作品タイトル不明
849話 未来に向けて、一歩ずつ
「魔族が過去に受けた仕打ちと、人間の過ち。それは……簡単に消せるようなものじゃない。というか、絶対に消えないものだろう」
殴った方は簡単にそのことを忘れてしまう。
でも、殴られた方はずっと覚えている。
そういうものだ。
「それでも、このままじゃいけないんだ」
殺して、殺される。
その関係がずっと続けば、破滅の未来しか待っていない。
どこかで連鎖を断ち切らないといけない。
「どうしようもなく難しい……なんて言葉で片付けられないほど、魔族が深い深い想いを抱えていることは理解しているつもりだ。つもりだから、全然ダメかもしれないけど……それでも、言えることはある」
「それは?」
「次の世代にまで恨みを持ち越すわけにはいかないんだ」
恨みを抱いて。
それを子供に伝えて。
さらに、その子供にも伝えて。
そんな未来になんの希望がある?
光なんてない。
泥沼の争いが続くだけで、絶望しかない。
平穏はない。
笑顔もない。
そして、いつか全てが消えてなくなってしまうだろう。
「……このままでは、全ての生命が終わりを迎えてしまうでしょう」
コハネも口を開いた。
モニカは不思議そうにしていたが……
リースは彼女のことを知っているらしく、驚きの表情を浮かべている。
「母はそのようなことは望んでおりません。願うのは、私達、子の安らぎと笑顔。故に、まずは魔族内の争いをなくし、その意思を統一することを願います」
「まさか、あなたが……ふむ」
リースはなにを考えているかわからないところがあるものの……
さすがに、コハネのことを無視することはできないようだ。
考える仕草を取る。
「仮に、ここで手を取り合うとして、そうして得られるものは?」
「安らぎと笑顔でございます」
「……」
リースはその言葉を受け止めて、
「ふふ」
小さく笑った。
温かいものではなくて。
かといって、冷たい笑顔ではなくて。
面白いことを聞いた、というような、そんな単純な笑い。
「どうやら、私達の間には根本的な認識の違いがあるようですね」
「認識の違い?」
「安らぎと笑顔……そのようなもの、私達は望んでいないのですよ」
リースがにっこりと言い放つ。
ジルオールを始め、カシオンの顔が険しいものになる。
要するに……
今、交渉は決裂したのだ。
「私達が望むものは、血と涙。それだけ。それ以上のものはなにもいらない」
「しかし、それでは……」
「魔族の未来? そんなもの、どうでもいいんですよ」
ジルオールが食い下がるが、リースは、それをばっさりと切り捨てた。
「戦いを終わらせないといけない。憎しみを止めなければいけない。ああ、なんて素敵な思想でしょう。素晴らしい。感動しました」
「でも」と間を挟んで、リースは続ける。
「少々汚い言葉ですが……そんなものはくそくらえ、ですね」
「……どうしても、争いを止めるつもりはないと?」
「逆に聞きますが、どうして争いを止めるつもりなんですか?」
心底理解できないという様子でリースが言う。
「向こうから手を出してきた。殴られたまま、泣き寝入りしろと? そんなことは認められませんね。殴られたら、殴り返す。これ、わりと当たり前のことでは?」
もっともな話だった。
リースの言葉を否定することは、たぶん、誰もできないと思う。
でも、諦められない。
「なら……殴られるに相当するだけの見返りを得られるのなら?」
「へぇ。それは?」
「単純に、賠償金。あるいは、領土……そういったものを代わりにすることはできないのか?」
「できませんね」
俺の提案も一刀両断されてしまう。
「言ったでしょう? 私達が求めているものは、血と涙なんですよ。それ以外のものはいりません。それ以外のもので納得なんてできません」
「それは……どこまで続く?」
「そうですね……人間を滅ぼすまで、と言いたいところですが、そこは譲歩してあげましょう。最低限、人間の国を滅ぼすまで、ですね」
リースは本気だ。
たぶん、じっと流れを見守っているモニカも本気だろう。
さすがにその条件を飲むことはできない。
ジルオールもそれを理解しているらしく、諦めの吐息をこぼす。
「どうやら、私達はわかりあえないみたいですね」
「ですね。まあ、それが確認できただけでも、今回の会談をしてよかった、と言えるでしょう」
リースが席を立つ。
続けて、モニカも席を立つ。
「では、次は戦場で会いましょう」
リースは理解しているのだろう。
交渉が決裂した今、次は戦いになることを。
「……最後に一つ、いいか?」
「はい、なんですか?」
「仮に、国を滅ぼすことができたとして……それで、なにが得られると思う?」
リースは微笑みながら言う。
「私達は、そうすることで、ようやく前に進めるんですよ」