作品タイトル不明
第26話 スラム
数日後の夕方、アレンはネラの格好で街を歩いていた。再び鬼人のダンジョンを攻略した報告と、前回の攻略で得た魔石や角の代金の受け取りをギルドで終え、そしていつもどおりにスラムの方向へと進んでいた。
まだ日が落ちきっていないため少なくない人が通りにはいるのだが、ネラの姿に注視する者はおれど声をかけてくるような者はいない。
視線が多く集まるせいで判然とはしないが、どうせ今日もつけてきているんだろうと割り切りながらアレンはそのまま進んでいた。
大通りを抜け、路地へと入っていくと段々と人の姿は減っていく。開発されて、ある程度開けたことで治安も良くなってきた西地区だが、そこに住む全ての住人たちの警戒心がすぐになくなるということはない。
夜には出歩かない、それが自分の身を守るなによりの方法だと知っているからだ。
すれ違う酔客などにぎょっとされながらアレンは進んでいき、整地され建築された新しい集合住宅を抜けて境界線へとたどり着いた。
人が入るのを拒むような雑多な建物、細く薄暗い路地。得体の知れない何者かが息づくような生々しさを感じる光景を眺め、アレンは小さく息を吐く。
以前はもっとアレンの家のそばにあったスラムとの境界線だ。明確にここ、と規定されているわけではないが、明らかに雰囲気が変わることは聡い者ならすぐにわかるくらいの違いはあった。
(さてと、うまくいくといいんだがな)
そんなことを考えながらアレンは迷うことなくスラムへと足を踏み入れていく。いつもであれば足早に通り過ぎるだけのそこを、アレンはゆったりとした歩調で進んでいた。
先ほどまでのどこか興味本位が感じられるものではなく、異物に対する明らかな警戒の視線を感じながらアレンは周囲を確認していた。
スラムとは言えどそこは人の住む場所だ。暗くなりつつあるなかでも、マスクの効果により昼間のようにはっきりと見えるアレンにはそこかしこに他の場所と同様の生活の匂いが感じられる。
しかし生気のない瞳で路上に転がる男がそのまま放置されていたり、路地から薄汚れた服装の子どもたちが警戒するようにこちらをじっと眺めている姿は普通ではない。
皆一様に痩せており、それなのに瞳だけギラギラとした子供たちの姿はアレンの心にじくじくとした痛みを感じさせた。
目の前の子供たちを一時だけ救うのは簡単だ。アレンが今持っているマジックバッグには探索に持っていった非常食が残っているし、受け取った報酬も入っている。
金貨1枚でもやれば、子供たちが余裕で数ヶ月暮らせるだけの価値がスラムではあるのだ。
(でもそれが不幸を招くこともある。特に俺のようなイレギュラーが起こした場合は)
アレンが少しだけ歯をギリッと食いしばる。
前々から年下、特に子どもには優しかったアレンだが、レックスが生まれたことでさらにその思いは強くなっていた。だからこそなにもしないことが最善だとわかっていても、平然とはしていられなかった。
スラムでは力こそ全てなのだ。それは単純な暴力だけの話ではないが、スラムの路地裏に暮らすような子どもたちに力がないのは明白。彼らが分不相応のものを持っているとわかれば食い物にされるだけ。そのことをアレンは知っていた。
視線を外し、気持ちを無理矢理切り替えてアレンは歩き続ける。アレンの予想ではスラムの出入り口付近にいるはずであり、そしてそれは的中していた。
(いた!)
死んでいるのではないかと思うほどにピクリとも動かず、道端に転がる男たちに向けてアレンが歩を進める。そしてその中の一人の男の前で足を止めた。
いつ切ったのかわからないほどぼさぼさに伸びた髪にその顔の半分以上を隠されたその男は周囲で転がる者たちと同じように痩せこけ、服装も似たようなぼろぼろのものだった。
しかしアレンはその男が視線を髪で隠しながら注意深くアレンを観察していることに気づいていた。はっきりとした意思を感じさせるその瞳は周囲の者と明らかに違うと。
目の前で立ち止まったネラを認識しているはずなのに、その男は視線を合わせようとも動こうともしなかった。その姿は半ば生を諦めてしまっている周囲の者の反応と変わりなく見える。
しかしアレンの瞳には、男の体がかすかに震えている様子がはっきりと見てとれていた。
アレンがマジックバッグから光の魔道具を取り出して魔石をはめる。その光が薄暗闇を散らす中で、アレンは同じく取り出した紙にさらさらと文字を書いていく。
そして書き終えたそれを男の目の前へと掲げた。
『お前の主と話がしたい』
掲げられた紙にほんのわずかに目を見開いた男だったが、瞳以外に反応は見せなかった。しかしアレンにはそれで十分だった。掲げられた紙を男が目で追っている様子がわかったからだ。
(文字が読めるってことは、当たりだな。今日は運が良さそうだ)
マスクの下で少しだけ笑みを浮かべながら、アレンは男の前で紙を掲げ続ける。この男がアレンの会いたい人物に繋がっているとアレンは確信していた。
スラムの人間で文字を読める者は多くない。日常会話的な文字であれば読める者もいるかもしれないが、アレンが書いた『主』という文字など普通では見かけない言葉だ。
文字を目で追い、それなのに男はなにも反応を見せなかった。それはその言葉の意味を正しく理解し、動かないことを選択したのではないか、そうアレンにはそう思えたのだ。
反応を見せない男をしばらく眺め、首を傾げたアレンは無造作に男をつかんで駆け出し、その場から姿を消す。
まるでネラがそこにいたのは幻であったかのような速さでそれは行われ、男が寝転がっていた空間だけがぽっかりと空いている、その事実だけが先ほどまでの出来事が現実だったと告げていた。
「なんなのよ、あの化け物は」
遠方からそのぽっかりと空いた空間へと視線をやっていた着崩した格好をした若い女が言葉をもらす。そして少しだけ高いヒールを翻すとスラムの奥へと早足で歩き始めた。
女は気づいていない。建物の上から二つの瞳が自分をじっと捉えていることに。
スラムの中心、そこに近づける者は多くない。そこにはこのスラムを纏め上げる主が住んでいるからだ。
そこかしこに周囲を警戒する者が配置され、さらに迷路のように入り組んだ路地も利用したその場所は正に要塞といっても過言ではなかった。
(おーおー、けっこう腕の立ちそうな奴らがいるな。鉄級上位ってところか? それにギルドで見たことある奴も、やっぱりいるよなぁ)
気絶した男を脇に抱えつつ、アレンが女の後をつけていく。気配を消して動くアレンに気づくような者はいないが、その鍛え上げられた肉体とそこから発される雰囲気からなんとなくアレンはその実力を察していた。
そして同時に、冒険者ギルドで見たことのある顔がちらほらあることに、苦笑をもらしていた。まあいるだろうなと予想はしてはいたのだが、こうもはっきりとわかってしまうと笑うほかなかったのだ。
しばらく複雑な思いを抱えつつ進んでいたアレンの目の前で、女が地下へと続く階段を降りていく。そこが最終地点だと踏んだアレンは、おもむろに姿を現した。
「ネラ、なぜここに!」
突然現れたネラの姿に、周囲が騒然とする。しかしアレンはその様子に反応することなく階段に向けて歩き始めた。
「待て!」
そんなアレンに周囲にいた者たちが襲い掛かってくる。ばらばらにいたはずなのに連携の取れたその動きに感心しながら、アレンは全ての者を制圧していく。
男を小脇に抱えたまま、片手だけで行われたそれで死んだものはいない。しかし襲い掛かってきた者全ては地に伏し、うめくことになっていた。
アレンは周囲を見回し、これ以上襲って来る者がいないことを確認すると襲ってきた人数と同数のポーションを適当に置いて地下へと下る。
そして厳重な鍵で施錠された扉を無造作に蹴り破った。
「おいおいおい、躾のなってない奴だな。ドアはノックして開けてもらうもんだぜ」
目を見開いて驚く女や周囲の者と違い、前後ろを反対にした椅子の背もたれに乗せた腕にあごを乗せたままの初老の男が笑みを浮かべる。
くすんだ金髪を後ろで縛り作業着のような服を着たその姿は、どこか職人のような雰囲気さえ感じさせるが、その吸い込まれるように暗い瞳は血にまみれた者独特の冷たい色をしていた。
『お前に話があって来た。普通では会えそうになかったから少し強引な手段をとらせてもらったがな』
あらかじめ書いておいた紙をマジックバッグから取り出し、その瞬間に襲ってきた屈強な護衛を蹴り倒しながらアレンがそれを掲げる。
そして小脇に抱いていた男を初老の男に見えるように床に転がす。そんなアレンの姿に初老の男は口笛を吹いて笑った。
「なるほどなるほど。そいつを見つけて連れ去ったと見せかけ、のこのこと戻ってきた馬鹿をつけてきたわけだ。いや、やられたな」
ぴしゃりと額に片手を当て、初老の男が笑う。そしていきなりその笑みを消すとその親指を下に向けた。
「殺せ」
その言葉にアレンは警戒心を全開にした。しかしその言葉が向けられた先が自分でないことにアレンは即座に気づいた。
どこからともなく飛んできたナイフに今正に喉を貫かれようとしていた若い女と床に転がった浮浪者風の男をひっつかみアレンが背後に飛ぶ。ナイフは二人に浅い傷をつけはしたものの命に別状はなかった。
あと数瞬遅れていれば、ここに新たな二つの遺体が出来上がっていただろう事実にアレンが怒気をこめた視線を初老の男に向ける。ビリビリとひりつくようなその圧に周囲の護衛が怯む中、初老の男はなにも感じていないように受け流していた。
がたがたと震える若い女と気絶したままの浮浪者風の男を自分の背後に置き、アレンは視線を初老の男から外す。新たに向けられた視線の先は、先ほどナイフが飛んできた場所だった。
「安心しろ。お前にも落とし前はつけてもらう。おい、仕事だぞ」
「私は一応客分のはずだぞ、ネサニエル」
「一宿一飯の恩ってやつだ」
「はっ、お前が恩なんて売るもんかい」
初老の男、ネサニエルと軽いやり取りを交わし、のっそりと人が姿を現す。その女の声に、そしてその姿に、アレンの心臓の鼓動は早鐘のように鳴り響いていた。
薄紫の特徴的な髪をなびかせながら、愛用の両手剣を構えるその人は……
「テッサ」
「おやおや、話題のネラに知られているなんて案外私も捨てたもんじゃないね。だがあんたを生かして帰すことはこれで出来なくなった。覚悟しな」
かつてアレンを雇って生活を楽にし、そればかりか色々と手ほどきをしてくれた勇者の卵のパーティのリーダーであるテッサ、その人だった。