作品タイトル不明
第百八十五話 セルリー・フォン・テルモス
少し猫毛の淡い金髪を靡かせたアメリアが、碧色の瞳を細めてふわりと笑う。
戦場から戻った私はそれだけで生きていてよかったと思えました。
アメリアは、生まれた時から知っている血の繋がった家族以上に大切な私の妹分。早くに魔法の才能を開花させたが故に、両親さえ遠慮がちに触れるこの手を迷うことなく握り引いてくれた幼馴染の少女が私はなによりも大事でした。
恋と呼ぶには淡い感情をアメリアに抱いたこともありましたが、彼女が幸せそうに笑ってくれるだけで十分、だからゼノと添い遂げたいのだと相談された時も二つ返事で協力したものです。
そのことに後悔はありません。私では【アギニス公爵】の名と責務を肩代わりしてやることはできませんでしたからね。【炎槍の勇者】となり彼女の背に乗せられたものを引き継いでくれたゼノには、これでも心から感謝しているのです。口に出して告げることは生涯ないでしょうけどね。
成人前に公爵位を継いだ彼女は、己を省みることなく民や国のために戦いました。少女が駆けるには辛い戦場もあったでしょうに、彼女は折れることなく兵達を導き続けたのです。
そんなアメリアが恋をした相手と結ばれ子供を授かって、その手で掴みとった平和に身を委ねようとした時に起こった不幸を私は生涯忘れない――。
「負の感情を糧に?」
「ええ。でも、必ずしも人間のものでなければいけないわけじゃなくて。人間の方が格別に美味しいんですけど、魔獣とか動物とかからでも食べられます。だから同族達は人村はなれた森で狩猟しながら生活していて……」
ドイル君に一族の秘密を語るユリアを眺めながら、二人に気が付かれないようにひっそりとため息を零します。
……私もまだまだですねぇ。
酸いも甘いも幾度となく噛み分けて長い時を過ごしてきたというのに、今さら怒りで視界を赤く染めるなど、と一人ごちる。
アメリアが亡くなったあの時のことは今でも鮮明に思い出せます。
最後の戦後交渉が終わり、本当の意味で大戦が過去の出来事となった日でした。
交渉相手や同盟国といった関係各所の人々が集まり、平和なこれからを皆で願う祝賀会がマジェスタ城の大広間で開かれた裏側で起こった凶行。
アメリアの姿が見えないというゼノと共に広間を出て、彼女を探しました。そうして見つけた彼女は血だまりの中にいて。冷たくなり始めた体と広がる赤が、私とゼノを絶望の淵に立たせました。
数多の戦場を経験した私達から見て、アメリアはもう助かりませんでした。だから私は遠ざかる足音を追いかけようとしたのです。でも僅かに意識を取り戻した彼女は――、
血塗れるのも気にせずゼノはアメリアを抱きしめます。必死な形相で蒼白な顔をしている彼女に「死ぬな」と呼びかける姿を見た私は立ち上がりました。
「ゼノ、アメリアは任せます。私は彼奴らをっ」
そう言って駆け出そうした瞬間、僅かに開かれた瞼から強い光を宿した碧色の瞳が覗き私を見据えます。
「――それは、なりません」
アメリアの細く開かれた唇から紡がれる最後の声を聞き洩らさぬよう耳を澄ませば、無情な言葉が紡がれました。
追ってはならないと告げる彼女に、犯人が他国の者なのだと悟る。
アメリアの言いたいことはわかります。大戦を忘れ生きようと願う宴で、戦の功労者であるアギニス公爵家の夫人が他国の者に殺害されたとなれば、歴史は逆戻りするでしょう。
しかし! でも! 君を殺した者達をこのまま見逃せというのか!
平和で幸せ満ちる日々はこれからだというのに、一番幸せになってほしかった少女を失うなんて、その仇を討つことすら許されないなんて、今この胸にこみ上げる激情はどうしたらいいというのか。
「何故です! 今追えば捕えられる!」
堪えきれず叫べば、アメリアは儚く笑う。
「捕えたところで、意味はないわ。無意味な争いを生むだけ……お願い、ゼノ様、セルリーお兄様。真の犯人ではないからどうか追わないで。アランが生きる世に火種を残したくないの――我儘を言ってごめんなさい。二人はどうか幸せに」
碧色の瞳を細めアメリアがふわりと笑えば、顔にかかっていた少し猫毛の淡い金髪が零れ落ちます。そしてそっと閉じられた瞼が、再び開くことありませんでした。
「アメリア!」
ゼノの悲痛な声が空気を震わせる。
そこでようやく、騒ぎを聞きつけた騎士達がこちらに向かって走ってくる音が遠くから聞こえました。
アメリアを抱えたゼノを眺めながら、取りだした杖を震える手で握る。そして、私は魔法を発動させます。
「【転移】」
アメリアもゼノも床に広がった血も鉄臭い空気もすべて、事件の痕跡となるものはアギニス公爵家へ飛ばし、杖を仕舞う。
彼女のために起きた戦が無意味なはずがない。私やゼノやセバス、彼女と関わったことのある者ならば皆そう思うはずです。
しかし当のアメリアが戦わないでくれと願うなら、叶えて見せましょう。
この胸が張り裂けそうなほど辛くとも。
「叫び声のようなものが聞こえましたが、どうかされましたか!?」
「アギニス公爵夫妻が喧嘩をはじめようとしたので、家にお帰りいただいただけです。何も問題はありませんから、お戻りなさい」
笑みを浮かべて部屋に駆け込んできた騎士達を振り返り、私はそう告げました。
それから私達は、彼女が殺害されたという事実を消すことに奔走しました。
リブロやエルヴァ、先代の陛下と協力し、幻影のアメリアを公の場に出すことで彼女の死亡時期を偽り半年後に葬儀を行いましたが、彼女の遺体はとうの昔に埋葬済み。棺に彼女の人形を寝かせ告別を行わなければならなかった悔しさは今もこの胸にあります。
あまりにも突然だったアメリアの死はしばらく噂になりましたが、四英傑と呼ばれた私達が睨みを利かせる中しつこく探ろうとする者は居らず、一年と経たず誰も口にしなくなりました。そうして彼女の死は闇に葬り去られたのです。
病死や事故死と偽らなかったのは、私達の最後の抵抗でした。
死因を確定させないままでいれば、いつの日かアメリアがなぜ殺されたのか調べられる時が来るかもしれないと思ったのです。
やり場のない憤りと悲しみに蓋をして、彼女の死の真相と引き換えに得た平和を守ることに尽力してきました。ふとした時に思い出す胸の痛みは見て見ぬふりをして、次世代を育てマジェスタの将来へ想いを馳せ続け……。
そしてアランや新王が立派な治世を行うようになり、グレイ殿下やドイル君やジン君という子供達も成長し一人前になろうとしている。これでようやく肩の荷を下ろせる、そう言ってゼノと引退してから間もなく一年が経とうとしていました。
守るために力を求めるドイル君が、眩しくて。ただただ、誰かのためにあろうとする姿に亡きアメリアの面影を見ました。
ドイル君を見守りながら過ごす穏やかな日々は、存外悪くありません。このまま子供達の声が響く学園で余生を終えるのもいいのでないかと最近考え始めておりました。
そんな折、知ってしまった『真の犯人』の正体。
悔しさを燻らせる私やゼノ、実子であるアランでもなく、一度もアメリアと会ったことのないドイル君が暴くとはなんて因果なのでしょうね。
――無意味な血を流すことを嫌った、アメリアの采配ですかねぇ。
そんなことを考えながら首元に巻かれた包帯を撫でれば、チリチリとした痛みが走る。先ほどドイル君につけられた傷に触れながら思い出すのは、私を見据える紫色です。
アメリアの碧とは似て非なるその瞳。死にゆく彼女を見た時と同様に激昂した私を真っ直ぐ射抜きながらかけられたのは、奇しくもアメリアと同じ言葉でした。
『それはなりません』
静かに、はっきりと復讐を否定したドイル君とあの日のアメリアが重なる。
次の瞬間、燻っていた感情が一気に燃え上がりました。
わかってはいたのです。
ようやく平和になった世を乱すことをよしとしなかったアメリアの想いも、ユリアに怒りをぶつけようとした私を制止してくれたドイル君の優しさも。
それでもあの苦しみを忘れることなど出来なくて、行き場のない感情をドイル君にぶつけました。
攻撃を捌くドイル君に強くなったなと思う暇もなく暴れて、挙句フィアに力を借りて学園を吹き飛ばすほどの魔法を放っても手に入らない『真の犯人』に歯噛みした。
何故駄目なのか。
すでに答えを持っているというのに、聞きわけなく叫ぶ私をドイル君は力づくで止めてみせました。
背を打った痛みをやり過ごす最中、アメリアの誇りを穢すなと諭すドイル君の声がゆっくりと耳に届く。次いで感じたのは冷たい刃とひりつく肌、それから首筋を伝う生温い液体。懐かしささえ感じる鉄臭い香りが鼻を掠めるのを感じながら、己を射抜く紫色に息を呑む。
『――だからこそ復讐に心を染めた貴方が罪なき命を奪い、その手を汚してしまう前に俺がアメリアお婆様の元に送って差し上げますよ、セルリー様』
幼子に語りかけるように優しく言い聞かされた言葉の内容を理解した瞬間、頭をガンと殴られた気がしました。
私はこれまでなんのために戦ってきたのか。
この子らが血に塗られることのない世を作るために、尽力してきたのではなかったのか。
私の我儘でドイル君の手を汚させるなど、なんと、なんと情けない!
道を誤るのならば殺してでも止める、そう覚悟を固め私に問うドイル君の言葉に、これから生まれてくる子らがこんな覚悟をしなくて済むようにと、願い生きてきたことを思い出しました。
一気に冷めた思考で己の行動を振り返り激しく後悔します。同時に、ドイル君の優しさに泣きたくなりました。
――私には勿体ない弟子ですねぇ。
いつぞやかドイル君のような孫を持てた僥倖を噛みしめろとゼノへ告げましたが、それは私にも言えたことだったようです。
ジョイエと違い、ドイル君は半ば強制的に扱ってきました。それでも私を師と認め尊敬していてくれた上に、命を背負う覚悟までして私を止めようとしてくれたドイル君の想いを噛みしめる。
癒えぬ悲しみや忘れることのできない憤りが今もこの胸にあります。けれども、ここまで真摯に幸せを願ってくれる子がいるならば、もういいのではないかと思いました。
――真相を追えなかった無念もドイル君やジョイエに託して、私は大人しく余生を楽しみましょうか。
役目を終えて守られる側に回るのも悪くない、と考えドイル君達へと目を向ければ、心配そうな紫色と視線がかち合う。
次いで私の首に巻かれた包帯へ視線を動かしたドイル君は、申し訳なさそうな表情を浮かべて告げます。
「私が付けた傷が痛みますか? やはり回復薬を使って傷を治してしまった方が……」
首元を触っていた所為で、心配させてしまったようです。
正直、この程度の傷ならば私の魔法で治療可能です。しかし私は戒めとして治さずにおこうと思います。薄く皮膚を切った程度なのですぐに消えてしまうでしょうが、己の愚行を反省することは大事ですからね。
「大丈夫です。この程度のかすり傷で薬を頼っていてはエルヴァに怒られますし」
そう言って笑いかければ、ドイル君は少しばかり驚いた顔をしたあと、納得したように頷く。
「では、セルリー様。もう少しお時間いただいてもよろしいですか? ユリアから大戦に関わった者達のその後の話まで聞いてしまいたいのですが……」
私を慮って時間の有無を尋ねるドイル君に、そっと首を振る。
ユリアの話は大変気になりますが、ドイル君達に任せると決めたからには私が聞く必要はないでしょう。これ以上、可愛い弟子の世話になるのはごめんですからね。余計な情報を手に入れて我慢がきかなくなっても困ります。
だから私は、ありもしない予定をドイル君に告げる。
「すみませんねぇ。朝食がてら学園長に昨晩の君達のことを報告しなければならないのです」
「それではいつ頃ならばお時間いただけますか?」
「私の都合は気にしなくて結構。ドイル君一人で聞いてください」
「は?」
私の物言いに間抜けな顔を浮かべたドイル君をクスリと笑う。次いで見せつけるようにゆっくりと口端を上げてから、私は口を開く。
「私は引退した身ですからねぇ。余生を楽しみながら、貴方達がすべてを解き明かし報告しに来てくれる日を待つとします」
出来ますよね? と言外に含ませ挑発するように告げれば、ドイル君はゴクリと喉を動かしたあと自信に満ちた笑みを浮かべ応えます。
「承知いたしました。楽しみにしていてください、セルリー様」
強い意志を携えた紫色の瞳が嬉しそうに煌めくのを見つめ、目を細める。
そして私は成長と共に作り直しながら、長年愛用してきた杖を取りだします。杖の媒体として先端に据えられた拳二つ分以上ある水晶は、アメリアと彼女の父親が私のために探し出してくれたもの。
――私には、もう必要ありませんからねぇ。
大きく、虹色に輝く水晶は一級品の証。大規模な魔法を使う際に重宝した品です。
本来ならばジョイエにやった方が役に立つのでしょうが、彼には魔術師団長の座を譲った時に別の杖を上げましたから、こちらはドイル君にあげましょう。
早くに魔法の才能を開花させ、宮廷魔術師になることを薦められていた私を案じた彼らの想いが籠ったもの故、血縁者であるドイル君の手にある方が正しい気がします。
「戦わぬ身には不要な品なので、貴方に差し上げます」
私が何をする気なのか警戒しているドイル君の目の前に杖を置き、席を立ちます。
そうして状況を呑み込めていないドイル君が目を瞬かせているうちに退散するため、気配を殺して歩き出しました。
そんな私をユリアが物言いたげな様子で見つめています。しかし先ほどの戦いを思い出したのか、目があった途端彼女は肩を跳ねさせ私から視線を逸らしました。
「――頑張ってドイル君の役に立ちなさい。それが貴方達の生き残る唯一の術です」
俯くユリアにそう囁いて横を通り過ぎれば、バッと顔を上げた彼女の見開かれた瞳が見えましたが、私はそれ以上口を開くことなく扉へ向かう。
彼女やその同胞すべてが仇ではないと理解してはいますが、それでも治まらない感情があります。ドイル君に免じて命は取らないであげるのですから、八つ当たりのお詫びはこれで十分でしょう。
そう一人言い訳して扉に手をかけたその時、復活したドイル君が私を慌てて呼び止める。
「ちょ、お待ちくださいセルリー様! これほど高価な物は受け取れません!」
「もともとはアメリアと彼女の父親からいただいたものですから、支払いはアギニス公爵家です。安心なさい」
笑みを浮かべて振り返り、そう告げました。そんな私を引き留めようと立ち上がったドイル君を無視して、扉を開けます。
「そんな大事なものはよけ――」
そしてドイル君の叫び声を背に研究室を出た私は、足早に廊下を進む。
行き先は学園長の私室。まだ寝ているでしょうが、ドイル君へ告げた予定を真にするために叩き起こして朝食に付き合わせなければなりません。
ついでにここを終の棲家にすると伝えておきましょうかねぇ……。
ドイル君に興味を持ちエピス学園を隠居先に選びましたが、ここに骨を埋めるのも悪くありません。いや、今回の一件でそうしようと決めました。
眩しくも愛おしい子供達の未来を想い描いている間は己が何のために戦ってきたのか忘れないでいられますし、燻る激情にも蓋をし続けられます。恐らくここでならドイル君が望んでくれた穏やかな余生を過ごせるでしょう。
廊下に差し込む朝日に目を細めながら己のこれからを考えていたその時、吹くはずのない風が頬を撫でます。そして夢か現か幻か、
――お疲れ様です、セルリーお兄様。
少し猫毛の淡い金髪を靡かせたアメリアが、碧色の瞳を細めてふわりと笑った。