軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

6章4話 脱臼と解剖実習と神術実習

1147年11月。

とある日の午前中のド・メディシス家の屋敷では、ロッテとファルマが二人連れだってブランシュの部屋へと押しかけていた。おおっぴらにではなく、おそるおそる、といった様子でだ。

「どう? 捗ってる?」

「おじゃましまぁす。エレオノール様にお嬢様、おやつ持ってきましたよー」

部屋の中には、ブランシュとエレンが、木机に対面に座って課題を広げていた。

エレンはブランシュの隣について、熱心に指導中だった。

「なになに? もうおやつ? まだ授業始めたばかりよ。気になっちゃうのね、あなたたち」

ブランシュを指導していたエレンが苦笑する。

「ブランシュの勉強はどう?」

ブランシュは早くも計算が分からなくなったらしく、ペン軸をくるりと指で回していた。

ファルマから見るとどう見ても飽きる寸前の顔であるが、エレンの手前、我慢しているようだった。

「うん。おべんきょーがんばってるのー、わかんないけどーがんばってるー」

「お嬢様、計算の小テストはいかがでしたか? 実力を発揮できましたか?」

小テストがあると聞いて困っていたブランシュに、計算の得意なロッテが前日に教えたのだ。

「だめだったのー」

ブランシュは目をぎゅっとつぶって、バツ印をつくる。ロッテの労力は報われなかったようだ。

「だめでしたかぁ。おやつを食べて頑張ってくださいませね、脳には糖分が必要だってファルマ様の教科書に書いてありましたよ」

ロッテはブランシュを励ましながらおやつの給仕をする。

ファルマの薬学の教科書の中でも、食に関する部分だけははっきり覚えているロッテであった。

「ファルマ君とロッテちゃん、ブランシュちゃんが気になって見にきたんでしょ?」

エレンが、お菓子をつまみながら指摘する。

「まあね。ブランシュは実の妹だからな。気にもなるよ。でも、エレンのほうが神術にも詳しいし、婦人科のことも教えられるし」

「あらー、もしかしてファルマ君が直接教えたかったの? ブランシュちゃんのお勉強」

半分ぐらいは図星だった。エレンにはお見通しのようだ。

「そうもいかないからね。仕事が増えて大変だけど、妹をよろしくね、エレン」

ブリュノの命令もあり、ブランシュは正式にエレンの弟子になった。

ブリュノ、ファルマ、パッレがブランシュに教えてもいいが、兄妹だと甘えや我がままが出るので師弟関係としてはよろしくない。

他人に教えてもらうほうが適度な緊張感を保ててよい、というのがブリュノの意向だ。

それに、将来的に女性特有の疾患に対応できる薬師になるには、同じ水属性の女薬師の弟子にしたほうがよいだろうとの判断もあった、とのこと。

「ブランシュちゃん。今日はお勉強はこのくらいにして、おやつ食べたら神術訓練に行きましょっか。今日は水属性の基本の発動詠唱をマスターしましょ」

エレンがブランシュを誘った。

「あい!」

勉強はともかく神術の腕前は人並み以上のブランシュは、機嫌を直してにっこりと頷いた。

「私も弟子に神術の個人レッスンをつけるのは久しぶりだわ」

エレンも、ブランシュには教えがいがあるようだ。面倒見のよいエレンである。

「ちょ、俺っていう弟子が教わってたじゃん」

それを聞いたファルマはエレンにすっかり忘れられているので、自分を指さしてうったえた。

エレンはいーえ、と左右に首を振る。

「無詠唱神術を使えて、思いのままに神術を操る誰かさんは弟子にカウントしないの。だいたい、私が教えたこと、あなたの神術ではほとんど使えないじゃない」

どうやらもう、エレンはファルマを弟子だとも思っていないようだった。

「俺はエレンのこと、今でも師匠だと思ってるよ」

エレンはファルマの発言に、少しだけ驚いたような顔をした。

…━━…━━…━━…

「あれ。どうしたのエレン。肩をおさえて」

数時間後、ファルマが薬局で通常業務をしていると、エレンがへろへろになって薬局に戻ってきた。珍しく余裕のない顔をして、顔面蒼白で、冷や汗をかいている。

「肩が痛い?」

ファルマは書き物をしていた手を止めて尋ねる。

「エレオノール様、顔色わるいデスネ」

「ご気分が悪いのですか? お茶を飲みます?」

調剤をしていたバイトの薬師、ロジェとセルストたちも心配して、エレンの体を支えた。

エレンは痛みをこらえてか、歯を食いしばっていた。

「皆ありがとう。助けてファルマ君。ブランシュちゃんと神術訓練をしていたら、ブランシュちゃんが神術の軌道を外しちゃって。それをフォローしようと思ったら変な体勢になって肩も外れちゃったの……。自分で応急処置をやってみたんだけど、はまらなくて」

「肩が外れたのは初めて?」

「ときどき外れるのよー……」

無理にはめようとしたらしく、かえって痛めたようだった。

「反復性の脱臼か。とりあえず、外れてるならはめようか」

ファルマは診眼を使いながら、エレンの肩の状態を診て、確かに右肩関節の脱臼であることをみとめると、二階に連れていき診療台の上にうつ伏せにねかせる。

「どうやってはめるの?」

エレンは説明を求める。

「腕を診療台の下に、垂直に垂らしてみて」

ファルマがそう指示するので、エレンは半信半疑で腕を診療台の下へ伸ばす。

「ええっ、はめないの!?」

力わざではめるものだとばかり思っていたらしいエレンは、物足りなそうにベッドからファルマを見上げる。ファルマはそんなエレンをなだめた。

「はまるから、言う通りにやってみて。脱力して。しっかり力を抜くんだよ」

「ううん……痛くてこわばっちゃうわ……」

ファルマが背筋を撫でるとようやく脱力したエレンの腕に、ファルマは腕輪状の重りをつけた。

かなりずっしりとくる重さだ。

「ちょっとーファルマ君どういうことー? こんなことしていいわけー? 余計痛めない?」

「いいからいいから」

そのままの姿勢で、エレンにしばらく安静にしてもらう。

十分ぐらい経過しただろうか。

ファルマはエレンの腕の状態を確かめて、これでいいと頷いた。

「ゆっくり起きてみて、もういいから」

「あっ、はまってる!」

「自分で 整復(せいふく) できるから、覚えておくといいよ。おや、神経が損傷しているな。肩を出して」

ファルマは人差し指を立ててエレンのはだけた肩に指を差し入れ、体内の神経へと神力を注いで損傷を治癒した。あとは、非ステロイド性消炎鎮痛剤の湿布を貼る。

「あ、ありがとう。一大事だと思ったのに、君はなんてことなく治すのね」

「いやいや、エレンが自分で整復やったんだよ。俺は何もしてない。それより応急処置をしたけど、損傷が完全に治ってるわけじゃないから、しばらく安静にしたほうがいいよ」

今日はゆっくり肩を休めるわ、とため息をついたエレンははっとした顔になった。

「そうもいかないわね。明日神術実習があるのよ、しかも明日は実戦なの。明日までに治さないといけないわ、どうしても」

「明日はやめておいたほうがいいな。エレンの講義、俺がやっとこうか?」

エレンの仕事が増え、ブランシュの訓練に付き合ったうえでの負傷なので、ファルマは気を回した。

「実習は講師との実戦形式での訓練なのよ。くれぐれも言っておくけど、ファルマ君は学生と試合しちゃだめよ。また闘技場の修理費が発生してしまうわ……秘書のゾエちゃんが失神してしまうわよ」

エレンは思い出したくないことを思い出して、事前にファルマを諫める。

3300万フルン、日本円に概算して6億程度の修理費が発生したというのは、ファルマの記憶に新しい。高額修繕費を支払うのはもう、懲り懲りだった。

「わかったよ。学生と試合をせずに、学生の神術訓練をすればいいんだよな?」

「ええっ、不安だわ。どうやってやるの?」

エレンは目を大きく見開いた。

「はは、何とかなるよ。俺って信用ないかな」

そういう意味じゃなくて、とエレンは前置きをする。

「薬学に関しては信用しているけど、神術に関しては、いつもやりすぎるじゃない。あんまり自覚がないみたいだけど」

「反省しないとな」

そんな事を言いながら、ファルマは軽い調子で引き受けた。

…━━…━━…━━…

翌日の午前中は、帝国医薬大学校では、医学部長にして侍医長であるクロード・ド・ショーリアックが担当する、新・人体解剖学の実習が行われていた。

ファルマも、初年度はクロードと共同講義を行うためこの講義と実習に参加している。ファルマが最初に講義を行い、クロードが解剖実習をとり行う。学生のみならず、教授陣もが見学に来ていた。また、医師・薬師・技師ならば学外者の聴講も認められている。

ファルマは教壇に立ち、三段になっている大階段教室の中央テーブルの解剖台に載せられた、ホルマリン固定済み解剖体の前には、クロードが白衣を纏って屹立している。

彼の隣には、助手をつとめる若い女医が一人付き随っている。

「何度か解剖学の講義を行ったが、この教室で諸君と会うのは初めてだな」

クロードは講義用の杖を教鞭のように持ち、学生や教授らを見渡しながら言葉を発した。

「どうだね、この教室は。たいしたものだろう」

クロードは両手をひろげ、新しい教室を誇った。大学再編によって誕生した新しい大階段教室は、他の大学の解剖学教室とは違って、受講者にも優しい意匠が凝らされていた。

大階段教室との名の通り、解剖学講堂は階段状の、小さなスタジアムのような構造の教室になっている。

さらに解剖中の臓器の細かい部分までよく受講者に見えるように、解剖台を講堂の天井から映す一対の放物面鏡を設置し、それぞれの焦点距離の差を利用して像の大きさを増幅させる方法で、聴講者は天井付近を見れば解剖台を大きく見えるように工夫されていた。さらに、解剖台周辺は吹き抜けの窓から注ぎ込まれる太陽光を、鏡で明るく集光している。

この工夫は、ファルマが建築士に提案してこしらえて施してもらった仕掛けだ。大階段教室は実習室に隣接しており、学生は隣に移動して解剖体の解剖を行うことになっている。

「それでは、解剖学実習をおこなう。この講義と実習は必修だ」

学生は、医学部、薬学部、臨床検査学部の全学部学生の参加が義務付けられ、学生たちにとっても、絶対に落とせない講義だった。

「実習は私が行うが、講義の大部分は、ド・メディシス教授にも共同で行っていただく。彼は解剖学にも明るいからな」

クロードは杖をファルマに差し向ける。

「よろしくお願いします」

ファルマは教壇で手を挙げてにこやかに応じた。

(って、別に明るくはないんだけどさ……他に適任者がいないしな)

薬学者であったファルマは、はっきり言って人体解剖学に明るいわけではない。それでも、動物実験で培ったこれまでの知見と、研究室から持ち出したPCの中にコピーしていた人体の資料から、かなり正確な解剖学の講義資料を作成することができた。

あとは、実際に人体を解剖してクロードに人体の構造を探求し、機能を実証してもらう。

組織や各部の名称は、彼らが自由につければいい。

すぐ切る! すぐ手術! ついでに皇子の歯もすぐ抜く! という当初のイメージが強く、クレイジーサイコな侍医長だと一時期はファルマに恐れられていたクロード。

だが、実際に数え切れないほどの人体を手術や解剖し、その構造を見てきた侍医長は、ファルマなどとは比較にならないほど臨床経験が豊富で、クレイジーでもサイコでもない、ただ少し残念な医師だ、というのはここ最近のファルマの感想だ。だから、ファルマは安心してクロードに任せることにした。

「では、人体の構造のおさらいをしましょう。人体には頭蓋と、脊柱、そして上肢と下肢で構成されています。ここからここまでが体幹で、上肢帯と下肢帯はここまででしたね。そして、自由上肢と自由下肢といいましたね。それから……」

ファルマは骨格と人体標本を横に置き、杖で示しながら人体の骨組みと構造の説明をしてゆく。

「今、ショーリアック教授の前の遺体はあおむけ、つまり背臥位になっていて、親指が体の外側になっています。解剖学的な上下と左右、前後の方向をしっかり頭にいれておきましょう。人体を左右対称としたときの対称軸平面は、正中といいましたね。正中に近いほうを内側、正中から遠いほうを外側といいますね」

ファルマが標本を示しながら述べ、クロードが時々口を挟む。

「ちなみに、実習のときには諸君の解剖遺体は、二人につき一体ある。帝国で執行された死刑受刑者、および不慮の事故で亡くなった遺体を滞りなく手配するよう御下命くださった、エリザベート皇帝陛下に感謝し、遺体に礼意をはらい、よく学べ」

クロードは学生一人につき一体の解剖を女帝に求めたが、実際は遺体を確保するのが困難であったため、二人から三人で一人の遺体を解剖することになった。

「これらの遺体は、ド・メディシス教授の新保存法をもとに一年近くをかけて保存処理をし標本としたものだ。これまでの解剖学実習と違って、解剖中に腐敗しない。じっくりと解剖することができる」

クロードはしっかりと、これまでとは違う心構えで解剖体と向き合うと言った。

ファルマが示したように学生たち全員で体表の観察を終えたあと、いよいよ人体解剖の実演が始まる。

クロードは学生たちを激励する。

「私たちは誰も、人体について教えられない。過去のいかなる名医の書いた教科書であっても、捨てたまえ。それらは紙くずだ。前回の講義でも述べたように、解剖学は白紙に戻す。答えは書物の中にはなく、解剖学の答えは人体の中にあるのだ。それでは人体を解剖し、真実を観察しようではないか」

クロードは解剖体の皮膚に、ナイフで皮切線(割)を入れた。

解剖のはじまりは、表皮をはいでゆく作業だ。

「帝国医薬大学校 第一回生たる諸君らの最初の使命は、世界で最初の人体透視解剖図を作ることにある。大変な使命だ、よく励んでくれ」

学生たちは固唾をのんで、クロードの解剖の実演を見守っていた。

…━━…━━…━━…

「というわけで、肩を負傷したボヌフォワ先生の代わりに、今日の実習は私が担当します」

ファルマは、午前の解剖学の講義を終え午後の神術実習の受講のために実習服に着替えて闘技場に集まった数十人の総合薬学科の学生たちに向けてアナウンスした。平民の、体術訓練に相当する実習はまた別の教官が担当しているので平民はここにはいない。エレンは、ファルマのかわりに薬局業務を引き受けているので実習には顔を見せられなかった。

「うそだろ」

実習の講師としてファルマがやってきたのを見た学生たちが、どよめいた。

「ファルマ教授が、神術実習の授業を?」

「あのー、俺、お腹が痛くなってきました」

逃げ出そうと後ずさるものもいる。

「ついに死人が出る!?」

「病院送りが出るか! 医者を呼ばないと」

ひどい言われようである。ファルマは、前回の神術戦闘の学生への影響を思い知らされた。

「医者なら向こうの研究棟にたくさんいる、一人呼んで来い!」

以前、ファルマがエメリッヒを負かしたのを目撃していた学生たちは、その時のことを思い出して騒然としている。ファルマは古傷をつつかれるような心境になりながら、ガイダンスを続ける。

「えーっと、ボヌフォワ先生からは今日は実戦をしてくれと言われていますので、私が言うようにペアになって最初は準備運動と……」

「ぜひとも神術試合をしてください! 教授!」

空気を読まないエメリッヒがまったく懲りる様子もなく、ファルマに手合わせを申し込んだ。

「あー、バウアー君はまたの機会にね」

ファルマはエメリッヒとの手合わせにはもう応じたくないので受け流す。

「流さないでくださいよ教授!」

「君と私では、守護神の相性が悪いと知ってるだろう。だめだよ、神力の無駄」

エメリッヒの守護神は薬神なので、迂闊にファルマを相手にすると、彼の神力がファルマに全て吸われてしまう。大げさではなくエメリッヒは消耗するだけなのだ。

「それでも、ぜひ! 今度は、20通りほど作戦を考えてきているんです」

エメリッヒはろくでもない作戦を考えてきたのか、目をキラキラ輝かせている。彼はファルマの研究室に入りびたり、根を詰めて致死性家族性不眠症の新薬の研究をしているので、日ごろの運動不足を解消したいところだろう。

「ちょっと待ちなさーい!」

どいたどいた、と言わんばかりに、威勢の良い女学生がエメリッヒを押しのけた。

「バウアー君はこないだも手合わせしていただいたのにずるいです。ファルマ教授! 私は火神の火属性で、守護神も薬神ではありません。ぜひとも、お相手お願いします!」

「あっ、抜け駆けしたな! 私だって教授にご指導いただきたいんだ」

一部の学生が恐れおののく傍ら、熱烈なアピールと共にファルマを取り囲む学生たちもいるので、ファルマは両手を振って予防線を張っておく。

「えー、私は試合はやりません。先に言っておきます。絶対にやりません。こないだ、知っている人もいるかと思いますがバウアー君と個人授業をやって、この闘技場の舞台を総張り替えにしてしまったからです。各方面に迷惑をかけました。また舞台を破壊してしまったら、私の父であるメディシス総長に解雇を申し付けられますからね。あと、秘書のゾエくんが倒れます」

「でも……」

じゃあこの実習で何を教わればいいのか、と学生たちが閉口していたところ、ファルマは学生たち一人ひとりの顔を見つめた。

「今日は実戦のあと、皆さんの神術で伸び悩んでいる部分を、指導しようかなと思います」

実力の近い者同士ペアで神術の実戦をしてもらって、問題点があればそれを聞くというスタイルにした。

「それでは、私が指定したペアの人と、実戦に入ってください。バウアー君はーアルファン君とで、オーリック君はベネトー君と」

対戦相手を間違えると、重大な怪我に繋がりかねない。

ファルマはエレンから手渡された、学生の神術属性と技量をまとめた閻魔帳を見てからペアを決める。

闘技場には実戦用の舞台が四つあって、三つの舞台で同時多発的に実戦が行われる。一つの舞台は、練習用として確保した。試合の禁則事項を確認したあと、学生たちは早速実戦練習に入る。怪我を防ぐため、神技の威力を落とす呪符を杖に貼りつけて使われる。

専門の技師によって隔壁生成用神術陣が展開され、青い円筒状のバリアのような壁の中で神術戦闘が始まった。それを見ながら、ファルマは実はひやひやする。

(神術戦闘を大学の敷地内で、しかも舞台の中でやろうって、無理があるよなあ。スペース的にも、戦術的にもさ。もっと自然環境を利用しないと、訓練にならないよ)

ファルマは実戦を監督し、エレンの閻魔帳に評価をつけながら、つくづくそう思った。

神術陣の防壁を破るような学生はいないので、一応安全ではあるのだが。

(あ、この子は詠唱が苦手なんだな。そっちの子は詠唱後の防御が甘いな、ぼっと突っ立ってたら狙われるぞ)

個々の学生の、実戦上の問題点を発見する。とはいっても、ファルマの神術戦闘の知識はパッレやエレンから仕入れたもので、ファルマ自身は神術の専門家などではない。それでも、素人目に見ても気づきはあるのだ。どうにか、大きな怪我もなく試合を終えることができてファルマはほっとする。

「実戦お疲れ様でした。では私の方から、今の戦闘を見た個々の課題をお伝えしますので、名前を呼ばれたら一人ずつ来てください」

呼ばれた以外の学生たちには、自主訓練に入ってもらう。

「ジョセフィーヌ・バリエさん」

「はい教授」

獣医の資格を持つ学生である、ジョセフィーヌが呼ばれてやってきた。小柄な体躯に似合わず大型の杖を持って、とことこと駆け寄ってくる。

「えーと、君の課題は……神術の基本はできているんだけど、神技はもうちょっと手数が打てるといいかな。何か悩んでいることがありますか?」

ジョセフィーヌは実戦中、一種類しか神技を打っていなかった。

巧みな体術と杖術で攻撃をしのいでいたが。神術の腕はいまいちのようだ。

「はい、悩みですがその……ほかの神技ができないわけではありません。でも、神技の威力がとても弱いんです。なので、実戦では使えなくて……自信喪失しています」

薬師として必要な薬の調合に用いる神術は得意でも、戦闘神術が苦手な学生も少なくない。

ジョセフィーヌはそういったタイプの学生だった。ファルマも、戦う薬師を養成しなくてもいいんじゃ……と内心思うのだが、大学の共通カリキュラムなので、神術実習の単位は危ういことになる。

「ボヌフォワ先生には、神力の呼び込みが下手だから練習しなさいと言われてるんですけど、どうすればいいのかわからなくて」

彼女には細かい悩みがあるようだった。

「なるほど。ではその神技を使ってみせてください」

ジョセフィーヌは風神が守護神で、風属性神術を使う獣医だ。

「しょぼしょぼでお恥ずかしいですが」

恥ずかしそうにしたあとで、杖を構えた。ジョセフィーヌの髪と服が風を孕む。

「風神の暴風”(Tempête de Dieu du vent)」

ジョセフィーヌの放った神技は、威力が弱かったので神術陣の防壁に完全に吸収された。

暴風と詠唱しているわりには、そよ風に毛がはえたものしか出ていなかった。彼女は、周囲の学生たちの目を気にして赤面する。ファルマは彼女の神技を観察してふーん、と頷いた。

「神力を大量放出するのは怖い? 神力切れが怖いのかな。杖に神力を上手く送れてない感じがある?」

ファルマはいくつか質問する。ジョセフィーヌの神力量が少ないわけではない、神脈もしっかり開いている。ただ、神力を使うのをどこか躊躇っているようなのだ。

「はい、神力切れが怖いのと、制御できる自信がないからかもしれません」

「じゃ、神力を制御する感覚を掴もうか。杖を構えてるだけでいい」

ファルマは呪符を剥ぎ、彼女の杖を上空へと構えさせ、ジョセフィーヌの背中に手を添えた。

そして、彼女の背中に手を当て神脈に神力を注ぐ。

「いくよ」

ファルマは呼び水のように自分の神力を彼女に注ぐことによってジョセフィーヌの神脈を刺激し、神力を引き出す。

「風神の暴風”(Tempête de Dieu du vent)」

そして彼は正確な発動詠唱を、ほどよい声量で唱え、ジョセフィーヌの神脈を通じて、彼女の体を支配する形で神力を風属性の神技へと変換し、完全な神技として空に放った。

轟音とともに暴風が天へと駆け上り、旋風は曇天を千切り取って吹き飛ばす。

冬空に冷たく輝く太陽が、ぽっかりあいた雲間から覗いていた。

「な、な……!」

ジョセフィーヌはぽろりと杖を落とした。

「神術を使う感覚、神脈から神力を出してきて整流する方法、なんとなくわかった?」

彼女は言葉を失って、目を見開きながらこくこくと頷く。自分の杖から、見たこともない威力の神技が繰り出されたのだ。

百聞は一見にしかず、さらに言うと、一体験に勝るものはないのだ。

「今ぐらいの神技を放っても、君の神脈は耐えられるみたいだよ。一日一回までなら神力切れは起こさない、大丈夫」

すると、それを見ていた学生たちが黙っていなかった。

「教授ー! それ、私にもやってくださーい!」

ファルマの周りには、たちまち学生たちが押しかけた。

中でも、ファルマの一番弟子を狙っているエメリッヒの剣幕たるや恐ろしいものがあった。

「教授! 教授! 教授! 使ってみたい神技があるんです!」

「落ち着いてバウアー君。暴走気味になってるわ」

ほかの学生にエメリッヒはたしなめられていた。しかし、次から次から、ファルマは学生にたかられている。

「おねがいしますーー!」

「い、いいよ。ていうかみんな、顔が近いよ、顔が。授業時間が終わるまでの間、順番に、一人ずつね」

ファルマは指導の手間を惜しまなかった。

「氷の華(Fleurs de glace)っていう上位神技をやってみたいんですけど」

「ああ、あれね。エレンがやってたな。杖を構えて。君の体を通して神技を撃ってみるから」

「はい、勉強させていただきます!」

いつもより上級の神技に挑戦したい学生たちが、ファルマに神術・神技を使う感覚を体験させてもらい、次々と神技をマスターしてゆく。実習は活況を呈していた。

「また新しい神技ができましたー! すごいです教授、これ、僕、一年練習してもできなかったんです」

「私なんて、もう五年もできなかったのであきらめていました」

その学生たちの嬉しそうな様子に、一番驚いたのはファルマだった。

「皆、すごいなあ。たった三時間で上手くなったなあ」

と、ファルマが学生たちの成長に感心していると、

「一番すごいのは、全属性使えて、どの神技も自由自在な教授だと思います」

ジョセフィーヌが小声でつっこんだ。

ああ、そうかな、とファルマは誤魔化して笑った。

自分のことはまた棚にあげていたのだ。

終業の鐘が鳴るころには、殆どの学生が、これまでできなかった神技を手に入れていた。

彼らは嬉しさのあまりか、実習時間が終わっても闘技場を離れようとしない。

「次の講義に遅れないようにね」

「はい、ご指導ありがとうございました!」

学生たちは口々に感謝の言葉を述べた。

「皆の神技が上達したから、エレンが喜んでくれるかな」

ファルマはエレンの閻魔帳に膨大な加筆をしながらそう思った。

薬局に戻り、エレンに実習の内容と学生の上達ぶりを報告すると、エレンは

「ていうかもう、私が講師やるよりファルマ君が神術実習やったほうがいいんじゃないの?」

と、眼鏡をずりおとしたまま、困ったように笑ったのだった。