作品タイトル不明
おやつの行方と、揺れるリボン
魔物事件から数日が経った。
騎士団からの報告によれば、あの魔物研究員を名乗っていた男は、やはり他領地でも騒ぎを起こしていた密猟者の一味だったらしい。森を自由に出入りするための口実として研究員を装い、魔物を物色し、複数を捕獲。今では違法となっている従属の首輪で魔物を操り、人の多い街へ放って混乱を起こし、その隙に盗みを働く――そんな手口を繰り返していたという。
傷ついた魔物は素材として売りさばき、身分証まで偽造していたとなれば、罪状はひとつでは済まない。密猟に加え、公文書偽造。さらに仲間の存在も示唆しているが、時間の問題だろうと騎士団は見ているらしい。
そうした話を聞きながらも、街の空気は少しずつ元に戻りつつあった。通りにはいつもの声が戻り、店には変わらぬ客が訪れる。穏やかで、どこか張りつめていたものがほどけていくような日々。
――そんな中で。
ここ数日、オモチの様子が少しおかしかった。
朝の開店前。いつもならさっと終える毛づくろいを、今日はやけに丁寧にしている。前足で顔を撫で、耳の後ろを整え、尻尾まで念入りに。まるで誰かに見せる前のように、何度も、何度も繰り返していた。
「……念入りだね」
「きゅ」
返事は軽い。けれど、どこか落ち着かない様子だった。
それだけじゃない。おやつをあげてもすぐには食べず、くわえてどこかへ持っていく。
そして、しばらくしてから戻ってくる。
ぼんやりしている時間も増え、窓の外を見ていたり、何もないところで考え込んでいたりする。
「……どうしたんだろう」
体調が悪そうなわけではない。むしろ元気だ。ただ――様子が、変だ。
そんなことを考えていたある日、ユリウスが店に顔を出した。
先日の騒動以降、名前で呼ぶようになり、顔を合わせるとどこか落ち着かない気持ちになる。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
パンをいくつか選びながら、ユリウスがふと口を開いた。
「そういえば、オモチって森に友達いる?」
思わず手が止まる。
「……友達?」
「うん。最近、この辺りにヴェロスの群れが来てるらしくてさ」
ヴェロス。しなやかな体を持つ小型の魔獣で、木の上を移動するのが得意な群れの生き物。
――オモチと、同じ種族。
「季節で移動するらしいんだけど、ちょうど今の時期みたいで」
フォルネアは冬でも比較的温暖で、木の実も豊富だ。群れが来ても不思議ではない。
「森の中で見かけたんだよ。だから、もしかしてって思って」
その言葉に、胸の中で何かが引っかかった。
毛づくろい、おやつ、ぼんやりした時間――まさか。
その日の午後、リラは森へ向かった。
オモチはちょうど昼過ぎに出かけていた。
木々の間を進みながら足音を殺して周囲を探る。
しばらくして枝の揺れる音がし、そっと視線を上げた。
そこにいたのは――オモチだった。
木の上、少し開けた枝の上で、誰かと向き合っている。
その相手はヴェロス。細い体にしなやかな動き、柔らかな毛並み。そしてオモチは、その手におやつを差し出していた。
「きゅ」
少し照れたような声。相手の子はそれを受け取り、嬉しそうに食べる。その様子に、オモチの尻尾がぶんぶんと揺れた。
分かりやすいくらい、嬉しそうだ。
ふと、その子がオモチの腕輪に手を伸ばす。
オモチは慌てて引き寄せ、それは渡せないとでも言うように首を振るが、代わりに袋からリボンを取り出した。
店で使っているものだ。それを器用に結び、ヴェロスの手にちょこんと結んでやる。
「きゅ!」
少し誇らしげな声。ヴェロスは目を輝かせ、それを何度も見つめては手を動かし、そのたびにリボンが揺れた。
そして、オモチの方を見る。
くるりと体を寄せて――すり、と頬を寄せた。
「……」
思わず、息を止める。
オモチは、完全にとろけるような顔をしていた。尻尾は揺れっぱなしで、体は少し前のめり、目はきらきらしている。
――分かりやすい。あまりにも。
「……恋、だ」
小さく呟く。毛づくろいも、おやつも、ぼんやりしていた時間も、全部これだ。
木陰に身を隠したまま、しばらくその様子を見ていた。
楽しそうに話し、距離が近づいてはまた離れ、それでもすぐにまた近づく。
そのやり取りに、自然と口元が緩む。
けれど同時に、胸の奥に別の感情が浮かんだ。
「……そっか」
オモチにも、そういう時が来るんだ。
当たり前のことだし、分かっている。
けれど、もしこのまま森で暮らすことを選んだら――傍を離れる日が来るのかもしれない。
胸の奥が、少しだけきゅっとする。
寂しい。でも。
ふと、トヨの家で過ごした時間を思い出す。家族がいて、笑っていて、温かかった。
あれは、とてもいいものだった。
「……うん」
小さく頷く。
もしオモチがそうしたいなら、家族を作りたいと思うなら、それはきっといいことだ。応援しないといけない。
木の上では、まだ二匹が並んでいた。風が吹き、葉が揺れ、その中でリボンがひらりと揺れる。
リラはそっと背を向ける。気づかれないように、静かにその場を離れた。
帰り道、少しだけ空を見上げる。
「……大人になってるなぁ」
ぽつりと呟く。少し寂しくて、でもどこか嬉しい、そんな気持ちだった。