軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ありふれたアフターⅡ 光輝編 シンクレアの王都にて 後編

「大丈夫ですか? 勇者さま」

「ぜんっぜん大丈夫じゃない! なんでここにいるの!? というかいつの間に!?」

バックンバックンと跳ね回る心臓を服の上から握り締めるようにして、光輝はすくみ上がりながら声を張り上げた。

王族に対する敬語も忘れ、素の口調でツッコミを入れる。

それくらい、にっこり微笑んで背後に忍び寄っていたクーネたんは怖かった。普通にホラーだった。「もうこの幼女やだっ」と全力で叫びたかった。

「ふっふん! 勇者さまにも気が付かせないクーネの〝こっそり術〟はすごいでしょう!」

「すごいとかいうレベルじゃない……≪気配感知≫にもかからないなんて……」

「う~ん。≪気配感知≫というのがどういうものか詳しくは分からないですけど……勇者さまの意識、完全にどこかへ行ってましたよ?」

こてんっと首を傾げるクーネ。曰く、気が完全にそぞろで、かつ疲れ切っている状態で、自分の特技と天恵術を併用したので忍び寄ることは割と簡単だったらしい。

「天恵術を併用? 確かクーネ様のそれは≪再生≫だったんじゃ……」

「ふふんっ。砂漠に緑を取り戻せるので≪再生≫と言われていますけど、その本質は恩恵力の集束・定着・調整という直接干渉術なのです」

なので、大気中に含まれる微量な恩恵力と自分の恩恵力とを調整・調和させることで、より存在が分かりにくく――詳しく言うなら〝同化〟することができるのだという。

「クーネ式〝こっそり術・レベル2〟なのです」

「王族固有の能力を、なんてことにフル活用してるんだ……」

光輝は頭痛がしてきたのか自身のこめかみぐりぐりと指で揉みほぐす。

「勇者さま、勇者さま。少しクーネとお話しませんか?」

「……いや、もう休みた――」

王族に対する敬意を完全にどこかへ飛ばしてしまっている光輝は、クーネの誘いをあっさりと断ろうとした。

が、ふと合った視線。クーネの眼差しを見て思わず言葉に詰まる。

とても深かったのだ。ハッと息を呑むほど。そこには切実で切迫した感情が宿っていた。奔放で悪戯好きでお転婆な王女の姿とは異なる、何かを秘めた者の瞳。

「少しお話しませんか?」

「……なんでしょうか?」

光輝の返答に口元をほころばせるクーネ。トテトテと歩き光輝の隣に立ってオアシスの方を――引いては王都を見やる。

「今日はどうでしたか? 王都は良いところでしょう? 皆、いい人達ばかりだったでしょう?」

「ええ、とても。とてもいい人達でした。明日をも知れない現状を分かっていながら、絶望なんてなくて……誰もが何かを選択して、それが正しいと……自分を誇っていました」

クーネはコクリと頷いた。だが、その表情には何故か、王都の案内をしていたときに見せていたような自慢げな様子は微塵も見られない。むしろ、感情を失ったかのように無表情だ。

天真爛漫な様子しか見たことのない光輝は、またしても息を呑む。

「救いたくなりましたか?」

「……やっぱり、それが狙いでしたか」

光輝は嘆息した。予想通り、クーネはただ天真爛漫なだけの王女ではなかったと。

「はい。 それも(・・・) 狙いの一つです。勇者さまには迷いがおありのようでしたから」

おそらくモアナにも聞いたのだろう。光輝が戦うことに迷いを持っていることを。≪暗き者≫にすら戦わずに済む道を示そうとしたことを。

人懐っこいクーネだが、あるいは自分は全く信用されていないのかもしれない。それも当然だろうと、光輝はそんなことを思って無言のままクーネを見やる。

「クーネは 一応(・・) 、王族ですから、民を救って欲しいと思います。シンクレア王国が、いえ、人間という種族が、既に限界であることは分かりきったことです。勇者さまに頼らずにして救いはないでしょう」

「クーネ様?」

でもね、と続けたクーネに、光輝は訝しげな表情を向ける。そして、次ぐ言葉に絶句した。

「状況的に、あるいは勇者さまの心情的に、無理だと思ったのなら――逃げてください」

「なに、を……」

救って欲しいといいながら、もう後がないのだと言いながら、光輝の判断で逃げてくれという。見捨てて構わないと、救わなくていいと、そんな信じられないことを言う。

「ただし、そのときは是非、お姉ちゃんを連れて逃げてください」

他の全てを置いていって良いから、姉だけを生き延びさせてくれ。その言葉に、光輝はやはり返事ができない。否定故ではない。クーネの考えが分からないから。

混乱する光輝に、クーネはようやく視線を合わせる。

「勇者さま、ご自身の世界に帰る方法に見当がついてますよね?」

「なっ、なんでそれを……」

「お姉ちゃんに聞きました。勇者さまは最初に、帰れるか確認したって。つまり、最初から帰ることが前提なんですよね。でも、分からないという返答に対し、勇者さまは取り乱した様子もなかったと聞きました」

すなわち、帰還の方法に見当がついている。

「でも、おそらくそれはご自身でどうにかできる方法じゃない。タイミングか、何か特殊な事象または物が必要なのか――あるいは、お迎えが来るのか」

「どうして、そう思うんです?」

「だって勇者さまは殺すことも戦うこともお嫌いですよね? それを求めてくる世界なんて絶望的ではないですか。それで帰れないなんて言われたら、普通はもっと絶望するし取り乱すはずです。勇者さまにまだ余裕があるのは、帰れると確信しているからです」

「……はは、参ったな」

十歳にも届かない幼い女の子に見透かされた。おまけに、光輝の反応から自分の推測は間違っていなかったと確信したような素振りも見える。かまかけでもあったらしい。

光輝は苦笑いを浮かべずにはいられなかった。

まだ余裕がある。それは事実だった。

雫達が光輝を見捨てるはずがないのは明らか。異世界に召喚された事実はリリアーナから確実に伝わり、そう遠くない内にゲートは開くだろう。帰還は間違いなくできるはずで、いざとなれば彼の魔王の如く、知ったことじゃないと切り捨てることだってできるのだ。

苦しいのは自身の心のせいであり、切羽詰まっているわけではない。

ある意味、だからこそ、こんなにも自身の心情にのみ集中できるのだ。そう、この世界の危機よりも。

絶望の淵にあると分かっていながら、結局、自分自身を優先している。

光輝は思った。ああ、本当に自分はなんて卑怯な奴なんだと。

「卑怯なんかじゃないですよ?」

「え?」

まるで心を読まれたかのような言葉。光輝はハッと目を見開いてクーネを見る。

クーネは困ったように微笑んだ。

「勇者さまに、この世界への義務などないのです。赤の他人である勇者さまが罪悪感を持つ必要などないのです。なぜなら――」

――王族である自分ですら、自分の気持ちを優先して救わなくていいと言ったのだから。

「それは……」

「確かに、クーネは王都の皆が大好きですから、救って欲しいと思います。それは嘘偽りない本心です。ですが、クーネにとって一番大切なのはお姉ちゃんなのです。お姉ちゃんと全ての民を天秤にかけたら、お姉ちゃんに傾くのです。大好きな大勢よりも、たった一人の愛しい家族が大切なのです」

それはきっと王族にあるまじき言葉。

「お姉ちゃんはもう限界です。先の戦いで天恵術を使い過ぎて、もう力が残っていない。回復できないほどに酷使したのです。次にあの≪黒王≫と戦うことがあれば確実に死にます」

「あの白い髪は……やっぱりそうなのか……」

「はい。父も母も、兄も叔父も、従兄弟もみ~んな死んでしまいました。ドーナルやスペンサー達も家族同然ではありますけれど、それでも、クーネにとって本当の家族は、最愛は、もうお姉ちゃんだけなのです。クーネは、お姉ちゃんを失うことだけは――堪えられません」

悪戯の限度を超えていると分かっていて、それでも全力で戦士団の荷物に紛れ込み王都を飛び出した理由がそれだった。

お告げに従って王都を出た最愛の姉に迫る魔手。そんなことを聞けば、走り出さずにはいられなかった。王族の義務も、他者への迷惑も考慮する余地などなかった。

それが誰に対しても最悪の結末だと、余りに酷い裏切りだと分かっていても、姉が死んでしまった世界で生きていくことなど、クーネには考えられなかったのだ。姉に万が一があれば、その亡骸の傍で自刃することすらも辞さない思いだったのだ。

だから、そんな自分だから……

「ね? クーネなんて所詮、〝王女のような何か〟なのですよ」

ジョークの類いではなかった。誰よりもクーネ自身が、クーネ・ディ・シェルト・シンクレアを王族とは認めていなかった。

光輝はクーネを見つめた。この幼い少女はどれだけの想いを、その小さな体に秘めているのだろうと。

――救いを求める大勢よりも、己にとって大切な人を

光輝の脳裏に浮かぶのは、かつて同じようなことを自分に言ったあいつの姿。

自分勝手だろうか?

無責任だろうか?

軽蔑すべき〝悪〟だろうか?

「逃げるなら」

「はい?」

「俺がモアナ様を連れて逃げることを選んだなら、クーネ様も一緒なんですよね?」

光輝の問いかけに、クーネは何故かキョトンとして、

「いいえ?」

「……」

「クーネは、お姉ちゃんが生きていてくれればそれでいいのです。どこかで生きてさえいてくれれば、それだけでクーネは頑張れます。なので、女王をバトンタッチです」

やっぱりと、光輝は思った。

クーネが姉以外の全てを切り捨てる人なら、あんなに王都の人々に好かれているわけがないのだ。悪戯と称して走り回り、王都中に顔を出すわけがないのだ。

そして、聡明な彼女は、きっと敗北の未来を確信している。多くの人間が捕まり家畜とされる未来も、一部の人間がゲリラ的に戦い続けるような、そんな苦しい戦いとなる未来も、自分が彼等を支える要になることも、きっと想像しているに違いない。

彼女の天恵術≪再生≫は、荒廃した世界において、人々の生きる基盤を支えることにこそ本領を発揮するのだから。

光輝は、思わず「ならこの世界の人間全員を、どこか別の世界に」という言葉を口にしかけて、しかし、グッと堪えて口を噤んだ。

ラガルに提案したときは、本棚の全てが倒れた図書館のように心がぐちゃぐちゃだった。ただ苦し紛れの提案だった。

冷静な今では、とても安易に口にはできない。なぜなら、それを成すのは自分ではないから。対価を払えるかも分からない。払えたとしても引き受けてもらえるかも分からない。

そんな不確かな希望を口にすることはできなかった。

どこか苦しそうに表情を歪める光輝に、クーネはふっと気を抜いたような雰囲気で口を開いた。

「さて、クーネのお話は以上です。まとめると、できれば世界を救って欲しいなぁ~。あ、でも無理ならお姉ちゃんだけ連れて超逃げて! 後のことはクーネに任せな! というわけですね! クーネはクールです。超クールだと、クーネは思います!」

くーるくーね、くーねくーる! とくるくる周りながら連呼する、いつもの天真爛漫なクーネに、光輝は何とも言えない表情となる。

クーネはくるくるくーるくーねダンスをピタリと止めると、ビシッと光輝に指を差し、悪戯めいた表情を向けた。

「ではでは、本日最後の布石を打たせてもらいましょう! 勇者さま、勇者さま。王宮の西にあるテラスに絶世の美女がいるようですよ? 今行けば、お酒が入っていろっぽい美女に会えますよ! 関係を深めるチャンスかも?」

お姉ちゃんの魅力にやられて、是非、見捨てられないくらい好きになっちゃってください! という心の声がガンガンと響いてくる。

光輝は何となく聞いてみた。

「ちなみに……拒否権は?」

クーネはにっこり笑って言った。

「叫びますよ? 『いやぁーー、勇者さま、何をするんですかぁ!? クーネを部屋に連れ込んで! この〝ないすばでぃ〟に何をするんですかぁ~~~』って大声で叫びますよ?」

「速攻で行ってきます! 早く美女に会いたいなっ」

光輝は元気に答えた。質が悪いというツッコミも入れる余裕もない。

忍び寄らなくても、クーネたんは普通に怖かった。特に笑顔が。

クーネに教えられた場所へやってきた光輝。

途中、建物の陰からぬぅ~と現れたスペンサーが「このような時間にどちらへ?」と尋ねて来るということがあったが、光輝が「クーネ様の……お導きです」と死んだ魚のような目で答えると「……そうですか、申し訳ない」と同じく死んだ魚のような目で道を譲ってくれた。

過去にもきっと、いろいろあったのだろうと思わせる哀愁漂う近衛隊長だった……

さて、モアナ様はどこだろうと、光輝は視線を巡らせる。

すると、

「……光輝か?」

と、頭上から声が降ってきた。見上げれば、二階部分にあるテラスの手すりから不思議そうに見下ろしているモアナの姿があった。

尖塔により半分隠れた月を背後に、うっすらと頬を染めている姿は、なるほど、確かに艶がある。

月の光で雪のような髪がうっすらと燐光を帯びているようにも見えて、その神秘的で艶やかな姿に、光輝は思わず生唾を呑み込んだ。

「どうしたんだ、こんな場所に」

「クーネ様のお導きです」

動揺故か、まるでクーネ神を崇める敬虔な信徒のような答えをリピートしてしまった光輝。

モアナはキョトンとすると、一拍、堪えきれないようにクスクスと笑い出した。

「そうかそうか。導かれたのなら仕方ないな。ほら上がってこい。少し酒に付き合ってくれ」

「あ、はい。それじゃあ……」

妙な恥ずかしさに襲われた光輝は、あたふたしながら建物に入り階段を上る。どうやらモアナのいた場所は廊下に隣接するテラスのようで、扉は開きっぱなしだった。

広い白亜のテラスで、造形の見事な手すりにもたれながら片手のグラスを揺らすモアナ。ふんわりと微笑む姿に、光輝は再び動揺してしまった。

「さっきからどうしたんだ? 妙にギクシャクして。クーネと何かあったか?」

「……少し話をしただけです」

動揺の原因を、これ幸いとクーネのせいにしておく光輝。散々驚かされたのだから、これくらい許されるだろうと思いつつ、気を取り直してモアナの隣に立つ。

「どんな話だ?」

モアナはそう尋ねながら、自分のグラスを光輝に差し出した。

どうしたものかと光輝は迷う。見れば手すりの上にボトルが置いてあるが、グラスはモアナの持つものしかない。一人で飲んでいたのだから当然だろう。つまり、酒に付き合えというのは、自分のグラスを共有して使えということなのだが……

果たして、女王と同じグラスに口をつけていいものか……

ぐいっとグラスを押しつけてくるモアナの表情を見れば、気にするなと言っているのが分かる。

光輝は「まぁいいか」と自分を納得させ、グラスに口をつけた。琥珀色の酒は一見するとウイスキーのようにも見えたのが、味は果実酒だった。覚えのある香りと味から、おそらくククリを使ったものだろうと見当をつける。酒精も高くなく、口当たりがよくて非常に美味しかった。

光輝が気に入ったのを見て取ったモアナは嬉しそうに笑いつつ、わざわざおかわりを注いだ。

恐縮しつつ、光輝は質問に答える。

「今日、出会った人達はいい人達だったという話です」

「そうか……そう思ってくれたか」

「はい」

コクリと頷く光輝。そして少し迷う。クーネの王族としてあるまじきお願いを話すべきか。が、直ぐに頭を振るとその考えを振り払った。代わりに、もう一つのことを口にする。

「あと……貴女がもう、限界だという話も」

「……」

一瞬、モアナが硬直した。そして、何とも言えない表情になると、パッと光輝からグラスを取り、今度は自分で飲み干した。ふぅと溜息のように吐き出された息から、甘いフルーツの香りが漂う。

「酷い……戦いだったの」

「五年前のことですか?」

「うん。本当に化け物みたいな奴でね。何もないところに瘴気が噴き出したり、その全てが凄い数の武器になったり、獣になったり。あんな≪暗き者≫、見たことがなかった」

口調が戻り、その眼差しを過去へと飛ぶ。女王の仮面を外した、ただのモアナとしての言葉なのだろうと、光輝は黙って耳を傾けた。

「軍勢も凄い数でね、誰も彼も必死に戦った。私も、≪加護≫の力を使い続けたわ。だけど、どれだけ死に物狂いで戦っても、みんな死んでいくの。どれだけ≪加護≫を使っても、守れないの」

天恵術≪加護≫による恩恵力の光は、瘴気の侵食を防ぐことができる。それはすなわち、≪暗き者≫が使う瘴気を成形して武器として振るうタイプの攻撃に対し、絶大なる防壁にもなるということ。

モアナは、地獄のような戦いの中で戦士達を守る役目だったのだ。

だが、現実には、どれだけ力を振り絞っても守り切ることができなかった。守護者としての役割を理解していた彼女の無力感はどれほどのものか……

「命を捧げる覚悟だったわ。あの戦いで力の全てを出し切るつもりだった。だって、生き残るべきは私じゃなくて、兄であるべきだったから」

「それは……」

思わず口を挟みかけた光輝だったが、モアナの茫洋とした瞳と、その中で渦巻く激しい後悔に言葉を止められる。

「兄の≪天光≫は、殺傷能力に長けた天恵術だったの。父達が命を捨てて作った隙を突いて≪黒王≫に深手を負わせたのも兄よ。あのとき、≪黒王≫の最後の反撃から兄を守れてさえすれば、まだ望みはあったのに」

モアナの兄――ナーダ・ディ・シェルト・シンクレアは、父王達の命を代価に、確かな一撃を≪黒王≫へ叩き込んだ。だが、致命傷級の深手を負った≪黒王≫は、最後の最後で渾身の一撃を放ったのだ。

結果、技後硬直の隙を突かれたナーダは死に、≪黒王≫も部下に運ばれて撤退するという結末となった。

モアナは、ナーダを守るために死力を尽くして≪加護≫をかけていたのだが、それが及ばなかった。モアナの命が尽きる一歩手前でナーダは死に、≪加護≫は強制解除されたのだ。

彼女の後悔とは、もし≪黒王≫の反撃の瞬間に全ての命を注ぎ込むような≪加護≫を使えていたら、兄は助かったのではというものだ。

当時はそれが全力だった。だから、考えても詮無いことではある。が、考えずにはいられないのだろう。

「逃した≪黒王≫を討つには兄の≪天光≫がもっとも有効だったの。≪暗き者≫を討伐した後、世界を元に戻すにはクーネの≪再生≫が不可欠よ。世界が必要としているのは、こんな絞りかすみたいな私じゃないのよ」

「言い過ぎです、モアナ様」

更にもう一杯、果実酒を呷って自虐的なことを口にしたモアナの手から、光輝はそっとグラスを取り上げた。

モアナは光輝へ視線を向けた。ジッと見つめながら、ポツリと零す。

「ねぇ、光輝。クーネに、私を連れて逃げて欲しいって言われなかった?」

「――ッ」

「あはは、あの子ったら、やっぱりそんなこと頼んでたのね」

姉妹揃って、どうしてこうも自分の意表を突いてくるのか。光輝は八つ当たり気味に内心で愚痴をこぼす。

「どうして分かったんです?」

「もちろん、お姉ちゃんだからよ」

「姉妹揃って、察しが良すぎですよ」

「ふふっ」

少しだけ楽しげに笑ったモアナは、その軽いノリのまま釘を刺した。

「私は逃げないからね? 無理矢理っていうのは勘弁よ?」

「……そんなにボロボロになって、それでもまだ戦うんですか? 次は耐えられないと分かっているのに?」

「うん」

あっさりと、死ぬ道を選ぶ。その言葉に、光輝の中の何かが嫌にざわめいた。

「……どうして、そんなに強いんだ。どうしてみんな、俺にできないことをあっさりやってのけるんだ。死ぬかもしれないんだぞ。戦うってことは誰かを殺すってことなんだぞ。怖くないのか?」

「光輝……」

「どうしてなんだ。どうして、そんな選択肢を迷いなく選べるんだ。どうすればそんな風に迷いなく、自分に自信を持って生きられるんだっ」

まるで八つ当たりのように声を荒げて、光輝は睨むようにモアナを見つめる。

「どうすればっ、君のように〝正しい〟と思える選択ができるんだっ」

モアナは瞑目した。それから困ったように笑い、弱々しいと思えるほどの声音で言葉を紡いだ。

「迷いがないと思う? 後悔がないと思う? そんなことないわ。いつだって迷ってるし、たくさん後悔してるわ。光輝は、私を買い被りすぎよ」

実際、ついさっき後悔を一つ口にしちゃったところじゃない。と言われて、光輝はハッと目を見開いた。

そうだ。兄を守れなかった。あのとき、もっと出来たんじゃないか。もっと力を尽くせたんじゃないかと、自分を貶めるほどの後悔を口にしていたではないか。

光輝は我を失っていたことに恥じ入るように俯いた。

「それどころかね、結構どうしようもない人間よ? 本当は、光輝を罵りたくてたまらないのを頑張って耐えてるくらいなんだから」

「え?」

「どうして〝今〟なんだって。救ってくれるというなら、どうして五年前のあの日に来てくれなかったんだって。それはもう理不尽な気持ちを抱いてるのよ。お門違いもいいところだって分かってるから、頑張って口にしないようにしてるの」

結局言っちゃったわね、とばつ悪そうに頬を掻く。光輝はしばらく呆然とした後、「八つ当たりはお互い様だから」と苦笑いで応じる。

モアナは真剣な表情になると、光輝へ真っ直ぐな眼差しを向けた。

「クーネの想いは分かってるつもり。王族としての責任も感じてる。自分の選択が多くの人の命運を握ってると思うと恐くて逃げ出したくなるし、何が正しいのかなんて私にも分からない。でもね、一つだけ分かってることもあるの」

「それは?」

――今、逃げて、生かされても、私は救われない

逃げるという選択の果て、生き延びたとしても、それは救いではないのだという。

「光輝も同じでしょう?」

「俺も?」

思ってもみない言葉だったのか、光輝が胡乱な表情となった。モアナはそんな光輝がおかしかったのかクスクスと笑いながら、そっと人差し指を突き出した。

うっすらと沢山の細かな傷が見える、だけど、むしろ美しいとすら思える指が、そっと光輝の眉間を撫でる。

「いつもここに皺を作って、苦しそうな顔で悩んで、でも決して考えることを止めないじゃない。勝手に呼び出されたのに、批難するでもなく、それどころか悲鳴を上げながら殺したくない相手を殺して、私達を救ってくれたじゃない」

「それは……」

「出会った人達の想いも、クーネの願いも、私の選択すらも全部受け止めようとして……〝そんなにボロボロになって〟って言葉、そっくりそのまま返すわ」

眉間を撫でる指先が、ツーと光輝の頬に流れた。その指先の感触が、何故かとても心地よくて、光輝は無意識に目を閉じた。

「でも、やっぱり逃げないのよね? 全部投げ出して、忘れたふりなんてできないんでしょう?」

「……ああ。それだけは、できない」

「だって、それは救いじゃないものね?」

「ああ……」

「ほら、一緒じゃない」

「そうだな」

目を開けば、意外なほど近くにモアナの顔があった。甘いフルーツのような香りが鼻腔を擽り、煌めく翡翠の瞳が光輝の心を捕らえる。魅入られたようにモアナを見つめる。何故か、モアナも視線を逸らさなかった。

穏やかな夜風が肌を撫で、心地よい無言の時間が流れる。

「……ギリッ」

「スペンサー、し~~! 今いいところなんだから邪魔しちゃいけません! 邪魔はいけないと、クーネは思います!」

ささやき声(?)がする~りと流れた。

そろりそろりと、モアナが光輝から距離を取った。光輝は、「きっと≪気配感知≫は無断で休暇を取ってるんだ……」と自分に言い聞かせた。

そして、表情を引き攣らせながら扉の方へ視線を向けると、そこには扉の陰でハンカチを噛みながら鬼の形相をしている近衛隊長と、にま~~~という感じの笑みを浮かべている黒幼女がいた。

「モアナ様。美味しいお酒と有意義なお話、ありがとうございました。そろそろ休ませていただこうかと思います」

「う、うん、そうね。じゃなくてっ、ごほんっ。そうだな。今日はいろいろあって疲れただろう。ゆるりと休むがいい」

咳払いして取り繕うモアナに一礼して、光輝はスタスタと扉へと向かう。もはや隠れる気もないらしいクーネが、何故か光輝にサムズアップしている。スペンサーが「責任……」とか何とか呟いている。取り敢えず全部無視する。

「光輝!」

扉を出る寸前、モアナが声をかけた。振り返った光輝に、モアナはちょっとクーネ達を気にして視線を泳がせつつも、直後には真っ直ぐ視線を定めて口を開いた。

「光輝が、正しさにこだわるのは……誰かを救いたいと思ってるからだろう? 間違えることを恐れるのは……誰かを傷つけるのが怖いからだろう? それは、こう言うと光輝は嫌がるかもしれないが、私は、光輝の〝優しさ〟だと思う。だから、だからだな。――少なくとも、光輝の誰かを思うその気持ちだけは〝正しい〟。私は、そう断言する」

「……モアナ、様」

なんだか無性に泣きたくなった光輝は、しかし、みっともないところは見せられないとグッと歯を食いしばった。

そして、絞り出すように一言、

「……ありがとうございます」

そう返した。

傍らで、「計画通り!」という黒い笑みを浮かべている幼女を視界の外に追い出しながら。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

少し時間は戻り、光輝が王都の案内を受けていた頃。

最前線の砂漠地帯を越えた未だ緑豊かな西の地において、とある領地の領主が悩ましげな唸り声を上げていた。

「どういうことだ。この報告書に誤りはないのかね?」

「はい。私自身も視察しましたが、間違いありません」

執務室にて、報告書を片手に難しい顔をしている領主は、やがて頭を振ると決然とした表情となった。

「陛下に書簡にて奏上する。使者に準備するよう伝えよ。クーネ様に、至急、お越し頂かねばなるまい」

「承知しました。直ちに」

家臣が慌ただしく執務室から出て行くのを見ながら、領主は深く息を吐いた。

「嫌な、予感がするな……」

その呟きは溶けるように虚空へ消えた。