軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

33 記憶と記録

公爵様って、王族みたいにものすごくものすごく偉いひとよ、とキャロライナが耳打ちをしてきた。

「呼びかけるときは最高位の『閣下』で、身内でもないのにお名前で呼ぶなんて絶対にいけないわ」

こんこんと注意をされたのだが、当の本人が「閣下だなんて、ここは王宮か? 戦争から戻ったら一族郎党死に絶えていて、爵位が降って湧いただけだ。コンラッドで構わない」と言うので、チェリーは素直に「コンラッドさん」と呼ぶことにした。

病人のキャロライナに、動き出すと何をするかわからないノエルを任せるわけにもいかないので、会話はすべてチェリーの部屋である。

お茶を淹れて、小さなテーブルを囲んで座ると、コンラッドがここまで来た理由を説明してくれた。

「ヒューゴー殿下が『ラモーナ』に興味を示している。 直(じき) に、君までたどりつくだろう。おそらく、王宮お抱えの『歌姫』として、各種行事や祭典で歌声を披露して欲しい、などと言い出すつもりだ。俺個人としては、まったくオススメはしない。理由は、国庫が 空(から) なので労働に対してろくな対価を約束できないこと。それにもかかわらず、そうやって君を我が物顔で使い潰そうとする者は、簡単に他の用途に使うことも考えられる。つまり、他国の高官のベッドに君を送り込むとか、そういう意味で」

緊張しながら耳を傾けていたチェリーは、彼があけすけとした物言いも含めて、おそらくかなり噛み砕いて話してくれていると感じながらも、ろくな返事ができずに固まってしまった。

「私に、『歌姫』として働くように、ということでしょうか……? 『歌姫』のラモーナは私の姉で、もう死んでいて、私はまったくの別人なんですが」

コンラッドは長い脚を組み直し、眉間にシワを寄せた難しい顔となった。

「本人かどうかは、この場合問題ではない。君には、何より大切な歌姫としての歌声が備わっている。殿下に悪い気を起こさせるくらいにね。おそらく『疲弊した国民のため』とか『戦後の復興の象徴として』なんて美辞麗句を連ねてくるだろうが……。それが君や君の大切なひとのためになると、俺には思えない」

すぐには返事が思い浮かばず、チェリーはお茶のカップに口をつけた。

(昨日のように、どなたかの慰めや喜びになるのであれば、歌を歌うくらい……とは思うのだけれど。これほど身分のある方が、わざわざ場を引っ掻き回すために自らここまで出向くわけがないし、懸念はきっと的を射ているのでしょうね)

ラモーナが誰かに使い潰されたとは思わないようにしているが、「歌姫」としての使命を胸に戦場へ赴き、生まれたばかりの 我が子(ノエル) を置き去りにしたことは、チェリーの中で割り切り難い思いとして残っている。薄れることはあっても、完全に消えることはこの先もないだろう。

コンラッドの言う「君や君の大切なひとのためになるとは思えない」は、実感を伴って理解できるのだ。

「自分がお役に立てるのであれば、誰かのために何かをしたいという気持ちは、あります。でもそれが、家族のためにはならないかもしれないのも、わかります……」

チェリーが言葉を選びながら告げると、コンラッドは苦い表情で頷いた。

「戦場へ行った兵たちも、多かれ少なかれ『誰かのために役に立ちたい』と、そう考えていただろうさ。そしてその思いこそが、実際にこの国を守った。多くの悲しみとともに。その過去は過去として、いまを生きる者が繰り返す必要はない。『誰かのために何かをする力があるのに、出し惜しみをしている』と考えてしまえば、罪悪感もあるだろう。だが、心ある者から不幸になり、死んでいく世界であってはならないんだ」

沁みるような真心のこもった言葉に、チェリーは目を閉ざした。

(ほんの少し自分が譲ることで、誰かが救われた気持ちになる。譲った分の犠牲は、大切なひとが負う……)

選択として、難しすぎる。

チェリーは、困ったときのバーナードのように頭の中で数字を数えて、目を開けた。

「まだ、王宮からの使者は来ておりませんし、私ひとりで決められることとも思いません。バーナードさんが帰って来てから、話し合います」

言い終える前に、バタバタと雷鳴のような足音が部屋に近づいてきて、ノックもなしにドアがバタンと開かれた。

「表門の前に、自動車が停まっていて、誰か、わああああ!? コンラッドか!? よく来たなぁ。留守にしていて、いま帰ったところだよ!」

ひとめで状況を見て取って、説明を待たずに 概(おおむ) ね了解したらしく、バーナードが矢継ぎ早に言った。

コンラッドは、ふ、と力なく笑う。ひとりでお祭り騒ぎのバーナードをまぶしそうに見つめ、低い声で答えた。

「おかえり。 遅(おせ) ぇよお前。俺は昨日から、お前をずっと待っていたんだぞ」

「どこで!? この家にいたのか!? どんなすれ違い方だよ!! 悪い、全然気づかなかった。昨日は忙しくしていて……いたなら声かけろよ。それはだいぶ待たせたな。夜会に出かけてしまっていたんだ」

噛み合っているようで、ずれている。

口を挟むべきかチェリーが悩んでいると、ベッドから起き上がったキャロライナが必死の形相で言った。

「兄様、閣下よ。公爵様よ。やめて……」

「閣下!?」

目を丸くしたバーナードをよそに、コンラッドはついに声を上げ、腹を抱えて笑い出した。

* * *

バーナードとコンラッドはその後、「旧交をあたためる」という名目で、ゆっくり話すと二人でキッチン裏のベンチへ向かった。そこですか? とチェリーは一応確認したが、そこが良いらしい。

「旧交ってほど、時間経ってないよな?」

「体感的には二十年くらい経った。俺が公爵だぞ。お前はなんだよ?」

「子持ちのダディ」

「おめでとう。実に素晴らしい。握手をしよう」

裏庭を見ながら酒を飲みはじめ、夕暮れ時になっても風に吹かれながらベンチで話し込んでいる。チェリーが裏口から顔を出したときには、ちょうど力強く握手を交わしていた場面であった。

「あの……お客様が見えていまして」

遠慮しながら声をかけると、ほろ酔いのバーナードが「誰だろう」と首を傾げる。

「昨日の夜会で、お声がけをして、会話が途中になったそうです。バーナードさんが戦地でつけていた日記に、家族の記録があるかもしれないから、話を聞かせて欲しいと」

チェリーが訪問者から切々と告げられたそのままの内容を伝えると、バーナードがハッと息を呑んで立ち上がった。

「その件か。それなら、俺よりもコンラッドの方が……」

座ったままのコンラッドは、目を伏せてコップを傾け、酒を飲み干してから「俺はいいよ」と低い声で笑った。

「俺はせっかくだから、このまま宮廷に身を置いて、王子様の成長と軍部の動きを見ているつもりだ。王子様もな、今は鼻につくところだらけだが、口うるさく言い続ければそのうちどうにかなるかもしれない。そう、俺もダディとして忙しくしているんだよ。書き物はどっかに行ってしまった。探す気もない」

二人の会話には、不思議な静けさがあった。

チェリーの位置からはバーナードの横顔しか見えなかったが、言葉を失っているようだった。

何も、言わない。言わないまま、そこでは聞こえない会話が成立している。

「……少しだけ、席を外す」

それだけ言い残して、バーナードは身を翻す。すれ違いざまにチェリーの肩にとん、と触れた。言葉にできなかった思いを託すように。

(託されました……よね?)

ふわっと、風が吹いて正面の木々の梢を揺らした。

コンラッドは、目を細めて遠くを見ている。チェリーは様子をうかがいつつ、声をかけてみた。

「あの木の間に、ハンモックを設置したいとバーナードさんが言っているんです。コンラッドさんが次に来るときまでに出来ていたら、少し横になっていきませんか?」

「なんだ、あいつは何をぐずぐず言っているんだ。俺がいま設置してやろうか。すぐだぞ」

「わぁお、身も蓋もない……」

ざっくりとした返答に、チェリーは思ったままのことを口にしてしまった。

その流れで空気がほころんだのを感じて、気になっていたことを思い切って告げた。

「今日は、キャロライナさんのこと、本当にありがとうございました。コンラッドさんに助けて頂いて、良かったです。コンラッドさんは、王子様みたいだから」

「そういえば、何か言っていたな」

苦笑交じりに返されて、チェリーは声をひそめてぼそぼそと言った。

「命に関わることで、ふざけたことを言っているとお思いかもしれませんが、キャロライナさんは体が弱くて、あまり出かけたこともないそうなんです。それで、お城に行ってみたい、王子様に会ってみたいと言っていて……。でも、ヒューゴー殿下よりも、コンラッドさんの方が絶対に良いです」

ヒューゴーはどうも今のところ、幼くてやや横暴らしいと知り、大人のコンラッドで良かったとチェリーは強調をした。

そこに、深い意味はなかったのだが、よく気のつく大人の男は先回りして忠告をくれる。

「俺は、体の弱い女が大嫌いだ。病弱で、俺より先に死ぬ女が、大嫌いなんだ。悪いな、だからあのお嬢ちゃんの王子様にはなれないんだ」

チェリーは、ゆっくりと 瞬(まばた) きをした。

(さきほど、殿下のダディをしているだなんて冗談めかして言っていましたが、ご自身のお子さんは、奥様は……)

バーナードが彼に何を思い、何を言えなかったのか、その一端を垣間見た気がした。

彼はきっと、大切なひとを 喪(うしな) っている。

でも、キャロライナさんはあなたより結構年下なので、寿命という点ではわかりませんよ? そんな考えもかすめないではなかったが、さすがに口にすることはできず、黙り込む。チェリーが口を出して良い話ではない。

「まあ、なんだ。良い家だな。俺は実際、あいつのことを掴みどころのない、よくわからない奴だと思っていたんだが、こういう家で育ったんだなって……。あれ、チェリーさんはこの家にいつからだったか? 馴染みすぎだろ」

とりなすように話題を変えられて、チェリーも乗ることにする。「バーナードさんが生まれたときはまだ、ここに私がいなかったのは確かですねえ」と、すらっととぼけて答えた。「さすがあいつの嫁だけあって、俺にはよくわからん、その会話の 間(ま) の取り方は」コンラッドは遠慮のないことをずばずばと言って、コップを傾ける。

「おっと。もう酒がない」

「あっ、それ最後です。あまり物のない家でして。この後はお茶を……」

公爵様に対し、たいへん粗末なもてなしをしていたが、コンラッドは「別にいいけど」と言いながら皿に盛り付けていたトマトを食べる。そこから少し話をしていたところで、バーナードがバタバタと走って戻ってきた。

きらきらと目を輝かせ、チェリーとコンラッドを見て叫ぶ。

「わかった! もし殿下にとやかく言われても、生身の『歌姫』を渡す必要はない。録音して音源を渡せばいいんだ! というかいっそ、売りつけよう!」

録音? とチェリーは首を傾げた。何か、突拍子もないことを言い出したが、よくわからない。

一方のコンラッドは「へえ」と口の端を吊り上げて笑った。「詳しく話してみろよ、それ」と楽しげに呟きながら。