作品タイトル不明
722話 忘却の彼方
困惑している間も、目の前の映像は……忘れていた記憶の再生は続いていく。
ラインハルトに師事して、しばらく経った。
小さな俺は、ビーストテイマーとしての能力をどんどん伸ばしていくことができた。
楽しくて、それでいて充実した時間を過ごすことができた。
それは全部、ラインハルトのおかげだろう。
ただ……そんな時間は、唐突に終わりを迎える。
「明日、村を発つ」
その日、小さな俺は訓練場に移動してラインハルトと合流して……
そして、急にそんなことを告げられた。
まったくの予想外のことなので、小さな俺を目を大きくして驚く。
「え?」
「一応言っておくが、見送りなどはいらん。発つ時間を教えることもない。故に、これが最後だ」
「そ、そんな……いきなり、どうしてですか!?」
小さな俺は、ラインハルトのことを強く慕っていた。
彼のビーストテイマーの能力を直接見たことはないけれど、その知識を知れば、大体の想像はつく。
小さな俺とは比べ物にならないほどの実力者だろう。
なにか目的があるのかもしれないけど、ビーストテイマーのイロハを教えてくれた。
たくさんのことを教えてくれた。
小さな俺の中では、すっかり師匠ポジションとして定着してて……
彼を慕い、尊敬するのも当たり前の流れだったといえる。
それなのに、突然、姿を消してしまうなんて……
納得できず、小さな俺は強い口調で問いかける。
「どうしてですか!? なんで、いきなり……こんな……」
行ってほしくないと思っているのだろうけど、すぐに言葉が弱くなる。
たぶん、引き止めることはできないと無意識の内に察したのだろう。
そんな小さな俺を見て、ラインハルトはやれやれと苦笑した。
そして、やや乱暴に小さな俺の頭を撫でる。
「悪いな。もう少し早く言っておくべきだったかもしれん。ただ……思っていたより居心地がよくてな。なかなか切り出すことができなかった、すまん」
「……」
思ってもいなかった殊勝な言葉に、小さな俺はついつい驚いてしまう。
映像を見る俺も驚いていた。
ラインハルトは、どこか人間離れしているというか……
人間らしい感情が見えなかった。
完璧に自分を押し殺していた。
だからこそ、とても人間臭いラインハルトの言動に驚いてしまう。
「居心地がいいなら、このまま……ずっとここにいませんか!? 村のみんなには、俺から説明しますから!」
「この村に住む、か……悪くない話だ」
「じゃあ……!」
「だが、それを受け入れるわけにはいかない」
そう語るラインハルトは、強い決意を瞳に宿していた。
「俺には、やらなければいけないことがある」
「やらないと……いけないこと?」
「そうだ。昔、とある友人と約束をしてな……その約束を果たさないといけない。なにを犠牲にしても、果たさないといけないことがある」
「……」
それは、どんな約束なのか?
なにを果たそうとしているのか?
小さな俺は話を聞こうとして……
しかし、ラインハルトの強い覚悟を感じ取り、踏み込むことができない様子だった。
ただの子供が気軽に聞いていいことではないと、本能的に悟ったらしい。
「だから、今日が最後の訓練だ」
「……わかりました」
「聞き分けのいい子供は嫌いじゃない」
ラインハルトはそう言うと、小さな俺の頭を撫でた。
やや乱雑な手付きだけど、でも、どこか優しく見えた。
――――――――――
陽が傾き始めて、空が赤く染まる。
それと同時に、小さな俺とラインハルトの時間も終わる。
「よし、ここまでだ」
「……」
「これで俺の訓練は終わりだ。後は両親や知人に教わり……それと、今までのことを思い返して、自分で研鑽を積むといい。今のお前なら、一人でも勝手に上達していくだろう。努力を怠らないというのは、それだけで一つの才能だ」
「……」
「まったく……そんなにしょぼくれた顔をするな」
「それは……でも……」
どうしようもないとわかっているから、引き止めることはしない。
でも、気持ちをすぐに整理することはできなくて、元気が出ない。
小さな俺は、良くも悪くも子供だった。
「大丈夫だ。寂しいと思う気持ちは、すぐになくなる」
「え?」
トン……と、ラインハルトは小さな俺の額に指を当てた。
小さな俺は不思議そうに小首を傾げて……
少しして、ふらりとよろめいた。
「あれ……なんで、これ……? すごく眠く……」
「魔法と似たようなものだ。少し眠ることになるが、害はないから心配するな。もっとも……俺のことは全て忘れるだろうが」
「えっ……そんな、どうして……」
「悪いが、俺のことを覚えていられると困る。俺の目的を果たすのに支障が出るかもしれないからな。だから、忘れてもらうことにした。なに、痛みはない」
「なん、で……それなら、どうして……」
小さな俺は必死になって眠気に抗い、ラインハルトを視線で問い詰める。
最初からこんなことをするつもりだったに違いない。
それならどうして接触してきたのか。
なんで、優しくしてくれたのか。
訳がわからないと、小さな俺は、半分、泣いていた。
「そうだな、意味のないことだ。本来なら、お前に声をかけるつもりはなかった。そんなことをしても、面倒を招くだけだ。こうして記憶を封印するといっても、いつかまた、なにかしらの弾みで思い出してしまうかもしれない」
「なら……」
「ただ……時に、非合理的な行動を取ってしまうのが人間というものだ」
そう語るラインハルトは優しい顔をしていた。
人間に対する愛を感じられた。
「どうしようもなくて、愚かで、非道で……くだらない生き物ではあるが、いつかきっと、真の存在に昇華することができるはずだ。俺は、そのために……約束を果たす」
「なにを、言って……」
「そんな目的を抱える俺ではあるが、お前を見たら……とても懐かしくなってな。それに、俺は、お前の遠い祖先にあたる。子孫が困っているのなら力になりたいと思うのは、まあ、わりと普通の感情だろう」
「祖先……? 子孫……?」
「俺は……始まりの勇者だ」
限界が近づいてきたらしく、小さな俺は地面に膝をついてしまう。
ラインハルトは、そんな小さな俺を支えて、そっと木の幹に座らせた。
「レイン。お前は、そのままでいろよ。優しさこそが、お前の一番の力だ。それを忘れなければ、いつかきっと……」
「……師匠……」
「師匠……か。悪くない響きだな」
ラインハルトは小さく笑い、静かに立ち上がる。
「また、こうしてお前と話をしたいと思っている俺がいる。不思議な男だな、レインは」
「俺、とも……約束を……して、ください」
「約束?」
「今度は……一緒に、ごはんを……」
「……わかった」
記憶が消えるのだとしたら、意味のない約束だ。
果たされることはないだろう。
でも、ラインハルトは小さな俺の願いを否定することはなかった。
「またな」
「……はい……」
そこで小さな俺の意識は消えて、眠りに落ちていった。