軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

旅立ちの朝、思いがけない再会

旅に出るのは、久しぶりだった。

森を越え、街を越え、数日かけて移動する。

木陰のベーカリーの中は、まだ朝の気配を少しだけ残して静かだった。

窓から差し込む光が床の上に細く伸び、荷造りのために空けたカウンターの上を、やわらかく照らしている。

そこには、まとめた荷物がいくつか並んでいた。

干しパン。

旅菓子。

ラスク。

少しの調味料と保存食、今日の昼と夜に食べる用のサンドイッチ。

簡単な調理道具。

替えの服。

それから、小箱に入った赤いリボンの髪飾り。

私は荷物の紐を結び直しながら、小さく息をついた。

「……こんなものかな」

旅は久しぶりだ。

楽しみもある。

栗のこと。川魚のこと。ラトリアの街並み。

考えるだけで、胸の奥が少し浮き立つ。

でも、それと同じくらい、落ち着かない気持ちもあった。

長くこの店を空けること。

森を越えて、知らない道を進むこと。

隣国へ、再び足を踏み入れること。

胸の奥が、そわそわと静かに騒いでいる。

オモチは荷物の上にちょこんと乗り、尻尾を揺らしていた。

「きゅ」

どうやら、完全に遠足気分らしい。

はぐれたときのための探索魔道具を、グリムに腕輪型にしてもらった。

オモチはそれをいたく気に入ったようで、小さな腕につけたまま、何度も眺めては嬉しそうにしている。

淡く光る腕輪が、白い毛のあいだからちらちらと覗くたび、本人はますます得意げだった。

この小ささに合わせて作れるなんて、やっぱり天才なんだろうな。

そう思い、私は思わず小さく笑った。

そのまま、荷物をポシェット型のマジックバッグへと入れていく。

見た目は小さいのに、これひとつでリュック二つか三つ分くらいは入る優れものだ。

袋の口を確かめ、位置を整え、足りないものはないか頭の中でひとつずつ確かめていく。

布の擦れる音と、荷物の触れ合う小さな音だけが、静かな店内にやわらかく響いていた。

そのとき。

コンコン。

店の扉が叩かれた。

私は顔を上げる。

今日から店は休みだ。

ちゃんと張り紙も出してある。

――20日頃までお休みします。

――仕入れのためラトリアへ行ってきます。

それなのに、ノック。

「……誰だろう?」

思わず小さく呟く。

オモチと顔を見合わせると、オモチも同じように首を傾げていた。

私はゆっくりと扉へ歩いていき、そっと手をかけ、ゆっくりと押し開ける。

外の光が差し込み、視界が一瞬だけ白く滲んだ。

次の瞬間。

思考が止まった。

そこに立っていたのは――

目の前に、仕立てのいいシャツが迫る。

息を呑むよりも早く、ぐっと抱きしめられていた。

「……え?」

声が、間の抜けた音になった。状況を理解するよりも早く。

「リラ!!」

聞きなじみのある、懐かしい声が耳に届く。

「元気だったか? 困ったことなどはないか? ちゃんとご飯は食べているか?」

矢継ぎ早に言葉が飛んでくる。

固まった体を、べりっと引きはがされるようにして離され、そのまま顔を覗き込まれた。

セオドアだった。

9歳の私を救ってくれた、ウィルクス商会の次期当主。

間違いようのない、懐かしい顔。

けれど、その再会を噛みしめる暇もないまま、さらに言葉が重なる。

「体調はどうだ? 無理はしていないか?」

あまりの勢いに、私は固まったまま動けなかった。

オモチも肩の上で目を丸くしている。

「……きゅ?」

完全に状況が分かっていない顔だった。

そのとき。

セオドアの背後から、すっと手が伸びる。

襟を掴まれた。

そして。

ぐい、と。容赦なく引き剥がされた。

「リラが困っています」

冷静な声だった。

マーガレットだ。

緩く巻かれた赤い髪が朝の光を受けてやわらかく煌めき、簡素な服装でありながらも、隠しきれない気品がにじんでいる。

そのままセオドアの襟を掴んだまま一歩前へ出る。

動きに迷いはなかった。

そして、きっぱりと言い切る。

「あなたは下がっていてください」

セオドアは引きずられたまま、ぽかんと口を開けている。襟を掴まれたまま体勢を崩し、まだ状況が飲み込めていない様子だった。

「え?」

その間の抜けた声が、朝の静けさにぽつんと落ちる。張り詰めかけていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。

私はそこでようやく、現実に引き戻された。

目の前にいるのは、久しぶりに会う二人。懐かしい顔と、見慣れたはずの仕草。

それなのに、どこか現実味が薄くて、夢でも見ているような感覚が残っていた。

思いがけない、騒がしい再会だった。

――マーガレットが、強くなっている。

ふと、そんな感想が胸に浮かぶ。

以前の彼女にも芯の強さはあった。けれど今は、それがもっとはっきりと形を持っている。

立ち姿のぶれなさや、言葉を発する前のわずかな間にまで、揺るがない意志が滲んでいた。

セオドアはまだ何か言いたげに口を開きかけていたが、マーガレットの視線を受けて、渋々それを飲み込む。肩をすくめ、小さく息を吐くその様子に、私はほんの少しだけ肩の力を抜いた。

マーガレットは小さく呼吸を整え、改めてこちらへ向き直る。

先ほどまでの鋭さを収め、落ち着いた表情に戻っていた。

「まずは、突然押しかけてしまったことをお詫びします」

そう言って、丁寧に頭を下げる。背筋の伸びた、美しい所作だった。

あまりにきちんとしていて、私は一瞬、どう返していいのか分からなくなる。

慌てて言葉を返そうとすると、そっと手を差し出されて、やんわりと制された。

「本来は、手紙をお送りする予定だったのです」

静かに、落ち着いた声で続ける。その声音には、相手に配慮する柔らかさがあった。

それから、ほんの少しだけ表情がやわらぐ。

「リラから頂いたお返事を読んで、少し考えたことがありまして」

私は首を傾げる。

「考えたこと?」

「はい」

マーガレットは静かに頷いた。視線がわずかに和らぎ、言葉を選ぶように続ける。

「文面から、なんとなくですが……隣国へ行く予定なのではないか、と感じたのです」

その言葉に、私は思わず目を瞬かせた。

確かに、はっきりと書いたわけではない。

けれど、栗拾いのことや、少し遠出をするつもりだという話には触れていた。何気なく綴った言葉を、こんなふうに拾い上げられるとは思っていなかった。

マーガレットは続ける。

「ちょうど私も、仕事でフォルネア方面へ来る予定がありました。それで思ったのです」

ほんの少しだけ肩をすくめる。その仕草には、堅さの中にわずかな親しみが混じっていた。

「もし本当に隣国へ向かうのでしたら、途中までご一緒できるのではないかと」

ウィルクス商会は、ルミナール王国でも有数の商会だ。

各地に拠点を持ち、流通も広い。

そして、その本店があるのが、商業都市ベルンハルト。フォルネアから見ればラトリアの手前に位置する、大きな交易都市だった。

「ベルンハルトまででしたら、馬車でお送りできると思いまして。ついでに、ゆっくりお話もできるかと思ったのです」

私は思わず、ほっと息をついた。正直、セオドアをみた瞬間、連れ戻しにでも来たのかと思ってしまった。

視線を上げると、マーガレットが少しだけこちらを見て、やわらかく微笑んでいた。

「少し、話もしたかったですし」

「なるほど」

その言葉に、私は小さく笑う。

なるほど。用件はそれだけではないらしい。

けれど、マーガレットはそこでわずかに言葉を区切り、少し困ったように視線を横へ向けた。

「ただ……」

その一言に、空気がほんの少しだけ変わる。

「この計画を、セオドアに知られてしまいまして」

私はゆっくりと視線を移すと、セオドアは、にこっと笑った。

――嫌な予感しかしない。

「本当は手紙を出してから来る予定だったのですが……」

マーガレットは、少しだけ申し訳なさそうに続ける。

「彼が先に動いてしまいました」

つまり。

手紙より先に――本人たちが来てしまった、ということらしい。

さすが一流商人、行動力が段違いだ。

私はオモチと顔を見合わせる。

オモチも同じように、首をかしげていた。

「きゅ……」

その声に、思わず息が抜ける。

そして二人で、同時に小さく息を吐いた。

これはもう。

笑うしかない。

セオドアは、少し考えるように腕を組んだ。指先で顎をなぞり、なにかを測るように視線を巡らせる。

「……ベルンハルトまでなら、ちょうどいい距離だな」

それから、穏やかな声で続ける。

「馬車にはまだ余裕がある。護衛もついているし、街道も安全だ」

ちらりと私を見る。

「一人で行くよりは安心だと思う」

押しつけるような言い方ではない。けれど、その言葉の奥には、隠しきれない気遣いが滲んでいた。

その横で、マーガレットが小さく咳払いをした。

「セオドア。まずは計画の説明をさせてください」

柔らかな声だったが、きちんと流れを整える響きがあった。強くはないのに、自然と場を収める力がある。

セオドアはすぐに気づき、少し苦笑する。

「……ああ、そうだった。すまない、先走った」

素直に一歩引いた。

そのやり取りを見ながら、私は少し驚いていた。

以前のセオドアなら、ここでもう少し押していたと思う。言葉を重ねて、納得させようとするはずだった。

けれど今は違う。

マーガレットが自然に話を整え、セオドアもそれを当然のように受け入れている。

まるで、最初からそうあるべき形だったかのように。

以前よりも、ずっと息が合っていた。

マーガレットは改めて私へ向き直る。先ほどまでの流れを受けて、落ち着いた声音で言葉を選んだ。

「改めてご提案なのですが。……というか、ここまで来てしまってからお聞きするのもどうかとは思うのですが」

わずかに苦笑を混ぜてから、続ける。

「よろしければ、ベルンハルトまで馬車でご一緒しませんか?」

「そこまでなら、こちらの馬車で安全に移動できるし、ラトリアへ向かうにしても、どのみちベルンハルトは通る。悪い話ではないと思うぞ」

付け足すように、セオドアが口を開いた。言葉は穏やかだが、内容は的確で現実的だ。

確かに、それなら旅はずっと楽になる。

私は少しだけ視線を落とし、頭の中で道のりをなぞる。森越えの距離、日数、荷物の重さ。ひとつずつ思い浮かべるうちに、その提案のありがたさが、じわりと実感として広がっていった。

少し考えていると、セオドアが静かに口を開いた。

「もちろん、無理にとは言わない」

一度言葉を区切る。

「ただ……」

ほんの一瞬、言葉を探すように間を置いてから続ける。

「途中まででも、一緒に旅ができたら嬉しい」

その言い方に、思わず笑ってしまう。

やっぱり、この人は変わらない。

まっすぐで、少し不器用で、でも嘘がない。

私は頷いた。

「じゃあ、お言葉に甘えます。ベルンハルトまでご一緒させてください」

その返事を聞いた瞬間、セオドアの表情がふっと緩んだ。肩の力が抜けたように、安心した色が浮かぶ。

「よかった」

短い言葉だったが、その一言にいろいろな感情が詰まっている気がした。

横でマーガレットが小さく微笑む。計画がうまく収まったことへの安堵と、どこか穏やかな満足が、その表情ににじんでいた。

足元ではオモチが、ぱたぱたと尻尾を振る。

「きゅ」

どうやら旅は歓迎らしい。

その様子に、思わずまた笑みがこぼれる。

こうして私は、セオドアとマーガレットの馬車で、ベルンハルトまで同行することになった。

そこから先は――栗の街、ラトリアへ。

その言葉を思い浮かべると、胸の奥が少しだけ軽くなる。これから始まる道のりが、ほんの少し楽しみに変わっていた。

旅の準備を整え、私は改めて店の前に立つ。

木陰のベーカリー。

南門の通りに面した、小さな店。朝になればパンの匂いが流れ、昼には冒険者が立ち寄り、夕方には近所の人たちが顔を出す。

そんな、いつもの場所。

その扉に、数日前に貼った張り紙が、朝の風にかすかに揺れていた。

自分で書いた文字を、もう一度だけ眺める。

店を閉めることに、今は後ろめたさはない。

トヨも、ミレイも、常連たちも、笑って送り出してくれた。

それでも。

鍵を差し込んで扉を閉める、そのほんの一瞬。

胸の奥が、少しくすぐったくなる。

旅に出る前の、落ち着かないような。

それでいて、どこか楽しみなような。

そんな、曖昧でやわらかな感覚だった。

かちり、と鍵が回る。

リラは一歩下がり、店を見上げた。

見慣れた木の扉。小さな窓。軒先の影。

朝の光を受けて、いつもと変わらない姿でそこにある。

「すぐ戻るよ」

誰に言ったわけでもない言葉が、静かな通りに溶けていく。

足元でオモチが尻尾を揺らした。

「きゅ」

その声に背を押されるように、私は通りへと踏み出す。

するとすぐに、それは目に入った。

南門の通りに止まる、大きな馬車。

濃い紺色の車体は陽の光を受けて鈍く艶めき、側面には見慣れた紋章が刻まれている。ウィルクス商会の紋章だ。

商会の馬車らしく、造りは頑丈で隙がない。

少し離れた場所には、護衛らしい男たちが周囲に目を配りながら立っていた。

その前で、マーガレットがこちらに気づく。

ぱっと顔を明るくして、手を振った。

「リラ! こちらです」

少し大きめの声が、静かな通りに弾む。

その隣で、セオドアが驚いた顔をしていた。

貴族然とした雰囲気のマーガレットの、ああいう無邪気な表情は見慣れていないのだろう。こちらへ向けられた笑顔を、まじまじと見つめている。

本当にこの人は、仕事もできて人を見る目もあるはずなのに、時々驚くほど節穴だ。

昔と変わらないところもあれば、前より少し変わったところもある。

その空気が、どこか懐かしかった。

私は馬車へと歩いていく。

御者が静かに扉を開けてくれた。磨かれた金具が、かすかに光を反射する。

踏み台に足をかけ、ふと振り返る。

木陰のベーカリーが、通りの向こうに見えた。

ほんの数日。

それでも、店を離れるのは初めてだ。

胸の奥で、小さな期待が弾む。

知らない景色へ向かう高揚と、いつもの場所を離れる寂しさが、静かに混ざり合っていた。

久しぶりの旅。

そして、思いがけない再会。

私は馬車に乗り込む。

扉が閉まり、外の音が少しだけ遠くなる。

やがて、車輪がゆっくりと動き出した。石畳を踏む規則的な振動が、身体に伝わってくる。

こうして――

ラトリアへ向かう旅が、始まった。