軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

深淵卿の夏休み編 世にも恐ろしい陰陽師

始まりの妖精郷マグメルの地に、二本の足が生えていた。

茨木童子だった。

いわゆる、あれだ。犬神家の例のポーズだ。上半身がすっぽり地面に埋まっている。ピンッと伸びてV字を描く足が美しい……くはないか。

過激化しそうだった決闘を止めた結果だ。

制止の言葉を聞かなかったからやむを得ず……というわけでもなく、ただ問答無用に後頭部をぶん殴られたのである。

そう、そびえる二本足の直ぐ後ろで手をパンッパンッとはたいている 酒呑童子(おかしら) さんに。

「これで良いでありんすか? 真実(まなみ) 」

愛しの君の妹君のお願いだ。そして、相手は己の副官だ。止めるとなれば誰よりも早く動くのが道理。

と言わんばかりのお姉様に、別の方向を見てグヘヘッとだらしなく頬を緩ませていた真実は、表情を一瞬でキリッとしたものに変えた。

もちろん、ぐへへっしていた理由は、アジズ君が浩介に両手首を掴まれて止められているからである。ああっ、浩にぃに捕まって動けないアジズ君……プライスレスッと。

「はいっ、緋月お姉様! ありがとうございます! あ、いや、はいじゃない、かな? 茨木童子さん、大丈夫ですか?」

「なんと、私を案じてくださるのですか? ああ、真実、貴女はなんて心の優しい人なのでしょう」

何事もなかったみたいにズボッと上半身を抜いて、満面の笑みを真実に向ける茨木童子さん。

髪はボッサボサ、眼鏡はバキンバキンッ。加えて、後頭部からはぴゅ~~っとギャグ漫画みたいに血が噴き出て、額もぱっくり割れている。

血塗れで笑う鬼。すっごく凄惨。こわい。

真実は「あ、大丈夫そうっすね」と普通に引いた。

その様子で己の状態に気が付いたのだろう。仮面を払うみたいにサッと顔の前で手を薙いだ茨木童子。

途端に、これまた何事もなかったみたいに身だしなみが整った――いや、まだ血は噴き出している!

「むっ、流石はお 頭(かしら) の拳。しかし、妖気まで込めなくてもよいではありませんか。これでは真実が怯えてしまう」

「文句でありんすか? 随分とまぁ偉くなりんしたねぇ?」

「私は真実の愛を見つけたのです。申し訳ありませんが、今この時より、私の最優先は真実になったのですよ」

「愛しの君の妹君でありんす。……分かっていんすね?」

肩を竦める茨木童子に、スゥッと目を細める緋月。

「ふふ、もちろんですよ」と余裕の笑みを浮べつつも、茨木童子の額から滝のような汗が流れ落ちた。これまたギャグ漫画、否、コントみたいに。カツラの下に仕込んだ管から水が噴き出すような勢いだ。

上下関係は五臓六腑に至るまでしっかりと叩き込まれているらしい。

この様子だと、アジズ君が懸念したような鬼流の愛し方、あるいは無理にさらうようなことはしないだろう。と、浩介達は釘を刺してくれた緋月にグッジョブと親指を立てた。

ちょっと妖気を練って血止めをし、ネクタイをキュッキュッ、眼鏡をクイッとして気を取り直す茨木童子。

今度こそ身なりを整えた茨木童子は、真実とラナ達、そして浩介に視線を巡らせて恭しく一礼した。

「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ない、 義兄(ぎけい) 殿、奥方々。私は茨木童子。酒呑童子が一党の副官を務めさせて頂いております。どうぞ弟分として末永く――」

バンッと銃声が響いた。ついでに「あっ、こらアジズ!」と浩介の叱るような声も。

茨木童子の頭が棍棒のフルスイングでも受けたみたいに真横に弾ける。血止めしていた妖気も弾けて、またピューーッと血が噴き出した。

頭部が斜め四十五度くらいに傾いたまま、茨木童子の目だけがギョロリッと下手人に向く。

「……小僧、死にたいのですか?」

「テガスベッタ」

凄まじい棒読みが返ってきた。

見れば、例の十字架兵器は既になく(大人しく仕舞ったので浩介も手を離した)、代わりに、その手には普通の黒いオートマチックハンドガンが握られていた。

まるで言い訳でもしているみたいに銃身部分に小さく十字架が彫られている。ほら、これで神器(物理)だよ、あくまで神器だから! と言いたげに。

もはや銃火器武装を隠しもしない聖職者の姿が、そこにはあった。

「ふむ。エミリー博士。こうなると、あの黒を基調とした服装が神父服ではなく殺し屋のそれに見えてきませんか?」

「やめてよ、ヴァネッサ。もうそれにしか見えなくなるじゃない」

「お、おい。クラウディア・バレンバーグ。白状しろ。オムニブスはいったいどんな教育を施してきたんだ! 殺し屋少年の育成機関か!? 見ろ、あの目を! 〝お前を……絶対に殺すッッ〟と言ってる目だ! ほら、私の腕にも鳥肌が……」

「誤解なのですよっ、 朱(シウ) さん! オムニブスはそんなところではありません! ああ、けれどあの目……確かにダイム長官そっくりっ。そんなところ似なくていいですのに!」

こそこそと言葉を交わす外野はさておき。

「真実さん、こちらへ。そいつは危険です」

「危険なのはむしろ今のお前だよ!」

「危険なのはむしろ今のアジズ君だよ!」

兄妹のツッコミが綺麗にハモった。浩介が素早く拳銃を取り上げ、真実もアジズの元へ駆け寄りながら目を吊り上げる。

「アジズ君!? なんか南雲先輩に悪い影響を受けてない!? 銃撃はツッコミの道具じゃないんだよ!?」

「もちろんです、 真実(まなみ) さん。テガスベッタだけですから」

少なくとも言い訳の仕方は習ってそう。そのうち六発だけなら誤射とかシレッと言い出しそうだ。

アジズを真下から睨み付けるような体勢で詰め寄る真実。

非常に距離が近い。それが心の距離をあらわしているようで、茨木童子の目元はピクピク、お姉様方は「あら~♪」とニヤニヤ。

もちろん、アジズも一転して元の優しい表情になった。が、白々しい言い訳に真実は逆にジト目になる。

浩介は思った。アジズ、本当に表情が豊かになったね。でも、その変わりよう……ちょっと怖いよ……と。確かに南雲の影響の片鱗を感じるよ……と。

「あいつ俺の知らないところでアジズに何を……この拳銃といい、マジで闇の武器商人じゃねぇか。しかも、あの動きを見るに明らかに専用訓練を施してるし」

拳銃の扱いだけならともかく、ダブルフ○ング――じゃなくて、白々しい誤魔化し名称だがツインクローの扱いや、パニッシ○ー――こちらは、アベンジャーと言い換えしている――の扱いは一朝一夕には身につかない。

きっとアワーグラスも使って時間遅滞空間の中で訓練を施したに違いない。あるいは例のVRアーティファクトを使用したか。

いずれにしろ、あの男のレクチャーをそれなりに長い時間受けていたのなら、それは悪い影響の一つや二つ受けるのも無理はないだろう。

聖職者の少年が魔神の影響を受ける……これも一種の堕落なのだろうか?

「ラナさん。私、姉として、聖女として、あの子をどう諭すべきなのでしょうか?」

クラウディアお姉さんがとっても困ってる。

戦いから離れて平和な日常を送っていたはずの弟が、むしろ戦力を上げていた。しかも、以前より過激になっている気がしてならない。

でもでも、それもひとえに遠藤家を、そして真実を守りたいが故に違いなく。

それはつまり、より大切なものが増えたが故であり。なんなら、〝大切〟を超えて〝特別〟な存在ができた証で。

理不尽は生きる上で隣人であると理解している身としては、安易に力を捨てろとは言い難く。

それは正妻様に相談したくもなるだろう。ラナの腕をギュッと掴んで縋るように見つめるクラウディア。

そんな彼女に、ラナは満面の笑みでサムズアップした。

「汝、まだまだ火力もロマンも足りない。精進せよ! と言うべきね!」

「相談相手を間違えたのです」

さもありなん。だってハウリアだし。むしろ、なにあの十字架型兵器。普通に欲しい! と瞳をキラキラさせていらっしゃるし。

「まぁ、なんだ。何はともあれ真実の傍にいてくれてありがとな。流石は俺の弟分だ」

妹を想うが故の行動であることに違いはない。

それが嬉しくて、浩介は 弟分(アジズ) の頭をワシャワシャしながらお礼と称賛を口にした。

敬愛する浩介にそう言われては、流石にアジズの心も落ち着いたようだ。むしろ、自分の暴れっぷりを思い返してか、少し恥じたように「はい……」と細い声で頷く。

「はいはい、とりあえず一件落着……ということでいいわねん♪」

ズバンッズバンッと柏手を打って、ブラウが茨木童子とアジズの間を取り持つ。一瞬メンチを切り合うも、流石にこれ以上やり合う気はないらしい。両者共に頷いた。

遠巻きに野次馬していた妖精達が安堵半分、面白い余興だったと楽しさ半分といった様子でキャッキャッと騒ぎながら解散していく。

そんな中、会話のタイミングを図っていたらしい 陽晴(ひなた) が尋ねた。

「ところで茨木童子、貴方はどうしてこんな場所に?」

大変疑わしそうな眼差しだった。副官のくせに緋月を巡る戦いに参加せず、宴会にすら姿を見せず、こんな場所に隠れるようにしていたことを不審に思っているようだ。

「ふむ、貴女が例の……なるほど。お頭が気に入りそうですね」

「失礼。藤原陽晴と申します」

相手が妖魔でも礼節はしっかりと。しかし、にこやかには程遠い。そんな陽晴の様子に、緋月は楽しげに目を細め、茨木童子も口の端を吊り上げる。

眼鏡をクイッ。

「お頭が式神を請け負った術者の問いとあらば、なんなりと答えましょう。ここにいた理由ですが、二つあります」

「二つ?」

陽晴の疑問は、不審とまではいかずとも浩介達も感じていたことなのだろう。茨木童子に注目する。緋月だけは察しているようで苦笑気味だが。

「一つ………あんな並み居る大妖怪、神仏が集まる場に…………こんな姿、見せたくなかったからですッッ」

「はい? え? こんな姿……ですか?」

舞台俳優の如く両手をバッと広げる茨木童子。ビシッと決まったスーツ姿、キラリと輝く眼鏡がイケメンぶりを助長している。

いったい、何が問題なのか? と浩介達は顔を見合わせた。

その疑問に答えたのは、クツクツと堪えきれぬ様子で肩を揺らす緋月だった。

「以前の鬼らしい姿より、良い姿を得られたと思いんすよ? 恥じることはありんせん」

「笑いながら言うことではありませんね、お頭」

「その口調も、背筋がぞわっとして大変結構ではありんせんか。くふっ」

「お頭ぁっ」

額にビキビキッと青筋を浮べる茨木童子。どうやら元々この姿ではなかったらしい。と理解して、浩介がおずおずと尋ねる。

「えっと、つまり茨木童子も他の四天王や大嶽丸みたいな三メートル超えの筋骨隆々の、まさに伝承に描かれているような鬼の姿だったってこと?」

「ええ! その通りですよ、遠藤浩介!」

「あ、うれし。鬼で初めて俺のことアビスゲートって呼ばなかった――」

「以前は大嶽丸にも引けを取らぬ立派な肉体を持っていたのです! だというのに、蘇ってみればこれこの通り! とんだ優男になってしまいました! この服装や眼鏡を含めてです! 眼鏡は外せないし、服も替えられねぇんだよっちくしょうがっ。どんな強制力だ現代人の馬鹿野郎!! 言動までこんな有様で……ああっ、クソッ。またです! つい眼鏡をクイッとしてしまうっ」

本当に嫌そうに地団駄を踏む茨木童子。浩介からの好感度が一気に上がったことにも気が付いていない。

「以前の狂乱したわっちを止めんとして、返り討ちにしてしまったのでありんす。で、つい最近、天樹の復調に伴い蘇ったのでありんすが……」

「な、なるほど。現代の茨木童子に対する認識からこうなったと」

「藤原陽晴! いったい今の大和、いえ、日本はどうなっているのですか! 伝承の存在が美少女だの美男子だのに成り果てて……くっ、いっそ殺せっ」

え? 仲間? と親近感を覚えていそうな朱さんを除いて、浩介達は揃って真実を見やった。

そう、この世の伝承の尽くを、それどころか無機物だろうが概念だろうがお構いなしに擬人化してきたOTAKUの一人を。

「いや、ヴァネッサ。貴女も向こう側でしょうが」

「フッ、違いありませんね、エミリー博士」

SOUSAKANはいそいそと真実の傍らに並び立った。恥じ入るところは一つもなし! と言いたげな堂々とした態度だった。

なんなら茨木童子の姿の理由を知って、「ふふ、確かに乙女ゲーに出てきそうですね」と、なんだか我が子を見るような生温かい目になっている。

たぶん、そういうことなのだろう。

これがもし、あまり有名でない鬼であったなら、そのままの姿で蘇れたのかもしれないが、茨木童子は名が通り過ぎていたのだ。多くの作品で美少女化、美男子化されてしまうほどに。

「性別まで変わらなかったことは不幸中の幸いでしたが……」

元の屈強な肉体を誇りに思っていたのだろう。あるいは、鬼とはこうあるべしと信じていたのかもしれない。

「おやおや。わっちは元から女の身でありんすが?」

「お頭は、だからこそ特別なのですよ。侮辱の意図はありません。だから殴らないで」

お頭さんの華奢にすら見える細腕に極太かつ濃密な妖気が集束していく。茨木童子はまたもコントみたいな滝汗を流しながら距離を取った。

「そう言えば、緋月ちゃんは一度、こうくんに討滅させられているのにそのままよね?」

「で、ありんすな」

「え、それって緋月お姉様もイケメンになっていた可能性があるってことですか!? それで、浩にぃのことを愛しの君って……ぐ――」

ぐへへっは兄のチョップによりキャンセルされた。涙目で頭頂部を押さえて蹲る妹を冷たい目で見下ろしつつも、ちょっと頬が引き攣っている浩介。

「大いにありんした。けれど、絶対になかったとも言えんすぇ」

「どういうことかしら?」

とラナが小首を傾げる。それに、緋月は同性でも見惚れるほど艶やかな笑みを浮べ、

「愛しの君に、この出会った時の姿で再会したい。そして、見初められたい。その想いが、たかだか有象無象の認識程度に敗北するなどありえんせん♪」

そう言ってのけた。

浩介が思わず照れて目を背けてしまうくらい、それは妖艶でありながら無邪気な恋する乙女を感じさせる極上の笑顔だった。

同時に、同性の背筋さえもぞわりっとさせるほど、女の情念を感じさせる笑顔でもあった。

なるほど。それほどの 強(こわ) い想いを抱いていたなら、サブカルチャーの想念に染まって変じることは確かにないだろう。と納得するに十分なほど。

「いや、お頭は元々〝美しくも恐ろしい女〟という概念を源流とする鬼女でしょう? その方が畏れを得られるからと、わざわざ分け身を男の姿にして送り出して、その結果〝酒呑童子の伝承〟ができあがったわけで」

どうやら、酒呑童子伝説が生まれたから酒呑童子が誕生したのではなく、異世界を含めて数多の鬼女伝説から生まれた存在が、やがて酒呑童子へと変じた、否、昇華したというのが正しい流れらしい。

つまり、だ。

「男と女、その間に交わされる情がある限り、そして、男が女へ持つ本能的な畏敬の念がある限り、お頭は変わりませんよ。むしろ、そっちが本質なんですから。そもそも、どれだけの神仏妖魔がお頭の容姿に焦がれていると? その想念だけでも変わるわけが……」

「テガスベリンシタ♪」

茨木童子は再び犬神家になった。凄まじい地響きに遠巻きにしていた妖精達がビックッと飛び跳ねている。

なんとも言えない空気が漂った。にっこり笑顔の緋月さんが怖い。

部下の言葉は戯言でありんす♪ あくまで、愛しの君への想いによって姿を止めんした。異論も反論も認めんせん♪ と目が言っている。

全員、素直に頷いた。

「それでえっと、二つ目の理由とは?」

話の軌道と空気感を戻すように、咳払いをして尋ねる陽晴。

おや? 茨木童子さんがピクリとも動かない。まるで屍のよう――

「陽晴が尋ねていんす。はよう起きなんし」

V字の谷間に落とされる必殺のかかと落とし。凄まじい衝撃と共に膝まで埋まった茨木童子さんの姿には、流石に同情と心配を禁じ得ない!

同時に、浩介とアジズ、そしてブラウたんまで思わず内股になって震えちゃう! そこはやめたげてよぉ! 美しくも恐ろしいよ、この鬼女様! みたいな表情だ。

「おっと、すみません、お頭」

そして、やっぱり何事もなかったみたいに地面を砕きながら這い出てくる茨木童子さん。さっきよりも派手に血を噴き出している。ラスベガスの噴水みたいだ。

あと、ちょっと内股だ。滝汗も三度目である。

まったく何事もなかったわけではないみたい。よく見ればちょっと青ざめて震えてるし。股間へのダメージはやせ我慢のキャパオーバーだったらしい。

浩介は思わず回復薬をそっと差し出した。

なんとなく理解したのだろう。茨木童子は物凄く感謝いっぱいの眼差しを浩介に向けて、急いで飲み干した。

ああ~、癒やされる……

まるで温泉にでも浸かっているみたいに恍惚の表情だった。こればっかりはアジズも優しい眼差しだ。良かったね……と。ブラウたんも深く頷いている。

美しくも恐ろしい鬼女様のおかげで、男(漢女を含む)の友情度が少し上がったっぽい。大変良きかな。

「ふぅ、遠藤浩介、この恩はいずれ。で、二つ目の理由ですが……」

「あ、はい。今の姿を恥じていることは分かりましたが、緋月をかけた勝負です。腹心の部下であるはずの貴方が己の羞恥心を優先して決闘に出なかったというのは……少し考え難い。それとも、茨木童子、貴方は最初から遠藤様を認めていたということですか?」

なんとも言えない表情の陽晴に向かい、茨木童子は眼鏡をクイッとしてから神妙な表情で言った。

「私だけこんな目に遭うなんて許せない。あいつらも遠藤浩介に殺されて、私と同じ目に遭えばいいんだ。むしろ、ワンチャン美少女化してしまえ! 蘇ったばかりの私を笑い者にしたこと忘れてねぇからな!? 今度はこっちが笑う番だ! そのためならお頭が人間如きに貰われるくらい、目を瞑れるというものです!! というのが理由です」

「そうですか」

なんてことはない。物凄くしょうもない復讐心だった。いや、そのためなら何千年も仕えてきた敬愛する頭領共々、人間に膝を突いても構わないと決意している点、本人的には並々ならぬ想いなのだろうが。

少なくとも陽晴には理解し難いことだったらしい。見事な半眼である。

「ま、まぁ、なんだ。今の姿もいいと思うぞ? 一見優男に見えて、実はとんでもなく強いって男としては憧れがあるし」

恨みがましく、どうして仲間をひと思いに殺してくれなかったのかと目で訴えてくる茨木童子に、浩介は苦笑しながらもフォローの言葉を返した。

ほんとぉ? と大変疑わしそうな視線が浩介に返される。

「そうだよ、茨木童子さん! ギャップはステータス! むしろ、他の鬼らしい鬼さんより特別感があっていいと思う! ねっ、ヴァニーお姉さん!」

「ええ、仰る通りです! 異なる世界が繋がり、交流も増えていくだろうこれからの時代において、茨木童子さん、貴方はむしろ時代の先を行く鬼と言えるでしょう!」

新時代の鬼。ギャップはステータス……特別……

ふ、ふぅん? 本当ですかね? いやまぁ、真実の言葉を疑うわけじゃありませんがね? そもそも女は屈強な男の方が良いでしょうし……

と、そこでエミリーが指先を顎に添えて、何かを思い出すように口を開いた。

「そう言えば、まなみって細マッチョ? な男の人が好みなのよね? そんな内容の本をたくさん見させられた覚えが……」

「ふっ。まぁ、なってしまったものは仕方がありませんね。いつまでも文句を垂れているのも鬼らしくありませんし、ね!」

髪を掻き上げ、眼鏡をクイッ。爽やかな笑みをキランッ。

一瞬前まで醜く駄々を捏ねていた者とは思えない、清々しい手の平返しだった。

浩介達は思った。緋月にツッコミを入れられて犬神家しているあたりから感じてはいたが……さては茨木童子、あんた割と面白キャラだな? と。

元々そうだったのか、これも転生の影響なのかは分からないが。

そんな茨木童子は改めて襟を正し、真実を見やった。そして跪いた。片手を伸ばし、まるでジュリエットを求めるロミオのように、劇場感たっぷりに口を開く。

「真実。改めて伝えます。私は貴女が――」

「ごめんなさい」

光の速さでぶった切られた。茨木童子の頬がヒクヒクしちゃう。アジズ君が腕を組み、これ以上ないほどドヤァ顔になった。

ああ? 小僧、ぶち殺しますよ?

やれるものならやってみろ、鬼。また不本意な転生をさせてやる。

バッチバチの視線が交わされる!

「ええっと、伝説の鬼に求められるって、これなんて漫画?って思うというか、告白なんてされたこともない身としては、物凄く光栄ではあるんですけど……」

茨木童子の表情が光の速さでドヤ顔になった。アジズ君が十字架に手を伸ばす。

貴様を……殺すッッ!!

やれるものならやってみなさい、小僧。真実好みの細マッチョの力、存分に教えてあげましょう!

俺だって鍛えている! 十分に細マッチョだ!

ほぅ? では見せてもらおうか。人間の細マッチョの性能とやらを!!

無言で服のボタンに手をかけ始めるアジズと茨木童子。なんだかんだ息がぴったりではないだろうか?

とはいえ、このままでは無言で服を脱ぎ捨てかねないので、緋月と浩介がそれぞれチョップで止める。茨木童子の後頭部はまたも割れた。プシャーッ。

「光栄ではあるんですけど! 私、お姉様一筋なんで! ごめんなさい!!」

はっきりと答える真実に、またもなんとなく視線が合う茨木童子とアジズ。互いに、実になんとも言えない表情だった。

「フッ、ではその〝お姉様〟とやらに決闘を挑んで――」

「お姉様に手を出したら殺す」

とても静かでナチュラルな宣言だった。別に動いていないのに、さっきまで普通に見えていた真実の瞳が不自然に光を反射する眼鏡に遮られて見えない。それがなんだか異様な迫力を生み出していた。

思わず生唾を呑み込む茨木童子。

「そう、そうです。これです! 初めて見た瞬間に感じた、今までに感じたことのない異様なプレッシャー!! まるで底なしの沼に引きずり込まれるような感覚! 普通の少女には決して出せない、どこかおぞましくも純粋なオーラ……」

浩介達は思った。

茨木童子さん、大正解!! なんて慧眼なんだ! と。

だがしかし、腐道を極めんとする腐女子が放つ腐ォースを感じて逆に惹かれるとか……いろんな意味で業が深いね! と。

「真実の気持ちは分かりました。しかし、やはり諦められない。貴女のような女性は、きっと他にいない!!」

たぶん、今の日本に来たらいっぱいいるよ。と、浩介達は思ったが空気を読んで黙っておいた。

ついでに緋月は「いや、昔から割とおりんしたよ? お前さんが知らなかっただけで」と呟いているが、真美だけを見つめている茨木童子の耳には入っていないっぽい。

恋は盲目とは、よく言ったものだ。

「そうです、せめて……せめて、私を貴女の式神にしてはいただけませんか?」

「え? 式神? それってどういう……」

「貴女が必要とした時、いつでも駆けつけられるよう繋がりを作るということです。いつでも言葉を交わせるようにもできるでしょう。お頭がそうしているように」

つまり、真実にマーキングをしたいということだろう。緋月が浩介にしたような。

OK、戦争だな? アジズ君、ステンバ~~~イッ。

将来、ヤンデレ系男子にならないかちょっと心配なくらい、真実に関しては沸点が低いアジズ君。

男同士の話し合いをたっぷりしないとなぁと思いつつ、まだ隠し持っていたらしい 超小型銃(デリンジャー) を取り上げた浩介が何か言おうと口を開きかける。

だが、その前に、

「認めるわけには参りません」

きっぱりはっきり、陽晴が却下した。

「えっと、陽晴ちゃん? 別にお話したり、たまに喚ぶくらい私は構わないけど……むしろ、アジズ君との絡みをもっと見られるなら――」

「真実姉様! メッですよ!!」

「か、かわっ。義妹にメッとかそれなんのご褒美……」

スタタタッと歩み寄って鼻先にピッと人差し指を突きつけてくる陽晴に、真実は顔を真っ赤にした。美少女のメッは万病に効く。OTAKU界隈では常識だ。

ちなみに、陽晴が浩介と結ばれれば年下の義姉になるのだが、真実はその事実を認めていない。陽晴ちゃんは義妹。異論は認めない。そんなスタンスだ。

「ちゃんと聞け、愚妹。陽晴ちゃんは妖怪を甘く見るなって言ってんだよ」

「あ、なるほど?」

緋月が親密な態度を取ってくれるので忘れがちだが、先程、小妖怪の妖気に当てられた時のことを思い出したのだろう。少し表情を硬くして身を引く真実。

軽い気持ちで妖怪と、それも伝承に語られる悪鬼と繋がりを作ってはいけない。それが例え緋月の腹心の部下であっても、たとえ伝説の鬼を圧倒できる兄がいたとしても、決して安心してはいけない。彼等は根本的に人とは違う存在であり、その価値観も異なるのだ。

「おやおや、心外ですね? 私が真実に危害を加えるとでも?」

「真実姉様には出さずとも、遠藤家と関わりのない赤の他人なら……と考えてもおかしくはありません」

肩を竦めて、やれやれとオーバーリアクションを取る茨木童子に、陽晴は肩越しに振り返りながら鋭い視線を向けた。

「本来、緋月と遠藤様の繋がりとて、あってはならないもの。なぜなら、〝縛り〟がないからです」

本来、人ならざる者を召喚するなら〝縛り〟は絶対だ。その〝縛り〟を設けてさえも、そして実力のある陰陽師であっても、基本的には己の力量以下の存在しか式神にはしない。

仮に己の実力以上の強大な存在を式神にするなら、それだけ〝縛り〟は強力かつ多くする。

万が一のためだ。失うのが己の命だけならまだいい。だが、顕現した妖魔とは往々にしてそれだけでは済まさない。だからこそ万全に保険をかけるのだ。

陰陽寮が緋月と浩介の繋がりを黙認しているのは、ひとえに浩介が酒呑童子より強いからである。浩介自身が酒呑童子の暴走を止める最強の〝縛り〟だからだ。

「ふむ。逆に言えば〝縛り〟を設ければ問題ないと?」

「そうですね。それを貴方が受け入れるなら」

陽晴の視線が再び真実に向く。振り返った陽晴の表情は、先程のメッの表情とは違い、随分と柔らかかった。

「真実姉様。わたくしとしては、招来の手法を一任していただけるのであれば、茨木童子との〝契約〟、むしろオススメいたします」

「えっ、そうなの?」

「はい。一応、緋月の腹心の部下ですし、不義理を働いた時の罰は誰よりも理解していると思いますから」

更に言えば、ずっと茨木童子の様子を観察していたが、その結果からも、陽晴の直感的にも、真実に絡んだのはなんらかの策略の一環ではないと結論づけられたからだ。

アジズとの戦いでも基本的に大雑把なはずの鬼のくせに怪我一つさせなかった。浩介の関係者だからというのも当然あるだろうが、真実の表情をチラチラと確認していたことからも、その想い自体は本物だからだろう。

「加えて、今後の情勢的にも遠藤家の守りは多いに越したことはないと思うのです」

「今後の情勢って……」

「遠藤様は陰陽寮の仕事にも深く関わっておりますし、大学生活が安定すれば南雲様の依頼も相応に受けることが多くなるでしょう」

「まぁ、そうだな。いろいろ事件も増えてるし。実際、この旅行が終わったら渡米して向こうの捜査機関とも協力する予定だし」

「はい。今までは遠藤様の存在感のなさのおかげで――」

「急に刺すじゃん。いや、事実だけどさ……」

「たとえ直接逮捕した相手でもあっても覚えていないということが多々あり、正体がばれる心配もさほどありませんでした。裏の世界では半ば都市伝説みたいな扱いになっておりますし……」

「え、まって、なにそれ知らない……」

ねぇ、陽晴ちゃん? 俺、都市伝説になってるの? 悪いことしたら正体不明で記憶にも残らない何者かに捕縛されるって、そんな噂が流れてるの?

あ、だからこの前、土御門のご老公が俺を見てあんなことを! 新たな妖魔が生まれなければいいが……って! 嫌だよ! 俺を源流にした妖怪なんて!

あ、深淵さん、そう言えばなのだけど……最近、ぬらりひょんさんが急激に力を増してきたって困惑していたのよねん? まさか……

やめてよね? それじゃあまるで俺がぬらりひょんと同じ存在みたいじゃん。

なんて浩介とブラウの会話はさておき。

「その……ご存じの通り、藤原も土御門も表裏に名が通っておりますので」

表の世界でも裏の世界でも名の通った名家と親しくしていることで、流石に浩介の、引いては遠藤家の存在も知られ始めているということらしい。

「ああ~、そういうことかぁ。あんまり実感はないけど、今後はちょっかいかけられる可能性が増えるから、保険はいくらあってもいいよねってことなんだね?」

「そういうことです」

陽晴はこくりと頷いた。

もちろん、そんなことはハジメも見越していて、遠藤家には強力なアーティファクトが支給されているし、必要とあらば迅速に悪魔部隊が救援にかけつけることもできるようにしてある。

だが、何事においても例外や予想外の事態はつきものだ。保険が多いことに越したことはない。

「くっ、俺にもっと力があれば……主よ、我にへいき――ごほんっ。力をっ」

「ア、アジズ? 今、貴方、兵器って……ちょっと姉として確認したいのですけど! 主とは神のことなのですよね!? 私の知らぬ間に改宗なんてしていませんよね!?」

悔しそうに拳を握っているアジズ君には、クラウディアお姉ちゃんの焦りが滲む問いかけは聞こえていない様子だ。……意図的に無視したわけではないはず。たぶん、きっと、おそらく。

何はともあれ、アジズも保険の話には納得せざるを得ないのだろう。悔しくは思うが、茨木童子の守りは強力で有用だから。

ましてそれが、命令されたものではなく、茨木童子の想いに由来した自発的な守りならなおさら。

「とはいえ、相手はあの茨木童子ですから」

伝説の悪鬼であることに変わりはない。だから、と。

陽晴の視線が茨木童子に向く。真実への眼差しとは全く違う。感情の読めない冷徹な眼差しだ。

「茨木童子。命を〝縛られる〟覚悟はおありですか?」

先程、口にした手法。茨木童子の心臓の一部を切り取って作る呪具の作成。それすなわち、陽晴だけでなく 真実(まなみ) が望めば容易く命すらも奪えるもの。

もちろん、普通はそんな〝縛り〟受け入れない。それこそ、敗北し、命乞いの果てに半ば強要されてするような契約だから。

クラウディアや 朱(シウ) などは強大な存在との契約の危険性を熟知しているからだろう。その程度は当然といった様子だったが、エミリーやヴァネッサは「お、おぅ……」と、陽晴の容赦のなさに少し戦慄している様子。

だが、そんな一方的すぎる契約に、

「大変結構! もちろんOKですとも!!」

「うわぁ、かっるぅ……」

思わずツッコミを入れちゃうエミリーちゃん。

「まぁ、死んでも生まれ変わるだけだし、あの姿も気に入らないみたいだしね? あれじゃない? 仮に死んでも来世にワンチャン! ガチャ気分! みたいな、ね?」

「流石は妖魔。命に対する価値観が違いますね」

ラナの推測はおそらく当たっているのだろう。ヴァネッサもこれには苦笑い。

と、そこで面白そうにしつつも口出しせず見守っていた緋月が、不意に口を開いた。少しの怒りと、僅かな呆れを宿した眼差しを向けながら。

「茨木童子。お前さん、〝縛り〟そのものを、後でどうにでもできると思ってはおりんせんか?」

時間をかけて、または搦め手で。はたまた呪具作成に提供する己の一部に細工でもして。

死んでも問題ないからというだけでなく、陽晴の〝縛り〟自体を台無しする思惑があっての即答。

どうやら、そんな気配を感じ取ったらしい。

「先程口にした四天王への策略もそうでありんしたが、生まれ変わってからというもの少々小賢しくなりんしたからなぁ」

そう言って目を細める緋月に、

「まさか。愛です。愛ですよ、お頭」

肩を竦めて答える茨木童子。

緋月はフッと嗤った。笑ったのではなく、それは確かに嘲笑だった。茨木童子の小賢しさへの。

その直後だった。そして、一瞬だった。

瞬く間に膨れ上がった緋月の妖気。それがレーザーの如く放たれた。

陽晴に。

砲撃音の如き轟音が響き、周囲に土埃が舞い上がった。

一瞬の出来事に認識がついていかない。「え……」「は……?」「――ッ」と息を呑んだのはエミリーとヴァネッサ、そしてクラウディアだ。ついでに「なっ、お頭!?」と目を見開く茨木童子の姿も。

朱が腰を落として霊符を引き抜く。一拍遅れてクラウディアも聖十字架を召喚した。

「落ち着いて、二人共。直ぐ後ろにこうくんがいるんだし、緋月ちゃんも大丈夫だと分かってやってるわ。ね?」

流石の貫禄か。確かに、陽晴の後ろには浩介がいたし、真実やアジズはその直ぐ傍にいたのだから万が一もないだろう。

まったく動じていないラナの落ち着いた声音と相まって、困惑しつつも自然と臨戦態勢を解く二人。

だが、

「意図は理解できますし、今回はわたくしへの信頼と受け取りますが……」

晴れゆく土埃の向こう側に見えた光景は、少々予想と違った。

身構えるアジズと、そのアジズに抱きついている真実。浩介は苦笑しながら二人を宥めているだけで、陽晴を庇ってもいない。

必要がなかったからだ。陽光の如き輝きを帯びた半球状の結界が自分達を丸ごと守っていたから。

「次はありませんよ、緋月」

一番前に立ちながら、赤黒い妖気の残滓は陽晴に触れることも敵わず、その手前で霧散していく。

「馬鹿な……あの速度に対応した? いや、不可能です。いかに優秀な術者でも、そんな速度で術を展開するなど……それも、あの威力を防ぐほどの結界なんて……」

茨木童子が瞠目している。ずり落ちた眼鏡を必死にクイックイッ。動揺もしているらしい。

「この娘は、この場の誰よりもわっちらを畏れていんす」

朗々と謡うような声音で、睨み付けてくる陽晴を見つめ返す緋月。

「妖魔とはかくあるものだと。それは一種の信頼でありんす」

どれだけ慣れ親しんでも、藤原陽晴だけは妖魔を畏れる心を決して失わない。

正しく、妖魔という存在を理解しているから。

畏れるべき存在であると、決して軽く見てはいけない存在なのだと、そう信じているから。

それは確かに、妖魔という種族に対する、ある種の絶大な信頼だった。

「隙などあるものか」

だから、ああ……と緋月はうっとりしてしまうのだ。

浩介に抱く想いとは別の、妖魔が、鬼が、人に抱く本来の想い。期待と愛しさ。

「忘れるなかれ。この娘は、藤原陽晴は――わっちらの愛しき宿敵でありんす」

緋月は、酒呑童子は、何も愛しき君への配慮だけで陽晴の前鬼を引き受けたわけではない。

誰よりも、陽晴を認めたからこそだ。

「わっちは、この陰陽師が恐ろしいのでありんすよ♪」

現代最強の陰陽師に、正しく畏れられている。

油断も隙もなく、常に備えられている。

なんと光栄で、なんと嬉しいことか! まったく! 妖魔冥利に尽きるとはこのことだ!

言葉とは裏腹に、ゾクゾクッと恍惚の表情を浮かべながら心底嬉しそうに、それでいて我が事のように誇らしげに笑う緋月。

だから、認識の足りない茨木童子を嗤ったのだ。この酒呑童子が認めた相手だという意味に気が付かない間抜けめ、と呆れてつい口を出してしまったのだ。

思わず、陽晴をマジマジと見つめてしまう茨木童子。

思った以上に深い感情を陽晴に抱いているらしいと分かって、エミリー達も目を丸くしている中、陽晴は溜息を一つ。

「備えと覚悟なら常にできています」

藤原陽晴は、しかるべき時間をかけ、相応の準備を整えれば伝説の悪鬼さえ討滅できる。

いったい、それはいつの話だ。

あの富士の樹海で、顕現した大嶽丸が龍脈に落ちかけていた浩介に迫った時、何もできなかった。あの時の絶望と悔しさを忘れたことはない。

あれから半年以上。天賦の才を与えられた少女にとって、その時間の価値は、並みの術者のそれと同じだろうか?

そんなわけがない。忘れ得ぬ想いという飛躍の材料さえ有する陽晴の成長率は、間近で見ていた緋月でさえ戦慄させるほど。

「故に、茨木童子。良からぬ考えをお持ちなら、お覚悟を」

確かに、人の身では術を展開する速度には限界がある。なら、常に発動状態にしておけばいい。あるいは、一瞬で展開できるよう発動寸前で待機させておけばいい。

簡単な術ならともかく、伝説クラスの妖魔に対抗し得る術となれば、全陰陽師が「ちょっと何を言ってるのか分からない……」と遠い目になること間違いなしの超高難度技法。

まさに、言うに易く行うに難し。

だが、それを実現できるのが藤原陽晴。安倍晴明の再来と称される希代の陰陽師。

「当方に討滅の用意あり!! でございますので」

氣力が迸ったわけでもない。なんらかの術を向けられたわけでもない。

だがしかし、その時、茨木童子の身には確かに、

「き、肝に銘じておきましょう」

千年ぶりの、いや、実際はお頭を前にすると割と頻繁にしているが、とにかく! 緊張が走った!! 若干震える手で眼鏡をクイッ。

「あの、茨木童子さん、無理して契約なんてしなくても……」

「そうだ。無理をするな。そのまま背を向けて去れ」

真実の気遣いとアジズの冷たい言葉で、茨木童子は気を取り直した。

「いいえ、望むところです。そもそも良からぬことなど考えていませんでしたし。ええ、本当ですとも。鬼、嘘つかない」

すっごく嘘っぽかった。緋月の言う通り、現代に毒された茨木童子は小賢しくなってしまったのかもしれない。

何はともあれ、茨木童子は〝縛り〟を受け入れ、真実も苦笑しつつ茨木童子との繋がりを受け入れたのだった。

「浩介さん……多忙は承知していますが、旅行から帰ったら、いえ、旅行中でも構いません。どうか俺を鍛え直してくれませんか!」

「はは、いいよ。それくらい、いくらでも付き合うさ」

焦りと決意の表情でズズイッと迫るアジズ。同じ男として心情は分かるので、微笑ましそうに笑いながら、浩介は弟分の頭をクシャクシャッと撫でた。

そんな浩介とアジズの様子、そして、なんだかんだ先程の緋月の脅かしからずっと、まるでそうであることが自然であるかのようにアジズにしがみついたままの真実が、

「アジズ君、まだ強くなりたいの? あんまり無理しないでね? でもまぁ、うん、南雲先輩を頼るよりは浩兄ぃの方がいいね! 頑張ってね! でも言動まで影響されちゃダメだからね!」

「! はいっ、真実さん! 俺、頑張りますっ。浩介さんの言動も絶対に真似しません!」

「なんで皆、ナチュラルに俺のこと刺すの?」

アジズとにっこり笑い合っている姿を見て。

ラナ達もまた顔を見合わせて微笑ましそうに笑い合ったのだった。

「ちょ、待ちなさい、藤原陽晴。これ以上は普通に死にかねませんっ」

「いいえ、もっとです。もっと深く大きく抉り取ってください。でないと相応の呪具に至りません」

「たかが心臓如きで大げさでありんす。ほれ、根性を見せなんし」

「お頭!? まって――グァアアアアッ!?」

ドグシャッ、ベチョッ、グチュリッ。

そんな生々しい音と、飛び散る真っ赤な鮮血、響き渡る鬼の悲鳴。

そして、早速、呪具の材料を求めた陽晴と、お手伝いをしている緋月が、そんな凄惨な現場を見ながらも真顔であるという恐怖の光景から全力で目を逸らしながら。