軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

村人、首相になる?

木々と芝生の緑が美しい広々とした中庭。

それを囲む赤煉瓦調の建物は、大学の校舎というより城、あるいは宮殿と呼ぶに相応しく、いつ見てもほぅと感心の溜息を吐いてしまう。

建物と建物の間の石畳でできた路地を通れば、まるで中世のヨーロッパにタイムスリップしたような気持ちにさえなる。

英国の大学は美しい。

それが、通うようになって数ヶ月経っても未だに抱く浩介の素直な気持ちだった。

「こうすけ? どうかした?」

隣を歩く金髪サイドテールの美少女――エミリーがこてんっと首を傾げる。

トレードマークの一つである白衣は着ておらず、今日は生憎の曇りということもあってか、白のブラウスの上にチェックのストールを羽織っている。下はロングスカートで、いつもの黒ストッキングに包まれた美脚は隠されていた。

「いや、単純に校舎を眺めて楽しんでただけだよ」

「飽きないのねぇ~」

口元に手を添えて、ふふふっと笑うエミリー。

路地の両サイドに一定間隔で並べられているベンチ。そこに腰掛けておしゃべりに興じていた学生が数人、思わずといった様子で視線を吸い寄せられているのが分かった。

元々の美少女ぶりに加え、いろいろな経験を経てきた今の彼女の魅力はより一層磨きがかかっている。

最愛の恋人に綺麗だと思われたい。そのための努力を欠かさないから、というのももちろんあるのだろうが、それ以上に内面が良い方向に成長しているからだろう。

だが、高頻度で声を掛けられる街中と違い、大学内ではナンパ目的で近づいてくる者はほとんどいない。

隣に浩介がいるから?

もちろん違う。誰もいることに気が付いていないのだから、なんの抑止力にもなってはない。

いや、ある意味、なってはいるのか……

「あ、グラント博士! 先程は時間をいただきありがとうございました!」

「こんにちは、グラント先生。 午後の講義、楽しみにしてます」

「博士も今から昼食ですか? 良かったら一緒にどうでしょう?」

男女三人組が、エミリーを見つけるやにこやかに声をかけてくる。

実は、エミリーは学生であると同時にいくつかの講義を受け持っているのだ。

なんだか最近はマッドサイエンティストだと思われていたり、ハウリアの 厨二言動(ハウリア) と戦う不屈のアマゾネスみたいな印象を持たれていたり、あるいは浩介の女関係に関しては凄まじい第六感を発揮するので覚醒者(?)と誤認されたり、その時〝私エミリー。今、後ろにいるの〟をリアルにするので新たな都市伝説みたいな扱いをされたりもしているが……

正真正銘の天才なのだ。薬学の世界における麒麟児なのである。

既に博士号を有しているのは周知の事実。

魔王一家のバックアップを受けられるようになって以降、幾つかの新薬や論文を学会に提出しており、それが高い評価を受けている。

結果、大学側から〝限定的で良いので講師として採用させてほしい〟と依頼されたのである。なので今は学生兼研究者兼講師という三足のわらじを履いている状況なのだ。

その可憐な容姿と、年齢に見合わない芯のある言動、そして天才の噂に違わぬ知識。往々にして才ある者は他者への教授が不得手であることも少なくないが、エミリーの場合そんなことはなく、むしろ並の教授より分かりやすい。

現役学生達より年下ということもあって話しかけやすいというのもあるだろう。

つまり、エミリーの講義を受けている学生達からは随分と人気があって、今のように気さくに声をかけてくる者自体は相応にいるのだ。

いるのだが……

「誘ってくれてありがとう。でも、遠慮するわ。この通り、彼と昼食に行くところだから」

「「「彼?」」」

「あ、どうも」

「「「ヒッ、ゴーストッ」」」

「人間だよ」

これである。ある意味、エミリーが厄介な下心から身を守れている理由の一つ。

――エミリー・グラント博士にはゴーストが憑いている

大学では浩介と一緒にいることが非常に多いエミリー。むしろ、居ない時の方が少ない。

しかし、浩介の存在を感知できる人間は希だ。

すると、だ。こういう現象が起きる。

――エミリー・グラント博士は、よく何もない虚空に話しかけている

同時に、こういう現象も目撃されやすい。

――エミリー・グラント博士の傍に、何か影が見え隠れすることがある

――エミリー・グラント博士の傍にいる青年が、同時刻に別の場所にもいた

言わずもがな、上記はうっすらと「ここにいるよ」アピールが通じた場合の浩介である。

そして、後者は分身体のことだ。

本格的な講義は九月からなので、それまでは割と自由に任意の講義を受ける権利が浩介には与えられている。国家権力とのコネ万歳だ。

ならば、せっかく分身体なんてチート技が使えるのだから、医学部に関係する講義のみならず、それこそエミリーの薬学分野など興味のある学科を複数同時に受けたいと思うのは必然的な流れだろう。

そういったことが重なって、エミリーに関する都市伝説みたいな噂が広まり軽率なナンパを抑えているというわけである。

「あ、ああ、確か日本からの特待生、だったか?」

「浩介・遠藤です。よろしく」

「ゴーストじゃあ――」

「ないよ。君達に霊感が備わったわけでも、エミリーのスタンドになったわけでもないからね。何度でも言うけど立派な人間さ!」

「なんか、人間アピールが露骨すぎて逆に怪しいわね……」

初めて明確に認識したのだろう。ジロジロと見やる学生達。女子学生の一人は納得しつつも曖昧な笑みを浮かべ、もう一人はツンツンと浩介の胸元を突き始める。男子学生はジロジロと無遠慮に観察している。

「その通り。医学部の特待生よ。ついでに、こうも覚えておいて」

エミリーがグッと浩介の腕を引いた。指先で突いていた女子学生から引き離すように。

そのまま胸元に腕を抱き締めて、ぴったりと寄り添いながら満面の笑みで言う。

「エミリー・グラントの大事な恋人だって」

目をぱちくり。学生達は顔を見合わせた。なんとなく、エミリーと浩介が釣り合っていないように思えたのかもしれない。可憐な容姿と将来を嘱望されている正真正銘の才女であるから。

だが、照れ笑いしながらも受け入れている浩介と、本当に幸せそうに寄り添っているエミリーを見れば、多くの言葉はいらなかったようで。

「あ、ああ~、なんかお邪魔してすみません」

「グラント先生、かわいい……」

「コウスケって呼んでいいのか? 悪かったな、失礼な態度を取って。良かったら今度話そう。俺、日本のアニメとか好きなんだ」

なんて最後には納得した様子で去っていった。

「よっし。今日もまた少し、私とこうすけの関係を広めることに成功したわ」

「苦労をかけるねぇ」

「それは言わない約束でしょ、アビィさん」

なんて軽口を交わしてくすりと笑い合い、キャンパスを出て少し歩いたところにあるカフェを目指す二人。

極力人通りの少ない道を選んでいるのだが、やはり大学を出るまでは注目度が高い。

「流石は今をときめく薬学の天才だな。十代で講師として迎えられた人なんていないだろうし」

「いえ、過去には教授待遇で迎えられた人もいるそうよ。このパーシヴァル大学は歴史が深いから、私が特別なわけじゃないわ。まぁ、物珍しいのは確かだろうけど」

それに、と続けるエミリーの顔には苦笑が浮かぶ。

「ダウン教室の生き残りだからね」

それもまた間違いなく、エミリーが視線に追われる理由の一つだった。

先程のゴーストの噂。単に浩介の存在感だけが原因ではない。あの悲劇の生還者であることも周知の身であるから、そういう噂が立ったのだ。

虚空に話しかけるエミリーを見て心の傷が癒えていないのだと思った者、あるいは彼女の周囲に見え隠れする影を見て事件と結びつけ恐怖を抱いた者もいる。エミリーとの関係が遠ければ遠いほど、そういう噂に寄っていく。

それは確かに、ナンパ目的で話しかけるなんてできないだろう。

「……そうか。まだまだ忘れられるほど時間は経っちゃいないもんな」

「ええ。あの研究棟も未だに取り壊すかどうか結論が出ていないくらいだもの。魔王様が対応してくださったおかげでメディアが過熱しているなんてことはないけれど……取材を申し込まれる大学関係者はまだまだ後を絶たないみたいだし」

浩介とエミリーが出会った最初の出来事――ベルセルク事件。

この一件、公式発表やメディアでは、Gamma製薬のケイシス・ウェントワークスが全ての黒幕として報道されている。

フェイクストーリーは次の通りだ。

製薬会社がベルセルク薬を作り、ばら撒いて、抑制薬で莫大な利益と支配を企んだ。

秘密裏に進められていた恐るべき計画は、手違いから公になってしまった。移送中だった実験体が街中に出てしまったのだ。

このため、ケイシスは急遽、部下に命じてパーシヴァル大学に薬品を持ち込もうとした。

大学に証拠品を置き、それで捜査当局の目を誤魔化し、効率的にばら撒くまでの時間稼ぎをしようとしたのだ。

しかし、持ち込む過程で警備員に見つかってしまい、揉み合いの末、薬品が流出。

当時、研究棟にいた大学関係者や危険性を知らなかった捜査官等に被害が出てしまった……という感じだ。

まったくの嘘ではない。だいたいのところは本当である。

エミリーを守るためのストーリーだ。

ベルセルク薬の作成者の公表は、エミリーの人生を失わせるも同然。裏の世界からは天才薬学者として家族ごと狙われ続け、表の世界でも針のむしろとなることは間違いない。

それ以上に、〝グラント博士〟が誘拐されてベルセルクの脅威が再現されることを防ぐことは、国防の観点からも必要な措置だった。

そもそもベルセルク薬は偶然の産物だ。エミリーが意図して作ったものではない。

にもかかわらず、恩師にして第二の父親とまで信頼していたダウン教授に裏切られる形で破棄を止められ、更には奪われ悪用されたなんて十六歳の少女には厳しすぎる事情もあった。

なら、所属していた裏組織すらも裏切って、数多の人命を踏み躙り、ただ一人の独裁者にならんことを企んだ悪魔と、それに同調した製薬会社の上層部が全ての罪を背負うべき……という意見に異論を唱える者は一人もいなかった。

研究棟での流出は、保安局――延いては国が欲を出した結果なので、それの隠匿もあったのだろうが。その辺は国家に付きものの闇の部分だ。

「Gamma製薬で、何も知らず普通に働いていた人達にも申し訳ないわね……」

「気にしすぎだよ。エミリーが悪かったことなんて一つもないんだから」

「でも、世間の目は厳しいと聞くわ。あの製薬会社の社員なのかって。辞めた人も少なくないそうだし」

「それこそエミリーには関係のないことだよ。全ての社員に対する待遇向上に、メディアに介入した印象操作……できる限りのフォローはしたんだ。――南雲がな!」

給料面が倍化すれば、それは社員さん達も「ま、まぁ、辞めるかどうかは……ちょっと考えようかな?」となる。

世間の厳しい目も本来のそれに比べれば軽いものだ。方法は帰還者騒動の時のメディア対応と同じだ。サブリミナル魔法陣である。

なお、資金源は……世界からいくつかの麻薬カルテルとか人身売買組織が潰れたことからお察しだ。消えた莫大な資金を、関係者は血眼になって探しているとかなんとか。

「これから汚名返上していく下地も十分に作ってある。というか既に成果を出してる――エミリーがな!……俺、なんもできてなくてごめんね?」

「もぅ、こうすけったら。そんなことないわよ。ふふ」

実のところ、既にGamma製薬という製薬会社は存在しない。

逮捕された経営陣や上層部は保安局の息がかかった者達に総入れ替えし、株価の大暴落はハジメが支えて筆頭株主になっているのだ。

なので、イメージを一新する目的もあって社名も変更済み。今は【Alpha製薬】だ。Alpha……最初、つまり、ハジメである。

ちなみに、公には英国の資産家ということになっている。南雲家が注目されないようにするためだ。スケープゴートは保安局が用意した。

英国公認の架空の人物――アルファード・サウスクラウドさんの爆誕である。

仕方なかったのだ。だって……

「私の専用の研究室も作ってもらって……完全にオーバーテクノロジーな器具まで用意してもらったんだもの。結果を出すのは当然よね」

無機物・有機物に関わらず自在に分離・結合できてしまう器具は当然、素材の情報を微に入り細を穿つように一瞬で看破してしまう機器も。

更には、時間を早めることも遅らせることもできる研究室に実験器具。それどころか、失敗したなら元の状態に〝再生〟できてしまう器具まで。

膨大な時間と検証数を必要とする実験において、素材への直接干渉と情報看破、そして時間操作はまさに破格の手法だ。

「でも……誰かの役に立つものを作れるのは本望だけど、なんだかズルをしているみたいで……成果と言われても素直に喜べないわよ」

「ズルって……別に魔法薬をそのまま量産して出したわけでもないんだし、地球の素材だけで同じ効果を持てるようにしたのはエミリーの功績だろ?」

「完成形を元に別の素材で再現するのと、思い描く完成形を目指して一から作るのとでは難易度がまったく違うのよ」

どんな分野であれ、新しいものを作るというのは数多の実験と検証の果ての結果だ。

それは一寸先も分からない暗闇の中で、一本の針を手探りで探すようなもの。狂気にも等しい努力と根気が必要な世界だ。

だが、魔王一家のバックアップがあるエミリーには、まったく逆のアプローチが可能なのである。

完成形を解析し、各素材の効果を理解し、後は異世界素材の代替品を地球素材の中から探すだけ。

先達達が血の滲む努力を以て出してきた結果を、自分は遙かに簡易な手法で出せてしまう。これをズルと言わずしてなんというのか。

というのがエミリーの心情らしい。

「いや、あのさ、エミリー。代替品を探すだけって、普通はそれが至難だと思うんだけど。少なくとも俺達の誰にもできないことだぞ?」

半ば呆れ気味に言う浩介。それはそうだ。何せ、元の素材がファンタジーなのである。完成形があるからといって、地球の素材だけで再現しようなんて、むしろその方が難しいのでは? とすら思う。

「そんなことないわ。実際に、増毛薬なんて一週間でできたもの」

「あ、うん、そうだね……」

革新的な増毛薬。輝くヘッドを持つ紳士達にとっては伝説のエリクサーにも等しい。

薬学会の重鎮の一部は、無駄なプライドから元々エミリーの存在をよく思っていなかったようなのだが……

ハジメの助言を聞いて作製した増毛薬を、試供品として配って一ヶ月。

提供されたそれを鼻で笑いながら試し、こき下ろしてやろうと考えていた彼等は自宅の洗面所で頭を抱えたという。

「……なんだこれは。いったいなんなのだこれはっ」と。徐々に徐々に、しかし、毎日確実に輝きを失っていく自分の頭を見ながら。

大学の上層部、そして学会でも、エミリーが今や下手なやっかみもなくきちんと評価され、それどころか手厚く見守られているのは……

いや、これ以上はよそう。あえて闇に触れる必要はない。そう、たとえ頭上に輝きを纏っていたあらゆる分野の重鎮達が、「輝きを打ち払う白衣の聖女会」なんて秘密組織を作り、その勢力を拡大していたとしても、それは知る必要のないことだ。

閑話休題。

「南雲がさ……前にマネーロンダリングならぬドラッグロンダリングで懐が潤うぜって言ってて」

「凄まじく犯罪臭のするワードね! せめてメディスンにしてほしいわ……」

「ま、まぁとにかく〝少しだけ効果のあるアクセサリー販売〟とは別に、魔法薬の分野でもエミリーのおかげで稼げるようになったって、あいつも喜んでたからさ。助かってる人がいるのも事実だし……だから、あんまり遠慮とか引け目とか感じずにやっていいと思うぞ?」

「そうかしら?……いえ、そうね。ズルでもそれで誰かを救えるなら、助かる人が少しでも増えるなら躊躇うことはない、かもね」

製薬会社を乗っ取った(?)理由には、実のところそんな目的もあった。

魔法薬を解析し地球用に作り直せるエミリーがいれば、画期的な薬品が多く世に出ることだろう。加えて、量産体制や販路を一から構築しなくていいというのは大きな利点だ。

もちろん、世間や取引先からの信用問題はある。名前や経営陣を一新したと言っても、今の信用は地の底に落ちているから。

だが、革新的で効果的な薬が次々に出されれば、いずれ評価は覆るはずだ。更に、別に一手、信用を取り戻すための手も打ってあるので再起にはそう時間はかからない。

と、ハジメとマグダネスは考えていた。

製薬会社の利益の多くが保安局の活動資金に、ハジメにも当然、筆頭株主として配当金が入る。こりゃあ将来が楽しみだ……と、黒い笑みを浮かべて握手する二人に、居合わせた浩介とエミリーがドン引きしていたのは言うまでもない。

「どんなに良い薬ができても、世間の注目を会社が受けてくれるのも助かるし」

「普通は名誉なことだと思うんだけどなぁ」

それもハジメが会社を引き取った目的の一つだ。

画期的な薬の出所を、薬学の天才エミリー・グラント博士とするのではなく、〝Alpha製薬の開発〟という大きな括りにして目立たないようにするのである。

これは、エミリーも強く望んだことだった。

「世間の名誉なんていらないわ。私の研究の成果で誰かが救われるならそれで十分」

「そっか」

「ええ、そうよ。それに、私は浩介についていくって決めてるんだから、地球での名誉にこだわっても仕方ないでしょ?」

「そりゃあいずれはトータスを拠点にして、魔法なしの医学を広めたいってのが俺の夢だけど……今は南雲のおかげで割と気軽に異世界間移動できるし」

「通勤先はトータス。帰宅は地球みたいな?」

「そうそう。最近、そういうのもありかな?って思ってる」

「ひなたと出会ったからね! 置いていけないものね!」

「……………………そ、それもなきにしもあらず、的な?」

おっとヤバイ。やぶ蛇だぜ……と視線を逸らす浩介。エミリーのジト目が横顔に突き刺さる。事実だから余計に、なんとなく目を合わせられない。

「ま、まぁ、まだ先のことだしさ!」

医学部を出て、トータスでの活動を始めて行くのは五~六年後のこと。

その時の陽晴は中学生か、あるいは女子高生になりたてくらいか。なんにせよ思春期ないし青春のまっただ中だろう。

将来、大人になってもまだ浩介に想いを抱いていたら改めて考えるというのが一応の二人の約束で、あるいは陽晴も年相応の相手ができるかも……

なんて思っているのは浩介だけで。

エミリーちゃんは知っている。

陽晴の家がとんでもない富豪だということを。古い血筋の名家であることも。そして、あの幼い最強陰陽師の気持ちが本物で、そのために家の実権を握る母親が外堀を埋めようと動いていることを!

どこぞの聖女とはレベルが違う! 〝私だって博士だもん!〟が通じる相手じゃない!

藤原陽晴は、世界の表でも裏でもあらゆる面で最高レベルのお姫様なのだ!

「いい? こうすけ」

「……なんでしょう?」

「間違っても! 成人する前に手を出しちゃダメだからね!」

「出すわけないだろ!?」

「どんなに外堀を埋められても! 怪しげな術を使われてもよ! 未成年に手を出すのは犯罪なの!」

「分かってますけど!?っていうか、往来で何を言っちゃってくれてんの!?」

「出すなら私にして!」

「ちょっとお口にチャックしようかっ!!」

俺の素敵な大学生活を始まる前に終わらせる気ぃ!? と思わずエミリーの口を塞ぐ浩介。

周囲を見やれば、元々エミリーに注目していたのだろう。言葉が聞こえたらしい学生さん達がギョッとしていらっしゃる。

視線の中に犯罪者を見るような感情が見え隠れしている……ような気がしないでもないので、浩介の存在に気が付いたことだけが驚愕の理由ではないだろう。

というか、だ。

客観的に見ると、怪しげな男にエミリー先生が怒鳴り声を上げたかと思えば、その怪しい男がエミリー先生の口を塞いでいるという絵面である。

一拍おいて、ざわっと。

「もしもし、警察――」

「通報はやめてくださぁいっ!!」

足下の小石を跳ね上げて、キャッチもせずに直接指弾! 絶妙なコントロールと威力で手から滑り落ちた感じにスマホを弾き、迅速果断な通報を阻止!

「あ、私は問題ないので! お騒がせしてごめんなさい!」

エミリーも慌てて声を張り上げれば、一応は落ち着きを取り戻す周囲の人々。

だが、「本当かな?」「あの男、見るからに怪しいのに?」「なんでこの距離で顔がよく分からないんだ?」と胡乱な眼差しは全然消えていない。

「こうすけ、早く離れましょう。面倒なことになる前に」

「いや、あのね、エミリー。この状況で去ったらさ、俺、疑いが残ったまま、怪しい奴って認識になっちゃわない? また噂に尾ひれがつかない?」

「そ、それは……そうかもね。ただでさえゴーストとか他にも都市伝説みたいな扱いになりかけているのに……」

ちなみに、都市伝説の方は〝遍在する男〟だ。分身を出して同時並行で別の授業を受けているのだから自業自得である。気付いて欲しいくせに、気が付かれないことに慣れすぎた男の弊害だった。

「誤解はちゃんと解いておきたいんだけど……」

「そ、そうね。私が不用意に叫んだせいだし……ごめんね、こうすけ」

「いや、それは…………うん、エミリーが悪いね。俺を変態扱いしたからね」

「うっ」

意外にもドストレートに責任追及しちゃう浩介さん。気遣うだけではない点、ある意味、エミリーとの仲もより良い関係に進展しているというべきか。

ジト目返しする浩介に、エミリーは少し唸って事態解決方法へ思考を割いた。そして、ピコンッと頭上に豆電球を灯らせる。

頬を染めて、もじもじ。ストールの端を口元に寄せて、恥ずかしそうに上目遣いで言う。

「じゃ、じゃあ一発で誤解が解けることする?」

「え、そんな方法ある?」

既に近い位置にいるのに、更に一歩、距離を詰めるエミリー。

「私からキスすれば解決、でしょ?」

「却下で」

「な、なんでよ! 朝にだっていっぱいしたじゃない!」

「新たな噂が立ちそうだからだよ! というか普通に羞恥心! 場所を考えて!」

「女は度胸! 突撃すればだいたい解決!って香織さんも言ってたわ!」

「突撃されてる側の気持ち、考えたことある?」

南雲の死んだ魚みたいな目を見たことがないから、そんなことが言えるんだ……と内心でツッコミを入れるが、キスしたいモードに入っているらしいエミリーちゃんはぐいぐいっと体を寄せてくる。

なんとなく雰囲気を察して、案の定、ざわっととなるキャンパスの人々。

と、そこへまさかの救世主が。

「おや! そこにいるのは 啓蒙(けいもう) 高き我が盟友、深淵卿ではないか!」

「いえ、人違いです」

公衆の面前で深淵卿呼ばわりされたせいか、思わず反射で否定してしまう浩介。

それはそれとして自分の裏の顔を知る相手は誰だと顔を向ければ、

「え、なんであんたがここに……」

「もちろん、啓蒙するためである。卿に与えられし気高き思想と信念を、前途有望な若者達に、一人の村人としてね!」

今度は違う意味で場がざわわわっとした。

お供を数人従えた〝村人〟とは程遠い印象の男。きっちり撫で付けられた薄い金髪と立派な口ひげ、恰幅の良い体を仕立ての良いスーツに包み、片手にはステッキを持ったこの男を、英国の人間で知らない者はほぼいない。

「ジェファーソン・オルグレイ議員だ!」

「確か、午後に特別講座があるって知らせが……まさか……」

「マジ!? 議員の講演だったの? なんで講演者が誰か伏せられてるのよ!」

「学生以外も殺到しちゃうからじゃない?」

「それより、僕達も参加できるのかな?」

と、聞こえてくる通り、表の顔は不動産王にして英国議会の議員、裏では秘密結社ヒュドラの首領であったジェファーソン・オルグレイその人だった。

深淵卿の〝村人の誇りに賭けて〟によって敬虔な〝村人〟となり、結社も世界的慈善団体〝村人の誇りに賭けて〟に構成員ごと生まれ変わった状態は今も続いている。

そのせいか、今や一部では聖人扱いされるほど議員として人気があるようで、学生達は芸能人にでも遭遇したようなはしゃぎぶりだ。

それに、かつての欲に塗れた醜悪な顔が嘘のような爽やかなスマイルを浮かべて手を振るオルグレイ議員。

秘書の一人なのだろう。まだ二十代とおぼしきスーツの青年が「あまり目立たれますと……」と耳打ちで忠告している。

「すまんすまん。恩人の姿が見えたものでね、声をかけずにはいられなかったのだ」

「恩人、ですか? この学生が?」

「ふっ。詳しい話はできないが……そうだ。今の私があるのは全て彼のおかげなのだ!」

ざわっ、ざわわわっ、ざわぁ? ざわっざわっ!!

オルグレイ議員の声は、やたらと張りのあるバリトンボイスだ。そのせいもあって、まぁ響く響く。

数々の慈善活動の他、議員としても寝る間を惜しむように国民のためとなる活動をし続けている彼は、今や英国議会の中で最も民衆に人気と知名度があると言って過言ではない存在だ。

そんな彼が、一人の学生を恩人だと言って親しげに肩まで組む始末。

もしやエミリー先生のストーカーか何かか? と不審者を見る目だった学生達の目の色が変わる! あんた、そんな凄い人だったのか!? と驚愕や敬意の色に。

「さて、積もる話はあるが講演以外にもいろいろと話をしなくてはいけなくてね。昼食会も兼ねているのだが、卿よ。貴方もどうだろうか? もちろん、そちらの可憐なお嬢さんも一緒に」

「あ、ああ、いや、俺達は遠慮しときます、はい。先方も予定にない奴がいたら困るだろうし」

「そうかね? いや、これは私としたことが無粋だったな。デートの邪魔だったか」

「いや、んん、まぁ、そんな感じで」

この男をこんな風にしたのは貴方なのに、なんでそんな気圧されてるのよ……とエミリーが呆れ顔になっている。

「それではまた今度。まお――サウスクラウド殿やマグダネス殿にもよろしく伝えておいてほしい」

「ああ、いろいろ手を貸してもらってるし、また近いうちに」

「うむっ。それではその日を楽しみにしているよ、我が盟友、アビスゲート卿よ!」

「その呼び名は――」

やめてという前に、オルグレイ議員は颯爽と去ってしまった。ステッキはあくまで紳士の嗜みなのだろう。覇気に溢れた歩き姿はキレがあり、そして速い。

エネルギーと熱意に溢れた生の議員の姿に、学生達も目を輝かせている。テレビで見る以上だ、と。

同時に、そんな議員に恩人とまで言わしめた浩介へも視線が集まる。

「改めて思うけど、魔王様のアーティファクトってえげつないわね」

「そうだなぁ。マグダネスさんに教えてもらった連中の罪状を思えば同情も湧かねぇけど」

彼が村人化を解かれる日は、おそらく来ない。

元々がヤバいオカルト組織の長で、相応に犯罪を重ねてきた男だ。そして、それを組織力と権力、財力で揉み消してきた男である。腹の内は真っ黒を通り越して暗黒。自分の利益と欲のためなら、人の人生や命をなんとも思っていない外道オブ外道だ。

彼の裏の顔を知っている者達は、今の姿や有り様を見て逆に、何か大きな悪巧みがあるのだろうと信じて疑っていないようだが、そのうち「いつ本性をあらわすんだ?」と首を傾げ始めるに違いない。

なお、英国側が求めるなら、浩介達としては普通に元に戻して犯罪者として引き渡す用意もあった。

だが、マグダネス局長から伝えられた国の決定としては、〝都合が良いからそのままで〟だった。

元ヒュドラ構成員達の表の顔の知名度的に、全員を逮捕しては社会的混乱が大きすぎるというのもあったのだろうが、実際は、ある種の刑罰ということだろう。元の人格を無視して、本来の欲するところと真逆のことをさせているのだから。

「いいのかしら? 今の世論を見る限り、あの人、このまま行くところまで行っちゃうんじゃない?」

行くところまでとはすなわち、英国の首相の座という意味だ。それほどに人気が高まっているのである。

「それも含めての〝都合が良い〟だろ」

「やぁね。お国の裏は真っ黒だわ」

「その黒い部分に大変な目に遭わされた当事者が言うと実感マシマシだなぁ。でも、ほら、慈善活動は世界の子供達にとっては良いことだし、俺達にもメリットはあるし」

なお、メリットとはAlpha製薬のことだ。信用回復の一手とは、まさにオルグレイ議員のこと。人気議員たる彼の口利きや、その指示のもとで元ヒュドラ構成員にして各界の著名人達に良い評価を宣伝してもらう計画なのである。

「ま、それより昼飯だ。ここにいたら面倒そうだし」

「? ああ、そうね。ふふ、不意打ちだったけれど、ここでオルグレイに会えたのは悪くなかったかも? 浩介の認知度がまた上がった気がするわ」

周囲の学生達が好奇心に満ちた目で、今にもこちらに寄ってきそうだ。中には少々ギラついた目もある。

今をときめくカリスマ議員との繋がりは、いろんな意味で彼等を刺激しているのだろう。

「恩人の意味を聞かれても答えづらいんだよなぁ。なんかフェイクストーリーを考えておくか」

「魔王一味らしい結論ね?」

なんて互いに顔を見合わせ苦笑い。

そのまま二人は、人垣に囲まれる前にとやや急ぎ足でキャンパスの外にある目当てのカフェへ歩き出したのだった。

それから十分後。

「オルグレイの予定、だだ漏れすぎない?」

「午後のキャンパスは大変なことになりそうね……私は講義があるけど、こうすけは気を付けてね? 〝恩人〟の噂、出回ってると思うから」

浩介とエミリーの姿は、大学最寄りのカフェに――なかった。

二人の視線の先には別の喫茶店が。アーチを描く木製看板には〝ILS〟の文字。その下には小さく〝I Love Salmon〟と書かれている。

そう、元ヒュドラの非合法エージェントにして、深淵卿によりサーモンサンド道を啓蒙されてサーモンサンド伝道師となった男――ウディが経営するサーモンサンド専門の喫茶店だ。

もちろん、大学からは遠い。

なぜ、わざわざ比較的近くにある保安局の内部に設置された〝ゲート〟を経由してまでこちらに来たかと言えば、目当ての喫茶店が満員だったからだ。

近隣の店もだいたい同じ。原因は言わずもがな、オルグレイ議員の来訪がだだ漏れだったからである。

いつ大学に現れるかは分からないが、とにかく大学で講演するという話だけは広がって、ならばと時間まで大学近辺の店で時間を潰している者がめちゃくちゃいたのだ。

で、それなら昼食はいっそILSにしようとなったわけだ。何せこの店、関係者の常連(主に保安局員)が来る以外ではだいたい閑古鳥が鳴いているので。

「さて、久々のサーモンサンドだ。最近はバタバタしてて来てなかったからな」

「ほんとに好きね。まぁ、店長のサンドは確かに美味しいけれど」

心なしかウキウキしている様子の浩介。それを見てエミリーの顔にも笑みが浮かぶ。

浩介が店の扉を開いた。エミリーがいるので問題はないが、ドアベル如きで自分の存在に気が付いてもらえるなんて甘い期待はしていないので、一応、ウディ店長に声をかける――その前に。

「はい、ダーリン♡ あ~ん♪」

「ダーリンはやめろとあれほど――」

昼時にもかかわらず相変わらずの閑古鳥の鳴きっぷり。

そんな寂しいはずの店内は妙にホットだった。

カウンターの向こう側で、以前より少し長くなったブルネットの髪を後ろで束ねた可愛らしい女性――サマンサが、ウディ店長の強面の口元に揚げサーモンを刺したフォークを近づけている。

片腕はしっかりとウディ店長の太い腕に絡みついており、体もぴったりと寄せていた。

「「……」」

「……あ」

ウディ店長と浩介の、いや、正確にはエミリーの目が合った。次いで、浩介の存在にも気が付き、ウディ店長の口から思わず声が漏れ出る。

凍り付く空気。

それはそうだろう。サマンサちゃんは十九歳の女子大生。ウディ店長は情報屋という裏の顔も持つ四十一歳のおっさんである。

「ち、違うんです、ヘッド! いや、違わないけど、これには事情がっ」

「え? あ、やだ、恥ずかしいっ――じゃなくて二人共いらっしゃい!」

なんだろう、ウディ店長は明らかに「まずいところを見られた!」みたいな雰囲気なのだが、サマンサちゃんに羞恥以外の感情は見られず。それどころか、雰囲気はまるで旦那と支え合って店を切り盛りする若奥様の如く。

顔を出さなかったほんの二ヶ月の間にいったい何があったのか。

取りあえず、浩介とエミリーは顔を見合わせた。頷き合い、改めてウディ店長を見る。

そして、

「ギルティ」

「ヘッド!?」

「もしもし保安局ですか? エミリー・グラントです。バーナードさんをお願いします」

「通報はやめてくだせぇっ!? しかも強襲課の隊長さんとかっ。勘弁してくれぇ!!」

表の世界を健全に生きる現役女子大生を、まんまと誑し込んだ(?)元非合法エージェントのおっさんへ蔑んだ目を向けつつ、市民の義務として通報したのだった。