軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間③ 想定外の再会

「事の発端はクリスマスの事件だ」

指を一本立てて語り始めたハジメは、その指先を安らかに転がっているリチャードへと向けた。

「で、みんな分かっている通り犯人はリチャード達〝我等〟なわけだが……こいつらの頭の中には〝門の神〟とやらからイメージが送られてくるらしい」

遮断も拒否もできぬ一方通行の、かつ破滅的で絶望的なイメージが断続的に脳内へ侵入してきていたようだ。普通に発狂ものだろう。

しかも、リチャードが子供の頃は数年に一回程度だったのが、時が経つに連れ頻度を増していき、ここ最近は一日に数度レベルだったらしい。

それはまるで、時限爆弾のタイムリミットを知らせるアラートの間隔が刻一刻と短くなっていくが如く。

それにより滅びが近いことを知ったリチャード達は、〝門の神〟が新世界へ脱出するための力――すわなち魂を捧げるために都市の人間全員を生け贄にする儀式の準備をしつつ、一つの懸念のために別の計画を立てた。

それが、〝力ある道具〟の一つ〝書物〟の入手だ。創作神話の中では〝ナコ○写本〟と記載されているもので、探索者達の間では単に〝写本〟と呼ばれるもの。

それは〝銀の鍵〟という〝力ある道具〟に関することが書かれている〝書物〟だった。〝門の神〟の御許へ導いてくれると伝わっている伝説の鍵だ。

神の恩恵に与りたいタイプの崇拝者であったが故の、利用だけされて自分達は滅びゆく世界に置いていかれるのではないかという疑念を捨てきれなかったのだ。

そして、実際に〝写本〟を手に入れ、後は〝銀の鍵〟を入手するだけ……という段階で、

「サスラが〝写本〟を奪取した」

「うむ。奴等が勝手に神のもとへ行くなら構わないが……逆に神が召喚される可能性もあった。絶対に許してはならない暴挙である。それで過去にどれだけの人々が地獄を見たか……」

それがクリスマスの事件の背景だ。リチャードは本を奪い返すために、一般人の精神を廃人にして支配し遠隔で奪おうとしたわけである。帰還者のテリトリーに近いことを理解しての慎重策だった。

「その後も、リチャード達は〝写本〟の行方と〝銀の鍵〟探しに注力していたが、結局、それらを入手することはできなかった。だが、そこで再び〝門の神〟とやらから干渉があった」

おそらく、焦燥を募らせ生け贄の儀式に集中できなくなってきていたリチャード達にエサを与えるようなものだったのだろう。

「俺達の町と別の〝書物〟のイメージが浮かんだらしい」

「みゅ!?」

「あ、あなた……その~」

どんな〝書物〟か、誰が、あるいはどこにあるのかは分からない。だが、ハジメ達の住んでいる町にあることは確かだと、リチャード達は知った。

そうなれば当然、怪しいのは帰還者だ。〝我等〟の調査員を尽くボランティア活動に従事させてくれた警戒すべき集団。確かに所有していてもおかしくはない。

だが、だからこそ困った。帰還者には手を出せない。

「だから、甘衣さんを襲った。奴等からしても〝書物〟ってのは異様なんだ。普通なら傍に置いておきたいわけがない。崇拝者でもない限りな」

「なるほどじゃな。少なくとも彼女に相談くらいはしているだろうと踏んだわけか」

「そっちの業界だと逃げ足最強みたいな扱いですもんね、甘衣さん」

「実際にクリスマスに〝書物〟を託されていたわけだしね」

ティオとシア、それに香織から同情の眼差しが甘衣に送られた。甘衣は涙目で目を吊り上げていた。

「いい迷惑ですよ! ただ生きたいだけなのに!」

「甘衣君。本当に……すまないと思っているっ」

「ええ、思ってください! マリアナ海溝より深く反省してください!!」

「落ち着け、甘衣さん。話を戻すぞ?」

愛子と、何か言いたげに目が泳いでいるミュウ&レミアに慰められている甘衣さんに苦笑しつつ、「で」と続けるハジメ。

「うちの凶暴な後輩にあっさり撃退された奴等は途方に暮れていたわけだが、そこで別の計画で動いていたリチャードから朗報を受けた」

なんかヴァネッサとクラウディアがコソコソ話し合っている。日本の女子高生こえぇ、やべぇ、みたいな内容だ。

健比古と清武も「あの町はやはり魔境だ」「日本の特異点……」と真剣な表情で言葉を交わしているし、JとKも「え、我々が散々苦労した相手に……? え?」「リチャードが別格だったとしても……女子高生が木刀で? そんな馬鹿な……」とショックを受けている。

「あの頭のおかしい後輩のことはいいんだよ! 話を聞け!」

あ、はい……と頷く皆さん。雫を筆頭に優花達が「気持ちは分かる」と言いたげな表情になっていた。

「ごほんっ。……その朗報ってのが、あ~、なんだ? なんとかの鏡っていう〝力のある道具〟だ。〝隷属するもの〟を召喚し従属させることができるらしい」

「ああ、それが別の計画……それで翌朝一番の便で帰国したんですね」

愛子がポンッと手を打って納得の表情を見せる。

「そうだ。〝隷属するもの〟はここ、デトロイトの拠点で召喚予定だった。当局に目を付けられていたヴァンヴィッチは、遠藤達の予測通り囮にされたわけだ」

「けど、不測の事態が起きた……ってことだな? 今の状況からして」

浩介がリチャードを見やる。本当に安らかな顔で眠っている。ピクリとも動かない。……眠ってるだけだよね? あれ? 安らかすぎん? 死んでないよね?

チラチラとハジメを見るが、ハジメは気にした様子もなく続けた。

「〝鏡〟の発動には魔術師を含む複数人での儀式が必要だった。そのために甘衣さん襲撃チームも呼び戻したんだ。そして、到着後直ぐに儀式をしたが……〝鏡〟の伝承には意図的か否かは分からないが誤りがあった。召喚が可能なだけで隷属まで強いるものじゃなかったんだ」

もちろん、リチャード達は保険も用意していた。〝鏡〟以外にも支配するための魔術を、そのための魔法陣を刻んでいたのだ。地下室の無数の魔法陣がそれだ。

だが、流石は神話生物というべきか。ある意味中途半端に強力だったそれは、彼等を従属させることはできず、逆に敵意と暴走を招く結果となってしまった。

「待ってくれ、ミスター・ナグモ。そもそもリチャード達はなぜ〝隷属するもの〟を呼び出したんだ?」

「案内人代わりだよ。神話生物なら〝門の神〟の元へ導けるんじゃないかってな。奴等は奉仕種族。〝門の神〟に仕えている個体がいるかもしれない。ならば……ってな。後は、生け贄の儀式が失敗しても〝隷属するもの〟を操れたのなら、都市一つ分の住人くらい皆殺しにできる。それで魂も回収できるだろうってことだ」

「な、なるほど……」

口を挟んで悪かったと謝罪しつつ、その企みが成功した時の惨状を思ってか顔色を悪くするエージェントJ。否、他の者達も揃って気分が悪そうだ。

「ま、だからこそ天罰が下ったとでも言うべきか? 隷属させることに失敗したんだ。リチャード以外の全員が呑み込まれ、リチャード自身も危機に陥った。だが、そこで奇しくも助けが入った。それが……」

「うむ、私だ。助けるつもりなど毛頭なかったが、〝隷属するもの〟が地下から出ることだけは阻止しなければならなかった。都市に住む人々のために」

甘衣襲撃事件を知り、サスラは会社を無断欠勤して魔術師達を追ったのだ。そして、〝隷属するもの〟が溢れ出すという緊急事態に遭遇した。

故に、彼女は自ら粘体の海に飛び込んだのだ。全力の精神感応と共感性を以て彼等をなだめ抑え込むために。

ダボダボスーツ姿だったのは、その時の姿が運転手山田だったからだ。力を全力で使うため、そして己を取り込まんとする粘体に抵抗するため、服装まで擬態し直すことに気が回らなかったのだ。

「ちなみに、その時に別の存在もとばっちりを受けた」

「あ、もしかして彼等を追跡していた悪魔さん達!」

そう、愛子に依頼されて嬉々として襲撃犯の追跡を開始した悪魔数体もここに辿り着き、そして、護衛悪魔と同様に対抗しようとして呑み込まれてしまったのだ。

情報の持ち帰りを優先するために即時撤退、場合によっては自己犠牲による仲間の離脱援助などを即断即決できず、「なんだてめぇ、やんのかおぉん!?」とチンピラの如く突っかかってしまう辺り、実に中級悪魔。

ハジメが精鋭と認めた悪魔以外は、まだまだ教育が足りないのである。

なんとなく想像がついたのだろう。正解を口にしつつも、なんとも言えない表情になっている愛子の言葉にユエ達も微妙な表情になりつつ、点と点が繋がったようで「なるほど」と頷く。

「……つまりそこで、悪魔を取り込んで、その知識や知能を得た個体が生まれたと」

「中級とは言っても悪魔ですもんねぇ~。生きた年月とか知識量からして人間とは比べものにならないはずですぅ。個体が生まれやすいのも頷けますぅ」

「それで独自の判断で真っ先に逃げ出したということね?」

「待って下さい、雫。彼等は逃げたというより……だって日本に来たわけですよね? わざわざ。偶然の逃亡先と言うには……」

リリアーナが不思議そうに首を傾げる。良い指摘だと頷くハジメ。

「理由は簡単だ。奴等もまた〝書物〟を求めたんだよ」

〝隷属するもの〟であっても〝門の神〟のもとへ無条件に行けるわけではないのだろう。あるいはリチャード達の目論みが外れ、〝門の神〟の元に同族はいなかったのか。

なんにせよ、リチャード達と同じく滅びから逃れたい気持ちはあったのだ。生存本能と言い換えてもいい。

「悪魔の記憶――俺達に関する知識を得たからこそ思ったんだ。〝姫様ならあり得る〟〝絶対持ってる〟〝だって姫様だもん〟ってな」

「え? 私が、え? なんです?」

「違う。リリィじゃない。悪魔達が姫と呼ぶのは一人だ」

全員の視線がミュウに向いた。ミュウの視線は過去一で泳いでいた。

「も、持ってるかも……なの。たぶん、きっと……め、めいびぃ~?」

指先をツンツンしながら曖昧な笑みを浮べるミュウ。

ハジメとレミア以外、全員が「うわぁ」と感心半分ドン引き半分の表情になった。ハジメとレミアは、もはや諦観の域に達しているのか透き通った笑みを浮かべて天を仰いでいる。

「ミュウが欲しくて手に入れたとかじゃないの! そもそも最初に見つけたのはパパの地下工房だったし! パパの本だと思って!」

「……ぱぁ~どぅん?」

なぜか英語になっちゃう父&娘。パパの目が点になっている。

「ほら、ユエお姉ちゃんと香織お姉ちゃんがゲームの世界に入っちゃった時! あの時、パパの工房の奥に落ちてて……あれ? そう言えば、どうしてミュウは自分の部屋に持っていっちゃったんだろう?」

ふみゅ? と腕を組んで小首を傾げるミュウ。自分でも分からないらしい。

ハジメは、ふと思った。あの時、試作機とはいえ何重にもセーフティをかけていたアーティファクトVRゲーム機が暴走したのは、痕跡からして香織の分解魔法が原因だろうと思っていたが……

あるいは……? と。

今、考えても仕方がないので頭を振りつつ、ハジメはクリスタキーでミュウの私室へ〝ゲート〟を繋いだ。ミュウを抱っこし、一瞬の帰宅&帰還。

「まさか普通に本棚にしまってあるとは……なんで俺達も気が付かなかったんだってのは、つまり〝書物〟だからなんだろうな」

流体金属で形成した触手がばっちぃものを持つみたいに一冊の本を掴んでいた。「ひっ」とか「うへぇ」とか、淳史や奈々達から気持ち悪そうな声が漏れ出る。

当然だろう。その〝書物〟はどう見ても人の皮で装丁されていたのだから。

クリスマスの時の〝書物〟のように異様な気配はないのだが、だからこそ逆に不気味であった。

「ミュウ、お前……体調不良とかはないんだよな?」

「みゅ! なんともないの!」

「本当に大丈夫なのね? 何かおかしなことがあったりは? ミュウったら、ママ達がおかしいと思うことでも普通に受け入れちゃうから……」

レミアが心配そうに、ハジメに抱っこされたままの娘の頬に手を添える。すると、ん~? と心当たりを探って思案していたミュウが「あ」と声を上げた。

「ママの手と同じかも?」

「はい?」

「えっとね、なんだか温かい感じがするというか……この本をお部屋に置いてから、なんだか守られている感じでお部屋がほわほわするっていうか……みゅぅ~、表現が難しいの。でも、嫌な感じがしたことはないの! 変なことも起きてないの!」

「そ、そう? ならいいのだけど」

こんな気持ち悪い本に、母親の手の温もりと同じような安心感を抱くなんて……

レミアは無言で自分の手を見下ろし、ついで、なんとなしにハジメの頬にピトッと添えてみた。

「……レミア、安心しろ。お前の手の感触は普通に心地いいから。間違っても、こんな人皮の本と同じ感触じゃないから」

「そ、そうですか……よかったです……」

心底ホッとした様子でミュウを引き取り、いそいそと下がるレミアさん。エージェントKが思わずといった様子で「かわいい……」と呟いて目で追ってしまい、Jに頭をはたかれている。

「驚いた……まさか〝異本〟を所持しているとは……」

唖然としていたサスラが言葉を零す。その声音には心底の驚愕が滲み出ていた。視線で問うハジメに、咳払いを一つ。

「海の神に関する書物だ。創作神話の中では〝ルルイ○異本〟と記載されている。〝門の神〟を召喚する方法も記載されていると聞く」

私も実物を見るのは初めてだと凝視するサスラ。直ぐに「うっ」と呻き声を漏らして視線を逸らしたが。

なんらかの影響があるらしい。ハジメ達は特に問題ないようだが、エージェント達は顔色が悪くなり始めているので、取り敢えず流体金属で包み込み簡易的に封印する。

同時に、壁際から「甘衣さん! 流石に飲み過ぎです!」「もう一リットルくらい飲んでますよ!」という愛子と香織の声も。

〝異本〟を視界に入れてしまい、またカフェオレに頼ったらしい。「あ……あのぉ、お花摘み休憩とか……」とハジメに伺うような視線を向ける甘衣さんだったが、「ダメだ。漏らせ」と冷酷に返されてしまった。

普段なら「デリカシー!」とツッコミが入りそうだが、確かに今はそれどころではないので甘衣さんには、この状況を甘んじて受け入れてもらうしかない。

というか、半分神話生物のサスラですら凝視すると影響を受けるのに、甘味さえあれば耐えられてしまう、特に特殊な訓練も積んでいない一般人……とは?

「ふふ、だからこそ私の主にと思ったのだが……すまない、甘衣くん。私はもう別の主を見つけてしまった」

「なんで私がフラれたみたいになってるんですか? 蹴りますよ、山田」

「サスラだ。蹴りはやめてくれたまえ。君の蹴りは、シャン○ク鳥の翼骨を蹴り砕いたと聞く。受けたいとは思わない」

「あ、あれは事故です! たまたまそうなっただけでっ」

事実らしい。神話生物の骨を蹴り砕いたことがあるらしい一般人を名乗るバスガイドさん……

全員の視線が「あの粘体と同じ創作神話の生物、だよな?」「それを蹴りで? 嘘だろ……」とか「逃げ上手なバスガイドさんってだけじゃなかった?」とか驚愕の眼差しが向けられる。

「ねぇ、一般人ってもう自称じゃ……」

「私は一般人ですっ」

優花に涙目で叫ぶ甘衣さん。死んでも探索者の仲間と思われたくないという確固たる意志が見えた。これが生存能力の源なのかもしれない。

「話を戻すぞ」

ともあれ、〝書物〟の回収は完了。この〝異本〟とやらの詳細は改めて調べる必要があるが、今はひとまず脇に置いておいて。

流体金属の一部をアーティファクト化して封印を厳重にしつつ、ハジメは続きを口にした。

「〝隷属するもの〟を従えることに失敗したリチャードだが、不幸中の幸いというべきか。サスラによって、意図せずではあるがこの地下に疑似的に封印することには成功した」

そしてそれは、改めて従属化させる最大のチャンスでもあった。

リチャードにもサスラが何をしたのかは分かっていなかったが、サスラの力が〝隷属するもの〟を抑えているのは分かったが故に。

「サスラを支配できれば、〝隷属するもの〟も間接的に従えられる。まだ、チャンスはある。そう考えたリチャードは、だから放棄したはずの村に戻った」

「……! そうかっ、グール化か! 意志が弱い方が魔術的支配はしやすいし、グール化した人達に明確な意志はなかった……サスラをグールにして支配しようとしたんだ!」

ハッとした表情の浩介の言葉に、他の者達の表情にも理解の色が広がった。同時に、サスラも頷く。

「正確には半グール化と言うべきだろう。〝精神支配〟は酷い混乱中や発狂の最中、あるいは意志が極めて薄弱な相手でないと効果が薄い。また、完全にグール化させると〝隷属するもの〟を抑制している手法も失う可能性がある。と奴は考えたはずだからだ。グール化を上手く調整して、私を従属化させるつもりだったに違いない」

いずれにしろ、一か八かの賭けだったに違いないと肩を竦めるサスラ。

「そういうことか……俺はてっきり、あの〝獣の怪物〟の回収が第一目的だと思ってたよ。手に負えない怪物に怪物をぶつけて対処する気だったのかもって。あ、そう言えばさ、南雲」

「なんだ?」

「リチャードはどうやって〝獣の怪物〟を召喚したんだ? また召喚できるなら脅威だからさ、その手段だけは潰しておきたんだけど」

まぁ、さっきの戦いで出さなかったんだし、できないのかもしれないけど。と呟きながらリチャードを見下ろした浩介はギョッとした。

リチャードさん、いつの間にか銀色のヘルメットみたいなものを被せられていたから。

まるであれだ。宇宙人からの交信を遮断するためアルミの帽子を被っている人のようである。直ぐ近くにニョロとしている流体金属があるので、むしろ宇宙人に何かされた人みたいであるが。

一応、〝門の神〟からの干渉を観測するためのアーティファクトだ。ついでに、攻撃的な意志を見せた瞬間、脳みそクチュクチュ触手針が飛び出す拘束具でもある。

これからリチャードを取り調べするであろうMCBが、手痛い反撃を受けないようにと考えたが故のハジメなりの配慮でもあったが……

浩介達は思った。えぐい……と。

「で、〝獣の怪物〟……こいつらは〝猟犬〟と呼称しているようだが、心配ない。あれは虎の子だ」

「あ、やっぱそうなんだ?」

「〝書物〟と同じ〝力ある道具〟による召喚だが、もう使えない。リチャードが襲われなかったのは、体に〝時間の影響を弱める印〟を刻んで対策していたからだ」

〝獣の怪物〟は、創作神話の中では〝遙か過去の時の果て〟に潜み、〝時間遡行薬〟などの秘薬によって過去に遡るようなことをすると鋭角から出現するとある。が、出現条件に関しては探索者によるミスリードだ。

実際は〝時を 乱(・) す(・) 秘薬を空間に散布する〟が正解。

リチャードが有していた〝力ある道具〟は、その効果を持った秘薬を噴霧器のように一定範囲に拡散――つまり、一定範囲の〝時〟を微妙ながらも乱すことが可能な道具だった。

秘薬の残量が元々一回分しか残っておらず、その一回分も少なかったため効果範囲が教会内部に限定されていたのだ。

「なるほど? まぁ、取り敢えず不意打ち召喚の心配はないってことだな」

創作神話には詳しくないので頭上に〝?〟を浮べつつも、結論だけ理解して安堵の吐息を漏らす浩介。

「それにしても、半グール化か……あ、もしかして、この紙の断片がそのための? ……これも〝書物〟か?」

〝隷属するもの〟がいた地下の奥の部屋。そこから回収し分身体に持たせていた、今は 陽晴(ひなた) と 朱(シウ) 、それにクラウディアの術で封印処置している〝古びた紙片の断片〟を見せる。

「ああ、そうだ。正確にはその一部だな。本体は……サスラ、あんただな?」

「ああ、私だ。私が〝写本〟を奪取した際に燃やした……はずだった」

サスラは、ぽつりと 忸怩(じくじ) たる思いを零すような声音を響かせた。 俯(うつむ) き、両の拳を握り締めて微かに震えている。

「〝屍食教○儀〟……探索者の間では単に〝教典〟と呼ばれるそれは、〝書物〟ではあるが神々の産物ではない。私と同じような存在が、遙か昔、魔術的に作りだした……そう、言わば〝魔術書〟だ」

故に、本来は専門家の手によらなければ傷つけることもできず、出来たとしても秘められたおぞましい神秘が暴走して多大な被害を出すと言われている〝書物〟と違い、高位の魔術なら燃やすことが可能だった。

「まさか、グール化に必要な部分だけ切り取られているとは……。〝教典〟は十部以上存在する〝書物〟とはいえ、それでも〝書物〟は魔術師にとって己の命よりも価値があるもののはず……いや、言い訳だな。完全なる私の不覚だ」

落ち込んだ様子を見せるサスラ。

そんなサスラの肩に励ますように手を置いたのはラナだった。ちょっと震えていたが、確かに力強くサスラの肩を掴んでいた。

驚いた様子で顔を向け、ラナのニッとした笑みを見る。

傍目にも、サスラが歓喜したのが分かった。だって、髪が玉虫色に輝いてうねうねしたから。

「結果が完璧でなくても、貴女が誰かのために行動したことに変わりはないわ。それは凄いことで、称賛されるべきことよ」

思わず飛び退きそうになるも正妻根性で微動だにせず、それどころか頭を撫でてあげるラナさん、マジ正妻。

おぉ~っと、どこからともなく感嘆の声が上がる。

サスラさんの玉虫色の髪が犬のしっぽのようにわっさわっさした。それどころかブワッと広がり、ラナを抱き締めるようにして覆う。

傍目には完全にモンスターが人を捕食する光景だったが、それでも笑顔を崩さないラナさん。冷や汗はツ~ッと流れたが。

「……フッ、やる」

これには先輩正妻のユエ様もニッコリ。いや、純粋にサスラへの称賛も含まれているのだろう。その証拠にハジメの眼差しにも同じ感情が窺える。

「まぁ、そうだな。〝門の神〟とやらがカルト集団の妄想ではなく、異質で強大な力を持った存在なのは確かだろう。〝隷属するもの〟の氾濫だけでも十分に最悪だが……万が一にも都市部で召喚なんてされていたらと思うとゾッとする。……あんたは十分に英雄的だった」

「ああ、南雲の言う通りだ。サスラのおかげだよ。みんな無事なのは」

反対側の肩にも浩介の手が置かれる。それどころかエージェントJやKからも感謝を送られ、それを皮切りに他の者達からも称賛の眼差しや一言が届いて。

ミュウや陽晴などは駆け寄って手を取ったりも。

本能的な忌避感は拭えずとも、感情と意志がそれを抑え込む。否、上回る。この場の者達にはもう、サスラの存在を 厭(いと) う雰囲気は皆無だった。

サスラは、己の手を握る子供達の手の温もりに感じ入るように熱い吐息を漏らした。

そして、

「長く生きていると……希に君達のような者が現われる」

口元をゆるゆると緩ませて、

「……だから、嫌いになれないのだ」

そう呟いた。万感の想いが滲む声音だった。その一言には、サスラのこれまでの人生の全てが詰まっているようだった。

何百年もかけて必死に習得した技法がなければ、存在しているだけで本能的な忌避感を与えてしまう異質な存在。

怪物でも人間でもない。だが、怪物でも人間でもある。

いったい、どれほどの時を生きてきたのかは分からないが、その道のりが決して平坦なものでなかっただろうことは考えるまでもなく。

それでも、彼女は〝探索者〟なのだ。人を守る側の存在になったのだ。己の意志で。

その意味は、きっと他人には計り知れないほど深く、重いに違いない。

「さて」

誰もが和やかな気持ちになっている中、ハジメが空気を切り替えるようにパンッと柏手を打った。

「以上が一連の事件の流れだ。何か質問は?」

もちろん、聞きたいことは山盛りだ。

特にエージェントJやKからすれば、リチャード曰く他の神々を信奉する組織もあるという話だし、本物の魔術師集団が存在している事実も看過できない。

だが、聞きたいことが多すぎて逆に困るというのも事実。

各々が顔を見合わせる中、ひょいっと手を挙げたのはユエだった。

何はともあれ、まずこれを聞いておくべき。そんな雰囲気でハジメに問いかける。

「……ハジメ。〝門の神〟とは、外宇宙の神々とは……なんだと思う?」

分からない。ハジメの下僕となった〝隷属するもの〟達、そのロードたる存在の娘であるサスラですら、そう答えた。この宇宙の外、世界の外からやってきた来訪者であるとしか分からないと。

そう聞いたはずなのに、ユエの目は見透かすようにハジメを見ていて。

「……確信はなくても推測くらいはしてる。そうでしょ?」

え? そうなの!? みたいな驚きの眼差しが一斉にハジメへ注がれた。特にサスラの驚きは際立っていた。

困り顔になって頭を掻くハジメ。図星だったからだ。

「まぁ、確かに〝もしかしたら〟という考えはある。だが、あくまで推測だ。わざわざ口にするほどのことじゃない」

「……でも、聞きたい。〝まったく分からない〟は不安。でも、たとえ間違っていたとしても〝ハジメには考えがある〟って教えてくれるだけで、私達は心強い」

ユエの言葉に、シア達がめちゃくちゃ勢い良く頷いた。浩介達もフッと笑って頷く。関係の浅いエージェントJ達や緋月、朱、サスラでさえも否定はしなかった。感心と興味深そうな輝きを瞳に宿してハジメを見ている。

ハジメは降参するように両手を挙げた。そして、

「本当に、あくまで推測だからな? 聞いたからって変に思考を固めるなよ?」

そう前置きしつつ、空の果てを睨むように窓の外へ視線を向け、口を開く。

「外宇宙の神々、神話生物……それらは〝厄災界〟と関係があるんじゃないかと思っている」

困惑、疑問、驚き……様々な表情が浮かんだ。困惑は〝厄災界〟を知らぬ者達だ。

主にエージェント達に向けて基礎知識を簡単に説明しつつ、ハジメは続ける。

「前にも言ったが、〝厄災界〟自体は存在している。だが、 理(ことわり) が崩壊しているのは事実なんだろう。羅針盤でもノイズが酷く何も見えないし感じない。〝存在していること〟以外は何も分からない」

ここまではいいな? と視線を巡らせるハジメ。ぜんぜん良くないと言いたそうなエージェントJ達だが、ひとまず空気を読んで黙っている。

「理への干渉の究極系である概念魔法。その一つである羅針盤が探知できないことが〝厄災界の理は崩壊している〟ことの何よりの証左だ。と、俺は考えていた」

羅針盤で〝厄災界〟からの来訪者、つまりエヒト以外の生き残りが他の異世界にいるのかを検索したこともある。だが、結果は言わずもがな。そんな存在はいない。

「だが、だがもしだ。時間も空間も、重力も魂魄も、無機物も有機物も情報という概念ですらも崩壊し、それがどういう状況を生み出しているのかも不明の世界でも、形を変えて生き残っている存在がいたら? それは〝理から外れた存在〟と言えるんじゃないか?」

「……まさか……だから羅針盤に反応しない?」

「そんなこと……いや、辻褄は合ってる? むしろ、なんでその可能性を思いつかなかったんだ? 俺」

ユエが真剣な表情で考え込み、浩介は「なんで厄災界の存在を頭から消してたんだよ……」と自分に呆れるような表情に。

「そもそも、理が崩壊しているという情報自体も確認したわけじゃない。あのエヒトの出身世界だ。概念魔法による探知すら阻害する術を持っていてもおかしくはない」

「えぇ!? 厄災界が滅びていないかもってことですぅ!?」

「流石にそれは……ないんじゃないかな? エヒトが、ハジメ君との戦いの時に、わざわざそんな嘘を吐くとは思えないんだけど……」

「そうね。フェイクストーリーを語る意味もないのだし……」

シアと香織、雫の半信半疑の表情に、ハジメは「あくまで可能性の話だ」と苦笑を浮べた。

「問題なのは、確かめようがない……正確には、確認のリスクが高すぎるってことだ」

「それはそうじゃのぅ。何せ理が崩壊しておるのなら……」

「現地に行くわけにもいきませんしね。行ったが最後、私達の術理が全く使えなくなる危険性もあるわけですから」

「空間を繋げるだけでも危険ですよね……どんな影響がこちらに出るか分からないわけですし」

ティオと愛子、それにリリアーナの言う通り、それが今まで〝厄災界〟に関して放置していた理由であり、〝世界樹の枝葉復活計画〟にも含まれていない理由であり、〝存在しないのも同義〟として話題に上がらなかった理由だ。

もし、厄災界の大樹がないだけで〝九つの宇宙〟全体に深刻な悪影響が出るようなら手を打つ必要はあるが、妖精界の持ち直し様を見れば不要に思える。

ならば、まさにヤブを突いて蛇を出す必要もないだろうということだ。

〝世界樹の枝葉復活計画〟に本格的に関わっているわけでもない浩介なら、それは失念もするだろう。まして、少し聞きかじっただけのクラウディア達ならなおさら。

誰もが考え込むような、あるいは、どう考えればいいのか分からないと困惑するような様子で顔を見合わせたり、眉間に皺を寄せて唸ったりする中、

「〝異質な存在感〟〝世界の終焉〟〝力を蓄え脱出〟……どれも〝厄災界〟に通じるワードのような気がする。というのが俺の 第(・) 一(・) の(・) 推測だ」

ハジメはそう言った。

ん? と一斉に顔が上がる。「第一の?」と小首も傾げる。

「さ、流石はボス。他にも何か心当たりが?」

この短時間でいったいどれだけの思考をしているのだと、ラナが畏敬の念が滲む声音で確認する。

「こっちはもっと荒唐無稽な推測なんだがな……」

確証のないことを口にし続けることに居心地の悪さというか、据わりの悪さを感じているのだろう。不機嫌そうにも見える表情を見せ、腕を組むハジメ。

もうとっくに話についていけていなかったエージェントJ達が「後で詳しく教えてもらうしかないと……」と遠い目になっている中、

「あるいは、外宇宙ってのは――」

と、ハジメが口を開きかけた、その時だった。

「「「「「「「――ッ!?」」」」」」」

ハジメ達が一斉に、かつ弾かれたように頭上を見上げた。

陽晴や健比古、クラウディアに朱は驚愕に目を見開いて、龍太郎達は引き攣った表情になり、ハジメ達と浩介達は即座に戦闘態勢に入ったかのような険しい雰囲気を発しながら。

「な、なんだ? 何事だ?」

「皆さん、どうしたんですか?」

エージェントJとKがハジメ達の急変に困惑している。いや、困惑しているのは自分達が鳥肌を立て、強烈な悪寒を感じていることにか。

一人だけ、ハジメ達の状況整理にも大して興味を示していなかった緋月が、ここに来てニィッと笑みを浮べながら答える。

「何か……来るでありんす」

そう、超常現象サイドからすれば、まだまだ一般人に過ぎないエージェントJとKですら肌と感覚で察知するほど、強大な力が突如として上空に出現したのだ。

直後、慌てたような足音が響き、かと思えばバンッと激しい音を立ててドアが開いた。外で警備をしていたMCBの部隊員の一人だ。

「ほ、報告ッ! 空に光の渦のようなものが!」

「なに? 何を言っている! 報告は詳細にしろ!」

「いえっ、しかし! そうとしか言い様がないのです!! 直上、三百メートル程の位置に光の渦が出現しました!!」

「ど、どういうことだ……?」

Jが助けを求めるような眼差しをハジメに向けた。

ハジメは何かを見通すように天井を見つめたまま、ただ一言、

「ユエ」

と呼び掛けた。

「んっ」

と、いつものように阿吽の呼吸で応えが響き、直後、ハジメ達の視界は切り替わった。ユエの〝ゲート〟を必要としない空間転移で全員を一瞬のうちに屋外へ――ビルの屋上へ転移させたのだ。

「うぉ!? そ、外!?」

「て、転移というやつですか……しかし、光の膜が必要なんじゃ……」

困惑しきりのJとKを置き去りに、ハジメ達は揃って頭上を睨み付けた。

その視線の先には、確かに光の渦があった。純白の光が半径百メートル程の範囲で渦を巻いている。

さながら小さな銀河だ。息を呑むほど荘厳で美しい光景だった。

同時に、龍太郎達は言わずもがな、浩介達でさえ冷や汗を流すほどの莫大なエネルギーが感じられた。

確認などせずとも、MCB隊員や周囲を封鎖している警官達、そして封鎖区域外の屋外や周辺ビルの人々が唖然呆然とし、驚愕しながらも見惚れ、あるいは渦の存在感に圧倒されて腰を抜かしているのが分かる。

「お、おいおい。まさかと思うけど……〝門の神〟とやらの降臨じゃないだろうな?」

光の渦自体に嫌な気配は感じなかった。むしろ神聖な感覚すら覚えた。

だが、タイミングがタイミングだ。浩介が引き攣り顔になってしまうのも、その言葉にラナ達や龍太郎達が「まさか」と喉を鳴らしてしまうのも頷ける。

それを無視して、ハジメは目を細めた。

「……似ているな。〝神域〟への〝ゲート〟に」

「「「「「あっ」」」」」

シア達が一斉に声を漏らす。確かに似ていたから。トータスでの決戦の時、エヒトが創り出した渦巻く光の〝ゲート〟に。

「……ん。原理は似てる。でも、魔力じゃない」

「そうだな。どちらかと言えば……」

ハジメは魔眼石で、ユエは昇華魔法〝情報看破〟で分析していくが、やはりというべきか。時間的猶予はないらしい。

光の渦が一際輝いた。かと思えば、激しく明滅し、〝神門〟にはなかった稲光じみたスパークが走り始める。

一定の速度、規則的な円運動を描いていた光の渦が、あたかも何かの妨害でも受けているみたいに崩れ、不規則な動きになり、空間が目に見えて歪み始めた。

そして、小さな穴が開いた。中心部に、小さな黒い点のような穴が。

刹那、噴き出す瘴気にも似た黒い何か。そして降り注いだおぞましい気配。それは紛れもなく、〝獣の怪物〟や〝隷属するもの〟に感じた異質感と同じもので。

「香織、リリィ、クラウディア、陽晴は結界・浄化・治癒に専念。愛子、ティオは精神の保護。ラナ、坂上達はMCBと一般人の避難・保護」

矢継ぎ早に指示を飛ばすハジメに、異論や疑問を差し込む者はいなかった。名を呼ばれなかった者も自然と言葉以上に己の役割を理解していた。念話にも似た何かがハジメの意図を伝えてきたから。

レミアとミュウは今にも脱兎の如く逃げださんとしていた甘衣さんを「転移の方が早いから!」と捕まえているし、エージェントJとKも健比古と清武が傍についた。ユエ達も既に臨戦態勢だ。

「遠藤、気配を消せ。場合によっては合図する」

「天職〝暗殺者〟の本領ってな。任せろ」

スゥッと冗談みたいに消えた浩介の気配。否、存在感。

「サスラ。対話が可能な場合は、サポートを頼むかもしれない」

「じ、自信はないが、貴殿が望むならやってみよう」

たぶん、対話など不可能だろうが……と、本能的な恐怖に顔を真っ青にしながらも頷くサスラ。

それを合図にしたかのように、黒い穴が一気に広がった。否、光の渦を侵蝕したと表現すべきか。

音が消えた。と錯覚するような不可思議な静寂が訪れる。

そして、まるで日食の如く、陽光のリングに縁取られた黒い穴の奥から、それは現われた。

禍々しい黒い霧を纏う巨体。十メートルはあるだろうか?

濃緑色のゼラチンめいた質感の、人型に見えなくもない、けれど吐き気を催すほど冒涜的な造形の何か。

無数の触手が複雑に絡み合って出来たような頭部に、無規則に付いている複数の目、余った触手で作られたような髭らしき部位。遠目に見ればタコにも似た造形。

下半身は退化でもしたかのように縮んでいるくせに、両腕だけは異様に肥大化していて長く、鋭い鉤爪が見える。

蝙蝠の羽のような部位もあるが、動いてはいない。なのに、黒い穴からゆっくりと直立不動の如き姿勢のままスゥッと進み出てくる。クレーンに吊された人形のように微動だにせず。

あまりにも不気味であった。何もかもが異様で異質で歪に感じられた。

それどころか、ただそこに存在するだけで空気が数十倍の質量を持ったかのようにさえ感じられ、見ているだけで、今にも叫び出したい強烈な衝動に駆られてしまう。

「あれは……もしや〝星の落とし子〟……?」

サスラが、ほとんど無意識に呟いた――その直後だった。

意識が向いた。微動だにせずとも、明白に分かった。

新たな怪物の意識がハジメに向いたと!

力が、身の毛のよだつような力の気配が一気に膨れ上がる。害意ある何かが放たれようとしている。

反射的に各々が己の役目を果たさんと動き出した。

周囲の保護は香織達に任せて、ユエはハジメを集中的に守らんと空間遮断結界を展開しようとする。

こんな時でも冷静さを失わず、それどころか一層冷徹な雰囲気になって観察者の目を向けているハジメもまた、何かをすべく手を動かして――

しかし、それは叶わなかった。

なぜか?

流石のハジメであっても一瞬のうちに動揺させられる完全想定外のことが起きたからだ。

そう、

――なに無視してくれとんねん

「あ?」

「「「「「え?」」」」」

唐突に声が響いたから。それも、何か聞き覚えのある関西弁の声が!

――おいっ、待て! ちょっと冷静にだなっ

――おどれの相手は~~~~っ

ついでに渋いおっさんボイスも! 何やら落ち着かせようとしているそれを無視して、関西弁の声音はボルテージを上げる!

そうして。

『このワイやろがぁーーーーーーっ!!』

黒い穴の一部が霧散し再び現われた光の渦。そこから流星の如く飛び出したのは白い影。

一瞬で音速を突破したのか白い膜が発生し空気の破裂音が響き渡る。

刹那、白い影が繰り出したライダー○ックスタイルの脚撃が、見事、怪物の後頭部に炸裂した。

赤黒い魔力の波紋が衝撃波の如く広がり、轟音が響き、怪物が弾かれたようにぶっ飛ぶ。

角度的に斜め上からの攻撃だったのもあって、怪物はハジメ達の頭上を砲弾のように通り過ぎ、屋上の一部を粉砕しながら道路に突っ込んだ。

余程の威力だったのだろう。地震でも発生したような震動が伝わり、爆撃でもされたような音が轟き、アスファルトが砕け散ってクレーターが生まれる。

『ハッ、このドサンピンがっ。敵を前に背を向ける奴があるかいな!』

一瞬前まで怪物がいた場所には、代わりに立派なウサミミをファサッとする一体のウサギさんがいた。

赤い瞳に、もふもふの毛皮、そして異様に発達した後ろ脚には立派な脚甲まで。

その姿を見て動揺しながらもハジメは、そして、浅からぬ関係である鈴は声を揃えて叫んだ。

「イナバ!?」

「イナバさん!?」

そう、奈落の底でハジメが垂れ零した〝神水〟を飲み続け、知能と自我を得て、更にハジメへの憧れから修行を積み強くなった通称〝蹴りウサギ〟の特異個体。

最終決戦では鈴と従魔契約をし〝神域〟で戦い抜いたことで歴史書に載るほど一躍有名ウサギとなった――イナバだった。

なんか目元に傷跡とかあるし、風格もマシマシになっている気がしないでもないが……

『おう! 王様に鈴はん! それに皆さんお揃いで! お久しぶりやな!』

空中で魔力の波紋を広げながらもタップダンスでもするように喜びをあらわにするイナバ。性格は変わっていないっぽい。どうやら間違いなく本人――本ウサギだ。

これにはユエ達さえも開いた口が塞がらない様子。

イナバを見たことがない者達も、空中で跳ねながらしゃべるウサギさんに目が点になっている。

そこに、ある種の精神的追撃。

『だぁ~~っ、おめぇって奴はどうしてそう猪突猛進なんだ』

呆れたような声音を漏らしながら、イナバが飛び出してきた小さな光の渦から更に出てきたのは、一抱え程度の大きさのマンタ型の飛行機(?)。

水に満たされたコックピットの中にいるのは、渋いおっさん顔の魚だ。

なんか三角錐の浮遊体らしきものが後からついてきているが、そんなもの気にしている余裕はない。だって、こんなところで、こんな形で再会するわけがない知り合い第二弾なんだもの。

もちろん、ハジメと、今度はミュウ&シアが動揺のままに叫んだ。

「「「リーさんっ!!?」」」

『おう、ハー坊にミュウの嬢ちゃん。シアの嬢ちゃん達も久しいな』

もうわけが分からなかった。リーさん専用の水空両用潜水艇トリアイナも、なんかちょっと造形が変わってるし。

「……二、三ヶ月前にイナバと出かけてそれっきりって聞いていたけど、これは流石に予想外」

旅行前にハジメと二人っきりで過ごしたトータスでの休日デート。リーさんの奥さんであるマルガリータ姐さん曰く、また放浪癖が出たんだろうという話だったが……

まさか、怪物がやって来た〝ゲート〟の奥から現われて地球で再会するなんて誰が思うだろうか。

これにはユエも頭を抱えてしまう。マルガリータ、あなたの旦那さん、放浪癖が極まって異世界まで放浪しちゃってる……

なんて報告したら、またブチギレそうである。

「お、おい、イナバ。それにリーさんも。いったいこれはどういうことだ?」

『ああ~、それなんやけど――』

『話は後だ! 来るぞ!! あいつも、あの程度じゃ死なねぇだろう!』

山盛りの疑問と動揺を押し流すような、最悪の気配が再び膨れ上がった。

クレーターからボコボコと肉体を変形させながら、否、再生しながら這い出し、そのまま空中に浮かび上がってくる怪物。

更に、黒い穴からも一体、また一体と同じ怪物が出現してくる。

あれほど歪で異質な存在のくせに唯一個体ではなかったらしい。

「……〝落とし子〟って言ったか」

サスラの呟きを拾っていたハジメの表情が一瞬で切り替わる。動揺と困惑に満ちていた顔からストンッと感情が抜け落ちて真顔になる。

ユエ達も気を取り直して臨戦態勢になり、リーさんが敵の情報を伝えようというのか声を張り上げる。

『気を付けろ、ハー坊! こいつらはしぶとい! おまけに神代魔法クラスの――』

だが、その言葉は直ぐに止まった。

〝落とし子〟が八体も出現したから? 黒い穴にノイズのような乱れが生じたかと思えば消滅し、光の渦だけが残ったから?

否だ。

「少し試させてもらおう」

静かな声音に反する、あの強大な存在感が再びハジメから発せられたからだ。

反応した〝落とし子〟達も、対抗するように凄まじい力を発するがハジメの表情に変化はなく。その手には、いつの間にかドンナー&シュラークが握られていて。

「友好的な情報源があるなら――お前達はいらないな?」

引き金が引かれた。

いつ引いたのか誰にも分からなかった。ただ、気が付けばハジメの腕が交差していて、気が付けば弾丸が放たれていて、気が付けば着弾していた。

そして、その結果、

――!!?!!?!??

怪物達から酷い困惑の滲む絶叫が上がった。

原因は見るからに明らかだった。八体それぞれを光の球体が囲んでいたのだ。

その球体の中で光の粒子が超高速で乱回転しているのがなんとなく分かった。

〝落とし子〟達がもがく。触手や腕を振り回し、禍々しい瘴気を噴き出し、姿や形さえも次々と変えては何かしらの能力を放っているようだ。

だが、光の球体は壊れない。脱出も許さない。それどころか刻一刻と〝落とし子〟達の絶叫は深くなり、傍目にも焦燥が増していくのが分かる。

「な、南雲……あれ、なんだ? 何をしたんだ?」

浩介が隠行も忘れて呆けながら尋ねる。

それはユエ達も知りたいことだった。何せ、初めて見る技だったから。

ハジメは油断なく視線を逸らさないまま、否、己が行使した現象と、それによる〝落とし子〟達の反応をつぶさに観察しながら答える。

「弾丸を起点にした超限定範囲での〝龍脈〟の再現だ」

〝宝物庫〟と〝神結晶〟の複合アーティファクト弾頭。内包されているのは莫大な〝氣力〟そのもの。それを着弾と同時に発生する結界の中で解き放ち、かつ目標と一緒に封じる特殊弾だ。

「あの中は、ほぼ〝龍脈〟と同じ環境だ。肉体も精神も体内エネルギーも全て呑み込み氣力に還元しちまう作用が働いている」

「……も、もしかしてだけど……魔法、使えない?」

ユエが何かに思い至り、珍しくも少し引き攣った表情をハジメに向ける。

「ああ。放出したエネルギーは、それがなんであれ即座に氣力の嵐に――〝乱氣流〟と名付けたが、それに呑み込まれる。体内エネルギーも常に掻き乱されて、まともな魔法は使えない」

俺が実際に経験したことだから間違いないと、なんでもないことのように言うハジメ。

〝落とし子〟達の肉体が端から溶けるようにして消え始め、焦燥を通り越して恐怖を感じさせる悲鳴が耳に響く。

ハジメの口の端が僅かに吊り上がった。実験の成功を喜ぶMADサイエンティストみたいな笑い方だ。

これにはユエ達以外、誰もがドン引きである。

「何より有用なのは、吸収されたエネルギーがそのまま〝乱氣流〟や〝結界〟の維持と強化に繋がることだ」

つまり、何もしなくても徐々に溶けるようにして全てが呑み込まれ、魔法などで対応しようとしても阻害され、仮に使えたとしても使えば使うほど吸収されて、〝疑似龍脈〟の強化と持続に繋がってしまう……ということだ。

ユエがハジメの袖をちょいちょいっと引いた。

「あの……ハジメ? それ……物凄く魔法使い殺し、なんじゃ?」

「そうだな。脱出に一番有効なのは圧倒的膂力による結界の物理破壊だと思う。〝疑似龍脈〟を限定範囲に止めているのは、〝氣力製神結晶弾頭〟の破片を基点にした氣力の結界だからな。それを吹き飛ばせれば〝乱氣流〟も霧散する」

〝神結晶〟は超高密度の魔力結晶体だ。なら〝氣力〟だって同じことはできる。後は陰陽術の氣力を元にした結界の術理を応用した……的な説明がパパッとなされたが、浩介達の顔には「なるほど。わからん」と書いてあった。

なお、ユエは涙目でハジメの背をポカポカしていた。

仙人の如く〝氣力〟の扱いを極めた手合いか、シアのような物理チートでなければ、まさに必殺だ。そのシアとて、果たしてまともに身体強化ができるかどうか……

なんて恐ろしいもんをサラッと作ってるんですか……と、当のシアの畏れ戦いている様子からすると難易度はアンノウンレベルだろう。

「心配するな。旅行前にユエ達の〝宝物庫〟や〝武器〟に対氣力用の措置を施してあるし、〝龍脈行〟をすれば〝乱氣流〟の中でも一瞬くらい魔法が使えるようになるはずだ」

ポカポカしていたユエの手が止まった。シア達も「んん?」と表情が固まる。もしかしてこの人、私達にもいずれ〝龍脈〟に飛び込ませる気じゃ……と。

怖くて聞けないが。

「あの、南雲? 私達のアーティファクトにも、それってしてある?」

優花が恐る恐る尋ねた。自分のアーティファクトを回収された記憶も、改修された記憶もないからだ。

浩介達も同じことを思ったのだろう。伺うようにハジメを見た。

「まだしてないな」

「「「「早めにお願いしますっ!!」」」」

優花と浩介を筆頭に龍太郎達の声音が重なった。別に味方に使うことはないのだから、何を焦る必要が……と言いたげな表情になりつつも、やっぱり〝落とし子〟達から目を離さないハジメ。

『な、なんや、王様……ちょっと見ん間にまたアホぉほど強くなっとるやんか……へっ、流石や。影くらい踏めるようになったかと思うたけど、王様はそうでないとな!』

『これ以上、強くなってどうすんだと呆れるところだが……今は、その向上心がありがてぇな』

イナバは唖然状態から闘志を燃え上がらせるような雰囲気に、リーさんは呆れ状態から深い信頼の滲む表情になって笑みを浮べる。だがそれも、

「……なんだ。本命は不要か」

ボソッと呟かれた恐ろしい呟きに、ユエ達も揃って引き攣り顔になったが。

徐々に〝落とし子〟達が消えていく。いや、〝龍脈〟に呑み込まれていく。

あれほど強大だった存在感も刻一刻と溶けるようにして薄くなっていく。

まさに、なす術なし。

下手をすれば〝獣の怪物〟や〝隷属するもの〟よりも格上の存在だったろう八体もの怪物達が何もできない。

なのに、まだ本命の攻撃ですらなかったとは……

〝龍の事件〟以降、強迫観念に駆られるようにして多忙を極めていたことは知っていたが、この旅行までの間に、いったいハジメは何をどれだけ積み上げたのだろう。

底が知れない。

それが、何やら驚愕を通り越してうっとりし始めたユエ達と「パパ最強!」とテンション上がりまくりのミュウ以外の誰もが抱いた感想だった。

畏怖、絶大な信頼、信仰にも近しい敬意……

その感情がなんであれ、ハジメという存在が自分達の味方であることに心の底からの安堵と身震いするほどの頼もしさを感じずにはいられない。

そんな様子が見て取れた。

「さて」

〝落とし子〟達が完全に〝疑似龍脈〟の中に消える。そうすれば、補給源がなくなったことで〝乱氣流〟も落ち着いていき、〝氣力製神結晶の結界〟が帯びる煌めきも大気に溶け込むようにして薄れていく。

「邪魔な連中は消えた。イナバ、リーさん。改めて教えてくれ」

ようやく視線を地上に戻したハジメ。

イナバとリーさんに向き直る。その背後で、ついに結界が消えて花火のように弾けて霧散していく〝氣力〟の光。

そのまま光の粒子となって世界へと還っていく様は得も言われぬ美しい光景で。

そんな光景を背に、ハジメは問うた。核心を突く問いを。二人の傍に寄り添うようにして浮遊する三角錐の何かを横目にしながら。

「どこから来た?」

イナバとリーさんは顔を見合わせた。

そして、苦笑を零し合い、けれど直ぐに表情を真剣なものに改めて、

『エヒトのクソ野郎が生まれた世界や』

『エヒトの元の世界だ』

そう、答えた。

ハジメは天を仰いだ。黒い穴が消え元に戻った光の渦を睨み付ける。ユエ達は目を細め、浩介達は息を呑んだ。

ハジメの予想は当たっていたのだ。

厄災界。

全てが崩壊したはずの世界で、何かが起きている。

「確かめないと、な」

何かが始まった。それも未だかつて無いほど良くない何かが。そんな予感めいたものを胸の奥に感じながら、ハジメは呟いた。その手をユエが優しく包み込む。

そうして、

『あ、ちなみにだがハー坊。勇者のあんちゃんが既に来てるぞ』

『はよぅ王様を呼んできてぇ~って泣き言をほざいとったわ』

「んんんぅっ、あのクソ勇者はいつもいつもっ」

ある意味、さす勇。決然とした空気感をぶち壊し、魔神にさえ、なんか絞り出したような声を漏らさせる男。

雫と龍太郎もまた、希に良くある幼馴染みの、きっと問答無用だったに違いない新たな誘拐事件に両手で顔を覆ったのだった。