軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5章2話 カモガヤと神炎の七日間

1147年6月。興味本位から自身の生殖機能検査など行ったファルマだったが、一か月もすると日々の忙しさに忙殺され、女帝から出された妻を娶れという宿題はすっかり忘れつつあった。

元日本人薬学者が憑依する、肉体年齢12歳のファルマとしては、結婚問題は子供が子供を持つようで考えられないものだった。

ちなみに、ロッテの前で憲兵に通報されても文句の言えない露出狂行為をやらかして一時は自害したくなったファルマだったが、ロッテは後をひかない性格なので、一週間もすれば忘れてくれた。彼女の性質に助けられた恰好だ。

そんなある休日。その日は天気がいいので、ファルマとロッテは馬車を使わず、仲良くのんびりと河原を歩いていた。サン・フルーヴ河のほとりには多くの人々が寝そべったり散歩を楽しみ、水際で憩っている。

両河岸には草花が青々と生い茂る、新緑の季節だ。

(サン・フルーヴ帝国には梅雨がないから過ごしやすくていいなあ。ヨーロッパと同じ感じの気候だよな)

もともと湿度の低い帝国は、年中温暖でカラッとしている。ファルマは湿度が高いのが苦手だったので、心地よく感じた。

「わあ、お花きれいですねー。ちょっと摘んできます」

ロッテは野花の花束を手際よく作って、ファルマに見せにっこりとほほ笑む。

「薬局の受付に飾りましょう。それから、いい画題にもなります」

「いいね。ロッテの絵は薬局に彩を添えてくれて、ありがたいよ」

ロッテの画のうち何枚かは、ファルマが薬局に飾らせてもらっていた。それは色鮮やかで心安らぐ色彩で、訪れた患者の目を楽しませる。

「今日はこのまま歩いて宮廷工房に行きます。絵具を取りに行きたくて」

宮廷画家としてのロッテの画業と、デザイン制作は順調だった。メロディとの合同の個展も企画している。ロッテの作品の制作拠点はメディシス家の自室だったが、薬局の勤務が終わるとファルマは大学へ、ロッテは宮廷工房へ顔を出す。

「あ、宮殿に行くなら俺も一緒に行くよ」

「本当ですか!? ではご一緒に」

ロッテはファルマに寄り添って歩く。少しだけ、ロッテと体が当たる。

(ん、距離が近いな)

以前のロッテは三歩下がって歩いていたのだが、距離感が縮まってきたのを感じるファルマだった。

ファルマがロッテとともに宮殿に向かったのは、サロモンに会うためだ。

サロモンは、神術顧問として高度な神術を教える仕事を任され、会議室での講義を終えた直後だった。

「え? 太陽の下で透けるので透けないようにしたい、と。ははは、御冗談を、いくら何でも透けるわけ……」

「本当ですし切実なんです」

これまで、ファルマは影ができないのを誤魔化すため、神力をカットする護符をサロモンにもらってそれを胸ポケットに入れ身に帯びてきた。それで影のできない状況を緩和できていた。だが、もはやそれだけでは影のできない状況や透明化を防げなくなっている。

「前にいただいた神力抑制護符では、抑えられなくなってきたみたいです」

「それは困りましたね。これ以上きついものをとなると神封じの術になりますが、まさかファルマ様相手にそういう訳にもいきませんし……」

「神封じというのは、何なんです?」

ファルマの問いに、サロモンは説明しにくそうに口を開く。

「守護神を封印する禁術の体系です。ファルマ様にはおそろしく効果があるかもしれませんが。それはさすがに……!」

「よかった。それ、やってくれませんか」

話を聞くなり乗り気のファルマに、サロモンはきょとんとした。

「ファルマ様に、神封じをしろと仰るのですか? この私めに?」

「そうです。難しいですか?」

どうやらファルマは本気らしいと知り、サロモンは慌てた。

「いいいいけません、いけません。信仰に反します、私が封じるのは悪霊でこそあれ、守護神であるファルマ様を封じるなど……とんでもない!」

「俺なら構いません。体が透けてるのを見られて、薬局に来た人や町の人に怖がられるよりよほどいいですし、そういうわけなのでお願いします」

「うう……ファルマ様の頼みでしたら致し方ありませんが……痛みますよ?」

というわけで、サロモンは気が進まないと言いながらも、ファルマに禁断の呪符を書いて渡した。

「これを肌に貼ってください。腕の薬神紋に直接貼るのがいいでしょう。薬神紋を封じれば、かなり神力を抑える事ができます。でも我慢ができなければ、剥がしたほうがよろしいかと。なにしろ、守護神に激痛を与え弱体化させると言われている禁忌の符、破戒符と呼ばれるものですから。ああ、そんなものをファルマ様にお渡ししなければならないとは」

「おっ、ありがとうございますー」

ファルマは怖れ慄くサロモンを横目に気楽なもので、無防備に袖をめくり、両腕の薬神紋にペタっと呪符を貼り付けて包帯で腕ごと巻いた。

「ひっ!? そんな一気に!」

サロモンが悲鳴を飲み込み、飛び上がる。

「あ……ピリピリしてきました。痛いっていうか、どっちかっていうと気持ちいいです」

サロモンはファルマが恍惚としているのには触れない事にした。

「げ、激痛の筈ですが……」

「ソフィの電撃に比べれば全然」

ファルマはいろんな意味で訓練されていた。

「そ、それはよろしゅうございました」

ファルマの神力は減弱し、透明化は解消。しかしサロモンから見たファルマの変態力も一緒に上昇した。

「もしかすると、大神殿の神封じの秘術も、ファルマ様にはさして効かないかもしれませんね」

大神殿を警戒しすぎることもないのかもしれない、とサロモンは心の片隅で考えた。

「ありがとう、サロモンさん。いつも助かってます」

「ど、どういたしまして。神封じにかかってもきちんと神術が使えるかどうかは、あとでご確認ください」

「はーい。確認しときます」

(もしかして、いまの呪符貼ったら物質創造や消去の能力も使えなくなってるのかな。それは困るな)

そんなことを考えながら宮廷工房にロッテを迎えに行くと、絵画制作中のロッテが身をかがめて、小さく鼻をかんでいた。

「ロッテも帰れる? それとも俺が先に帰ったほうがいい?」

「あっ、一緒に帰ります。ちょっと体調が悪いみたいで……」

鼻をかみすぎたのか、鼻の下が赤くなっている。

「鼻水がとまらなくて。風邪みたいですー」

話しているうちに、またつーっと鼻水が流れてきたらしい。くるりと後ろを向いて、鼻をかむ。

「今日は早く帰って休もっか」

ファルマがロッテを気遣う。大して酷くはなさそうなので、安静が一番だ。

「はい、ありがとうございます。そういえば、陛下もお風邪ですって」

「へー」

帰宅したファルマがサロモンの忠告に従いざっと自身の能力をチェックしたところ、物質創造能力、物質消去能力はこれまでと同じように発動した。

(神術に問題は起きてないか、よかった)

ファルマはほっとした。

「風邪か……ん? レベッカ?」

翌日、ロッテは出勤したものの、風邪は治る気配はない。そしてレベッカまでも鼻の下を赤くしていた。

「レベッカまで風邪? 流行ってるのかな。早くあがっていいよ」

ファルマは二人を気にかける。

「はいっ、でも元気です! 店主様!」

レベッカは恥ずかしそうにした。

「そういえば、ファルマ君の近くにいるのに二人とも風邪って、珍しいわね」

ほら、聖域があるのに。とエレンはファルマに耳打ちする。聖域の秘密を知っているのは、エレンとセドリックだけだ。

「確かに……変だな」

エレンは風邪をひいてはいない。セドリック、肝っ玉母さん薬師セルスト、青年薬師のロジェもだ。聖域というのは、ファルマが存在するだけでファルマの周囲数キロで発動しているというパッシブスキルのようなものだ。圏内にいる人間は、感染症や病気になりにくくなる。それにしては、とファルマは考えた。

(二人も、風邪?)

ファルマはどうもひっかかる。自分の能力に絶対の信頼を置いているわけではないが、長期間薬局の従業員が風邪をひかないという現状からすると変だ。

(神封じの術にかかって、俺の聖域が働いていない? いやでも破戒符を貼ったのは昨日の今日だし)

一抹の不安を覚えた彼は、迷わず二人に対して診眼を使う。そして病名をあたってみる。

「“細菌感染”」

「“ウイルス感染”」

そんなファルマと視線が合ったタイミングで、「くちょん」と小さくロッテが可愛らしいくしゃみをした。くしゃみというのは、風邪の症状の一部でありながら、とある疾患にも特徴的な症状だ。

(ああ、わかった)

ファルマはほぼ断定する。

「“季節性アレルギー性鼻炎”」

青い光が白くなった。季節性アレルギー性鼻炎とは、花粉症のことだ。そうと分かればアレルギー源まで一気に特定しにかかる。

「この時期に、帝都に生えている植物といえば……」

地球における世界三大花粉症というと、スギ、イネ、ブタクサだ。

ファルマが帝都の景観を見るに、スギはイトスギがあるものの、帝都には殆ど生えていない。

「”カバノキ、カシワ、ハシバミ……”」

あてずっぽうに挙げてゆくと、それらの中でいくつかの植物が強く反応した。一番疑わしかった植物を挙げると、白い光は強さを増した。

「カモガヤ。ん、カモガヤか」

(あー。河原にたくさん生えてたもんなー。あんだけ生えてりゃなー)

ファルマには心当たりがある。先日目にしたばかりだ。

「二人とも、鼻水が出て?」「はい」

「くしゃみもあり?」「はい」

「鼻づまりも?」「はい!」

ファルマの問いに、二人が競うように答える。

「私は目もかゆくて」

ロッテのほうが症状がひどいようだ。

「えーっと。ひとつ二人に聞きたいんだけど、症状は今日から?」

「いっいえ、今日ではないです。そういえば毎年……春になると」

レベッカが恥ずかしそうに手を挙げる。

(俺の聖域どうこうじゃなかったのか……聖域はアレルギーには干渉しないんだな)

ファルマはひとまず胸を撫でおろす。透明化を誤魔化すために聖域を削って、罹患率が上がったら本末転倒だ。

「花粉症だね」

「花粉症というのは何ですか?」

ロッテの初めて耳にする言葉だった。

「うん、まあすごくざっくり言ってしまうと、君たちの体が花粉を病原体だと誤って認識し、抗体を作って体から排除しようとしているんだ」

「排除?」

「そう排除。くしゃみで追い出し、涙や鼻水で洗い流し、鼻の奥の血管を拡張させて鼻づまりで侵入を防ごうとするんだよ。理にかなってるだろ?」

「アレルギーの項についてはファルマ君の教科書読んだらちゃんと書いてあるわよ。レベッカちゃん、あんまり読んでないわね」

エレンがロッテの後ろで苦笑して補足する。

「そ、そうでしたっけ! すみません教科書あまり進んでなくて」

レベッカはギクっとする。

「どうやったら治ります? 鼻をかみすぎて、鼻の下が痛いんです、ヒリヒリします」

ロッテは鼻の下を両手で覆っている。赤くなっているのが恥ずかしいのだ。

「悪いけど、一度発症したらそうそう治らない。花粉症は毎年なるよ」

ファルマの無慈悲な宣告に、ロッテは後ずさる。

「毎年ですか! 無理です」

「花粉の飛散量に依存するけどね。カモガヤの生えていない国に行ったら治るけど、そうもいかないだろう。薬を出そうか」

ファルマは二人のカルテを引っ張り出してきて、すらすらと書き加えた。久しぶりのカルテだ。

「わあっ、ファルマ様のお薬、楽しみです!」

ロッテが思わず喜んでしまったように、ファルマがセドリック以外の従業員に薬を出すのは久々のことだった。

「ロッテちゃんたら、薬は楽しみにするもんじゃないわよ」

エレンが笑った。

「ヒスタミンを抑える薬を出すね。フェキソフェナジンにするよ」

「ステロイドの内服は出さないのね。感染症や副腎機能の低下を防ぐため?」

エレンが質問する。教科書によると、大人で症状が酷い場合はステロイドを出すことになっていた。

「15歳以下のロッテは小児だし、重篤でない限りステロイドは内服で出さないよ」

「点眼、点鼻薬ならいいのね?」

治療薬はヒスタミン受容体拮抗剤の抗ヒスタミン薬フェキソフェナジンを、ロッテは1回30mgを1日2回、レベッカは一回60mgで、ステロイドのモメタゾン点鼻薬とともに処方した。

「花粉症の薬は、人によって合う合わないがあるから、これで効かなければまた検討しよう」

「お薬を出すのに体重をはからないといけないですか?」

ロッテとレベッカが、しり込みする。

「うん、今回は体重は体型を見ればわかるからいいよ」

「ええっ!? どれぐらいの重さだと思ってるんですか?!」

「そうですよファルマ様!」

「というのは冗談で、年齢に応じた薬用量計算法があるから、今回は大丈夫だよ。それから二人はカモガヤのある時期は小麦、メロン、スイカ、キウイは食べ過ぎない方がいいよ」

調剤室からファルマが忠告する。イネ科植物の花粉症を発症すると、食べるだけで免疫系が花粉と誤認識してアレルギーを起こす食物があるのだ、とファルマは説明した。

「キウイってなに?」

エレンが尋ねる。

「あ、ここにはキウイはないのか。品種改良植物だもんな、そっか」

「そんなぁファルマ様、ほかのフルーツはともかく、小麦を控えろなんて死んでしまいます! 小麦なんて主食なのに……」

ロッテの悲しみようといったらなかった。パンはもちろん、小麦を使った焼き菓子などは、ロッテの大好物だ。

「食べ過ぎないようにってことね。花粉症になると、食物アレルギーも一定の確率で併発するからね、危険なんだよ」

「それでも食べていたらどうなるんです?」

「最悪だとアナフィラキシーショックを起こして死ぬかな。脅しじゃないよ」

「ひーっ!?」

ロッテとレベッカは震えあがった。

「アナフィラキシーショックを和らげるには、アドレナリンの注射だったわよね」

エレンが思い出しながらつぶやく。

「エレン正解。それ、用意しといたほうがいいな」

ファルマは真面目にそう思った。

「はあ……カモガヤなんてこの世からなくなればいいのにです……」

ロッテが薬局のカウンターにもたれかかり、深い深いため息をついた。その突っ伏した頭の上にファルマは薬袋を載せる。

「元気出してよ。ほら。ロッテの花粉症はそんなにひどくないから。レベッカもだけど」

「ありがとうございます……ファルマ様」

ロッテの手は薬袋とファルマの手に同時に触れ、その感触に驚き慌ててひっこめた。

「仕方がないわね。カモガヤはなくならないから、うまく付き合っていくしかないのよ」

エレンが慰めにもならない言葉をロッテとレベッカにかける。

「へえぇ、どうすればいいんですかぁ。この時期は外歩かないようにするしかないんですかぁ!?」

「可哀想にねえロッテちゃん、レベッカちゃん……もう一生治らない花粉症になっちゃっただなんて」

「他人事だと思ってないか? エレンもいつなるか分からないんだぞ。というか、全ての人は花粉症になる可能性があるからな。俺だってなるかもしれない」

ファルマがエレンにも忠告する。

「ファルマ君は、ならないわよ」

「可能性はある。あるよな?」

「はいはい、そうねそうね。マスクよ、ロッテちゃん。防御のためにはマスクと眼鏡!」

エレンが花粉症防御策を指南し、自分の眼鏡をくいっと上げる。ファルマの教科書で見た知識の受け売りだ。

「あ、待てよ。そういえば、陛下も花粉症かも……ロッテ、昨日陛下が風邪って言ってたよな? もしそうなら陛下にも薬出さなきゃ」

ファルマはふと思い出す。風邪だと思いきや、花粉症だったのかもしれない。そして翌日、気になって宮殿へと診察に出かけていくと、予想は的中した。

その日から数日後、帝都からカモガヤというカモガヤが消えた。

女帝の勅令が出され、牧草地を除くカモガヤの野は火炎神術使いに焼き尽くされたのだ。脳筋女帝の強権発動、である。

「楽になりました。ファルマ様の薬のおかげですね!」

その恩恵を受け、花粉症の症状が劇的に軽減したロッテとレベッカはたいそう喜んだ。

「それはよかったね。うん、どうしたんだろうね、カモガヤ。なくなったね」

そんな相槌を打ちながら、真相を知るファルマは女帝の行動力に怯えた。

(薬が効いてるのもあるけど……もう、帝都には殆ど見ないもんな。着々と駆除されてるし、カモガヤが帝都でレッドデータブック入りする日も近いんじゃないか)

帝都のいたる場所から、カモガヤを焼くために七日間にわたって立ち上がっていた神術の火炎。

それらの光景を称して、帝都民は神炎の七日間と呼んだ。