軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第六十一話 東條綾香の恋④

私は部屋の姿見の前で、今日何度目かの身だしなみチェックをする。

「うん、大丈夫。おかしなところはないよね?」

体を捻ったりして後ろ姿も確認しながら、私は自分に言い聞かせるように言う。

トップスに白のブラウスを着て、パステルカラーのスカートを合わせて清楚な印象のコーディネートを意識してみた。

今日は晴翔君のお婆ちゃんに会う日。

晴翔君に偽の彼女になるって言ってから、初めて会う。

ふぅ、緊張するなぁ……。

お婆ちゃんとは、晴翔君の看病の時に一度会ってる。その時は、とても優しくしてくれて良い人だなって印象だったけど。

もし、彼女が嘘だっていうのがバレたら、流石に怒られるかな?

その時の事を想像して、私は小さく体を震わせる。

でも、逆にここで晴翔君のお婆ちゃんに気に入ってもらえたら、とても強力な味方になってくれる気がする。

そうなれば、晴翔君から告白してもらえる可能性もぐっと上がるはずッ!

「よ、よし! がんばるぞ!」

気合いを入れて私は部屋から出る。

出掛ける事を伝えようと一旦リビングに行くと、パパが涼太と一緒に遊んでいた。

今日はママが会社に出社して、パパが家でリモートワークをしている。

「パパ、ちょっと出掛けてくるよ」

「お、そうかい」

玩具の剣で涼太とチャンバラ遊びをしていたパパは、涼太から視線を外して私を見る。

「帰りは遅くなりそうかい?」

「ううん。夕方には帰ってくるよ」

「遅くなりそうだったら、連絡するんだよ?」

「うん分かった。じゃあ行ってきます」

片手を振って私がリビングから出ると、背中から涼太の「隙ありッ!」という鋭い声が聞こえてきて、その後すぐにパパの「ぐはぁ! やられた~」という断末魔の叫びが響いた。

どうやらパパは涼太に討ち取られちゃったみたい。

私は背後から聞こえてくる愉快な家族の会話に、ちょっとだけ緊張を和らげて外に出る。

住宅街を通り抜けて大きな通りに出ると、その通りに沿って暫く歩いていく。すると目の前に有名コーヒーチェーン店が見えてくる。

「晴翔君いるかな?」

最初私は、直接彼の家に向かおうとしたんだけど、それは申し訳ないって晴翔君が言って、近くにあるコーヒーチェーン店で待ち合わせする事にした。

お店の方に視線を向けると、目的の人物は直ぐに見つかった。

晴翔君はお店前の車止めのポールに腰掛けながら、スマホを眺めていた。

その姿を視界に捉えた途端に、私の顔は勝手に笑顔になって、吸い込まれるように駆け足で彼の元に向かって行っちゃう。

「晴翔君、ごめん待たせちゃった?」

「いや、全然。さっき来たばっかりだから」

晴翔君はスマホから視線を上げると、優し気な笑みを私に向けてくれる。

家事代行で晴翔君が家に来るようになって、いろんな彼の表情を見れたけど、その中でも私はこの笑顔が一番好き。

晴翔君の優しい笑顔を見たら、どんなに気分が落ち込んでいても一瞬で明るくなっちゃう気がする。

いつか晴翔君の写真とか撮れたら良いなぁ。

でも私のスマホにそんなのが入ってたら、きっと一日中眺めちゃって、他の事が手に付かなくなっちゃいそう。

そんな事を考えていると、晴翔君の視線が私の手元に向く。

「綾香、それは?」

「あ、これはね。やっぱり手ぶらで行くのは失礼かなと思って」

私は手に持っている紙袋をちょこっと持ち上げて言う。

中には焼菓子の詰め合わせが入っている。本当はケーキとかのスイーツ系にしようと思ったんだけど、この暑さだったらすぐに痛んじゃいそうで、無難に日持ちするものを選んだ。

「ごめん、気を遣わせちゃったね」

「ううん! 全然だよ。気にしないで」

お婆ちゃんに少しでも良い印象を与えないと。晴翔君に振り向いてもらう為に!

晴翔君と限定味アイス探しのデートをしてから、私の心に少なくない焦りの感情が芽生えちゃってる。

その原因は、彼の親友である赤城君の妹さん、遥ちゃんの存在だ。

駅前のデパートで遭遇した時、遥ちゃんを観て私は直感した。

あ、この子晴翔君の事好きなんだって。

晴翔君は遥ちゃんの事を妹みたいな存在って言ってるけど、それが何かのきっかけで恋心に変わる可能性だって十分にある。

どんなきっかけで恋に落ちるかなんて予測不能なんだから。

自分自身が晴翔君に恋をして、つくづくそれを実感してる。

まさか私が、家事代行で来てくれたクラスメイトに、ここまで心を奪われるなんて夢にも思っていなかった。

今じゃもう、彼と会えない時は『今何してるかな?』って思いながらぼーっとしちゃったり。家事代行で来てくれてるときは、同じ家にいるっていうだけでドキドキしちゃって、どうやったら自然に話しかけられるかなとか、晴翔君と共通の話題は無いかなってずっと考えちゃってる。

そして、私の部屋で二人っきりで恋人の練習をしている時は、もう幸せ過ぎて、身体が宙に浮いちゃうんじゃないかなって位にフワフワしちゃってる。

今年の夏休みは、毎日がドキドキで、楽しくて、次の日が来るのが待ち遠しくて、でも過ぎ去っていく日々に切なさも感じちゃって。

本当に今までとは全然違う夏を過ごしている。

そうなっちゃってる原因である目の前の男の子は、相変わらず私の視線を奪う様な優しい笑みを浮かべて、手を差し出してくれる。

「じゃあ、行こっか」

「うん!」

私は彼が手を差し出してくれたことに嬉しさが湧き上がって、思わず飛びつく様に彼の手を握ってしまう。

今までは、練習として恋人のフリをしてきた。でも今日は、大槻君のお婆ちゃんの前では、私は彼の本物の彼女になれる。

今までの練習の成果を発揮して、精一杯に晴翔君の理想の彼女を演じる事が出来る。

まぁ、演じるといっても、私の場合はもう晴翔君に惚れちゃってるから、彼の事が好きっていう感情をそのまま出せばいいんだけどね。

そんな事を考えながら、晴翔君と並んで歩いていると、すぐに彼の家に到着した。

以前、晴翔君の看病で来た時と同じ、少しだけ築年数を感じる一般的な一軒家。けど、私にとっては好きな人の家という特別な場所。

晴翔君は一旦私の手を離すと、玄関の扉を開けてくれる。

「ありがとう」

お礼を言いながら玄関の扉をくぐって晴翔君の家にお邪魔する。

前来た時も感じたけど、やっぱり家の中はほんのりと晴翔君の香りがして、私は無意識のうちに小さく深呼吸してしまう。

「ばあちゃん、ただいま。綾香が来てくれたよ」

晴翔君は玄関の扉を閉めながら、居間の方に向かって声を掛ける。

するとすぐに、お婆ちゃんが玄関までくる。

「あら、綾香さんいらっしゃい」

「こんにちは。あの、これつまらないものですけど」

私は手に持っていた焼菓子の入った紙袋をお婆ちゃんに手渡した。

「あらあら! ご丁寧にどうもありがとう。外暑かったでしょう? あがってゆっくりして頂戴ね」

そう言ってお婆ちゃんは私用にスリッパを用意してくれる。

私は「ありがとうございます」と頭を下げてスリッパに足を通す。

前来たときは、玄関からそのまま二階にある晴翔君の部屋に向かったけど、今回は彼の部屋じゃなくて居間の方に通された。

「座って楽にしててね。今、お茶を淹れてくるからねぇ」

「あ、はい。ありがとうございます」

私が頭を下げてお礼をすると、お婆ちゃんはニッコリと笑いながら台所の方に消えていく。

「狭いと思うけど、好きな所に座って」

そう言う晴翔君に私は全力で首を横に振る。

「ううん、全然狭くないよ。素敵な家だと思う!」

確かに、私の家のリビングと比べたら、面積だけで考えれば晴翔君の家の居間は狭いのかもしれない。

でもそれを不快に思う事なんて絶対に無い。

むしろ、もっと狭くても私は大歓迎。だってその方が、晴翔君と自然な感じでくっ付けるしね。

そんな事を考えていると、晴翔君がテーブル前のクッションに腰を下ろす。

それを見て私も晴翔君の隣に敷いてあるクッションに腰を下ろした。

出来るだけ本物の彼女に見えるように、隣の晴翔君にピッタリと身を寄せて正座する。

「……えと、あまり密着しすぎると暑くならない? ほら、家のエアコンちょっと古いタイプでそこまで家の中涼しくないし」

「大丈夫だよ。それよりも、ちゃんと仲の良い恋人同士っていうのをアピールしないと、お婆ちゃんに嘘がばれちゃうよ」

私は台所にいるお婆ちゃんに聞こえないように、声を落として晴翔君の耳元で囁く。

「そ、そっか……ありがとう」

少し顔を赤くして恥ずかしそうにお礼を言ってくる晴翔君が可愛くって、私は「ふふ」と小さく笑みを浮かべる。

今みたいに、晴翔君が照れたりして顔を赤くしたりすると、私の心には何とも言い難い幸福感や満足感みたいなものが溢れてくる。

だって、晴翔君がそういう反応をするって事は、私の事を意識してるって事だもんね?

可愛く赤面している晴翔君の横顔を私は幸せな気持ちで眺めてると、お盆に湯呑と私が買ってきた焼き菓子を添えてお婆ちゃんが居間に戻って来た。

「あらまぁ。仲が良くていいわねぇ」

お婆ちゃんはピッタリと寄り添って座る私と晴翔君を見て、幸せそうな表情で言う。その言葉に、私もちょっとむず痒いような恥ずかしさを感じちゃう。

「晴翔や。本当に綾香さんは可愛らしくていい彼女さんだねぇ」

「そりゃ、綾香は、その……世界一の彼女だよ」

「ふぁ……あ、ありがとう晴翔君」

世界一! 私は晴翔君にとって世界一なんだ!

もちろん、今の晴翔君の言葉は、私が偽物の恋人であるという前提での発言だ。分かってる。頭ではちゃんと理解してる。

けど、心が勝手に喜んじゃう。

私の理性なんてそっちのけで、勝手に幸せな気持ちになってしまう。

きっと今の私は、だらしなく緩んだ笑顔を浮かべちゃってるかもしれない。そんな表情、お婆ちゃんに見せるわけにはいかないけど、何故だかほっぺたに全然力が入らない。

「まぁまぁ、仲睦まじくて何よりだねぇ」

そう言いながら、お婆ちゃんは私達の前にお茶とお菓子を置いてくれる。

私は「ありがとうございます。頂きます」と一口お茶を啜る。

「綾香さん」

「はい」

「晴翔はちゃんとやっているかい? 綾香さんを悲しませたり、ないがしろにしたりしていないかい?」

お婆ちゃんの言葉に私は大きく首を横に振って、満面の笑みを浮かべて答える。

「晴翔君は私にとって、世界一の最高の彼氏ですッ!!」

自分の発言に恥ずかしくなって、耳が熱くなる。

けど今の言葉は、私の心からの言葉。

もし本当に晴翔君が私の彼氏になってくれたら、世界一最高の彼氏になるのはもう確定してるんだから。