軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

トータス旅行記⑥ オルクス大迷宮~受け継がれるヤミ~

太陽の光が降り注ぐ蒼穹の世界に、巨大な物体が流れていた。

ハジメのアーティファクトである飛空挺フェルニルである。綿菓子のような雲がまばらに浮く空の上を滑るように飛行している。

本来はゲートを使ってホルアドの町まで転移するつもりだったのだが、愁達が「せっかくなので異世界の空を飛んでみたい」と願った結果だ。

「うぉおおおおおっ」

「ほぁあああああっ」

奇声を発しているのは言わずもがな。南雲夫妻である。後部甲板の手すりに掴まり、身を乗り出すようにして異世界の絶景を眺めていた。奇声は、感動故らしい。

そして、奇声こそ上げないものの、異世界の空と地上の山々、草原、そして時折見える中世風の町や村に感動しているのは、白崎夫妻や畑山昭子、八重樫家の面々も同じようだ。

今見ている光景自体も感動ものなのだろうが、地球的に言えば高高度を飛行中の航空機の外で周囲を眺めているようなものなのだから、未知の経験は大人であっても心躍るのは無理からぬことだろう。

「息子! お前はすごい!」

「息子! あんた最高!」

「そりゃどうも」

半身で振り返って、ビシッと指差す菫と愁。言葉といい、事前に打ち合わせでもしたのかと思うような見事なシンクロだ。ハジメ的に、物心ついたときからなので今更だが。

両親の言動と喜びように苦笑いを浮かべるハジメに、智一が少し興奮気味に尋ねた。

「ハジメ君。この前衛的な船体はなんだい? 動力は? これほどの巨体が、どうしてこんな形なのに飛ぶんだい? というか、この高度で息苦しくもなければ、風すら微風しか感じないというのは……」

今にも詰め寄ってきそうな智一に、ハジメは苦笑いを深めながら説明した。

曰く、フェルニルは重力石による重力中和効果や重力方向の調整で移動しており、正確には〝飛行〟というより〝落下〟であるということ。

曰く、動力は魔力であり、ハジメが搭乗している限り、どこにいようと自在に動かせること、結界が張ってあるので風量も調整できること、などだ。

あと、前衛的な船体――マンタみたいな形はハジメの趣味であり、航空力学とか、そんなもんは知らん、ということ。

「いや、なんというか、ほんとにファンタジーだな……」

「ふふっ、お父さん、お父さん。ハジメくん、すごいでしょ?」

「……」

むっつり黙り込む智一さん。娘が眼前に回り込んで回答を催促してくるが、くるりと回って視界から追い出す。香織が再びくるるんと回り込む。智一、くるりっ。香織、くるりんっ。

白崎父娘がくるくるくるり。

父娘の飽くなき攻防なのだが、傍から見ると超仲良し親子にしか見えない。自然、微笑ましそうな雰囲気が満ちる。

智一さんが、なんだか助けて欲しそうな目で見ている! 妻を。

薫子は困った人達を見るような目をしつつ、視線を転じてハジメを見た。丸投げしたらしい。話題を転換してくださいな!

ハジメは、肩を竦めて了承を伝えると、少し考える素振りを見せた後、にやっと笑った。

「おい、ティオ」

「む? ……ああ、なるほど。くくっ、構わんぞ」

つうと言えばかあのノリで意思疎通をするハジメとティオ。

全員の視線がハジメとティオに向けられると同時に、二人は揃って甲板の端へと歩き出した。

「ユエ、操船を頼む」

「……ん。楽しんできて」

ふふっと笑うユエは、案の定というべきか、ハジメとティオの意図を完璧に把握しているらしい。魔力をフェルニルに注いで操船の主導権を受け取りながら、優しく微笑んだ。

「父さん、今から飛びっきりのファンタジーを見せてやるよ。男なら憧れずにはいられないファンタジー中のファンタジーをな?」

「なに? ハジメ、いったい何をする気――」

息子の言葉にわくわく顔を隠しもしない愁だったが、次の瞬間、その表情は凍り付くことになった。

ハジメとティオが飛び降りたが故に。

フェルニルからぴょんっと、あまりにもあっさり。

「へ?」

「え、あれ?」

愁と菫がぽかんと呆ける。智一達も口を開けたまま呆然としている。

が、次の瞬間、わぁあああああっ!? と驚愕の絶叫を上げて甲板の手すりに飛びついた。

ユエ達嫁~ズが平然としているのにも気が付かない様子で、いきなり投身自殺を図ったハジメとティオを視線で追うべく、手すりから身を乗り出して下方を見ようとする。

その瞬間だった。

――グルァアアアアアアアッ!!

大気を攪拌するような、壮絶で勇壮な咆哮が耳朶を打った。

思わずビクッと体を震わせて後退る愁達。

その視線の先で漆黒の巨大な影が下から上へと通り過ぎた。

昭子や薫子が思わずぺたりと尻もちをつくような迫力と共に空を駆け上がったのは、もちろん、

「ド、ドラゴン!」

愁の、驚愕と感動の声が木霊した。

知ってはいた。彼女が、書物に出てくるような、あるいはゲームに出てくるようなドラゴンに転化できることを。実際に見たこともある。

とはいえ、これほど自由に空飛ぶ姿は愁と菫も初めて。あくまで、地上で転化した姿を見ただけだった。

空を滑るフェルニルの上空を、大きく優雅に旋回する黒竜姿のティオ。

陽光を反射して輝きを見せる漆黒の竜鱗はあまりに美しく、風を掴む大きな翼と迫力満点の巨体は凄まじく勇壮。

サービスに咆哮をもう一発。今度は灼熱のブレスを添えて。

フェルニルの甲板から見上げる愁達の瞳は、陽光に負けない輝きを放ち、雄叫びにも似た興奮の声を伝えてくる。

ティオはもう一度上空を旋回すると、滑らかな動きでフェルニルに併走した。

「どうだ、父さん。いいだろ?」

珍しく、物凄く得意げに胸を張ってそう言ったのはハジメだ。ティオの背の上で腕を組んで仁王立ちしながらニヤッと笑う。

「羨ましすぎるわっ。男のロマンが目の前にぃっ」

愁が悔しげに手すりをダンダンッと叩いた。ついでに、地団駄も踏む。

ハジメは父親のそんな姿を見て快活に笑うと、ティオに言って甲板に降り立たせた。

「ティオが構わないらしいから、父さん達も乗ってみるか? 異世界でドラゴンの背に乗って空を飛んだなんて、一生ものの思い出だと思うぞ?」

「……父さん、今日ほどお前という息子と、ドラゴンなお嫁さんを持てて感謝したことはない。よろしくお願いしまっす!」

「ティオちゃん! 実はいつか乗せてもらいたいと思っていたのよ! お願い」

『ふふ、 義母上殿(ははうえどの) と 義父上殿(ちちうえどの) ならば喜んで。他の方々も家族も同然じゃからな。安全は保障する故、気軽に乗っておくれ』

頭の中に直接響くティオの声に、間近で見る勇壮な黒竜がティオだとようやく実感したらしい智一達も、絶句したままコクコクと高速で頷いた。

そうして、最初に愁と菫を乗せて、ティオは再び大空へと躍り出た。

少しは恐がるかと思えば、そこは流石ハジメの両親というべきか。最初から夫婦揃ってテンションマックスである。愁など、ひゃほ~いと叫びながら飛び跳ねるなんてことまでしている。

『……ふむ』

「ん? どうした、ティオ」

何やら感慨深そうな声を漏らしたティオにめざとく気が付いたハジメが尋ねる。すると、ティオはどこか悶えるような声音で言った。

『いやなに。ご主人様のご両親に踏みつけられるというのも、これはこれで中々おつなものじゃと――』

「ふんっ」

『ぴぎゃあああああっりがとうございます!』

ド変態な駄竜の背に、ご主人様の内臓に大変よく効く拳が突き刺さった。悲鳴を上げながらも流れるようにお礼を口にする駄竜さん。

凄まじい衝撃にガクンッと高度を下げバランスを崩す。

「――あ」

という声を一つ残して、愁が落ちた。そのまま「ぁああああああああ~~~」という間延びした悲鳴が大空に響き渡る。

ハジメが「あ、しまった」みたいな顔をしている横で、菫が「あなたぁああああ~」と絶叫を上げている。そして、その視界の端に銀色の閃光が走った。

一拍。

「もうっ、ハジメくんったら何してるの! 危うくお義父さんが地面の染みになるところだったよ!」

パタパタと銀翼をはばたかせて、香織が愁を後ろから抱えるようにして上がってきた。

パラシュートなしのスカイダイビングを経験した愁が、半分白目を剝きながら「ありがとうございます、ありがとうございますっ。生きてるって素晴らしい……」と呟いている。

「まぁ、地面の染みになっても、香織なら元に戻せるし……」

「なにお義父さんを壊れた人形扱いしてるの! もう……命を大事に、だよ?」

ある程度制約はあるとはいえ、基本的に死を超越しちゃってる魔王様一行。ハジメ本人も、「大丈夫、ちょっと死ぬだけだから。ほんのちょっとだけだから」的な考えが根付き始めている。

ぱたぱた。ぱたぱた。と、実ははばたかせる必要性皆無の銀翼を、癖らしいのだが可愛らしくはばたかせてティオの上に愁を戻す香織。

特に問題なかったと分かった途端、腹を抱えて笑い出す菫にジト目を向けつつ、愁は甲板にいる智一に向けて大声を上げた。

「智一く~~~~ん! 香織ちゃんは~、君の言うとおりぃ、確かに天使だったよ!!」

「そうだろうそうだろう! 香織は天使なんだよ! 香織ぃ~、すごかったよ~! よくやったね! でも、お父さんの寿命が五十年は縮まったから、いきなり飛び降りるのは勘弁してくれ~」

智一さん、そろそろ寿命が尽きそうらしい。

『義父上殿。すまんかったのぅ』

「いやいや、いいんだよ。ちょっとはしゃぎすぎたし。中々スリリングだったしね」

「ぷぷぷ~、あなたったら、リアルに『あ~~~』ですって! あははははっ」

旦那の醜態をとことん笑うのが菫クオリティー。

誤魔化すように咳払いしつつ、愁は話題の転換を図る。

「これから行く大迷宮というのも、かなりスリリングなところなんだろう? フリーダイビングは良い余興になったさ」

「大迷宮のスリルと、さっきのは別物だと思うが……」

そこで、菫と同じようにちょっと笑っていたハジメは、少し思い悩むような表情になった。

「父さん、母さん。俺としては、やっぱりオルクスでは表層階と、オスカーの隠れ家を見学するくらいがオススメだ。魔物との戦いは……父さん達が思っている以上に凄惨だし……」

「いいや、ハジメ。俺達はお前の辿った軌跡が知りたくてここに来たんだ。お前がどんな道を歩んだのか、それを見せて欲しいんだよ」

「……」

とはいえ、どこまで見せるべきか。ハジメ的に、奈落に落ちるまでの出来事と、ユエと出会った後のサバイバルなどは見せてもいいとは思う。

二人が、あるいは智一達が、血みどろの戦いにギブアップしない限りは。

しかし、自分が変心した当時のことは……

不幸自慢などまっぴらごめんだ。わざわざ血反吐吐いているところを見せて何になるというのか。歩んだ道を知りたいなら、ユエと出会った後からでも十分だろう、と思う。

が、その辺り、菫と愁が納得してくれるか……

うまくスルーできればいいが、と考えることしばし。

『くくっ。迅速果断が常のご主人様と言えど人の子じゃな。親の前ではあれこれ迷走すると見える』

少し笑いながらの言葉だが、そこには優しさや理解、そしてハジメの逡巡に対する愛しさのようなものが含まれているようだった。

菫と愁が反応していないことからすると、どうやらハジメにだけ送った念話のようだ。

いろいろ見透かされていることと、確かな愛情を向けられて、ハジメは気恥ずかしそうに視線を明後日の方向へ向けた。

「そうだな。家族の前では〝ティオ姫〟」

『!?』

「いつもいろいろありがとよ〝ティオ姫〟。いつも頼りにしてるぜ〝ティオ姫〟。いや、マジぱないっすわ〝お姫様〟」

『姫呼びはやめんかぁっ。はずいじゃろうが! ご主人様! 大人げないのじゃ!』

肩から力を抜いて、あぐらをかいて座ったハジメは、その堅く滑らかな鱗を驚くほど優しい手つきで撫でた。僅かに、ティオが身悶えたようにふるりと震えた。

「ティオ、大きく旋回だ。後にも期待の眼差しが控えてる。素敵な遊覧飛行を頼むぞ」

『うむっ。任せてたもう。ご主人様の黒竜がいかほどのものか、存分に味わってもらおうぞ』

息子とドラゴン嫁の、なんだかむず痒くなるような親密なやり取りに、菫と愁は疑問符を頭上に浮かべながらも優しい眼差しを向けた。

その後、智一達もドラゴンライダーを存分に堪能し、興奮さめやらないうちに、一行はついにホルアドに到着したのだった。

「……はい、皆様。ここが、かの有名な〝万感の想いを込めて告白した香織さん、あっさり振られちゃったんですけどプギャー〟事件の現場です」

「ユエぇ!!」

オルクス大迷宮の前で、いつも通りと言えばいつも通りのキャットファイトが発生した。

ホルアドの町に入ったハジメ達は、親達に、かつて自分達が滞在した宿屋や、利用したギルドなどを紹介しつつ、オルクス大迷宮の入り口までやってきていた。

そうして、ユエが放った第一声がそれだったのだ。

智一が凄まじい目つきになっている。「てめぇ、うちの天使を振るとはどういうこったぁ、あぁん!?」というチンピラみたいなガンの付け方だ。

しかし、きっと「告白が成功した場所です」と紹介されても、「てめぇ、うちの天使と付き合うとはどういうこったぁ、あぁん!?」と、チンピラみたいなガンの付け方をしたに違いない。

薫子や霧乃、昭子などが「あらまっ」みたいな興味津々の眼差しを向ける中、シアが苦笑いしながら取りなしの言葉を送る。

「ええっとですね、別に香織さんだけハジメさんに振られたとかじゃないんですよ。ユエさん以外、全員尽く振られてますからね」

「あら、そうなの? シアちゃんが振られちゃったの?」

「なんだか信じがたい話ねぇ」

今の仲睦まじい様子を知っているせいか、薫子と霧乃が目を丸くする。

そんな二人に、ミュウがにこにこしながら補足した。

「パパはユエお姉ちゃんが〝特別〟だったの!」

その言葉を肯定するように、ちょっとボロッとした香織が不機嫌そうな表情で言った。

「悔しいけど、そうだったんだよ、お母さん」

「じゃなぁ。あの頃のご主人様は、まさにユエ至上主義じゃったからなぁ」

「今もあんまり変わりませんけどね~」

ティオ、シアが懐かしそうに呟けば、愛子と雫が苦笑いしながら続く。

「そう考えると、シアさんの根性は凄かったですね。ハジメくんと再会したとき、まさにユエさん至上主義なハジメくんだったのに、堂々と『ハジメさんの女です』って宣言してましたもんね」

「ある意味、あの告白のときが香織のターニングポイントよね。あれから、香織はおかしな方向へノンストップ驀進を始めたのだし」

当事者だけで、そこまで思い出に浸れると、めちゃくちゃ気になるというのが人の心情というもの。特に、それを再現して見る方法があるとなればなおさら。

薫子が瞳を輝かせて、ユエに詰め寄った。

「ユエさんユエさん。香織の告白シーン、再現できるかしら?」

「……朝飯前ですぜ、香織ママ」

キランッと光るユエのクリムゾンアイ。力強いサムズアップ。阻止せんと襲いかかる香織……

を、羽交い締めにする香織ママ。

娘の告白シーンなど見たくない香織パパが妻を諫めようとするが、その前に発動しちゃう過去視の魔法。

そして、目の前に展開される告白シーン。

『貴方が好きです』

「やぁああああ~~、見ないでぇ~~~!」

真っ赤になった香織が両手で耳を塞いでイヤイヤをするが、過去の映像は容赦なく流れる。お母様方の瞳が「まぁまぁっ」と言った感じに燦然と輝く。

映像の中で、ハジメが断り、しかし、力強い眼差しと言葉で自分を魅せていく香織。

そして、映像の端に映っている、何故か股間からあれこれ垂れ流しまくっている山積みの男達……

『だって、ハジメくんを想う気持ちは、誰にも負けてないから』

「にゅわぁあああああ~」

自分の言葉を、奇怪な大声で塗りつぶそうとする香織だったが、セリフはばっちり響いていた。

ちなみに、ここは公の場であるから、当然、多数の人達がいる。冒険者とか、商人とか……。全員、「ほぅ」とか「おやまぁ」みたいな生温かい目だ。

取り敢えず、香織は耳を塞いだまま、膝を抱える形でゴロゴロと地面を転がった。羞恥心がオーバーフローして転がり狂わずにはいられなかったらしい。

映像の中の女の戦いが終わり、何故か最終的にハジメは蚊帳の外で、ユエが付いてくる許可を出し、そして不敵に笑い合う。

今なお続く、恋敵達の歴史の始まりの瞬間だった。

「改めて見ると、ハジメと香織の始まりというより、ユエと香織の始まりね。恋敵という建前の、超仲良しの」

「「仲良しじゃない!」」

ユエと香織が仲良くシンクロ反論した。とっても仲良しだった。

ちなみに、このとき光輝がハジメに決闘を挑んで穴にずぽっと落ちる映像も流れていたのだが、優しい皆さんは見事に見て見ぬ振りをした。

「うぅ、お母さんの馬鹿!」

羞恥心マッハの矛先を、薫子に向ける香織。薫子はしかし、蹲っている香織の頭を幼子にするように優しく撫でた。

「ふふ、ごめんね、香織。でも、香織、とっても格好良かったわ。流石、お母さんの娘ね。よく頑張りました」

「ぅ……お母さん……」

人前だし、子供にするみたいに褒められるのはちょっと恥ずかしい……と、香織が頬を染めてもじもじする。

「お母さんもね、お父さんを捕まえるのに、群がるゴキ――ごほんっ、女性達と戦ったのよ。昔を思い出すわ~」

「お母さん、今、ゴキブリって……ねぇ、今、女の人をゴキブリって呼ぼうと――」

「お父さんったら、それはもうモテたのよ。しかも優しさと甘さの区別がつかない人でね、どんなゴキ――女性にも優しくするから、お母さん、それはもう苦労したの」

「か、薫子? 昔のことはもういいんじゃないかな? かな? 香織の前だし、ほら皆さんもいるし、な?」

「お父さん、そんなことよりお母さんが、女の人をゴキブリって……」

白崎ご夫婦も、いろいろあったらしい。だらだらと大量の汗を掻く智一さんと、母親がナチュラルに女性をゴキブリ呼ばわりしようとしたことにドン引きする香織さん。

元祖般若の担い手、現夜叉スタン○使い――白崎薫子。

なるほど、香織は確かに彼女の血を引いているらしい。香織は、流石に他の女性をゴキブリ呼ばわりはしないが、そこは上手く智一に似たのだろう。

そろそろ人だかりが増えすぎて、これ以上は騒動になりそうな様相を呈してきた。

やっぱり門前でやることじゃねぇと思いつつ、ハジメは、「……そしてこれが、親友の思い人から刃物のプレゼントを貰って喜ぶ雫の姿です」と更にカオスを招こうとするユエを強制俵担ぎして、全員をオルクス大迷宮の中へと促したのだった。

「ほぅ、割と整備されているんだな。ゲームのダンジョンそのものじゃないか」

「ほんとねぇ。明かりは……ああ、これがハジメの言ってた緑光石ね? 天然の鉱石がそのまま照明になってるのね」

愁と菫が興味津々な様子で迷宮内をキョロキョロしている。

智一達も、もっと薄暗くて不気味な坑道のような場所をイメージしていたのだろう。意外に整備された通路を見て興味深そうにしている。

「オルクスの表層は大した魔物も出ない。けどある程度資源は採れる。下級の冒険者だけじゃなく、非戦闘員でもある程度どうにかなるレベルだから需要も多いんだ。だから、きっちり整備されている」

ハジメの観光案内よろしくの解説を、香織が補足した。

「逆に言うと、整備されていない天然の洞窟っぽい場所に出たら、戦闘職の人じゃないと危ない場所だから気を引き締めてね?」

ハジメが、そこで「とはいえ……」と言いつつ、ごく自然な動作でドンナーを抜いた。

そして、ろくに狙うこともなく引き金を引く。電磁加速はさせていないが、それでも激発の音は強烈で、場所が場所だけに大きく反響する。

空気がビリビリと震えるような炸裂音に、ハッと視線を前方に移した愁達。

そこには、頭部が弾け飛んだネズミっぽい魔物がいた。ラットマンだ。

「うっ」

「……」

薫子が口元を手で押さえ、昭子が少々青ざめる。八重樫家の面々は平然としているようだが、智一も表情が強ばっている。

更に、曲がり角からわらわらと出てきたラットマン。キィイイイイイッと耳障りな絶叫を上げ、赤黒い眼光をギラギラと殺意に輝かせる。

明確な殺意と敵意が、空気の波に乗ってやって来た。薫子は咄嗟に智一にしがみつき、腰が抜けそうになっているのを智一が青ざめた表情で支える。

傍らのユエが無言でハジメを見上げた。その眼差しの言わんとするところを察しつつ、ハジメは微笑みながら首を振る。

直後、猛然と襲いかかってきたラットマンの群れ。その数、十三体。

「お、おい、ハジメ? あれは――」

「ハジメ、大丈夫なのよね?」

愁と菫の、ちょっと動揺しながらの問いに、ハジメは行動を以って答えた。

連続する発砲音。きっちり五発。一発で数体にまとめて風穴を開け、更には貫通した弾丸が跳弾して残りの標的にも食らいつく。

秒殺、否、まさに瞬殺。

間近でみた銃撃、そしてハリウッドさながらの銃技に、愁や菫、そして智一達は唖然呆然。

圧倒というのもおこがましい。まさに、象がアリを踏み潰すかのような格の差を、否応なく感じてしまう。

何事もなかったように〝宝物庫〟を光らせ虚空に弾丸を召喚したハジメは、振り返りながら片手間のガンスピンをする。冗談のように弾丸がシリンダーに収まった、かと思えば、そのまま流れるようにホルスターへ。

「今見た通り、たとえ奈落だろうと、ここに俺の相手になる奴はいない。香織の言うとおり、好奇心が赴くまま勝手な行動をするのは慎んで欲しいが……まぁ、ユエ達もいるから危険はないと思ってもらって構わない」

殿(しんがり) をティオとシア、左右を香織と雫、愛子が固めているので、その陣形の中にいれば万に一つもないだろう。

問題は一つ。わざわざ、ユエの魔法で消し炭にしたり、香織の分解で塵芥にせず、ある意味もっとも生々しい痕跡の残る銃撃で対処した理由。

「それで、どうします? やっぱり、オスカーの隠れ家に直接行きますか?」

主に、薫子や昭子に向けての質問。

今回の戦闘で、戦いにおける生々しさはよく分かっただろう。魔物とはいえ、目の前で生き物が弾け飛んだのだから、トラウマもののショッキングな光景である。

しかし、この先で見るだろう過去の映像は、今以上に凄惨なものになるのだ。今のうちに、一度心を改めておいた方が良いだろう。

そう思ってのハジメの気遣いに、動揺の激しい薫子と昭子の様子を見た菫が、二人だけでも隠れ家で休んではどうかと提案する。

どうやら、菫と愁は引かないことが前提らしい。あくまでハジメの軌跡を追うつもりのようだ。

薫子は、智一を見た。智一は、未だ少し青ざめながらも強い眼差しで頷く。薫子は、ついで昭子を見た。愛子に気遣われ手を握られている彼女も、一度愛子をしっかり見ると、薫子に視線を転じて力強く頷いた。

それを見た薫子は、どうやら覚悟が決まったらしい。

「いいえ、大丈夫よ、ハジメくん。私達にも、あなた達が進んだ道を教えてちょうだい。……私も、娘の辿った道が知りたいわ」

「……分かりました。けど、無理はしないでください。機会は今回だけというわけじゃありません。必要なら、俺はいつでも、どこでもご案内します」

笑顔を取り戻して礼を言う薫子を見て、ハジメはしょうがないと困ったような表情で肩を竦めた。

最初の関門をクリアし、当時の思い出を語りながら先へ進む。

途中、可愛らしいアライグマのような魔物が出たりして、

「くきゅ?」

「うっ」

可愛いもの好きの雫がちょっとためらう。この魔物、戦闘能力はほぼ皆無なのだが、可愛らしい外見で近づき一噛みで強烈な麻痺毒を仕込んでくる戦闘スタイルだ。なので、ためらっても危険はないのだが……

「はぁ、こういうタイプって苦手――」

「えいっ」

スパンッと、気持ちの良い音を響かせて、「くきゅ?」と鳴くアライグマちゃんの首が飛んだ。

犯人は香織さんだった。

首元から噴き出す血の噴水を背景に、笑顔で振り返る香織。

「雫ちゃん、大丈夫だよ! こういうのは私に任せて!」

「……はい」

コロリと転がったアライグマちゃんの虚ろな瞳が、どこか恨めしそうに雫を見ている。

雫は遠い目をして返事をした。きっと、その視線の先は、心優しく暴力とは無縁だった過去の香織がいるのだろう。

雫の後ろで同じように遠い目をしている香織パパと香織ママも、きっと懐かしき娘を思い返しているに違いない。

それから、鷲三達が、「もう辛抱たまらん! 戦わせて!」と言うので、娘監督のもと実体験してもらったりしつつ進むことしばし、ハジメ達は遂に六十五階層に続く二十階層の部屋に到着した。

取り敢えず、岩に擬態していたロックマウント数体を、分解したり、風穴を開けたり、ペシャンコにしたり、消し炭にしておく。

「ここが運命の分かれ道ってやつかな。今は撤去されているけど、あの場所にグランツ鉱石っていう見た目は綺麗だが六十五階層に転移させるトラップがあったんだ」

ハジメの説明を受けて、智一が複雑そうな表情で尋ねる。

「……聞いたよ。香織を、一度は殺した子が、そのトラップを動かしたんだろう?」

「ええ、そうです。あいつは香織に気があって、それでグランツ鉱石に手を伸ばしたんです」

「私が、あのとき興味を示さなかったら、どうなってたのかな……」

運命は変わったのだろうか。香織は、複雑そうな表情を見せる。

ハジメは、そんな香織の頭をぽんぽんと優しく撫でながら言う。

「変わらなかっただろう。一つの原因で動いたわけじゃないはずだ。……蔑みの対象で、実際に無能な奴で、なのに自分の好いた女が気にかけている。学校での日々、そしてこのトータスに来てからの全てが、あいつの中にあった殺意の種を育てさせたんだ」

そして、文字通り〝魔が差した〟のだろう。彼に、檜山大介という人間に、その悪魔の囁きに抗う強さはなかった。

「良い意味でも悪い意味でも、気にする必要はありません」

異世界で死んだ子のクラスメイトを想い、その所業を聞いていても複雑な思いが顔に出ている智一達に、ハジメはきっぱりと揺るぎない口調で言う。

「あいつはもういない。俺が殺しました。奴のことにしろ、奴の身内のことにしろ、皆さんが心煩う必要はない。あるとしても、それは俺が背負うものです。俺の背負うもののことで勝手に煩われても困りますので」

背負うつもりは全くないけどね、とは空気を読んで言わない。

突き放したようなキツい物言いだったが、そこに智一達への心配りがあることはよく分かる。智一達は、少し表情を和らげた。

それでも、なおどこか影を落とす雰囲気を変えようとしたのか、我等のユエ様が一歩前へ。

「……安心して、香織。ハジメの言うとおり、何も変わらなかった」

「ユエ……」

慈愛すら感じるユエの微笑みに、香織もまた表情を綻ばせ……

「……そう、な~んにも変わらなかった。ハジメは必ず私と出会ったし、香織は必ず振られてた」

「ユエ?」

ふふんっと胸を張るユエ様。

「……だって、ハジメ言ってたし。たとえ過去に戻れたとしても、『俺は何度でも同じ道を辿る』『ユエに会いたいからだ』って」

むふふっと、上品に口元に手を添えて笑うユエ様。香織が笑顔のまま額にビキッと井形を作る。

「……そう、ハジメは私に会いに来る。香織を置いて! 香織を置いて! 何度でも――」

「ブンカイ!!」

銀閃がユエの頭上を掠りながら迸った。分解魔法を纏った大剣の突きが放たれたのだ!

咄嗟に身をかがめなければ、ユエは先程のアライグマちゃんになっていた!

「……と、頭皮が、頭皮がちょっと削れた、かも」

「チッ、外しちゃったか」

両手で頭を抱えて、「頭皮を削られる経験は一度で十分なのに……」と、ちょっと涙目になっているユエ様。かつて、ハジメにバキュンされたときのことを、未だにきっちり覚えているらしい。

「……このっ、香織め! 本当のことを言われて怒るなんて大人げない!」

「ユエが悪いんでしょ! それに、私まだ十代だし! ユエとは違うもん! あれ、そういえば、ユエさんユエさん、今おいくつでした?」

「……ぶっコロ」

「かかってこぉい!」

まるで息をするように喧嘩を始めるユエと香織。

確かに空気は戻ったのだが……少々、呆れを感じてしまうところだ。

どったんばったんと取っ組み合いしながら、

「トラップにかかってなかったら、絶対いろいろ変わったんだから!」

「……変わるわけない! どんな道を辿っても、ハジメは私と出会う運命!」

「だ、だったら、閉じ込めておけばいいんだよ! 宿屋とか王宮とか……とにかく閉じ込める! あの頃のハジメくんなら私でも拘束できるし!」

「……監禁!? 酷い!」

「ひ、酷くないよ! 全部ハジメくんのためだもん!」

「……香織のサイコさん! 危ない香織に監禁させるくらいなら、私がハジメを監禁するし!」

「ダメ! 私が監禁するんだから!」

「……私がっ、監禁っ、する!」

カンキン、カンキン! ハジメをカンキン! と連呼しながら掴み合い引っ張り合いするユエ様と香織さん。

珍しくも青ざめた表情で、かつ、震える声でハジメが口を開く。

「やべぇな、過去の俺。檜山云々以前に、香織とユエの監禁バッドエンドが隣り合わせだったとか……見てくれ、この腕。鳥肌すげぇだろ」

そんなちょっと震えているハジメの肩を優しくぽんぽんしたのは、意外にも智一だった。

「ハジメくん。大丈夫さ、最後は愛が勝つ。私もね、かつては薫子に監禁されたものさ」

このおっさん、いきなり何とんでもない暴露話してんの……と、ハジメだけでなく、取っ組み合いしている二人以外の全員が思った。薫子だけは、「やだ、あなたったら」と何故か恥ずかしそうにもじもじしているが。

「最初はね、通い妻みたいに甲斐甲斐しく世話を焼きに来てくれるだけだったんだけど、そのうちに私の部屋に彼女の私物が増えて、いつの間にか同棲みたいになっていて……」

「あ、あの、智一さん?」

ちょっとガクガクしながら、遠い過去に想いを馳せる智一さん。なんだろう、どんどん瞳から光が消えていってるような……

「外出は常に一緒で、大学で別の講義を受けてもいつの間にか教室の外で待ってくれていて……」

「お、お~い! 香織! 喧嘩を止めて親父さんを見てやってくれ! なんかやばいぞ!」

だんだん虚ろな目になっていく智一さん。

「買い出しは薫子が全部やってくれるから、デート以外では外に出る必要もなくてね。けど、そのデートもだんだん、家の中で映画を見るとか、まったり過ごすとかそんな感じのものになっていって……」

「薫子さん! 旦那さんの目が死んでますけど!?」

薫子さんは、旦那が語る結婚前の話に頬を染めて身悶えていらっしゃる。

「あれはいつのことだったかなぁ。大学の女の子達と飲みに行くことがあって、次の日、薫子は言ったんだ。『もう大学に行かなくていいわ。全部、私に任せて。智一さんは、ずっとこの部屋にいればいいの』って……」

「香織ぃっ!! やばいのはお袋さんの方だった! あ、いや、お前も十分にやばい奴だったな! ちくしょうめ!」

智一さん! 正気に戻ってください! と、ガクガク揺さぶるハジメ。

智一はハッと我を取り戻すと、未だにカンキンッカンキンッと騒いでいる娘を見やり……

「ハジメくん。やばいときは、私に連絡しなさい。いろいろ相談に乗ろう」

「……はい、ありがとうございます、智一さん。香織がいよいよ〝あれ〟な感じになったら、そのときは経験談でも聞かせてください」

今、幸せそうな夫婦なのだから、きっと智一は、かつての薫ヤン子と上手くやってきたのだろう。

ハジメ的に、初めて、智一がとても頼もしい大人に見えた。

そして、素直に、ちょっと引き攣った表情で助力を乞うハジメに、智一もまた感じるものがあったのだろう。

二人は、互いに力強い握手を交わした。

ハジメと智一。ちょっと心の距離が近づいた瞬間だった。

その後、実はハジメと出会うまでのハジメの軌跡を追うのを楽しみにしていたミュウが、喧嘩ばっかりでちっとも前に進まないと、ユエと香織を諫めた。

前に出て、二人に向けて「仲良しなのは分かったの! だからもう少し大人しくして欲しいの! ユエお姉ちゃんも香織お姉ちゃんもメッなの!」と指を突き付けたのだ。

まさか、五歳児の幼女に「大人しくしましょう」と注意されるとは……

メッされたユエと香織は意気消沈し、ミュウの前で正座して「……香織がはしゃいで、すみませんでした」「ユエがうるさくして、ごめんなさい」と謝罪した。

そうして、気を取り直した一行は、遂にゲートで六十五階層の、あのトラップの行き着く先へと転移したのだった。