軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

全世界防衛戦⑧ それぞれの防衛戦 下々

〝龍〟を封じる天星大結界。

その要の一つである〝右天之 祠(ほこら) 〟は四つの祠から構成されている。

東は天子山地、西は不老山、南は蓬莱山、そして北は青木ヶ原樹海。

通称〝北の祠〟は、木の根や岩などに囲まれた二メートル程の窪地の更に奥、地下へと続く洞窟の最奥にある。

元々は天然のカモフラージュがされていた場所で洞窟自体も埋没しており、人目に付かない場所だったのだが……

今は様相を一変させていた。

まず洞窟をすっぽり覆うようにして大きな施設が建造されていた。白を基調とした二階建ての建物で、広さは学校の体育館くらいありそうだ。

ただ、どこか研究施設を思わせる近代的な建物なのに、屋上だけが見慣れぬ作りになっていた。

いわゆる 鋸壁(きょへき) 。城壁でよく見られる凸凹状の縁だ。映画などで凹部分から弓兵が攻撃するシーンは見たことがあるだろう。まさに、あんな感じだ。

その建物の周囲は、更にぐるりっと大きくフェンスと有刺鉄線で囲われていた。

そして、出入り口のゲート部分には大きな看板があり、ここが国の管理地であること、富士山周辺の環境を調査・研究・観測する施設である旨が書かれていた。

〝龍の事件〟の際に起きた天変地異と富士山から噴き上げた黒煙。それを受けて政府が設けた災害対策所の一つ……というのが表向きだ。

もちろん、真実はハジメが政府の合意の上で作り上げた要塞である。

〝龍〟を目覚めさせないための封印を、まさかそのままにしておくわけがない。

その証が、そして病的なまでの備えの一つが今、これでもかと示されていた。

「「「ヒャッハーーーーッ!! ごきげんだぜぇ!!」」」

「こいやっ、ドブネズミ共ぉ! まとめて挽肉にしてやらぁっ」

「MⅡ訓、斉唱!! 我々はなんのために生まれてきた!?」

「「「「「MⅡ君の引き金を引くためだ!!」」」」」

「なんのため引き金を引く!?」

「「「「「MⅡ君がそれを求めているからだ!!!」」」」」

「敵が見えたらなんと言う!?」

「「「「「MⅡくん! ごはんの時間ですよぉ!!」」」」」

「誰だよっ、このイカレ野郎共にイカレた兵器を渡したイカレ野郎はぁっ!!」

ドゥルルルルルッと素敵な咆哮を上げながら、毎分12,000発の弾丸が樹海に解き放たれている。固い地面を耕し、木々を木っ端微塵に砕きまくっている。

どこから?

もちろん、研究施設(大嘘)の屋上だ。屋上の四方に合計二十機、銃座ごとせり上がってきたのだ。

では、撃っているのは誰?

もちろん、異世界の世紀末ヒャッハー共、ハウリアである。

元より「富士の樹海……なんて素敵な雰囲気なの♡」とハジメに内緒で隠れ里を作っていた大馬鹿野郎共である。そのおかげで〝龍の事件〟の際は偶然にも〝影法師〟の祠襲撃を撃退するというファインプレーに繋がったわけだが……

その件はひとまず脇に置いておいて。

この場所に常駐の警備が必要なのは自明のこと。当然ながら政府からも出向者がいるのだが、彼等に防衛設備=アーティファクトの全権限を与えることに躊躇いがあったハジメは、政府との交渉の末、そのままここをハウリアの集落拠点にすることを認めさせたのである。

で、ゲラゲラと笑いながら引き金を引いてるハウリア共にツッコミを入れたのが、その政府の方である。

松田三郎。御年六十歳。強面禿頭で体格も良いオジ様だが、見た目に反して元々は公安の事務職の方である。

警備員というよりは、警備をしているハウリア達の監視と政府の窓口としての人員だ。なので、当然ながらあまり荒事には慣れていない。

「「「「「今、ボスのことイカレ野郎って言った?」」」」」

「!? きゅ、急に真顔になるな! ただの言葉のアヤだ! 悪かった!!」

「「「「「それならいいヤァッハアアアアアッ!!!」」」」」

富士の樹海の奥深くで常駐任務なんて望んでやりたい者などいない。

定年も近いし、超常現象が絡んでくる事件とか、はっきり言って思考的にも常識的にもついていけないっていうか……どうせ離婚されちまって独り身だし、そんなら若い連中に辞令が下りる前に志願してやっかぁ~と、割と軽い気持ちで出向してきたのだが……

(くそがっ。〝無神〟とやらの存在感に当てられて狂ってんのか、普段の言動の延長か分からねぇじゃねぇか!! こんな奴等と共同生活するのが分かってたなら志願なんぞしなかったのにっ)

まっさん、松さん、同期以上にはサブちゃん、なんて呼ばれて多くの同僚達に慕われている松田さんだが、今、とっても後悔していた。妻に離婚届を突きつけられた時に匹敵する人生の後悔を味わっていた。

いや、少し嫌な予感はあったのだ。だって、研究施設と言いながら施設の中は「どこと戦争する気だよ」と思わずツッコミを入れちゃったくらい多種多様&大量の武器弾薬・兵器で埋め尽くされていたから。

ほら、今も、

「追加のランチャー、へいおまちぃ!」

「地雷原点火準備、完了よぉ! へへっ、早く押させてよぉ。このボタンを押したくて押したくて、あたしっ、もう我慢できないのよぉっ」

物騒な兵器を担いだ頭のおかしなウサギと、先程からずっと血走った目でリモコンのスイッチを握っている頭のおかしなウサギがニチャニチャした笑みを浮かべている。

縁からそっと顔を覗かせれば、建物の二階部分の窓からは幾つもの銃身が飛び出していて、ライフルやグレネード弾、狙撃用ライフルがマズルフラッシュを放ちまくっている。

更には建物とフェンスの間にズラリッと多脚ゴーレムが並び、同じくご機嫌に弾薬を消費していた。世紀末ヒャッハーにSF映画まで追加された感じだ。

フェンスの外側にも地面から飛び出した幾つもの 自動照準・発射銃火器(セントリーガン) が火を噴いていて、宙には何台ものドローンが飛び交い対地攻撃を繰返している。

要塞やん。こんなの完全に要塞ですやん。と、関西人でもないのに関西弁でツッコミを入れてしまうオジ様公安職員さん。

「ん? はい、こちら松田」

『松さん、状況報告を』

現場の人間と基本的には事務職という違いはあれど、同じ公安の人間である。旧知の仲である司令官殿――服部幸太郎からの連絡に、松田は特に動揺や悪態もなく、イヤホン型端末に手を添えながら冷静な応答を見せた。

「襲撃は継続。相変わらず大きなネズミの大群だ。今のところ撃退に問題なし。むしろ過剰戦力なくらいだ」

おびただしい数のネズミの群れ。

当然のように普通のネズミではない。体格が大きめのネコくらいあり、中には中型犬くらいの個体もいる。褐色の毛並みで、ところどころ水ぶくれのように膨れ上がっている箇所がある。五指が人の指のように長く、なんと言っても異様なのが口元だった。

鼻先から口元を覆うようにして触手のようなものが生えているのだ。そこから絶えず奇怪な鳴き声が出ており、数千数万単位のそれが重なって頭を掻き毟りたくなる気持ちにさせる。

という状況を、上空に飛ばしているカメラ付きドローンを通して本部へ送る。

『情報源によれば〝魔法の森の 賢鼠(けんそ) 〟と呼ばれる個体らしい」

「けん……なんだって?」

銃声とヒャッハーとゲラゲラがうるさいので建物の中に入る松田。

『賢いネズミと書いて賢鼠だよ、松さん』

「かし、こい……? 銃弾と爆弾の雨を前に辿り着けもしねぇのに、特攻しかしてこないネズミが?」

『本来は人並の知性があるらしい。それどころか、一種の統治機構と社会も形成しているとか。場合によっては交渉も可能らしいんだが……』

「いや、無理だと思うぞ。思考能力どころか理性すらも欠片も感じねぇ」

『そうか……』

サスラ達からの情報だ。探索者としての情報提供が機能し始めているらしい。今、あちこちに出現している〝無神〟も、既に倒した存在も、可能な限り情報が集められ共有されているのだ。

同じ個体が出た時、今度はより効率的に戦力を差配し、かつ打倒できるように。

「……やっぱり俺ぁダメだ。超常現象とやらにはさっぱりついていけん。ともあれ、あの異常なネズミ共はもっと異常になってるってこったな」

『そうさせられていると考えるべきって話だよ。それが上位の〝無神〟か、それとも崇拝者の類いのせいかは分からない。何にせよ偶然でも暴走でもない。その場所が明確に狙われているってことだ』

「そういうことなら俺じゃなくて、あのラナって子に連絡しろよ。俺ぁお飾りの管理人だぜ?」

『繋がらなかったから松さんにかけてる』

「……大忙しみたいだな」

少し前のことだ。この地の防衛において最大戦力である七大罪の魔王の一柱――べるちゃんが、ラナ達では厳しい相手が来たと告げて飛び出していったのは。

ほぼ同時に本部からも複数の〝無神〟の出現が通達されてきた。異形のネズミの大群が津波の如く押し寄せ、しかし、樹海の奥に更なる別の存在を感知したラナは決断したのだ。

ここの防衛力は十分であること、けれど防衛のみでは後手に回ること、攻撃こそ最大の防御よ! と考え、援軍たる獣人戦士団を率いて出陣したのである。

そのラナと連絡が取れないということは、今まさに交戦中なのだろう。

『役立ちそうな情報は随時送る。共有してくれ。そちらからも可能な限り〝無神〟の情報を送ってほしい』

「やれるだけやってみるけどね」

『状況が変化したら直ぐに連絡を。頼んだよ、松さん』

「了解、司令官」

プツッと切れる通信。松田のおじさんは溜息を吐いた。状況が状況だし、空気を読んで言わなかったが……

本当は言いたかったのだ。この件が終わったら異動願い出すから受理してもらえない? と。

「時代が変わったというには変わりすぎだろぉ」

こんな時代の変化に食らい付かないと定年を迎えられないというのなら、早めの引退もありかもしれない。

そう思いながら、施設の管理室へ向けて足早に階段を下りる。己の目で外の様子を確認するのは、もう十分。ここからは通信と情報管理のお仕事だ。

懐から取り出した端末でドローンを樹海に飛ばしつつ、ついでに慣れた仕草でタバコに火も付けつつ、

「あぁ、早く引退してぇなぁ」

そう独り言ちたのだった。

「やれやれ、早く引退したいものだ……」

まったく同時刻、樹海の奥深くで同じようなことを呟く者がいた。

狭い間隔かつ地形のせいで微妙に傾いて生えている二本の木が、より近くなる高い場所で、両の木に背中と足を突っ張るようにして宙に体を固定している。

体にフィットした緑基調の衣装、長い金髪は後ろで束ね、口元を隠すように布を巻いている。何より特徴的なのは、その笹のように長い耳。

見た目はまだまだ四十代後半でも通りそうなのに、苦労が多いのか雰囲気は完全に疲れた老人のそれ。

『森長、方向9、距離320、標的2』

静かな、囁くような声が脳裏に響く。貯蔵魔力で動く特別製アーティファクトによる〝念話〟だ。更に追加で細かな情報が幾つも届く。

それに耳を澄ませていた物語の中のエルフの如き細身の美しい男は、閉じていた目蓋をスッと開けた。樹海の奥を見通すように真横へ目を向ける。

視線の先は闇だ。夜目の利く種族ではあるが、それでも夜の樹海である。三百メートル先は見通せない。聞こえるのはリーン、リーンと耳に心地よい鈴虫の如き虫の音色だけ。

「とはいえ、恩返しの機会とあらば老骨に鞭打つにも気合いが入ろうて。何より――」

マスク越しに少し笑みが浮かぶ。流れるような所作で弓を構える。

『カウント5』

あまりに流麗で、構える過程が酷く分かりづらい。それは勇者たる光輝が至った剣の極みにある〝自然な動き〟に通じるものがあった。しからば、その腕前もまた剣聖ならぬ弓聖の 頂(いただき) にあることは、

『――4、3、2、1、今』

直ぐに証明された。

放たれた矢は二本。特殊な形状なのか風切り音もさせず、それどころか木々や枝葉の隙間を縫うようにして飛翔し、そして、

「ストレス発散にもなろうて」

『『ッ!?』』

見事、目標に突き立った。

それは一見するとトカゲであった。だが、トカゲというには手足があまりに直立歩行に適した形で、かつ頭部から尾までの太さが変わらず、そしてあまりに長かった。

言い直すならヘビに手足が付いた、というべきか。しかも、頭部には何かの紋様が描かれた頭巾を被り、手には見慣れぬ形状の金属製の杖のようなものまで持っている。

総合的に表するなら、それは〝蛇人間〟とでも言うべきだろう。

その脇腹に深々と突き立つ矢を、蛇人間共は数瞬の間、凝視した。驚愕と困惑、そして危機感が一瞬だけ意識を傷へ向けさせ硬直してしまう点、やはり人間くさい。

その一瞬は当然のように致命傷へと至った。

僅かに木を蹴り付ける音。ハッとした時には遅い。

蛇人間共が頭上を見上げるのと、大きな影が両手の斧を交差させたのは同時。軌跡はもちろん、蛇人間共の首を通り抜ける。

敵の間を擦り抜けるようにして着地しつつ、およそ人の身で可能とは思えないほど俊敏な動きで反転した大男は、更に両手の斧を振りかぶり――動きを止めた。

追撃の必要がなかったからだ。蛇人間共の長い首はボトリッと落ちて、一拍、その特異な肉体も後を追うように崩れ落ちた。

数秒の間、その死体をジッと見つめる大男。

筋骨隆々だ。だが、しなやかさも感じさせる。戦士として、ある種、芸術的な肉体美を誇っている。爪も牙も鋭く、眼孔はもっと鋭い。夜の闇の中で輝いているようにさえ見える。

そして、やはり耳に特徴があった。厳つい男の頭の上に、ちょこんっと乗ったそれは虎の耳に見えた。

リーンと鳴る虫の音色に虎耳をピクピクさせつつ、

「こちらG1。目標2、撃破。やはり戦士ではない個体がいるようだ。反応が鈍すぎる」

G1――元警備隊長から神話決戦時に戦士長に抜擢された、ハジメと妙に縁のある虎人族の戦士ギルが囁くような声音で言う。アーティファクトによる念話は念じるだけで伝わるが、使い慣れていないのでついつい声が出てしまうのだ。

『了解。装備を回収。方角7、距離280移動。木々の根で出来た窪地がある。そこに待機』

端的な女の声が具体的な指示を出してくる。ギルはフェアベルゲンの戦士長だ。五人しかいない最高位の戦士である。なのに、指示される側にあってまったく不満そうな様子もなく、素直に「了解した」と頷いた。

その視線の先に、周囲の樹の陰からスッと姿を見せる者達が映る。同じ虎人族の他に、豹人族、猫人族……

本来のギルの部下の中でも精鋭にして、森の中での隠密行動に長けた種族で構成された小隊メンバーだ。ギルの初撃を凌がれた際は即座に背後から奇襲する作戦だったのだ。

彼等は音もなく速やかに、しかし、言い知れぬ忌避感と嫌悪感に顔をしかめながら異形の蛇人間共から装備を剥ぎ取っていく。

「……流石はアルフレリック様。おそろしい技の冴えですね。全盛期から随分と落ちたと言いますが……むしろ腕を上げているのでは?」

豹人族の女戦士が、しゃなりとギルの隣に寄る。夜目の利く目は矢が飛んできた方向を見ているが、やはり暗闇しか映らない。

見えず、普通に当てることさえ難しい距離の動いている二つの的を、同時に射貫く。急所ではなく、あくまで気を逸らすための一撃とはいえ当然のように当てるとは……と、その神技に戦慄し身震いしている。

そう、あの弓手は最長老であるアルフレリックその人だったのだ。獣人族の生ける伝説にして最強の弓使いである。

だが、本来の役目は樹海のとりまとめ役だ。ユエの存在でトータスに心配はないとはいえ、最前線で一兵卒のように戦う者ではない。

では、なぜ彼が出陣しているのかと言えば、もちろん恩返しには代表自ら出向くべきという考えがあってのことだが、一番の理由は別だ。

良い機会だったからである。

どうしてこうなった……

そんな悲嘆の言葉を、まさか体現する存在になるとは夢にも思わなかった孫娘に、己の役目の一旦でも担わせるにあたって。

別に、だ。もういいのだ。誰に対して恋慕を抱こうと、その性癖が目を覆わんばかりの特殊なものであっても、もういいとアルフレリックお祖父ちゃんは思っている。昔のアルテナに戻れとも言わない。

だが、アルテナは森人の姫だ。生まれた時からその権利を享受しておきながら義務を果たさぬことは許されない。

それはアルテナも自覚しているし、全てを投げ出そうとしているわけでもない。

だが、だがしかしである。

カムが地球にほぼ移住状態になってから少しは落ち着いて政務に励んでいた(遠距離恋愛に嘆く乙女ムーブが非常にウザかった)アルテナだが、既にその奇行は多くの民が目にするところ。

多くの民の目は既に、〝ちょっと頭のおかしいお姫様〟になってしまっているのだ! 同時に、アルテナ様がアルフレリック様の後継で大丈夫か? と不安視する声まで。

なんなら、マジでカム様に引き取ってもらって、カム様が後継者でも良いのでは? アルテナ様は、ほら、そのサポートというか……みたいな感じの声が増えているのだ!

あるいは……

カムが地球への移住に断固たる意志を見せているのは、単にボスの傍でお仕えしたいというだけでなく、外堀が埋まりつつある現状に戦慄し、かつ、いつかマジで既成事実を作られかねない危機感からなのでは……

何はともあれ、汚名返上は、まぁ、手後れにしても有事にリーダーシップを発揮できれば多少の名誉挽回も夢ではない。ない……はず……と思いたいお祖父ちゃん心。

フェアベルゲンは長老会議による合議制でアルフレリック一人が抜けたところで意思決定機関が機能しなくなるということはない。最後のチャンスに代理くらいはさせてみよう……

せめて、突然の事態に動揺しているであろう民の心を慰めることくらいはできるはず……できて、お願い、マジで。

――孫娘 これが最後の 機会だよ

アルフレリック、心の俳句。

ということを、「カム様を助けに行きますわ!」と息巻いていたアルテナに、むしろ慈愛の表情で伝えたところ、祖父のその表情に何を見たのか。

アルテナちゃん、急に滝汗を掻き始め、視線を回遊魚の如く泳がせ、ちょっと青ざめながらも素直に「後事はお任せくださいましっ、お祖父様! 我等を代表して、受けた大恩に報いてくださいませ!」と送り出してくれたというわけだ。

きっと今頃は、樹海の外へ避難している民達の心の安寧のために、己に代わって奔走してくれているに違いない。厳かなる姫の顔で民に寄り添ってくれているに違いない。

違ったら……

お祖父ちゃんは心を鬼神にしなければならない。その時はきっと、お前の奇行を止める度に上がっていく弓の技量も遂には限界突破し、世界すら超えてお前を射貫けるようになるかもしれない。

名付けて〝界越の矢〟……至らせないでね?

現在進行形でお祖父ちゃんの期待にしっかりと応えているアルテナ姫は、民達から「昔の姫様が戻ったようだ!」と喜ばれながら、なぜかブルリッと背筋を震わせていた。

閑話(というのはど) 休題(うでもよくて) 。

「……いや、真に恐ろしいのはラナ・ハウリアの方だ」

アルフレリックを称賛する豹人の女戦士に対し、ギルは首を振った。その横顔には確かに戦慄が浮かんでいた。

リーン、リーンと鈴虫の鳴き声と、遠くから微かな喧噪が届く中、その小声は思いのほか響いた。

蛇人間の装備を回収し終わった戦士達が、震えを帯びた戦士長の声音に思わず視線を向ける。

直後、誰かが駆け寄ってくる音がした。犬人族の戦士だ。ギル達は奇襲部隊なので回収品を預かりに来たのだ。

「絶妙なタイミングですね……」

「ああ。行くぞ、彼女の指揮を乱すわけにはいかん」

ギルが指定された場所へ駆け出す。複雑怪奇な地形も、奇形というべき木々のうねりも、暗闇に閉ざされていても、彼等は樹海で生きる獣人族にして戦士だ。

人間には出せない速度で夜の樹海を音もなく駆けていく。

その間にも〝念話〟は響いていた。

『F小隊、30秒後、正面。S小隊、方角4へ転進。20秒後、右側面。A3、S小隊の援護。C小隊、距離20に洞穴がある。潜んで。40秒後に標的4が通るので撃破。E小隊、二分隊に分かれて正面の樹上へ。標的3が20秒後に下を通る。H小隊、そのまま圧をかけて追い込んで。J小隊は方角6、距離120を移動。隆起した岩の陰に隠れ、H小隊と挟み撃ちに。K小隊はそのまま直進。H及びJ小隊と合流して――』

淀みなく、常に流れ続ける指示。

それはオペレーティングだった。戦場を 俯瞰(ふかん) する者だけが可能な完璧な指揮だった。

何台もの暗視装置付きのドローンを飛ばして各々の映像を確認しているのか? それにしては指示に迷いや確認時間が少なすぎる。もっと直接的で直観的な指示だ。

それこそまさに、ラナ自身が上空にいて戦場全体を見下ろしているような。

だが、それは難しいはずだ。樹海の木々が邪魔するし、何らかの方法で生体反応だけは視認できているにしても地形まで完全に把握するのは無理なはず。

リーン、リーンと鈴虫の音が響く……

「あった。そこの窪地だ。身を隠せ」

指示通りの場所に言葉通りの地形が出現。ギル達が身を隠した直後、まるで見えているかのように、

『G小隊、30秒後、方角3より標的3。戦士個体』

と指示が飛んできた。そして、約三十秒後、本当に来た。蛇人間だ。ただし、被っている頭巾の色と描かれている紋様が違う。持っているのも杖ではなく、歪で不吉な形状の刃物だった。

目の前を通り過ぎていく。完全に背を見せる。刹那、ギル達は再び遊撃部隊として役目を果たした。

「G小隊、目標撃破」

『了解――』

別の報告を受けているのか、一瞬、言葉が詰まった。ギル達は敵の装備を回収しながら顔を見合わせる。

『全隊に報告するわ。クククッ、我等が深き闇刃が一つ〝 空裂(リーパー・ザ) 葬獄(・インフェルノ) 〟がやってくれたわ』

全員が思った。誰やねん、と。ただ、機械じみた受け答えや指示ではなく、ラナの声音が普段のアレな感じになっている点、それだけの余裕ができたのだろう、つまり朗報だな、ということだけは分かった。

ハウリアと接していると読解力が自然と上がるのだ!

『おぞましき異形の濁流を呼び寄せし愚昧なる 朽縄(くちなわ) の術師は永遠の深淵へと沈められた。繰り返す、不浄の根本は今、断たれた!』

全員が思った。なんて? と。

でもまぁ、たぶんあれだ。あの異形のネズミの大群は、蛇人間の中の術師が召喚だかなんだかしていて、その個体を倒せた……って感じだよな? と、ちょうど目の前で死んでいる蛇人間共を横目にしつつ顔を見合わせるギル達。

あっ、戦士長! 耳栓しようとしないで! ほら、目を開けて! イヤイヤしないの! 対ハウリア用に〝五感シャットアウトで普通に生活!〟を体得しているからって作戦中ですよ!

『だが、首魁たる存在は未だ天の舞踏会にて魔王とダンス中だ。気を引き締めよ。そして、完膚なきまでに我等が深き森の闇へと、そう! 深淵へと沈めっ――G小隊、方角3、距離90、詠唱中と思しき術師個体が2』

「「「「「急にスンッってなるな!」」」」」

ギャップと声音の寒暖差で体調を崩しそう。と、思わずツッコミをハモらせちゃう精鋭達。

ギル戦士長の目が死んでいる。そうか、念話には耳栓も無意味か……と。

「こちらG小隊、了解した。直ちに移動する。……いくぞ、お前達。言いたいことは後で言え。通じるかどうかは別だが」

「「「「「……了解」」」」」

ちょっと不満そうな部下を引き連れ、ギルは再び暗い樹海の中へ身を躍らせたのだった。

五感シャットアウトでも足りないなら思念シャットアウトも自力で身につけられないだろうか? いや、それでは指示も聞けない。そうだ、頭の中でハウリア語を自動翻訳するスキルを身につければいいんじゃないか!? と新たな進化(?)の可能性に思いを馳せながら。

そして、誰やねんの人、

「フッ、他愛ないわね。我が昏き刃からは何人も逃れられないのよ……」

ミナ・ハウリアは、また一体、別の蛇人間を仕留めてキメ顔でキメポーズを取っていた。

「くっ、あいつ……技の冴えが尋常じゃねぇ」

「ああ、一段、上のステージに上がったって感じだ」

「調子に乗ってるのね。二つの意味で。樹の根に足の小指をぶつけて死ねばいいのに」

這斬冥怪ヨルガンダルと雷刃閃孔イオ(以下、略)、ハウリアの女が戦慄と悔しさと嫉妬を隠しもせず呟く。

その周囲には何十体もの蛇人間の骸が転がっていた。

実は、蛇人間は少数グループで森を徘徊しているだけではないのだ。むしろ、確かな指揮系統のもと戦略的に動いている。

主戦場には千体に届こうかという蛇人間の集団と、熊人族の戦士長を戦団長とするフェアベルゲンの戦士団千人が正面から激突しているし、ついでに、

(ウォオオオッ、頭の中にっ、頭の中に常にハウリアの声ガァアアアアアッ!!)

と、まだハウリアがハウリア化した初戦で返り討ちにされ、以降、すっかりハウリア恐怖症を患っている熊人族の戦士レギンさんは、常に頭の中に響くラナの声で狂戦士と化している。

なお、バーサーカー化しても仲間は決して襲わないうえに身体能力が何故か爆発的に上がっており、その戦闘能力は既に全戦士長を凌駕するレベル。

実は戦士団の切り札的な認識をもたれていたりする。

加えて、恐怖を振り払うには鍛錬に没頭することが一番! と、毎日誰よりも訓練している姿、弱き者に共感し寄り添う姿勢、「え、君もハウリア恐怖症に? 月に一回、グループカウンセリングの会を開いているから、君もぜひ参加してくれ。大丈夫、君は一人じゃない。――仲間がいるよ!!」とハウリア被害者の会(最近は帝国の貴族の参加者もちらほら)での信頼も厚く。

バーサーカー化にはハウリアの 声(バフ) が必要だが、戦闘力は強力無比、彼を信頼する者達も徐々に増えている現状、将来は戦士長の座も……と考えられていたりする。

閑話休題。

ともあれ、蛇人間の主戦力をフェアベルゲンの戦士団が抑えている現状、その主戦場や〝北の祠〟攻略を有利にするために、蛇人間の小隊が幾つも樹海のあちこちに広がって暗躍しているという状況なのだ。

その一つであり、小隊というよりは中隊規模くらいはあった蛇人間の部隊を、今、ミナ達が壊滅させたところだ。

ミナの他に三人の奇襲要員たるハウリアと、前衛戦士として十人の獣人戦士、そして、蛇人間は魔術の類いを使ってくるが故に、

「ミナさん!! オン アビラウンケン!!」

両手で印を結び大日如来の加護を願う真言を氣力と共に放つ土御門の陰陽師も。

今、陽光の如き光を放ったのは清武だった。

なんらかの魔術か、それとも他からの干渉か。死んでいるはずの蛇人間の一体の喉が勝手に震え、空気が漏れ出るような響きを発したと同時に黒紫の煙が噴出したのだ。

それがミナを覆い隠す前に清武の光が祓うことに成功した。

同時にミナも動き、即座に蛇人間の喉を斬り裂く。

「ミナさん! 無事ですか!?」

「だ、大丈夫よ。それより、私のことはちゃんと〝空裂葬獄〟かミナステリアと――」

「あ、そうでした。すみません。ミナステリアさん!」

「あ、ちゃんと呼んでくれるんだ……」

「当然です。ミナさんが望むことを軽くみたりはしません」

「……」

なんだろう。足下には喉を斬り裂かれてダクダクと血を流す蛇人間が転がっていて、周囲にも背筋が震えるような忌避感を放つ骸が無数に転がっているのに……

なんか、空気が甘酸っぱい気がしてならない。というか、さっきからずっと。

そう、蛇人間の中に魔術の類いを使う存在がいると知り、樹海の中の術師狩りを行うべく小隊編成がなされた際、「ミナさんの部隊に志願しますっ」と清武が声高に叫び、そしてミナが「えっ!? べ、別にいい、けど……?」みたいに髪をイジイジし始めた辺りから。

〝龍の事件〟での樹海決戦時、お互いに意識し出した二人。

清武の方がいろいろ吹っ切れて積極的になった分、少しずつ仲を深めているようだが、ミナの方が押され気味というか、経験がなさすぎて浮ついた対応しかできないせいとうか、未だに学生の青春みたいなやり取りをしている。

でも、満更でもない……いや、普通に「自分にも春がキタァアアアアッ」と内心では大変喜んでいらっしゃるので、シアやラナの幸せぶりに病んでいた反動もあって、彼女の精神状態は今や絶好調状態。

特に清武が傍にいると戦闘力が1.5倍くらいになる点、その内心はダダ漏れである。

「なんかウザすぎて見てられないから殺っちゃっていい? いいよね、ヤるッ」

「やめとけ。普通に返り討ちにされるぞ」

清武に心配されて澄まし顔しながらも口元がニヤニヤしているミナを見て、ハウリアの女が少し前の 病(や) ミナみたいな表情でナイフを抜くが、その手を這斬……ヨルがガッと掴んで止める。

まだまだ仕事はあるのだ。身内で刃傷沙汰は勘弁である。

「清武、それくらいにしておけ」

死体が術を使う可能性あり。死をトリガーにした術か……と、ラナ及び〝北の祠〟で術的守りを敷いているご老公――土御門条之助に報告していたもう一人の陰陽師――健比古が息子を戒める。

「MCBの方――JやK達が心配だ。事情が事情だけに樹海を優先したが、できるだけ早く援護に向かってやりたい」

米国には派遣悪魔達のほか妖精界からも多数の救援が向かっているはずだが、既に互いを戦友と思えているエージェント達のことは、やはり心配らしい。

また、状況が状況だけに一時帰国という形を取ったが、こういう有事の時だからこそ、〝国から援軍を派遣した〟という事実そのものが大事にもなる。

いずれにしろ、上からの指示で陰陽師の派遣は行う方針なので健比古も清武も、こちらに余裕ができ次第、転移で彼等のもとに戻る予定だった。

ミナから視線を逸らし――露骨にしょぼんっとするミナさん――少しバツが悪そうにしつつも頷く清武。

「間もなく、お 姫(ひぃ) 様も新しい術に慣れる頃合いだろう。そうすれば日本の防衛自体に余裕ができる」

「……凄まじいな。流石は本家の姫というか、浩介君と、ある意味お似合いというか」

『全体に通達。戦域に新手の侵入を確認した。フォーメーションを変更する』

ラナからの通達により、現場に再び緊張の糸が張った。脳裏に響く的確な指示を理解し、ミナの号令のもと直ぐさま動き始める。

そんな中、清武は苦笑しつつ呟いた。

「まぁ、それでも浩介君にはやっぱりラナさんか」

姫様の肩を持ちたいが、この戦場を、そしてラナのしていることを理解すると称賛と戦慄を感じずにはいられない。

本人達の気持ちの強さもそうだが、同時に、突出した個ではないが突出した個を如何にして差配するか……という観点からしても。

「正妻、ね」

よく言ったものだと、清武はなんとも言えない曖昧な笑みを浮べずにはいられなかった。

そんな清武の表情を見て、「え……せ、正妻? 羨ましいの? ハーレムが羨ましいの? ねぇ、きよたけ? 私だけじゃ不満なの? どうすればいい? ねぇ、どうすればいいの、ねぇ」と不安そうな……いや、若干、ヤンデレっぽい目つきで己を見ているミナには気が付かずに。

併走するハウリアの皆さんは、ちょっとだけ清武くんの将来を心配した。

という樹海戦場ラブコメ的なやり取りが行われているなんてことは知らず、しかし、

「……」

ラナは個々人の内心以外の大半を把握していた。

周囲には誰もいない。戦域の中間位置でただ一人、樹上の枝に休憩でもするみたいに腰掛けて目を閉じている。ともすれば、皆が戦っている中で一人さぼって休憩でもしているみたいに。

遠くで喧噪が聞こえる以外は、ただリーン、リーンと鈴虫が奏でる音色だけが響いていて。

けれど、ラナのウサミミは、その〝静〟の雰囲気とは裏腹に忙しなく動いていた。

『こちらA1、指定の場所に到着した。だが……目標を視認できんぞ』

アルフレリックからの報告を聞いて、僅かに眉間に皺を寄せるラナ。少し考える素振りを見せる。

アルフレリックの弓兵としての、あるいは森の狩人としての目が、指定した待機場所から新手の存在を視認できないはずはない。必ず視認できると確信した位置に誘導したのだから。

にもかかわらず、アルフレリックが標的を捉えられない……

新手の姿を確認してもらい、本部へ報告。サスラ達、探索者の知識と照らし種別を特定し戦闘データを更新していく、という手順が初手で躓いた。

どういうことか。

ラナには、その浮遊する怪物の姿が確かに 見(・) え(・) て(・) い(・) る(・) というのに。

そう、見えていた。否、正確には認識と想像により思い描けていた、と表現すべきか。

これぞ、ラナが限界を超えて猛特訓した末に身につけた新たな力。

――超聴覚管制領域

ラナは兎人族だ。シアのような特別な能力も資質もない 普(・) 通(・) の(・) 兎人族だ。

今でこそ兎人族は恐怖の代名詞、恐ろしき暗殺者のような扱いを受けているが、本来、種族としての戦闘能力は決して高くない。

聴覚と気配操作が優れているのは、本来は危機から逃れるための力。強靱な肉体、無尽蔵の如き体力、あるいは知略に長けた種族では決してない。

それがイコール〝弱い〟とは言わない。人間が獣の身体能力を持たずとも食物連鎖の頂点に立っているように能力差を覆す方法はいくらでもある。

だが、どちらかと言えば〝持たざる種族〟であることも確かなのだ。

愛しい人の傍に有能なる者達が集まることを心から喜びながらも、しかし同時に、そのことに全く思うところがなかったと言えば嘘になる。

卑下することはなかった。

それは彼の愛情を汚すことだと思ったから。

愛されているという確信と誇りを、損なうこともなかった。

それは彼の愛を踏み躙ることだと思ったから。

だが、だからこそ、特別な才能を持った者達、特別な地位や有用な繋がりを持った者達が彼に惹かれ集っていく中、このままで良いなんて思えるはずもなく。

現実は現実として。

無いものは無いものとして。

事実(よわさ) を受け入れて。

自分はユエ様のようにはなれない。圧倒的な力もカリスマも持ち得ない。

それでも磨けるものはなんだ? 普通の兎人族である己にできる最大限はなんだ? 何をすることが最も彼女達の、あるいは彼等の、そして何より愛しい旦那様のためになる?

ハジメやユエに頼んで肉体改造をしてもらう? 兎人族としての枠を超越して、それこそ使徒化を懇願する?

あり得ない。意味がない。

己は何もせず強請って得ただけの力を、どうして誇れる。それで彼女達より強くなったとして、どうして私こそが正妻だと胸を張れる。そもそも、彼女達もまた同じ処置を受ければ直ぐに埋まる差に過ぎないのに。

ならば、答えは一つだった。

特別な才能を持つあの子達を、こうくんが得た関わりを最大限に活かす。支え、繋げ続けて、深めて、手助けする……

それは心の支えであり、関係性の維持であり、周囲の環境や世界情勢との関わりであり……

でも、戦闘面だって完全に捨てたわけではない。〝諦める〟は過去に捨ててきたから。

その一つの成果が、これだった。

「そういうことね……A小隊、注意。新手は姿を消せる」

まずそれだけ伝えて、通信機を起動。本部に照会を頼む。だが、相手の情報が来るまではしばらく時間がかかるだろう。まだ探索者ネットワークもサスラ達も行動中のはずだから。

リーン……リーン……

鈴の音にウサミミを澄ませる。

「A小隊、目標は浮遊している。体長は約三メートル。瘤が無数にあるナマコのような形状。触手もあり。近くでは枝葉が不自然な揺れ方をしている。風を操れると推測。落ち葉の類いにも注意して。A1の矢で目印を。その後、一斉射撃」

リーン、リーン。樹海中から聞こえてくる鈴の音を聞き分けて、アルフレリックへ目標までの距離、方角、高さ等々必要な情報を送る。

脳裏に描かれた立体図を元に。

反響定位技術(エコーロケーション) 。音の反響から周囲の空間や物体を立体的に把握する技術だ。

新しい力の正体とは、暗闇に閉ざされた樹海を俯瞰しているが如く的確な指示を出せていたのは、端的に言えばこれだった。

ソナーと聞けばピンッと来る者も多いだろう。色のない3Dモデルのような光景ではあるが、今、ラナの脳裏には戦域にある樹海の全てが立体的に描かれていた。

その可聴域は、実に半径千二百メートル。ラナを中心に直径二キロメートル超が、超聴覚管制領域に入る。

ユエに頼んで行った猛特訓。種族としての限界値を知るために行った強制限界突破の重ねがけ。更には、特訓以外の普段もアーティファクトによって限界突破状態を維持。

高負荷状態を己に課し続けながら日常生活を送るという荒行。

その結果、ラナは証明したのだ。兎人族の聴覚の限界点がどこにあるのか。

決して超人ではない。あくまで種族の枠内の限界点。だが、兎人族、否、ある意味、獣人族という魔力を持たぬ代わりに身体能力特化型という種族のポテンシャルの一端を証明したというべきか。

リーンという音は鈴虫型のアーティファクトが出している音だ。ご褒美にハジメが贈ったラナ専用である。可聴域内で音を反響させ続けるサポートアイテムだ。

超聴覚領域と、その音情報を脳裏で立体化するイメージ技術、そして情報を並行処理する特訓で、一体どれほど目や鼻から血を流しまくり、脳が焼けつきかけて回復措置を受けたことか。

だが、その甲斐あって、今やラナは二百メートル以内なら体内の血流の微妙な音の変化すらも聞き分けることができる。

それすなわち、心音や呼吸音と合わせて人間嘘発見器だ。目の前で相対なんてすれば、関節や筋肉の音を聞き取って凄まじい精度の先読みも可能だ。

なお、本人はこの能力を〝 深淵を(アビス・) 捉えし(ザ・) 究極の兎耳(ヘイムダル) 〟と名付けている。

地球の神話はハウリアの大好物。むさぼり読んできた結果、北欧神話の神様は大変優れた聴覚をお持ちだと知ったからだ。

ぜひ謝ってほしい。ヘイムダルは光の神様である。勝手に深淵サイドの神みたいに扱っている点、実にハウリア。そして深淵卿の正妻。

「A1、カウント5で射撃」

相変わらず目標は見えない。何かを感じ取ったのか動きを止めたようで風も吹いていないように見える。

だが、獣人族における一つの 頂(いただき) を見せたラナの指示に、もはや疑念の余地などあるはずもなく。

アルフレリックは静かに構えた。そして、ラナの指示に全幅の信頼を置いて見えぬ標的へ矢を放った。

直後、ラナの脳裏に吐き気を催す叫びが届き、同時にのたうち暴れる存在が見えた。その頭部と思しき場所に、見事に矢が突き立っている。

だが、やはりというべきか。それだけでは死なないらしい。

その矢を目印に次々と精鋭の弓兵隊が矢を放つ。が、直後、凄まじい旋風が渦巻いた。局所的な渦巻く突風が全ての矢を逸らす。

「A小隊、方角6、距離60。土御門が待機してる。誘導を」

この事態も当然、想定済みだ。地球には戦術に関する資料が山ほどある。ラナからすれば宝の山だ。己に叩き込まないはずがない。

もちろん、アルフレリックに撃たせる前に配置を指示した土御門は、

『今宵も、我がジャスティスが世を正すッ!!』

ジャスティス!

……

……

……

ではなく、

『来てくれ、我が盟友! 自由の風! フリーダム!!』

『いや、だから……ふり~だむって誰やねん。ワシ、 風狸(ふうり) やて……』

本名、土御門大賀さん。アビスゲートによりジャスティスされた結果、ジャスティスに目覚めた陰陽師である。何を言っているのか分からないと思うが、みんな分かっていないから大丈夫。

何はともあれ、彼の式神である〝風狸〟は文字通り風を操る妖魔だ。タヌキというよりムササビに近い姿で、斬撃も火も効かず、打撃には弱いが風に吹かれれば蘇生するという死ぬほどしぶとい妖魔である。

狙い通り、空を飛ぶ瘤だらけの怪物は風を剥ぎ取られ姿勢を崩し、その隙にアルフレリック達の矢を無数に受け、ついでにジャスティスキックも受けた。

そして、矢には全て拠点にあった小型手榴弾が括り付けられていたために……

「うっ、爆音に弱いのが難点ね……」

瘤だらけの飛行する怪物が弾け飛ぶ。ジャスティスが爆炎を背に特撮よろしく決めポーズを取る。その爆音で、うっかりウサミミをキーンとさせてしまって、ラナは顔をしかめた。

一応、鈴虫は反響定位のサポートアイテムであると同時に、必要時には指向性の音を発して〝音の相殺〟を行う機能もあるのだが、初の実戦投入では上手くいかない部分もある。

ラナが拠点から離れた場所にいるのも、仲間のヒャッハーと戦闘音を上手く処理できるか分からなかったからだ。

何はともあれ、リーン、リーンと。

瘤だらけの怪物が原形を留めない状態で地に横たわっているのを確認し、ラナは直ぐに指示を出した。瘤だらけの怪物が今この瞬間も、どんどん増えているのである。

「蛇人間とは別口ね。召喚されたんじゃない。転移で来てる」

ふと、ラナは明後日の方向を見やった。

「べるちゃんが未だに仕留められない相手。クラス1相当……蛇人間共が神と崇めるのも納得の強さね」

魔王が戻れば、それで今の戦場は落ち着くのだが……

耳を澄ませる。

蛇人間の術師狩りを優先したおかげで拠点のネズミは随分と数が減ってきた。

だが、蛇人間の戦士集団と、獣人戦士団の主戦場は拮抗しているようだ。いや、ジリジリと押されているか。

原因は、やはり魔法の有無だ。樹海での戦いを得意とするのは蛇人間側も同じらしく、獣人族側に地の利というアドバンテージが少ない。

その上で、蛇人間共は奇怪でおぞましく、精神を汚染するような忌まわしい魔術の類いを使ってくる。一番厄介なのが変化だ。獣人族の戦士の姿をコピーして姿を変えるのである。

自然、同士討ちを恐れて一瞬の疑心暗鬼により攻勢が緩みがちになる。

戦術も負けず劣らず。おまけに、蛇神から何かの力でも受けているのか、倒しても蘇生する個体もチラホラいるのだ。

拠点に大量に保管されている回復薬やアーティファクトに支えられているが……

逆に、それが尽きた時、天秤は傾きそうである。が、ラナの表情に焦りはなかった。

と、その時、そんなラナが気に食わないとでも言うかのように、現実は更なる試練を突きつけてきた。

「! あいつら、本気でここを落とす気? 龍の復活は世界の脅威。脱出する前に諸共に滅亡する可能性は考えないの? この ○○(ピー) 共めっ」

思わず素の口調で悪態を吐く。凄まじい悪寒に襲われ、思わず怯みそうになった気持ちを殴り飛ばすように。

そう、またも新手だ。

しかも、明らかに今まで相対した敵より上の存在。おそらく、

『……ん、クラス3相当』

「ユエ様!」

ぽんっと音を立てて、ラナの傍にチビユエが現れた。実は待機状態の端末がずっと胸の谷間に挟まっていたのだ。

「なら、精鋭数十人で遅滞戦闘ですね」

直ぐさま編成を脳裏に浮かべるラナだったが、チビユエは首を振った。

『……大丈夫、必要ない』

その言葉にラナは目を見開き、そしてフッと笑った。

「ふぅ、待ってたわよ、お姫様?」

『はい、ラナ様。大変お待たせしました。 四(・) 体(・) 目(・) 、参ります!』

直後、夜闇に閉ざされていた樹海が一気に光に満たされた。

空を仰ぐ。密集した枝葉の隙間から徐々に陽光の如き光が差し込む。温かい光だった。〝無神〟一派との戦いで自覚なく蝕まれていたらしい心が癒やされていく思いだった。

ゴウッと風が唸る。光源が頭上を通り過ぎた。

五色の羽を持ち陽光の如き炎を纏う巨大な鳥。自然と息を呑む。清らかで力強い〝威〟を感じさせる、まさに神鳥と称すべき存在。

その後に続々と強大な力を感じさせる妖魔の群れが続く。

音で視るラナには分かった。その先陣を切る神鳥の背に陽晴が座禅を組むようにして座り、両手で印を結んでいる姿が。

向かう先はもちろん、恐ろしき気配を撒き散らしている新手のもと。

それを、いろいろな意味で眩しそうに眺めるラナ。

チビユエがそっとラナの顔近くに寄ってきた。そして、鼻の下を手で優しく拭う。

血だ。ラナの鼻から血が流れ落ちていたのだ。一拍おいて、ウサミミの根本のウサ毛まで赤く染まっていく。

限界点まで、それこそ脳が焼き付くほどにフル回転させていた代償だ。

「ありがとうございます、ユエ様。私のわがままに付き合っていただけたおかげで、皆の役に立てました」

時間稼ぎ。究極的には、ラナの目的はそこにあった。

自分達の中で最年少にして最強のお嫁さん候補。彼女が、この戦場に出陣するその時を待っていたのだ。

信念の通り、必要な時まで戦場を〝支えた〟わけだ。

回復薬を飲みながら礼を言うラナに、ユエはまるでシアに向けるような優しい笑みを向けた。そして、かつてそうしたように、

『……ん。よく頑張りました』

「!」

ラナの頭を小さな手でヨシヨシと撫でたのだった。

ちょっと恥ずかしそうに顔を伏せつつも、ラナの口元には隠しようのない笑みが浮かんでいた。