軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間① 深淵すぎる深淵卿

壁を破壊されたことで二部屋から大広間へと変わった地下室に、

「イヤァアアアアアアアアッ!!?」

そんな絶叫が響いた。それはもう物凄い悲鳴だった。表情もまさに〝ムンク〟の『叫び』の如く。いや、なんなら楳図かず○先生の作画みたいになっているというか。

とにもかくにも、喉が裂けんばかりに叫んでいるのはバスガイドさんこと 甘衣(あまい) 杏寿(あんじゅ) だ。

どう見ても発狂状態である。とても正気とは思えない有様だ。

理由はもちろん。

――む、甘衣君。なぜ君がここに……?

下半身が玉虫色のスライムみたいになったまま、やっぱり玉虫色の触手みたいな腕で浩介の首筋に恋人の如くしがみついている不定形少女のせいだ。

「ヒギィーーーーッ!?」

「うるせぇ。――愛子」

「あ、はい。――〝鎮魂〟」

甘衣さんはスンッとなった。やはり魂魄魔法。魂魄魔法は全てを解決する――

「だからっ、だから来たくないって言ったのに……無理やり連れてくるなんてやっぱり悪魔っ、魔王! 魔神!!」

甘衣さんが両手で顔を覆ってしゃがみ込み、しくしくと泣き始めた。かと思えば、どこからか取り出したアイマスクで目元を覆い、耳栓をして、口元に絆創膏を貼って塞ぎ、膝を抱えて座り込んでしまった。

誘拐された人みたいな有様だ。セルフだが。

雫とリリアーナが両サイドから良い子良い子するように頭を撫で慰めているが、あまり効果はなさそう。

何も見ない。何も聞かない。不意に悲鳴を上げて奴等に気が付かれないよう口だって塞ぐ……

そう、私は貝。モンハナシャコのスマッシャーパンチにも負けない最高の貝……

そう言わんばかりの心の閉ざしようだった。

「そんなっ、鎮魂を使っても情緒が不安定だなんてっ」

ショックを受けている愛子。――は、さておき。

さて、なぜ甘衣さんがデトロイトの地下にいて発狂することになったのかと言えば、言わずもがな。

あの後、浩介はハジメに連絡した。流石に、もうハジメの旅行に配慮している事態ではないと判断したからだ。

浩介自身が困っているからという以上に、羅針盤を以てしても探知できなかったかもしれない存在の実在を確認してしまったからである。はっきり言って由々しき事態だ。報告が最優先事項であるのは明らか。

もちろん、ハジメは一も二もなく天竜界から、より詳しく言えば豪華客船アーヴェンスト内スパリゾートから、バカンスを中断して直ぐに転移してきた。

そして、

「おいおいおい、アビィさんよぉ。俺はまだお前を甘く見ていたようだぜ……」

「淳史に完全同意だ……アビィ、俺は男としてお前を心の底から尊敬する」

「守備範囲、広すぎだろ……お前の懐はどうなってんだ? あ、深淵か! 流石だぜ……」

「龍くん、上手いこと言ったつもりなんだろうけど……さっきから臨戦態勢だし、拳が震えてるよ? まぁ、私もさっきから悪寒と吐き気が止まらないんだけど……」

もちろん居残り組なんておらず、ローゼ達天竜界の住人以外は全員がやってきていた。

だってしょうがないのだ。ラナが電話口で叫ぶんだもの! 浩介に新たなお嫁さん候補が出来たって! しかも、それが不定形の吐き気を催す人外だって!

そんなの、絶対に見てみたいじゃないか!

と思っていたのだが、淳史達の表情には少しばかり後悔が浮かんでいた。もちろん、玉虫色の少女を見ているだけで正気がガリガリと削られていくような恐ろしい感覚に苛まれているからである。

鎮魂!

愛ちゃんの心のお薬はいつだって皆を守ってくれる!

ユエにシア、それにティオは興味深そうに、香織と雫とリリアーナ、それに優花や奈々、妙子は少し引き攣り顔になっている。

ミュウだけは悪寒に震えながらも好奇心が勝っているのか。今にもトコトコと近づいていきそうな雰囲気なので、レミアが抱き締めるようにして押さえている。

その間にも、

――これで少しは見られる姿になっただろうか?

玉虫色の少女は浩介から少し離れ、外見だけは普通の少女の姿になった。ドロドロだった下半身がしっかり足の形を取り、触手も元に戻る。玉虫色の輝きも透けるような肌感も治まっていく。

と、そこでストンッと。

「あっ、ちょっ、ダメだって!」

元々なぜかダボダボのスーツ姿だったのだ。粘液で辛うじて引っかかっていたズボンが、人の下半身に戻った拍子に落ちてしまった。

細身で、真っ白な少女の足があらわになる。白のカッターシャツも大きいので下半身丸見えという痴態は避けられたが、むしろ、ちょっと不味い。いや、かなり不味い!

彼シャツを着ている彼女みたいに見えなくもないというか。少女の肌が傍目にも陶磁器の如く綺麗なので、逆に扇情的というか……

なんなら少し粘液が残っていて内股を滴っているのが、非常に良くない絵面というか。

なので、慌ててハジメ達の視線を遮るように割って入る浩介。

――ふふ、君は私などに欲情してくれるのか?

「してませんが!? 女の子が人前でそんな恰好しちゃダメっていう至って常識的な判断をしているだけですが!?」

――少なくとも女扱いはしてくれるのだな。大変喜ばしい

「ちょっと黙っててくれますぅ!?」

少し顔を赤くしつつ声高に否定する浩介。肩越しに「違うからね!」とラナに弁解の眼差しも送る。

それは至って普通の、そう、自分に好意を寄せる少女を前に、恋人へ弁解する男のような反応で。

粘体少女もますます嬉しそうに口元を綻ばせている。

ハジメ達は顔を見合わせた。人の姿になって確かに本能的な忌避感は薄れたとはいえ、それでもあの姿を見た後だ。

ただの人外ならなんとも思わない。ただのスライム少女なら、むしろオタク的に大変興味深い。

だが、彼女は何かがおかしい。生物として何かが決定的に間違っているような違和感が、どうしても拭えない。それがどうしようもなく人の精神を掻き乱すのだ。

なのに、浩介は普通に接している。いや、よく見れば鳥肌のようなものは立っていたし、頬も少し引き攣っていたので同じような感覚は覚えているのだろうが……

それでも、ハジメ達ほどではないのか。

「やっぱり遠藤っちはそっち側……」

「正体を現わしたね……」

「宮崎ぃ! 菅原ぁ! 聞こえてるからなっ!!」

正体を見せた己を前に、そんな何気ない友人同士のやり取りのような態度を取ることが嬉しかったのか。思念にも似た伝達方法から、言葉はないが嬉しそうな感情が伝わってきた。薄い唇にも緩やかな弧が描かれている。

ハジメ達もまた、そんな少女の様子に警戒心を一段引き下げた。本能的な忌避感とは別に、やはり少女から敵意や悪意の類いはまったく感じないからというのもあるが。

いそいそとズボンを引き上げようとする少女。しかし、シャツもダボダボなので、いわゆる萌え袖状態だ。なので、上手く掴めずちょいと手間取る。

――面倒な

再び玉虫色の輝きが!

何をする気かは分からないが、見ざる聞かざる状態のはずなのに気配だけでSAN値がレッドゾーンまで削れたらしい甘衣さんが「イヤァアアアアアアアアッ!!? 小○井のぉ! 小○井のコーヒー牛乳を誰かぁ! できれば砂糖を追加してぇ!!」と再び絶叫(?)を上げた。

なので、浩介は動いた。迅速に! やむを得ないと!

「ちょっとごめんな!」

少女の足下にしゃがみ、代わりにズボンを引っ掴むみ、上げる!

しかし、少女の腰は細い。そのままだと再びストンッだ。なぜサイズの合わない穴の位置に留め具をしているのか分からないが、ともあれベルトを一度外して締め直す必要がある!

(なんか 真実(まなみ) が小さい頃を思い出すなぁ)

お兄ちゃんとして服を着せてあげたことは何度もある。それを、ふと思い出して口元に笑みを浮べる浩介。

そこへ、

「……こ、浩様……?」

「この状況はいったい……え、浩介様?」

「え、遠藤浩介ぇ! 貴様! この変態め! またも正体を現わしたな!?」

地上の安全が確保できたのと、おそらくハジメ達の転移を察知したのだろう。ちょうど 陽晴(ひなた) 達が地下に降りてきた。

そして、目撃した。

少女の前に跪き、下半身に顔を近づけ、彼女のズボンのベルトをカチャカチャと弄っている浩介の姿を。

傍から見ると、なるほど。

確かに変態の所業だ!!

緋月だけは気にした様子もなく、むしろハジメ達がいることに少し驚き、「おや、魔神殿ご一行がお揃いで。少しばかりお久しぶりでござりんす♪」と挨拶を優先したが、陽晴達は信じられない! と言いたげな愕然とした表情だ。

信じないで! と心の中のミニ浩介は叫んだ。その疑念は紛う事なき誤解だよ! と。

よくよく考えれば、ハジメ達がいるのだから不測の事態が起きたことは分かるし、そんな彼等の前で痴態に興じるわけもなく、というか浩介がそんな人間でないことは分かっているので直ぐに落ち着く陽晴達。

「す、すまない、遠藤浩介。誤解した。貴様は脱がすくらいなら自分が脱ぐ奴だった……」

「そんな謝り方があってたまるかよ」

申し訳なさそうに謝罪(?)する朱に、こめかみがピクピクしちゃうのを自覚しつつも、しっかりとベルトをキュッ! はだけそうな胸元も首元までボタンをきっちりかっちり!

これで良し! と立ち上がった浩介と、どこか満足そうに萌え袖をパタパタしている少女の姿に、なんとなく空気が和む。

加えて、

「ヒナちゃ~ん、大変だったみたいなの。大丈夫?」

「ミュウちゃん!」

ミュウの呼び掛けに陰陽師モードだった陽晴の表情がパァッと輝く。

年相応のあどけない笑みを浮べて互いに駆け寄り、両手を握り合ってぴょんっぴょんっと跳ねながら喜ぶ少女達の姿に、更に場の空気は緩んだ。

誰もがほっこりした表情になったのもあってか、一段落ついたと判断したらしいエージェントJとラナが口を開く。

「あ~、その、なんだ。数ヶ月ぶりだな、ミスター・ナグモ」

「ボス! ご旅行中にご足労いただき申し訳ありません!!」

エージェントJは戸惑いと苦笑半々といった表情、ラナは最敬礼を以てご挨拶。

「エージェントJ、それにKも久しぶりだな。ラナ、謝罪はいい。こちらでも問題が起きていてな? ある意味、ちょうど良かった」

「問題と言いますと……やはり彼女ですか?」

ハジメ達の旅行に同行しているはずのない貝系バスガイドを見やり、浩介といいハジメといい、落ち着いて旅行もできないくらい本当に騒動に愛されていると苦笑いを浮べるラナ。

「ああ。だが、まずはそっちの事情を説明してもらえるか。その遠藤のスライム系彼女と、そこで伸びてる修道士みたいな恰好の男……それに、この異様な地下室について」

「ああ、分かった。と言っても、彼女のことはよく知らないし、事情説明もちょいと長くなりそうだけど……」

「なら一旦、上に戻るか。流石にこの人数だと圧迫感があるし、ここは……不衛生だ。子供達にはあまり長居させたくない」

「むぅ! パパ、子供扱いしないで! ミュウは平気なの!」

「南雲様。わたくしも問題ありません」

ミュウと陽晴がむんっと胸を張る。とはいえ、血肉や骨、汚泥みたいな水が飛び散りまくってる室内だ。異臭も酷い。立ったまま長居するのは大人でも避けたいところ。

何より、ハジメの視線が一瞬、正体不明の粘体少女に向く。

敵ではないと思う。だが、問題なしとするには異質すぎる。何かあった時、この大人数がいる地下空間は少々不利だ。身動きも高威力の攻撃も難しいから。

という内心の警戒心は、やぶを突いて蛇を出すつもりもないのでおくびにも出さず、

「甘衣さんがどうなってもいいのか?」

と、かわいそうな甘衣さんをダシに使って誤魔化しておく。

まるで人質を取った犯罪者みたいなセリフだが、実際、

「私は貝、私は貝……かかって来いシャコパンチ……あ、やめて、やっぱり来ないでっ。煮詰めたカフェオレはどこぉ」

とかなんとかブツブツ呟いていて精神的に危うそうなのは事実なので、少しでもマシな場所に移動してあげた方がいいのは確かだ。

これにはミュウと陽晴も、うん、出た方が良さそう……と、素直に頷いた。

「私も地上の部隊と一度、状況を共有したい。賛成だ」

「清武はまだ上かな? お 姫(ひぃ) 様方がこちらに来られたということは、地上の安全は確保できたと考えても?」

「はい、叔父様。問題ありません。捕らえた者達は、まだ建物からの退避指示が解除されていないので道路向かいの公園にて拘束中です。周囲一帯もデトロイト市警の方々が封鎖しています」

MCB部隊の包囲作戦に合わせて、Zが動かしていたのだろう。おそらくテロ集団の拠点だったとかなんとか理由をつけて。

「J、退避指示は解除してはどうでしょう。Zが手を打ってはいるでしょうが、都市の中心部です。封鎖が長引けば騒動も大きくなる。警官達も痺れを切らすでしょう。何よりグールを屋外で拘束しておくのは……数が数なので輸送車も足りていません。到着まで人目に付かない場所で拘束しておくべきです」

「そうだな。その辺りが片付いてから情報共有してほしいが……」

チラッとJの視線がハジメに向けられた。確かにKの言う通りだ。一度、現場の状況を整理し対応しておくことは必要だ。

これは浩介サイドも同じようで、ヴァネッサも思い出したように口を開く。

「エミリー博士達も心配しているでしょうし、遠藤家にも連絡しておきましょう。あ、いえ、コウスケさんがもう分身体経由で説明してますかね?」

「……す、するよ? もちろんするとも。うん」

「こうくん? 何を動揺して……ああ、そういうこと。その子のことをどう説明するか迷って、エミリーちゃんに勘づかれたのね? 女の気配を」

「エスパーッ」

なんて浩介達のやり取りに肩を竦めつつ、ハジメはJに「構わない」と頷いた。そして、ユエに目配せをした。

「……ん、任せて。誰も侵入させない。空間ごと固定する」

それだけで意図を正確に汲み取ったユエは、即座に地下空間全体を覆う結界を展開する。現場保存だ。

「あの、ハジメさん」

「ん? なんだ、リリィ」

「一応、ローゼさん達にもしばらくかかるって連絡しておいた方が? ほら、きちんと挨拶もせず直ぐに転移してきちゃいましたし、私、女王様なのに放置……ってしょんぼりしてるかもしれません♪」

「なんでちょっと嬉しそうなんだよ……シア、G10に連絡しといてくれ」

「はいはい、了解ですっ」

しかし、リリアーナの言う通りではあるので、アーヴェンストに、正確にはG10のアーヴェンスト用端末機の方に連絡を入れ始めるシア。

「ティオ、悪いが甘衣さんを……」

「うむ。ご主人様がやるより良かろうな。赤子をあやすように運ぼうぞ」

ティオがそ~っと甘衣さんをお姫様だっこした。ビクンッと震える甘衣さん。

ハジメ達がいるから逃げる必要はないと分かっていても、まだ怖いものは怖いらしい。というか、逆に普段と異なり逃げずに現場に留まっているからこそ恐怖が募っているのか。

ティオの包容力で発狂するようなことはなかったが、まさに赤子のように身を竦めている。あんじゅ、おうちにかえる……という呟きも微かに。幼児退行しつつあるようだ。

「話をするまで少し時間があるなら、私、ちょっと甘そうな飲み物を探してくるよ」

「香織、近くにテイクアウトできるカフェがあるわ」

見かねた香織と雫が、どうやら甘衣さん用回復薬を買ってきてくれるようだ。

それぞれやることが決まり、最後に浩介の分身体がリチャードを担ぎ上げる。

そうして、

「そう言えばさ、一個だけ確認していい? 気になっちゃって……」

浩介は不意に訪ねた。「うん?」とハジメが応えるが、浩介の視線はハジメを通り越して、その後ろへ。

「園部はいったいどうしたんだ? そんな格好してるの見たことない――」

「何も言わないで! バカンスハイでバカになってただけよ!!」

「お、おう……」

必死に気配を隠して一言もしゃべらなかった優花ちゃん。

なぜか?

「もう! こうくん、デリカシー!」

「察しましょう、コウスケさん。きっと旅行の間も頑張っていたんですよ。可愛いじゃありませんか」

「浩介様、乙女心というやつですよ」

「園部様! その……ちょっとエッチすぎると思いますッ」

「何も言わないでって言ったじゃないっ」

スパリゾートで水着だったハジメ達は、当然、普通の服装に着替えている。それはスパから出た後もアーヴェンストというリゾート地で過ごすためのバカンス用衣装ではなく、もちろん地球の都市部に赴くことを意識した普通の衣装だ。

だが一人だけ、度重なる〝特別衣装〟を着てきたせいで本人の言う通り〝普通〟の感覚がバカになっている人物がいた。そう、優花ちゃんだ。

妙子先生が密かに更衣室に用意しておいた、スパから上がった後のバカンス用の衣装――ブーメランみたいな極小面積のデニム生地製ショートパンツに、下乳が見えそうな丈のTシャツを、ナチュラルに着てきてしまったのである。

そけい部を手で隠したり、ムチッとした太ももを恥ずかしそうにすり合わせる姿が大変えっちぃ。ほとんど水着と変わらない露出度である。TPOを考慮したシアを遥かに超える露出度だ。

「南雲達もなんで何も言わなかったのよぉ!」

「似合ってたからな」

「ふぐぅっ」

ナチュラルにカウンターを放ち優花を撃沈させるハジメ。

確かに似合ってはいたし、季節が季節なので場所によっては街中でも見かけそうといえば見かけそうな格好ではある。なので、ユエ達も目配せは一瞬。まぁいいかとスルーしたのだ。

もう一度着替えに行かせるのが面倒だったからとは、もちろん口にしない。

なんか改めて意識すると意識しちゃったのか、エージェントKがソワソワしているが、それはさておき。

「ああ~、南雲、上は清掃会社の建物だ。がらんっとした広い建物だから適当に広い部屋を使えばいいと思う。一般人もいないはずだし……着替える場所もあるだろうなぁ」

「そうか。案内は任せる。着替える場所は別にいらないと思うが」

「いるわよ! ばか!」

浩介達の先導にハジメ達がついていく形で、ひとまず、一行は凄惨で異質な気配が漂う地下を後にした。

それからしばらくして。

建物の一階にある荷物一つ置かれていない広い部屋にて。

妖精界への旅行中に入った救援要請と古き村で起きた奇々怪々な事件、そして本物の魔術師達が起こした、あるいは起こそうとした計画……

窓の外や通路にMCBの隊員が警邏している気配を感じ取りながら、浩介から一通り事情を聞いたハジメは、

「……なるほどな」

天を仰いだ。眉間の皺は深く、視線は鋭い。ユエ達の方は困惑が強いか。

無理もない。創作神話の存在が実在している可能性はまだしも、それがハジメの羅針盤に反応しないかもしれないなんて想像の埒外である。何かの間違いでは? と思うのも当然だ。

「あの時に襲ってきたのは……その人だったんですね……」

「あまいお姉さん、大丈夫?」

香織が手ずから甘いカフェオレを流し込んだおかげかすっかり復調した甘衣が、改めて魂魄魔法で意識を縛られ床に転がされているリチャードを見やった。

隣に寄り添うミュウが心配そうに袖を引くと、仄かに笑みを浮べて頷く。

同じく隣に寄り添う愛子は思った。解せぬ……と。

なぜ神代魔法による鎮静効果より、角砂糖マシマシのカフェオレの方が効くのか。なぜ、そんな暴飲を繰り返しながら糖尿病にならないのか。

本当に解せぬぅ……

というのはさておき。

「で、その玉虫色のスライムの奥から出てきたのが……」

「うむ。私だ」

一応、ハジメサイドと浩介サイドで向かい合う形で椅子を並べているのだが、両者の間にはリチャードだけでなく、例の玉虫色の少女もいた。

まるで、法廷で原告側と被告側、それに優花達が座っている傍聴席側に囲まれた証言台に座っているような構図だ。

水を向けられた少女は囲まれていることに特に怯んだ様子もなく、それどころか、あの脳内に響くような伝達方法をやめて普通に声を発した。

頭に響いたのと同じ声音に浩介達が少し驚いた様子を見せる。普通に話せたのか……と。

「その節は世話になった。君の助力がなければ甘衣君も危なかっただろう」

「? 世話? 甘衣さんも知ってる? おかしいな。お前のような奴、一度会えば忘れるわけがないと思うんだが……」

ハジメは訝しみ、ユエ達に視線を巡らせた。もちろん、返ってくるのは首振りだけ。当の甘衣も驚いた様子で目を瞬かせている。

「ああ、すまない。この姿では分からぬのも当然。失礼した」

相変わらず古風なしゃべり方というか、男口調というか。あまり抑揚もなく、目隠れ系の髪型なのもあって感情が分かり辛い。

そんな彼女は、再び玉虫色に輝いた。ボコボコッと肌が泡立って粘体へと変じていく。少女の姿だと薄れていた異質感が再び襲い来る。

誰もが「うっ」と口元を押さえた。シアや香織、雫、それに龍太郎などは反射的に腰を浮かして身構えてしまう。ユエやティオですらも警戒心は隠せないようだ。

レミアや優花達などは椅子をガタッとさせて少し後ろへ下がってしまったくらい。

すかさず、愛子とユエがダブルで〝鎮魂〟を放ち精神の安定を図る。

ハジメだけは、冷徹とすら表現できそうな鋭い観察者の目を向けている。

そんな中、少女の形が大きく変わっていった。身長が伸び、華奢だった体格も大きくなっていき、ダボダボだったスーツが体型に合っていく……

それどころか、なぜか頭の上には帽子まで作られていき……

「「え、ちょっ、えぇ!!?」」

玉虫色の輝きが収まった直後、そこに現われた姿に二人の動揺の声が迸った。

一人は浩介で、もう一人は甘衣だ。ただ、二人の動揺の意味合いは異なった。

「お、男ぉ!? しかも、おじさん!?」

「山田さん!? え、でも、えっ、嘘でしょ!?」

上が白のカッターシャツだけだったので普通のスーツに見えていたが、どうやら服装まで玉虫色の粘体で作れるらしい。

独特の意匠やラインが入った上着に、同じく意匠が入った制帽を目深に、そう、どこかで見た覚えのある「それ、絶対に前、見えてないだろ!!」とツッコミを入れずにはいられないほど目深に被った、四十代半ばくらいの男の姿が現われる。

「え、この人、確か修学旅行の時のバスの運転手さんだよね!?」

「え、ええ。そうね。あの前が見えているのか怪しすぎる運転手さんね……」

「香織お姉ちゃん! 雫お姉ちゃん! クリスマスの時、あまいお姉さんに怪しい本を託した人でもあるの!」

香織と雫、そしてミュウの言う通り、目隠れ少女が変身したのは甘衣の同僚にして、最近〝探索者〟だと判明した〝バスの運転手さん〟だった。

ちなみに、名前は山田太郎。まるで書類の記載例に載っている率ナンバーワンみたいな名前だと、名乗られた者は誰もが思う。ハジメ達も思った。

正体を知った今となっては、むしろ納得の名前だが。どう考えても偽名だろうから。ちょっと安直な気がしないでもないが。

なんてツッコミは流石に入れていられない。ハジメ達ですら少し動揺したから。

「まさか……目の前に、これほど異質な雰囲気の人外がいて気が付かないとはな……」

そう、まさにその点こそハジメ達が驚愕するところだった。

「今は敢えて気配を隠していない。私という存在を分かりやすく示すために。しかし、これでも人間社会の中で長く生きているのでな……」

目深というか、もはや帽子を極端なまでに前にずらして被っているので顔の四分の一くらいが見えないが、なんとなく苦笑している感じがした。

ともあれ、あの異質な空気を完全に遮断し、それどころか擬態能力で精密検査を受けても人間にしか見えないようにすることも、そもそも魔術によって調べようという気にさせないことも極まったレベルでできるらしい。

「そ、そんな……こうくんの七番目のお嫁さんは……おじさま!?」

ラナも動揺している。目が泳いでいる。正妻として、どう受け止めれば!? と必死に心の整理をしている様子。

「まさかバスの運転手✕コウスケさん? いえ、コウスケさん✕バスの運転手さん? くっ、なんて複雑な気持ちっ。これであの帽子の奥の顔がイケオジだったら……ああっ、マナミさん! 私はどうしたら!」

取り敢えず、黙ってろよ……という眼差しが龍太郎達からラナとヴァネッサへ注がれた。今、それどころじゃないから、と。

しかし、浩介を慕う女性陣からすれば緊急会議を要する事案のようで。

「え? 七番目のお嫁さん? こ、浩様!? どういうことなのですか!?」

「その男性に求婚されたということですか!? 浩介様!」

陽晴とクラウディアがガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。

七番目のお嫁さん発言はハジメに電話した時だけ。そして、陽晴達はハジメ達が転移してきた後に地下へ来たのだ。つまり、七番目のお嫁さん候補だなんて初耳である。

てっきり、ただいつものように人外同士――ごほんっ。人外に気に入られただけだと思っていたのである。妖精界の鬼達の如く。

「お、お前の守備範囲はいったいどうなっているんだ……私は、もう……お前が怖い!! 私には計り知れない男だと認めるほかないっ」

「やめて、朱さん! そんなことで認めないで! 違うから! 俺も今、絶賛混乱中だから!」

「別に良いではありんせんか。男だろうと粘体だろうと、全て受け入れる度量、流石は愛しの君と思いんす♪ ただ、わっちより上に見るのは許しんせんよ?」

「緋月はちょっと黙っててくれるぅ!?」

浩介陣営が絶賛混乱中だった。

この場にエミリーがいなくて良かった。きっとハイライトの消えた目で詰め寄っただろうし……

いや、エミリーより 真実(まなみ) だ。あの愚妹がいたら一体どれほどの混沌が撒き散らされたか。アジズ君の聖水が根こそぎ蒸発したかもしれない。

「勘違いだ。この姿はあくまで甘衣君に近づくのに都合が良かったが故の、言わば変装。先程の姿が本来の姿だ」

「え! 私に!?」

「うむ。君は、私の 主(あるじ) になってくれたかもしれない女性だ」

「ちょっと何を言ってるのか分からないっ」

確かに、とユエ達も思った。ドン引きしている甘衣さんと同じく、ちょっと引いた様子で運転手さんを見やる。

だが運転手山田は、そんな視線など気にした様子もなく浩介の方へ顔を向けた。そして、どこか熱っぽい声音で告白した。

「私が何者か……端的に表現するなら〝隷属するもの〟――玉虫色の粘体のことだが、あれと人間のハーフだ」

遙か昔、外宇宙からやって来た存在により〝奉仕種族〟として生み出された存在。それが〝隷属するもの〟。創作神話では〝シ○ゴス〟と名付けられた神話生物だ。

その〝隷属するもの〟は取り込んだ存在の知識や知能を継承できる特性があった。

ただし、100%ではない。知識は断片的だし、知能も数割程度だ。しかも、取り込み元の粘体の体積が多ければ多いほど、反比例して薄くなってしまう。

だがそれは、逆に言えば粘体の一部を切り離し、体積を限定した上で〝個体〟として存在することを良しとしたなら話は別ということだ。

「遙か昔、ロードと呼ばれる〝隷属するもの〟の特異個体がいた。人の姿を取り、人以上の知恵を持つ存在だ。ロードは人間社会に溶け込み、いつしか家庭をも持った。後は分かるね? 〝で、私が生まれたってわけ〟ということだ」

なんか得意げにハジメをチラ見しながら言う運転手山田。何かのネタらしい。もちろん、ハジメには分かるがジト目にすらならない。めちゃくちゃ冷えた視線だ。

運転手山田は咳払いして気を取り直した。

「つまり何が言いたいかというと、〝隷属するもの〟の特性を受け継いでいる私は本能的に 主(あるじ) を求める傾向にあるということだ。端的に言えば、ご奉仕したいのだ」

最後だけ妙に力強い声音だった。帽子越しでも分かる熱っぽい視線に、

「こっち見ながら言わないでくれます?」

浩介は震えた。帽子を目深に被っていてくれて良かったとさえ思った。

もちろん、甘衣さんも震えた。

あれほど神話生物との邂逅を警戒していたというのに、まさかずっと直ぐ傍にいたなんて……しかも、危うくご主人様にされるところだったなんて……

あ、危なかった。確かにイケオジ好きだけど、だからって許されると思うなよ。

いや、待って? もしかして、だからオジサマに変装を? ……どこだ? いったいどこで私がイケオジ趣味だと知ったぁっ!!

甘衣さんが羞恥半分恐怖半分で運転手山田を睨み付けている。

なお、おじさんに「ご奉仕したい」と望まれる浩介を見て、龍太郎達男子陣は浩介に「なんて野郎だ」「まさに深淵を生きてやがるっ」「アビィさん、マジパネェッス!!」と戦慄し。

優花達女子陣はちょっとドキドキした様子で頬を赤らめ、好奇心を隠せていない眼差しを運転手山田と浩介に交互に向けている……

そんなやり取りにも反応せず、運転手山田に冷徹な観察者の眼差しを向け続けていたハジメだったが、流石に困惑が勝ってきたらしい。一息吐き、頭痛でも堪えるようにこめかみをグリグリした。

「ちょっと待て、新情報が多すぎる。整理したい。こちらから質問するから、それに答えてくれ」

「うむ、その方が確かに効率的だろう。承知した」

「ボス! すみません、その前に一言! ――そっちの姿が変装なら元に戻ってちょうだい! お姉さんは目隠れちゃんの方が可愛くて好きよ!」

「可愛い? ふふ、ありがとう。では、戻るとしよう」

ぐにゃり、ぼこぼこ、ぬちゃぁ~~~っ。鼓膜を侵蝕するような生々しい音と、吐き気を催す視覚的暴力に再び襲われながらも、ハジメ達の見ている前で目隠れ少女姿に戻る運転手山田。

否、

「この姿の時は、そうだな……サスラ。サスラ・ドルと名乗らせていただこう」

運転手山田改め、サスラ・ドルはそう自己紹介し一礼した。

それに対し、衣装にはこだわりがあるファッションコーディネーター妙子先生を筆頭に、多数の者が声を揃えてツッコミを入れた。

だって、ダボダボスーツ姿から別の衣装に変わっていたから。そう、

「「「「「なんでジャージ!?」」」」」

ちょっと大きめの濃緑色のジャージ姿に。

「長く生きてきたが、これだけは断言できる。ジャージは、人類が生み出した文化の極みだと」

圧倒的ドヤ顔がそこにはあった。目隠れ粘体少女は、目隠れ粘体ジャージ愛好家少女だったらしい。

「ついでにサブカルチャーにも興味があるようだな……」

「うむ。大変素晴らしい文化だ。長い生、殺伐とした争いで疲弊する心に何よりの良薬であると、私は思う」

深く感じ入るように頷くサスラ。

異質な雰囲気も完全に抑えられているのもあって、玉虫色の人外と分かっていても、なんとなく一気に親近感を覚えてしまうハジメ達だった。