軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ただいま。

(……ヤバい。泣きそう)

ただでさえ、今日はいろいろとあり過ぎだというのに、トドメがこれか。どうにかうなずいたものの、胸がいっぱいで言葉が出てこない。

朝には魔導学園の制服を着て、入学式というささやかなイベントにわくわくしているだけだった。それが、腹違いの兄に喧嘩を売られたと思ったら、対面する予定などなかった実の父親とまで会うことになって――そういえば、グレゴリーは大丈夫だろうか。

マクファーレン公爵家は、彼にとって決して居心地のいい場所ではなさそうだった。ライニールと凪のために勇気を振り絞ってくれた彼には、これ以上辛い目に遭ってほしくない。

(うー……ダメだ。シークヴァルトさんにどきどきしすぎて、頭がほかのことを考えて現実逃避しようとしてるぅ……。ごめん、グレゴリー。キミを心配してるのは本当なんだよ! ただちょっと、わたしの心臓が非常事態に陥っているだけなんだよー!)

とはいえ、今の凪の本分が魔導学園の学生であるのは、この国の王太子であるオスワルドのお墨付きだ。

密かに深呼吸をして、隙あらば全力疾走をはじめそうな心臓をごまかしながら口を開く。

「ありがとう、シークヴァルトさん。えっと……狂化魔獣のせいで、エイドラム団長みたいになっちゃった人はいないんだよね?」

「ああ。重傷者がいるという報告は、入っていないぞ」

そっか、と凪はうなずく。

「じゃあ、明日の授業の準備とかしたいし、先に帰ってもいいかな? アイザックさんか兄さんに、断ってからのほうがいいのかな」

「……あのな、ナギ。今は興奮状態で疲れを感じていないかもしれないが、そんなわけはないんだぞ。屋敷に戻ったら、まずは寝ろ。明日の授業も、無理をしてまで出席する必要なんてないんだ。わかったか?」

「はーい」

シークヴァルトの忠告に素直にうなずくと、彼はすぐにアイザックとライニールに連絡を入れた。ふたりからも、もう凪がここに留まる必要はないとの判断がもらえたので、授業を控えた学生チームは一足先に帰らせてもらうことにする。

ヒューゴにも連絡を入れ、第三騎士団の制服から魔導学園の制服に着替えると、凪は白衣姿の彼に再び見よう見まねの敬礼をした。

「ヒューゴさん、お世話になりました」

「ナギさま。こちらこそ、大変お世話になりました。私は、この騎士団を代表する立場にはありませんが……。我ら一同、心からあなたさまに感謝しております」

優秀な治癒魔導士で、毎日大変な仕事をしている彼にかしこまられると、やっぱりなんだかムズムズしてしまう。

魔獣の討伐は、戦闘行動が終わってからの後始末もかなり大変だと聞いている。騎士団の面々が休めるのは、きっとまだまだ先のことなのだろう。

それでもこれだけは、と凪は口を開いた。

「あの、エイドラム団長さんに、落ち着いたら弟さんに会いにきてもらえるよう、伝えてもらえますか? 彼、お兄さんのことをすごく心配してたんです」

「団長の弟御……ああ、たしか魔導騎士団の見習いになったのでしたね。了解いたしました、必ずそのように伝えておきます」

しっかりとうなずいてくれたヒューゴに、シークヴァルトも辞去の挨拶をして、そのまま王都の屋敷に転移する。見慣れた玄関ホールの空気は、ほんの数時間ぶりだというのに、とても懐かしい感じがした。

(うーん。ここに引っ越してきてから、まだ十日も経ってないけど、やっぱり自分のおうちというのはいいものだね!)

そんなことを考えながら、シークヴァルトの腕から床に降り立った途端、玄関ホールの奥に続く廊下からバタバタと騒がしい足音が近づいてくる。

「ナギちゃあぁああああんっっ!」

「おー! ただいま、ソレイユ!」

真っ先に現れたのは、魔導騎士団見習いの制服を着たソレイユだ。どんな勢いで抱きつかれても、どーんと受け止めてみせるゼ! という心意気で両手を広げ、待ち構える。

(……あるぇ?)

しかし、ソレイユは玄関ホールに足を踏み入れるなり、靴底がすり切れるんじゃないかと不安になるような唐突さで、急ブレーキをかけた。そんな彼女の隣に、一歩遅れてセイアッドが、そして第二部隊のメンバーたちが次々にやってくる。

飛びついてきたソレイユを、全力で受け止めるつもりだった凪は、中途半端に持ち上げた腕をどうしたものかと困惑し、首を傾げた。

「えっと……。エイドラム団長さんは、ちゃんと治してきた、よ?」

「~~っ、もぉおおおおおーっっ!!」

顔をくしゃくしゃにしたソレイユが、小走りになって抱きついてくる。ただ、その勢いは想像していたような激しいものではなくて、ひたすらぎゅうぎゅうとしがみついてくるだけだ。

「エイドラム兄さまを助けてくれて、ありがとう……っ! でもっ! 聖女さまだなんて、聞いてないいぃいいい」

「うん、ごめん」

嘘を吐いていたわけではないけれど、隠し事をしていたのはやっぱり悪かったと思うので、震える背中をぽんぽんと叩きながら素直に謝る。そして、少し離れた場所で立ち尽くしたまま、珍しくどうすればいいのかわからない、という顔をしているセイアッドに向けて、にっと笑う。

「ほらほら、セイアッド。数十年に一度出没する、超レアなイキモノの聖女さまだよー? 何か、ご感想は?」

「……ああ」

ぽつんと声を零したセイアッドが、ためらいがちに近づいてくる。そして彼は、おもむろに右手を持ち上げると、ソレイユの襟首を掴んで力任せに凪から引き剥がした。

ぐぇ、とカエルのような声をもらしたソレイユが、涙目のままセイアッドを見上げる。

「ちょっと、何してくれてんのー!?」

「それは、こっちのセリフだ。ここはどう考えても、おれが先に礼を言うべき場面だろう」

いつの間にか戻った無表情で淡々と言われ、ソレイユがばつの悪そうな顔になった。

「ごめん、これはあたしが悪かった」

「まったくだ」

そんなふたりの様子に、凪は思わず口を開く。

「セイアッドがお兄さんと似てるのは、本当に見た目だけなんだねえ」

ソレイユの襟首を掴んだまま、セイアッドがびしっと固まる。

「……兄貴と、話したのか?」

「うん、少しだけ。話には聞いてたけど、本当にすっごく元気な人だねえ、エイドラム団長さん。あ、向こうが落ち着いたらセイアッドに会いに来てくださいねーって伝えてあるから、きっと近いうちに来てくれると思うよ!」

にこにこしながらそう言うと、なぜかセイアッドが天を仰いだ。そんな彼に、ソレイユがぼそぼそと言う。

「いい加減、エイドラム兄さまのノリにも慣れたらいいのにー」

「ソレイユ。人間には、がんばればできることと、どう足掻いてもできないことというのがあるんだ」

凪は、まじまじとセイアッドを見つめて問いかける。

「セイアッドって、お兄さんと仲が悪いわけじゃないんだよね?」

「悪くは、ない。ただ――いや、先に礼を言わせてくれ。……ナギ。おれの兄貴を助けてくれて、ありがとう。本当に、心から感謝している」

まっすぐに目を見て言う彼に、凪は笑って応じた。

「わたしはただ、セイアッドとソレイユが泣くのが、イヤだっただけだよ。えっと……わたしが聖女なのを黙ってたことは、許してくれる?」

「許すも何もないが……。その、エルウィン隊長に、おれたちがいきなり敬語になったりしたら、おまえが悲しがると言われたんで、今もこんな感じなんだが。この屋敷の中限定のこととはいえ、本当にいいのか?」

凪は咄嗟に、少し離れたところでこちらを見守っている第二部隊のメンバーたちに視線を向ける。そして、目が合ったイケオジな第二部隊の隊長がうなずくのに、思わずぐっと親指を立てた。

「エルウィン隊長、ありがとうー!」

「いやいや。俺たちの仕事は、おまえさんが心地よく過ごせるようにすることだからな。同い年のダチってのは、いいもんだ」

なんとありがたい気遣いであろうか。

もし今、帰ってくるなり敬語になったソレイユとセイアッドに迎えられでもしていたら、凪は傷心のあまり泣き崩れていたかもしれない。

密かに胸をなで下ろしていると、シークヴァルトに軽く背中を叩かれた。

「ほら、そろそろいいだろう。明日からちゃんと授業を受けたかったら、さっさと寝てこい」

「ういっす」

言われてみれば、たしかに少し疲れたような気もする。周りのみなも、揃って早く休むよう言ってくるので、ここは経験豊かな人々の助言に従うべきなのだろう。

(考えてみたら、聖女パワーも治癒魔術も、こんなに一気に使うのはじめてだもんなー。さすがに今日は、いろいろとありすぎたでござるよ……)

自室に戻り、肌触りのいいパジャマに着替えた凪は、ベッドに入って横になる。そして、枕の柔らかな感触を感じる前に、凪の意識はすとんと落ちた。