軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

2話 転生薬学者 in 医学・薬学暗黒世界

「しかし……何だ、この世界は。どんな原理でこうなっているんだ?」

窓から顔をひっこめて、やはりここは異なる物理法則の働く異世界なのかもしれない、とファルマはまざまざと思い知る。

「それにしてもこの能力って、水だけなのか?」

じっと、わが物とは思えない小さな両手を見る。集中して水の構造式を思い浮かべただけで、水が造れるだなんて。

「イメージで具現化できるなら、ほかの化合物も造れるんじゃないか?」

先ほどより流し込む力をよほど手加減をして、銀のコップの中にあるイメージを送り込む。すると、化合物を受けたコップはたちまち黒く変色を始めた。

銀と反応する、硫化物の証だ。

「……できてるよな。やべっ、黒くなった」

大事な食器を汚してはロッテに迷惑をかける。

場合によっては彼女が毒を盛ったという嫌疑もかかるだろう。

「消えろ、消えろ!」

無意識につかんだ服のすそで磨きながら、何気なく発した言葉だった。

すると、コップの中の硫化物は消え去り、銀の光沢が戻る。拭いたから消えたのではない。勝手に黒ずみが消えた。

「物質を、出せて、消せる?」

何度か硫化物を出して消しているうちに、そう結論付けざるをえなかった。

今度は劇物でなく砂糖を造って舐める。甘かった。

塩を造って舐めてみた。しょっぱい。

鉄塊、鉄の味。

金塊、歯型がつく。

他にも色々と試した。手に送り込んだイメージの量だけ、物質ができる。

化合物の構造が明確にイメージできないものや複雑すぎるものは、具現化できない。

左手の創造で出したものは、右手で念じると消せる。

左手が創造、右手が消去。

出したものでないものも、元素が分かれば消せる。

「すごいな!」

原理は分からないながら、物質創造能力と物質消去能力が備わっているのは間違いないようだ。

「錬金術師みたいだ。日本に持って帰りたい能力だな」

もし日本でこの能力が使えたら、さぞかし研究が捗っただろうに。

あの研究も、この研究も。ああ、その研究だって。待てよ、あの研究はどうだ?

この期に及んで前世に未練が残りまくりの、仕事人間である。

「帰れないか。帰れないんだよな」

いい加減諦めねばなるまい。

どれだけ未練があったとしても、地球に戻れはしないのだ。

「前世のことはすっぱり忘れて、切り替えよう」

彼はついにそう決心した。

…━━…━━…━━…

「嬉しいです! これで一安心でございますねっ」

駆け込むようにして部屋に戻ってきたロッテは、ベッドのシーツを取り換える。ファルマの身の回りの世話をやくのが彼女の仕事のようだ。

この世界のベッドは、上流家庭であっても箱の中に干し草を敷いて、そこにシーツをかけるだけの簡素なものだ。ファルマがシーツを敷くのを手伝うと、ロッテは驚いた。

「手伝わないでください、私の仕事ですから」

「そうなんだ? ごめん。ありがとうね」

しかし彼女はありがとうございます、と感謝を忘れなかった。

「よかったですね、ファルマ様。神術が戻って。あとは少しずつ思い出しますよ!」

ファルマの洗濯物を引き出しの中にしまいながら、ロッテはファルマを励ます歌など口ずさむのだった。なかなかの美声である。

「ファルマ様の神術が使えなくなっていたらどうしようかって一瞬でも思った私が馬鹿でした」

「そういえば、この家の家業は?」

ロッテは手を止め、背筋をただして誇らしそうに告げる。

「ド・メディシス(de Médicis)家は宮廷薬師のお家柄です」

薬師の家柄。

物質具現化能力が使えて、前の世界と物理法則は違っても、科学と薬学の知識はある。

(よし、食いっぱぐれはないな)

彼はひとまず安堵した。

その後は召使いの少女ロッテの助けを得て、ファルマは現状把握にかかりきりだった。ロッテからこの世界について説明を受ければ受けるほど、

(なーんかフランスっぽいんだよなあ)

ファルマはそんな印象を懐く。

言語や文化、衣装などは中世時代のフランスのそれを彷彿とさせた。

シャルロットことロッテは、上級使用人(侍女)である母親、カトリーヌの娘。平民だ。

母親がファルマのお世話係で、ロッテは母に付き添ってファルマの部屋に出入りしている。彼女は5歳から屋敷で働き、今は9歳。召使い歴が長いからか、年の割りにしっかりしていた。敬語もできているし、一つ一つの動作には気品すら感じられる。それにしても、

「ここだけの話、強制労働とかさせられてない? 俺の知らないところでこき使われたり殴られたりしていない? 食事はどんなものを食べている?」

ファルマがそんな質問をすると、ロッテは口を尖らせた。

「何のことですか? 旦那様によい暮らしをさせてもらっていますよ」

「自由になりたくはないのか? 学校に行ったりしたくないのか?」

「お優しいんですね。でも、読み書きはお屋敷で教えていただいていますし、お休みもありますし、私は満足しています」

ファルマは召使いというと奴隷のようなものだと想像していたのだが、どうやら待遇のよい雇用関係にあるようで、母子ともに納得のうえ働いている様子だった。衣食住の保証があって更に給料もあり。重労働でもないし、屋敷で働くのは苦ではないという。奴隷ではないので、いつ屋敷を出ていくのも自由とのこと。

「ならいいんだけど」

「はいっ! これまで通りよろしくお願いします! お屋敷を追い出されたら困ります!」

使用人たちは、執事を筆頭に屋敷の内外に百人近く配置されていることが分かった。屋敷は総石造りでコの字型をしており、バロック様式の過渡期のそれに酷似している。屋敷は旧く、歴史を感じさせられる。

「ところで、家のことを教えてくれないか?」

「よろこんで!」

ファルマは屋敷の構造をロッテに尋ねる。建物は3階だてで、これに地下の倉庫と屋根裏部屋が加わる。敷地面積はちょっとした城なみの広さを誇る。

1階は玄関ホールと応接室、大広間、食堂。

2階が両親と子供たちの部屋。父の書斎兼執務室。

つまり、ファルマの部屋は、中庭に面した二階にある。

3階は家令、執事の部屋。図書室、物置、薬草保管庫。

使用人たちは、屋根裏部屋に住んでいる。

屋敷が広すぎるのと、開かずの間もあったりで、ロッテも全ての部屋に行った事はない、という。

「確かに、名家だ……」

「はいっ、自慢のお屋敷です! 築二百年以上になります」

ロッテは何を応えるにも明るく、天真爛漫だった。

「俺についての質問もしていい?」

「分かることなら」

「俺の名前。ファルマ(医薬品)でメディシス(薬師)……凄い名前だと思わない?」

薬、アピールしすぎだろう! とファルマは若干気恥ずかしい。

「ふふ。兄上様は、パッレ様ですよ? 旦那様が将来を期待されておられるのですよ! パッレ様もファルマ様も」

パッレとは丸薬という意味のようだ。

(俺よりもっと気の毒な人がいたな)

父の薬学への思い入れの強さに、ファルマは若干引いてしまう。

「今夜はその旦那様がお屋敷にお戻りです、ファルマ様も共にお食事を。……あっ」

「何? あっ、て」

ロッテが慌てふためいているようだったので、ファルマは身構える。

「ももももしかして、薬学の知識は、すっかり忘れてしまいましたか?」

「忘れてると思うけど」

「まずいです! それは非常~にまずいです!」

ロッテにそう言われてファルマは危機感を覚え、部屋に据え付けられている本棚にずらりと並んだ書物を一冊ずつ手に取り、ぱらぱらと斜め読みする。この世界の書物は全て筆写人の手書きで、それゆえ医学書や薬学書は非常に高価だ、とのこと。にもかかわらず、次男であるファルマの書棚に彼専用の分厚い書物が並んでいるところをみると、家は相当に裕福なのだろう。

「旦那様はファルマ様に、薬学のぬきうち試問をよくなさいますので、お気をつけて」

彼が宿る前のファルマ少年は、幼少時より薬師としての英才教育を施されていたらしい。これらの書物にある薬は全て、記憶に入っているし調合方法も諳んじることができるはずだ、とロッテは証言する。

それは一大事だ、付け焼刃でも大至急暗記をしなければ、とファルマは焦ったが……、その必要はなかった。

「これ、見た気がするな。思い出してきたぞ」

ファルマ少年の知識の蓄積があったからか、彼は医学書も薬学書も判読できるし、うっすらと内容も思い出すことができた。

「にしても、これは」

「難しいですか? 難しそうです!」

ロッテが恐ろしそうに首をすくめる。彼女は、文字が書物一面にびっしりだと、難しそうに見えるのだ。そしてそんな小難しそうな本を真面目な顔で読むファルマに、ほんのりと惹かれていたのが彼女だった。

そんな彼女にはお構いなく、ファルマはというと、

(これは、ひどい)

彼の手に取ったさまざまな書物に記されていたのは、はっきり言っておぞましいものだった。誤った治療法や手術法、毒物だらけの薬のレシピ。もはや医療ですらない(とファルマが考える)神々への祈祷の方法、病を支配する星の見方、数秘術の読み解き方、などなども、間違った方向で充実していた。神術という訳の分からないものがある世界、という前提がなければ完全にまじないだ。

それらが医療としてまかりとおっている。

この世界では「病は神の与えた試練」という考えが根本にあり、医学薬学と宗教、星占術は密接に結びついていた。祈祷にすがったり、星の動きに右往左往してみたり。治療の結果患者が死に至っても、医師や薬師たちはそれを神罰だということにして、患者に責任を負わない。

(いやでも、こんな治療法で異世界人は治るのか? 地球人と体の構造が違って、神術での治療は効果がある?)

そんな推測をもとに症例報告から実際の患者の治癒率を計算しても、治癒率はかなり低かった。地球の中世レベルと何ら変わらない。

(効いてないじゃないかよ、これ!)

この世界の医学、薬学の知識は悲惨なものだった。オカルト薬学で治癒率が高いならともかく、決してそうではない。誰もかれもこんな怪しげな、呪術まがいの民間療法に傾倒しているのか、と考えるとファルマはぞっとする。

(暗黒時代だな、この世界の医療は)

健康な人でもこんな治療してたら死にそうだ、とファルマは歯がゆい思いだ。

「ファルマ様ー、眼が疲れません? 少しは休憩なさいませ~。お茶をいれますよ~」

「もう少し読んでからね」

何時間もぶっ通しで書物にかじりついているファルマを邪魔せずそっと見守っていたロッテは、甲斐甲斐しく差し入れを運びつつ、

「お勉強熱心ですねぇ、ファルマ様は。そのお姿、素敵です」

と、憧れのまなざしを向けるのだった。

薄暗くなった部屋で、ファルマは本を閉じた。

「何とかしないとな、この世界の人々のためにも」

もしかすると、そのために前世の知識を持って転生したのかもしれない。

そんな考えが彼の脳裏によぎったのだった。