軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百二十四話 幸せの素

テストの打ち上げでカラオケに行った翌日。

晴翔はカーテン越しに柔らかな朝日の光を感じて、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

夏休み明けから始まった東條家での生活も幾分か慣れてきた晴翔。

彼は上体を起こして一つ大きな伸びをすると、ベッドから抜け出してそのまま部屋を出る。

一階の洗面台で洗顔と歯磨きを済ませた晴翔は、再び部屋に戻り日課である早朝勉強を始める。

まだ誰も起きていない、静寂に包まれている東條家。

机の上に広げた参考書のページをめくる音と、ノートの上を走るペンの音が部屋の中に微かに響く。

勉強に集中して一時間ほどが経過した時、晴翔はペンの動きを止めて伸びをする。

「ん~……よし。今日はここまでにするか」

彼は机の上を整理すると、朝食の準備をする為にキッチンへと向かった。

そこにはすでに祖母の清子がいて、東條家に自分達を含めた六人分の朝食を作り始めていた。

「おはよう。ばあちゃん」

「おはよう。晴翔」

晴翔は清子と挨拶を交わすと、彼女の隣に立って、まな板の横に置いてあったキュウリを包丁の腹で叩く。

長年祖母の隣に立って料理をしてきた晴翔は、置かれている食材と調味料だけでなんとなく何を作ろうとしているのか察する事が出来る。

彼は叩いて砕いたキュウリに梅肉と調味料を加え、袋に移して揉み込んでいく。

「ばあちゃん、今日の味噌汁の具材は何にする?」

「今日はなめこのお味噌汁にしようと思っているよ」

清子は、昨日の麻婆ナスで使い切れなかったナスを多めの油で炒めながら言う。

「郁恵さんから、涼太君はなめこのお味噌汁が好きって聞いたからね」

「それは初耳だったな。涼太君、なめこ好きだったのか」

家事代行のアルバイトを通して、東條家全員の食の好みを把握していたつもりの晴翔だったが、まだまだだったようだ。

ちなみに、修一はお酒のつまみになりそうな濃いめの味付けが好みで、郁恵はお酢やレモン汁などを使った酸味のある料理と、ピリ辛な味付けが好みだったりする。

綾香は基本的に何でも『美味しい!』と表情を輝かせて食べてくれるが、その中でも、煮付けなどの料理を少し甘めにしてあげると、幸せそうな顔を見る事が出来る。

「それじゃあ、なめこの味噌汁を作るかな」

ナスの煮浸しを作っている清子に代わって、晴翔が味噌汁を作ろうとした時、リビングの扉が開いて綾香がやって来た。

「あ、おはよう晴翔君。清子さんもおはようございます」

「おはよう綾香さん」

「綾香、おはよう。今日は早いね?」

予め取っておいた出汁が入った鍋を持った晴翔がそう言うと、綾香は少し恥ずかしそうに言葉を返す。

「うん。あのね……もしよければ、私もこれからは、お料理のお手伝いをしたいなって思って。毎回清子さんにお料理をお任せするのも申し訳ないし……」

「あらまぁ、綾香さんったら、そんな事気にしなくていいんだよ?」

祖母はナスの焼け具合を見ていた視線を上げて、ニッコリと綾香に微笑む。

「ここで働かせて貰っているだけで、私はとっても感謝しているのだから、気にしないでゆっくりとしていてちょうだいね」

「あ、あの……実は、その……お料理をお手伝いしたい理由は他にもあって……」

綾香はモジモジと手を合わせながら、チラッと晴翔の方に一瞬目を向ける。その後に、ほんのりと頬を赤く染めて言う。

「私も、清子さんのお料理の味を覚えたいなって……。それで、いつか晴翔君に私の作ったお料理を食べて欲しいなぁ、なんて思ってて」

恥じらいながらも、なんとも健気な事を言う綾香に、清子は感動で目を見開く。

「まぁ! まぁ! 晴翔や! 聞いたかい!! なんて素晴らしい彼女さんなんだい綾香さんは!!」

「ば、ばあちゃん落ち着いて、あまり興奮すると体に良くないよ」

興奮で鼻息が荒くなっている清子を晴翔は両手で宥める。

「綾香さん! そう言う事なら是非、料理を教えさせてください!」

清子は綾香のもとまで行くと、彼女の手を取って逆にお願いするように頭を下げる。

それに対して、綾香も慌てて頭を下げた。

「こちらこそ宜しくお願いします! 清子さんの味に少しでも近づけるように頑張ります!」

綾香と清子はガシッと硬い握手を交わすと、早速一緒にナスの煮浸しを作っていく。

懇切丁寧に料理のコツや味付けのポイントを説明する清子。それを綾香は、とても真剣な表情で聞いて頷き、時々実際に彼女自身がやったりして料理を清子から学んでいく。

そんな綾香の様子を晴翔がなめこの味噌汁を作りながらチラッと窺うと、真面目な眼差しの彼女とふと視線が絡んだ。

途端、綾香はふわりと柔らかな笑みを見せる。

「待っててね晴翔君。いつか晴翔君の胃袋を掴んじゃうんだから」

「ッ……楽しみにしてるよ」

不意打ち気味な綾香の言葉に、晴翔の胸はバクンと高鳴る。

彼はニヤけてしまいそうになる口元を必死に堪えながら、なめこの味噌汁を作った。

―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―…―

東條家と大槻家の六人で囲むダイニングテーブル。

修一はナスの煮浸しを一口食べて大きく頷く。

「朝から美味しい料理を食べると活力がみなぎるね」

そんな彼の言葉に、清子が微笑む。

「その煮浸しは、綾香さんも手伝ってくれたんですよ」

「なんと、そうでしたか! 綾香、とっても美味しいよ」

「あ、ありがとう。でも私が手伝ったのはほんの少しで、ほとんど清子さんが作ったんだけどね」

褒める修一に、綾香は照れながら答える。そんな娘の様子に郁恵がニンマリと笑みを広げた。

「清子さんからお料理を教わって綾香ったら、将来の旦那さんの胃袋を掴みたいのかしら?」

「そ、それは……いつか私だって結婚はするだろうし……その時に料理は出来た方が良いでしょ?」

顔を赤く染めながらも、そう言い返してくる娘に、郁恵はからかいの表情を少し引っ込めて微笑まし気に言う。

「そうねぇ。お料理は円満な夫婦生活の為にも、とても重要なのよね。ね、あなた?」

「そうだね。まぁ、お父さんは料理が苦手で、その分お母さんには苦労をかけてしまったけどね」

「イカ墨パスタを作ってくれたと思ったら、ただの焦げたナポリタンだったときは驚いちゃったわ」

「あははは、そんな事もあったね」

昔の失敗エピソードに、修一は大きな笑い声を上げる。そんな父親を綾香は呆れたような表情で見詰める。

「パパ……それは失敗し過ぎじゃない?」

「いやぁ、あの頃住んでいたアパートはガスコンロだったんだけどね。やっぱり高火力というのは男のロマンじゃないか。晴翔君ならこの気持ちわかってくれるだろう?」

突如話を振られた晴翔は、一瞬困ったような表情を浮かべるが、すぐに笑顔で掻き消す。

「ですね。中華料理とかの調理動画を見ると格好良いなって思いますよね」

「そう! そうなんだよ! 立ち上がる火柱の中で激しく動く鉄鍋! 宙を舞う食材達! あれぞまさしく男のロマンだ!」

「火柱って……パパが作ってたのはナポリタンでしょ……」

再度呆れた表情で『やれやれ』と溜息を吐く綾香。

父と娘のやり取りに、郁恵は「うふふ」と微笑みながら清子に尋ねる。

「清子さん。綾香の料理の素質はどうでしょうか?」

「綾香さんは要領も良くて飲み込みも早いので、すぐに上達すると思いますよ」

愉快な東條家の会話を聞きながら、相好を崩して答える清子。

「良かったわね綾香。パパの料理下手が遺伝しなくて」

「いや、パパのは料理下手というか、変なロマンを料理に求めてるからでしょ?」

「綾香、料理に男のロマンは必須だよ?」

「そう言うところよパパ」

晴翔は綾香達の会話に思わずクスッと笑みを溢しながら、隣でなめこの味噌汁に「ふ~」と息を吹きかけて冷ましている涼太を見る。

「涼太君、なめこの味噌汁好きなんだね」

「うん、僕これ好き!」

「少しヌルヌルしているのは気にならないの?」

晴翔の勝手なイメージで、なめこは小さい子供にはあまり好かれない、というイメージがあった。

しかし、涼太は晴翔の言葉に少し背伸びしたような笑みを浮かべる。

「ふっふっふ。おにいちゃん、なめこのお味噌汁はね、このヌルヌルが良いんだよ?」

涼太の少し大人びた言い回しが晴翔の笑いのツボにはまり、彼は堪らず笑ってしまった。

「ははは、そうだね。なめこのお味噌汁はヌルヌルがないと駄目だよね」

「そうだよおにいちゃん」

『うんうん』と頷く涼太は、更に何度か「ふ~」と息を吹きかけて味噌汁を冷ました後、美味しそうになめこの味噌汁を飲む。

その涼太の笑顔を見て、晴翔も幸せな気持ちになった。

なめこは、塩もみなどをしてぬめりを無くす事も出来る。だが、そうするとせっかくの風味も無くなってしまう。なので、敢えてぬめりを残して味噌汁を作ったが、そうして正解だったと、晴翔は自画自賛する。

晴翔が涼太と一緒に味噌汁を飲んで「美味しいね」と笑顔を交わしていると、郁恵が晴翔と綾香の二人を見ながら話し掛けてきた。

「そう言えば、今日は二人は何時頃に帰ってくるのかしら? 夜ご飯は食べてくる?」

「ううん、夜ご飯までには帰ってくる予定だよ。ね、晴翔君」

「はい、恐らく夕方くらいには帰ってこようと思います」

今日、晴翔と綾香はデートに行く予定になっている。

デート先は、水族館と遊園地が併設されているテーマパークで、東條家からは少し遠い場所にある。

だが、夕食までには帰ってくると答える二人に、清子が頷く。

「じゃあ、いつも通り夕飯は六人分用意しておきますね」

そう清子が言うと、修一が申し訳なさそうに彼女の方を見た。

「すみません清子さん。今日は仕事が遅くなりそうで、私の分は無くて大丈夫です」

「あら、そうなんですか? それでしたら作り置きしておきましょうか?」

「いえいえ、帰りが何時になるか分からないので、今日は外で食べてこようと思っていまして」

「そうですか……分かりました。では今日の夕食は五人分ですね」

「すみません」

清子に対して頭を下げる修一に綾香が心配そうな視線を向ける。

「パパ、今日も仕事なの?」

「うん、ちょっと大事な案件が山場でね」

ここ最近、土日でも会社に行く事が多い父親を案ずるような娘の視線に、修一はニコっと笑みを浮かべた。

「上手く事が運べば今日で一区切りつく。そうすれば暫くゆっくり出来るよ」

「そう……お仕事頑張ってねパパ」

「もちろんだとも!」

綾香の言葉に修一はグッと拳を握って見せた。

その後も東條家と大槻家の六人は、時折笑い声を交えながら明るい朝食を楽しんだ。