作品タイトル不明
第百九話
お爺様に呼ばれ足を踏み入れた、騎士団宿舎内に用意された会議室の一室。
一歩中に入った瞬間身を包む魔力は、この部屋が騎士団員の中でも階級の高い者だけに使用が許される、盗聴対策が施された部屋である証。本来ならば、階級の高い者達がその階級に見合った機密性の高い仕事を処理する為に使われる部屋である。
そんな特別仕様の部屋の中で、俺とバラドとシオンを待ち構えていたお爺様とお爺様の補佐だという騎士一人。
計五人で行われたシオンの紹介を兼ねた経緯説明は始めこそ静かだったものの、あらましを語るにつれ徐々にその空気の質を変え、現在俺も予想しなかった展開へと進んでいた。
「――そうして傭兵達を無力化した後、仲間達を巻きこまないかわりに俺に協力するようにシオンに告げ、こちらから交渉を持ちかけました」
俺を射抜く鋭い視線を受け止めながら言葉を紡ぐ。
言葉を重ねれば重ねるほど、重苦しくなっていく空気に俺は己の失態を悔やむが、幾ら後悔したところで、一度放ってしまった言葉はなくならない。
この後の展開を思えば零れそうになる溜息をそっとのみこんで、俺は説明を続けた。
「……炎蛇を任されているペイル・ジャーマと交渉した結果、お詫びとして婚約式を終えるまでの間シオンを無償で借り受けることになりました。シオン自己紹介を」
「古の蛇の実働部隊、炎蛇所属のシオン・フォルガーだ。これからお孫さんの世話になる」
俺の紹介を受け軽く頭を下げたシオンに、部屋の空気がぐっと重くなる。
部屋を包む魔力とは別の魔力がピリピリと肌を刺激し、背筋をぞわぞわとした感覚が走る。同時に、人としての生存本能が警鐘を鳴らした。
何故、俺がそんな危機的状況に陥っているかといえば簡単なことである。
お爺様が、魔力の制御を忘れるほどお怒りなのだ。
……まさか、お爺様が俺に見張りをつけていなかったなんて。
お爺様が俺を監視していなかったという予想外の事実に驚愕しつつ、知っていればもっと経緯をぼかしたのに、と後悔してももう遅い。
てっきりお爺様は俺が何処で何をしていたか知っていると思い込んでいたが故に、すべてを正直に申告してしまった事が悔やまれる。痛恨の失態である。
お爺様の怒気に慣れているはずの俺でさえ、生存本能がガンガン警鐘を鳴らしているのだ。隣に居る、俺に次いで耐性があるはずのバラドも顔色を悪くしている。
それほどまでにお爺様のお怒りは凄まじく。記憶にある限り、今までで一番といっても過言ではないお怒り具合である。
お爺様はいつから俺に見張りをつけていなかったんだろうか……。
現実逃避にもならないことを考えながら、険しい表情を浮かべているお爺様を前に手に汗を握る。そしてこの状況をどうしたものかと思案した。
思い起こすは、中等部時代。
俺を見限っていたお爺様は、俺に見張りをつけ行動を監視していた。勿論、俺の所業をすべて把握し記録する為である。
お爺様が用意した監視の腕は素晴らしく。余程念入りに探らないと気配を感じ取れず、バラドの協力があっても中々撒けなくて苦労した記憶がある。
俺が外で何かしでかさないか見張る為、外出時には必ずつけられていたお爺様の監視は一体いつから解かれていたというのか。
今回の事の経緯を俺の口から聞き、顔色を変えて心配し、怒るお爺様の姿を前に、正直俺も今、かなり動揺している。
どうするか……やはりここは、大人しく叱られるしかないのだろうか。
叱られるしか道はないと知りつつも、打開策を探してしまうのは人の性だろう。好き好んで叱られる奴など一部の特殊な人間だけである。
そもそも、お爺様は俺がコソコソ調べまわっていたのは知っていたはずだ。それにワルドと夜間外出していたのも知っていただろう。あの程度の小細工で欺けるほど、お爺様は甘くないはず。
知った上で、見逃していた。
それは確かである。
理由も聞かず、寄り道の許可をすんなり出してくれたのがいい証拠だ。
ここ数日、お爺様が何故自由に傭兵達を探らせてくれているのか、疑問に思わなかった訳ではない。しかし、どうせお爺様の監視はついているのだろうから、何か思惑があってのことだろう思っていたのだ。
お爺様にどの様な思惑があるにしろ、邪魔が入らないのは都合よく。好きにさせてくれているうちにと、俺も随分好き勝手に行動していた。
その自由がまさか、見張り自体ついておらず、俺が何をどういった方法で調べているか知らなかったから、だなんて思いもよらなかった。
知られているなら隠した分、心証が悪くなる。どちらにしても苦言はいただくのだから、少しでも軽減する為に自己申告をしておこうと思った。だから、ここ数日間で己がとった行動をありのまま話した。
それがまさかこんな事態になるなんて、一体誰が想像できようか。
確かに謝罪の言葉もいただいたし、初日の手合わせでは昔のように「流石、儂の孫」と言っていただいたが……。
お爺様の態度が軟化し、俺に対する印象が良い方向に変わっていたのは知っていた。しかしまさか、謀殺まで考えた俺を信頼し、監視を解くほどとは想像だにしなかった。
それほどまでにお爺様の信頼を取り戻していたことは大変喜ばしい。
喜ばしいが、叶うならもっと別の形で知りたかった!
知っていれば、少なくともワルドの実家と古の蛇の根城での件はもっとぼかして伝えた。
幾ら俺自身に力があろうとも、まだ学生の身。年齢的に成人していようと、社会的にはまだ半人前の俺達が少人数で傭兵達の懐に乗り込むなど、どう考えたって非常識だ。
お叱りを受けるに決まっているし、心配させるに決まっている。見た目どおりの中身ではないのだ。お爺様達がするだろう心配を考慮するくらいはした。
俺は確かにお爺様達を見返してやりたいと思っていたし、己を認めさせたいと思っていたが、しかし決して、お爺様にこのような顔をさせるつもりはなかったのだから。
「――ドイル」
「はい」
心配を通り越し、怒りへと表情を変えたお爺様を前に、その時を待つ。
必死に感情を押し殺しているだろう声に、お爺様の背後に控えていた騎士の肩が跳ねる。お爺様の殺気立った雰囲気にあてられたのか、その顔色は可哀想なほど悪かった。
「身分を隠さず、単身で傭兵達の懐に飛び込むことを危険だとは思わなかったのか」
「思いましたが、私が欲しかったのは傭兵達の協力と彼等が持つ独自の情報。どちらも上質なものを求めるならば、信用が必要だと判断しました」
淡々と告げるお爺様の纏う空気に一歩後ずさった騎士を羨ましく思いながら、質問に答える。俺も己が原因でなければ、正直逃げたい。
そして言い訳もしたい。俺だって万が一を考え、侵入と逃走を確実にする為にバラドとワルドを同行させたりと、色々考えて行動していたし確実に勝てると思えるだけの事前情報もあった。
だから実行したのだと主張したいが、この状況でそれはあまりに無意味。そしてお爺様のお怒りを増長させるだけである。
こちらの身を案じて怒っている人間に、こちらの言い分など端から関係ないことはグレイ様やバラドで既に学んでいる。どれだけ言い訳を重ねようとも、彼等が心配したという事実は変わらない。心配をかけた分、大人しく叱られるしか道はないのだ。
そう知っているからこそ、俺は覚悟を決めてお爺様のお叱りを待った。
「お前の友人の実家ということを考慮すれば、宿屋での件はまぁいいじゃろう――――しかし、じゃ。傭兵団の根城に一人で飛び込むとは何事か!」
カッ! と目を見開き叫ぶお爺様の怒声が、鼓膜だけでなく体の芯まで響く。
ビリビリと空気をも震わせるお爺様のお怒りに、「おー、こわ」と肩竦めるシオンは完全に他人事である。
元を正せばお前が逃げたからだろう! と高みの見物に入ったシオンに心の中で舌打ちしつつ、俺は大人しくお爺様の言葉の続きを待つ。
無論ここでお爺様から視線を逸らすといった愚行は犯さない。逸らした瞬間、「真面目に聞け!」と拳が飛んでくることは目に見えているからな。
目の前のお爺様のお怒りの原因は間違いなく俺であり、その根本は俺の身を案じる故である。お爺様の心境の変化がいくら予想外だったからと言って、ここで逃げるのは恥知らずというか、お爺様が向けてくれた愛情を仇で返すようなものだろう。
お爺様との今後を想うなら、このお叱りは俺が甘んじて受けるべきものである。
「しかも敵の本陣で、己から喧嘩を売るなど言語道断! 無事帰ってこられたからよかったものの、何かあったらどうする!? 何の為に儂とアランがガルディを見逃し、好きにさせていると思っておるのじゃ! お前の身をガルディに守らせる為じゃろうが! ガルディが優秀な騎士であることくらいお前ならばすぐわかったはず! お前の側につける為に目溢していることもじゃ! 何故有用な駒と知りつつ使わない!? 戦いの場において絶対などない! 常に気を抜かず、万全の準備をもって挑めと教えたはずじゃ! 半人前が己の力を過信するでない! 馬鹿者が!」
「……申し訳ございません」
「陛下の御前で国を守ると誓ったお前の将来を思えばこそ、囲われているだけでは為にならんと思い自由に動くことを許したのじゃ! 情報収集ならばまだしも、死地に突っ込めとは一言もいっとらんわ! 阿呆めが!」
やっぱりガルディはお爺様達が俺にくれた人材だったのかと、どうでもよいことに思考を飛ばしつつお爺様のありがたいお言葉をいただく。
やはりシオン達の根城に乗り込み喧嘩を売ったのが一番不味かったようだ。余裕もあったし、そう心配するような事態ではなかったのだが、現場にいなかったお爺様に幾ら言い募ったところで無駄だろう。
口ぶりから予測するに、情報収集だけならばこうも怒られることはなかったのだろう。乗り込み戦うとまでは予測していなかったらしいお爺様の怒りは、心配してくれた分深い。
しかしこのお叱りはいうなれば、お爺様が俺を心配してくれた証拠。あのお爺様がここまで俺を案じてくれるのだ。そう考えれば、このお叱りも嬉しく感じられる気がしないでもない。
「己の耳で聞き、己の目で確かめようという志は認めるが、自身の手だけで解決しようなど思い上がりも甚だしい! 未だ学生の身でしかないお前に、どれだけのことができると思っとる!」
一歩反応を間違ったら拳が飛んでくるだろう緊張感の中、この状況を打破することを諦めた俺は、お爺様が俺の身を心から案じてくれているという貴重な状況を味わうことにする。発想の転換である…………決して無理などしてないぞ。うん。
考えてみれば、今のこの状況は一年前の関係からは到底考えられない状況だしな。
それに、大変おかしな話なのだが、お爺様の雷が落ちると同時に感じる荒々しい魔力というか殺気じみた怒気に、俺はなんとなくほっとしていた。
生存本能が警鐘を鳴らすほど殺気に近い怒気は、間違っても孫に向けるものではない。しかし、その厳しさと荒々しさを如実に語るお爺様の怒気が、炎槍の勇者と呼ばれたお爺様は健在なのだと俺に実感させてくれていた。
「よいか、ドイル。そもそもお前は何でもかんでも一人でどうにかしようとし過ぎなのじゃ! 敵陣に一人で突っ込む将が何処にいる!? 一騎当千の将とて一人では――――!」
己の失態への後悔と生命の危機。
健在なお爺様の姿への安堵。
怒りに代わるほど心配してくれたことへの僅かな喜び。
様々な感情が己の内で入り乱れるのを感じつつ。
セバスが聞いたら「貴方がそうだったでしょう」と呆れそうな例えを用いて窘めるお爺様のお言葉を、俺はバラドと共に神妙な顔で拝聴し続けた。