軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第595話 あるケルピーライダーの憂鬱(後)

クリックはその声に驚いた。

何故と言って、まず場所が場所だ。

ここは海上であり、後ろから急に話しかけられるなどということはまず、有り得ない。

それに加えて先ほどからクリックは部下達と話しながら、周囲を警戒していたのだ。

自分たちの会話を人族に聞かれるわけにはいかないためである。

蜥蜴人(リザードマン) の索敵能力は単純な気配の察知のみならず、体温まで見ることが出来る特殊な構造の眼球を持っており、暗闇でもはっきり視認することが可能だ。

そしてここは周囲に遮るモノのない、海上である。

どうあっても自分たちから姿を隠すことなど不可能であるのに、その声の人物は急に出現したのだ。

驚くなと言う方が無理な話だった。

クリックは急いで後ろに振り返り、その人物を視界に入れる。

特に、変わった人物ではなかった。

見た目は……人族、ないしエルフに酷似しているが、その姿がそのまま種族を表しているとは限らず確定は出来ない。

たとえばクリックの主とて、普段は人族にしか見えない形を取っているが、その本性はそれとは異なるのだ。

この人物もまた、何らかの方法で正体を隠している可能性はないではない。

だが、とりあえず視界に移っているのは白髪の、水色の瞳を持った女のそれだった。

海面に立っている……というか、僅かに浮いているようで、浮遊系の魔術を使っているのかも知れない。

だとすると、魔術師か……?

しかし、なぜ人族の魔術師がここに?

自分たちを排除しに来たのだろうか。

確かにルカリスの人間からすれば今のクリックたちは極めて目障りな存在であり、理由としては納得が行く。

ただ、こんな風に気配すら感じさせずにやってくることが出来るのであれば、もっと早い段階で来ていても良かっただろうとも思う。

分からない。

全く状況が読めないが……しかし、何事もとりあえず対話から始めて悪いこともない。

幸い、というか、先ほどこの人物は確かにクリックに話しかけてきたのだ。

ということは、多少なりとも会話するつもりはある、ということではないだろうか。

まぁ、そうでないとしても、駄目で元々だろう。

最後には命をかけて戦うしかないのだ。

そう思ってクリックは口を開いた。

「……何者だ? なぜここにいる?」

月並みな台詞だが、何か企んでいるわけでも何でもなく、純粋に心の内から出てきた素直な質問だった。

それさえ分かれば、その目的もおぼろげながらにでも理解できるだろう。

全く分からずともとりあえず考察の材料にはなる。

そう思っての台詞だったが、女はクリックが思いもよらなかった言葉を返してくる。

「……さて。カンヘルが近くにいると思って話しかけたのですが、どうもただの使いっ走りの方みたいですね? しかし随分な貧乏くじを引かされましたね……まぁ、彼女も私がここにいるとは予想外だったでしょうが……」

カンヘル。

それはクリックの仕える、魔王の名だった。

カンヘル・アハヴァ。

鱗持つ者の王にして、空の王でもある女傑の名だ。

名前自体は、知っている者は知っているし、驚くことでもない。

ただ、通常であれば彼女のことを恐れ、決して口にはしない。

特に、彼女のことを知っていれば知っているほどに、だ。

少なくともクリックは口にする気にはならない。

どうしても呼ばなければならないときは、あくまでも陛下とか主上とかそんな呼び方になる。

あの方、というのもあるな……。

ただ、名前その物は言わない。

それなのに、目の前の女は、彼女のことを知っているらしいのにもかかわらず、何の気なしにそれを口にしている。

それだけでも恐ろしい存在だった。

得体が知れない。

けれど、だからといって怯むわけにもいかない。

クリックは、彼女から命を受け、ここで任務をこなしているのだから。

魔王の軍勢が、たとえ大したことがない新参であるにしても、突然現れた人族らしき若い女一人に怯えて帰ることは出来ない。

帰ったら、後が怖い。

だからクリックは背中に刺していた槍を抜き、構えた。

「……その至尊の名を、軽々しく呼ぶな」

そんなことを言いながら。

目の前の女はそんなクリックを見て微笑み、

「流石は竜人ですね……私のようなものに突然出会しても、少しも混乱を表に出すことはない……。まぁ、そうはいっても厳密には蜥蜴人……つまりは亜竜人、ということになるでしょうから、強さのほどはたかが知れているでしょうが。しかしそれでも貴方は結構見込みがありそうです。どうです? 自ら《海神の娘達の迷宮》に潜るというのであれば見逃しますが。他の三人はともかく、貴方なら十年と経たず、迷宮から出ることも出来ましょう」

「巫山戯たことを……あの迷宮には、我々はよくて一日しか潜れん。それ以上いればそのまま迷宮の傀儡になってしまう」

「しかし、《存在進化》を繰り返せば……いつの日にか、迷宮の強制力を脱し、外へと出ることも出来るでしょう。貴方なら……蜥蜴人なら、その可能性があります」

「それこそ夢物語だ。我々のような蜥蜴人が《存在進化》したことなど、ついぞないわ」

《存在進化》。

それは魔物に与えられた可能性。

蜥蜴人のような、亜人と呼ばれる存在の中でも、魔物に分類されるような者にはそれが開かれていると言われる。

しかし、クリックの知る限り、蜥蜴人が《存在進化》したことなど聞いたことがなかった。

氏族の古老達にも子供の頃尋ねたことはあるが、やはりそのようなことはないと言っていた。

なぜなら自分たちは亜人であり、あくまでも《存在進化》というのは魔物だけが可能にするものだから、だという。

魔王の配下になりながら、しかし魔物ではないらしい蜥蜴人。

迷宮が傀儡とするのは魔物だけだというが、蜥蜴人は長く迷宮にいると確かにそうなってしまう。

だが、魔物にとって最大の可能性である《存在進化》は出来ないらしい。

では魔物とは何なのか……。

その答えを教えてくれる者は誰もいない。

そんなクリックの苦悩にも似た思考を読んだのか、女は、

「……本当に、色々と失われてしまいましたね。まぁいいでしょう」

「……?」

「とりあえず、貴方方には今日のところは帰ってもらわなければなりません。そして、しばらくはこの辺りには近づかないようにお願いします」

「何を馬鹿なことを……」

鼻で笑おうとしたその瞬間、クリックはそれが出来なかった。

なぜなら、目の前の女のもとに、恐ろしいほどの魔力が一瞬にして集約されたからだ。

慌てて手元で緩んでいた槍を押さえる力を強くして構えたが、遅かった。

女の口は高速で呪文を唱える。

『……銀月に御座す高き方に命ずる、我が力我が身我が願いを感じ受け入れ聞き届け、僅かなる手水にて千歳の 顔(かんばせ) を洗い流さん……《 大津波(タイダルウェイブ) 》』

それはクリックが聞いたことがない詠唱だった。

言語もそうだし、速度もそうだ。

使っている魔力量もである。

そして……現象そのものも。

巨大な轟音が腹の底まで響くように女の後ろから聞こえてきた。

見れば、そこには天まで届きそうなほどの壁が存在していた。

そんなものは先ほどまではなかった。

いや……分かっている。

壁などではない。

そうではなくて……あれは波だ。

巨大な、波。

それがクリック達をめがけて、恐ろしい速度と質量とエネルギーを携えて襲ってきている……。

「……ひ、引け……! 引けぇぇぇ!!!」

叫びながら、クリックは呆けて見上げている周囲の部下たちを反対方向へと引っ張り、走らせた。

ただ、必死にそんなことをしながらも、きっとこの行動は最終的には無駄になるだろう、とも理解していた。

あんなものに飲み込まれれば、衝突すればただでは済まない。

しかし……。

そして、クリック達と大津波の追いかけっこはほんの数瞬で終わりを迎える。

振り返ったクリックが最後に見たのは、巨大な壁が自分の眼前に迫っている光景だった。

◆◇◆◇◆

津波が消え、静かになった海上で海猫が鳴く。

一人海上に浮かぶ女性が独り言を呟いた。

「……まぁ、頑張った方でしょう。手加減しましたし……命までは失っていないでしょう……多少は、彼のための時間稼ぎにもなりましたかね。さて、それでは私は私で、仕事をしませんと……」

そして、次の瞬間、彼女の姿は消える。

海の上にはもはや何もなく、先ほど起こったことなど嘘のような静寂のみが広がっているだけだった。