軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

深淵卿第三章 妖精界に激震が走るッ(未来のお話)

「GRAAAAAAAAAッ!!」

殺意と敵意と、憎悪と憤怒と。ありとあらゆる負の感情を詰め込んで煮詰めたような咆哮が轟いた。

それだけで土埃混じりの空気が放射状に吹き飛び、空気が帯電でもしたみたいにビリビリと震え、人の意志が一瞬で粉砕される。

実際、ほとんどの藤原や土御門の陰陽師達は血の気が失せた顔色となって膝を突き、 大晴(たいせい) やご老公、服部ですら立ってはいるものの動けずにいる。

それほどに、女が変じた厄災の大鬼のプレッシャーは凄絶だった。外見の変容にも息を呑む。もはや女の面影は微塵もなく、浅黒い肌、筋骨隆々の肉体、全身から黒い瘴気が発せられている様は実に恐ろしい。

だがしかし、動けない最たる理由は、きっと驚愕のせい。

大鬼のプレッシャーにも 挫(くじ) けた様子のない 陽晴(ひなた) ですら、ぽかんっと口を開けて呆然としているのが、その証拠。

何せ、そんな厄災の権化を、全てを 轢殺(れきさつ) せんが如き突進を、

「無様」

一言で切って捨てる存在がいるから。

厄災の大鬼が片手で首を鷲掴みにされてもがいている。更なる咆哮を上げ、相手の細腕をへし折ろうと筋肉を隆起させる。

だが、ビクともしない。

白髪三本角、他者の劣情と破滅を誘うかのように着崩された、彼岸花の刺繍が映える黒地の和装。ゾッとするほど 艶(あで) やかな鬼女。

――鬼の頭領 大江山の酒呑童子

霊視的直観で、その正体を看破した陽晴の呟きは、不思議なほどこの場の者達の耳に入った。

視線を釘付けにされる。ともすれば魅入られそうなほど美しい存在に。

何が起きているのか、まったく分からなかった。

なぜ容易ならざるはずの顕現が、こうも簡単に成されたのか。なぜ鬼同士で相対しているのか。なぜ、酒呑童子が女性の姿なのか。

疑問が止めどなく溢れては呆然の中に消えていく。

だが、一つだけ、誰にでも分かることがあった。

あの美しい鬼は、あれは……

「 大嶽丸(おおたけまる) の伝承が泣きんすよ?」

存在の〝格〟が違うと。

酒呑童子が、手首を返す。一見すると下顎を指先で撫でてからかうみたいに、指先を軽やかに跳ね上げる。

それだけで、厄災の大鬼――酒呑童子と並んで日本最凶の三大妖怪の一角に数えられることもある伝説の鬼神――大嶽丸が、ふわりと宙に浮いた。

お手玉のような気軽さで僅かに投げられた大嶽丸だったが、拘束が外れたからといって反撃は許されなかった。

直後に発生したのは轟音と衝撃波。そして、消える大嶽丸の巨体。

衝撃から腕で顔を庇う陽晴達が腕の隙間から見たのは、羽虫でも払ったかのように片手を薙いだ後の酒呑童子の姿だった。ただし、その手は拳が握られているが。

そう、裏拳で一発。

それだけで鬼の巨躯がぶっ飛んだのだ。

進路上の木々が総じてへし折れ、暗い森の奥へ即席の道が出来ている。一拍遅れて、かなり離れた場所から更に轟音が響いてきた。おそらく、ようやく今、地面に着弾したのだろう。

言葉では表現し得ない、圧倒的な膂力。

それが否応なく、見ていることしかできない者達の意識に浸透し、心胆を氷結させる。誰かの生唾を呑み込む音が微かに聞こえた。

一人、陽晴だけが表情を険しくし、見定める眼差しを酒呑童子へと向けている。現代最強の陰陽少女とはいえ、とんでもない胆力だ。

と、そこで、

「おぉ~い! 夜々之緋月(ややのひづき) さぁん? ちょっと手を貸してもらえると嬉しいんだけどぉ?」

なんとも間の抜けた、シリアスを踏み躙るような声がほわわんと。

酒呑童子は呼び声に応え、しゃなりとした仕草で光の穴――〝龍穴〟の縁にしゃがみ込んだ。裾が大きくはだけているので、むっちりとした太ももと、その奥が見えそう……いや、計算しているのか絶妙に見えない!

〝毎夜の惨劇を以て月を緋色に変える者〟〝夜ごとに白き髪を緋色に染める姿は、妖しきもう一つの月〟――故に、〝 夜々之緋月(ややのひづき) 〟。

そんな由来を持つ真名は、既に千年以上、誰も呼んだことがなく、彼女の許可なく呼ぶことも許されない。

現代において唯一それが許された男に、夜々之緋月はうっとりとした眼差しを向けた。片手を己の頬に当て、熱い吐息を漏らしながら、悩ましそうに引き攣り顔の浩介を見下ろす。

「どうしんしょうかぇ?」

「え!? 助けてくれないの!?」

合力するって言ってたよね!? と動揺をあらわにする浩介に、夜々之緋月はこれ見よがしに溜息を吐いた。

「にくたらしいお人でありんすねぇ?」

「何が!?」

「あれほど焦らしておきながら、再会すれど愛の一つも 囁(ささや) いてくりんせん。一日千秋の思いでありんしたのに……わっちは都合の良い女でありんすね?」

「なんかごめんなさいねぇっ!!」

袖で口元を隠し、小首を傾げる姿は愛らしい。が、目が笑っていない。仄暗い情念を感じさせる金色の瞳が、不誠実な男をなじるようにじっとりと見ている! もしかすると、浩介が約定を半ば忘却していたこともバレているのかもしれない。

「わ、 詫(わ) びます! 詫びます! なんでもお願い聞くから手を貸してくれ!」

「ん? 今、なんでもと?」

「あ、いや、限度はあるからね?」

「ふぅん? それなら……」

はんなりと微笑んだ夜々之緋月は、戦々恐々としている浩介に早速詫びを入れさせた。

「名を、もう一度、呼んでくんなまし。過去に幾度か許した呼び名故、愛しの君には……そう、緋月と」

浩介だけの呼び名。愛称。

真名は秘するというのもあるのだろう。が、それ以上に、浩介だからこそ口にして欲しいと願う伝説の鬼は、あの妖精の世界で数多のヒャッハー共を従える〝 姐御(あねご) 〟というより、恋する乙女のようで。

浩介は一瞬言葉に詰まり、しかし、直ぐに困ったような笑みを浮かべながらも、ひと文字ひと文字を大切にするように口にした。

「緋月」

「ふふふ。ようざんす」

緋月の声音が弾んでいる。だが、おしゃべりはここまでだった。引き上げも今しばらくお預け。

なぜなら、呆然としていたのは何も陰陽師達だけではなく、この他愛ないおしゃべりの時間は、自失から帰還するに十二分の時であったから。

『馬鹿な。あり得ない。あり得るはずがないっ!!』

黒衣の男だ。両目とも既に失って血涙交じりの土くれを垂れ流すだけとなった眼孔が、浩介と夜々之緋月――改め愛称〝緋月〟を捉えている。

声質が驚愕から憤怒へと変わる様がよく分かった。

無理もないだろう。次善手として残しておいた切り札が、まさか相手の逆転の一手になるなどと誰が想像しようか。しかも、敵と通じている様子まである。確かに、あり得ない。

浩介はなんとなく思った。死ぬほど苦労した某大迷宮のウザレディがここにいたなら、

『切り札だと思った? ざんねぇ~ん! 致命的失敗(ファンブル) でしたぁ! ねぇねぇ、今どんな気持ち? イキりまくった後に自爆するのって、どんな気持ちになるの? ねぇねぇ! 教えてよぉ! プギャーッ!!』

とか言いそうだ、と。未だに軽くトラウマなので幻聴が聞こえてくる。

『貴様ァッ、何をしたっ!! ナァニをしタァっ!!!』

土くれの触手だけではない。時間経過で男が朽ちるに比例して実体化していく九つの尾が、意思を以て伸びた。

浩介が「あ、やべっ」と声を漏らし、宙吊り状態の藤原達が絶望的な表情になる。

「無粋な」

緋月の目がスッと細められた。それだけで発せられた膨大な血色の妖気が、大瀑布の水圧の如く土くれと九尾を打ち落とした。

「愛し合う男女の逢瀬を邪魔する輩は、馬に蹴られて死になんし」

浩介の「待って。愛し合うってところ訂正を――」という言葉は華麗にスルーして、緋月は、浩介達を支えている鋼糸をぐいっと引っ張った。

『逃がさんぞぉっ!!』

九尾のうち、六本が放射状に伸び周囲へ突き刺さった。光が満ちていて見えないだけで、どうやら物理的にも穴が空いているらしい。

体を固定し、残りの三本の尾を操って下方の藤原三人に巻き付く。

そこから瘴気が三人に流れ込むのが分かった。瞬く間に彼等の瞳が色を失い、上方の仲間を引き吊り落そうと暴れ始める。更に、三本の尾は下から順番に正気を奪いにかかる。

「くそっ、本当にしぶてぇな!」

「なんとまぁ、九尾も九尾でいいように使われて情けない」

浩介が悪態を吐く中、緋月は見苦しいものを見たと言いたげに溜息を吐く。心の温度差が激しい。彼女にとっては、きっと黒衣の男も藤原達も等しく木っ端な存在で、興味の対象ではないのだろう。

だから、人の身は人が守ると言わんばかりに。

「玉帝有勅 蕩滅妖気 災禍消除 邪狐退散 急々如律令ッ!!」

幼くも裂帛の気合が迸る言霊が降り注いだ。三尾が弾かれ、藤原の三人から黒い瘴気が抜け出て霧散し、その瞳に正気が戻る。

「陽晴ちゃん、ナイス!」

「……おや」

緋月が、そこで肩越しに振り返り目を細めた。

少し離れた場所で、陽晴が、緊迫した面持ちでありながら一歩も引かぬと言わんばかりの覇気を纏って立っていた。刀印を作り、白い光を迸らせている。

距離があっても的確に状況を察し、一部の顕現に過ぎないとはいえ封印が破られ生贄を得た九尾を相手に、その呪詛を跳ね返して一族を守っているのは天晴見事の一言だ。

だからだろうか。酒呑童子たる伝説の鬼が、そこでようやく〝個人〟を認識した。

怖気が、陽晴の背筋を撫でるようだった。人の本能が、自然と後退りさせようとする。

なので、むしろ一歩を踏み込む。睨み返す。

緋月の金の瞳が陽晴のそれと絡み合い、妖しく輝いた。

瞬きの間に、緋月は何かに納得したようにうっすらと笑みを浮かべ、不意に視線を外した。

「まったく。これだから人の世というものは」

どこか楽しげに、僅かに牙を剥くように言い捨てて。

袖を払い、腕を振り上げる。

そして、

「愛しの君に、卑しい獣如きが触れるなど許しんせん」

拳を一撃。龍穴の縁に。

轟音と激震。だが、衝撃は拡散せず。代わりに、

『ぐぁぁ!?』

黒衣の男を固定していた六本の尾が一斉に砕け散った。

(衝撃の伝播!? それも、なんて繊細にっ)

思わず目を剥く浩介。

その間にも、ほとんど土くれと化していた黒衣の男の体も、振動破壊を受けたみたいにボロボロと崩れ落ちていく。

「ほぅれ、いきんすよ?」

「のわぁっ!?」

浩介と黒衣の男を入れて十人分の重みだが、そんなこと微塵も感じさせず、緋月が改めて鋼糸を引っ張った。余計なことをされる前にと、カツオの一本釣りのような勢いで。

冗談のようにぽぉ~んっと龍穴から飛び出し、宙を泳ぐ浩介達。藤原の者達が「わぁああああ~~っ」と悲鳴を響かせる。

追ってきた三本の尾も、絡みついていた土くれの触手もまとめて、ついでのように緋月の手刀で切断され霧散する。

当然、一人、途中で引き離されて落下した黒衣の男は、龍穴の縁に辛うじてしがみつき、

『おのレっ、オノれ!! カクなルウエはァッ!!』

あっという間に復活した九尾と土くれを緋月へと向けた。

自ら縁より手を放し、龍脈へと落下しながら。

人語すら怪しくなり、崩壊の止まらない肉体。もはや、数十秒と持たないだろう。

もう一度地上に上がって藤原を捕らえることは不可能だ。だから、せめて酒呑童子だけでも道連れにしようと最後の足掻きをみせる。

もちろん、

「緋月!! そいつを落とさないで――」

「汚らわしい!!」

叩き落とす。動作だけは上品に、とんでもない風圧が発生するほどの張り手によって。

浩介の言葉もスルーしちゃうくらい、どうやら彼女は九尾の狐さんが嫌いらしい。

結果は当然。

『クソァッ、呪ワレよっ、古キ封じニ我が血肉を捧ゲンッ!!』

最期に何やら呪詛を撒き散らしながら、黒衣の男は光の奔流へと呑まれて消えた。

まさに、〝凄絶〟と称するに相応しい最期だった。

そうして。

(なんか嫌な予感がするな――って!?)

空中で反転して着地姿勢となりつつ、きっと受け身を取る余裕なんてないに違いない八人の藤原を風遁で浮かせて軟着陸させようとする浩介。

だが、その瞬間に右腕の鋼糸を通じて、とんでもない勢いで引き寄せられた。

犯人は言うまでもなく、赤らんだ頬と潤んだ瞳が実に 淫靡(いんび) な鬼女。

「ちょっ、待ってぇっ」

思わず焦る。本能的な焦りも多分にあるが、左腕の鋼糸が彼等に繋がっているので、一緒に引っ張られると風遁の座標外に出てしまいグシャッといってしまう。

必死に左腕の鋼糸を外しつつ、ずれた落下地点に風遁をかけ直す。

そのせいで、ウェルカム状態で両手を広げる鬼の 姐御(あねご) からは逃げられず。

「おっぷぅ!?」

「あぁんっ」

辛うじて藤原達が怪我なく地面に転がったと同時に、立派を通り越して、むしろ凶悪ですらある極上のクッションに顔面ダイブした。

ああ、夢の如し。

いや、男の夢とかそういう話ではなく、連日見ていた夢と同じだね、正夢だねっていう意味だから。と、誰とは言わないが暗黒の目をしがちな金髪サイドテール博士娘に念を送る。

「ふふ、ようよう捕まえんしたぇ?」

「んんむぅっ!?」

身長差が約1.5倍あるので、まるで母が子を抱き締めるような構図である。地を離れたままの浩介の足がバタバタともがき、両手が顔面を素敵に拘束する二子山を押しのけようと埋もれる。

「愛しの君。ああ、こんなに色気を魅せて。本当にいけないお人」

「んむ? んんっ!? ふんむぅ!?」

浩介から声にならない絶叫(?)が響いた。腕に生暖かく柔らかい感触がぬるりと走ったのだ。

見ずとも分かる。鋼糸で裂けた腕の傷口から滴る血に、彼女が舌を這わせたのだ。

ちょっとだけ、浩介の声が色っぽかったのは気のせいか。他の女に舐められてゾクゾクしちゃったら、違う意味でゾクゾクさせる女の子が襲来するかもしれない。

と、そんな浩介のいけない悲鳴を聞いたからだろうか。一番近くの女の子が張り詰めた声を上げた。

「遠藤様から離れなさい」

それで大晴やご老公達、そして服部も我に返り、新たに場を支配する強大な妖魔に身構える。敵意も悪意も向けられていないにもかかわらず、今すぐにも逃げ出したいと思う心を必死に押さえつけながら。

大晴達には目もくれず、陽晴にのみ流し目を送る緋月。

「口の利き方を知らんのかぇ? 小娘」

一触即発の空気だ。いや、緋月の方は若干、面白がっているだろうか。

とにもかくにも、おっぱいに埋もれている場合ではない。

ちゅぱちゅぱぺろぺろされてしまった右腕は、もういろんな意味でダメなので放置しつつ、左腕で転移用の小石を投げようとする。

だが、その前に、意外にも。

「とはいえ、良い面構えでありんす。小娘、鬼気くらいは防げような?」

唐突にそんなことを言って、緋月がぽぉんと柔らかく陽晴の方へ浩介を投げる。

陽晴は「遠藤様!」と案じるも、直後にはハッと森の奥へ視線を投げた。

――GRAAAAAAAAAッッ!!!

幾つもの半ばからへし折られた木々が、即席の砲弾となって襲来した。

「大嶽丸ッ、まだ生きて!!」

「そら、あの程度で昇天しとったら伝説にはならんよ?」

緋月が初撃を片手で弾き飛ばす中、陽晴は苦い表情ながらも迅速に両手で印を組んだ。握った左手の人差し指を右手で包み込み、「オン・アビラウンケン!!」と響かせる。

金剛界大日如来への守護を嘆願する真言が即座に不可視の結界となり、森の奥から濁流のように流れ込んできた瘴気と、にわかに高まった緋月の血色の妖気から、浩介や服部、大晴やご老公達を守った。

と同時に、緋月の口元がニィッと裂けた。次弾の丸太をのけぞりながら回避し、更に通り過ぎる前に鉤爪のように広げた右手をぶち込む。

メキャッと丸太が悲鳴を上げた。右手の五指が丸太にめり込み、握り込まれた部分が圧縮されて取っ手のように変形する。

右足を大きく引いて、地面を抉るように踏ん張り、腕力と合わせて豪速が生み出す慣性の力を完全に殺す。

そして、次々と飛来する丸太を片腕一本で振り回す丸太で冗談のように粉砕していく。

よく見れば、キャッチした丸太には血色に似たオーラが纏わりついている。おそらく、それで耐久力が上がっているのだろう。飛来する丸太ばかりが一方的に粉砕されていく。

衝撃に次ぐ衝撃。轟音に次ぐ轟音。一瞬でやってきた戦場は、振り回される丸太が生み出す暴風で荒れ狂った。

吹き飛ばされそうになって身を低くする大晴とご老公が、青ざめた顔で叫ぶ。

「こ、これはまずい! 避難させねば!」

「大晴殿! 我等が行きましょうぞ!」

緋月の背後側にいて陽晴の結界に守護されている自分達はともかく、龍穴に近い場所に未だ倒れ伏している藤原一族や健比古達は、余波でうっかり死にかねない。

濃密な妖気だけでも命に関わるのだ。そこに、砕けた丸太の残骸が散弾の如く飛び散ってくるのだから物理的にも危うい。

決死の覚悟で、ご老公が土御門の術者達に命令を下そうとする。命をかけて藤原を守れと。ピクリとも動かない健比古が、先ほど叫んだように。

だが、鬼の戦域に後衛職が突貫するなど自殺行為以外のなにものでない。

「やめろ! 俺がなんとかするから!!」

「し、しかし! 我等の失態がこの事態を――」

「知るか! 俺は陽晴ちゃんに、あんたをビンタさせるって約束してるんだよ! 今更死なせてたまるか!!」

既に、黒衣の男から藤原を守った土御門の術者が四人、龍穴に消えてしまったのだ。

これ以上は一切許容できない。と、浩介は問答無用に話を切り、ありったけの小石型転移用アーティファクトを取り出した。

それを、密集している藤原一族と健比古達のもとへ投擲する。

バラバラと小石が彼等に降り注ぐ。数投げれば当たる方式だ。三十人以上いても、どれかが誰かを効果範囲に収めているだろう。というか、収まっていて! と祈りつつ、使用者と空間的位置を入れ替えるそれを、浩介は寸分の誤差なく一斉に発動した。

「ひえぇ!?」

「遠藤様ぁ!」

陽晴の周囲に藤原一族と健比古達が出現し、代わりに暴風域のど真ん中に浩介が現れた。

視界が切り替わった途端、直ぐ目の前に弾き飛ばされた丸太が迫っていて、悲鳴を上げながら必死のリンボーダンスをする。

間一髪だ。あと一瞬遅れていたら、浩介はもちろん、藤原一族の数人がミンチになっていた。

「何をしとるんね? お疲れのようやから、あの小娘の近くに逃がした言うんに」

丸太は枝葉付きなので、そろそろ周囲が木々の残骸で埋もれ始めている。

それが鬱陶しいかったのか、適当に蹴り飛ばしながら歩み寄ってくる緋月が、こてりと小首を傾げる。

「愛しの君は、ゆるりとしとってくれてええんよ?」

「いやいやいや、今、死体が量産されるところだったからね!」

「? 何か問題でありんすか?」

「……そうだった。この人、鬼だった」

陽晴だけは〝比較的に使えそうな小娘〟だと思えたので、非物理の防御なら任せられると認めたようだが、やはり、彼女は鬼。人死に対し感慨はなさそう。

「緋月、戦場を変えたい」

「ふぅん?」

「あんたにとっては路傍の石でも、俺は彼等のために命をかけてる。俺に合力してくれるというのなら、俺の意志を無視しないでほしい」

いつの間にか止まった丸太砲弾。だが、森の奥から噴出する妖気は、先程とは比べものにならないほど増大している。

そんな中、疲弊しきった体に鞭打ち、真っ直ぐに己を見つめてくる浩介に、緋月はぶるりと身を震わせ、んんっと喘ぐような声も漏らし――

「無理でありんす」

「え!?」

まさかの却下。しかしそれは、浩介の意志を無視するという意味ではなく、

『ォオオオオオオッッ!!!』

既に、戦場の変更は手遅れという意味で。

咆哮は斜め上から。ドス黒い瘴気の尾を引きながら巨躯の鬼が隕石の如く落下してきていた。

「えぇ!? さっきよりデカくなってる!?ってか、軌道調整してない!?」

「少し力を取り戻したようざんす」

〝飛行自在〟は大嶽丸の伝承の一つ。肉体も顕現が進んでいるのか、身長は既に緋月を僅かばかり超えるほどで。

しかし、緋月には特に驚いた様子もない。むしろ、ちょっと嬉しそう。乙女の顔から、〝ヒャッハー共が崇拝する喧嘩上等の姐御〟に戻っていく(?)というべきか。

唐突にむんずと掴まれる浩介の襟首。またもぽぉんっと後方へ投げ飛ばされる。

「俺のことホイホイ投げすぎじゃない!?」

「愛しの君が万全なら、共闘もまた一興」

なにせ、発狂状態なうえ、限りなく疲弊していた状態とはいえ、正面から戦って己を打倒しているのだ。浩介の強さに疑いの余地は持ってはいない。

とはいえ、今は浩介の方が酷く疲弊した状態。

そこで、助けてくれと頼まれたのだ。喚んでくれたのだ。(半ば喚ばせたとも言うが)

ならば、

「委細承知しました故、愛しの君。わっちに花を持たせてくんなまし」

惚れた男の期待に応えてやりたくなるのが、夜々之緋月という鬼女の心根。

惚れた弱みだと笑顔を浮かべて、死ぬほど尽くして魅せましょう、と。

「――ッ」

見返り美人とはよく言ったもの。浩介が、否、大晴達すら状況も忘れて息を呑んだ。見惚れた。

元より傾国傾城と称すべき美貌だが、その笑顔に宿る 艶(あで) やかさと言ったら。

鬼というより、むしろ天女……

「死に晒せ」

『GRAAA――ッ!?』

否。鬼は、やっぱり鬼だった。

辛辣な言葉と同時に十分に捻った上半身がバネに弾かれたように正面に戻り、そのエネルギーを余すことなく右腕に集束。頭上より体当たりをしかけてきた大嶽丸に、それはそれは見事な 昇竜○(アッパーカット) が炸裂した。

金属同士が衝突したような轟音が響き、大嶽丸の巨体が嘘のように放物線を描く。

地面に落ちるや否や地響きが発生。

大嶽丸は直ぐに起き上がったが、明らかに首がへし折れており、顎どころか顔面の下半分が消滅している。一拍遅れてドサドサと落ちたのは極太の両腕だ。そう、大嶽丸は両腕を吹き飛ばされていた。

おそらく、咄嗟に両腕でガードしたものの意味をなさなかったのだろう。いや、ガードしなければ、あるいは頭部が丸ごと消し飛んでいたのか。

「見るに堪えんよ。まるで獣じゃありんせんか」

返答の代わりに、大嶽丸が再び咆えた。瘴気が爆発したように噴き出し、瞬く間に両腕も顔半分も再生する。と同時に、その眼光が――大晴達を向く。

「この期に及んで、まだ藤原を!?」

もしや、生贄となった女の執念が未だ残っているのか。

ドンッと爆発じみた勢いで踏み込んだ大嶽丸に、陽晴が迎撃の真言を唱えようとする。が、その必要はまったくなく。前に黒と彼岸花の着物の裾が翻った。

「アハッ」

大嶽丸の背後に一瞬で飛び込んでくる緋月。

嗤っている。牙を剥くようにして、愉しげに。収縮した瞳孔には狂気すら感じる。

戦場と闘争に狂喜乱舞している姿は、まさに鬼。

だが、そのままぶん殴るのではなく、脇腹への抉り込ませるような拳打で真横に吹き飛ばしたのは、きっと闘争に陶酔していても、浩介との死人を出さない約定を守るためだろう。

「鬼が敵に背を向けるとは、恥を知りなんし」

侮蔑の言葉を理解できたのか。単に殴られたからか。地面を抉りながら停止した大嶽丸の鬼眼に、より一層強烈な憤怒が宿った。

咆哮一発。途端に大嶽丸の周囲の空気が凍てつき、ビキビキと音を立てながら氷の剣やら槍やらが創出・射出された。

「え? 鬼ってあんなこともできんの!?」

「は、はい。大嶽丸の伝承の一つにございます。かの鬼は、鬼の伝説の中でも別格なのです」

鬼と魔法がイメージ的に結びつかず、思わず驚愕の声を漏らす浩介。

幾十・幾百の氷剣と氷槍が緋月に殺到し、しかし、その全てを背後の浩介達に届かせないために回避せず受ける。

否、そもそも回避など不要なのだろう。何せ、防御すらしていない。当たるままに任せ、だが一切の傷を負わずに進撃する。

その光景に生唾を呑み込みながらも陽晴が説明するに、大嶽丸は他にも暴風と雷電、火の雨を操り、分身までしたとか。

戦闘力のインフレを起こした漫画のラスボスみたいな存在だ。それを、神仏の加護を得ていたとはいえ正面からぶっ飛ばしたらしい田村丸も大概である。

だが、本来なら同格以上の相手であるはずの大嶽丸相手に、

「明らかに緋月の方が圧倒してるよな……」

現実は、浩介の所見通りだった。手を貸す必要性が見当たらないほど、伝説の鬼同士の戦いは一方的だった。

氷の武器が通じず、接近を許した大嶽丸が雄叫びを上げながら殴りかかる。

それを正面から受けて立つ緋月。

殴打殴打殴打。重ねて殴打。

戦えば戦うほど大嶽丸の力は膨れあがっていくようで、拳打の応酬は既に秒間十数発という凄まじいものに。

肉を打つ生々しい殴打音が絶え間なく響き続け、一撃ごとに衝撃波が発生して空気が放射状に吹き飛ぶ。

余波だけで常人なら木っ端微塵になりそうな暴力の嵐。

その嵐に乗って吹き荒ぶ妖気だけでも殺人的だ。今のうちに龍穴を閉じてしまおうと考えていた陽晴が、一瞬の隙を晒してしまう危険性を考えて結界に集中せざるを得ないほどに。

だが、圧されているのは大嶽丸の方だ。一撃ごとに吹き飛ぶ肉体の一部。その再生も徐々に遅くなっている。

「各々諸説あるので、一概にどちらが強いとは言い切れないのは確かですが……」

陽晴が、戦慄の眼差しを緋月に向けている。比較的に近くにいる大晴やご老公達が、それとなく聞き耳を立てている中、陽晴は浩介に問うた。

「遠藤様」

「う、うん?」

「 あ(・) れ(・) は(・) 、いったいなんですか?」

陽晴の霊視的直感は、あれを酒呑童子だと言っている。

だが、あまりにあり得ない。

「なぜ女性の姿を? 知己に見えましたが、どういうご関係でしょうか?」

酒呑童子が女の姿など、どの伝承にもない。百歩譲っても、伝承の存在と、なぜ浩介に繋がりがあるのか。それも、鬼が執着するほどの強い繋がりが。

何より、おかしいのは酒呑童子が強すぎること。

確かに、大嶽丸の生贄は女一人にすぎず、十分な依代がない以上、肉体的スペックが伝承より劣るのは当然だろう。無理な封印破りのせいか未だ明確な意志もなく、暴風雷火の権能も使えない様子だ。

だが、それを言えば酒呑童子も同じだ。むしろ、角一本のみで、なぜ顕現できたのかも疑問なレベルであるから、はっきり言って大嶽丸を相手に圧倒していることが理解できない。

ほら、今も、とうとう大嶽丸が分裂して一体増えたというのに、

「なんとまぁ脆弱な!!」

両手であっさりとそれぞれの顔面を掴み、一瞬の浮遊の後、地面に叩き付けた。

容赦なく片方の頭部を踏みつければ、まるでトマトを潰すような容易さで弾け飛ぶ。

大嶽丸の分裂体が解けて瘴気に戻り、しかし、直ぐに二体目、三体目と出す。が、やはり、大鎌を薙ぐが如き蹴りにより、まとめて粉砕されてしまう。

戦えば戦うほど大嶽丸は強くなっているが、なお届かない。

アハハ、アハハハッと哄笑を上げ、闘争に高揚して頬を染め、血潮に酔う緋月の有様は、まさに鬼だが……

「あのような鬼の伝承を、わたくしは寡聞にして存じません」

チラリと大晴やご老公へ確認の視線を向ける陽晴。意味を汲み取った大晴とご老公も首を振った。

「遠藤様。あれは、いったいなんですか?」

再度の問いに、浩介は困ったように眉を八の字にして、頬をポリポリ。

「酒呑童子だよ。ただし、〝本物〟だけど」

「本物? それはどういう……」

「妖魔というのは異世界で生まれるんだ。幾つもある異世界から想念を吸い上げて、似た想念と混じり合って、一つの命として生まれてくる」

酒呑童子が女性なのは、たぶん他の世界の似た伝承の影響。断じて日本のサブカルチャーのせいではない、と思いたい。

そんな苦笑い雑じりの説明に、陽晴達が困惑するのが分かる。当たり前だ。突飛にすぎる話なのだから。

とはいえ、今は一から十まで説明している時間はない。

「歴史上の妖怪の類いは、妖魔達が故郷の世界から想念の源流を辿って送った分身みたいなものなんだよ」

「え、えっと?」

「でも、彼女は違う。緋月は本体だ。妖魔達の世界に召喚された際に、まぁ、いろいろあって俺に恩義を感じてくれてるみたいでさ。呼べば助けるって約束してくれたんだよ」

そりゃあ、ずっと封印されていた栄養不足の分御魂の妖魔と、正真正銘の本物の妖魔では、根本的にスペックが違うのは当然の話だろうな。と、自分なりの考察を伝える浩介。

陽晴の視線が困ったように宙を彷徨い、助けを求めるように大晴達へ向く。だが、大晴達も、どう判断していいのか分からないらしい。

「ああ、一応、補足しておきますが」

唐突に発言したのは服部だった。政府の人間として、一つ、情報を提供する。

「政府は、帰還者の方々が有する超常の力と、その力が異世界に起因することを、内々ではありますが認めていますので」

陽晴達は、ますます困ったような表情になった。直ぐに呑み込み理解しろという方が難しい話なので無理もない。

「申し訳ございません、遠藤様。情報量が多くて、直ぐに理解するのは……」

「ああうん。また後でゆっくり説明するから。とりあえず――」

「遠藤君。君が、本物の酒呑童子を味方につけている、と考えておけばいいということだね?」

「そうですね。彼女の気が変わらないうちは」

「変わるようには見えませんでしたがな。……最強格の鬼を惚れ込ませるとは。歴史上の陰陽師達が泣きますな」

藤原と土御門の陰陽師達が、遠い目をするご老公の言葉に、一斉に頷いた。

あり得ない。あんた、いったいなんなの? むしろ、あんたが一番こえぇよ……と。

「そ、それより! そろそろ終わりますよ!」

なんとも居心地が悪く、浩介は話題を逸らした。

視線を戦場に戻せば、とうとう再生しなくなった大嶽丸が、緋月に下段蹴りを叩き込まれて両足が消し飛ぶところだった。

ズガンッと凄まじい粉砕音が響いた後、大嶽丸の巨体が仰向けに倒れる。

「もう終いでありんすか?」

『グッ、ガァッ』

「久方の世。言葉の一つ二つと思いんしたが、 あ(・) ち(・) ら(・) も未だ狂った身となれば無理もありんせんか……」

呻き声を上げ、睨み付けてくる大嶽丸。

弱体化していても、流石は鬼というべきか。戦意が衰える様子はまったくない。伝承の通り、首だけになっても飛びかかって食らいついてやろうという殺意が滲み出ている。

なので、

「アハッ、それでこそ鬼よなぁ!!」

実に楽しそうに、マウントを取る緋月さん。

殴る殴る殴る殴る殴る!! お前がミンチになるまで殴るのをやめない! と言わんばかりに!

「そぉら! そぉら! 反撃しおし! あちらでわっちを屈服させようとした気概はどこへいったぁっ!?」

ドパンッズドンッと殴打としてはあり得ない砲撃のような衝撃音が幾重にも重なる。

瞬く間に〝見せられないよ!〟のモザイクをかけるべきミンチが出来上がっていく。殴打の音が次第に、ドグチャァッ、ズチュルアッという正気を削る音になっていく。

返り血を浴びて緋色に染まっていく純白の髪。

血色に輝く妖気と相まって、なるほど、まさに〝夜々之緋月〟だ。

「え、遠藤君。確認するが、彼女は君のために戦っているのだよな?」

「た、たぶん……」

大晴の震える声音に、浩介は引き攣り声で応じた。凄く不安そう。

なんとなく察してはいたのだ。

だって、圧倒的なのに圧倒しないのだもの。まるで大嶽丸が力を増すのを待っていたみたいに。

浩介の願いには応えたい。その気持ちは本物だろう。

けれど、闘争に喜びを見出すのは鬼の 性(さが) 。

どちらも緋月を形作る 真(まこと) 。

故に、〝遊び〟がないとは言えない。はしゃぎすぎて、うっかりこちらがドグチャァッされないかだけが心配だ。

と、その時、ミンチへの道まっしぐらだった大嶽丸からスパークが発生した。そのうえ、

「グァアアアアッ、キサマァッ!!」

ここに来て初めて、人語が飛び出した。

暴風雷電を操る権能と同時に、僅かに意思も取り戻したらしい

至近距離からの雷撃と圧縮された暴風を受けて、初めて緋月が後退させられた。

大嶽丸が〝飛行自在〟の権能で浮き上がる。再生能力を喪失し、四肢すらもなくして、まさに満身創痍。権能も十全には程遠いレベルしか使えなそうだ。

だが、だからこそ、そこまで〝分御魂〟が無様にやられて、かの鬼神は目を覚ましたらしい。

「シュてぇんッ。てめぇ、ダン、ナにぃ、なにシてクレテんだァッ!?」

空耳でなければ、己を〝旦那〟と称した大嶽丸が、怒髪天を衝く様子で咆える。

「ようよう目を覚ましんしたか。相も変わらず鈍いこと」

「アァ!?」

どこからともなく取り出した扇子で口元を隠し、これでもかと見下す目を向ける緋月。

かと思えば、一転。

にっこりと魅力的な笑みを浮かべ、パシンッと閉じた扇子で浩介を指し示し、

「わっちの旦那様でありんす」

なんてことを言い放った。

大嶽丸が一瞬、怒りも吹き飛んだみたいにキョトリとした目となり、次いで、すいっと浩介に視線を向ける。

浩介くん、ビックゥッと震える。咄嗟に「誤解です!」と、なんで伝説の鬼に間男みたいな言い訳しなきゃいけないんだと絶望しつつも言おうとするが、

「分かるでありんしょう? わっち、本体」

「……」

「愛しの君に世界を越えて迎えられたでありんす」

「……」

「もちろん、明かしんした。お前さんや他のしつこいお間抜けさん方が、あれほど欲したわっちの真名を」

怒涛の、完全な真実でもないけれど大体は間違っていない言葉が放たれていく。

陽晴達は何が起きているのかと混乱しているが、浩介は察した。

なるほど、一瞬で終わらせなかったのは鬼の性もあるが、どうやら妖精界ではモテモテらしい酒呑童子さんは、しつこい男共――たぶん、旦那を自称しているらしい大嶽丸がその筆頭――を切り捨てるために、わざわざ意思を取り戻させたのだろう、と。

きっと、この分御魂を通じて、妖精界で正気を取り戻したに違いない大嶽丸の本体さんは、盛大に騒ぐに違いない。そして、問答無用に拡散されるのだ。

あの酒呑童子に男ができたぞ! と。

浩介の瞳が、取り返しのつかない悲劇を見たように曇る中、幸せいっぱいといった様子の緋月さんは、弾む声音で止めを刺した。

「わっち、この人と幸せになりんす!」

ぶちっと、何かが切れる音が。

「テンメェエエエエエエエッ」

伝承の再現か。上半身はあれど、四肢なき状態で飛翔し、その顎門を以て 浩(・) 介(・) に(・) 襲い掛かる大嶽丸。

ですよねーっ!! と半泣きになる浩介を背に、緋月は不敵な笑みを浮かべて立ち塞がった。

ずんっと杭を打ち込むように大地を踏みしめ、弓を引き絞るように右腕を引き、 巌(いわお) の如く拳を作り、血色の妖気を爆発的に噴き上げて――

「 さようなら(おさればえ) 」

竜巻の如き妖気が一瞬で右腕に集束。形成された巨大な血色の拳が、急迫した大嶽丸を正面から殴り飛ばした。

鼓膜が破れたかと思うほどの轟音が響き、指向性を持った衝撃波が進路上の大地を耕し、木々が根こそぎ吹き飛ぶ。

断末魔の悲鳴もなく、肉片一つ残さずに、大嶽丸は消滅した。

ほれぼれするような右ストレートの姿勢で残心する緋月。

一拍おいて、ふぁさと着物の裾と白い髪が重力に従った。

緋月が振り返る。浩介に、はにかむような笑顔を見せてくれる。少し照れ臭そうに髪をいじる姿は、実に愛らしい。

全身、返り血で染まってさえいなければ。

「なるほど。これは酷い」

清武を筆頭に陰陽師の大半が腰を抜かす中、大晴がいろんな意味を込めて呟いた。たぶん一番大きいのは大嶽丸への同情心だろうが。決して、こんなギャグ要員みたいな扱いをされてフェードアウトしていい存在ではないから。

もう既に、そんな大嶽丸のことを忘れたような緋月が、浩介の方へしゃなりと歩み寄ってくる。

「愛しの君。期待には応えられたでありんしょうか?」

「あ、はい、それはもう。悪い意味で期待以上というか、たぶん絶対、余計な敵が増えた気がするけど……まぁ、取り敢えずそれは後で考えるとして」

ん? と小首を傾げる、憎たらしい鬼女さんに、浩介は溜息を一つ。大量の酒呑童子ファンな大妖あるいは神魔の類に恋敵認定されてそうな絶望を振り払い、気持ちを切り替え、笑みを浮かべた。

そして、

「えっと、まだ言えてなかったよな。来てくれてありがとう。助かったよ」

「……ふふふ」

浩介の礼に、世界を越えて助けにきた伝説の鬼は、本当に嬉しそうに、少女のような笑みを浮かべたのだった。

そうして、愛しの君を抱き締めようとして。

「……」

「……」

小さな障害に阻まれた。

怯むことなく正面切って向かい合うのは、当然。

陽晴だった。

大晴パパ&ご老公ほか一族の皆さん、プチパニック。