作品タイトル不明
バターとチーズと、無駄に本気な大人たち
その日、木陰のベーカリーの奥は、やけに重苦しい空気に包まれていた。
机の上には図面。
魔石。
金属部品。
難しい顔をしたグリムとエリンが向かい合い、私は腕を組んで唸っている。
知らない人が見たら、この店に大きな問題でも見つかったのかと思うだろう。
けれど、実際の議題はまったく違った。
――どうすれば、バターとチーズを安定して量産できるか。
深刻である。
内容だけ聞かなければ。
赤茶の髪を揺らしながら、グリムが図面に顔を近づける。
琥珀色の瞳が忙しく動き、思考がそのまま口元に滲んでいる。
向かいのエリンは背筋を伸ばしたまま腕を組み、
金色の髪の奥で、緑の瞳が冷静に計算を続けていた。
そして私も、同じように眉を寄せている。
三人とも、視線は机の上。
誰も、相手の顔を見ていない。
「今のままだと、撹拌が人力に近すぎる」
グリムが低い声で言う。
「回転数が足りない。魔力を直接当てると、脂肪分が壊れる」
「じゃあ、間接的に?」
エリンが図面を指でなぞった。
「温度を一定に保ちながら、外側から均等に力を加えられたら」
「理論上は可能だな」
グリムが顎髭を撫でる。
「だが、構造が複雑になる」
「でも、そこを何とかするのが魔道具師ですよね?」
エリンは、にこりと笑った。
「だって私、バターと砂糖をたっぷり使ったお菓子が好きなんです。毎回ちょっとしか使えなくて、ちまちま作るの、もう嫌なんですよ」
……急に、本音が出た。
「お腹いっぱい、気にせず食べたいじゃないですか」
グリムが鼻を鳴らす。
「俺はな」
腕を組み直して続ける。
「チーズをあてに酒を飲むのが好きだ。だが最近、酒代がかさむ。チーズまで贅沢品扱いなのは、さすがにどうかと思う。気軽に食わせろってんだ」
……理由が、妙に生活感に満ちている。
私は、その二人を見て、ゆっくり頷いた。
「私は」
二人の視線が、こちらに向く。
「その両方を手に入れて、新しいパンを作りたいです。けちることなく、バターもチーズも思う存分使って。もちろん、自分でも食べたい」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「そうだな」
「それしかないですね」
「やっぱり量産だ」
結論が、やけに早い。
議論が一気に加速した。
魔力効率。
回転軸。
冷却と温度保持。
専門的な単語が飛び交い、机の上は、いつの間にか図面で埋め尽くされていく。
白熱。
完全に白熱。
……バターとチーズのために。
「……きゅ」
その様子を、少し離れた場所からオモチが眺めている。
呆れたような顔で、ため息みたいに鳴いた。
*
数日後。
試作品の魔道具が完成した。
見た目は少しごつい箱だが、中身には最新技術が詰まっている。
他の魔道具師が見たら、どこに本気を出しているんだと非難が殺到するだろう。
ヴェロスの粘糸まで、惜しみなく使われていた。
用途は、バターとチーズである。
「試運用は、ノアの実家の牧場がいいだろうな」
次の休日、グリムの提案で、ノアの両親が運営する牧場へ話を持っていった。
結果は良好だった。
ノアの両親も、かなりノリノリだ。
「……大人って、こんなことで、こんなに真剣に悩むの?」
真剣な顔で話し合う両親と、押しかけてきた大人たち。
リズまで加わっている。
聞こえてくるのは、バターを惜しみたくないだの、チーズをあてに浴びるように酒を飲みたいだの。
ノアは、遠い目をしていた。
「バターとチーズのために……」
魔道具の説明を続ける大人三人。
その熱量は、異様なほどだった。
ノアは、ちらりとオモチを見る。
「僕、あんな大人にはならないよ」
オモチは、じっとノアを見つめてから、
こくりと頷いた。
少しだけ、間を置いて。
もう一度、こくりと。
その日。
牧場には、
やたらと真剣な大人たちの声が、
いつまでも響いていた。
*
数か月後。
リラは、新作のパンを前に、静かに満足していた。
木陰のベーカリーには、今日もいい匂いが満ちている。