軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

深淵卿第三章 樹海防衛戦③ 胃薬を求む

時は少し遡る。

青木ヶ原樹海の攻防戦が始まって少し経った頃合い。

浩介達が消耗を抑制しつつ〝式〟と妖魔の大群をきっちり防いでいるその時、富士の樹海北西に位置する 本栖湖(もとすこ) に近い樹海の中で、一人の黒尽くめが頭を抱えていた。

『いったいどうなってる……日本はいつから魔境になったっ』

血色五芒星の覆面と黒いコートで顔も体格も判然としない。声もまた術で変えているらしく極めて中性的だ。

ただ、その大陸の言葉を話す声はめちゃくちゃ震えていた。怒りか、恐怖か、困惑かは分からないが。加えて、どことなく疲れが滲んでいるようにも聞こえる。

〝影法師〟の対日本における総指揮官――〝 真影(ヂェンイン) 〟。

組織の人員は例外なく〝影〟の一文字と、識別用の名が与えられるところ、彼または彼女の名がそれだった。

普段は感情がないのかと部下にすら思われている冷静沈着の代名詞のような真影の有様に、周囲の部下達は戸惑い半分、共感半分といった様子だ。

もちろん、全員が血色五芒星の覆面なので表情は隠れているが。

さて、一国の掌握を任され、二百人の術師を束ねる真影が、ここまで取り乱している原因は何かというと……言わずもがな。

『報告します。……〝式〟二百体が還されました。追加しますか?』

『当たり前だ。手を緩めるな』

『しかし、既に〝鏡〟の使用で五人が使い物になりませんが……』

『それでもだ! 相手の弾薬にも術にも限界はあるはずだ! 人員の限界まで使え!』

『っ、承知しました』

〝鏡〟――それこそ〝式〟による圧倒的な物量戦を可能としている理由だ。

〝影法師〟が保有する秘宝の一つである。古びた二つ折りの鏡で、あらかじめ作製した〝式〟を一方の鏡面に映して〝鏡〟の中に取り込めば、合わせ鏡の要領で映った〝式〟を、使用者の精神力が続く限り量産し放つことができる。

しかも、秘術の一つで別の鏡と術的に繋げてやることで、鏡の中の世界を介して離れた場所の鏡からも出現させることができる。

浩介が出現位置を特定できなかった理由だ。樹海の至るところにばらまかれた小さな鏡から放出されていたのだから、それは発見も難しいというものだ。

だがしかし、全方位から常時百体以上を生み出しては放ち続けているというのに――

『なぜ突破できない!』

そう、突破できないのだ。

『そもそも、私の持つ最強の妖魔が初っ端に一撃でやられるとはどういうことだ! どういう……ことだよ……』

相手が卿だったのだから仕方ない。

あの開戦時に、開戦合図代わりにあっさり卿に倒された妖魔こそ、実は真影の持つ最強の手札だったりする。

あれで片が付けばと思ったのだ。というか行けると思ったのだ。

なのに、

『そもそもなぜだ! なぜ陰陽師以外の戦力がいる! なんでバチカンのエクソシスト!? なんで英国の特殊部隊!? なんで銃弾が効く!? 何よりあのふざけた連中! ウサミミの装飾なんぞつけおって意味わからんわ! そのくせ異様に強いし! どっから湧いてきた!?』

『ど、どうか落ち着いて、真影。冷静に――』

『私は冷静だ! 冷静に理不尽を呪っているんだ!』

それが冷静じゃないと言ってるんですが……と言いたげな部下に、真影は、ようやくハッと我に返って周囲を見た。

必死に呪詛を送っている部下達からも、こちらを意識している気配を感じる。

いけない。わけが分からないことが続いているが、私は〝影法師〟の対日本における現場指揮官。冷静に、泰然自若の姿を部下達に示さねば。と、咳払いを一つ。

『妖魔の残りは? 敵はどの程度削れた?』

『……それが、その』

『なんだ、はっきり言え』

『妖魔は半数を切りました。相応に敵も削った……はずです』

『……待て。〝はず〟とはなんだ?』

『……倒したはずの敵が、いつの間にか戦線に復帰していまして……』

『…………呪詛の解呪なら陰陽師がしたのだろう。藤原陽晴を筆頭に数名を除けば力量の差は明白だが、何か呪具でも使って補助したのではないか? それなら、いつまでも持たんだろう?』

『いえ、妖魔や式による四肢の欠損レベルでも、なぜか生えて戻ってきます』

『くそがっ!!!』

地団駄を踏む真影。繰り返すが、普段は冷静沈着の代名詞だ。むしろ、闇の住人というに相応しい凄みと陰惨とした空気を纏う高位術師だ。

こんな姿、今まで見たことない……と、思わず部下が後退ってしまうのも無理はない。

『まさか連中、揃って不死身だとか言うのではないだろうな!』

『……少なくとも〝例の彼〟は、本体を仕留めない限り無理でしょうね』

倒しても倒しても、どこからともなく分身なんてものが湧いてくるから。と、部下の声にも力がない。

『真影。やはり、直接叩くしかないのでは?』

『それはダメだ。分かっているだろう? 祖国が関与している確たる証拠を掴まれてはならない』

ただでさえ、第一作戦であったマッチポンプは破綻したのだ。第二作戦である〝龍〟の復活と、祖国の救援による恩着せを成功させるには、たとえ祖国の関与を誰もが知るところであっても、証拠だけは掴ませてはならないのだ。

認識を変更する血色五芒星の覆面をしていたとしても、直接の戦闘はリスクが高すぎる。捕虜にでも取られたら目も当てられない。妖魔と術を以て、隠形しながらの遠隔攻撃が最善なのだ。証拠さえなければ、後は外交の猛者共がいかようにでもしてくれる。

『証拠を掴まれるくらいなら撤退する。それが本部の指示だ。このまま、全力で隠形しつつ押し切る。それで無理なら……撤退だ』

『……日本ほどの霊地を諦めると?』

『それは私達が判断することではない。本部、ひいては祖国が判断することだ』

確かに、日本は優れた霊地だ。異常なほどに。

崑崙(こんろん) を始め、中国の霊地は世界トップクラスであるが、小さな島国がそれに匹敵しているのである。それどころか、数ヶ月前からは更に霊地としての力が増している。

まるで、龍脈の力が流れ込む極東の地だから、ではなく。

あたかも、龍脈の力を引き寄せ喰らおうとしている生き物であるかのように。

刻一刻と充溢していく最高の霊地。

惜しい。一人の術者としては、否、全ての術者にとってこの地は今や垂涎ものの宝島だ。

しかし、である。

国家の影なのだ。影は本体から離れて勝手に動きはしない。影らしく、常に主に追従するのみ。

祖国のためなら喜んで汚泥に身を浸す。たとえ、一人の人間としては間違っていると思うことでも、私心を殺して忠誠を捧げる。

この戦いでも、撤退さえ無理ならば証拠を残さぬ自害も 躊躇(ためら) わない。たとえ、龍脈への身投げや、束縛している妖魔に自らを喰わせるなんて悲惨極まりない方法であっても。

滅私奉公。全ては祖国のために。

それこそ〝影法師〟の揺らがぬ信条なれば。

『呪詛と〝式〟を絶やすな。妖魔は遠距離攻撃を優先させろ。物量を維持したまま削っていくぞ。夜明けまでに敵の許容量を超過できれば我等の勝ちだ』

逆に、それができなければ敗北だ。後は、撤退か総員自害か。

そう、当初の予定通りに断言する真影に、部下は一礼した。

と、そこへ別の部下が。通信機を片手に、どこか陰鬱とした様子で。

真影の覆面の奥の顔が盛大に引き攣る。

嫌な報告なんでしょう? そうなんでしょう! 聞きたくない! と言いたげな雰囲気をこれでもかと発する。

『……どうした?』

押し殺したような声で尋ねると、部下は少し躊躇ったあと報告した。

『真影、 倒影(ダオイン) から連絡が』

京都で龍脈を 穢(けが) す作戦に従事している部隊の隊長だ。嫌な予感がますます膨れ上がる。

どうやら通話が繋がっているようで、無言で手を出した真影に、部下は恐る恐る通信機を手渡した。真影は一拍おいて気持ちを落ち着け、『報告しろ』と通信に出る。

すると、

『真影! 撤退の許可を! 作戦は失敗! 続行は不可能! 我等では太刀打ちできません! あの子は、あの子は化け者だ!』

『待て、落ち着け。報告は正確にしろ。あの子とは誰だ? 化け物とは?』

『小さな少女です! あれはっ、あれは帰還者南雲ハジメのっ。奪われましたっ、我等の妖魔が尽くっ。それどころか、日本妖怪が集まってきて連携までっ。術もなく、縛りもないはずなのに、なんで言うことを聞く!? まるで百鬼夜行だ! 護衛の剣士も異常です! 人間技じゃない! 呪詛を斬られたんです! くそっ、今すぐ撤退許可を! このままでは始末をつけることさえ――』

ぷつっと通信が切れた。唐突に。

しんとした空気が漂う中、更に追い打ちのコールが複数。部下達が一斉に、どこか恐ろしげに通信に出る。

結果、

『 疎影(シュイン) より報告。英国の霊地に樹海が出現。濃霧と強力な妖魔らしき戦力により仮称〝起源の神木〟まで辿り着けず、部隊は半壊状態だと』

『真影、報告します。帰還者の身内に対する懐柔作戦ですが…… 隻影(ヂーイン) 以下、いつの間にか帰国していたらしく、その……なんか本部でジャスティスと叫びながら暴れたそうで拘束したと』

『ん゛ぇ゛あ゛ア゛ア゛ェッ』

『『真影!?』』

真影から今まで聞いたこともない、妖魔の唸り声みたいな声が出た。

正気を失いつつある!? と部下達が焦る焦る。

そこへ、真影の胃を抉る更なる報告が。

『 影従(インツォン) より報告です。日本の特殊部隊に退路を潰されていると』

『ん゛ん゛っ』

『幸い、隠形は破られていないので人員に欠損はいませんが、やはり地の利は向こうにあるようです。我々の車両に向かうルートの尽くを押さえられています。あと――』

『なんだ……あと、なんなんだ?』

『……撤退用の車両の、というか怪しい車両は片っ端から……その……タイヤの空気を抜かれたようです』

『やってることがケチな犯罪者だぞ!?』

『それと、特に怪しい車両に対する目印なのか、フロントガラスにスプレーでアニメキャラっぽいイラストまで描かれて……』

『もはやただのチンピラ集団ッ』

これがっ、こんなのがっ、日本の暗部のやり方かぁっ!! と頭に血が昇る。が、直ぐに胃がしくしくして気落ちする。

胃が、胃が痛い……誰か、胃薬ちょうだい……

なんて弱音を吐きたくなる真影だったが、しかし、誰よりも祖国を愛するが故に折れなかった。

『ま、まだだ。まだ終わらんよ……』

折れそうになった心を叱咤し、背筋をぐっと伸ばして声に覇気を込める。

『日本の三大妖怪の喚起準備は?』

『もう間もなく』

『死霊群は?』

『いつでも』

『よし、全部隊に通達! 瘴気と穢れで敵陣そのものを犯すぞ。持てる最大の呪力を練り上げろ!』

念のためにと用意しておいた日本の三大妖怪の遺物。特殊な喚起術で術者の想定した伝承通りに〝式神化〟させる秘術が完成しつつあるようだ。

術者の力が尽きぬ限り、あくまで術者の想像を象った式神であるが故に超速再生すら可能な切り札の一つである。

更に、人の正気と生気を汚染し精神から殺す、広範囲殲滅の秘法の行使も追加。

代償に、術者自身の精神も著しく疲弊してしまい、一時的に呪詛に対する抵抗力が激減してしまうが……

作戦の尽くが失敗している現状、いつ本部から撤退命令が出るか分からない。

何より、その作戦を失敗に導いている相手の手札が理解不能すぎる。

諜報不足がここで致命打を与えてきた。今、この瞬間にも想定外の戦力や、想像の埒外にあるような攻撃で全滅してもおかしくない。

最悪を想定するなら、三大妖怪が喚起できた時が攻め時だ。

そう考えて方針を定めてから、しばし。

集中し、練りに練った呪力が樹海に隠れ潜む全ての〝影法師〟の中に満ちた時、遂に待望の報告が。

『三大妖怪、喚起完了!』

『放て!』

咆哮が迸る。三大妖怪どころか、その部下の鬼共すら解き放たれる。

合わせて、〝影法師〟のおぞましくも強力極まりない 汚穢(おえ) の呪殺法が完成し、津波の如く敵陣へと雪崩れ込む。

そして―――――――なんか、あっさり 祓(はら) われた。

たった二人の術士に。エクソシストと陰陽師に。壮烈な光を以て一瞬で。

『……』

『ヂェ、真影?』

『死霊ッ!! 放て!』

『は、はいっ』

一瞬無言に、覆面の奥では真顔になった真影。

体の内側からごっそりと気力のようなものが抜け落ちて、今にも膝を突きたくなる酷い疲労を感じているが、それよりも一蹴された事実に気が遠くなる。

それはまぁ、〝影法師〟最強の術とは言わないし、〝影法師〟の最高幹部、それこそ達人級、自分の師父クラスであれば同じく祓うこともできるだろう。

とはいえ、だ。正直に言えば、だ。いささかショックである。

とにもかくにも、まだ終わっていない!

百人以上が放った呪詛を周囲一帯ごと浄化したのだ。相手側も疲弊しているに違いない! しろ!

そんな気持ちを込めつつ、三大妖怪と死霊群の波状攻撃の推移を見守る。

周囲の部下も、おそらく樹海中に配備した者達も、真影と同じく心身共に疲弊していることだろう。今、反撃の呪詛を受ければ〝影法師〟側が危うくなる。

(押し切れ……押し切れっ。祖国のために! 勝利を!!)

大規模術式で疲弊しているせいだろうか。

表面上は指揮官として動じない風を装っているが、不安が不可思議なほどに湧きあがる。

嫌な考え、最悪の展開が脳裏を過ぎり、胸の奥を締め付ける。

――全ては祖国のために

いつだって、その信条を胸に生きてきた。身命を賭してきた。命令とあらば、どんなことでも必ず完遂してきたのだ。

だから今回も大丈夫、問題ない。

あの攻勢を退けられるものか。

本栖湖の地下水脈を使って、 祠(ほこら) の中に直接水棲系妖魔を送る作戦だって進行中だ。

大丈夫……大丈夫……

そう言い聞かせても、本当に奇妙なほどに不安と苛立ちが募り消えてくれない。

遠くから鬼の咆哮と、戦闘の轟音が響いてくる。

何を手間取っているのだろう。伝承の鬼だ。鬼神だ。劣化しているとはいえ、祖国にだって伝わる白面金毛九尾狐もいる。

なのに、何をして……

いや、焦るな。必ず押し切れる……

……

……

……

本当に?

あの異常な集団に、これだけで勝てるのか?

なぜ未だに制圧の連絡が来ない?

祖国のために勝たないといけないのに。

同胞の期待に応えたいのに。

〝龍〟さえ復活すれば……

〝龍〟の復活こそが祖国のためだから……

〝龍〟を、なんとしても〝龍〟の解放を……

憎い……腹立たしい……

復活を妨げる者が、邪魔する全てが――憎い……

『真影、大江山の鬼が太刀打ちできていません。九尾は拘束され、大嶽丸も遠藤浩介の分身に押さえ込まれております』

報告に来た部下へ、真影はゆっくりとした動きで顔を向けた。

妙に静かな声音であることに疑問を抱かずに。

いつの間にか、周囲の空気が微かに澱んでいるにもかかわらず、気にした素振りも見せずに。

『 幻影(ファンイン) を出せ。藤原陽晴を消す』

『承知しました』

直接戦闘はしないと言ったその口で、最も直接的な暗殺を得意とする部下の侵入を指示する。

〝龍〟復活の後、先鋒に立たせて〝龍〟を疲弊させるために必要な陽晴を、今、殺すのだと命令する。

その矛盾に、しかし、部下もまた訝しむ様子はない。

『真影。本部より連絡。撤退命令が出ました』

『撤退はしない。祖国のためだ』

――邪魔する者は消せ

――解き放て

――全てを無に……

――起源への回帰を……

頭に響く何かの声。何を言っているのかも判然としないが、ただやるべきことだけははっきりしている。

『我等も出るぞ。たとえ全滅しようとも〝龍〟を復活させねば』

『承知』

そう、〝龍〟の復活だ。

忌々しい結界を敷いた一族の末裔を滅ぼすのだ。

それこそが祖国のため。

祖国の、ため……〝龍〟の復活こそが祖国の利になるはずだから。

覆面が覆い隠す。その下の、影法師達の本当の顔を。

だから、誰も気が付かない。

お互いの瞳が濁っていることに。

大規模術式で弱った精神が、最初に調査に来た者達と同じく、彼の者の想念に当てられてしまったことに。

そして、この地での呪詛闘争が彼の者を刺激し、その想念を更に高めてしまったことにも、

『全ては〝龍〟のために』

目的と手段が逆転していることにさえ、気が付くことはなかった。

地上にて、疲弊してへたり込んでいた陽晴に〝影法師〟の凶刃が肉薄した時。

地下の 祠(ほこら) にも〝影法師〟の一手が侵入していた。

祠の最奥の空間を中間位置で真横に分断する地下水の川と泉。そこから出てきた、緑色の目をしたカワウソのような異形。

――妖魔 水落鬼(すいらくき)

変化の能力を持つ妖怪化した溺死者と言われ、生者を水中に引きずり込み己の身代わりにするという。

つけっぱなしのガスマスク&白衣というクレイジーな姿を見て引き攣り顔の負傷者達を一生懸命に癒やしていたエミリーが、何かと必要な水を川で汲もうとしたところ、水中から睨め上げてきた水落鬼と目が合った。

それはもう心臓が飛び出す思いだった。

……心なしか、水落鬼も心臓が飛び出しそうな雰囲気に見えたが、気のせいに違いない。

引きずり込んでやると怨念たっぷりに襲いかかろうとした相手が、シュコーシュコーしている奇怪な面貌だったせいで「人間――じゃない!?」と思わず躊躇ったとかではないはずだ。

なんにせよ、直ぐに飛び出して来なかったおかげで、エミリーは「イヤァーーーーッ」と悲鳴を上げながら転がるようにして祠の前へと戻ることができた。

そして、浩介に連絡を取りながら、ようやく水中から飛び上がってきた水落鬼に容赦なく毒々しいガスを噴射。

水落鬼は「ッ!? ッッ!?」みたいな感じで、少しの間、警戒から足を止めたが、それ以上の効果はなく。

まだアラクネさんの再生治療中で動けないハウリアやエクソシスト、特殊部隊員がいる中、どうにか立ち上がったのは一人の陰陽師だった。

土御門家次期当主――土御門 健比古(たけひこ) である。

〝影法師〟の妖魔――四本の角を持つ羊の姿をした人喰いの凶悪な化生〝 土螻(どろう) 〟に片腕を食いちぎられて、ようやく再生を終えたところだった。

自身の妖魔たる土蜘蛛召喚のために犠牲にしたばかりの腕である。幻肢痛と、まだ回復していない貧血状態にふらつきながらも、意地と矜持を以て彼は前に出た。

そして、

「ぐわぁーーーー!?」

片腕を食いちぎられた。

アラクネ医師団、糸を出して迅速に患者を回収。急いで再生治療へ。まるで「なんでタケヒコの腕すぐにとられてしまうん?」と言いたげだった。

ともあれ、目の前で人が食われかけたという現実に、エミリーちゃんはぷっつんしちゃったようで。

「エミリーよ! もう大丈夫だ! 吾輩(わがはい) がきた――」

ゲートで駆けつけた分身体の卿。しかし、かっこよくポーズを取ってヒーローらしく決めゼリフを口にしようとした瞬間、「ぬぉおおおおっ」と悲鳴を上げて横っ飛びに身を伏せた。

なぜかといえば、

「いぃいいいやぁあああああっ!!!」

ダララララララッとエミリーちゃんがアサルトライフルを乱射していたからである。

あちこちから「落ち着けぇ嬢ちゃんっ!!」とか「跳弾が!?」「ひょえぇ!? 今、掠った! 頬を掠めたぞぉ!」とか「ガッデム!! ケツを撃たれたぁ!」とか「伏せろぉ! 伏せるんだ!!」とか阿鼻叫喚じみた悲鳴と怒声が響き渡っている。

「貴殿らっ、無事かね!?」

カサカサカサッと高速 匍匐(ほふく) 前進し、治療を受けている者達の、ある程度遮蔽物を立てている陣地へと転がり込んだ卿が声を張り上げる。

最初に反応したのは、脇腹に血を滲ませた小柄なウサミミ少年だった。

「アビィの兄貴!」

「むっ、バルトフェルドよ! 負傷したのか!」

「へっ、ちょいとドジを踏んじまいました。俺も焼きが回ったもんです」

十代前半で焼きが回っちゃうウサミミ少年。いろいろおかしいが、一度は言ってみたいセリフだったのだから仕方ない。

ニヒルに笑いつつ、しかし、ウサミミはぺたんっと折りたたんでプルプルしている。さっきのケツに弾が当たった張本人だからだ。

「それよりもアビィの兄貴、さっさとエミリーの姉貴を止めてくだせぇ! 今度こそ本当にケツの穴が増えちまう!」

「う、うむ。止める、うむ。止めないと、な」

チラッと見る。

ガスマスク&白衣の少女が、「あああああっ」と悲鳴を上げながらアサルトライフルを振り回している。こわい。どう見ても頭のおかしい人だ。近寄りたくない。

更に恐ろしい原因がもう一つ。

フルオートで撃てば直ぐに弾切れになるのだが……

その度に、エミリーちゃん、予備として保管されていたアサルトライフルを足で跳ね上げて交換し、流れるように途切れなく射撃を続行。チェンバーに初弾を装填する動きも全く淀みがない。歴戦の兵士が体にしみ込ませたような動きだ。実はパニクってないんじゃ? と疑わざるを得ない。

原因は分かっているが。

卿がチラッと隣で伏せている特殊部隊員に視線を向ければ、グッとサムズアップが返ってきた。

つまり、そういうことだ。

ヴァネッサを筆頭に保安局強襲課の皆さんが日頃から鍛えているせいである。

自分の身は自分で守れるくらいの腕が欲しいと頼まれて、ヴァネッサを筆頭とした保安局強襲課の人達が、空いている時間にこぞってレクチャーしている結果だ。

我等がアビスゲートの英国ヒロインたるエミリーちゃんを、戦えるヒロインにしよう! だって、他のヒロインが濃いんだもの! 負けるなエミリー! エミリーちゃんしか勝たん! みたいなノリで。

今、目の前にいるのはヒロインというよりMADバーサーカーだが。

原因の水落鬼でさえ壁際で頭を抱えてしゃがみ込んでいるし。

「ええいっ、ままよ!」

「うぇええええんっ、こうすけどこぉーーーっ」

背後から急迫した気配を察したのか。エミリーちゃん、片手でライフルを撃ちながら、もう片方の手でガス缶を背後へ早撃ちならぬ早噴射。

「いったい君はどこへ向かっているのだ、エミリーよ!!」

味方は対抗薬を飲んでいるし、卿も分身体なので問題ないが、これが普通に敵だったらとんでもない。本当に、この天才博士ちゃんはどこへ向かっているのだろう。

それはそれとして、タックル!

ついでにライフルとガス缶を払い飛ばし、エミリーを拘束――ではなく、抱きしめながら空中で反転して自らを下に。

背中で受け身を取ってエミリーを庇いつつ、直ぐに起き上がって耳元に言葉を送る。

「吾輩だ、エミリーよ。助けに来たぞ」

「!?」

ビクビクッと震えてエミリーが正気に戻る。拘束――ではなく抱きしめる力を緩めると、恐る恐る振り返ってくる。卿を確認し、へにゃぁ~と涙目で笑みを浮かべている――ように見えなくもないガスマスクエミリー。シュコー。

「怖かったよぉ」

うん、怖い。君が。という素直な心情は心の奥に叩き込んで、よしよししてあげる卿。

「あ、そうだ! あの怪物は!?」

「とっくに死んでるよ」

故意ではないと思うが、アサルトライフルを払いのけた瞬間、偶然にも最後の一発が水落鬼の眉間を見事に貫いたのだ。こわい。

「そっか、良かったぁ。こうすけが倒してくれたのね!」

「う、むぅ。まぁ、そんな感じだ」

新発見。深淵卿モードでも卿は空気を読めるらしい。君が殺ったんだよ、と言っても混乱するだけだろうからファインプレーだろう。

「ごめんね、外も大変なのに――待って。こうすけ、今、自分のこと〝吾輩〟って言った! それに雰囲気も……深度が深まってるわね! この気配は最終深度の気配! 消耗を抑えていられないほど切羽詰まってるの!?」

エミリーの〝分かってる度合い〟がエグかった。一人称と雰囲気だけで香ばし深度レベルを判別できるらしい。

そんなエミリーに、卿はフッと笑い。

「いいや? むしろ、逆である」

「逆?」

跳弾の嵐という悪夢から解放された負傷者達も注目する中、卿はくるりとターンして背中を向け、わざわざ肩越しに振り返る仕草をしてから、サングラスを中指で押さえるポーズを取り、

「敵は悪手を打った。もはや、吾輩を縛るものは何もない。この戦争は、我等の勝利だ!」

そう宣言したのだった。

陽晴を背に庇い、相対する血色五芒星の覆面術者。

表情は分からない。卿の呼びかけにも応えない。

代わりに、驚愕すべきことに、すぅと姿を消していく。周囲の景色に溶け込むかのように。

「完全に姿を消すか! 親しみが湧くな! だがしかし!」

甘い! と閃く剣線。卿の小太刀が、まったく別の虚空から生み出されるようにして飛来したナイフを弾き、

「深淵流土遁術ッ――〝 砂龍(深淵の魔手) 之牢城(に抱かれよ) 〟!!」

地面を大きく踏み締める。緋月の技が格好良かったので速攻でぱくる! ただし、激震は飛ばせないので発生したのは隆起する土砂だったが。

それでも効果はばつぐんだ。姿なき暗殺者に、姿があるのにないことにされる暗殺者が格の違いを見せつける。

苦悶の声が漏れた。牛とも鳥ともつかぬ鳴き声。隠れていたもう一体の敵の姿が曝け出される。

額に紋様のある白い虎。

――妖魔 孟極(もうきょく)

妖魔というよりは幻獣というべきかもしれない。伝承では人によく懐くが、身を隠すのも上手いという。

だが、卿の気配察知からは逃れられなかったらしい。己を覆い即座に固まった土砂に捕らわれ必死にもがいている。

同時に、暗殺者がクラウディアを挟んで陽晴の側面に姿を見せた。

〝 幻影(ファンイン) 〟――孟極の力を流用する術で不可視化できる〝影法師〟きっての暗殺者。しかし、その優位性も孟極自体を押さえられて無効化されてしまった。

そして、その背後には既に卿の姿が。

背後に立たれたことにも気が付けず、首元に刃を当てられてようやく知る。

「ようやく会えたな、影法師よ。この時を待ちわびていたぞ」

「……」

「そちらの総員数は? なぜ攻勢に出た? 攻勢に出たのは何人だ? 潜伏場所はどこかね?」

「……」

言葉を知らないかのように沈黙を決め込む〝幻影〟。彼は母国語しか話せない。故に、祖国の関与を示さないよう任務中は徹底して口を閉ざす。

代わりに、急所を斬られても構わないと言わんばかりに、袖からナイフを取り出して卿の脇腹を刺す――前に、

「ククッ、同業者の考えることは同じね?」

ラナインフェ――ラナが手首を掴んで止めた。なお、ハウリアは首刈りウサギとして畏れられているが、別に暗殺を生業にはしていない。ノリで言っただけだ。

「貴方に黙秘権はないわ。ねぇ、アビスゲート」

「フッ、そうともラナインフェリナ。彼も立派な村人になる時が来たようだ」

「きっと泣いて喜ぶわ。まるで生まれ変わったようだってね!」

「同時に、骨身に刻むであろうなぁ!」

「「深淵を覗くとき、深淵もまた汝を覗いているということを!!」」

とっても楽しそうな卿と正妻様。

いつの間にかワイヤーで拘束されて身動きできず、目の前でスタイリッシュなポーズを取られながら五円玉を揺らされている相手に、少し同情してしまう。

守られたお礼を口にしようとした状態から始まってしまった二人のやり取りのせいで、口をパクパクさせたままだった陽晴の肩を、クレアと緋月がぽんぽんして慰めている。

そんな中、覆面を剥ぎ取られそうになった〝幻影〟は、

『全ては〝龍〟の復活のために!』

そう叫んで、何かを呑み込んだ。口の奥に仕込んでいたのだろうそれは、土御門の屋敷で龍脈に身を投げた黒衣の男と同じ。

体内に取り込む妖魔の一部――呪物だ。

直後、凄まじい瘴気が〝幻影〟の身の内より噴き出した。渦巻くそれに、最も近くにいた卿とラナは、何か生ある者にとって大事な熱量のようなものが凄まじい勢いで奪われていく感覚に陥った。

「お二人共、離れてくださいませ! 穢(けが) れに呑まれますっ」

陽晴の警告が飛ぶより早く、ラナは距離を取っていた。

卿は卿で、致命傷を与えてから飛び退る。

だが、人の枠から外れつつある〝幻影〟にとって、もはや人間にとっての致命的攻撃は無意味だったらしい。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」

轟く絶叫。溢れ出た瘴気により周囲の自然が枯れ始める。生きとし生けるものの生気を奪って、その場を穢すおぞましき邪法中の邪法。

「させませんっ。――オン シュチリ……うっ」

絶叫が轟く中、陽晴が刀印を作って呪詛破壊を目論む。が、回復途中の幼い身には厳しかったようで、青ざめた表情でふらつき言葉も止まってしまう。クラウディアが倒れそうな陽晴を咄嗟に支える。

「木っ端微塵にすればよいでありんしょう?」

「いえ、無駄です。肉体を破壊しても呪詛そのものは残ってしまうのです」

緋月の提案に陽晴が首を振る。すると、

「「オン シュチリ キャラロハ ウンケンソワカ!!」」

大威徳明王へ呪詛破壊による守護を嘆願する真言が重なった声で木霊した。

「お父様! ご老公!!」

藤原大晴と土御門条之助だった。祠に妖魔が入り込んだと聞いて、念のために戻ってきたのだ。

「陽晴、この穢れは私が押さえる。今は回復に専念しなさい」

「遠藤殿! 影法師は自棄にでもなったのかもしれん! 撃退、無力化に成功した者から同じように己を 贄(にえ) にして呪詛を振りまいておる!」

その報告は想定から少し外れていた。服部の戦局予想では、自国関与の証拠を掴まれ得る作戦はとってこないだろうとのことだったが……ここまで捨て身になるとは、いったい、どのような心境の変化なのか。

敵の、捨て身の特攻ともいうべき攻勢に、にわかに緊迫感と焦燥が募る――のは陰陽師だけだった。

ラナがフッと笑ってターンし、ビシッと卿に指をさす。

卿もまた、フッと笑って片手を額に、髪を掻き上げるようにして少し仰け反りつつ、もう片方の手でビシッと指をさし返す。

「特攻? 大いに結構。総力戦をしかけてきたというのなら 僥倖(ぎょうこう) である!」

ムーンウォークだろうか。卿から後ろ向きの滑るようなステップで分身体が分かたれる。その分身体からも同じ足取りで横へ一体、また横へ一体と、合わせ鏡の中の人のようにズララララッと並んでいく。

更に、その列から左右へにゅるりにゅるりと同じく増えていく。

「影法師が姿を見せたのなら、我が深淵を抑制する必要がどこにあるというのか!」

「キレてるキレてる! アビスゲ~ト♡ キレッキレよ!」

「何を企んでいようと、ああ、断言してやろう! 奴等は最悪の一手を打ったとな!」

「キャァーーッ! かっこいい! 今、最高に輝いてるわっ!! マイダーリン♡」

一瞬にして祠の前に出現し整列した卿――二百人。

香ば深度――レベルⅤ!!

久しぶりに間近で旦那の本気を見たラナさんのテンションと相の手がエグい。まるで、推しのアイドルが主演のステージにでもやってきたかのよう。

ちなみに、各戦域に派遣していた分身体も増殖しながら同じ感じの言動を取っているので、保安局のメンバーは「やっときたぜ、俺達のアビィ!!」と、カム達は「刮目せよ! この男こそ我が次代の象徴である!!」と、やんややんやの大喝采中だ。

エクソシスト達は比較的に常識的なので苦笑い気味。それでも、既に終戦を確信して安堵の表情を晒している。

もちろん、陰陽師はついていけてない。「え、なんかカサカサ増えていくんだけど!?」「うちと戦った時より目茶苦茶多い気持ちわるっ」みたいな感じでドン引きしている。

「「「「「さぁ、影法師よ!」」」」」

「「「「「犠牲にする心身があるのなら」」」」」

「「「「「代わりに貴様等の全て」」」」」

「「「「「我が深淵に差し出すがいい!!」」」」」

ドパッと、堤防が決壊し氾濫した川のような勢いで樹海へと流れ込んでいく数多の卿。

ラナさんが、いかにもウサギっぽくぴょんこぴょんこと跳ねながら手を振り、満面の笑顔でお見送りする中、

「あれが遠藤様の本気……わたくしの後鬼……」

「なっ、ゴキって……陽晴、気持ちは分かるが、流石にそれは」

「大晴殿、気持ちが分かる時点で同罪ですぞ。まぁ、気持ちは分かりますが」

「ち、違います! 黒くて恐ろしい あ(・) れ(・) のことではありません!!」

「陽晴さん。連想できてる時点で、やはり同罪だと思うのです」

なんてやり取りが、ひっそり響いたのだった。

いずれにせよ、〝影法師〟が卿に呑み込まれるのは確定的かつ時間の問題であった。