作品タイトル不明
第百十九話 レオパルド・デスフェクタ
「それじゃ、私は愛しい子のもとに戻るわ」
「ありがとうございます」
己とは違う生き物なのだと、まざまざと感じさせられる美貌を綻ばせ、風の精霊はふわりと消える。
たなびいた緑の髪の残像が完全に消え去るのを眺め、俺は詰めていた息を吐いた。
いくらドイル様が契約している精霊とはいえ、戦闘能力も魔法耐性も低い俺には、対峙するだけで緊張を強いられる存在だ。
元々なのか、ただ単に俺がドイル様の部下だからなのかは知らないが、あの精霊は俺達にも気さくな態度で接してくれる。
今だってお使いをさせられたというのに、ご機嫌だった。珍しい精霊もいたもんだ、と心から思う。
しかし本人が気さくだからといって、緊張しない訳じゃねぇ。圧倒的な強者を前にすりゃ誰でもビビる。だって、精霊だぞ? 人間が精霊に対して感じる本能的な畏怖がそこにある。
いくら急ぎとはいえ、自然の体現者、神の代行者といった大仰な呼び名を持つ存在にお使いさせる奴は、世界広しといえどドイル様くらいだろう。
……まぁ、本人も大概だからな。
セルリー様と関わり始めてから、一際人外な強さを身につけ始めたご主人様を思い、そんなことを考える。
今回だってそうだ。
学業の一環で向かった王都警備。普通ならば、普段見られない騎士の生活と職務を覗き、上手くいけば騎士に実践的な指導をして貰えるかもと、比較的気軽な気分で挑むもののはず。
深淵の森とは違い、王のお膝元で命の危険など滅多にない。
昨年の実習よりも安全かつ気楽なもののはずだった。
間違っても水面下で騎士団と対立したり、傭兵達の根城に乗り込んだり、怪しげな薬を製作していた薬師を捕えるような実習ではなかったはずだ。
それがどうして、こんなものを手に入れることになるのか。
ドイル様の契約精霊から渡された包みと手紙、通信用の魔具を手にそんなことを考える。
掌ほどの大きさしかない包みを開けてみれば、出てきたのは魔法薬の保存瓶の中でも最上級の瓶に詰められた魔法薬。
親指程度とはいえ、貴重な魔鉱石やドラゴン等の素材を練り込み作られた瓶には、魔術師の中でも一流と呼ばれる人間でないと刻めない高度な魔法が刻まれている。俗にいう、劇薬と呼ばれる類の魔法薬に使用する、特殊瓶である。
添えられた手紙には、『先日の薬の完成品だ。成分分析とどの程度の威力を持つ薬なのか調べてほしい』と書かれている。
……ドイル様は王都で何やってんだ?
つうか、実習はどうした?
主人が危険なことに足を突っ込んでいるというのに、事後経過しか知ることできない立場に歯噛みする。
側にいれば多少の手助けもしてやれ、俺の気も楽だっただろう。
こういう時、一学年差の不便さを痛感するぜ。
ドイル様から怪しげな薬のかかった虫の死骸と、手紙が届いたのは一昨日の夜のこと。
王都で発見したらしく、早急に分析して欲しいとの依頼だった。
砦の実習から帰ってきたばかりで疲れていたが、他ならぬドイル様からの依頼だ。他の奴らを叩き起こし、早急に薬の抽出、分析に入った。
そうして出した分析結果を、ドイル様に送ったのが今朝方のこと。
実習の疲れもあり、他の奴らは隣の部屋で死んだように眠っている。
先ほどまでは俺もその一員だった訳だが、不意に過ったある可能性に飛び起き、いてもたってもいられず、確かめようとこの部屋にやってきた。
そして資料を引っ張り出し、調べていたところで精霊の来訪である。
手紙にかかれた大まかな経緯を読み進める。
そして、文中に見つけた『ゼノス・ヴェルヒ。推定年齢二十歳前後。痩せ型で黒髪に浅緑の瞳』の一行に俺は目を細めた。
……杞憂で済めば、いいんだが。
徐々に増す嫌な予感に、怪しげに光る魔法薬と手紙、机に広げた資料をみて溜息を零す。
今すぐにでもドイル様に相談したいところだが、先ほどこの手紙を届けてくれた精霊に「『夜には連絡するから質問はそれまで待ってほしい』って言っていたわ。バタバタしてたし忙しいみたい」といわれている。
……とりあえず頼まれたことでもやっておくか。
不意に気が付いてしまった可能性と、それを示唆する資料達。
それらから目を逸らし、俺は実験の準備に移る。
疲労や眠気など、とっくの昔に何処かに行っていた。
一人っきりの実験室にガチャガチャとガラスや実験器具が擦れ合う音が響く。
本音を言えば気が付かなかった事にしたいが、二度とドイル様を裏切るような真似はしないと心に決めている。
俺がもたらした情報を元に、杞憂かどうか判断するのはドイル様だ。
新薬の発見などそうそうなく、近い時期に同じような成分、効能をもつ薬を別々の人間が思いつき形するなど奇跡に近い。
……ドイル様から連絡がくるまで結構あんな。
俺の胸中をあざ笑うかのように、中天から燦々と降り注ぐ日差しに目を細め、偶然というには似過ぎた二つの薬の成分表から目を逸らす。
そして気を紛らわすかのように、ドイル様から送られてきた魔法薬を手に取った。
ドイル様から届けられた怪しく光る紫色の薬にピペット、石のはいったガラス張りの箱。両脇に腕を入れる穴があいたその箱に、手袋をはめた両腕をいれる。
石はそこらへんにある石っころだが、箱は魔法薬の実験用に王城でも使われる特別製。薬の効果が箱の外に出ないよう、解毒魔法や結界が幾重にも張られている。勿論薬に触れるピペットも特殊加工がされた特別製で、ここにある実験器具だけで家一軒買える代物達だ。
こういった高価な実験器具を使う度に、この学園にきてよかったと悦に浸るところだが、今日は気分が滅入る一方だ。
その上、成分分析を済ませた薬は残り僅か。
貴重な薬を無駄にしないよう気を引き締め、慎重に石の上へと薬を落とした。
ぽたり、と石の上に落ちて広がった薬はジュウという音をたてた後、ブクブクと石の表面を泡立たせる。
泡が消え去った後、石の表面は溶けたように爛れていた。
薬の反応が完全に終わったことを確認し、溶けた範囲、反応していた時間を書き記す。
そして器具を使い表面の一部が爛れた石をとりだす。
代わりに魔石を入れて、同様に薬を一滴落とす。
ジュウと音をたてた後、ブクブクと魔石の表面が泡立ち、溶けた。
その後、中身を変えて同様の作業を繰り返す。
希少な鉱石や強化魔法が刻まれた武器に魔法耐性を上げる魔法が刻まれた防具。どれも薬をかけた途端表面が泡立ち、溶けて爛れる。
材質も魔法も結界も問わず、すべてを溶かした薬の効果に、鼓動が速まる。嫌な感じだ。
身を包む嫌な緊張感を紛らわそうと一呼吸置き、俺は先ほど実験に使った防具よりもワンランク上の防御魔法がかかった防具を箱の中に入れる。
そして再度薬を落とす。
しゅわっ、という先ほどまでよりも弱い反応を見せた薬に、箱の中身をさらにランクの高い魔法がかかった物へと変え、同じ実験を繰り返す。同様に、鉱石や魔石もそれぞれ純度の高いものへと変え実験した。
実験で得た素材ごとの溶けた範囲や反応時間を比べ、薬の効能をまとめていく。
そうしてほぼすべての実験を終え、結果もまとめ終った頃、ドイル様から送られてきた通信機が交信を告げる。
辺りはすっかり暗くなり、空には星が瞬いていた。
「……待ちくたびれたぜ、ドイル様」
『それは申し訳ない。先輩方も砦からご帰還されたばかりだというのに、ご迷惑おかけします――それで、調子はいかかがですか? レオ先輩』
「ここでできる分は、もうあがってる。犯人捕まえたんならもうわかってるだろうが、溶かすことに特化した魔法薬だ。金属や石とかは勿論、魔石や魔鉱石、弱いものだと結界や防御魔法がかかってる防具類も溶けたぜ。防御や結界がついてるので溶かせるのは五段評価で下から三番目くらいまで。高位の防御魔法や結界なら薬が弾かれる。具体的にいえば、城で配給されている一般兵の鎧はかけられている防御魔法を無視して溶けたぞ。薬自体の魔法耐性が高くて防御魔法を無効化しているのか、防御魔法ごと溶かしているのかは不明。この辺りは目の良い魔術師でもいないと検証できねぇな。成分分析も済んでるが、読み上げてやろうか?」
『いえ、そちらは結構です。聞き漏れがあってもいけないので、実験結果をまとめたものと一緒にください――それにしても届けたばかりだというのに、随分早い仕上がりで驚きました。とても助かりましたが、皆さんお体は大丈夫ですか?』
「……他の奴らは、今朝出した報告書で力尽きて寝てる。早い奴はそろそろ復活すんだろ」
俺達の体を気遣う言葉にむず痒いものを感じながら、一人でやったというか皆でやったというか迷う。どう告げるべきか迷ったが、どうせすぐばれる嘘なので、素直に告げた。
『まさか、レオ先輩お一人で実験してくださったんですか?』
驚きと微かに怒っているような、険を含んだドイル様の声色に、俺は会ったばかりの頃を思い出し一人笑う。
……人の心配は最初からできんだよな。
自分はあれほどわかりやすいグレイ殿下とローブの心配をくみ取れなかった癖に、人の心配だけは一丁前にしてくる不思議な奴だ。
己は甘えることを拒む癖に、人には平気で甘えていいという。実際甘えても笑って許してくれる。
その一方的な好意は、ドイル様にとって身近な相手であればあるほど顕著だ。ドイル様がそんな態度だから、殿下やローブ達が躍起になって守ろうとするのにな。
そんなことを考えながら、ドイル様の相変わらずな人柄に安堵の溜息を零す。
人の好意や心配を素直に受け取れない不器用な奴だが、優しい奴だ。
グレイ殿下やローブ達、周囲に集う者達を傷つける者に対しては過剰なほど敏感で容赦ないが、それ以外には大体寛容だ。王族に次ぐ身分の癖に、うちの連中がつけた変な呼称も、俺達の裏切りも軽く流して、許してくれる。
そんなドイル様ならば、俺が気付いた可能性を告げたところで、彼奴らを悪いようにはしないだろう。
『レオ先輩。ちゃんと、聞いてますか? 頑張ってくださるのは大変嬉しく、助かりますがそれで体調を崩されては――』
「なぁ、ドイル様。一つ、聞いてほしい話があんだよ」
『……なんですか?』
ローブやグレイ殿下に普段言われている小言を、俺に告げるドイル様に小さく笑い、話を切りだす。
少し不満そうな声をしているものの、話を聞いてくれるらしいドイル様に、俺は気が付いてしまった可能性を口にする。
「――去年の合宿の時、食った肉を覚えてるか?」
『はい?』
「サナが作った【丸秘 熟成薬】とかいうふざけた名前の魔法薬使って下ごしらえしたやつ。覚えてるだろ?」
『……ええ。覚えていますが』
「サナのあれは熟成つってるが、効能は発酵だ。そんで発酵と腐敗ってのは、過程だけみればほぼ一緒。肉の成分を分解し、別のものに変化させる。人にとって有益なのが発酵、有害なのが腐敗。サナが作った熟成薬は、肉の成分分解をほどよく促進させる」
俺の質問に戸惑い気味に答えたドイル様に、一気に説明する。
ドイル様が戸惑う空気を通信機越しに感じたが、気が付かなかったフリをして続きを言い切る。
「最初に送られてきた虫がまとっていた薬と、サナの熟成薬の構成成分はほぼ一緒だ。違いがあるとすれば、前者には毒性の強い成分がいくつか加えられている。といっても、三種類程度だ。今日届いた薬の成分も七割方は熟成薬と変わらねぇ」
『レオ先輩、それは』
「新薬の開発なんて簡単にできるもんじゃねぇよ。それもサナが熟成薬を完成させてから、二年も経ってねぇ。薬の研究には時間がかかる。一、二年なんて同じ時期といってもいいくらいだ。近い時期に同じような成分、効能の薬を別々の人間が思いつき形にするなんざ、奇跡といっていいくらいだぜ」
『っ』
息をのむ音が聞こえた。
しかし俺は、それでも口を閉ざそうとは思わなかった。
ここまでいえば、ドイル様も俺が何を言いたいかわかっだろう。
しかし俺にはまだ、ドイル様に伝えるべき情報があった。
例えそれが身内の立場を悪くするものであっても、だ。
「熟成薬の元になった薬は、彼奴らの村で代々伝わっていた薬だそうだ。ある種の薬草を栽培する為に、木々を腐らせて苗床をつくる時に使うらしい」
カタリと小さな音が背後から聞こえる。
俺とドイル様の会話を、盗み聞きしていた奴がいたことは最初っから気が付いていた。それでも俺はドイル様に気付いた可能性を語った。
窓に映ったそいつの表情に胸が痛む。
なんとかできるなら、してやりてぇ。
けど、俺じゃ力不足だ。してやれることがねぇ。
なにもできねぇから、こんなこと気がつかなきゃよかったと、思う俺がいる。俺だって身内を売るような真似はしたくない。
しかしその感情以上に、ドイル様を裏切るような真似は二度としたくないと、叫ぶ俺がいる。
始めは提示された極上の餌に喰いついただけだった。
けれどすぐに、その極上の餌に隠された、ドイル様からの期待に戦慄を覚えた。
グレイ殿下に乞われようとも信念を曲げぬ姿に感心し、シュタープをくだす為に努力する姿に感動した。
恐る恐る幼馴染と向き合う姿にドイル様も俺達と変わらねぇ、下手したらずっと不器用な餓鬼なんだなと親近感を覚え、ここぞという時の安心感と化け物みたいな強さに英雄達の面影をみた。
王女様に照れくさそうに対応する姿だとか、セルリー様にたじたじな姿とかを見る度に、その人間味に安堵した。
能力や人柄、器のでかさも、主人と崇めるに相応しい男だと思ってる。
見ていて心配になるくらい不器用で優しい奴だ。でも恐ろしく頼りになる。
あの顔を見るに、彼奴は自分からドイル様に話すことはないだろう。
ああ見えて、うちで一番ドイル様に懐いてるしな。
今俺が口を噤んだところで、遅かれ早かれドイル様は此奴らとゼノスの関連性に気付く。
だから俺はあえて、止めとなるその台詞を口にする。
ドイル様なら、彼奴らを守ってくれるだろうと信じて。
「ドイル様が捕まえた犯人の特徴についてなんだが、」
『……ええ』
「ゼノス・ヴェルヒ。推定年齢二十歳前後。痩せ型の黒髪で、浅緑の瞳」
ガタンッ! と一際大きな音が背後で響く。
その音と窓越しにみえた奴の表情に、俺はゆっくりと背後を振り返る。
そして、泣きそうな顔で俺を見るリェチに言い聞かせるよう、残酷な事実を告げた。
「――リェチとサナと同じ色だ。近い時期に似たような薬を作った人間が二人。しかもその二人の瞳の色は同じときてる。すべてを偶然で片すには、奇跡的すぎる一致だと思うぜ、ドイル様」
何が起きてるかは知らねぇが。
頼むから、此奴らを守ってやってくれよ、ドイル様。