軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5章16話 ゲノム編集技術と、薬神からの宿題

早朝、教授室で一夜を明かしたファルマとエレンと鉢合わせした秘書ゾエの誤解をやっと解き、彼女が秘書室に戻っていったのを見届けたファルマは、ふと教授室の時計を見て慌てはじめた。

「まずい、薬局の営業が始まる時間だ。エレン今日講義あるっけ?」

「え、私午前中は神術実習の授業があるから薬局に出勤できないわよ? どうしよう、バイトの薬師たちだけで店をあけられる?」

エレンは週に一度、午前中に神術実習の講義を受け持っていて、それを楽しみにしていた。

従来通りの貴族向けの体育、に相当する授業だ。初回の授業では全員を相手にして神術試合をしたわ、などと言っていたから神術実習はデスクワークが増え運動不足を感じているエレンの、ちょっとした気分転換の場になっているのだろう、とファルマは思う。ちなみに、平民出身者は神術が使えないので別メニューのエクササイズが用意されている。

「俺も今ちょっと実験を仕掛けているから手が離せないな。今日は兄上が暇だって言ってたから、代診を頼もう」

ファルマは思い出してメモを書くと、大学の伝書鳩を借りてメディシス家へと手紙を飛ばした。大学の講義や準備などで忙しい時には、パッレが薬局の診療を手伝ってくれたり、講義の代理をしてくれたりもする。

「いいの? パッレ君にそんな気安くお願いしても、後で怒られたりしない?」

「兄上は症例数が必要だから、回してくれって言われてるんだ」

パッレは一級薬師なので、往診で王侯貴族を診るのが常だが、薬局で診療するとメリットがある。一級薬師には、年間症例数いくら診なければならない、という診療ノルマがあるからだ。

特に事情もなくそのノルマを大きく下回るようだと、経験不足として二級薬師に降格になる場合もある。パッレは白血病を患っていた間診療ができなかったので、患者が足を運んでくれて一気に症例数を稼げる異世界薬局でのバイトを重宝していた。

「ああ、症例数は確かに。私も薬局で働き始めてから困ったことないわね。毎日百人以上来るものね、実務経験はたくさん積ませてもらったわ」

エレンも、常日頃から感謝していた部分だった。

ほどなく屋敷の鳩から返事がきて、パッレは今日一日、診療を引き受けてくれるようだ。

「ところでファルマ君、聖泉はどうだったの? 危険なことはなかった?」

二人はようやくそれぞれの仕事にとりかかり、エレンがファルマに昨夜の経緯を尋ねる。聖泉に何があって、何をする場所であるか、ということはエレンは知らない。ただ、守護神の秘密にまつわる重大な聖跡だということは、彼女の頭に入っている。

「危険といえば危険だったけど……それより思いがけないことが色々あってさ」

ファルマは異界の研究室の話をうまく伏せながら、エメリッヒ一族の遺伝子解析結果をエレンに伝えると、彼女は大混乱していた。

「え? エメリッヒ君たちの全ゲノム情報を読んできた?」

「うん。PCRでもできるけど、もっと大規模に遺伝情報を読む方法があるんだ」

ファルマは異界から持ち帰ったPCを触り、遺伝子解析を急ぎながらエレンと言葉を交わす。ファルマはカタカタとキーボードを打つ感触が懐かしい。

久しぶりのPC画面での作業で、眼精疲労がひどいが、これまでのアナログ生活から考えれば、捗るといったレベルを超えている。ファルマとしても、文明の利器にアクセスできることに感謝するばかりだった。

エレンは教科書を見直しながら、信じられないといったように中腰になる。

「ま、待って……ヒトのゲノム情報って30億塩基対とかあるのよね。それを全部読んだってこと? どうやって?」

エレンはメガネがずり落ちて床に落ちてしまった。

幸い、教授室にはカーペットが敷かれていたのでメガネは割れなかった。

「メガネ気を付けて」

「ねえ、聖泉にそういうことができる秘宝があるの? そう?」

「まあ、そんなところ」

研究室にあった大規模解析のできる遺伝子解析装置についての、詳細は濁しておく。

エレンは秘宝と聞いて受け入れられたのか、驚愕から絶望の表情へと変わる。

「そっか……エメリッヒ君の一族は全員遺伝してたのね……ロッテちゃんは遺伝してなくてよかったけど、今後の経過が分かるだけに辛いわね。彼、発症する前に自殺するって思い詰めてたし、結果をどう伝えたらいいのかしら」

ロッテに遺伝していないと分かったのが、不幸中の幸い。

だが、エレンも、教え子が死病に苦しめられるのをなすすべなく見守るしかない、というのはやるせないようだ。

「だな……次男はもう発病しているみたいだよ。症状が出ていないだけで」

と言いながら、ファルマは持ち帰ったノートPCのモニタ部分を凝視している。

エレンはファルマの視線の先に気付き、目を凝らした。

「ところでファルマ君が見ている、そのうーっすら見える光って何?」

「え、エレンこれ見えるのか?」

「見えるわ。発光してて、四角形で半透明の。それ、聖泉から持ってきた?」

エレンは、立ち上げたままのノートPCをファルマの後ろから覗き込む。エレンに聞いてみると、不思議なことに液晶面だけは見えているようだ。

「聖泉から持ってきたんだ。秘宝化してしまってちょっとモニタが透けすぎて見づらいけどな。じゃ、これは見えない?」

ファルマはノートPCのディスプレイ部分をパタンと閉じてみた。

「あれ、見えないわ。どこに隠したの? 不思議!」

エレンはきょろきょろしているが、ファルマにはもちろん見えている。液晶ディスプレイ以外は人に見えないうえに、触れないようだ。盗難防止にはもってこいだった。

ファルマは安心してディスプレイを開く。誰にでも見えてしまうと困る。

「本当はこういう形をしているんだよ」

ファルマは紙にノートPCの模式図を書く。

エレンはへえ、全然見えないわ、と唸った。彼女はそれを秘宝だと思っているので、詳しい仕組みなどは聞いてこない。逆にそれが、ファルマにはありがたい。

「見たことのない文字が宙に浮かんでいるわ……ファルマ君これ読める? 何してるの?」

「計算してるんだよ。遺伝情報を解析してる」

「ファルマ君って。いったいどんな高度文明の知識持ってるのよ……本当に何でも知ってるのね」

エレンにならば見られてもいいから、とファルマは特に警戒もなく説明しながらコマンドラインを打つ。

「知らないことの方が多いし、買いかぶりすぎだよ。今回の病気についてもね」

「そうだったわね。ファルマ君、致死性家族性不眠症の治療法思いついた? 私も、色々考えてみたんだけど……見てくれる?」

エレンは、徹夜で考えていたらしいアイデアノートをファルマに見せてくれる。

かなり時間をかけて考えたのだろう、何十ページも、様々なアイデアが精一杯捻り出されていたが、採用できそうなものはなかった。とはいえ現代の地球においても、ファルマが転生するすぐ前までは治療法は見つかっていなかったので、エレンの行き詰まりも妥当といえる。

「どう? 使えそうなのあった?」

エレンは、何かヒントがあったかしら、と無邪気に訊いてくる。エレンはこの世界の薬師としてはエリートだが、ファルマに対してだけは全く相手にならないので学生モードになる。

「あー……うん、ありがとう。参考になるよ」

ファルマの反応が芳しくないので、エレンは恥ずかしそうにアイデアノートを奪い返す。

「その。ごめんね、力になれなくて……」

エレンはしょんぼりと両手で顔を覆う。それはもう、赤点をとった学生のように落ち込んでいた。

「いや、惜しかったのもあったよ。助かるよ!」

ファルマはエレンを励ますが、歯切れは悪い。

エレンは一つため息をついて、気を取り直した。

「じゃあ、ファルマ教授の回答を聞こうかな。ファルマ君、エメリッヒ君に”発症する前に遺伝子変異を治してしまえばいい”なんて言ってたでしょ? あれってどうやるの?」

遺伝子が生体の設計図の原本だとすると、遺伝子変異は情報の誤った原本だ。

その情報通りにタンパク質を作ったら、病原性プリオンができ続ける。

原本を直さないといけない、というのはエレンにも理解できていたようだった。

「ああ、それはね。教科書には書いていなかったんだけど……思い通りの部位のゲノムDNAを削除、置換、挿入ができる、クリスパー・キャス9(CRISPR/Cas9)っていう技術を使う」

その技術を遂行する試薬一式は、既に研究室から持ち出してファルマの手元にある。

この新技術が見出されたのは2010年代に入ってからのことで、ゲノム編集技術として急速に普及が進み、生前のファルマもその研究にどっぷり絡んでいた。

「エメリッヒ君たちが苦しんでいる病気の原因となる遺伝子変異を、書き換えて治せる方法があるってこと?」

「うん、まあざっくり言うとね。そのシステムを積んだウイルスを患者の全身の細胞に感染させて働かせる。これが準備段階」

「ウイルスを全身感染なんてさせたら、感染症で死んでしまうんじゃない!?」

「病原性のあるウイルスはそうだね。でもアデノ随伴ウイルスっていうウイルスがあって、それは殆ど病原性がないんだ。それを使う」

「ウイルスには毒性のないものもあるのね……」

エレンはウイルスによって病原性に違いがあることを、思い出したらしい。

とはいえ、ファルマも全くウイルスの危険性を心配していないわけではない。

もし万が一、ウイルス感染が重症化しそうになったら、ファルマはウイルスに目印をつけておいて、その物質めがけて消去の能力を使えばウイルスごと消えるので、一応安全策は用意できる。

「ていうか、ウイルスを増やしたりする操作は、俺以外の人にやってもらわないといけないけどな」

「え、私? だめよ、自信ないわ」

エレンがファルマと目があって、無理無理、と首を振っている。

「やらかしそうだもの。ウイルスひっくり返してぶちまけちゃいそう、そしてほかの皆を感染させちゃいそう」

メガネの取り扱いを見ていると、確かに心配だ……と思うファルマだった。

「慎重に頼むよ。俺、ウイルスも細菌も聖域で殺しちゃうから、もう増やせないし取り扱えないんだ、悔しいけど」

ファルマが持っている聖域も、困ったもので、ウイルスや細菌の性質を利用して遺伝子操作をする研究には、ファルマはもう携われそうにない。

「なんか、ファルマ君かわいそう」

エレンに同情されるが、薬学者泣かせの能力だ、とファルマは切ない。

「まあ、ウイルスの話は置いておいて。ちょっと複雑になるから、ゲノム編集の仕組みはこのヒモを使って説明しようかな」

ファルマは手近にあった荷物用のヒモを、エレンに説明するために二重にして持った。

紐の真ん中あたりに印をつけ、そこをエメリッヒ一族の持つ遺伝子変異部分と仮定する。

「ウイルスが全身感染したら、ウイルスに搭載していた遺伝子変異を検出するようにデザインしておいたRNAがゲノムに結合して、それを目印に酵素が遺伝子の変異部分を切断する」

ファルマはエレンに紐を見せながら、ナイフで、遺伝子変異部分を挟むように二本の紐をざっくりと切る。

「あれ? この紐、切りっぱなしでいいの? DNAが切れたってことになるわよ? これって遺伝子が破壊されたことになって大問題よね?」

エレンが切られた紐の切れ端に視線を向ける。

「もちろん切りっぱなしだとまずいよ。でも、生体のシステムは偉大なもんで、遺伝子修復システムが勝手に修復してくれる。DNAの修復をしてもらう時に、変えたい配列を紛れ込ませると、それも取り込んでもらえる」

切り取られた遺伝子変異部分に相当する領域に、ファルマは短いリボンをあてがい、抜け落ちた情報を補うように紐と紐の間に、正常な遺伝子領域にみたてたリボンを結んで繋いだ。

「この、ドサクサに紛れてゲノムに組み込む用のリボンはどこから出て来たわけ?」

「これもウイルスに積んでおくんだ。さて、これでゲノムは正しい配列に修復されて正常なプリオン遺伝子になったよ。悪いところはもう、どこにもない」

「えっ、まさかそれで終わり?」

エレンは目を大きくした。

「まだ病気を発症してない人はそれで根治するね」

「もう、患者ではなくなるってことよね?」

エレンは念入りに確認する。

「これで本人も、そして子孫も呪いから解き放たれる」

彼女はファルマの切り貼りした、ゲノムに見立てた紐を受け取り、ぴんと張って確認した。

「それって治った……ってことになるの? 遺伝子を書き換えたってことに? もう、ファルマ君ったら。治療法、知ってるんじゃない。もったいぶって」

とエレンが、ほっとしたようにファルマをなじっていると、

「そうなればいいよね」

ファルマはそう言って悩ましげに頬杖をついた。

「実際には、多分こうはいかないんだよ」

楽観視できない理由はあった。

「うまくいきそうにないと思っている点はどこ? 私からすると完璧に聞こえるけど」

「脳や脊髄、各臓器にはウイルスを排除する生体防御機構があるし、ウイルスが全身の100%の臓器や組織に感染できるわけじゃないし、さらに細胞に入ったとしても遺伝子が改変できる効率は100%じゃないんだ。つまり、どうしても遺伝子改変できない、取りこぼしができる」

「ってことは、遺伝子治療ができていない細胞が残って異常プリオンは未治療の遺伝子からでき続けるってわけね」

さらに付け加えると、ターゲット以外の、ターゲットに似た遺伝子配列も書き換えてしまうリスクもあったが、それについてはファルマは従来よりエラーの数千倍少ない改良型の酵素を作製していたためさほど問題にはならないので、それについては黙っておいた。

「ところで、全身の細胞にそのゲノム編集用の酵素一式が行き届けばいいわけよね? そのために別にウイルスを使う必要はないんでしょ?」

「ウイルスを使わないと、全身の細胞に入れるのは至難の業だよ。なにせ、薬剤は拡散して薄くなるからね」

薬剤や治療因子を全身にいきわたらせる、それが遺伝子治療の難しいところなのだ。

「あるじゃない、他にも方法が」

エレンはファルマの教授机に近づいてきて、真正面から彼を覗き込んだ。

あまりに意味深にファルマを見るので、ファルマはしかめつらになる。

「何?」

エレンはもったいぶってファルマの手を取り、鎖骨のあたりに彼の手をあてがわせた。

「へっ? ちょ、何やってんの?」

ファルマはびくっとし、彼女の肌の感触に戸惑う。エレンは照れくさそうにしながら、ファルマの手を、彼女の体に強く押し付けた。

「あ……」

ファルマの手は透けて、エレンの体内に入る。

「ほら、こんなふうに」

エレンは甘ったるい声を出した。

「君の手の中に治療薬を握って、患者さんの体の中に手を突っ込んでかき混ぜれば、全身の細胞に薬がいきわたるんじゃない? 物理的に。それでも遺伝子改変効率が悪いなら、一回では治しきれなくても、何度かやれば累積で100%に近づくんじゃない?」

凄いことを考えたものだな、とファルマは圧倒される。

ファルマの中でほぼ固まっていた遺伝子治療の常識を覆らせ、その発想はぶっ飛んでいた。

「確かに、ありだ。治療法じゃないけど」

えげつないほどのチートを使ったアイデアだったが、効果は絶大だ。

現代医療でネックとなっていた部分を、解決できるかもしれない。

「よかった。一つアイデアが採用されたわ、ちょっとズルだと思うけど」

エレンは嬉しそうだった。

「次男さんは既に異常プリオンが蓄積し始めているから、産生された異常プリオンも何とかしないといけないな」

異常プリオンは、正常プリオンを異常型に変えてしまうので、異常型プリオンは全て取り除かなければならない。異常型プリオンの除去については、エレンのアイデアで克服できそうだった。

異常プリオンを標識して結合する抗体を、ファルマが患者の体に手を突っ込んで全身に拡散させる。その抗体に、人体にはない特殊な目印となる物質をつけていれば、ファルマはその物質に対して消去の能力を使って、異常プリオンごと消せる。

正常プリオンも異常プリオンも一時的に全身から消えるが、遺伝子治療によって正常になったプリオンタンパク質がすぐに産生され始めるだろう。

次男も、これで治療ができそうだ。

時間はかかるだろうが、エメリッヒの一族はうまくゆけば、これで全員が救われることになる。

生殖細胞も全て治癒することで、彼らの子や孫も、発病の恐怖に怯えなくて済む。

(かなりリスクを甘く見積もって、だけどな……神頼みより少しいいくらい、だ)

投与方法に前例がないため、失敗すれば何が起こるか想像もつかない。

全身遺伝子治療は、動物実験でようやく始まったばかり。人間ではまだ成功していない。

それでも、次男に関しては、やるよりほかに選択肢がないし、やらないよりはいいだろう。それに、最悪ゲノム編集の効率が期待していたより悪くても、異常プリオンタンパク質をファルマが消し続ける限り、症状の進行を、ほぼ健常人と変わらないほどに遅らせることはできる。

ファルマは遺伝子解析の結果をまとめ、治療方針とあわせてエメリッヒを教授室に呼び出し説明した。エレンも同席してくれた。

エメリッヒは一族全員に死の遺伝病が遺伝していたと分かりショックを隠せない様子だったが、ファルマの提示した治療法に、希望の光を見出したようだった。

「教授の神術と、その遺伝子を改変する技術を組み合わせたら、根治ができるかもしれないということですか?!」

エメリッヒはよほど嬉しかったのだろう、椅子から飛び上がり、全身で喜びを表した。

「かもしれない、だけどね」

ファルマはぬか喜びにならないよう、慎重な姿勢に徹する。

「その神術、ぜひ私にも教えてください!」

「それはできないんだ。俺の神術は、他の薬師には使えないから」

それがどういう意味なのか、エメリッヒはにわかには理解できないようだった。だが、ファルマは特殊な属性の神術使いなのだと説明する。

「つまり、メディシス教授の属性は無属性に近いということでしょうか……なるほど、教授にお手合わせいただいたとき、神術の属性が読めなかったわけです」

エメリッヒは感服した。

「でも、それなら教授以外には誰も治療ができない……」

エメリッヒの一族については、治せるかもしれない。

でも、それではだめだとエメリッヒが、一人の薬師として感じてくれればいい、とファルマは願う。

「そういうことだ。それはつまり、この病気の治療法はまだ、確立していないに等しい」

ファルマは率直に言った。

一代限りで使えなくなってしまう方法では、後世の患者を救えない。

その治療法は、科学的根拠があって、臨床試験で評価されなければならず、他の薬師にも取り扱える必要がある。誰にでも扱える技術でなければ、治療法を打ち立てたことにはならないのだ、とファルマは説いた。

エメリッヒにも、ファルマの意図はひしひしと伝わったようだ。

「俺はこの方針が実現可能かどうか、自分で検証してみるよ。具体的には、植物や小動物を使って予備試験してみる。それで上手くいったら、次男さんに。次男さんが上手くいったら、君を含む他の家族にもやってみよう」

エメリッヒはファルマの計画を静かに聞いていた。そして、ぼんやりと天井を眺めた。

「エメリッヒ君? どうしたの? 話はわかった?」

エレンが、一見上の空にも思えるエメリッヒの肩をぽんぽんと叩く。話が理解できなかったのか、と問うとそうではないらしい。

「じゃあ、そういう方針でいいかな?」

ファルマが確認する。もちろん、エメリッヒの家族一人一人にも説明をして、同意を取るつもりだ。

「ありがとうございます。教授の神術と最新技術で、弟妹たちをお救いください、よろしくお願いいたします。感謝します」

エメリッヒは大きく深呼吸をして、ファルマの言葉をかみしめるように目を閉じた。

(ん? 弟妹たちって言ったよな? 自分は?)

ファルマはエメリッヒの言いぐさが引っかかった。

「教授、私は決めました」

「何を?」

「私の遺伝子は、治さないでください。自分でこの呪いを解いて……自分で治してみせます」

致死性家族性不眠症を含む、プリオン病の治療法を研究することに決めた。

エメリッヒはファルマの前で宣言した。

「どうして私の一族は病気になったのだろうと、ずっと考えていました」

考えても、考えても、守護神である薬神から呪われる理由が分からなかった、とエメリッヒは苦しそうに述懐する。

「でも、今、やっと分かったような気がします。あなたとの出会いを経て、この病気の治療法を完成させることが、私の守護神である薬神様からの宿題に思えてならないのです」

どこか強がりともとれる、エメリッヒの決意は固かった。

ファルマは彼の強さに驚いたが、頼もしそうに目を眇める。エレンも、そっと励ますように頷いた。

「薬神様も、見ていてくださると思うわ。そんな気がする」

エレンはそう言って、ファルマにさりげなく視線を送る。ファルマは肩をすくめて、きまりわるそうに咳払いをし、エメリッヒを激励した。

「分かった。君の治療はしない、自分で治してみせてくれ」

「ありがとうございます! 死にもの狂いで頑張ります!」

ファルマは恐怖に打ち勝ち、奮い立ったエメリッヒの勇気をたたえた。

「今日から、この研究室にあるものは自由に使って研究していいからね。アデノ随伴ウイルスもあるから、改造するといいよ」

「光栄です! ぜひご指導ください」

(俺にとっては、前世から引き継ぎの宿題だな。エメリッヒとどっちが先か、競争だ)

志を持って研究の世界に飛び込んできた人間は強靭だ、ファルマは思うのだ。

命がけで治療法を探そうとするエメリッヒが、大きな成果を手にできるように。

それが実現するよう指導するのが自分の役割だと、ファルマは決意を新たにする。

指導教官として、研究の支援は惜しまないつもりだ。

そしてファルマ自身も、薬神の能力に頼らない全身の遺伝子治療法を模索してゆこうとしていた。