軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百十二話:対話(1)

異端審問官でありレネア復興の責任者であるイムレイスの元にその報告が来たのは、ようやく州都アムリタの街にはびこる疫病の根治にめどが立った頃だった。

南方州においてもっとも人口が多く、もっとも被害が大きいこの都市の立て直しさえ完了してしまえば後の作業はいくらかマシになろう。

その様に一息ついていた時の急報であった。

それはかねてより懸念されていた事案。

すなわち邪悪なる軍勢による再侵攻。

……後手に回ったと表現すれば聞き心地だけは良かったが、なんのことはない単純な確認ミスだ。

誰もが目の前の仕事に手一杯で、他の誰かが確認しているだろうと考えたが故の失態。

もっとも、このような有事の際にどのように行動すれば良いかなど、長らく平穏な時代を過ごし続けてきたクオリアの聖職者に求めるのは酷というものだ。

誰もがマイノグーラの再侵攻はないと考えていたのだ。

少なくとも……しばらくの猶予はあるのだろうと。

そのツケが、今になって重くのしかかってきている。

「報告は事実なのですか?」

「はい、セルドーチを含む南部全てで、都市や集落との連絡が途絶えております」

こわばった表情で報告を行う兵士の言葉に、クレーエはその内容が意味するところを理解するのに数秒の時間を要した。

街との連絡が遅れることはままある。

伝令や調査に派遣した者がやむを得ぬ事情で時間を取られていたり、職務の怠慢や能力不足などが発生していたり、あまり認めたくはないが様々な要因で予定通りに事が進まぬことは物事の常でありクオリアの常だ。

だが揃いも揃って連絡が途絶しているなど通常では考えられない、それも南方州のとりわけ南の地域に集中して……。

「それは……良くない。街に何らかの異変があったなどの報告や噂などは入ってきていますか?」

「いえ、火の手が上がったわけでもなく、人々の命が脅かされているという話でもありません。街や村々がこちらとの接触を避けているというのが実情のようです。伝令も事情を聞く間もなく追い返されてるようで……」

奇妙な報告であった。

いくらアムリタの都市機能が麻痺しており、南方州に対する統制がとれなかったとしてもそこに住まう人々が一斉に反旗を翻す訳では無い。

破滅の王による忘失の呪いもこの街限定で、他の街などには影響が出ていなかったはずだ。

それは最初の調査で判明した事実であり、だからこそクレーエはことさらに部隊を分散させずアムリタの復旧に注力したのだ。

現地にいる神の信徒が、各々の責務を果たして病魔に打ち勝つと信じて……。

「各地への通達は日記の聖女の名を用いて行っているのですよね? 理由なき連絡の放棄は聖女に対する背信。すなわち神への背信となります」

「はい、もちろんその通りです審問官! しかしながら……その、私にはなんとも」

「ああ、これは失礼。貴方を非難したつもりはないのです。これはただ……確認です。小職も少々動揺している」

萎縮する兵士に謝罪の言葉を述べ。クレーエがペンを動かす手を止める。

そのまま深い呼吸を行うが、どうにもうまくいかず浅いため息ばかりがでてしまう。

冷静に物事を把握し推測しようと試みたが、混乱は彼女が持つ許容量を容易に超えている。

白く細長い、クレーエの美しい指先が静かに震えていた。

(エル=ナー精霊契約連合も、各氏族との連絡が途絶えていったと聞いています。これはよくない。状況があまりにも酷似している)

エル=ナー精霊契約連合……すなわちエルフによって運営される善なる国家が魔の手に落ちたのはもはや公然の事実として誰もが知る世界の危機だ。

現在は依り代の聖女がその対策に当たっているが、クオリアの歴史を紐解いても比類する事例が存在しないほどのこの事変は、神の奇跡を持ってしても一向に解決の兆しが見えない。

ただでさえ聖女二人による南方州の離反でクオリアの力は大きくそがれているのだ。

神の名の元に邪悪を打ち払うことはクオリアに課せられた神聖なる責務ではあるが、気力だけで全てが解決できるほど甘くないのもまた事実……。

何らかの手段が必要だ。この劣勢を覆すほどの強力な手段が……。

「主立った聖騎士を招集してください。今後の方針を検討したいと思います」

常に最悪を想定して事に当たるのは、地位と職責、そして人の命を預かる者に必要とされている能力だ。クレーエは連絡の途絶えた土地に住まう人々を想う。

ああ、だがしかし……これほどまで想像したくない最悪など果たしてあろうか?

聖神に祝福され、光り輝く神の国。

覆い被さる影はあまりにも暗く、強大であった。

………

……

「この地を放棄し、中央に帰還します」

クレーエによる宣言を聞いた聖騎士たちの表情に表れたのは、表しようのない困惑と戸惑いであった。

手が離せなかったり重要な作業についていたりする者を除いて、この場にはクレーエと同行してきた調査団の聖騎士全てが集められている。

招集に応じた人数は両手で足りる程であったが、それでも会議の参加者として見ればそれなりの数になる。

その全員がクレーエの言葉に思考が追いつかず、一瞬の空白を必要としたのだ。

彼らの脳裏に浮かぶのは未だ病に伏せっている者たちの苦悶の表情、そして信仰を忘れた迷い子の不安げな表情。

アムリタの再建もようやく一段落ついて次の道筋が見えかけたと言う段階での撤収の通達である。

激憤しなりふり構わず詰め寄らなかっただけでも、彼らが聖騎士としてより高い倫理観と冷静さを有していることがよく分かる。

「イムレイス審問官。一体それはどのような意図があって……。まずは詳しく説明をいただきたい」

「はい。今回の決断の理由は明白です。エル=ナー精霊契約連合においても過去同様の現象が見られていたと報告を数刻前に受けました。セルドーチと周辺の村落は、魔の者の手に落ちたと考えて今後の計画を再編します。我々の目的はあくまで調査。例外的に復興支援を進めておりましたが、もはやこれ以上は職責としても実務能力としても荷が重すぎる」

「恐れながら聖騎士がおります。我らは闇の支配に屈することなく、不断の努力をもって聖なる意思を遂行します」

年若い聖騎士が語気を強めて提言する。その心意気は心地よいものだ。

内に宿す正義の心と他者へ向ける慈しみの心は、まさしく聖騎士の模範とすべきものだった。

だが彼の意見に追従する者が現れなかったことこそが、事態の深刻さを表している。

経験深い者は言葉に出さずとも理解しているのだ。クレーエの言葉にこそ圧倒的な道理があるということを。

だからこそただ己の無力に歯を食いしばることしかできない。

「その考えは良くない。確かに聖騎士は精強でしょう。ですがこの都市においてその聖騎士が一体何人殉職したと思っているのですか? 相手はあまりにも強大な存在。残念ながらこちら側の戦力に不足があるという事実は認めなくてはなりません。勇猛と蛮勇をはき違えることは、恐ろしき結果を招きます」

いの一番に反論を述べた聖騎士は、思わず自分の浅慮を恥じて萎縮する。

だがクレーエとて居丈高に彼に道理を説法する権利などない。

そもそもこの場における一番の責任者は日記の聖女であり、彼女が幼く指揮ができない以上、異端審問官という特殊かつ高位の職位を持つ彼女が部隊の総責任者となっている。

すなわち、本来なら彼女――クレーエこそがこの問題にいち早く気付かなければならなかった。

早い段階でこの事態に気付いていれば、クオリアへの救援や対策が行えたかもしれないのだから。

(残りの聖騎士団に加え、依り代の聖女さまにも出陣して頂く必要性があります。ただ……果たしてそれが可能なのか、善なる勢力はあまりにも無力……このままでは)

中央、そしてクオリアの残る三つの州に残る部隊を動員していれば、このような事態も回避できたのかもしれない。

それどころか依り代の聖女が出てさえくれれば、人々は早くに救われていただろう。

だがそうは出来ぬ理由がある。

現在クオリアの本国はエル=ナー精霊契約連合を支配した別の魔なる勢力への対処で手一杯だ。平時ならともかく、この様な状況下においてはクレーエが望むだけの救援を期待するのは難しいものがある。

むろん、彼女とて手をこまねいていた訳ではない。

私財を投じて民間から傭兵や荷役などを雇って様々な仕事に従事してもらっている。

だが焼け石に水なのだ。

熱く焼けただれた石に細々とかけ続けていた水がようやく効果を出したと思った矢先の不運。

神が与えし試練は、クレーエが想像する以上に重く困難なものだった。

(神よ、どうか我らに道をお示しください)

「…………」

クレーエの黙考の間も、時間は無為に流れていく。

当初は自信に満ちた態度で方向をしていた若い聖騎士の男は、ほんの数分前までの持っていた気勢がまるでどこかに霧散してしまったかのように押し黙っている。

その青ざめた表情からは彼の心中が容易に察せられよう。

彼だけでは無い。その場にいる誰しもが事態の深刻さを否応なしに理解させられていた。

このままでは、またこの地で悲劇が起こってしまうと。

「無論。可能な限り住民の避難は行います。併せて中央へ緊急の救援依頼も行いましょう。ですが、助けを求める民の数はあまりにも多い。それこそ、我々だけでは全てに手を差し伸べることが叶わぬほどに……」

明言はしなかったが、誰しもがクレーエの言葉に含まれる意図を正確に理解していた。

すなわち彼女はこう言いたいのだ。

助けられる者以外は、見捨てることになると……。

到底受け入れがたい言葉に、痛いほどの沈黙が会議の場を支配する。

やがて、数いる聖騎士の中より一つ声が上がる。

視線の先に居るのは、団員の中でももっとも在任歴が長く経験に富む者だ。

「仰ることはごもっともです審問官殿。我々が至らぬばかりに民にいらぬ負担を強いること、まこと不徳のいたすところ。恥じるばかりで弁明もございません。故に、我々はこの地に残らねばならない」

彼らがこのような判断を下すことは予想していた。だがもっとも当たって欲しくは無い推測だった。

クレーエは己がうちにある葛藤を押し殺すように、固く瞳を閉じる。

「その通りです審問官殿。たとえ闇の者たちに抗うこと叶わずとも、ここに守る人々が存在する限り我々に退却の道は残されておりません。その為に命を捧げる覚悟は、聖騎士の洗礼を受けたときにすでの済ませております」

追従するものが出る。

こうなればもはやいくら言葉を重ねたところで説得は難しいだろう。

だがそれでもなお、クレーエは諦めない。

「貴方がた聖騎士は国家の要であり、闇への剣となる存在。この場であたら失って良い存在ではありません。いずれ訪れる邪悪との決戦に、必要となるのです」

百も承知だ。聖騎士たちも、クレーエも、そんな事を初めから十分に承知している。

その上で彼らは引かぬと決めたのだ。固い決意を覆すのは、容易ではない。

「小職は異端審問官として神の意志に従わぬ者を特別に罰する権限を有しています。その対象に例外はなく、貴方たち聖騎士も故あれば処断が可能です」

「で、あってでもですイムレイス審問官。我々は、自らの判断に恥じ入るものがない事を確信しております。神に誓って、如何様な審判も受けましょう。その時間と余裕があれば……ですが」

本来控えるべき、クレーエ自身が強く軽蔑している職権と職位を振りかざした強要。それすら彼らを動かすに至らなかった。

クレーエの持つ鉄面皮に僅かな陰りが差す。

ヒロイックな自己犠牲は時として判断を誤らせる。いや、合理性だけを追求して人々を犠牲にしようとした自分こそが判断を誤っているのか?

クレーエの葛藤に寄り添う者はどこにもいない。

「南方州騎士団長のフィヨルドさまは、私の剣の師でした」

脈絡の無い呟きに、何人かの聖騎士がおもわず首をかしげる。

だが顔をうつむかせたクレーエにその様子は伝わらず、またクレーエ自身も彼らの事を気にかけるでもなく言葉を続ける。

「彼には数々の教えを受けました。偉大で、勇敢で、尊敬すべき人であった。……多くの人に慕われ、多くの人を助け、導いた」

この場にいる誰しもが、フィヨルドの殉職を知っている。

その遺体を回収し、簡易ながら葬送の儀を行ったのは他ならぬ彼らなのだから……。

「どうして貴方がたは……、私の前から……」

いかに高い職位を持ち、いかに神の僕として忠実に職務をこなしていようと、人は所詮人でしかない。

完全完璧な人間という言葉がまやかしであるように、完全無欠の冷徹な審問官という評価もまた、まやかしでしかなかった。

聖騎士たちは、ようやく彼女もまた自分たちと同じ苦しみを抱いているのだと理解する。

「審問官。聖女さまを……リトレインさまをどうか中央へお戻しください。この地には我らがおります。避難する人々の先導を、どうか貴方にお願いしたい」

「小職は……」

慈悲をかけられているという事はよく理解できた。同時にこの判断こそが相容れぬ互いの主張に一定の譲歩を見せる最適解だということもまた理解できた。

彼らの決意を無碍にすることは出来ず、これで本当に良いのか? という焦燥感だけが、心を覆い隠すように暗く冷たく降り積もる。

「冷静なご判断を願います――イムレイス審問官」

冷静沈着な表情とは裏腹に、クレーエの内心にはただただ悲しみしか存在しない。

マイノグーラの指導者であり破滅の王と称されるイラ=タクト。平和な時代に突如降りかかってきた巨悪は彼女達が対峙するにはあまりにも強大であった。