軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八十九話 綾香の閃き

東條家へと続く住宅地の路地を歩きながら、晴翔は先程の祖母の話をずっと考え込んでいた。

祖母の年齢を考えると、普通に新たな職を探し出すのはまず不可能と考えた方が良いだろう。

可能性があるとすれば、彼女の高い料理スキルを評価してもらって、雇ってもらう事だが、そうするための人脈を晴翔は持ち合わせていない。

「やっぱり、俺が働くしかないよな……」

祖母は断固反対してくるだろうが、背に腹は代えられない。

そんな事を考えながら歩いていると、気が付けば見慣れた豪邸の前に辿り着いていた。

夏休み中ずっと通っていたおかげで、どうやら東條邸への道を体が勝手に覚えていたようだ。

晴翔は慣れた手付きでインターホンを押す。

「来たよ」

『晴翔君待ってたよ。今開けるね』

晴翔が短く言うと、インターホン越しに綾香の弾む様な嬉しそうな声が聞こえてくる。

その声に晴翔の不安は、若干ではあるが和らいだ様な気がした。

「いらっしゃい晴翔君!」

すぐに玄関の扉が開き、綾香が満面の笑みと共に姿を現す。彼女はチョンと晴翔の服の袖を摘まむと家の中に招き入れ、そのまま二人はリビングに向かう。

「今日は修一さんも郁恵さんも仕事?」

誰もいないリビングを見渡して晴翔が言う。

「うん。二人とも今日は帰りが遅くなりそう。だから後で涼太のお迎えに行かないといけないんだよね」

「そうなんだ。じゃあ、俺も一緒に行こうかな?」

「ほんと? 晴翔君も一緒にお迎えに来てくれたら涼太凄く喜ぶと思う!」

そんな会話を交わしながら、二人はリビングのソファに並んで腰を下ろす。

ソファに座るや否や、綾香はピッタリと晴翔に体を寄せて、彼の腕を幸せそうに抱き締める。

「やっと晴翔君を補給できる」

「補給って、俺は栄養素じゃないんだから」

「今の私にとって、晴翔君は五大栄養素の一つだもん」

スリスリと晴翔の腕に抱きついたまま、彼の肩に頬ずりして言う綾香。

晴翔は彼女の胸に埋もれてしまっている自身の腕をチラッと一瞥した後に、苦笑を浮かべる。

「今日の学校の様子じゃ、近づくのも難しい感じだったしね」

腕から伝わる感触をなるべく無視しながら、晴翔は努めて平静を装って言う。

「ね。晴翔君がすぐ近くにいるのに話せないのは辛いなぁ」

綺麗な形の眉を下げてションボリする綾香。そんな彼女の髪を晴翔は優しく撫でてあげる。

すると、綾香は気持ちよさそうに、ふにゃりと溶けるような笑みを浮かべ、体重を預けてくる。

幸せに満ちた彼女の表情に、晴翔自身も心が満たされる。しかし、やはり家の心配事が完全に消えることはなく、心の奥底では落ち着かずに、モヤモヤとした不安が渦巻いていた。

祖母に無理を強いるのか、それとも自分が大学進学を諦めて、高校を卒業と同時に働くのか……。

祖母は晴翔にとって、たった一人の大切な家族である。

そんな大切な人に無理を強いることは、彼にとっても辛い事である。しかし、晴翔が働くとしても、祖母に孫を大学に行かせられなかったという罪悪感を背負わせてしまう事になる。

どうすればいいのか……。

「はぁ……」

答えの出ない不安に、晴翔は無意識のうちに小さく溜息を吐いてしまっていた。

すると、晴翔の肩に頭をのせていた綾香が、顔を上げて心配そうな目を向けてくる。

「……晴翔君?」

「あ、いや。ごめん、何でもないよ」

慌てて誤魔化す晴翔は、その表情に笑みを浮べて取り繕う。

しかし、綾香の視線は心配そうなものから変わらない。

「ごめんね。私が学校で余計な事言っちゃったから……」

シュンとした表情で弱々しく言う彼女。

晴翔は、溜息の理由を誤解している彼女の肩をそっと抱き寄せて、できるだけ不安を感じさせないような、柔らかい口調を意識して言う。

「違うよ綾香。今の溜息はそれの事じゃないんだ」

「そうなの? 他に何か不安な事があるの?」

綾香は晴翔を気遣うように尋ねてくる。

そこで晴翔は返答に詰まってしまう。

この問題は大槻家の問題で、綾香に話をしたとしても無駄に心配させてしまうだけじゃないだろうか? 晴翔の頭にはそんな考えが浮かぶ。

「え~っと……いや、ちょっとした問題があって、でも大した事ないから」

「本当?」

誤魔化す様に言う晴翔に、綾香は小さく首を傾げた後、ジッと晴翔の目を覗き込むように見詰めてくる。

完璧ともいえる程に整っている美少女に、至近距離で見詰められ続けた晴翔は、何とも落ち着かない気持ちになり、思わず視線を外す。

「……晴翔君。もし言いたくない事なら、無理に聞いたりはしないけど。でも、もし私に話してもいいなら、晴翔君の悩み、聞きたいな」

少し迷う様な表情を見せた後に、綾香は慎重に言葉を選びながら言う。

あくまで、自分の心配をしてくれている彼女の言葉に、晴翔の心には嬉しさが湧いてくる。しかし、それでもまだ、綾香に話をするべきかどうか、彼の中の迷いは消えない。

そこに、綾香が追い打ちをかけるかのように、言葉を紡ぐ。

「今の晴翔君。凄く不安そうな目をしてる。私が力になれるかどうかは分からないけど。でも、もし話をして不安が少しでも紛れるなら、私に言って?」

そう言った後に、綾香は小さく「私、晴翔君の彼女だし。少しでも力になりたいよ」と健気な言葉を続ける。

自分を気遣う綾香の言葉に、晴翔の心は大きく揺れる。

晴翔が将来大学に進学するのか、それとも働くのか。どちらにするにしても、綾香と付き合い続けていれば、いつかはこの問題を話す時が来るだろう。話すタイミングが早いか遅いかの違いしかない。

心の中の思考がそうなった晴翔は、小さく息を吐き出した後に、彼女に祖母の働き口についての悩みを打ち明けた。

晴翔の話を聞いた綾香は、更に心配そうな表情を深める。

「そうだったんだ……」

「うん……。大学に行くのはお金がかかるし、奨学金だけでなんとかするのも限界があるしね」

「晴翔君、学年トップの成績なのに……」

「ばあちゃんは俺に、絶対に大学に行けって言うんだけどね。もう無理なんてできる年齢じゃないからね……」

晴翔の脳裏に、かつて熱中症で倒れた祖母の姿が思い浮かぶ。

その瞬間に、彼は身体が一気に冷え込む様な恐怖を感じて、小さく体を震わせた。

そんな彼の様子に、綾香はスッと身体を寄せる。

「晴翔君のお婆ちゃんには、長く元気でいて欲しいよね」

「だね。俺にとってはたった一人の家族だし……」

少し弱さを感じさせる声音で小さく言う晴翔。

彼の言葉に、綾香は少し寂し気な表情を見せた後に、先程よりも強くギュッと晴翔の腕を抱き締めた。

懸命に励ましてくれようとしている彼女の姿に、晴翔の表情は少し明るいものとなる。

「ありがとう綾香」

「ううん。なんか私にも出来る事があれば……あッ」

突如、綾香は何かを閃いたかのように目を見開いた。

「ねぇ晴翔君。晴翔君の家庭の事情なんだけど、パパやママに話しても大丈夫だったりする?」

「え? 修一さんと郁恵さん? 別に隠してるわけじゃないから、全然問題はないけど……」

唐突な彼女の話に、晴翔は若干戸惑いを見せる。

対する綾香は、彼の返答に「ありがとう!」と答えると、早速自身のスマホを取り出す。そして、何かのメッセージを書いているのか、高速でスマホをタップしていく。

いったい綾香は何を思い付いたのか。

皆目見当がつかない晴翔は、真剣な表情でスマホを操作する彼女の横顔を眺め続ける。

やがて、綾香のスマホがヴーヴーと振動を始める。どうやら着信が来たようで、彼女はすぐにスマホの画面をタップして、通話に応じた。

「もしもしパパ? うん、そう……うんうん」

どうやら通話の相手は修一のようで、綾香は小さく頷きながら相槌を打つ。

「でね、パパに……え? あ、うん。晴翔君? いま隣にいるよ。うん、分かった」

綾香は一旦スマホから耳を話すと、隣に座る晴翔の方を見る。

「パパが話をしたいって、いいかな?」

「え? う、うん」

晴翔は戸惑いながらも、綾香からスマホを受け取る。

「もしもし、お電話代わりました」

『やぁ、大槻君。綾香から話は聞いたよ。色々と大変そうだね』

「はい……その、心配してくれてありがとうございます」

『うむ。まぁ、君のご家族については、簡単に同情したり中途半端な慰めは逆に失礼になってしまうだろう。だから、私からは残念ですがお疲れ様でした、とだけに止めておくよ』

「すみません。お気遣い感謝します」

晴翔は電話越しの修一に対して頭を下げながら言う。

『でだ。大槻君、今日の予定は何かあったりするかい?』

「いえ、今日は特に何もありません」

『よかった。じゃあ、これから私は一旦家に戻ろうかと思うのだけど、それまで綾香と一緒に家で待っていてくれるかな?』

「え!? でも、修一さんは今日お仕事じゃ……? さきほど綾香が帰りが遅くなると……」

まさかの修一の発言に、晴翔は先程からの戸惑いを更に大きくする。

『うん、大槻君と話をしたらまた会社に戻るよ』

「え? そ、その話というのは?」

『ふふふ。それはね、ビジネスの話だよ』

何とも意味深な感じで修一は言葉を返してくる。

『じゃあ、今から会社を出るから、そうだね……3、40分で家に戻れると思うから。すまないがちょっと待っていてくれ』

「あ、はい……わかりました」

晴翔の返事を確認すると、修一との通話が切れる。

彼は呆然とした表情で、手にしたスマホを綾香に返す。

「パパ、何て?」

「これから家に戻るから3、40分待っててくれって」

「そっか。分かった」

「ねえ。綾香は修一さんになんて言ったの?」

いったい彼女は、自分の両親になんとメッセージを送ったのだろうか。それが気になる晴翔は、綾香と目を合わせて問う。

対する彼女は、少しはにかんだ笑みで彼の問いに答えた。

「まだどうなるか分からないけど。でも、きっとお婆ちゃんにとっても晴翔君にとっても、良い事だと思うんだよね」

そう言った後に、綾香はほんのりと頬を染めて、僅かに恥ずかしさを含めた笑みで、一言付け足す。

「それに、私にとっても良い事だし……」