せし合ったのは一瞬のこと。

しかし私達が赤ちゃんだった頃からずっと見て、知っていたゼーゲン兄さんはずっと上手だった。

「リェチ。サナ。雨が止んで晴れようとも、今日の分が終るまでこの部屋から一歩も出さないからな」

いつもより低いその声にビクッと肩が跳ねる。

私達の考えを見透かしたような宣告に、ギギギと固い動きで向かい側に座っている兄さんを見れば厳しい眼差しと、「遊びに行きたいなら真面目にやって早く終わらせるんだな」という残酷な言葉が伝えられた。

「そんな殺生な!」

「皆が遊んでるのに勉強しろなんてひどい!」

「他の子が家で大人しく勉強してる時にお前達は遊んでただろうが」

「「うぐっ」」

抗議の声を上げたけど、すぐに言い返されて言葉に詰まる。やばい。このままだと本当に遊びに行かせてもらえない。

どうする?

どうしよう?

毅然とした態度の兄さんを前に、リェチと言葉なく相談し合うことしばし。

「「ゼーゲン兄さん!」」

「喉乾いたなぁ」

「朝ご飯が早かったからお腹も空いてきた気がする」

監視の目から逃れるためどうにか兄さんを部屋の外に出そうとそう口にすれば、待ってましたとばかりに笑うゼーゲン兄さん。なぜ。

自信に満ちたその表情に思わず目を瞬かせる私達を他所にゼーゲン兄さんは己の亜空間から食べやすいよう切り分けられた果物が入った皿を取り出し、薬草の山を器用に避けて置いた。

「小腹が減ったならこれを食べるといい。喉が渇いたなら、茶葉とコップもあるからお茶を淹れてやろう。昼飯もそのあとのおやつも用意してあるから心配するな。それと、厠に行きたくなったら遠慮なく言えよ。一人ずつ、連れて行ってやるからな」

終るまで絶対に逃がさんという兄さんの心の声が聞こえる言葉になす術なんてなく。部屋の中にある道具を使って手際よくお茶を淹れていく兄さんを、リェチと一緒に唸りながら見つめる。

チラリと見たお皿には食べ飽きないよう数種類の果実と櫛切りにされたレモーネと木の実が乗っていて、しかも私とリェチが好きなものもあって文句はつけられない。どうやらとほんのほんとに兄さんは目の前にある薬草の山を片づけないかぎり、私達を外に出さないつもりのようだ。

このつまらない作業を頑張って終わらせるしかないのか……。

母さんや父さんなら駄々をこね続ければ折れてくれるし、兄さんも今までならなんだかんだ言いながら聞いてくれていた。でも、今日の兄さんはまったく折れてくれる気がしない。おかしい。でも、そんな変化に不満を感じるけど、ふと「心配しただろう」と告げた数日前のゼーゲン兄さんの声や温かな腕の感触が浮かんできて。

なんとなく。

なんとなーくだけど、これ以上駄々をこねるのは気が引けた。

それはリェチも一緒だったようで、同じ顔が仕方ないよねとため息交じりに呟いて乳棒を手に持ったのを見て、私もつまらない作業を再開する。

「ちゃんと砕いて粉にするんだと意識しながらやるんだぞ。適当にやっていてもスキルには繋がらないからな」

渋々だけど作業に戻った私達へ話しかけた兄さんの声は柔らかく、そっと置かれたコップからは温かな湯気が緩やかに上る。手に取れば、鮮やかな水色のお茶が目に映った。

「ゼーゲン兄さん」

「これなーに?」

「マロウっていう薬草の花に蜂蜜を加えたものだ」

そう言って兄さんが取り出したのは見覚えのある形の葉を茂らせた一本の薬草。

「「喉薬作る時に使うやつだ!」」

「そう。それでこのお茶には乾燥させた花の部分を使ってる。この花は面白い性質を持っていてな。時間が経つと水色から紫に変わるんだ。お前達のももう変わってるだろう?」

「ほんとだ」

「すごい」

慌てて茶器の中を覗けば、ふやけた花と少し紫がかった色に変わった液体が目に映る。その不思議な光景に思わず感嘆の声を上げた私達に小さく笑った兄さんは、「見てろ」と言いながら新しい花が入ったフラスコに熱湯を注ぐ。すると透明なフラスコの中はみるみるうちに濃い紫で満たされた。

「あれ?」

「水色じゃない」

「これは高温、というよりも高い温度で抽出されたことによって濃度が高くなり紫になったんだ。よって水出しにすれば水色の時間が長く楽しめる。まぁ、味はそんなにないけどな」

「「へー!」」

はじめて知った。面白い。

新たな知識を頭に刻みつつ、ワクワクと胸を躍らせながら口をつけたお茶はほんのり蜂蜜の味がした。兄さんの言う通り味はそんなにしない。しかし付け足された台詞が再び私達の好奇心をくすぐる。

「レモーネを入れるとさらに違う色になるぞ」

「「!」」

聞えた内容に私とリェチは果物皿にあったレモーネを手に取り、コップの中に搾り汁を垂らす。一滴、また一滴と雫が落ちるごとに波紋が広がり、紫がかった色が可愛らしいピンクへと変わっていく。

水色から紫、そしてピンク。

夜明けの空のような色鮮やかな変化だった。

グイッとコップの中身を飲み干して、フラスコから紫の液体を注ぐ。そして再びレモーネを手に色を変えていく。

――なにこれ楽しい!

レモーネの搾り汁が入っているコップに注いでみたり、皮ごと沈めてみたり。様々な方法で色の変化を眺めるリェチと私に兄さんは穏やかな声で「楽しいか?」問いかけ、笑った。

それは遠い昔の、優しい記憶。

なぜ、私は忘れていたんだろう。

なぜ、こんな風になってしまったんだろう。

全身に走った叩き付けられたような衝撃で目を覚ました私は、ヒュッと吸い込んだ酸素に咳き込みながら見た光景にそう強く思った。