軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

鼠の穴

地底湖の静寂を背に、私たちは再び迷宮の通路へと戻った。

ひんやりとした空気が肌を撫で、先ほどまでの幻想的な光景がまるで夢だったかのように現実へ引き戻される。

隣を歩くエリスさんの横顔は、戦闘中の険しさが嘘のように穏やかだ。

「ふぅ……。さて、と。これからどうしましょうか、私たちの新しい“相棒”さん?」

私が少しおどけた調子で言うと、彼女は肩をすくめてくすりと笑った。

「そうねぇ……。まずは腹ごしらえでもしたいところだけど、生憎とここはレストランじゃないし」

「ええ、メニューは干し肉くらいしかありませんね。ピヨの分も考えると、少し心許ないです」

私たちの頭上で、ピヨが「キェェ!」と同意するように鳴いた。

エリスはその巨体を見上げ、改めて感心したように息をつく。

「本当に、あなたといると私の冒険者としての常識がどんどん壊れていくわ。ゴールドランクのエルフが、あの気性の荒いグリフォンを『ピヨ』なんて名前で相棒にしてるんだもの」

「仕方ないでしょう? 敵対していたはずなのに、最後はひな鳥みたいに潤んだ目で見つめてきたんですから。つい、可愛らしく見えてしまって」

「あのグリフォンを相手に『可愛い』って……」

そんな軽口を叩き合いながらも、足は止まらない。

迷宮の通路はどこまでも続いているように見えるが、不思議と不安はなかった。

「冗談はさておき、リィア。まずは第十階層を目指しましょう。あそこなら食料も手に入るし、何より……今の迷宮の状況を把握しておきたいわ」

「状況、ですか?」

「ええ。迷宮は生き物よ。昨日まで安全だった道が、今日には魔物の巣窟になっているなんて日常茶飯事。特に最近は、少しきな臭い噂も聞くしね」

彼女の瞳に、歴戦の冒険者らしい鋭い光が宿る。

その真剣な表情に、私も頷き返した。

「賛成です。では、第十階階層へ。案内、お願いできますか?」

「任せて。この辺りは私の庭みたいなものだから」

エリスさんはそう言って、自信に満ちた笑みを浮かべた。

しばらく歩いていると、傾斜の強い通路が見えてきた。

第十階層へとつながる通路は、これまでの階層とは少し趣が異なっていた。

壁には人工的な石組みが目立ち始め、天井も心なしか高い。

時折、壁の隙間からひゅう、と風が吹き抜けていく音が、まるで迷宮の溜め息のように聞こえた。

「この辺りから、少しずつ古い遺跡の区画が混じってくるのよ。魔物も、ただの獣じゃない、厄介なのが増えてくるわ」

エリスさんが、警戒を怠らない目で周囲を見回しながら教えてくれる。

その剣を握る横顔は、先ほどまでの軽口が嘘のように引き締まっていた。

(さすがに手慣れたものですね。この空気の切り替えの早さ……。見習うべきところは多そうです)

私が彼女の背中を頼もしく見つめていると、不意に、通路の奥から複数の気配がこちらへ向かってくるのを肌で感じた。

数は五……いや、六。

「エリスさん、来ます」

「ええ、分かってるわ」

次の瞬間、通路の角から飛び出してきたのは、二足歩行する蜥蜴のような魔物――リザードマンの小隊だった。

粗末な石斧や槍を手にし、黄色い瞳が獰猛な光を宿している。

「チッ、斥候部隊ね。面倒だわ」

エリスさんが吐き捨てるように言う。

一斉に襲いかかってくるリザードマンたち。その動きは統率が取れており、ただの魔物とは一線を画していた。

前衛の三体が盾を構えて突進し、後衛が槍を投擲しようとする。

「――私が攪乱します!」

私は叫ぶと同時、地面に手を触れた。

「強化――『隆起せよ』!」

リザードマンたちの足元の石畳が、まるで生き物のようにうねり、不規則な凹凸を作り出す。

突進してきた前衛たちはバランスを崩し、その陣形が見事に乱れた。

「ナイスよ、リィア!」

その一瞬の隙を、エリスさんが見逃すはずもなかった。

彼女の身体が、まるで風に舞う木の葉のように、ふわりと敵陣の中心へ滑り込む。

(速い……! 魔力強化の兆候はなかった。純粋な体捌きだけで、あの速度を!?)

私のモノクルですら、その動きの全てを捉えきれない。

エリスさんの銀の長剣が、月光のように煌めく。

一閃、二閃。

バランスを崩したリザードマンの鎧の隙間、その喉元だけを正確に、そして寸分の狂いもなく貫いていく。

悲鳴を上げる間もなく、一体、また一体と崩れ落ちていった。

「あなたの魔法は本当に便利ね。おかげで、私の剣も錆びつかずに済みそうだわ」

最後の一体を仕留めたエリスさんが、くるりと振り返って悪戯っぽく笑う。

その刃には、一滴の血も付着していなかった。

「……お見事です。私の魔法はあくまで足止め。仕留めたのは、あなたの剣ですよ」

感嘆を込めて言うと、彼女は「当然よ」とばかりに誇らしげに胸を張った。

私たちのコンビネーションは、どうやら想像以上に噛み合っているらしい。

エリスさんが言っていた通り、第十階層はこれまでの自然洞窟とは違うらしい。

明らかに人の手が加わった遺跡のような様相を呈してくる。

壁には風化した紋様が刻まれ、床の石畳も規則正しく並べられていた。

「この階層は昔、古代文明の地下都市だったって説もあるのよ。だから、ただの魔物だけじゃなく、自律行動するゴーレムなんかも出てくるから厄介なの」

「なるほど。だからあれほど統率の取れた魔物がいたわけですね」

納得しながら歩いていると、やて通路の先に微かな光と、複数の話し声が聞こえてきた。

それは魔物の咆哮ではない。明らかに、知性を持った者たちのざわめきだ。

「……着いたわね」

エリスさんが足を止め、顎で前方を指し示す。

「ここが、例の場所。私の“馴染み”がいる、情報屋の店よ」

通路が終わり、視界が開けた先は、小さな広場のようになっていた。

しかし、そこにあるのは普通の冒険者のキャンプではない。

いくつかの横穴を利用して作られた、即席の店舗のようなものがいくつか並んでいる。

そしてその中心に、ひときわ頑丈そうな鉄の扉を構えた一軒の店があった。

店の前には、様々な亜人、さらには人間まで、様々な種族が入り混じって何やら取引をしている。

その光景は、アークライトやヴェリスのギルドとは全く違う、どこか無法地帯の市場のような雰囲気を醸し出していた。

「……随分と、賑やかな場所ですね」

「ここは治外法権なの。ギルドのルールも、地上の法律も通用しない。通用するのは、力と情報、そして金貨だけ。だからこそ、貴重な情報が集まるのよ」

エリスさんはそう言うと、慣れた様子で鉄の扉へ近づき、特定の箇所を三度、軽く叩いた。

コン、コン、コン――。

すると、扉に設けられた小さな覗き窓がスライドして開き、中から用心深そうな目がこちらを覗く。

「……おう、エリスか。久しぶりだな。隣のそいつは……見ねえ顔だが」

「新しい相棒よ。入れてくれる?」

「……まあ、お前さんの連れなら問題ねえか」

重々しい音を立てて、鉄の扉が内側へと開かれた。

私たちが中へ入ると、背後で再び扉が閉まり、外の喧騒がぴたりと遮断される。

店の中は、様々な薬品や古文書、そして用途不明のガラクタが山と積まれた、雑然としつつも不思議な活気に満ちた空間だった。

そして、そのカウンターの奥。

山積みの書類に埋もれるようにして座っていた一人の男が、ゆっくりと顔を上げた。

三十代後半だろうか。無精髭を生やし、少し気の抜けたような笑みを浮かべているが、その瞳の奥には鋭い光が宿っている。

「おや、エリスじゃないか。俺に会いたくて来ちゃった? 残念、今日の予約はもういっぱいでね。……なんて言いたいところだけど、隣のお嬢さんは……これはまた極上の逸品だ。エルフさんのゴールドランクなんて、初めて見たよ。ようこそ、“鼠の穴”へ」

その男――ジャックは、私を見るなり芝居がかった仕草で立ち上がると、大げさなほど丁寧にお辞儀をしてみせた。

そのヘラヘラとした態度に、私は思わず口元だけで小さく笑ってしまう。

どうやら、エリスさんの言う通り、一筋縄ではいかない相手のようだ。

「さあさあ、お嬢さん、まずは座って。こんな埃っぽい店に、君のような花が咲いてるだけで俺はもう幸せだよ」

「お気遣いどうも。ですが、その花は案外、棘があるかもしれませんよ?」

私が笑顔でそう返すと、ジャックは心底楽しそうに声を上げて笑った。

「ははっ、いいねぇ! その棘で刺されるなら本望だ!」

「……ジャック。その辺にしておきなさい。彼女はあんたの安い口説き文句を聞きに来たわけじゃないのよ」

エリスさんが、呆れを通り越してもはや無表情で釘を刺す。その様子に、私は内心でくすりと笑った。

(このやり取り、きっといつものことなんでしょうね。エリスさん、すっかりお母さん役が板についています)

「おっと、そうだった。で、俺様に何の用だい? エリス。まさか、俺の愛を確かめに……」

「依頼料の交渉よ」

エリスさんが間髪入れずにそう言うと、ジャックはわざとらしく肩をすくめてみせた。

「ちぇっ、色気のないこと言うねぇ。ま、いいさ。そこの美人さんが一緒なら、俺のコレクションから秘蔵の情報だって出しちゃうよ。もちろん、特別価格でね」

彼はカウンターに肘をつき、人差し指で自分の唇をそっとないなぞる。その仕草はいちいち芝居がかっていて、面白い。

「それで? 何が知りたいんだい、ゴールドランクのお嬢さん。この街の美味い酒の店かい? それとも、俺のプライベートな情報かい?」

「ふふ、あなたのプライベートにはあまり興味が湧きませんね。残念ですけど」

私はその軽口に乗りつつ、すっと本題を切り出す。

「聞きたいのは、この迷宮の“今”です。特に……この辺りで活動しているという“勇者一行”について、何か面白い話はありませんか?」

私のその一言で、ジャックのヘラヘラとした笑みが、ほんの僅かに――本当に、注意深く見ていなければ分からないほど微かに、変化した。

瞳の奥の光が、商人のそれへと切り替わる。

彼はゆっくりとカウンターの椅子に腰を下ろすと、足を組んで、値踏みするようにこちらを見つめ返した。

「……ほう。そいつはまた、随分と“高い”情報だぜ、お嬢さん」

その声はまだ軽薄さを残しているが、先ほどまでの単なる口説き文句とは明らかに質が違う。

ここからが、この男との本番。

「ええ、承知の上です。だからこそ、あなたを訪ねてきたんですよ、“鼠の穴”の主さん」

私がそう言って微笑むと、ジャックは満足げに、そして挑戦的に、口の端を吊り上げた。

彼の背後で、店の奥へと続く闇が、まるで迷宮の入り口のように、深く口を開けているように見えた。