軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七十七話 けっこんしきちょ金

僅かに空が白む早朝。

晴翔はベッドから上体を起こして一つ大きな伸びをする。いつもとほぼ同じ時間に起きた彼は、ベッドに腰掛けたまま部屋を見渡す。

物心ついた時からずっと過ごしてきた自分の部屋。

いつもと変わらない、何の変哲もないただの自室。

だというのに、なぜか晴翔の目には新鮮な風景として映り込む。

何とも不思議な出来事に、晴翔は小さく首を傾げながら暫し自室の中に視線を漂わせた後、ベッドから立ち上がり窓のカーテンを開いて、外の景色を眺める。

そこで晴翔は気が付いた。

部屋だけじゃない。外の景色も何故だか新鮮な感じがする。

いつも見慣れた窓からの景色のはずなのに、どこか別世界の様に感じてしまう。

何故こんな不思議な事が起きているのか? 晴翔は昨日と今日の違いを考える。

そして、その答えは寝起きの頭でもすぐに判明した。

彼女が出来た。

家事代行のアルバイトで知り合い、心惹かれた女の子。

嘘をついてしまったり、自分の気持ちから目を逸らして、逃げたりもしてしまった。しかし、昨日の夜に全てを打ち明けて自分の心をさらけ出した。その結果、綾香と本物の恋人として付き合う事が出来た。

「彼女が出来るって、すごいな……」

遠くに昇る朝日。その光がとても神々しく見える晴翔は、自身の心境の変化に小さく独白する。

昨日の事を想い出すだけで、綾香が自分の彼女になったという事実だけで、彼の心は天にも昇る様な高鳴りを感じる。

晴翔は何回か深呼吸を繰り返して、何とか平常心に戻ると、日課である早朝勉強を始めた。

今まで心の中に引っ掛かっていたモヤモヤとした感情が無くなったお陰で、彼は最近の中で一番集中して勉強に取り組む事が出来る。

いつもより高い集中力で勉強に精を出して午前を過ごす晴翔。

そして昼を過ぎ、祖母と二人で昼食を食べた後、彼は逸る気持ちを抑えながら、東條家を目指す。

いつもよりも集中して勉強する事が出来たが、ふとした瞬間や一息ついたとき、彼の頭の中には綾香の笑顔が浮かび上がってくる。

何をしている時にも、常に思考の片隅には彼女がいる。

晴翔の中に、完全に綾香の居場所が出来ていた。

この夏休みで通い慣れた、東條家へと続く住宅街を少し早めの速度で歩く晴翔。

通常よりも短い時間で辿り着いてしまった彼は手慣れた手付きで、されども、いつもよりも若干の緊張感を覚えながら、東條家のインターフォンを押す。

『はい! 待ってたよ晴翔君!』

インターフォンから聞こえてくる弾む様な綾香の声。

それを聞いただけで、晴翔の表情は自然と明るいものとなる。

いつもより少し早い鼓動を感じながら晴翔が玄関先で待っていると、すぐに扉が開いて綾香が飛び出してくる。

「いらっしゃい晴翔君!」

綾香は真夏の太陽ですら霞んでしまいそうな笑みを浮かべて、晴翔を出迎える。

「お邪魔します」

今にも抱き着いてきそうな勢いの綾香に、晴翔も抑えきれない笑みを溢しながら答える。

二人は満面の笑みを浮かべながら見つめ合った後に、そっとお互いの腕を絡めて抱き合おうとする。

しかし、その寸前でリビングの扉がバンッと勢いよく開け放たれ、そこから涼太がものすごい勢いで飛び出してきた。

彼は全力ダッシュで突進すると、猛然と姉の横をすり抜けて晴翔の腰にガシッと抱き着く。

「おにいちゃんカレシになったんでしょッ!!」

涼太はこれでもかという程に瞳をキラキラと輝かせて、晴翔を見上げながら弾む声で言う。

「あとはおかねがあれば、おねぇちゃんとけっこんできるねッ!」

「そ、そうだね……」

晴翔は喜色満面の涼太の勢いに押され、反論する事が出来ずに苦笑を浮かべながら頷く。

肯定する様な晴翔の反応に涼太は更に表情を輝かせる。

そんな弟の様子に、綾香は少し首を傾げて晴翔の方を見る。

「お金? どういう事?」

不思議そうな、しかし弟の『けっこん』という言葉に若干頬を染めた様子の彼女。晴翔はその表情に苦笑を浮かべたまま綾香に、温泉で修一に言われたことを話す。

「実は、キャンプで温泉に入ってるときに、修一さんが涼太君に結婚にはお金が必要だって説明して……」

涼太が晴翔に、綾香と結婚する様に迫った時、言い逃れに困った晴翔を助ける為、修一が『結婚できないのはお金が無いから』と説明して涼太を納得させていた。

「そうだったんだ……。ごめんね、パパが変な事言っちゃって」

説明を聞いて、言葉では謝罪しつつも表情はどこか楽しそうな彼女。

晴翔は相変わらず可愛らしく魅力的な綾香に、若干頬を染め僅かに視線を逸らす。

「いや、でも……そこまで、変な事でも、無いというか、まぁ……うん」

「え? あ、そ、そっか……」

恥ずかしがりながらも、そこまで否定的ではない晴翔に、綾香もサッと顔を赤くしてモジモジと無意味に自身の両手を握ったりする。

と、そこで涼太が何かを思い出したかのようにパッと晴翔から離れた。

「そうだッ!! ぼく、おにいちゃんに見せたいものがあるんだ!」

そう言うと、涼太は再び凄い勢いで走り出してリビングの方へと姿を消した。

その背中を眺めながら、晴翔は微笑まし気な笑みを浮かべて言う。

「相変わらず涼太君は元気一杯だね」

「朝に晴翔君が私の彼氏になったって知った時は、もっとはしゃいでたけどね」

「それは、大変だったね」

晴翔はその時の涼太の様子を想像して、綾香に同情しつつも、そこまで喜んでくれたという事に、胸の中が温かくなる。

「ママも晴翔君の事を心待ちにしてるから上がって」

そう言い綾香は軽く晴翔の腕を引いて、家の中に招き入れる。

先程からずっと、嬉しそうな雰囲気をまとっている綾香の後に続いて晴翔は東條家へ上がり、そのままリビングへと向かう。

リビングでは、ダイニングテーブルでパソコンを開けて郁恵がテレワークをしていた。

「あら、いらっしゃい大槻君」

彼女は、晴翔がリビングに入ってくると、パソコンから視線を上げてニッコリと笑みを浮かべる。

「お邪魔します」

挨拶と共に頭を下げる晴翔は、緊張を紛らわす様に一旦乾いた唇を軽く噛んでから口を開く。

「あの、郁恵さん。その……報告したい事がありまして」

「あら? なになに?」

軽く首を傾げる郁恵は、更にニッコリとした笑みを深めながら、楽しそうに瞳を輝かせて晴翔を見詰める。

その様子から、おそらく既に綾香から話は聞いているだろうと察する晴翔。

「えーと、実は、俺……綾香さんの事が好きで、昨日の夜に告白をしまして、それで、綾香さんとお付き合いをさせて頂きたく思っておりまして」

今まで家事代行で接してきて、郁恵とは大分打ち解けてきたと晴翔は感じている。しかし、それでも恋人の親として、その交際の許可というか報告をするのは、独特の緊張感があり、その緊張から彼は少し変な敬語で話してしまう。

その緊張感が郁恵には面白く映ったのか、彼女は「ふふ」と小さく笑いを溢す。

「そうなの! 素敵な事ね! これから、うちの娘をよろしくね大槻君!」

「はい! 精一杯頑張ります」

郁恵の反応に少しは緊張を和らげる晴翔だが、まだ少し硬さの残る様な返事をする。

隣では、晴翔と郁恵のやり取りを見守っていた綾香が、嬉しい様な恥ずかしい様な表情で、耳を赤くしていた。

郁恵は柔らかな笑みを浮かべたまま、晴翔の隣に立つ娘に視線を向ける。

「綾香はこう見えて、結構甘えん坊だから、大槻君を困らせちゃう事もあるかもしれないけど、素直で優しい所もある子だから」

「ちょッ!? ママ!! 変な事言わないでよ!!」

母の言葉に慌てて声を上げる綾香。

もう見慣れてきた東條家の母と娘のやり取りに、晴翔も楽し気に笑みを浮かべた。

「綾香さんに甘えられるのは、彼氏として男冥利に尽きるというものです。それに彼女の良いところは、この短い間だけでも沢山見つける事が出来ました」

「晴翔君……」

晴翔がそう言うと、綾香は郁恵を睨むのを止めて、若干潤んだ様な瞳で隣の彼氏を見詰める。

一瞬にして甘い雰囲気に包まれた二人に、郁恵は「あらあらまぁまぁ」と頬に手を添えてニマニマと口角を上げる。

「綾香、良かったわねぇ」

「う、うん……」

綾香は恥ずかしそうにしながらも、喜びに満ちた様に頷く。

そこに、先程ダッシュで姿を消した涼太が、再び物凄い勢いで晴翔達の前に駆け寄って来た。

「おにいちゃん! おねぇちゃん! これ見てッ!! ねぇ見て見て!!」

涼太は楽しそうにはしゃぎながら、両手に持っている物をブンブンと晴翔達の目の前で振り回す。

「涼太、少し落ち着いて。そんな近くで振り回されても、何か分からないわよ」

綾香はそう言って、一旦弟を落ち着かせようとする。

対する涼太は、手に持っている物を振り回すのを止めはしたが、ワクワクが収まらないようで、小さく体が上下にひょこひょこ動いている。

「涼太君、何を作ってくれたんだい?」

晴翔は腰を落として、涼太と視線を合わせながら尋ねる。

彼が手に持っているのは、何やら牛乳パックに色紙を巻いて工作した物のようである。

晴翔に聞かれた涼太は、誇らしげな顔と共に、両手で持っている物を晴翔の目に前に突き出す。

「僕が手づくりしたんだよッ!!」

そう言う涼太の両手に掴まれている工作物。

晴翔の予想通り、それは牛乳パックの様な箱に白色の色紙が巻いてあるものだった。そして、その箱の中央部には小銭が入りそうな程度の細長い穴があけられていて、その穴を挟むように、クレヨンで絵が描かれていた。

涼太はその絵を指差しながら、一生懸命に説明をする。

「これはね、おにいちゃんだよ! けっこんしきだから、たきしーどを着てるんだ! で、こっちがおねえちゃん! おねちゃんはうぇでぃんぐドレスを着てるよ!」

涼太は何とも楽しそうに、今度は箱をひっくり返して穴が開いている面とは逆の面を晴翔達に見せる。

そこにはクレヨンで『おにいちゃんとおねえちゃんのけっこんしきちょ金』と書かれていた。その文字の隣には、教会らしき建物も描かれている。

「おにいちゃんとおねえちゃんが早くけっこんできるように、僕もこれから頑張ってこれにお金ためるんだ!」

ニコニコと笑みを浮かべながら話す涼太。

その姿が、まるで天使の如く純粋で愛らしく思える晴翔は、堪らずに涼太を抱き締める。

「ありがとう涼太君。でも、あんまり無理しないようにね?」

「うん! でも僕、早くおにいちゃんに、本当のおにいちゃんになってほしいから」

無邪気な笑顔で言う涼太。

かなり暴走気味の弟の姿に、綾香は苦笑を浮かべながらも、満更でもないといった様子で優しく彼の頭を撫でる。

「涼太、ありがとう」

「僕、おねえちゃんもおにいちゃんも大好きだから、早くみんなで家族になりたいんだ」

そんな未来を想像しているのか、ワクワクと弾むように話す涼太の姿に、全員が微笑ましい表情を浮かべた。