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愚鈍だと婚約破棄された聖女は女神への願いを訂正する

作者: 弍口 いく

本文

「セレスティア、お前との婚約を破棄する」

エドウィン殿下は あ(・) た(・) ち(・) にそう言った。

今日は月に一度あるこの国の王太子エドウィン殿下とのお茶会、殿下はキラキラした金色の髪に蒼い瞳のとても綺麗な顔をした優しい人なのよ。この日だけはケーキが食べられるの。美味しい紅茶も飲めるから楽しみにしているの。でも、今日はなぜかアンジェラも一緒にいるの。いつもは二人だけだから、殿下の分のケーキもくれるのに、アンジェラがいたら二つも食べるの止められてしまうわ。

あ(・) た(・) ち(・) はセレスティア、この国の第一聖女よ、聖女の中で一番なのよ。銀色の髪に琥珀色の瞳が綺麗だって、殿下がいつも頭を撫ででくれるの。でも今日は少し怖い顔をしているわ。

で、破棄って?

「破棄ってなんですか?」

あたちはケーキを飲み込んでから、首を傾けた。

すると殿下は大きなため息をついて、

「そうか、お前には難しすぎたな」

「そうですよ、エドウィン殿下、セレスティアには幼児の頭しかないのですから、理解できないんですよ」

アンジェラの言い方って、いつも意地悪だから嫌いよ。

「セレスティア、婚約って意味は解っているのか?」

「はい、大人になったらエドウィン殿下のお嫁さんになるんですよね、それは国王陛下から教わりました。あたちが十八歳になったら、来年なんですけど、お城で殿下と一緒に住んで、一緒のベッドで眠るんだよって。ふふっ、お母さんみたいですよね、あたちは五歳の時、教会に連れて来られたから、もうあまり覚えてないんですけど、お母さんと一緒に寝ていたような気がします」

エドウィン殿下は笑っているけど、なんだか笑っていないような変な顔をしていた。

「破棄って言うのはね、その婚約をやめるってことだよ」

「えーっ、そうなんですか? じゃあ、あたちはお嫁さんになれないの?」

「残念ながらそうなんだ、俺のお嫁さんになるのはこのアンジェラなんだよ」

「ほえっ?」

「アンジェラと俺は好き同士なんだ、それはわかるよね」

「あたちもエドウィン殿下が好きです」

「ありがとう、俺もセレスティアが好きだよ、でも、アンジェラの方がもっと好きになってしまったんだよ」

「じゃあ、もうこのお茶会もなくなるの?」

「そうなるかな」

胸がチクッと痛んだ。あたちはケーキをくれる殿下が大好きで、月に一度のこの日をとても楽しみにしているのに。

「ケーキを食べられなくなるのは嫌です」

「じゃあ、こうしよう、お茶会はなくなっても、月に一度はケーキを食べられるように手配するよ」

「手配?」

「君にケーキをプレゼントするってことだよ」

「美味しい紅茶も?」

「ああ」

「ケーキは二個欲しいです」

「わかった」

「わーい!」

「そこでお願いなんだけど、お前から父上、国王陛下に言ってくれないか? 自分はエドウィン殿下のお嫁さんになりたくないって頼んでくれないかな」

「あたちから? なぜ?」

「ケーキは三個プレゼントするよ」

「言います!」

「いい子だ、じゃあ、今日はもう部屋に戻っていいよ」

「はーい」

「あ、殿下の分のケーキを貰うの、忘れてた」

あたちは部屋に戻りかけたが、思い出して引き返した。

ガゼボに戻ろうとしたけど、そこでエドウィン殿下とアンジェラが抱き合ってチューしていた。さすがにそこへ行ってはいけないことくらいはわかった。二人は好き同士なんだよね、お邪魔しちゃダメなんだ。今日はケーキを諦め……きれない。あたちは終わるまで待つことにした。

「ほんとバカね、もう十七歳なのに頭の中はいつまでもここへ来た時のまま、五歳児なんだから」

アンジェラがあたちの悪口を言っている。

「父上も酷いよ、いくら第一聖女と王太子が結婚する慣例があるからって、あんな愚鈍な女を妻に迎えろだなんて、王太子妃としての執務はどうするんだ? あそこまで頭が悪ければ到底無理だろ、字も読めないんだろ」

「字を読むどころか、普通の会話すら理解していないのよ。女神様はなんであんな子に強い神聖力をお与えになったのかしらね、あの子が第一聖女だなんて屈辱的だわ。でもまあ、だからいいように使えるんだけどね」

「自分が利用されていることすら理解していない、正当な扱いを受けず、みんなに蔑まれて苛められていることすらわかってないんだからな」

「お陰で私の仕事も押し付けられるから好都合なんですけど」

二人がなにを話しているのかよくわからないけど、一つだけわかったことは、あたちは頭が悪いって言われたこと、グドン?ってどういう意味だろう、フレディに聞いてみよう。

* * *

あたちは馬小屋へ行った。フレディは馬のお世話をしているお兄さんだ。

「フレディ!」

あたちはフレディに抱きついた。いつもしっかり受け止めてくれる。泣いているとヨシヨシって慰めてくれる優しいお兄さん。

「どうしたんだ? 今日は王太子殿下と茶会の日じゃなかったのか?」

「うん、もう部屋に帰れって言われたの」

「そうか」

「ねえねえ、グドンって何?」

「愚鈍? 誰かに言われたのか?」

フレディが怖い顔になった。

「殿下とアンジェラが話してたの、あたちは愚鈍だって、頭が悪いから殿下のお嫁さんにはなれないんだって。あっ、違うわ、お嫁さんはアンジェラがなるからあたちはならないって、王様に言いなさいって言われたの」

フレディの顔が急に青くなった気がする。苦しそうに見えたので、

「どこか痛いの? 治癒魔法をかけてあげようか?」

「いいや、大丈夫だ」

「で、グドンって?」

「お前はそんな言葉知らなくてもいいんだよ、忘れろ」

「そうなの?」

でも忘れられない、頭が悪いと言われることには慣れているけど、殿下に言われたことはなかった。

フレディは飴をくれた、殿下の分のケーキは食べられなかったけど、これで我慢することにした。

* * *

夜の祈りの時間になった。

あたちは毎日、朝、昼、夜の三回、二時間ずつ神殿の女神様にお祈りを捧げる。

大理石の床に膝をついて二時間、女神様の像に向かってずっと祈り続けるのは、とてもしんどい。今の季節はまだマシだけど、これから冬になると大理石の床が氷のように冷たくて、とても寒いのよ。でも、神官長様が着ているようなフカフカの毛皮は、あたちには着せてくれないの。前にお願いしたら、杖で叩かれちゃったし、二度と口にしない。

女神様はいつも優しい眼差しで私を見下ろしている。あたちは女神様に向かって、この国を魔物から護ってください、って祈るの。そうすると王都に結界って言うものが張られて、魔物が入って来れないようになるらしいわ。

でも、今夜は昼間のお茶会のことが気になって、ちゃんと祈れない。グドンのこともそうだけど、あたちの頭が悪いからお嫁さんにしてもらえないの? 頭が悪いからあたちよりアンジェラを好きになったの? あたちはずっとエドウィン殿下が好きなのに、お嫁さんになる日を楽しみにしていたのに。

じゃあ、頭が良くなれば、エドウィン殿下もあたちを好きになってくれるのかしら?

ねえ、女神様、あたちの頭を良くしてください。

自分の願いを祈ってはいけないと言われているけど、つい願ってしまったわ。神官長に怒られちゃうから黙っていましょう。

* * *

「愚鈍って意味がわかったわ」

翌朝、私は朝の祈りが終わるとすぐにフレディの元へ行った。

「えっ? 誰かに聞いたのか?」

「いいえ、わかったの、頭が悪くてのろまのことなのね、判断力も理解力もなくて、なんにも出来ない人のことなのね」

「セレスティア?」

いつもと様子が違うことに気付いたフレディは目を丸くした。

いつの間にか涙が溢れていた。そんな風に思われていたなんて、いつもケーキをくれる優しい王子様だと思っていたけど、私をバカにしていたのね。アンジェラだって、他の聖女たち、神官たちもそうだった。

「昨日ね、女神さまに頭を良くしてくださいってお願いしたら、叶えてくださったみたいなの、急になんでもよくわかるようになったの」

「そんなことが……」

奇跡が起きた。

私は目覚めると頭がクリアになっていて、見える風景も違った。

朝の祈りがなぜ私一人なの? と疑問を抱いた。本来なら、聖女全員で御勤めするべきなのだ。

そして終わってから頂く朝食、冷めたスープと硬いパンだけ、第一聖女に用意される食事にしてはあまりにお粗末だ。他の人の食事を見たことがあるが、ちゃんと湯気の立つスープと卵料理とサラダ、軟らかそうなパンだった。幼児の知能だった時も違和感を覚えて聞いたことがあったが、無視された。

「私、みんなにバカにされて、虐げられていたのね」

自分の理不尽な境遇を理解した。

フレディはそっと私を抱きしめてくれた。

「フレディは知っていたのね」

抱きしめる手にギュッと力が入る。

「だから可哀そうだと同情してくれていたのね」

「違うよ、綺麗な心を持っている君が好きだからだよ」

「じゃあ、もう嫌いになるわね、私、わかってしまったから、今、無性に腹が立っているわ、もう綺麗な心ではいられないの」

フレディはいつも私を大切に扱ってくれた。教会で虐げられて――気付いていなかったけど――辛くて泣きながらここへ来たとき、いつも優しく慰めて元気付けてくれた。彼がいたから私は耐えられたのだ。その時はわからなかったけど、彼の存在は私にとって不可欠だったのだ。

中身が幼児のままだった私にとっては優しいお兄さん、だけど年相応、十七歳の私にとっては一人の異性だ。この気持ちは……そうなのね、私はフレディに恋していたのね。そんなことも含めて、私はすべて理解した。

私は聖なる力の持ち主だ。

この国では五歳になる子供は必ず神聖力の有無を測定するために教会へ赴く。貧しい農家に生まれた私は、その時に強い力を持っているとわかり、親と引き離されて教会に引き取られた。親はお金がもらえると、喜んで手放した。

私には類稀なる力があった。王都全体に一人で結界を張れるくらい強い力、故に私は重宝された。五歳だった私はちゃんと理解できていなかったが、言われるまま祈りを捧げた。

国内外には恐ろしい魔物が存在する。それらが王都に侵入できないのは、私が一人で張っている結界のお陰だ。本来なら、神官や他の聖女たち全員が力を合わせ、また交代で女神に祈りを捧げて成すものだが、私一人に押し付けられていた。

今ならわかる、王都を守っているのは私なのだ。

でも、昨日までの私は、自分が利用されているとか、虐げられているとか、それさえわからなかったのだ。十二年間、私は第一聖女としての正当な扱いを受けずに、ただ搾取され続けていたのだ。

私が文句を言えず――何が間違っているのかさえわからなかった――黙って従うのをいいことに、教会の人たちは自分たちの仕事まで押し付けて、私はこき使われていた。

「フレディ、私はわかってしまったのよ、本当はこんな扱いをされていい人間じゃない、私が一人で結界を張って王都を護っている聖女なのだから、もっと敬われて大切にされなければならない存在なのよ、今の待遇は異常だわ」

「そうだな、お前はなにもわからないのをいいことに虐げられていたんだ、でも、それがわかったのなら、改善してもらうように言えるんじゃないか?」

フレディは私の頭を撫でながら言った。それは今までの幼児の私に接するのと同じ態度だった。まだ私が十七歳の少女になったことをフレディでさえ信じていないことがわかり、胸がチクッとした。

「でも、どうやって? きっと誰も相手にしてくれないわ、それよりも、もうこんな生活は嫌なの、お願い、私を連れて逃げて」

「えっ?」

「知ってしまった以上、こんな暮らしには耐えられない」

「逃げるって、どこへ」

「どこへでもいい、私の神聖力があればどこでも生きていける」

「まあ、そうかも知れないけど、王都の外には魔物も出るし危険だぞ、ここでの暮らししか知らないお前にとっては厳しいものになる」

「それでも、ここにいるよりかは……」

「それに、お前がいなくなればこの王都はどうなる、結界は?」

「本来あるべき状態に戻るだけよ、聖女は私の他にも大勢いる、私ほどの力がなくても、みんなで力を合わせて祈ればいいだけじゃない」

「それはそうだけど」

「みんなで何時間も祈り続ければいいのよ」

「じゃあ、そう言ってみたらどうだ? 国王陛下の謁見の時にでも」

「陛下は聞いてくださるかしら?」

「それでダメなら、逃げればいい」

「そうね!」

きっと国王陛下は私の今の境遇をご存じないのだ。欲深い神官長が私に当てられた予算を着服しているに違いないわ。暴いてやるわ! それに意地悪な他の聖女たちの悪行もね。

不敵な笑みを浮かべてしまったのだろう、フレディは苦笑した。

「お前、別人みたいだな」

「そうね、嫌いになった?」

「いいや、驚いているだけだ」

言うだけ言ってみよう。聞き入れてもらえなければ、フレディと逃げればいいんだ。もし国を出るにしても、なにも言わずに消えると私が我儘で逃げ出したと、あることないこと悪口を並べられるだろう。一緒に消えたフレディが誘拐犯にされる可能性もあるし、迷惑がかかるのはイヤだわ。

国王陛下に直訴して、私の待遇が改善され、意見が通るようになったら、フレディの身分を上げてもらおう。そして私の傍で補佐してもらえるようにしよう。王都から出て魔物に怯えながら先の見えない生活に飛び込むより、フレディにとってはそのほうがいいかも知れない。そして、いつか彼のお嫁さんになりたい。

エドウィン殿下が好きだと思っていたけど、どうやら違ったようだ。彼の微笑みは嘘だとわかってしまった。でも、フレディが私に向けてくれる真心は本物だ。

* * *

月に一度の国王陛下が女神様に礼拝するため神殿に来られる日がきた。私も謁見できる。

私はその日の朝も、いつものように女神像に二時間の祈りを奉げる。冬が近づくこの季節、早朝の神殿の大理石は既に冷たい。

祈りが終わってクタクタになりながら食堂へ行くと、いつものように冷めたスープと硬いパンが置いてあった。体が冷えているから温かいものが欲しいと思うのは当然だと思うのだが。

「あの、スープを温めてほしいの」

私の世話係のシスターに思い切って言ってみた。すると、モロに嫌そうな顔をされた。

「そんな我儘言うんじゃないわよ」

これが、我儘なの?

私がスプーンを置くと、

「食べないなら下げるから、さっさと部屋に戻りなさい」

強引にスープとパンも下げられてしまった。

今までの私なら、自分が我儘を言ってしまったから怒らせたのだと反省するのだろう。ずっとそんなふうに洗脳されていた。理不尽な扱いを受けてもそれが当然だと思わされていたのだ。

でも、今ならわかる。

本来は聖女と神官全員で祈りを奉げなければならないところ、私一人に押し付けて、その間に、他の人たちは温かい朝食を食べて、今頃は部屋でくつろいでいる。このあと、神殿の掃除をするのも普段は私だ。今日ばかりは、国王陛下が来られるので、昨夜のうちに専門の掃除業者が呼ばれてピカピカに磨き上げられたが……。

ほとほと酷い扱いを受けていたのだなと、自分が情けなくなった。

そして国王陛下が来訪された。

最初に女神像にご挨拶されて、その後、神官長から報告を受け、他の聖女たちと共に控えている私に目を向けた。国王の横の席には王妃が座り、その後ろに王太子エドウィンが立っている。

この日ばかりはいつものヨレヨレのローブではなく、新品の聖女服を着せられ、髪も綺麗に整えられて第一聖女らしい出で立ちを作り上げられる。

「どうだ、息災…いや元気かな? なにか不便…困ったことはないかな」

陛下は私の中身が幼児だとご存知なので、優しい言葉で話してくれる。

それなら私も幼児のふりを貫こう。私はスーッと息を吸い込んでから、大きな声を張り上げた。

「お腹がすきましたぁー!」

「は?」

国王陛下は目を丸くした。今までは、『ありません』しか言わなかった私が、他のことを言ったのだ。それも空腹だと叫んだ。

慌てたのは私の世話係を任されているシスター。

「これ、陛下の前でそんなことを言うものではありません」

慌てて私に駆け寄って口を押えたが、私は体を捩って逃れた。

「だってぇ、朝ごはん食べさせてもらえなかったから、お腹が空いて死にそうなんだもん」

「どういうことだ?」

陛下はジロッとシスターを睨んだ。

「この子は好き嫌いが激しくて、今日の朝食は気に入らなかったようなのです」

冷や汗もののシスターをよそに私はすかさず。

「冷たいスープなんて美味しくないもの、カチカチのパンも、味のしないサラダも、全部嫌い! 王様は好きですか?」

無邪気に縋るようなウルウル瞳を向けた。

「今日はそのようなメニューだったのか、それは酷いな」

「毎日よ、朝昼夜、たまにオムレツがつくけど、それも冷めてるの」

「な、なんだと! そんなものを第一聖女に食べさせているのか! この子の予算は十分に組んであるだろう」

国王は驚いて腰を浮かした。

「申し訳ありません、なにか手違いがあるようで、すぐに調べさせます」

神官長は若い神官に目配せして、世話係のシスターを退出させた。

それを見届けてから陛下は、私に視線を戻した。

「このあと、温かい食事を用意させような」

「ありがとうございます、王様」

私はまた無邪気な笑みを向けた。

「他にはなにかないか? してほしいことがあれはこの際、言っていいのだぞ」

言いたいことは山ほどあるけど、一つずつ片付けなきゃね。

「じゃあ、エドウィン王太子殿下との婚約を破棄したいですぅ」

陛下はピクッと片眉を上げた。

「破棄だと? それがどういう意味かわかっているのか?」

「はい、エドウィン殿下が教えてくれましたぁ。結婚の約束をなかったことにするそうです。 あ(・) た(・) ち(・) は殿下のお嫁さんになりたくない……」

エドウィンの口角が上がっているのが見える。アンジェラは私の後ろに控えているから見えないけど、きっと俯きながら笑っているだろうな。

「って、言えと、エドウィン殿下に頼まれました」

「はあ?」

思わず声をあげたのはエドウィン殿下。

「どういうことだ?」

陛下が振り返って睨む。

エドウィン殿下の慌てぶりが滑稽だ。

「いえ、それは、違うだろ、セレスティア、ちゃんと言わなきゃ」

「あ、そうですね、エドウィン殿下はアンジェラが好きだから、アンジェラと結婚したいそうです」

「セレスティアぁぁ!!」

私を黙らせようと、上座から下りかけたエドウィン殿下を国王陛下は制したので私は続けた。

「王様は酷いそうですぅ、いくら第一聖女と王太子が結婚することに決まっているからって、あたちみたいな愚鈍な女を妻に迎えろって言われたことを怒ってました。あたちのように頭が悪い女は王太子妃になれないそうです」

「でも大丈夫、アンジェラがなるから、 親切(・・) なアンジェラならきっと立派な王太子妃になれます。アンジェラはあたちが虫歯にならないようにと、あたちのデザートをいつも食べてくれるんです。でも、アンジェラは大丈夫なのかしら? あ、そうですよね、自分を犠牲にしてまで、あたちの虫歯を気にしてくれるんですからイイ人なんです。でも、本当は、ケーキが大好きだから、週に一度の甘いお菓子はとても楽しみなんです。でも、ずっと食べられなくて、でも我慢しなければいけないんですよね、あたちの為に犠牲になってくれているんだから」

「週に一度の甘い菓子?」

国王の顔がまた険しくなった。

「それにエドウィン殿下のお嫁さんになるってことは、第一聖女と王太子が結婚する決まりだと聞いてますから、これからはアンジェラが第一聖女なんですよね。じゃあ、あたちはもう、朝昼夜、二時間ずつ 一人(・・) で祈らなくてもいいんですよね、アンジェラの仕事になるんですね」

「なに? 一人で祈っていたとは?」

今度は神官長を睨む。

「祈りは全員で捧げることになっているのではないのか?」

「この娘は虚言癖がありまして」

神官長が慌てて私の横に来て、国王陛下に向かって跪いた。横目でジロリと私を睨むことも忘れない。

「ごめんなさい! 黙っていろと言われたのに、今日はどうしちゃったんだろう、あたち……」

私はオーバーに口を押えて、涙ぐんだ。

「許してください、叩かないでください」

そして神官長に向かってオーバーに土下座した。

「叩かれるのか?」

国王陛下の驚いた声と、

「滅相もございません、そんなことは決して」

慌てる神官長の声。

私は額を大理石に突けたまま容赦なく畳みかける。

「あたちはバカだから、家畜と同じように叩いて躾けなければいけないそうです。だからみんなに叩かれるんです。アンジェラは特に熱心に躾けてくれるんです、痛いから嫌なんですけど、感謝しなきゃダメなんです」

私はローブを脱ぎ捨てて下着姿になった。国王の前でそんな暴挙、普通なら許されるはずないけど、私の中身は五歳児だと思われているから平気だ。

国王陛下は私の身体を見て驚き、さらに顔を歪めた。

王妃殿下も目を見開きながら扇で口元を押さえた。

腕や肩、背中には無数の傷跡が残っている。太ももやふくらはぎにもあるのよ、それも後で見せてあげようかしら。治癒魔法で消せるけど、毎日の祈りが過酷で自分のことにまでかまっていられないのだ。そして、ガリガリに痩せ細った体も見事でしょ。

本当に知らなかったの? 国一番の聖女が、一人で結界を張って王都を護っている聖女が、どんな扱いを受けていたか知らなかったでは済まされないと思うんだけど。それは国王として怠慢じゃないの?

* * *

その後、私の待遇は改善されたけど……。

結局、誰も大した処分はされなかった。

教会関係者を大量に処分すれば、私への酷い待遇が明るみに出るし、教会の腐敗を晒すことになるからマズいのだろう。

祈るときは、大理石の床にはフカフカのラグが敷かれ、その上に私が跪く。

一人じゃなくて、他の聖女たちも一緒に祈りを奉げることになったが、彼女たちは不服そうに私を睨んでいるから、少しも祈っていない。だから時間も短縮されない。

食事は改善され、温かいスープに肉料理も出されることになった。あまりに痩せすぎている私に体力をつけさせるためだと言う。デザートも添えられて、毎日大好きなケーキを食べられる。

エドウィン殿下は廃嫡、にはならなかった。私を虐げたわけでもなく、意地悪したわけでもない。アンジェラが処分されなかったのは、エドウィン殿下の要望で側妃になることが決まったからだ。

ただ、第一聖女と王太子の結婚は必須なので、私との婚約破棄は認められず、お飾りの正妃になることには変わりなかった。

これってどうなの?

なにも変わらなかった。陛下の前であれだけぶちまけたのに、年相応の知能を持っていない私が、少し冷遇しすぎたから拗ねてしまったくらいにしか取られなかった。

私が利用されるだけの存在であることに変わりない、今までの仕打ちを反省していないし、誰も私を大切に思ってくれていない。

私は自己主張する駄々っ子になっただけだ。

聖女として敬われたいなんて思っていなかったけど、『頑張ってくれてるね、ありがとう』と言って欲しかった。

思い出したことがあった。

五歳でここへ来て聖女になった時、当時の神官長に『清らかな心で祈りを奉げ、この国のために尽くすのだよ、そうすればみんながお前に感謝し、大切にしてくれるから』と言われた。だから最初の祈りでお願いした、『いつまでも清らかな心で祈れますように』って……。

だから私の心はいつまでも穢れを知らない無垢な幼児のままで成長を止めたのね。大人になるといろんなものが見えてしまう、人の悪意や汚い心がわかってしまうから。

中身が幼児のままの方が良かったのかも……、なにも理解しないままに言われるとおりにしていた方が、それはそれで幸せだったのかも知れない。今、本当の自分を取り戻せたけど、悲しいだけだわ、周りの人がみんな悪人に見える、誰も信用できない、私の心は汚れてしまったわ、あの頃のようには清らかな心では祈れない。

もう疲れちゃった。

やっぱりここから離れたい。フレディと逃げよう。フレディさえいてくれれば他は何もいらない。王都の外は魔物がいるから危険だとしても、私の神聖力があれば追い払うことが出来るはずだわ。愛するフレディは私が護る。そして一緒に私たちのことを誰も知らない場所で静かに暮らしたいわ。

* * *

私はそのことをフレディに告げるため、馬小屋へ行った。

そして現実を思い知ることになる。

「待遇が改善されたようだし、もう大丈夫だ。あの子、頑張ったんだよ。これで俺も心置きなく出て行ける」

馬小屋の隙間だらけの板壁越しに、フレディの声が聞こえた。出て行けるって言った? どう言うことなの? 誰と話しているの?

「ちゃんとさよならは言ったの?」

若い女性の声だった。板の隙間から覗いてみたけど、姿は見えなかった。

「いいや、ずいぶん懐かれてたから、泣かれると辛いんだ」

「そうね、ちょっと妬けちゃったわ」

「バカだな、あの子の中身は幼い子供だよ、そんな彼女が一人ぼっちで寂しそうにしているのを見て放って置けなかったんだよ。俺だけがまともな話し相手だったからな。でも、これからはあの子の話をちゃんと聞いてくれる人がいるだろうし、安心だ」

え……どういうこと? フレディは私を連れて逃げてくれるんじゃないの?

その女の人は誰? 心拍数が跳ねあがり、額に冷たい汗が滲んだ。

「あと一週間ね、結婚式まで」

「ああ、楽しみだな」

〝チュッ〟と言う音で、フレディが彼女になにをしたのかわかった。結婚式? フレディはその人と結婚するの? そんなの知らない!

飛び込んで、どういうことか聞きたかったが、足が動かない。

そういえば……、私はフレディのことをなにも知らない。家名も身分も、年齢も誕生日も知らない。彼がどこに住んでいて、家族はいるのか、恋人はいるのか? あ、それは今わかった、結婚を控えた恋人がいる、そして彼はここを辞めるんだ。

彼がここから救い出してくれると思い込んでいたのは私だけだったのね。フレディは私に話を合わせてくれていただけだったんだ。幼い子をあやすように優しくしてくれていただけで、恋愛対象では決してなかった。エドウィン殿下と同じだ、私は女として見られていなかったんだ。

無理もないか……。

ついこの間まで中身は五歳児だったんだから。

急に中身も十七歳になりました、と言っても受け入れてもらってなかったんだ。そうだよね、数日前までは、無邪気な子供だったのに、いきなり恋愛対象です、好きです、なんて言われても困るわよね。

ねえ、フレディ、私がもっと早く自分を取り戻していたら、もっと早く年相応になっていたら、十七歳の少女だったら、私を女として愛してくれていたかしら? ダメね、いまさらそんなことを考えてももう遅い。

私の初恋は、想いを伝えることもなく、ほろ苦いままに終わった。

* * *

「なにも変わっていません、食事は改善されましたが、それって当たり前のことですよね、なのに、私が我儘を言ったように嫌悪感を露わにされるんですよ。前より、数倍居心地が悪いです」

一ヵ月後の謁見で、国王陛下に私はそう答えた。

「この一ヵ月、誰の謝罪も受けていません。十二年間、不当な扱いをして悪かったと思っている人はいないようです。もちろん、謝られたところで許すつもりはありませんけどね。私に酷いことをした人たちには私の視界から消えて欲しいのです。それなのに陛下は誰も処分しませんでした。正当な裁きを受けさせませんでした」

私の話し方が以前とは違ってハッキリしており、幼児臭さが抜けたことに国王も、その後ろに控えているエドウィン殿下も目を丸くしていた。

「私を虐げた人たちはみんな残っています。世話係のシスターは、毎日不服そうな顔で食事を無造作に私の前に置く、不愉快な態度に食事も不味くなります。私に割り当てられた第一聖女の予算を着服していた神官長も罪に問われることなくそのままの地位に居座っています。横領できなくなって不満そうに私を睨みます。教会ともめたくないでしょうが、王家の威厳もあったもんじゃありませんよね。他の聖女たちも、朝昼夜の祈りをしなくてはならなくなって、私が悪いみたいに敵意をぶつけてきます」

国王は痛いところを突かれて気分を害しているだろうが、それよりも饒舌な私に驚いて言葉が出ないようだ。

「エドウィン殿下との婚約破棄はなかったことになり、私は愛されないお飾りの王太子妃になる予定らしいですが、私を苛めていたアンジェラが側妃ですって? アンジェラこそが事実上、真の妃だとエドウィン殿下が言ってることは知ってます、バカにしてますよね」

私はキッとエドウィン殿下に視線を刺した。愚鈍と言い放った私に責め立てられて、ただ唖然としている。この一ヵ月、教会内の図書室で書物を読み漁った。乾いた大地が水を吸い込むような猛スピードで知識を吸収した私は、今ならあなたより博学と胸を張れるわ。

「結局、誰も私の気持ちなど考えていない。私は食べ物さえ与えておけば大人しく言うことを聞くペットくらいにしか思ってなかったってことですよね。でもね、ペットだって愛情を注がなければ懐かないんですよ」

私はこの十二年、誰からも愛されていなかったことがよくわかったし。そして最後に、

「みんなが消えないのなら、私が消えますから」

「消えるとは?! なにを言ってるんだ?」

その言葉だけは刺さったのか、それまでは愚痴をこぼされていると聞き流していた陛下が身を乗り出した。

「お前には聖女としての役割があるだろ」

「そんなの知りません」

「わかった、わかったから、お前の言う通りにしよう、すべてお前の希望通りにするから」

「じゃあ、私を害した人たちを全員魔物の森に放り込んでくれますか? もちろん王太子もですよ」

「わ、わかった、そう手配しよう」

国王はすんなり言ったが、それは嘘だとわかった。

「するつもりなどないんですよね。私の目につかないところへ避難させるのが関の山ってとこですね、私を教会から出さなければバレることもないでしょうから」

陛下の反応から図星だと確信した。

私はとことん侮られているのだ、それは十二年間成長を止めた負の遺産だ。今更、私への認識を変えるのは無理なのだろう。

「もういいです」

私が消えるしかない。

私は一礼して、踵を返すと、神殿から出て行こうと出口に向かった。

「待て! 捕まえろ! 聖女を逃がしてはならん!」

近衛騎士が私を捕獲しようと群がる。しかし自分の周りに結界を張ったので、弾かれて私に触れることさえできない。剣も通らない。私の力はそれほど強いのだ。

知らなかったの?

* * *

「王都は酷い有様らしいな」

乗り合馬車の中で、中年の商人らしき男たちが話をしていた。

「ああ、結界が消えたとたん、魔物の群れが押し寄せたんだよな」

私が去って間もなく、王都は魔物の群れに襲撃された。

あの日、一人で神殿から出た私は、自分の部屋に戻ると、まず長い髪を根元から切って、男物の服に着替えた。

こうなることを予想して、一人で逃げるために準備していた。

今、決意しなければズルズルとここにいる羽目になってしまう。私は長年、王都を護るため、他人のために祈ってきた自分の甘さを知っている。ここにいたら私は幸せになれない。たった一度の人生、これからは自分のために生きても罰は当たらないんじゃない?

きっとどこかに、私を愛してくれる人がいるはずだわ、そう信じたい。

私は荷物を持ち、転移魔法でその部屋から脱出した。

文字通り、私は消えたのだ。

その瞬間、私が張っていた結界が無くなった。

教会は上を下への大騒ぎ、国王陛下の命令ですぐさま聖女と神官全員で祈りを奉げて結界を張り直そうとしたが、出来なかったようだ。そりゃそうだろう、女神像はただの偶像、どんなに祈ったって願いを叶えてくれるわけじゃないのよ。マジで知らなかったのかしら?

王都を護っていたのは私の強い神聖力だ。

女神像は関係ない。

女神様が私の望みを叶えてくれたのではない。私が、自分自身に 自己暗示(・・・・) をかけたのだ。

最初は教会に売られて間もなくの五歳の時、その時はまだ純粋だったから、神官長の教えを信じて、人の役に立たなければならない、自分の力で王都を護りたい、そんな清浄な心を持ち続けたいと願ったのよ。そして無垢な幼女のままの心を維持した。

無意識にかけた自己暗示が十二年間も続いていたなんて、あり得ないでしょ、自分でも信じられないけど、十二年後にそれを解除した時に気付いた。

結界は私の力だったのだから、他の聖女や神官たちがいくら祈っても簡単に作り出せるモノじゃない。サボりにサボっていたから、かつては聖女と認定されたとしても今では神聖力も衰えているだろう。また修業し直せば復活するんじゃない? 間に合うとは思えないけど。

「王都に魔物に対抗する騎士団がなかったことには驚いたよ」

「今までは第一聖女様に頼りっきりだったんだろ、その聖女様が突然いなくなったそうじゃないか、なにがあったんだろう」

「噂によると、聖女様は奴隷のような酷い扱いを受けていたそうじゃないか、ロクな食事もさせてもらえずに、苛められてたって聞いたぞ」

「王都をたった一人で護り続けていたのにか?」

「ああ、それで耐えられなくなって逃げ出したんだと」

その噂は、私が行く先々で流した噂だ。本当のことだもの。

私の結界に頼り切っていた王都は、魔物に対抗する防衛を怠っていた。騎士団も実際魔物と戦ったことが無い者ばかりで、ひとたまりもなく全滅したそうだ。

大勢の市民が犠牲になったのは気の毒だけど、私のせいじゃないわ、私が出て行くように仕向けた人たちが悪いのよ。

みんな死んだのかしら? 呑気な国王も、自分勝手な王太子も、意地悪なアンジェラも。まあ、二度と会わないだろうからもう関係ないわ。

フレディと恋人は大丈夫よね、その前に王都から出たし。

地方の都市は、ちゃんと魔物に対抗する手段を講じていると聞いている。私のような聖女がいないから、自分たちで護るしかないものね。

「第一聖女様はどこへ行ったんだろうな」

ここにいますよ。

私が聞き耳を立てていたことに気付いたのだろうか、商人の男がふと視線を流した。

「坊主は一人旅かい?」

私は少年の姿になって旅をしている。痩せっぽちの身体は少年に見えるし好都合だった。

「えっ、ああ、一人だよ」

「どこへ行くんだ?」

「愛してくれる人がいるところへ」

おしまい