軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第21話 セドリックと編入生

セドリックがギルベルト公爵家当主となってから、学園での生活は少しだけ、けれど確実に変わった。

廊下を歩けば、今まで普通にすれ違っていた生徒や教師が、すっと道を開ける。

軽く頭を下げてくる者もいる。

中には緊張して教科書を抱え直す一年生までいる。

(……やりづらい)

それが率直な感想だった。

つい一月前まで、彼は「公爵家なのにあまり恵まれていない次男坊」だった。

父に冷遇され、義母と義兄に軽く扱われているという噂も、学園ではそれなりに知られていたはずだ。

だから、彼を見ても怖がる者はいなかった。

だが今は違う。

彼はギルベルト公爵家当主であり、王国でも上位に列する大貴族だ。

しかも、十八歳で。

今まで「平民に育てられていた時期があるらしい」とか「もともとそこまで大事にされてなかったんだろう」とか、陰で笑っていたような連中もいた。

だが、今ではおびえたように目を伏せて挨拶をしてくるのが、少しだけ可笑しかった。

(人というのは、こんなにも態度を変えるものなのか)

そう思いながら、セドリックは今日も学園の廊下を進んでいた。

午後の講義は終わっている。

このあと資料室に寄ってから帰宅すれば、夕方からは公爵家の書類仕事が待っている。

長い廊下の先で、生徒たちがまたざっと左右に分かれた。

何事かと思えば――前からやってきたのは、王太子レオナール殿下だった。

その隣には、レオナール殿下と同じ髪色、銀髪の少年がいる。

レオナール殿下の弟、エンシオ殿下だ。

ゆるく波打つ銀髪が首の後ろまで伸び、瞳は淡い青。

顔立ちは整っているが、まだ成長途中のせいか、どこか幼さが残る。

華奢で、顔立ちも整っていて、中性的な美しさがある。

ある女生徒が「合法のショタよ!」などと言っていたが、どういう意味かは知らない。

そして――二人の王子の間に、一人の少女がいた。

見覚えのない顔だった。

肩より少し長めの、柔らかそうなピンク色の髪。

大きめのウェーブがかかっていて、光に揺れるたびに花びらのように見える。

瞳は明るい琥珀色で、こちらを見た瞬間、ぱっと笑顔になった。

愛想がいい。

――いや、良すぎる。

初対面の公爵家当主相手に向ける笑みとしては、少しだけ盛っている感じがした。

セドリックは、まず先に殿下二人に挨拶をした。

「レオナール殿下、エンシオ殿下。ご機嫌よう」

「やあ、セドリック殿。元気そうだね」

レオナール殿下が、いつもの気軽な口調で答える。

身分の上下はあっても、レオナール殿下は昔からセドリックを対等に近い相手として扱ってくれている。

それは今も変わらない。

むしろ最近は、前より少し絡まれる頻度が増えた気がする。

「ご、ご機嫌よう……セドリック様」

エンシオ殿下の方は、小さめの声だった。

人見知りなのだろう。

次に、二人の間にいた少女が一歩前へ出た。

「はじめまして! エミリア・クラウンと申します。二年生に編入してまいりました。」

(……これが)

セドリックは、わずかに目を細めた。

アメリアが昨夜、あれほど反応を見せていた編入生。

でも、どこか作られたような感じがする。

セドリックは、丁寧に頭を下げた。

「初めまして。ギルベルト公爵家のセドリックです」

「わあ、公爵様なんですね! 素敵です!」

エミリアは、目を輝かせる。

その後も話を聞くと、どうやら彼女が二年生で編入してきた者らしい。

なぜ、殿下二人と一緒にいるのかと尋ねると、レオナール殿下が答えた。

「彼女が中庭で迷っていたから、案内している最中なんだ」

「そう、なんですか」

セドリックは、少し眉をひそめた。

彼女は、とても嬉しそうにしている。

でも、殿下二人に学園を案内させるなんて、失礼だとは思わないのか。

普通なら、遠慮するだろう。

「そうなんです! レオナール殿下は本当にお優しいです!」

でも、彼女はそうではないようだ。

今もエミリアは目をキラキラとさせている。

「エミリアさんは、治癒系の魔法が使えるそうだよ」

レオナール殿下が、続ける。

「治癒系……それは珍しいですね」

セドリックは、少し興味を持った。

治癒魔法は、とても貴重だ。

使える者は少ない。

すると、エミリアの肩が嬉しそうに跳ねた。

「はいっ! まだまだ未熟ですが、少しだけ。地方では怪我をした人を診ていました。もしよろしければ、今度ギルベルト様にも見ていただけましたら……!」

目が、すっとこちらに向く。

その奥に、ほんの薄い色が見えた。

(……ああ、なるほど)

セドリックはようやく合点がいった。

彼女は、公爵家当主のセドリックと話したいのだ。

魔法の話をしたい、でもあるし――公爵家当主という、今もっとも注目を浴びている若い男性と繋がりを持ちたい、でもある。

他の女子生徒、特に上位貴族の娘たちと同じ目。

それが、少し不快だった。

セドリックは、丁寧に断った。

「ありがたいお申し出ですが、今日はこのあと用事がありまして。申し訳ありません」

特別な予定はない。

だが、アメリアが今夜も書類を整えて待っている。

それを放り出して、見知らぬ令嬢と長々話す理由はない。

エミリアは、一瞬だけ本当に残念そうにした。

すぐに笑みを戻すあたり、社交の訓練はそれなりにしてきたのだろう。

「そうなんですね……。公爵様はお忙しいですものね」

レオナール殿下が、セドリックを見て言った。

「セドリック殿は、公爵当主となって忙しくなったようだね。今度、また学園を休んで領地に行くのだろう?」

「はい、そうです」

セドリックは、頷く。

すると、エミリアが笑顔で言う。

「そうなんですね。お一人で大変そうです。頑張ってくださいね」

なぜ一人と決めているのだろうか?

そう確信しているような感じだ。

セドリックは、少し眉をひそめた。

「いえ。妻も同行しますので、さほど大変ではありません」

エミリアの笑顔が、ぴたりと止まる。

「……えっ。結婚、してるんですか!?」

「ええ。三年ほど前から」

彼は慣れた調子で答えた。

この反応を見るのは久しぶりだった。

もうすでに、セドリックが既婚者だということは学園中の者が知っている。

でも、彼女は知らなかったようだ。

エミリアが、さらに驚いたように言った。

「三年前から……え、離婚していないのですか?」

――まるで「していて当然」という言い方だった。

口調自体は本当に驚いているだけで、悪気はなさそうだった。

けれど、その無邪気さが逆に腹立たしい。

なぜ、彼がアメリアと離婚している前提なのか。

彼女を知らないくせに。

彼女がどれほど優しくて美しく、どれだけ努力しているのか知らないくせに。

公爵家で夜遅くまで書類を広げている姿を、見たこともないくせに。

「……なぜ、私が離婚などしないといけないのでしょうか」

語尾が、少しだけ鋭くなった。

さすがに抑えきれなかった。

エミリアはびくっとして、慌てて両手を振る。

「あっ、す、すみません! そういうつもりじゃなくて……! ただ、その、噂で――」

噂……そうか。

アメリアが結婚する前、撒き散らした過去の悪評は、まだ消えきっていないらしい。

「公爵家に厄介な娘が入った」「結婚前に遊び歩いていた」など。

それをどこかで聞いてきたのだろう。

それをそのまま、何の悪意もなく口にしただけのようだ。

腹立たしい。

「エミリア嬢」

そこに、レオナール殿下が入った。

いつもの軽さを消し、わずかに低い声で。

「セドリック殿の奥方はこの王国を支える貴族夫人の一人だ。口には気をつけるように」

「あっ……はい。申し訳ありません……」

ぺこりと頭を下げるエミリア。

彼女の失言自体は、若い娘ならあり得る範囲だ。

だが――セドリックの中で何かが、すっと冷めた。

これ以上ここにいる意味はない。

彼は一歩下がり、礼を取る。

「殿下方、話の途中で失礼いたします。これより当家の仕事がありますので」

「うむ。忙しいところ引き留めてすまないな」

レオナール殿下はあくまで親しげに言う。

「あ、あの、セドリック様……いえ、公爵様、またお話を――」

エミリアが何か言いかけたが、彼はもう背を向けていた。

遠ざかる彼の耳に、少女の小さな呟きが届いた。

「……なんで。彼の妻は『毒妻』のはずじゃ……」

どくさい?

どういう意味かわからないが……。

(……もう、あの娘に好感を持つことはないだろう)

心の中で穏やかにそう結論づける。

治癒魔法がどれほど珍しくても、才能がどれほどあっても、礼儀を知らないなら一緒にいる価値はない。

アメリアを傷つける言葉を平然と口にする者を、彼が受け入れることはない。

廊下を曲がり、人気のない階段を降りたところで、セドリックはふっと息を吐いた。

さきほどの怒りが、まだ胸の奥に残っている。

そういうとき、セドリックは必ずアメリアを思い出す。

夜遅くまで書類に向かっている姿。

領地の水の浄化に行くとき、服の裾をそっと上げて魔法を唱える姿。

「あなたの妻である限り、誰のものにもなりませんよ」と真っ直ぐに言った顔。

あれほど美しい女性を、セドリックは他に知らない。

(明日は領地か……)

今回も、王都近郊の小領地の視察だ。

だが、今回はそれを軽く済ませるつもりでいた。

視察の後は、アメリアと二人きりで過ごす時間。

忙しかった一ヶ月の、ささやかなご褒美に。

アメリアとの二人きりの時間を、久しぶりに味わうために。

それを考えると、先ほどまでの苛立ちはゆっくりと溶けていった。

彼女の嬉しそうに笑う顔が目に浮かぶ。

(……やはり、僕の妻は、アメリアだけだ)

そう思いながら、セドリックは歩き続けた。