作品タイトル不明
第二百三十六話
暗闇の中、木々の間から覗く一対の瞳。
鈍い輝きを放つ黄金色に縁どられた縦長の黒い瞳孔がギョロッと動き、その照準が俺へと合わさったかと思えば真紅の口内と白く鋭い牙がゆっくりと浮かび上がる。
「――――エルフはどこだ」
若い男の声だった。
空気を震わせたその言葉はしっかり俺の耳に届いていたけれど、相手の目的はおろか正体がわかっていないこの状況で応える気などない。
漂う魔力がエルフよりもずっと高い――。
こうして対峙してみるとそのことがよくわかる。
だというのに俺やエルフ達だけでなく、ラファールやアルヴィオーネも爆発音が聞こえるまで気取ることができなかったという事実は目の前の相手を危険視するには十分。故に俺は、腰に佩いた聖刀の柄に手をかけたまま無言を貫いた。
そんな対応に痺れを切らしたのか、元より返事があるとは思っていなかったのか。
黄金色の瞳がゆっくりと動き出し、重たい足音とズルズルとなにかを引きずる音が交互に響く中、時折森の木々がミシミシと倒れ行く音も聞こえてくる。
やがて月明かりの下に姿を現したのは、黒光りする鱗で全身を覆われた一匹の竜だった。
巨体をしならせた黒竜が森から全身を出すため尾を振れば木々が薙ぎ倒され、吹き荒んだ風ではためく髪や服が痛いほど肌を叩くが、俺は一歩も引くことなくその光景を見守る。
いや。その時の俺は動くのを忘れていた、と言った方が正しかったのかもしれない。
鎌首をもたげた黒竜の体は、二階建ての戸建てなど優に越していた。
「――こりゃ、でけぇな」
共にこの場に駆けつけたシオンが思わず零したその言葉に、俺も静かに頷く。
大きいというのは、それだけで脅威だな……。
凝った肩を回すような気軽さで黒竜が尾を振っただけで、家二、三軒分の範囲から木々が吹き飛んだ。全身から見れば短い手足も、実際は一階分以上の長さがあり広げられた手の平は普通乗用車二台分以上ある。
史実や書物で伝え聞いている竜よりも目の前の黒竜が小柄な気もするが、見上げるほどの大きさと漏れ出す魔力量は圧巻だった。
そうして俺とシオンが黒竜の迫力に魅入ることしばし。
短い手足を守るように長い尾を巻き付けた黒竜は首を伸ばして辺りをグルッと見渡すと、高みから俺を見下ろす。
「エルフ達をどこにやった?」
不機嫌そうに喉を鳴らした黒竜は、確信に満ちた様子で俺にそう問いかけた。すぐ側にはシオンとアルヴィオーネが居るというのに、黒竜の視線は俺だけに注がれている。
人間の国々では伝説の生き物として語れることの多い竜はその身の強靭さと寿命の長さ、圧倒的な魔力量を宿すことから個体によっては精霊を越すとも言われているのでラファールと俺の繋がりも、彼女がエルフ達を連れて逃げたのも黄金の瞳に視えているのかもしれない。恐ろしい、相手である。
「先ほど力を行使していた風の精霊はそこに居る水の精霊と同じく貴様の傍らに在ることを誓っているようだが、エルフ達をどこへ連れて行くよう命じたんだ?」
「……さぁな」
「我は竜王が息子アストラ。この地へはエルフに用があって参った。数人差し出せば大人しく帰ると我が名に誓おう。しかしこのまま隠し立てするというならば――」
「――っ。どうする気だ?」
竜王の息子だと名乗り魔力で威圧してきたアストラに負けじと視線へ力を込めて聞き返せば、黒竜は黄金色の瞳をツイッと細めて鋭い牙を剥く。
「力ずくで連れ帰らせてもらう。寵愛してる貴様の危機となればあの風の精霊も戻ってくるだろう」
言葉や魔力で威嚇しつつもすぐさま襲ってこないあたり、アストラは完全に俺を見下しているようだ。
まぁ、竜達からすれば人間などその程度の存在でしかないだろう。
今の状況を思えば、油断してくれるのはありがたい。
俺はそう思うも、アルヴィオーネは違ったようで。
『――そんなこと、私が許すと思ってんの?』
「他種族と競い合い、繁殖し、栄えることを望まれて生み出された我々と違い、世界の管理を手伝うべく作られる精霊には侵せぬ掟がある。世界そのものと近しいが故に神々が強いた理に縛られるお主ら精霊の力では、我と戦い倒すことなど出来やしない。契約者から対価を貰って戦うという手もあるが、我を殺す対価は人の身には高かろう」
己が力では生き物の命を刈り取ることができない精霊の特性を指摘したアストラの言葉にアルヴィオーネの眦が吊り上がり、溢れた魔力で空気が騒めく。ある程度魔法の素養がある者ならば、肌を粟立たせるような雰囲気だ。
実際、シオンはただならぬ気配を察したのか、アルヴィオーネがいる方向をチラチラ見ながら腕を擦っている。
しかし竜にとっては、意に介するような状況ではなかったのだろう。
彼は大きな頭を傾けながらアルヴィオーネに話しかけた。
「それとも、そこにいる契約者やどこかに隠れて居るエルフ達ごとこの森を水に沈めてみるか? そのようなことをすれば肉体的に優れた俺やエルフはまだしも、人間は生き残れないだろうが」
こともなげに発せられたその台詞はアルヴィオーネを憤らせるには十分であり、その顔にはっきりと苛立ちを浮かべた彼女の姿はまさに一触即発といった様子である。
しかし、ここで感情のままアルヴィオーネに暴れられては困る。
もしこの森すべてが水の中なんてことになったら、複数の精霊から加護を受ける俺はまだしも、ピネス前王やヴェルコ殿、レオ先輩達やシオンは生き残れないだろうし、幼子や老人など力ないエルフにも被害が出る。それに族長や長老の話が本当ならば、この森を失ったエルフ達に生きて行く場所などない。
「アルヴィオーネ」
『――わかってるわ。私が好き勝手に暴れたら、ご主人様やエルフ達が困ることくらいはね。でも、ムカつくものはムカつくの!』
アルヴィオーネに声をかければ怒り露わにそう告げられて、俺は胸を撫で下ろす。
アストラの言葉に腹を立ててはいるものの彼女はまだまだ冷静らしく、力に訴える気はなさそうでなによりだ。
ただ、彼はそんなアルヴィオーネの姿が不思議だったらしく。
「いいのか? 精霊であるそなたが我の命を刈ることは叶わぬが、直接手をかけなければいいのだから抜け道はある。人の身である契約者を我に挑ませるのは無謀だと思うが……乗ってくる気はなさそうだな。戦いに乗じて確保した契約者と交換させようと思ったのに、当てが外れたな」
ブツブツ呟かれる言葉を聞くかぎり、どうやらアストラはアルヴィオーネと戦い、その騒ぎに乗じて俺を捕らえる予定だったらしい。もしくは、アルヴィオーネの力に反応したラファールが戻って来ることを期待していたのかもしれない。
……どちらにしても、人間である俺達など眼中にはないと。
油断してくれていることを喜ぶべきか、侮られていることを悲しむべきか。
そうシオンと視線で会話する一方で、ふと過った違和感に頭を捻る。
エルフの族長達は腰に佩いた聖刀の存在に気が付いていたが、アストラはどうなのだろうか。精霊達との繋がりは視えているようだが、聖刀を気に留めている様子はない。承知した上で取るに足らない存在だと思っているのか、それともあのエルフの青年達のように認知できていないのか。
竜の能力をもってすれば、察知できないなんてことは通常はないはず。
となると、考えられる可能性は一つ。
高みに見えるアストラの瞳が放つ輝きは、竜人のレヴィやダボル殿よりも昏い気がした。
「……まぁ、もとより人間に用はないからな。そなたと無理に戦う必要はない。約束通り、エルフさえ連れてくればお前の契約者達は見逃してやるから早く連れてくるといい」
『嫌よ』
即答したアルヴィオーネに、アストラが訝し気な声を上げる。
「なに?」
『そっちが勝手に言ってるだけで、私もご主人様もエルフ連れてくるなんて一言も言ってないし。勘違いしないでくれる?』
「よもや、我から逃げきれると思っているのか」
断られると思っていなかったのか、アストラの声が強張り纏う空気がにわかに殺気立つ。
そんな黒竜をアルヴィオーネはハッと一笑に付すと、凍えるほど美しい笑みを浮かべて囁いた。
『――貴方じゃ、私達のご主人様には勝てないわ』
アルヴィオーネの言葉に刮目したアストラは、開ききった瞳孔を俺へと向ける。
当然、俺達が彼の要求を呑むと思っていたのだろう。マリス達の影響もあるのだろうが、アストラは周囲の状況が全然目に入っていなかったようだ。
ようやく俺とシオンが武器に手をかけたままであることに気が付いた彼は、くぐもった唸り声を上げると、巻いていた尾を勢いよく伸ばして威嚇するように立ち上がった。
「邪魔立てするのならば容赦せんぞ!」
竜の咆哮は圧巻であった。
しかし、俺とシオンの答えは変わらず。
「生憎だが、エルフ達を売るわけにはいかない」
「まぁ、戦う気がないならとっくの昔に逃げてるわな」
シオンがそう言って笑ったのをきっかけに、戦いの火蓋が切られた。
「ならば手加減はせん!」
そう言って最初に動いたのはアストラであった。
ヒュッと風を切る音がしたかと思えば、その巨体からは想像もつかぬほどの速さで漆黒の尾が俺とシオン目がけて振り下ろされる。
無論、その攻撃をみすみす受けるはずもなく、俺達は左右に飛び退き回避した。
そして勢い良く叩きつけられた黒竜の尾が地面にめり込み、土や石、木々の破片を跳ね上げる中、着地した俺は降り注ぐ破片が目隠しとなっている間にスキルを発動させる。
「【初撃の一閃】」
黒く大きな体を見据えて居合斬りの要領で振り抜けば、たしかな手ごたえがあった。
「なっ!?」
斬りつけられた足から血が流れると時同じくしてアストラの口から驚きの声が漏れ出て、瞠目した黄金の瞳と目が合う。
傷つけられるなど想像もしていなかったのだろう。
黒竜の姿からは動揺が見て取れる。
「さすがだぜ、若様」
口笛交じりにそう言ったシオンの声が耳を掠めかと思えばハルバートが地を割り、地割れに足を取られたアストラがバランスを崩す。シオンはその瞬間を逃さず頭上に大岩を落として追撃するがアストラはその衝撃などものともせず、岩を砕いた漆黒の鱗は相変わらず月光を反射していた。
「これじゃ無傷か。噂通り丈夫だな」
「ああ――来るぞ」
アストラがフルっと頭を振るうと同時に、体に積もっていた岩の破片が地に落ち、ガラガラと大きな音を立てる。
次の瞬間、視界が白く染まった。