作品タイトル不明
4 聖人への価値観
(って、いけないいけない。何でも物語にして考えちゃダメよね。それで失敗しているんだから。油断してこの子まで死んじゃったら寝覚めが悪すぎる)
幽霊だから眠れないので、寝覚めのいい悪いもないのだけれど。
心の中の言い分は誰も傷つけない。一人ブラックジョークだ。
(花嫁が逃げた……そうだよね。やっぱり五番目は嫌だよね。曰くありすぎだし、流れ的に自分が五番目の花嫁じゃなくて五番目の被害者になると察するというか)
余程鈍くなければ察する。
察して、逃げだしたのが本来の花嫁らしい。生存本能としては褒めたい。よくぞ逃げた。
(で、探しても見付からなかった。もしくは時間がなくて、侍女のこの子を身代わりの花嫁に……って、身分詐称で捕まっちゃうじゃん)
その辺りを問いかけてみたら、即席で養子にされたらしい。申請の書類と同時に嫁がされたという。
やっつけ仕事過ぎる。その書類、受理された?
(色々おかしい。普通に考えて、平民の子を侯爵家に嫁がせるなんて。普通は通用しないよ? これは聖人の血筋をどうしても増やしたい教会が、誰でもいいから旦那様に女を宛がおうとしている? それとも誤魔化せていて発覚していない? 侯爵家の妻になるなら、私の時みたいに下調べや調整を行ったはずなのに?)
ヴィニカリスの叡智と有名になったから選ばれたアイヴィーは、噂に違わぬ人柄かどうかしっかり調べられていた。教会も王家もこちらの外堀を埋め立てて逃げ場をなくしていた。
だから、身代わりなんてすぐバレるはずなのに。
色々と気になる点はあるが、クインティーナが嘘をついているようには見えない。すっかり怯えてしまっている。
そんな姿を見て、不可解だが一つだけ確信した事がある。
『あなた、自分が聖人だと知られたくないのね?』
アイヴィーの確信の籠もった言葉に、クインティーナは血の気の引いた顔を上げた。
死者(アイヴィー) としっかり合う視線。届く声。
クインティーナは間違いなく、聖人の条件を満たしている。
幼い頃に親と死別したなら、一人で生きていくのは苦難の連続だっただろう。生きる為に、教会で保護を求めてもおかしくない。
なのに、それをせず侍女として働いていたのなら。
彼女は意図して聖人である事を隠していた。
聖人の条件を知らないはずがない。教会の教えは、寝物語として世に浸透している。
知らなかったとしても、人と違うものが見えていれば言動に出る。自然と周囲に知られるだろう。それがないなら、隠す意志があって行動していたのだ。
『あなたが自分は聖人だと言えば、身代わりにされる事はまずなかった。なかったけれど、代わりに教会へ連れて行かれた』
聖人は教会で保護されるのが決まりだ。
聖人を保護し、教会へ導いた者にも褒賞が与えられる。娘の身代わりに侍女を差し出すような相手でも、そのまま結婚させる事はなかったはずだ。むしろ、娘の出奔を誤魔化す為にも必死で教会へ媚びを売っただろう。
しかしそれをしなかった。できなかった。
クインティーナが聖人である事を隠していたから。
『あなた、身代わりで結婚させられるより、聖人として保護される方が嫌だったのね』
「……っ」
『それは、夫が殺人鬼だとわかった今でも変わらない? 殺されてしまうかもしれないのよ』
アイヴィーは自分の胸元に触れた。
赤黒い胸元は、アイヴィーの最期の姿だ。
アイヴィーの姿を見たからこそ、クインティーナはニリスが殺人鬼だと理解したはず。被害者からの声を直接聞いたのだ。疑惑からの確定である。
そんな彼から逃げるなら、聖人であると証明するのが一番だ。教会はいつだって、聖人の存在を探し求めている。
……聖人ならばと婚姻を続行させる可能性もあるが、聖人だからこそ、証拠がなくても 被害者(アイヴィー) の声を届け、ニリスの犯行を告発できる一番の証言者だ。
「死にたくない、です」
クインティーナは震える声で、アイヴィーに訴えた。
「だから、聖人にはなりたくない……!」
(――やっぱりね)
聖人が教会で保護され、誰よりも敬われる理由。
それが聖人のお役目。
――神に近い存在として、国に危機が迫った時。人々の声を届ける為に 肉(・) 体(・) を(・) 捨(・) て(・) て(・) 天に御座す神の元へ昇る 伝言役(メッセンジャー) となる。
つまり、自然災害や飢饉が起きた時、人々の懇願を神へ届ける為に――死ぬのだ。
それが聖人として最大のお役目。
権威者が聖人の不在を恐れるのは、いざという時の 伝言役(メッセンジャー) の不在が恐ろしいからだ。
信仰心が深ければ深いほどそのお役目は神聖視され、神への謁見がかなう聖人を羨ましく思う者もいるという。
前世の記憶があるアイヴィーには相容れない宗教観だった。
この国では聖人の犠牲は犠牲ではない。信仰と文化から、聖人の死は悲劇ではなく使命なのだ。
(この子は、歪んだ宗教観に洗脳されていないみたいね)
アイヴィーの感覚として聖人の価値観は洗脳だが、時代や国によって価値観は変わる。この場合、おかしいのはアイヴィーの方だ。
教会の教えが染みついたこの国で、何より尊いとされる聖人の役目への忌避感は、珍しい。
聖人に選ばれるのは名誉。お役目を果たすのは神との謁見を許された栄誉といわれている。
だが――。
『わかったわ。なら、それ以外の方法で逃げましょう』
アイヴィーの言葉に、クインティーナは目を見開いた。
「あなたは、聖人は教会へ行くべきだと言わないのですか」
『旦那様から確実に逃げられると思ったから言っただけで、教会に縛られたくないのなら行くべきではないわ。絶対逃げられないもの』
教会はいつだって聖人を探しているので、見付かったら信者総動員で確保される。
「聖人ならお役目を果たせとは……」
『私、そこまで信仰心がないの。あなたが嫌なら、名乗り出る必要はないと思う』
ニリスに殺された身としては、今すぐここから彼女を逃がしたい。手っ取り早いのは、聖人として名乗り出る事だ。
けれどぶっちゃけ、ニリスに殺されるか信仰に殺されるかの違いでしかない。
クインティーナが敬虔な信徒であるならば聖人としてのお役目は誉れだったろうが、違うのならば送り出すわけにはいかない。
『生き残る為の戦略を練りましょう、クインティーナ』
アイヴィーの言葉に、クインティーナの目が丸くなる。
呆然としていた顔が、くしゃりと歪んだ。ターコイズの瞳から、宝石のようなしずくが零れ落ちていく。
顔を覆ってすすり泣くクインティーナの背を撫でようとしたアイヴィーは、すり抜けた手の平に苦笑した。
当たり前のように意思の疎通ができていたから、うっかりしていた。
幽霊のアイヴィーはもう、誰かの背中を撫でて慰める事もできない。
改めて、アイヴィーは自分の死を実感した。
(こんな理不尽、私で終わらせなくっちゃね!)
五人目の被害者を出してはならない。
アイヴィーは泣き崩れるクインティーナの横で、力強く拳を握った。