軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5章19話 全身遺伝子治療と、医薬分業への前進

ファルマと女帝は闘技場をあとにし宮殿に戻り、汗をかいただろうということで沐浴に誘われた。

ファルマは男性客人用の沐浴室に案内されほっとしたものの、何故か沐浴のお世話係が全員年頃の美少女ばかりがあてがわれ、ファルマは女帝の画策を思い知る。

「ファルマ様、お体を洗わせていただきたく。きっとお体がほぐれますわよ」

「いいえ、私がご奉仕させていただきますわ。わっ、この腕の模様が聖紋ですの?」

「ああっ、ファルマ様、なんて素敵なお方。私と、いいことしません?」

露出度の高い衣装を纏った美少女たちが競い合うようにファルマに奉仕してくれようとするが、必死さを感じたので、

「いえ、あの、前は自分で洗いますので。背中なら、はい」

と、前かがみになって性的サービスをブロックしていた。

(こんなところで嫁探しさせないでくれよ陛下……って)

「うわっ!? あーはっはっは、ちょ、やめてくだ……ひゃーっひゃっ」

ファルマは脇をくすぐられてキャラ崩壊していた。

精神的に疲れ果てたファルマがやっとのことで一時間の沐浴から解放してもらうと、女帝はジュリアナにマッサージをさせながらファルマを待っていた。傍らにはサロモンが侍っている。

「陛下の差し金ですか? あの女の子たちは?」

余計なお世話極まりなかった、とファルマは憤慨する。だいたい、こうやって強制お見合いをされても、困るだけだ。

「あの者どもはしっかり務めを果たしたかの? そなたもしっかり物色したか?」

女帝は完全にお見合いおばさんと化していた、おばさんという歳でもないので、お見合いお姉さん、とファルマは一応気遣う。

「あんな無防備な場で、いい雰囲気になどなりませんってば」

口のきき方が不敬かもしれないが、ファルマは立腹していた。

「ふむ、茶でも飲むか」

ジュリアナのマッサージを終えた女帝が、ファルマを茶会の席に誘う。

「ですから、ああいうのは困りますから……」

「むう、あれで反応せぬとは男ではないぞ! そなた、男子としての発達がおもわしくないのではあるまいな! どれ、余が確認を……」

女帝の逆セクハラにたじたじになるファルマを見かねたサロモンが、咳払いをして助け船を出した。ファルマは女帝に襲われかけたところで救出された。

「陛下。ところでファルマ様は、新教の創立と守護神としての擁立には、断固反対されましたでしょうか」

「うむ。手厳しいな」

女帝は言い返す言葉もない。

闘技場を包む積乱雲と巨大な神力だまりの発生をみて、サロモンは予想できたと言う。ファルマは、ただ反対したのではないと補足した。

「陛下のお気持ちは有り難いです。ですがおそれながら、ご期待に沿えそうにはありません。新教の創立は神聖国への反逆と決別を意味します。神聖国が周辺諸国に、反逆国として討伐を命じれば、平和なサン・フルーヴ帝国は今のままではいられません。神聖国との和解の道を探すべきかと」

「ファルマ様はそういうお方なのです、陛下。ご自身にふりかかる危険より、民のことを思われる御方です」

サロモンがファルマを代弁して、女帝に告げる。ジュリアナも、どこかほっとしたようにファルマを見てほほ笑んだ。

「自分は守護神ではないと否定されては、処置なしだ。ファルマとは初めて試合ったが、人外の神力を秘め、神力の底が存在しないようだ、この余が久しぶりに、闘いの中で恐怖というものを覚えたぞ。できれば毎日、そなたと試合いたいものだ」

「お断りします。先ほど、私は意図せず陛下を傷つけてしまいました。幸い神力で治癒できましたが……次はどうなるか分かりません」

聖泉から戻ったファルマは、損傷した組織の修復すら、神力を注ぐことでできるようになった。

だが、力の制御がきかなくなっている自覚があり、いつ手を滑らせて即死攻撃などを発してしまいかねない。

その後の展開は、考えたくもなかった。

いつ暴走するとも知れない爆弾を抱えたまま、ファルマは綱渡りで日常生活を送っている状態である。

「いっそ、神聖国に行って”鎹の歯車”に余った神力を吸わせてこようかとも」

「ファルマ様。それは……まずいのではないかと」

その一言を聞いたサロモンが、懸念の色を示した。女帝も同様だ。

「何を申しておるか、神聖国の思う壺ではないか。それに”世界を維持する鎹の歯車”なる装置など、あるといえるのか? 実は存在せず、ただ守護神をおびき寄せ神力を奪うための口実かもしれん」

それを聞いていたジュリアナが、おずおずと一言挟んだ。

「わ、私の知る限り、鎹の歯車という装置は実在します。ただ、以前ファルマ様が神力を分けてくださったおかげで、歯車は二百年はもちます。喫緊の問題ではありません」

ジュリアナは大神官ピウスの動向を知る元枢機神官だ。

「ジュリアナやほかの枢機神官どもも、騙されておるのかもしれんぞ。目撃したのではないのだろう?」

女帝は”鎹の歯車”の話すらうのみにしない、慎重にも慎重だった。

普段の向こう見ずで豪快な気質だけが彼女のすべてではないと、ファルマは女帝の新たな一面に気付かされる。

「確かに、人間の目で見えるものではないようです」

ジュリアナは、鎹の歯車を目視できる方法がないことをみとめ語気をすぼめる。

ファルマは、ジュリアナをフォローしながら女帝に言葉を返す。

「神聖国が私を略取しようとしていることは知っていますが、私は以前より神力が強くなっていて、日常生活を送るにも困っています。神力を大規模に消費すれば落ち着くと思いますが、そんな場も殆どありませんし、使わないので体に溜まる一方です」

正直、発散できるものなら一度発散してしまいたいぐらいだった。

「ですから、神聖国の地下にあるという鎹の歯車に直接神力を注いでくるというのは、双方にとってメリットがあります」

神聖国がファルマを狙う目的を潰すのを兼ねて、鎹の歯車に神力をくれてやる。それ以外に、常識的な方法で神力を減らすことができそうにない。必ず破壊行為を伴ってしまう。

唯一神力を大量消費できそうな方法、大規模な疫滅聖域を連発すれば多少は神力が減るかも、とも考えたが、疫滅聖域そのものが微生物を殺す環境破壊行為の一種なのだ。

疫病も発生していないのに、むやみやたらに使うわけにもいかない。

(最終手段としては、宇宙の果てに向けて神力ぶっ放すことだけど、それこそ神力の無駄使いになるしな)

というわけで、有意義に神力を消費、となると鎹の歯車を利用するのが手っ取り早い。

「まず、鎹の歯車というものが何なのか、自分で確かめたいと思います」

「それは危険だ。例えば、その装置とやらが外部から神力を注げるものではなく、守護神を喰らってすり潰すようなものだった場合はどうする、行けば運の尽きだ」

女帝が首を振る。遠くから観察して、いかにも危なそうなら、近づかない、ファルマとしてはそういうスタンスで臨もうとしていたが、女帝はファルマが一人で近づくのを許してはくれなかった。

「それならば余も同行する。ピウスとの会談も兼ねてな。日程を調整させよう」

(女帝と大神官の会談か……波乱が起こりそう)

和やかにとはいきそうにないな、と予見するファルマだった。

女帝が神聖国へ会談を申し入れ、日程調整の結果、ファルマの神聖国行きは翌月に決まった。

神聖国行きを前にファルマは、気にかけていることがある。

(神聖国で何があるかわからないし、せめてエメリッヒ一族の遺伝子治療の決着をつけておきたいよな)

その後も遺伝性疾患を抱えた動物モデルで、ファルマの遺伝子治療は数件、成功していた。

予定を早めて、いよいよ人に対しての治療に進む。

臨床試験に進むには日本では国の審査委員会などを通すものだが、サン・フルーヴ帝国にはそのようなものはない。

そこで、ファルマは女帝と侍医、宮廷薬師らにデータを示し、認可を得ようとした。

エリザベート臨席の第一回倫理審査御前会議の約束を取り付け、ファルマにしか使えないという治療法、他の薬師や侍医たちにどう説明したものか頭を悩ませていたところ、エレンがひらめいた。

「ねえ、もしかして秘宝を使って投与すればいいんじゃないの? ファルマ君の手もだけど、秘宝も人体を透けるでしょ?」

ファルマの治療法は、ファルマにしかできないと勘違いしていたが、秘宝を使えば誰でもできるという。

「人間には秘宝を持てないかもしれないけど、無機物で包むなどして持ち方を工夫すれば持てないこともないわ。それを使えば、人体を透過させて全身に満遍なく薬を投与できるし、誰にでもできるんじゃないの?」

と、エレンは説明する。ファルマの思いつかなかったアイデアだったので、エレンに感謝した。

「私はファルマ君みたいに薬は思いつかないけれど、こういうことで役に立てるなら、よかったわ」

エレンは神術と組み合わせた治療法を考えるのが得意なようだ。

「道が開けそうだよ、エレン」

エレンのアイデアを含めて御前会議でプレゼンをしたところ、侍医や宮廷薬師たちから疑問を呈されることもなく、すんなり通った。

CRISPR/Cas9システムの説明を始めたところで、彼らの半分は既についていけなくなったのも一因したかもしれない。

しかしクロードとブリュノ、そして帝国医薬大学校でファルマの授業を聴講していた医師、薬師たちは、システムを理解すると喝采した。御前会議の終わりに、クロードがファルマに質問を投げかける。

「私も今後、患者の治療に君の薬を使わせてもらっていいか。どうやって薬を調合すればいい?」

ファルマが医師からそんな申し出を受けたのは、初めてだった。

同席した医師や薬師たちも、クロードに同調して頷いている者がいる。

宮廷薬師のフランソワーズ・ド・サヴォワもその一人だったが、彼女は懸念を示した。

「かといって、私たちに取り扱えるものなのでしょうか。よく効く薬は、調合を間違えれば、危険なものです」

フランソワーズは、薬学体系が違うことから、ファルマの新薬に簡単に手を出せるとは考えていないらしい。ファルマも、調剤薬局ギルドの扱う、重大な副作用のない市販薬ならともかく、経験と知識のない者に高度な専門性を要する現代医薬品の調剤を任せるつもりはない。それが侍医だろうと、宮廷薬師だろうと。

「今、帝国医薬大学校で、新薬を取り扱える専門家を養成中です。最初の卒業生が出るまで、数年かかります。ですが、そういうときは……」

そこでファルマは、新薬を取り扱うための、シンプルな手続きを教えた。

御前会議で遺伝子治療の許可の出た数日後、いよいよ治療に急を要する次男オイゲンの遺伝子治療にとりかかることになった。処置は、大学ではなく処置室のある薬局で行う。

「こんにちは、今日はよろしくお願いいたします」

当事者の兄であるエメリッヒは弟オイゲンを連れて、ファルマの指定した時間に異世界薬局にやって来た。

「私たちも付き添いで来ました~」

にぎやかしい声がして、ロッテに似た妹たちもわらわらと一緒についてきた。

いつのもように接客に出たロッテは、改めてファルマに彼らを紹介され、戸惑っていた。

「ちょっとまってくださいね、この方々と血がつながっているってファルマ様。おっしゃる意味が……」

ロッテの口が、ぽかんとだらしなく開いている。

「つまり私たち、親族なんですって。はじめまして、ね」

妹たちはロッテと握手をし、対面を喜ぶ。

「でも私、平民ですけど! ですけど!? どうして貴族の方と血縁が?」

「ああ、それは色々あってね……」

ファルマは、話がこじれないよう横から事情を説明をする。

ロッテは、神力を失って平民となった元貴族の末裔だと知り、驚いていた。

「みなさん、何の属性の神術使いなんですか? 親類ということは、もしかして、私も頑張れば神術が使えたりするんでしょうか?」

ロッテは興奮し、好奇心がとまらないが、根本的に勘違いをしているようだったので、姉がロッテに教えてくれる。

「私たち兄妹の属性は全員、水か風のどちらよ。神力は生まれながらに持っているものだから、神脈がないのならあなたは無理ね、お気の毒さま」

ロッテは少し残念そうな顔をしたあと、いつもの元気を取り戻す。立ち直りの早い娘だった。

「そ、そうですよね。なんだか不思議な気分です。私、シャルロットと申します! 皆さまのお名前を伺ってもよろしいですか?」

兄弟姉妹のいないロッテは、いきなり兄や姉ができたように思えたらしく、嬉しそうに微笑む。

「遠い異国の地で、私たちの親族にこうして偶然に会えるなんて嬉しいわ!」

「私もです~!」

(あー、女性陣、みんな声が似てる)

同じようなトーンの声が、薬局内にきゃっきゃと響き渡る。

ロッテ成分三倍でにぎやかこの上ないな、とファルマも微笑ましい。話が盛り上がって一オクターブほど声が高くなると、途中から誰がしゃべっているのかファルマには聞き分けられなくなった。

彼女らは何やら真剣そうに話し込んでいたが、ファルマが聞き耳を立てていると、

「今度、皆で美味しいお菓子を食べに行きましょうよ」

「とっても美味しいクグロフの専門店を、帝都で見つけましたのよ。すっかり気に入って」

「ええっ、どこにあるお店なんです? 気になります! 初耳です!」

すっかりスイーツ談義で意気投合していた。

(やっぱりそうなったかよ……)

ある意味想定の範囲内、スイーツ好きは一族の血なのかもしれない、とファルマは思いながら、本題に入る。

「では、皆さん歓談しながら一階で待っててくださいね。行きましょう、オイゲンさん」

「先生、よろしくお願いします」

エメリッヒと彼女らを一階に残し、ファルマはエレンと一緒に、オイゲンを連れ二階の処置室に入る。

「さあ、オイゲンさん、その台の上に寝転んでください」

「おねがいします」

オイゲンは冷や汗をふきながら、ベッドに横たわる。緊張して体が硬くなっているようだ。オイゲンはいかにもな虚弱系の体格で、まだ死病を発症していないのに既に病んでいる雰囲気だった。

一族にふりかかる「薬神の呪い」と、逃れえない死を日常生活では忘れて意識しない者もいれば、四六時中悩まされて、精神的にまいっている者もいる。

オイゲンは後者のようだった。

(オイゲンさん、完治したら病気のことに煩わされなくなって、元気になるといいな)

「では気持ちを楽にしてくださいね。神術の光で目を傷めるといけないので、目隠しをしますよ」

仰向けになったオイゲンに、エレンが適当な説明をつけながらアイマスクをした。

「ところでまだ、不眠症の症状は出ていないのですよね?」

ファルマが治療前に症状を確認する。

「はい、まだ出ていません、よく眠れます。体が少し、ほてるような感じはありますが……まさかこれは初期症状でしょうか?」

「そうかもしれませんね。でも、違うにしても治療を早く始めるに越したことはありません。発症しなければ、神経細胞の破壊が最小限で済みますからね」

「そうですね、やはり今日やっていただいてよかったです」

オイゲンは覚悟ができたようだった。

「これからの処置に痛みはないと思いますが、違和感を覚えたら言って下さい、すぐに中止しますから」

手洗いを終えたファルマが、オイゲンに伝える。

「お願いします」

ファルマは手始めに、診眼を使ってオイゲンの体を診た。

既に致死性家族性不眠症を発病してしまった彼の全身が、ほんのり赤く見える。

赤い光は、治療不能な疾患であることを意味していた。

(うわ、赤いぞ。前は光が診えなかったのに、進行が早いな。早く治してしまわないと)

放っておけば、あと一年そこそこでオイゲンの死は不可避となる。

そして、これ以上進行して神経細胞が破壊されきった後では、さらに神経細胞の再生という、困難きわまるステップを踏まなければならなくなる。

まだ、オイゲンの神経細胞は無事で、彼も不眠になっていない。

絶妙のタイミングだった。

(一日でも遅らせることはできない、薬の準備はできた。発症する前に治す。今日、決行だ!)

ファルマは、地球では未踏の一手で不可能を乗り越えようとしていた。

チート能力と地球の医薬の相乗効果で、全身遺伝子治療が可能になったのだ。

ファルマは躊躇を振り切ると、オイゲンの服の上から、格子状に区画を書き番地をマーキングをする。

体のどこに投与をしたか、正確に把握するためだ。

「随分変わった神術なんですね。くすぐったいです」

マーキングをくすぐったく思ったのか、オイゲンが体をねじる。

「ああ、動かないでくださいね。すぐに終わりますから」

エレンがオイゲンの体を固定したからか、オイゲンの心拍数が上がる。オイゲンにはファルマたちが何をしているか、知られてはならない。

彼は”神術”の詳細を知らないからだ。本来なら治療の説明をして患者の同意を取るべきだが、ファルマの手が透けることを利用した治療法だ、などと言えるわけがなく、そういう神術という説明にとどまっている。

だが、その神術によって発生する副作用やリスク、後遺症の可能性は全て説明した。

「ファルマ君、薬の調製できたわよ」

「ありがとう」

理論投与量を計算し準備した標識物質をつけた抗プリオン抗体、そしてCRISPR/Cas9、修正用配列その他一式の混合溶液をエレンに手渡してもらう。

ファルマはくまなく「透過投与」と名付けた、彼の手が人体を透ける特性を利用した投与方法で、そっと標識済み抗体と遺伝子治療薬を投与していった。

「順調ね。五番区画、いいわよ。次は六番、投与量も間違っていないわ」

エレンの万全なガイドのもと、ファルマは機械的に作業を続けてゆく。無事、全身投与が終わった。

「全区画、投与できているわ」

「わかった、次の工程に行くよ」

(”5-カルボキシフルオロセインを消去”)

ファルマはすかさずオイゲンに右手をかざし、無言で消去の能力を発動した。

プリオンタンパク質を認識し結合している抗体、それを標識した、人体には存在しない蛍光物質を狙って消去すると、正常、異常を問わずプリオンタンパク質との結合部位も一緒に破壊できる。

一部を破壊されたタンパク質はすみやかに分解される。

「これですべてのプリオンタンパク質を破壊した筈だ。あとは、遺伝子治療が始まっている頃だよ」

「同時に投与した遺伝子治療システムは、もう既に動き始めているのよね?」

エレンが確認する。

「そう、これからが正念場だ」

オイゲンの体細胞中の遺伝子を、CRISPR/Cas9と、修正用の配列が正しく書き換えていることだろう。

この処置によって、今後オイゲンの全ての細胞の中で産生されるプリオンタンパク質は、正常型のみになる。

生殖細胞も書き換えているので、遺伝病が子孫に遺伝する心配もなしだ。

日を改めて何度か同じ治療を行うことで、取りこぼしの細胞が存在しないようにする。

理論的には可能。そして、動物実験でも、これまでのところ重篤な副作用もなく成功している。

あとは、人間の患者に効くかどうか。それがすべてだ。

「さあ、うまくいったかな」

ファルマは深呼吸し、凝り固まった肩をほぐして一息ついたあと、診眼を発動した。

オイゲンの体を包んでいた赤い光は、すっかり消えつつあった。

(ひとまず、成功か)

治癒不能であることを意味する赤い光を克服したことに、ファルマは感動する。

「どう、ファルマ君?」

おそるおそる尋ねるエレンに、ファルマは指先でマルを作ってにっこりと笑った。

エレンも一緒になって喜んだ。

喜びを分かち合おうと、ファルマが寝入っているオイゲンを起こす。

「終わりましたよ、オイゲンさん」

「はっ?! もう!?」

オイゲンは、ベッドから飛び起きる。

「うとうとして、気持ちがよくて……」

「ゆっくり起きてくださいね、立っても大丈夫ですよ。ご家族のところに行きましょう」

ファルマは薬局の一階にオイゲンを案内する。エメリッヒが螺旋階段の下で待ち構えていた。

「お前、どうだ。何ともないか?」

「何ともなかったよ。ずっと寝ていた、快適だった、憑き物がおちたみたいにすっきりしているんだ」

オイゲンは生まれ変わったように、見違えるような明るい表情をしていた。

「教授! 弟はどうなりましたか……」

エメリッヒは緊張しながらファルマに尋ねる。

ファルマは白衣の袖を下ろし、両腕の薬神紋を隠しながら頷く。

「成功していると思うよ。今日のところはね。あとは、経過を見守っていきましょう」

「ありがとうございます! ありがとうございました! 恩にきます!」

エメリッヒは弟の快復を、自分のことのように喜んでいた。

「ファルマ様! 患者さんがいらっしゃいました。これを持ってこられましたよ」

彼らが帰宅するのを見届けたあと、ロッテがファルマに 封蝋(ふうろう) 印のついた封筒を手渡す。

「今日の診療は終わったんだけどな、わかった。時間外だけど診るよ」

ファルマは封筒の中をあらためた後、弾んだ声を出した。

「そうか、これが来たか!」

「なあに?」

エレンが手に取る。ファルマが異世界薬局を創業して、初めて手にしたものである。

書かれていたのは、

患者の氏名、年齢、住所、発行年月日、発行者、貴族(その場合は属性と守護神)・平民の別、

そして、処方。

「処方箋(prescription)だよ。医師からのね」

処方した医師は、クロード・ド・ショーリアック(Claude de Chauliac)。

帝国医薬大・医学部教授にして侍医長のクロードが、院外調剤薬局である異世界薬局に処方箋を書いたのだ。

外傷の手術の術後に、術後感染症の予防にファルマの取り扱う現代医薬品のセフカペン ピボキシル塩酸塩を処方していた。体重から計算して、用量も指定し、服薬方法も記載されている。

クロードがファルマの薬を取り扱いたいと言ったとき、ファルマは「処方箋を書いてください」と答えたのだった。様式はクロードが考えたようだが、日本の薬局に共通する点がいくつかある。

ファルマは待合席で座って待っていた伯爵に会い、手順に従って、処方が正しいか確認する。

「今日は、何故クロード先生の診察を受けましたか?」

「ああ、昨日、ここをざっくりやってな。使いに薬をとりに行かせず直接ここへ手紙を持って行けというので、わざわざ来たのだ」

伯爵はあやまってナイフで指先を深く切ったので、かかりつけ医であるクロードを呼んだとのこと。

ファルマは診眼を使い、処置したあとの傷がきれいで、化膿をしていないことに驚いた。

処方箋に添えられた手紙によると、ファルマの教科書と講義を聞いて処置の方法を変えたと書いてある。

「なあに、侍医長様が薬を指定してきたの? 患者さんを送ってくれたら、ファルマ君がこっちで診るのに? パッレ君がいつもそうしてるじゃない」

エレンが意外そうな顔をする。

「患者を送ってくるのと、処方箋を送ってくるのは意味合いが違うんだよエレン」

診療と処方が医師の仕事で、監査と調剤が薬師の仕事だ。

ファルマが前世に薬剤師だった頃の感覚からすると、薬師の診療、つまり薬師が患者を診察して独立処方するのを、できれば避けたいと思っていた。

(医師が診療して、処方箋が外から来るのが本来の調剤薬局だと思うんだよな。医薬分業が原則だ)

日本では医師の処方した薬を、薬剤師が監査し、疑義があればこの薬でいいのか医師に問いただす。

処方に疑義がなければ調剤し、調剤した薬剤師でない別の薬剤師が、最終監査する。

二段階の監査が行われ医薬品が患者に適正に用いられる、それが調剤薬局であってほしい、とファルマは思う。

「クロード先生の処方したセフカペン ピボキシル塩酸塩でも悪くないけど、この場合はより効率よく人体に吸収されるセファクロルのほうがいいかな」

そういう細かい薬剤選択の検討もそのうちしてゆけたら、とファルマは思う。

クロードの処方箋は、サン・フルーヴ帝都に現代医学が少しずつ根付くきざしをファルマに感じさせた。

「少しずつ、変わっていってるよな。この世界の人々も……」

エレンは感慨深そうに呟くファルマに何か言いたげなまなざしを送り、仕舞ったビーカーと薬包紙をファルマのために取り出してきた。

ロッテは鼻歌を歌いながら不足分の薬袋を折り、セドリックは、薬局の売上金を計算し金庫へとおさめる。バイトの薬師たちは、営業時間が終わったのでぺちゃくちゃ喋りながらカルテの整理と、調剤台の掃除にいそしんでいる。

そしてファルマは、やってきた処方箋を真新しいファイルに綴じ、新鮮な気持ちで今日最後の患者の調剤をはじめた。

変わったのは自分もだろうか、と実感しながら――。