軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

070.九啼鳥(1/2)

王都の収穫祭も過ぎて、魔術学校のほうは試験期間に入っていた。座学だけでなく実技の試験もこの期間に行われるため、校内ではさまざまな魔法や魔術の行使が見られ、生徒たちは大変そうだが見物人のルカとしては楽しいものであった。

あれから読書も進み、<大型編>も読み終わった。ヒュドラは<大型編>の付録に希少種として載っているのを見つけた。挿絵は実際のものよりやや温和な目をして体の形も違っており、伝聞をもとにした想像図であることが律義に注釈してあった。

エルダーの森の状況については、近場に出てきている魔獣の種類がだいたい把握されてきた。ヒュドラの通り道に生息していたであろう種はかなり散らばってしまったが、その付近一帯を避ければ想定外に危険度の高い魔獣に出くわす可能性は低いと推定された。魔獣を専門にしている研究者によれば、魔獣は強ければ強いほど森の奥地のほうが棲み心地がよいため、いったんは浅いところに出てきたとしても徐々にまた奥地に帰るはずだという。魔術師団はルカとホッグで確認した情報を吸い上げ、団員が調査した分と合わせて暫定的な生息分布図を作成した。こういった手際の良さや情報共有の正確さには、組織の力を思い知るばかりである。今後も随時更新していく予定であるが、現時点の写しをルカにも渡してくれ、ホッグの作業部屋にも同じものが貼られた。

そうしてルカはある日初めて、エルダーの森をまったくのひとりで歩いてみることになった。

その二日前、ホッグと魔術師団がいつでもサポートできるよう距離を置いてルカを歩かせ、問題なく出くわした中型魔獣を単独ハントできたため、かなり早いがステップアップさせようという話になったのである。念のためルカにも使えるように改良された 色音石(シグナルストーン) を持たされており、なにかあれば森小屋で待機しているホッグと魔術師団が飛んでくる手筈になっている。たくさん時間を取りたかったルカは、バルバラが昨夜厚意で用意しておいてくれたパンに干し肉と野菜をはさんだもので朝食を済ませると、夜明けまもなく森小屋までやってきた。

ルカが扉を開けるとホッグはすでに作業部屋におり、魔術師団の若い団員も二人、ホッグとともに作業台を囲んでいた。

「おはようございます」

「おう」

「やあ、おはよう」

「早いな。すぐに出るのかい?」

「はい。そのつもりです」

ホッグは今日は待機中の時間を使って魔術具のメンテナンスをすることになっていた。作業台の上にはいくつもの魔術具やメンテナンスに使うであろう工具などが整然と並んでいる。雰囲気からして団員二人も手伝うようだ。なにやらすでに専門的な会話を始めていて、ルカはリヒトも呼んでおけばよかったかなと考えた。

「じゃあ行ってきますね」

ルカは特にここでする準備はなかったので〈食えるかルーペ〉だけ手に取るとさっそく出かけることにした。

「……おーう、気ぃつけてな」

ホッグが目にはめるタイプのルーペを装着し、魔術具にとりつけられた石を覗きこんだまま返事をした。周りの二人も真剣にその様子を観察している。まだ若手なのでホッグの作業が勉強になっているのかもしれない。

「狩れそうだったらなにか狩ってきていいんですよね」

「ああ、こりゃ一回分解しなきゃ駄目だな。石は作り直しだ」ホッグは前傾姿勢からぐっと上体を起こすと面倒くさそうな台詞の割には愉しげな声を出した。「あ? ルカ、なんだって?」

一応ルカがなにか言っていたことはわかっていたみたいだ。よかった。

「だから、なにか狩ってきてもいいんですよねって。カリュドーンとかどうですか」

「ああ! カリュドーンでも九啼鳥でも、好きなもん狩ってこい!」

ホッグがルカを追っ払うように手を払いながら言うと若い二人に笑いが起こった。ルカは作業部屋に貼られた、すでにある程度頭に入っている分布図を改めて眺めた。

「ふむ……じゃあ、行ってきます」

「おう」

会話のあいだホッグは一度も手の中の魔術具から目を逸らさなかった。 色音石(シグナルストーン) を使ったら応援に来てくれるはずなのだが、使ったところで果たして気づいてくれるのだろうか。ルカは溜息をつきながら作業場の扉を開けた。

小屋の外に出ると、裏手に落ちていた小枝にマーカーをつけておくことにした。なにかあったときの緊急避難用である。まだマーカーがどこまでいったら外れるかという距離の実験はできていないので、ある程度離れたら小枝のマーカーは外れてしまう可能性もある。外れたら外れたでしかたがない。

ルカはさくさくと歩き、初めて何にも囚われず自由な心で森を見た。冬枯れのおとないを感じ、鼻の奥がきんと冷えた。小型魔獣やいまだたくましい冬草を流れるように目に映しながら、先ほどホッグが言ったことを思い返してみる。

(九啼鳥か)

ルカはその名前に覚えがあった。いましがた確認した分布図に名前があったからではない。<エルダーの森観察録 魔獣・中型編>に載っていたのだ。

(たしか鴨に似ていると思ったやつだ)

九啼鳥は夜行性の水鳥で、繁殖期の春から初夏以外は群れで行動する。これも鴨そっくりだ。だがその大きさは桁違いで、成体の体高はルカよりも大きい。生息域はホッグの森小屋から北東の方向に横たわる川の上流であり、冬から春には比較的下流まで下りてきて 番(つがい) を見つけたら上流へ戻っていくという習性がある。産卵は魔力の強い森の奥地でなされているので人知の及ばないところとなっている。この季節であれば比較的下流へ下りはじめているはずである。分布図によれば(調査しようのない奥地でどうなっているかは知らないが)ヒュドラが影響を及ぼした一帯とは結構離れていた。

ルカは本日の狙いを九啼鳥とすることにした。もちろん目当ての獲物が都合よく見つかるとは限らない。一応目標ということにしておいて、生息域にあたる川を目指して走った。はじめのうちは地道に走っていたのだが、あの分布図が正確であれば森小屋から川に突き当たるまでかなり距離がある。だんだんと焦れてきて、目で安全が確認できる範囲では〈相互移動〉も併用することにした。山にいたころはまだ〈移動〉のことがよくわかっていなかったこともあり、視界のひらける場所が少ないのもありでほとんど使用しなかったが、今日は緊急避難用のマーカーもつけてきているし、冬枯れで多少は見通しもよいので、ある程度小刻みにすれば大丈夫だろうと判断した。これで進みが段違いだ。

遠くに二の鐘を聴いてしばらく経ったころ、水場が近いとにおいでわかった。視界がさあと拓け、ようやく川に出た。川幅はかなり広く、穏やかな水面が快晴の空を鏡のように写し取っていて美しさに目が眩みそうだった。北を上流にし、ここから見る限り南東へと伸びている。川に沿って北上すれば、エルダーの森奥地へ入っていくことになるだろう。わずかに蛇行しているが、幸い川原は細かい石の原や草地になっているので足場は悪くなかった。

〈相互移動〉を何度も繰り返しかなり遡ったはずであるが、依然雄大と言っていい流れは上流の気配を感じさせず、ここはエルダーの森のいまだ 端(はじ) であるのだと思い知らされた。時折獣の気配は感じても、いまのところ危険な遭遇はしていない。小屋裏の小枝につけたマーカーもまだ無事だ。

ルカは気分を変えて入ってみようかと森の方へ目を遣った。するとやや遠く、木々の向こうに巨大な奇岩が顔を出しているのが見えた。小さめの岩山と言ったほうが適切かもしれない。ヒュドラの首が一本になっておとなしく座っていたらあんな感じだと思う。ちょうど鎌首の頂点や背中にあたる岩の上部にもまばらに木が生えており、ルカがそこに〈移動〉できないかとマーカーを出すと、背中の木々のあたりにつけることができた。少し躊躇したが試してみたい気持ちが勝ち、思い切って〈移動〉するとまばらに木の生えた場所に行くことができた。近くに獣の気配はない。見たことのない美しい緑の甲虫が驚いたように木の幹を登っていった。大岩の上に形成された小さな生態系に心惹かれるも、今日の目当てはこれではないと首を振る。足場は悪くないが、ルカはすべらないよう念のため近くの細木を掴み眼下を見渡した。

高いところから見た森は落葉がかなり目立ってきており、無数の木々が助けを請うように空に手を伸ばしているようでなんとなく怖くなった。魔術学校の冬は厳しいと聞く。それは森の奥地からやってくるのではないかと思った。

もう一度川の方を見ると、先ほどルカがいた地点よりかなり上流になにやらたくさんの影が見えた。

(あ!)

それは九啼鳥の群れだった。川のどのくらいの位置にいるかわからなかったので、まだ太陽が南中に上る前に見つけられたのは僥倖だ。ルカはほとんど反射的にそのなかの一羽にマーカーをつけてみた。体重は 閾値(しきいち) を超えなかったようで無事にマーキングされる。本にあった通り鴨に似ていて、頭は金属的な艶のある濃い緑で胴は灰色がかっている。そしてかなりの巨体である。そんな巨大な鴨が川面でひしめきあっているのだ。ひしめきあい過ぎてその辺りの水面が見えない。一見自由に泳げないだろうと呆れてしまうようなその様は、しかし見る者に「あの隙間に入りたい」と思わせる引力があった。見た目は鴨だし、もしかして柔らかいダウンが採れるのではないだろうか。あの大きさであれば一羽でもクッションくらいなら作れるのではないだろうか。オクノの医務室にあったクッションは結構ふわふわしていて触り心地がよかった。これから冬ごもりになるわけだし、ああいうのが自室にあればリヒトも喜ぶと思う。それにあれだけ鴨に似ているのなら味も期待できるかもしれない。ルカはやや距離があったので大丈夫か疑いつつも、〈食えるかルーペ〉をかざしてみた。マーカーをつけた個体がレンズの中心に来るように合わせると、焦点が合いぐっと拡大されて写る。

<うまい>

決まりだ。狩るしかない。あれは自分の獲物だ。標的を定めると、服の下で肌が粟立つのがわかった。

九啼鳥は冬は群れをつくるので春から初夏の繁殖期にはぐれたものを狙うこと。 啼(な) き声で攻撃魔法を構築する鳥で、九回啼くと魔法が完成してしまうため、準備中の八回目までに仕留めなければならないこと。ルカは本に載っていた情報を記憶から引っ張り出した。

(九回とは、結構のんびりしている)

うとうととした顔をして浮かんでいる九啼鳥の群れを眺める。冬は群れをつくるから狩るな、というのはあちこちで啼かれたら九回など数えていられないからだろう。次々と魔法が完成してそこらじゅうから攻撃されてもたまらない。だから春まで待つのは道理だが、幸いにしてルカには意図的に はぐれ(・・・) を作り出す能力があった。思いついたらやってみたいのが人情というものである。

(緊急避難用は諦めるか)

はぐれを作り出すにはマーカーが足りない。森小屋への一瞬での帰還を諦めることになるため、帰りは骨が折れることが予想される。

ルカは近くの細木のなかで幹が片手で握り込めるくらい細いものを選び、根元に足をかけ体重を乗せて折り倒した。細かい枝を落とし、即席の単純な槍を五本ほど拵える。木の質も特段堅いものでもないし長さはルカの肩あたりまでしかないが、矢よりはあの巨体にダメージを与えられるだろう。

できるだけ下流を見て川原のあたり(小石だろう)にもマーキングし、槍を抱えてそこに〈移動〉する。そして川原に散りばめるようにさまざまな角度で槍を置き、少し離れてまた岩山の上へ戻った。

準備が整ったので先ほどの一羽と、たったいまルカと〈相互移動〉したばかりの川原の石を〈相互移動〉した。

いきなり景色が変わり、いままでいた水面から下流の川原に移動させられた一羽の九啼鳥はびっくりして立ち上がった。その場で何度も足踏みをしている。このあいだに一羽分の隙間ができた群れの中、水中を沈みゆく小石からマーカーを外し、九啼鳥の背後の小石にマーキングする。そしてルカは矢筒から一本取り出していつでも弓を引けるように準備したうえで、九啼鳥の後方の川原に〈移動〉した。石の原に下り立った音で九啼鳥が即座に振り向く。

(あ、気づかれた)

ガァーッ! ガァーッ! ガァーッ!

(え?)

九啼鳥はルカに気づくや、短いスパンで三回啼いた。

(一回ずつ啼くわけじゃないのか!)

もう謎の光の楔のようなのが三つ、空中でルカのほうを向いて出現している。

(そういうものだよな。実際に体験しないとわからないものだ……)

ガァーッ! ガァーッ! ガァーッ!

(まずい。一……)

ルカは見合った九啼鳥に瞬間底の知れない 畏(おそ) れを感じ、九啼鳥につけていたマーカーをつがえている矢全体につけ直し、即座に放った。

ガァーッ! ガァーッ! ……ッ!

(嘘だろ外した)

焦りからか狙いが逸れて嘴にはじかれ、川岸の茂みに消えていってしまった。この近距離で仕留められないのは、ヴォルフに見られていたら拳骨ものである。しかし普通ならばそれでも大ダメージが入るはずなのに、九啼鳥の嘴は相当硬いようで金属に近い音がしただけで無傷のままだ。嘴の強度なんて、本には書いていなかった。

……ガァーッ!