軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

お坊ちゃまは、危機を回避したようです

凪は思わず、シークヴァルトのほうを見た。ものすごく自然に目を逸らされる。ソレイユとセイアッドはと視線を向ければ、少し意外そうな顔をして凪を見ていて、そんなふたりの目は口ほどに「え、知らなかったの?」と言っていた。

……これは、あれか。

魔導騎士団ではみな当たり前に知っていることだから、凪に教えるのを普通に忘れていたというやつだろうか。

(べっ、別に、イラついてなんかないし。こんなわりと大事っぽいことを黙っていられたからって、いちいち怒るようなことじゃないし。……うん。しょんぼりなんか、してないし。わたしが文句を言うようなことじゃないもん……もん……)

密かに気落ちした凪に、ひとつうなずいたグレゴリーが言う。

「それならば、これ以上の証人は必要ないとは思うんだが……。今日はきみも言った通り、報道関係の人間が大勢来ているだろう? だったら――」

そうしてグレゴリーが口にした提案に、凪は驚いて目を丸くした。

「よろしいのですか? そんなことをしては、あなたのマクファーレン公爵家での立場が難しいものになるのではありませんか?」

「ああ、いいんだ。きみのお陰で、よくわかった。……いや、ずっとわかっていたことから、目を背けるのをやめられた。あの家には元々、ぼくの居場所なんてなかったんだよ」

だから、とグレゴリーが強張った、けれどどこか吹っ切れたような笑みを浮かべる。

「ぼくはこれから、自分の力で居場所を作る。そのために、きみを利用するのだと思ってくれていい」

「……そうですか」

悪くない、と思う。

はじめて会ったときには、己を守るため必死に他者を威嚇するしかなかった少年が、はじめて親に逆らおうと――親離れのための、最初の一歩を踏み出そうとしている。

(うーん……。ショック療法が効いちゃった、とかいうやつかな? いやまあ、何も知らなかった十五歳の男の子に、いきなりとんでもない事実を豪速球でぶつけまくった自覚はあります……。今から思えば、ちょっとオーバーキルだったかなーと……うん……なんか、ごめん)

いくら出会い頭に喧嘩を売られてイラッとしたとはいえ、凪はそれまでグレゴリーが生きてきた世界を、土足で踏みにじって蹴り壊したようなものなのだ。マクファーレン公爵夫妻の醜聞は、いずれ必ず明らかになっただろうけれど、子どものグレゴリーにはなんの罪もないのである。もう少しだけでも、彼の心情に配慮すべきだったと思う。

反省した凪は、真剣な眼差しをしたグレゴリーに、にこりと笑った。

「わかりました。それでは、よろしくお願いいたします」

そう言って右手を差し出すと、一瞬泣きそうに顔を歪めたグレゴリーが、恐る恐る手を伸ばしてくる。

指先が触れ合う。当然ながら、母親が違うふたりの魔力が共鳴することはない。

――それでも、わかる。

今、触れ合っている相手の魔力は、自分のそれにとても近い。

目を瞠ったグレゴリーも、同じことを感じたのだろう。くしゃりと顔を歪めて、彼は小さく呟いた。

「きみは、本当に……いや。なんでもない」

ひとつ首を横に振り、グレゴリーが手を離す。

「……ナギ嬢。ひとつだけ、お願いしてもいいだろうか」

「なんでしょう?」

ひどく真剣な様子で、グレゴリーが言う。

「ぼくを、叔父さまと呼ぶのはやめてくれ」

「あら、残念」

***

『……いいんですか? シークヴァルトさん。ナギが報道陣の前に出るのは、今日の予定にはなかったでしょう』

シークヴァルトのほうを見ないまま、セイアッドがピアス型の思念伝達魔導具を通じて問いかけてくる。

たしかに、これから護衛対象の少女がやろうとしていることは、彼ら護衛チームがまったく想定していなかった事態だ。彼女の安全を最優先に考えるのであれば、ここは止めるべきである。

しかし、シークヴァルトはちらりと窓の外を見てから、あっさり応じた。

『ライニールのほうは、すでにケリがついている。マクファーレン公爵家の護衛連中は、対象との中距離を維持したままだ。問題ない』

『了解しました。ですが、今のおれたちの立場では中距離すら維持できません。ソレイユが同行するのも、現状では不自然でしょう。どうしますか?』

その問いかけには応じず、シークヴァルトは通学鞄を肩に引っかけ、グレゴリーに向けてにやりと笑う。

「よお、マクファーレンのお坊ちゃま。なんだか、面白そうなことを言ってるな。ヒマだから、オレも見物に行ってやるよ」

先ほど、ぐちゃぐちゃになった顔を洗いに行くよう促すとき、揶揄する口調で言ったからだろう。グレゴリーが、くわっと噛みつく勢いで言い返してくる。

「うるさい! これは、ぼくたちの問題だ! 部外者はしゃしゃり出てくるな!」

「バカか? おまえ。トラブルってのは、他人事だから楽しいんじゃねえか。ホラホラ、貴族のお坊ちゃま方、お嬢さん方も、さっさと行った行った。中庭でのガーデンパーティーとやらには、アンタらの家族も参加してるんだろう? よかったなあ、今なら家族と合流しにいくだけで、マクファーレン公爵家が主演の舞台を、特等席で見学させてもらえるぜ?」

ヒラヒラと軽薄そうに手を振りながら言ってやれば、貴族階級の子どもたちが明らかに挙動不審になる。上位貴族に関する、鮮度の高い確実な情報。それは、彼らにとって決して見過ごせない貴重なエサだ。

しかし、当の本人であるグレゴリーは、明らかにギャラリーの存在を拒絶している。いくら過去の醜聞を暴かれている真っ最中とはいえ、マクファーレン公爵家はこの国の貴族社会で最上位に位置する家だ。その後継者である彼の意向に反してまで、シークヴァルトの煽動に乗る者がどれほどいるか――

「あら。もしみなさまがご一緒してくださるなら、とても心強いです。……そうそう、あなたのことはこれからどうお呼びすればいいかしら? お名前で? それとも、グレゴリーお兄さま?」

「おに……っ」

コロコロと笑いながらナギがそう言った途端、グレゴリーの顔がそれまでとは違う意味で真っ赤になった。いかにも無邪気そうな様子で、ナギが首を傾げる。

「わたしが叔父さま、と呼ぶのはおいやなのでしょう? それとも、兄上と呼んだほうがよろしかったかしら」

(……うん。楽しそうだな、ナギ)

シークヴァルトの見る限り、グレゴリーは自分の両親を完全に切り捨てることはできていない。そこまでの覚悟は、まだ決めきれていないだろう。

それでも、彼はナギの手を取ることを選んだ。彼女の存在そのものが、今のマクファーレン公爵家を根底から覆すとわかってなお、父親の過ちを正面から受け入れた。

きっとこれから、グレゴリーの心は大きく揺れ動くだろう。両親への愛情と、今まで自覚することもできなかった憎悪。マクファーレン公爵家に対する義務と、それに対する鬱屈した感情。ほんの些細なきっかけで、彼が簡単にナギの手を振り払う可能性は、まだ充分にある。

けれどきっと、そうはならない。

――愛情に飢えた子どもの心が、生まれてはじめて触れたささやかなぬくもり。

グレゴリーが両親から受け続けてきた仕打ちが、虐待と呼ばれるものなのだ、と。父親の愛人が子どもを罵倒することは、決して許されてはいけないことなのだ、と。

ナギはただ、当たり前の事実を告げただけ。しかし、そんな当たり前のことを、今まで誰もグレゴリーに伝えてこなかったのだ。

(このお坊ちゃまにとっては、ナギの軽口も嬉しくて仕方がないんだろうな。軽口を言われる程度には、心を許されているんだ。おまえ、自分が泣きそうな顔してるって、わかってるか?)

グレゴリーが、ナギから顔を背けながら、ぼそぼそと言う。

「……グレゴリー、と。普通に、名前で呼んでくれ」

「そうですか。では、グレゴリー。わたしのことも、ナギと呼んでくださいな」

そう言ってナギが笑った途端、グレゴリーが真っ赤な顔のまま何度もうなずく。シークヴァルトは、ものすごく生温い気分になった。

(よかったなー、お坊ちゃま。そこでおまえがナギからの兄呼びを選択してたら、ナギに関してはものすごーく心が狭くなるどこかのオ兄チャンが、完全におまえを敵認定してたぞ。永久凍土の眼差し、待ったなしだったぞ)