作品タイトル不明
第百十二話
「そうよ! ただいま愛しい子。私がいない間、何もなかった?」
天井から落ちるように抱きついてきたラファールを、両腕でしっかり抱きとめる。
ふわりと鼻先をくすぐる新緑の香り。同時に感じた柔らかな感触と心地いい体温は、人のそれと変わらない。俺の血と魔力でつくった器にラファールが手を加えただけだというのに、不思議なものである。
「おかえり。報告するようなことはなかったから大丈夫だ。しいて挙げるなら、今後シオンも行動を共にすることになったくらいだな。シオンはそこの、部屋の隅で固まっている彼奴」
ラファールが姿を見せた途端、素晴らしい反射速度で部屋の隅まで飛退いたシオンを示す。壁を背に剣の柄を握り、突然の乱入者に警戒を露わにしているシオンの表情は硬い。
――随分といい動きをする。
事前のやり取りを見ていたとはいえ、ラファールが姿を現すのとシオンが飛退いたのはほぼ同時であった。俺から逃げた時の手腕といい、想像どおりシオンは有能なのだろう。戦力面では頼りにできそうな姿に、今度ワルドやジン、ガルディにでも頼んでどの程度の能力があるのか探ってみようと勝手に決める。
「新しいお友達?」
そうやって、俺が心の中でシオンのこれからの処遇を検討していると、シオンを眺めたラファールが軽く首を傾げ俺に尋ねてきた。何がそんなに嬉しいのかはわからないが、ふわふわと楽しそうに笑いながら尋ねてきたラファールの言葉に俺は少し考える。
シオンは明らかに友達とは違う。これまでの経緯を踏まえシオンとの関係に名づけるなら、仮初の部下といったところだろう。
一応シオンは正式な契約を結び俺に従っているので、今の所は部下として数えてもいいくらいの信用はしている。ただそこに俺への忠義があるかといえば、確実にないだろう。俺に借りができたくらいは思ってくれているだろうがな。
しかし今俺が問題としているのは、俺とシオンのあやふやな主従関係ではなく、それをラファールに告げたところで、彼女に正しく伝わるかどうかである。
彼女は長く生きているようだし、俺の側にずっといたというだけあって人間の生活に詳しい。これまでの様子から察するに傭兵や契約、王や王太子、学校や同級生といった言葉の意味は薄らと理解していると思われる。しかし、それぞれの立場にある柵や人間が抱く欲望、思惑まで理解するのは難しいだろう。
幾ら人の営みに詳しかろうと、精霊と人間では根本的な考え方が違うのだ。ラファールにそれぞれの思惑込みで人間関係を理解させるには、大変な労力を割かねばならないことは想像に容易い。
そこまで考えた俺は、改めてラファールに視線を戻す。
とりあえずは、シオンが俺に害をなす者として排除されなければそれでいいだろう。
「……友達とは少し違うが、まぁ俺の側にいるということだけ理解してくれればいい」
「わかったわ」
「シオン。この女性はラファールといって俺が契約している精霊だ。これからも頻繁に顔を合わせるだろうし、会話は勿論協力して動いてもらうこともあるかもしれん。危険はないから、とりあえず警戒するのは止めろ」
「精霊って……だって今、お前、その女抱きとめて……」
「セルリー様に教わって器を与えたからな。今の状態ならば契約者である俺以外でも見えるし触れる」
「なんだよ、それ!?」
警戒しつつも俺の言葉に剣から手を離したシオンは、続いた言葉に驚きラファールを凝視した。そしてまじまじと観察した後、頭を抱えだす。
ぶつぶつと何事かを呟きだしたシオンに耳を澄ませば「見られるのはともかく……触れる精霊なんて初めて聞いたぜ。あの人からそんなことできるなんて話は一度も……あり得るのか? いや、でも実際目の前に……」と聞こえてくる。
どうやらシオンは己の常識と目の前の現実を見比べ、困惑しているらしい。
……まぁ、そうだよな。
考えてみれば当然の反応である。意外と常識的な反応を見せたシオンに、初めて器の話をセルリー様から聞いた時の己を思い出し、心の中でそっと同情した。
セルリー様の行動に慣れた所為か、それともフィアという前例を知っていたからか。あの時は「何故精霊に器を与えようと思ったんだ!?」と心の中で激しく突っ込む程度だったが、よくよく考えればありえないことである。
というか、考えついても普通出来ないだろう。思いついたその足で可能にしてしまうところが、流石セルリー様である。
身近にいながら最も遠い精霊は、世界の神秘だ。今更思い出したのだが、確か魔法連では精霊を万人が何時でも見られるよう、また触れるようにする為の研究している者達がいたはず。それも代々引き継がれ、結構長い間。
………………ん?
ふと思い出した事柄に、ラファールとシオンを見比べる。
丁度、ラファールが至極ご機嫌な表情で用意してあったお茶を飲み、それを目撃したシオンが目を見開き、「精霊って、人間の食い物口にできるのか!?」と叫びながら、さらなる自問自答の旅に出たところだった。
その光景を見て俺は思う。
精霊に好かれていることが前提条件だが、膨大な魔力さえあれば精霊を万人に目視させ、触れさせることが可能なこの方法は、もしかしなくても精霊に対する常識を塗り替える世紀の大発見だったりするのではなかろうかと。
考え付いた可能性に、背筋をつぅと冷たいものが流れ落ちる。
思い起こせば、俺は生徒達にラファールのことを口止めしていない。その上、初日は堂々と連れ歩いていたし、お爺様も一目でラファールが精霊だと気が付いていた。
精霊を連れていたこと自体はいいのだ。珍しいが、もの凄くというわけではない。
皆が姿を見ることができたことも、契約精霊に頼み込めば姿を現して貰うことは可能なので問題ない。だから俺も、精霊と契約したことを誇示するつもりで連れ歩いていたのだから。
しかし、ラファールが見るだけでなく、実際に触れることができる存在だと知られた場合は?
器という体を与えた結果、彼等にも味覚があるということはわかっているし、彼等が人間の文化にもの凄く興味を抱いているのは既に知っている。
精霊の中には器をくれることを条件に、人と契約してもいいという者が現れるかもしれない。いや、器が完成した後のラファールの興奮具合を考えれば、確実にいる。
見て触れる精霊を己の側に置く絶好の機会というのは、魔法連の連中から見れば何とかえても、それこそ命と引き換えにしてもほしいものなのでは?
……………………俺は何も気が付かなかった。すべては、セルリー様に修行の一環としてやらされただけで、決して精霊に対する常識を覆す大発見になど俺は関係していない。方法を考えたのも、可能にしたのもセルリー様だ。俺はいわれたとおりにしただけ!
そうやって自身に言い聞かせながら、魔法連の連中が知ったら目の色変えて追いかけてくるだろう奇跡からそっと目を逸らす。
どうやら俺は、セルリー様の影響で常識という大切なものを忘れかけていたようだ。
幸いなことに、頼みごとをしていたお蔭でラファールと騎士達の接触は少ない。今ならまだ、ラファールが触れる実体を持っていることを誤魔化せるかもしれない。
淡い希望を胸に、ラファールが接触したことのある生徒達を思い出し口止めの算段をつけていく。同時に、今後はラファールの言動に細心の注意を払おうと心に決めた。
ちなみに。
もしやセルリー様はこの大発見に興奮するだろう魔法連の連中への対応を、俺に丸投げするつもりで器の作り方を教えたのでは? という仄かな疑念と、実はすでにラファールの特異性は気が付かれており、婚約式準備の為に登城するだろう俺を魔法連の連中が待ち構えている可能性には、そっと蓋をしておいた。
「ラファール。俺やバラドだけの時はいいが、置いてあっても勝手にお茶や菓子に手をつけないようにな。物を触るのも、場合によっては相手に不快感を与えてしまうことがある。悪いが、何か興味のある物を見つけた時には、触れる前に聞いてほしい」
「……人間は細かいものね。気を付けるわ!」
「すまない」
「ううん。物に触れられるは楽しいけど、貴方に迷惑かけたい訳じゃないもの!」
「ありがとう」
今後の展開を考えやんわりとラファールを嗜めれば、彼女はすぐに頷いてくれた。気分を害した訳でもなさそうなラファールの態度にほっとしながらお礼を言えば、「気にしないで」とラファールも微笑み返してくれる。心優しい精霊でありがたい限りである。
これまでの言動からもわかるように、ラファールは俺に甘い。
だからこそ、今感じている罪悪感を忘れないようにしようと思う。大げさかもしれないが、ラファールの無知に漬け込み己のいいように誘導した事実を忘れ、彼女の優しさに甘え胡坐をかくようなことはしたくない。
にこにこと機嫌がよさそうなラファールを眺めながら「大切にしよう」と再度思い直し、そんな俺達を興味深そうに観察していた水の精霊へと意識を戻す。
他のことに気をとられていた俺が悪いのだが、随分と水の精霊を放置してしまったように思う。『水の加護も感じるし……契約した精霊以外も見られる上に会話もできるなんて、珍しい子ね』と呟きながら俺や室内を観察する彼女に気分を害した様子は今の所みられない。とはいえ、こちらから頼み来ていただいたのだから、これ以上の放置は失礼だろう。
そう判断した俺は本題に戻る為、未だ「お茶を飲む」という行為を楽しんでいるラファールに声をかける。
「ところで、随分とお待たせしてしまったが、そちらの精霊殿に挨拶させていただいても大丈夫だろうか?」
「あ! ごめんなさい。折角来てくれたのに、紹介するのを忘れてたわ!」
『いいわよ、別に。風の精霊である貴方が移り気なのはよく知っているし、私達精霊からすれば今待たされた時間なんて一瞬にも満たないわ』
俺の言葉にはっとした表情を見せ、宙に浮いていた水の精霊に目を向け謝るラファールに対し、水の精霊は謝罪を軽く笑い飛ばした。
その親しげな二人の様子に絆の深さを感じつつ、特に気分を害した様子もない水の精霊の姿に、俺はこっそり胸を撫で下ろす。
余程確かな力の差でもない限り、精霊への強制はしない方がいい。強制した結果精霊の機嫌を損ねでもしたら、手痛いしっぺ返しを食らうのが目に見えているからだ。
ラファールに限ってそのような心配は無用だろうが、お茶を楽しんでいる彼女に水の精霊を紹介するよう強請った俺を、水の精霊がどう感じるかまではわからない。
故に少しドキドキしていたのだが、同族の中でも変わり者とされているこの水の精霊はそういった細かいことは気にしない性質らしい。大らかな性格のようで何よりである。この調子ならば、頼みごともし易そうで安心だ。
『そんなことより、貴方が貰った器って本当に人間みたいに食べたり飲んだりできるのね。ね、ね、どんな感じ?』
「そうなの、凄いでしょ? このお茶は『ほんのり甘くて柑橘系の果実の香り』がついているのよ!」
「正解だ」
以前同じお茶を飲んだ時を思い出し、水の精霊に味の説明してやりながら「そうよね?」と問いかけてきたラファールに頷いてやる。今まで味覚を持ったことがなかったラファールだが、細かい味や香りの判別ができているようだ。
『へぇー!』
今はまだ経験不足な所為か客観的な感想だが、これから色々な物を口にしていけばそのうち好き嫌いも出てくるのかもしれないな、などと考えつつ二人の動向を見守れば、水の精霊が感嘆の籠った声を上げる。
新しい玩具を目の前にした幼子のように瞳を輝かせる水精霊は、ラファールを羨望の眼差しで見つめていた。
そんな水の精霊の姿を見る限り、ラファールにつくってあげた器が精霊との契約に使えるかもという予想は、強ち外れてはいないように感じる。
水の精霊とも契約できれば、美味しいよなぁ。俺が一番得意なのって氷魔法だし、風と水両方揃えばどれだけ………………いやいや、でもそれは流石に。面倒なことになるから隠さなければと思った癖に、俺だけが知識を利用するのは少し狡いというか、よろしくないだろう?
ウロウロとラファールの周りを飛び回り、体全体で「興味津々です!」と主張する水の精霊の姿を目にしたことで、沸いてきた己の欲望に自分で突っ込む。
しばらくの間、自問自答を何度か繰り返し己の道徳観と欲望を戦わせる。そうしてなんとか浮かんだ欲望に蓋をするも、心底羨ましそうに器の感想を強請る水の精霊に心が大きく揺れた。
本来ならば、力の強い精霊と契約する機会など滅多にない。しかも誂えたようにこの水の精霊はラファールと仲がいい。精霊に独占欲があるのかは不明なのでいらぬ心配かもしれないが、この水の精霊相手ならば契約を申し出てもラファールは怒らないだろう。
俺が得意な氷魔法も、水と風両方の精霊の加護があれば今まで以上に強化されるし、力の強い水の精霊が創りだす水は魔法薬の材料として高級品な為レオ先輩達も喜ぶ。
器を作るのは大変だがコツは既に体得しているし、時間はかかるがいつでも制作可能だ。ラファールとの契約やセルリー様との修行で魔力量も増えた気がするし、ラファールの時よりも容易に器を作ることができると思う。また、原料も俺の血と魔力だから大変お手軽である。
……ど、どうする?
羨ましそうな目でラファール見つめる水の精霊をちらりと盗みみて、己へと問いかける。
水の精霊を交渉場につかせる為の札は揃っている。このままいけば、かなり高い確率でこの精霊との契約が可能だ。
それも、俺からすればこんなに簡単でいいのだろうかと思うくらいお手軽な方法で、である。
面倒なことになるから隠そうと思った知識を俺だけが利用していいのかと思う気持ちと、今申し出れば簡単に釣れそうな水の精霊の姿、さらに契約後の利点。
頭を巡る色々な意見と葛藤により、俺の理性は激しく揺れていた。
『……ねぇ。あなたと契約したら、私にも器を作ってくれるのかしら?』
「勿論!」
そんな状態だったが故に。
水の精霊の問いかけに、力強く即答してしまった件に関しては、仕方なかったのだと思いたい。