軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第292話 小鼠(前)

その鼠にとって、世界とは弱肉強食だった。

小さく生まれたがゆえに、巨大な生き物たちに搾取され、やっとの思いで見つけた寝床ですら奪われる。

食べ物は少なく、水ですらろくに口にすることが出来ない生活。

生まれたときから、ずっとそうで、しかし、それでもその鼠は優しさを捨ててはいなかった。

――本能だったのかもしれない。

たまに、鼠はそんなことを思う。

地獄のような世界を一匹、自分だけを信じて生き残ってきた結果、鼠は他の鼠よりずっと大きく、強く育った。

もちろん、それでも鼠は鼠に過ぎない。

大きな生き物たち……人間や、魔物に対抗することなど夢のまた夢で、街の暗がりの中を駆け、彼らの残した残飯や保存庫の中の食物を奪い取ることでしか命を長らえることはできない。

たまに、人間に見つかり、追い立てられる。

一人や二人なら、大きく育った鼠にも対抗できる余地はあった。

鼠は、ただの鼠ではなく、これで一応、魔物に分類される存在で、だからこそ、僅かながらに戦う力を持っていたからだ。

けれど、四人、五人と相手が増えれば、たとえそれが《冒険者》などと呼ばれている恐ろしく強い人間ではないとしても、逃走するほかない。

誇りなどない。

そんなもの、神は鼠に与えはしなかった。

生きることこそが、ただ生きることこそが、鼠にとっての大事だった。

それなのに。

鼠にしては大きく、強くなった鼠を頼って、他の鼠たちが集まって来た。

といっても、数は少ない。

ほんの、三、四匹程度の小さな数だ。

しかも、彼らはいずれも、他の群れから追い出された鼻つまみ者たちだった。

小鼠(プチ・スリ) の群れは非常に厳しい上下関係に支配されている。

ボスに挑み、敗北した者たちは、有無を言わさず群れを追い出される。

勝手に一匹でのたれ死ねとでも言うように、である。

酷い話だ、と言うのは簡単だが、鼠にとって、この世は等しく地獄だ。

群れにいようといまいと、地獄は地獄に他ならない。

だから、彼らに特に同情は感じなかった。

だから、彼らを従えようとも思わなかった。

それなのに、彼らは鼠のあとを懲りずに毎日ついてくる。

共に食料を探し、水を求め、人と戦う日々を過ごした。

得た食料のうち、いくばくかを群れに属せない者たちに分け与え、小さな子供がいれば大人になるまで、保護したこともあった。

鼠の成長は早い。

一週間も過ぎれば、すぐに大人になるのだ。

そして魔物としての長い生を得るわけだが、大半はすぐに死んでいく。

食べ物を得られずに、また、人間に狩られて。

鼠の暮らしはその日暮らしだ。

他の鼠のことなど考えている余裕など、普通はない。

その鼠だけは違った。

けれど、忘れてはいけなかったのだ。

鼠は搾取される側だと言うことを。

人間たちは恐ろしく強く、簡単に鼠のことなど駆除できてしまうと言うことを。

それは、ある日突然やって来た。

鼠たちはそのとき、人間の作った建物の地下を寝床にしていたのだが、階上からおそろしく異様な存在感を発した者が降りてきたのだ。

見てみると、二人いたが、一人は普通の少女のようだったが、もう一人が仮面を被ったローブ姿の男で、およそ人にはありえないような雰囲気を放っていた。

それを見たとき、鼠は思った。

とうとう、自分のその日暮らしな生活にも終わりが来たのかと。

いずれ来るとは思っていた終わり。

それが今、やってきたのだ、と。

鼠はその人物はおそらく、冒険者だ、と思った。

普通の人間とは明らかに違う強力な戦いの技術を持ち、鼠くらいの魔物なら簡単に討伐できてしまう者。

巨大な魔物ですら、軽々とうち滅ぼす者もいるというそれ。

そんなものに、鼠が対抗できるはずがなかった。

けれど、ただやられるわけにもいかなかった。

鼠は、もうただの鼠ではないからだ。

手下たちのいる、親分だからだ。

せめて、彼らが逃げる時間くらいは稼がなければならない。

そのために、自分の命が尽きようとも、それくらいは……。

ボスのつもりなんて、ずっとなかった。

けれど、それでもついてきてくれた彼らのために、一度くらい命を張っても許されるだろう。

鼠は、鼠より先に前に出ていこうとする手下たちに、鼠にしか理解できない声で指示を出し、しばらく隠れているように言って、それからその冒険者に飛び掛かった。

鼠は、鼠にしては強い。

大きく、力もある。

普通の人間くらいなら、完全に行動不能にしたりは出来ないまでも、逃げる時間を稼ぐために少しの傷をつけるくらいなら出来る。

だから、この冒険者に対してもきっと……。

そう思ったのだが、鼠が思っている以上に、その冒険者は強かった。

飛び掛かった瞬間、鼠の動きを正確に追っているのが、その瞳の動きから分かった。

こんなことは、普通の人間を相手にしているときにはなかったことだ。

持っているナイフが、鼠の目では観測できない速さで閃く。

――あぁ、切られた。

鼠がそう思った時にはすでに吹き飛ばされていた。

体中から力が抜けていく。

これほどまでに差があるとは、思ってもみなかった。

このまま死ぬのか……。

いや、まだだ。

鼠は諦めず、体を起こす。

せめて一矢くらいは報いたい。

そう思っての行動だった。

立ち上がり、再度向かっていく。

鼠の意地を見せるのだ。

そう思って。

すると冒険者の方も身構えたが、先ほどとは異なって、一瞬の躊躇が見えた。

なぜか、と思ったが、その理由を考えるほどの余力は鼠には残っていなかった。

しかし、そんな鼠の渾身の突進も、冒険者にとってはやはり、さしたる脅威ではなかったようだ。

今度はナイフではなく、拳が飛んでくる。

顔に当たり、歯にも命中し、再度吹き飛んだ。

鼠は、歯が相手の拳を少し削ったことを感覚的に理解したが、がっくりとくる。

その程度か、と。

それくらいしかできなかったのか、と。

思えば、自分の鼠生なんて大したものではなかった。

何か出来るかもと思っていたけど、何もできず、生きることすら厳しくて……。

あぁ、死にたくはない。

もっと……。

そう思ったそのときだった。

体の奥が熱くなり始めたのは。

一体何が……。