軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

リオの初恋

(いや、気持ちはわかるけども! ものすごくわかるけどもね!?)

凪とて、シークヴァルトからレングラー皇帝の印象や、過去に彼が幼い弟にしたひどい仕打ちについて、僅かながら聞いているのだ。

『ワガママでキレやすくて自分の思い通りにならないことは絶対に許せない、かなりガキくさいところのあるおっさん』であるはずのレングラー皇帝が、まさか自国の聖女からの『陛下のばかー! おたんこなすー!』という暴言を甘んじて受け入れるような御仁であったとは、想定外にもほどがある。

とはいえ、そんな兄に殺されかけたこともあるシークヴァルトにとっては、到底信じがたいビフォーアフターであったに違いない。

子どもたちが何も言えずにいる中、彼は少しずつ困惑から脱してきたようだ。

ひどく呆然とした様子のまま、ぼそりと呟く。

「あー……うん。そうか。……うん。人間って、変わり果てるんだな……」

(変わり果てるて)

言葉のチョイスが若干気になったものの、どうやら『アレ』が間違いなく自分の実兄であることは、一応認識できたらしい。

少し考え、凪はいまだ衝撃覚めやらぬ様子のシークヴァルトに声を掛けた。

「あのね、シークヴァルトさん。わたし、今の映像を見るまでは、いつかレングラー皇帝に会うことがあったら、背後から膝かっくんをして思いきり背中を蹴り飛ばしてすっ転がして、向こうずねをホウキでビシバシに叩いてやりたいと思ってたんだけど」

「……なんて?」

シークヴァルトが、首を傾げる。

「いつかレングラー皇帝に会うことがあったら、背後から膝かっくんをして思いきり背中を蹴り飛ばしてすっ転がして、向こうずねをホウキでビシバシに叩いてやりたいと思ってたんだけど」

「……聞き間違いじゃなかったかー」

うん、と頷き、凪は続けた。

「レングラー帝国の聖女さまに泣かれちゃいそうだから、やめておくことにする」

「ぜひ、そうしてくれ」

真顔で返され、凪はにこりと笑って言う。

「まあ、いくらレングラー皇帝が可愛い聖女さまとぴゅあっぴゅあの純愛を育んでいようと、そのお陰で以前とは別人のように成り果てていようと、それはわたしが皇帝を大嫌いなこととは関係がないので。隙あらば皇帝の弱みを全力で握りにいこうというスタイルは、今後も継続の方向で行こうと思います」

「ぴゅあっぴゅあの純愛……? アイツの弱み?」

よくわからない、と言いたげな顔をするシークヴァルトは、いつもより幼い雰囲気があってとても可愛い。

うっかり萌え転がりそうになったが、どうにか我慢して厳かに頷く。

「うん。皇帝が可愛い聖女さまにおねだりされて、素敵な湖の畔できゃっきゃウフフの追いかけっこをしてる現場なんかを押さえられたら、おふたりの結婚式のときに上映するらぶらぶメモリアルとして、高値で売りつけられそうな気がする」

「それは、なんか違うと思うぞ」

スン、と真顔になったシークヴァルトに、セイアッドが珍しく気の毒そうな表情を浮かべて口を開いた。

「すみません、シークヴァルトさん。ここは、レングラー帝国の皇帝陛下がロリコンじゃなかったかもしれない希望が出てきたということで、さっさと立ち直ってもらっていいですか? もうひとつ、報告しなければならないことがあるんです」

「うん。おまえって、上官に対して結構容赦がないよね」

はあぁ、と深いため息を吐いたシークヴァルトが、軽く頭を振って顔を上げる。

「それで? もうひとつの報告ってのは?」

「はい。先ほど、エリアスさんから連絡をいただきまして。――聖女ディアナさまのご夫君、イグナーツどのの年齢と出身地を、至急確認していただきたいと」

シークヴァルトが目を瞠るのと同時に、凪は思わず両手をぽんと打ち合わせた。

「あ、それ! イグナーツお兄ちゃんのこと、エリアスとステラにも伝えておかなきゃなんだった!」

そう言うと、なぜかその場にいた三人が硬直する。

いったいどうした、と思っていると、少しの間のあと、ソレイユがぎこちなく問うてきた。

「え……お兄ちゃん、て。ナギちゃん、イグナーツさんのこと、そんなふうに呼んでたの?」

きょとんとした凪は、首を傾げた。

(あるぇ? そういえば、イグナーツさんに『お兄ちゃん』て言われたときから、なんかナチュラルに『イグナーツお兄ちゃん』て言ってるな?)

ひょっとして、リオの記憶に引きずられているのだろうか。

だが、基本的に孤児院の子どもたちは、互いのことを名前で呼び合っていたはずだ。

なのになぜ、と思いながら、改めて脳内情報を検索してみる。

――大丈夫だ、リオ。ゆっくり、深呼吸してごらん。

――泣かなくていいんだよ。俺が、おまえのそばにいて怪我をしたことがあったか?

――そう、いい子。ん? 俺はおまえのお兄ちゃんなんだから、おまえを守るのは当たり前だろう?

荒れ果てた部屋の中、泣きじゃくる幼いリオの涙を拭う指先と、優しい声。

温かな腕に抱きしめられて、何度もそのまま眠りに落ちた。

(うわぁ……)

凪は、思わず両手で顔を覆う。

これは、アレだ。

「……うん。今、思い出した。わたしが小さい頃……聖女の力が発現する前に、ときどき制御できなくなってた魔力を抑えてくれてたの、イグナーツお兄ちゃんだ」

聖女種を発芽させられるほどの、膨大なリオの魔力。

幼さゆえに制御不能になったそれを抑えられるとしたら、よほど魔力の扱いに秀でた者だけだろう。

四歳年上で、しかもあれほどハイレベルな魔術を行使できるイグナーツが、その制御を担当させられていたとしても不思議はない。

リオは物心ついてから十歳くらいの頃まで、彼のことを『イグナーツお兄ちゃん』と呼んで、誰より頼りにしていた。聖女種の発芽に伴い魔力が減衰し、彼の力を借りなくても済むようになってからは、『イグナーツ』という呼び方に変えようとしたこともある。けれど、咄嗟に出てくるのはやはり『イグナーツお兄ちゃん』だったのだ。

「めちゃくちゃお世話になってたのに……。今の今まで忘れてたとか、申し訳なさすぎて恥ずかしすぎるうぅ……」

それに――たぶん、なのだけれど。

リオの記憶の中で、イグナーツの姿を見るたび幸せで、胸の奥が温かくなった。彼が十五歳になって孤児院を去ったときには、悲しくて寂しくて、しばらくの間泣き暮らしていた。

きっと、リオ本人も自覚はしていなかったのだろう。

それでも、あの気持ちはきっと――。

(初恋、だったんだろうなぁ)

だからリオは、彼女に心を寄せるほかの少年たちの気持ちに気づけなかった。

幼く純粋な恋心は、たったひとりだけのものだったから。

決して自分のものではない、けれど自分のもののように感じられる胸の痛みに、凪はそっと息を吐いた。

(……うん。リオ。アナタの大好きなお兄ちゃんは、とってもとっても素敵なお嫁さんをもらっているからね! あとでアナタのぶんまで思いっきりお祝いしておくから、そっちのお兄ちゃんがお嫁さんをお迎えしたときには、わたしのぶんまで全力でお祝いしてあげてもらえると、とっても羨ましくて嬉しいです……!)

いろいろと思い出した結果、凪が違う世界で生きているもうひとりの自分に怨念――ではなく、心からの祈りを飛ばしていると、ソレイユがぼそりと口を開いた。

「ナギちゃんが小さい頃の、魔力制御をしてたって……。それ、本当ならライニール副団長がしていたはずのことだよね?」

ああ、とセイアッドが低い声で応じる。

「幼少期のナギからの『お兄ちゃん』呼びもな。……ライニール副団長には、この件は知らせないほうがいいかもしれん。ものすごく、面倒なことになる予感がする」

シークヴァルトが、深々とため息を吐く。

「まあ……なんだ。とりあえず、イグナーツどののことを、エリアスとステラ嬢にも伝えてやったらどうだ?」

彼に促されたセイアッドがエリアスの通信魔導具を呼び出すと、すぐに応答があった。

『エリアスです。何かありましたか? セイアッドくん』

「はい。ただいまナギとシークヴァルトさんが、こちらに戻ってきておりまして。先ほどの件を確認したところ、イグナーツどのはあなた方と同じ孤児院出身の方で間違いありませんでした」

少しの間のあと、吐息混じりの声が返ってくる。

『ありがとうございます。ステラは今眠っているので、あとでこちらから伝えさせてもらいますね。ナギも、そこにいるんですか?』

「はい。この会話も、一緒に聞いていますよ」

そうですか、とエリアスが静かな声で言う。

『ナギ。……きみの中の、幼いきみに言わせてほしい。イグナーツが生きていて、よかった。幼い頃のきみたちは、本当に本物の兄妹のようだったから』

彼の言葉を受けたセイアッドが、黙って通信魔導具を手渡してくれる。

少し迷ったけれど、それを受け取り口を開く。

「……うん。ありがとう、エリアス」

エリアスの言葉は、きっとリオに向けてのものだ。

このお礼も、凪が言うべきことではないのだろう。

けれど、リオの記憶が、そこに残された心が、嬉しいと――イグナーツが生きていて、泣きたいくらいに嬉しいと言っている。

小さく息を吐いたエリアスの声が、明るくなった。

『けど、イグナーツが聖女さまの旦那さまとか、なんか笑える。アイツ、聖女さまに縁がありすぎだろ』

「そうだねえ。わたしもさっき、本人に言っちゃったよ。お嫁さんと妹が揃って聖女だなんて、びっくりだねって」

エリアスが、くくっと笑う。

『なんだ、もう話したんだ。アイツ、めちゃくちゃ驚いてたんじゃないか?』

「……まあ、うん」

ものすごく驚かれた直後に、盛大にキレられたことを思い出し、凪はつい遠いところを眺めたくなってしまった。

『どうかした?』

「あー……その、ね。イグナーツお兄ちゃんも、わたし――『シェリンガム男爵令嬢』が、ニセモノ聖女に刃物で刺されて、森に捨てられたってことは、知ってたみたいで……」

歯切れ悪く言うと、それだけでエリアスも事情を察したらしい。

『……キレたか』

「それはもう。ディアナさまとウィルヘルミナさまがいなかったら、ヤバかった」

そうか、と呟いたエリアスが、しみじみと言う。

『アイツの幻術系の魔術スキルは、俺たちでもわけがわからんレベルだからなあ。ニセモノ聖女とアイツを接触させたら、相手が発狂するまで暗闇の幻影の中に閉じこめておくくらいは、平気ですると思う』

「何ソレ怖い」

想像するだけでぞっとした凪に、エリアスは硬い口調で続けた。

『だってアイツ、泣いているきみをあやすためだけに、幻術のバリエーションをアホほど増やしまくっていたんだぞ。きみが好きだった絵本の世界を完全再現する術式を構築したときには、担当教官もどん引きしてたな』

はあぁ、とエリアスがため息を吐く。

『ちなみに、きみに子どもじみた意地悪をした連中は、ときどきそういう幻影の中に閉じこめられて、泣いて反省するまで解放してもらえなかった。……アイツは、小さな頃から魔力制御を担当していたきみを、完全に自分の庇護対象として可愛がっていたからな。それが今も継続しているなら、アイツは間違いなくニセモノ聖女を自分の敵だと認識してるぞ』

そんなことをしていたのか。

暗闇の幻影も怖いが、まるで現実そのもののような幻術が、延々と解除されないままというのも、想像するだけでもかなり怖い。

どうりで、リオをいじめた少年たちが、イグナーツの『お説教』のあとは見違えるようにおとなしくなっていたはずだ。

改めてイグナーツのブラコンぶりを認識した凪は、恐る恐るエリアスに問うた。

「ねえ、エリアス。イグナーツお兄ちゃんが、わたしが誘拐されてから殺されるまでの間に、ユリアーネ・フロックハートにされたことを知ったら、さ。やっぱり、マズいことになると思う?」

イグナーツはすでに、リオが刃物で殺され、森に捨てられたことを知っている。

しかし、小さな部屋に閉じこめられて毎日のように殴られたり、気絶するまで歌わされたりといった虐待については、また別の話になるだろう。

沈黙が落ちた。

ややあって、エリアスが重苦しい声を絞り出す。

『マズいか、マズくないかでいったら、間違いなくマズい。……けど、言っておかないで後で知られた場合には、それ以上にマズいことになる、と思う』

「……そっかあ。秋にはニセモノ聖女の裁判がはじまる予定だし、黙っていてもいずれ全部バレるよね」

ああ、と非常に苦悩しているのがわかる口調で、彼は続けた。

『ついでに言うなら、俺とステラもイグナーツには随分可愛がられていた。アイツが孤児院を出ていくまで、俺たちの攻略目標――訓練相手は、ほとんどアイツだったしな。だから……俺たちの置かれていた状況をアイツが知った場合も、結構ヤバい、気がする』

「うん。むしろ、ふたりのほうが辛い思いをしていた時間が長いぶん、キレ方が凄そう」

改めて考えてみると、イグナーツはノルダールの孤児院出身者の中では、かなり運がいいほうなのではなかろうか。

裕福な貴族の家に従者兼護衛として引き取られ、さまざまな紆余曲折の末にその護衛対象であった聖女と恋仲になり、今やしっかり相思相愛の夫婦となっているのだ。

まるで、身分違いの恋をテーマにした物語のような人生である。

だがしかし、だ。

「イグナーツお兄ちゃんにしてみたら、自分が素敵なお嫁さんとらぶらぶ新婚生活を楽しんでいた間、可愛がっていた弟や妹たちが命がけで戦わされたり、殺されかけたりしてたわけか……」

『……なんだか、普通に病みそうだな』

ずーん、と空気が重くなる。

「基本的に、考え方がかなりフリーダムな人だし。何より、幻術スキルが天元突破してるイグナーツお兄ちゃんなら、『バレなきゃ何をしても大丈夫!』って爽やかに笑いながら、わたしたちをいじめた連中をプチッと潰しにいきそうな気がする」

『うん。残念ながら、まったく否定できる要素がない』