軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第33話 老人

ばっと顔を上げたメイドが立ち上がろうとし、その背中に張り付いた氷の重みに体をつんのめさせる。

「ユーナ、失敗したようじゃな」

「申し訳ありません、導師」

「それも経験じゃ。今回のことからお主が何を感じ、これからどう考えていくのか。それこそが最も重要なことじゃよ。失敗した方が学べることは多いしのぅ」

優しげな笑みを浮かべたその老人、メルキゼレムは、ユーナと呼んだメイドに向かって手をかざす。そして次の瞬間、ユーナの背中に張り付いていた氷がごろりと音を立てて転がり、その背中から離れた。

「無詠唱? そんなことが可能なのか」

その光景にアレンが驚き、目を見開く。

転がった氷の表面はうっすらと溶けており、先ほどのメルキゼレムの動作から考えても魔法を使ったことは明らかだった。しかしメルキゼレムは詠唱も、魔法名も発してはいない。

メルキゼレムはアレンに対してうなずき、その長い白髭をさすった。

「可能じゃな。とはいえまだまだ改良の余地はある。動作で方向の指定をせねば、精密な行使は難しいしのぅ。儂もまだまだということじゃ」

「そんなことありません! 無詠唱は未だ導師以外に誰もなしえていない魔術の粋。その頂に届くためには並々ならぬ才能と努力が……」

「あっ、ふーん。こんな感じか」

メルキゼレムの偉業を讃えようとしたユーナが、人差し指を一本立ててその上に小さな火を浮かべているアレンを見て驚愕する。

同僚から天才と呼ばれるユーナが血の滲むような努力をしても未だに成功したことのない無詠唱を、一度見ただけでアレンが使ってみせたのだから当然だろう。

これからの戦いで有利になりそうな技術である無詠唱を試すことに集中しているアレンは気づかなかったが、その行為はユーナの自信やプライドを粉々に打ち砕いていた。

肩を落として萎れるユーナの姿に、メルキゼレムは少しだけ嬉しそうに目を細める。

「ユーナ。王宮魔術師だけが魔法を究める道ではないことがわかったかのぅ? 在野にはまだまだ儂やお前をしのぐような才能の持ち主がいるかもしれん」

「はい」

「では、身支度を整えてくるといい」

メルキゼレムに促され、ユーナがとぼとぼと応接室から出て行く。

「これがあの子にとって良い経験になってくれればいいんじゃがな」

メルキゼレムはユーナが消えた扉を見つめてそう呟くと、様々な属性の魔法を指の上に出して無詠唱の実験をしているアレンに視線を戻す。

そのあまりにも滑らかなアレンの魔法行使を、メルキゼレムはじっと観察し続けた。

しばらくして無詠唱の検証に満足したアレンがメルキゼレムに向き直る。

「悪いな、待たせたみたいで」

「いや、儂こそユーナの指導にお主を巻き込んでしまって悪かった。あの子は魔法の才能はすばらしいんじゃが、儂を盲目的に信仰しておるところがあってのぅ。お主に毒を盛れと言っても疑問に思わんくらいに」

「理由を聞きもしなかったのか?」

「うむ」

先ほどまでユーナに同情的だったアレンだったが、メルキゼレムのその言葉に呆れた顔をすると大きなため息を吐く。

アレンはユーナにそんな指示をしたメルキゼレムに責任を問うつもりだったが、そんな気はなくなってしまっていた。

「まっ、無詠唱を教えてもらったからチャラでいいや」

「教えたつもりはないがのぅ。さていつまでも立ち話をするわけにもいかんし、ソファーに座って話そうかのぅ」

そう言うとメルキゼレムは先ほどまでアレンが座っていたソファーに腰をおろす。アレンは少し迷った後、先ほどまで自分の座っていた場所の対面のソファーに座った。

「さて、初めまして、と言うべきかのぅ? アレン君」

「いいんじゃねえか、直接会うのは初めて……直にメルキゼレム様にお会いするのはこれが初めてですし」

「ほっほ。儂に対して言葉遣いを改める必要はないぞ。貴族でもなんでもない、ただの年寄りの魔法使いじゃ。昔は冒険者をしていたしのぅ」

「それは正直ありがたいな。あまり敬語は得意じゃなくてね」

メルキゼレムの穏やかな様子に、アレンはほっと胸をなでおろす。

アレンはミスリル級の冒険者のわりに、貴族と関わったことはほとんどない。アレンが知っている貴族はライラックの領主であるナヴィーンとその配下くらいなものだが、ネラとして関わっているためその関係性は特殊だとアレンも承知していた。

その結果参考になるのは他の冒険者などから聞いた情報になり、そこでよく耳にするのは貴族の面倒くささだった。

「戦いが主の冒険者にそれを求める貴族が馬鹿なんじゃよ。さて、急に呼び出して悪かったのぅ。お主に少し聞きたいことがあったんじゃ」

「イセリアのことか? 最後に送った手紙にも書いたが、エルフの里に向かった後は何も情報がないぞ」

「イセリアのことは、手を打ってあるので大丈夫じゃよ。今、儂が聞きたいのはお主のことじゃ」

「俺?」

これまでの様々なことからメルキゼレムがイセリアのことを溺愛していると思っていたアレンは、イセリアではなくアレン自身のことを聞きたいと言われ戸惑った。

そんなアレンに真剣な表情でメルキゼレムはうなずき、そしてその口をゆっくりと開く。

「お主、どこかでレベルダウンの罠を見つけたじゃろ」

一瞬、どう誤魔化そうかと考えたアレンだったが、静かにこちらを見つめるメルキゼレムの姿にそれがもはや推測ではなく確信に至っていると感じ、小さく息を吐く。

そのアレンの姿に少しだけ笑みを浮かべ、メルキゼレムは説明を始めた。

「イセリアはレベルを最大にまで上げられ、それ以上は強くはなれんはずじゃった。しかし今のあの子は着実に強く成長しておる。それを成すにはレベルダウンの罠を使うほかない。そしてこれまでに届いた報告から考えて、それがあるのはライラック周辺のドラゴンダンジョンを除く三つのダンジョンのうちのどれかじゃ」

「やっぱり俺やギデオン以外にも報告者がいるんだな」

アレンの言葉にメルキゼレムが苦笑を浮かべながらそれを肯定する。それは半ばアレンも予想していたことではあった。

メルキゼレムはそれ以上、そのことについては言及せず話を続ける。

「ライラックに着いたイセリアは、ちょうどそのころ突如現れたネラという正体不明の冒険者と接触し、その者の助力でレベルダウンの罠を使用した。そのネラこそお主じゃと儂は考えておる」

「その理由は?」

「各所からもたらされた情報をあわせた結果じゃよ。いくつか挙げるとすればイセリアのお主に対する態度しかり、ネラの活躍に隠れているがお主の冒険者ランクの不自然な上がりようなどじゃな。レベルダウンの罠とレベルアップの罠があれば、さほど時をかけずに力を手にできるからのぅ」

「それはっ!?」

あまりにも核心に迫ったメルキゼレムの言葉に、アレンが思わず声をあげる。

イセリアのレベルが最大にまで上げられていたことを知っているメルキゼレムが、イセリアのその後の姿からレベルダウンの罠の存在に気づくのはアレンにも理解できた。

しかしそこから自分が強くなった方法まで推察されるとは考えてもいなかったのだ。

しかし、そう指摘されたアレンの頭が急激に巡り始める。

自分でさえ気づいたその方法を、他の者が本当に思いつかなかったのだろうかと。

「そうか。国の上層部ではその方法は知られているんだな。そしてそれをあえて秘匿している」

「危険すぎるからのぅ。それはお主も重々承知しているじゃろうが」

「俺はどうなるんだ?」

アレンが表情を鋭いものに変える。国家機密ともいえる情報をアレンは手にしてしまったのだ。

まだそれが自分だけの問題であればいい。しかしアレンは万が一に備え、家族やライオネルたちにもそれを伝えている。そこに悪い影響が及ぶのはなんとしても避けたかった。

「これ以上広げず、黙っていてくれれば儂も口をつぐもう」

「そんなことでいいのか?」

あまりにも軽いその制約にアレンが逆に驚く。メルキゼレムは小さく首を縦に振ると、小さく笑った。

「厳しく制したとしても気づく者はおる。それを広めようとする思慮の浅い者、王国に害をなそうとする者などは対処するがな。それに儂はお主に感謝しているんじゃ」

「俺に?」

「ああ。あの子が、イセリアがそれほどまでに勇者の卵である自分に誇りを持っていることを儂は見抜けんかった。あの子は元々争うことが苦手じゃ。少しばかり冒険者の真似事をさせてやれば満足するだろう。そう考えておったんじゃ」

先ほどまでの王宮魔術師としての威厳のある様子から、ただの老人に変わってしまったような力ない言葉をメルキゼレムが吐き出す。

右手を額に当て、メルキゼレムは小さく首を横に振る。

「儂は愚かじゃ。自らの判断を信じ、あの子の気持ちを確かめることをしなかった。過去に同じように二人の少女の未来を奪っておきながらその経験を生かせず、あの子の未来までも……」

「でも、イセリアは慕っていたぜ。あんたのことを、おじいさまって、嬉しそうにな」

苦悩に満ちた表情をしていたメルキゼレムが、アレンの言葉にゆっくりと顔を上げる。

孫を心配する祖父のようなその表情に、アレンは少し苦笑しながら言葉を繋いだ。

「人間なんだから全てがうまくいくはずないだろ。同じことを繰り返すことだってあるさ。でもイセリアに対するあんたの思いは確かに伝わっていた。それはきっとイセリアにとって大切な宝物だったと思うぜ」

「そうか……そうか」

メルキゼレムの瞳が潤み、その右目から一筋の涙が零れ落ちる。そしてその跡だけを残して、メルキゼレムはその姿を元の王宮筆頭魔術師へと変えた。