軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

7章7話 異世界ノーチート化学工業

ジャン提督の船を見送った日、ファルマとサン・フルーヴ帝国海軍は、ジャン提督からの最初のモールス通信を送受信した。

通信のやりとりについては、デビューしたての通信士が打ち間違えるのは目に見えていたので、古式ゆかしく、紙テープに穴をあけておいて電鍵の接点を開閉する方法で、半自動化して通信できるようにしておき、またいくつかの定型文を番号で決めておいた。音声通信の設備もあるが、モールス通信が無難だ。

それによると、今日の報告はこうだった。

「16時にジブラー海峡を航過し、フルーヴ沖へ全速帆走、西航中。現在風向風力は南南東3、気圧は1013 hF(ヘクトフルーヴ) 、気温25度、全船団と乗船者に異常なし」

全文、間違いなく聞こえた。

感度は良好とはいえないが、通信を維持できるだけの最低限の性能はありそうだ。

これが、マーセイルから遠ざかってゆくと聞き取りづらくなってゆく。

ファルマは、事前にマーセイルの上空へ昇って、そこから見える雲から予想される風向きを伝えた。隔日ぐらいのペースで伝えていこうと考えていた。

空から戻りコートを脱いで一息ついていると、寝支度を整えにきたロッテが笑った。

「ファルマ様、髪の毛凍ってますよ。まつげも」

「あ、ほんとだ」

愛想笑いをしていると、ロッテが髪についた氷をせっせと取り払ってくれる。

近すぎる距離にやられて、お互い照れる。

「お空に行かれていたんですね。すぐわかります」

「……あたり」

秒で白状する。マイナス50度を下回ると、そういう状況になりもする。

「ふふ、ファルマ様と夜間飛行をしたとき、いつも髪の毛が凍りましたから」

「雲の中を通ると、どうしてもこうなるね」

「お風邪を召されないようにしてくださいね。でも、何かありましたか」

「何もないよ。晴れたらいいなって思ってね」

「どういうことですか? まさか、晴れになるようにしたとか、そういうことですか? 神術陣を使ったんですか?」

ロッテの直感がビシビシくる。ファルマが上空から行ってきたのは、気圧の印加だ。

物質創造を駆使して上空から押し付けるように空気を展開すると、大気が集まって高気圧となる。地上からでもできるが、空から大気を叩きつける方が大気潮汐においても持続効果が高い。ジャン提督の船団が快晴の中を、良い風で、できるだけ船が揺れずに航海できるようにとの心配りだった。クララのためにもというか、よく考えると過保護極まりないとファルマも思う。

「ということは、どこかでは雨になっていません?」

「だね。それは申し訳ないけどね」

どこかが高気圧になれば、どこかが低気圧になる。

ロッテが何かを思い出したらしく、おそるおそるファルマに尋ねる。

「クララさんは眠れているでしょうか……」

「そうだなあ」

酔い止めを飲みながら、何とか船上生活にも適応してほしい、とファルマは夜空を見上げながら祈る。

「船酔いも、激しい人は何十回と吐くからね。船が揺れないに越したことはないけど」

「そんな、干からびてしまいます。でも酔い止めの薬は飲んでるんですよね? あっ、私もなんだか気持ち悪く……」

ロッテは言っているそばから手で口を押えてえづきそうになっていた。

ファルマはロッテの背をさする。

「え、何でロッテまで? 大丈夫?」

「晩御飯食べすぎたかもです。クララさんはいつもこんな状態なんですね、つらいです」

「何かに当たったのかと思ったよ、紛らわしいよ……」

「外の風にあたりたいです」

バルコニーの階段から、二人で屋根の上に座る。

そこへ腰を下ろし、毛布を共有して二人で空を眺める。

「わー、星がきれいです。ファルマ様が雲を吹き飛ばしたからでしょうか」

「ちょっと待って。いいものがあるんだ」

ファルマは、肩にかけていたカバンの中からがさごそと取り出す。

「望遠鏡(Télescope)だ」

「あれ、手作りですか?」

「あり合わせで作ったものだよ」

ガラスコップの底をくりぬき、捨ててあった古い老眼鏡で作ったレンズを組み合わせた自作のものだ。カメラから顕微鏡に至るまで、光学機器の自作は彼のちょっとした趣味でもあった。そして覗き込んだロッテは……。

「月に模様があります⁉」

地球から見える月とは何もかも違うのだが、やはりこの世界の月にもクレーターなどがある。ロッテのその日一番の驚きだった。そしてファルマとロッテは、寄り添うようにしてしばしの間天体観測を楽しんだ。

翌日、ファルマはアダムの案内で、パッレとブランシュともにマーセイル領内の薬草畑の視察に出かけた。タイトなスケジュールで農家や薬草商を回るファルマに、ブランシュが休憩をしたいとごねる。

「ねーおやつの時間がほしいんですけどー」

「もうちょっと回ってからにしよう。そしたら休憩にするから」

「飽きたなら領主館に帰ってもいいんだぞ」

「一人じゃ帰れないのー」

ファルマがなだめ、パッレが冷たい眼差しを向けると、ブランシュはふくれる。

「視察も明日とか明後日にしたらいいじゃんー。そんな慌てて見回らなくてもー」

「早く帝都に帰らないとね。エレンに負担がかかっていると思うし」

「むー」

ブランシュも、エレンの名前が出たからか、頬をますます膨らませはしたが、我儘をひっこめた。

ファルマが帝都を離れている間、エレンやほかの薬師らが薬局の営業をしてくれている。

処方箋がなければ購入できない医療用医薬品の調剤ができる薬局は現在、異世界薬局総本店のみ。

処方調剤のできる薬局が世界で一か所しかないというのに、サン・フルーヴ帝国医薬大の医師や薬師らが現代薬を使い始めたため、処方監査と調剤が追い付かない。

処方監査のできる薬師が、ぶっちゃけファルマしかいない。

エメリッヒとパッレは現代薬の薬物動態などのひととおりの知識はあるが実務経験が足りず、エレンは実務経験はあるが薬理、物理化学の理解が完全ではない。

つまり、新カリキュラムの教育を受けたサン・フルーヴ帝国医薬学校 総合薬学部の一期生が卒業し一級薬師となり各地で営業を始めるまでは、ファルマが全世界の現代薬の製薬、処方調剤の全てを引き受けているということになる。

「なんで小さい兄上が帝都にいないといけないことになってるのー?」

「大人の事情ってやつがあるんだよ」

「子供なのにー。大人じゃないのにー。エレン先生がいるのにー」

「エレンも頼りにしているよ、でも、一人では大変だからね」

エレンは診眼が使えるようになり診療技術が多少向上したことで、ファルマが帝都にいなくても薬局を閉めなくてもよくなったのだが、エレンが対応できる疾患にも制限をもうけられ、それ以外の調剤は停止している。

それで、早く帝都に戻る必要がある。

「ブランシュだって、エレンに視察の成果を報告しないといけないんじゃないか?」

「あ、そっか」

ブランシュは普段師匠であるエレンに同行しているが、今回は視察についてゆくよう促された。宿題のために薬草栽培農家の話を聞き、薬草の生育状況などを確認する。

ブランシュが学んでいるのはまだ初歩の初歩だ。図鑑とともに知っている一通りの薬草をチェックし終わって、レポートを書くと暇を持て余したらしい。ファルマは適当にブランシュに仕事を与える。

「そうだブランシュ、この畑に雨を降らしておいてよ。しっとり程度でいいよ」

「わかったー。”あめーふれー”」

「ちょ、今の掛け声はなんだ? え? まさか発動詠唱なのか?」

杖をかかげたブランシュを、パッレが目ざとく突っ込む。

ブランシュの杖はブランシュの意のままに大気から水滴を引き出し、ほどよく雨を降らせた。適当すぎる詠唱ながら、まさにファルマの指示通りこなしたということになる。

「降ったし! 何で降る!」

パッレの顎が外れそうになっていたので、ファルマが解説する。

「適当でもいいんだよ。詠唱を噛みまくっていてもちゃんと発動してたから、もう発動詠唱無視すればいいんじゃないかって、教えたんだ」

「そんなこと教えるなよ……暴走したらどうすんだ」

「えーそんなすごくないしー。兄上はむえーしょーだしー」

さらっとバラされてしまった。

「マジか! 神術学者が憤死するぞ! 詠唱練習とか意味ねーってことじゃねーか……何のために毎日練習してんだよ。ていうか、無詠唱なんて発動したことねーぞ」

「どの国の言語で詠唱しても発動する時点で、詠唱は曖昧でも許されるだろ」

ファルマがそう言ったものだから、パッレは反論を諦めたらしかった。

「むちゃくちゃなことを言いやがるな」

「言語化したほうが制御が楽になるみたいだけどね」

「フォローになってねーよ。じゃあ俺が無詠唱でやってみるぞ」

パッレは戦闘用の長い杖を出して構えた。気合を入れ念じているらしい。

「”…………” って、発動しねーじゃねーか!」

「練習すればできるよ」

ファルマはパッレがくってかかるのをいなしてパッレの背に手を当てて、パッレの手を介して簡単な水属性神術を発動し、周囲に水蒸気の渦を発生させる。

「は⁉」

「そんな感じでやったらできるよ」

「お前、後で無詠唱神術の練習に付き合え」

「時間があれば」

神聖国の禁書庫にまでアクセスし、神術の全貌を垣間見始めたファルマが思うには、発動詠唱は神術の制御装置だ。

詠唱は概念を具象にし、安全に術を作動させる。

複雑な神術のプロセスを一つずつ処理してゆくのに便利だ。

失敗すれば発動しない、暴走もしない。よそごとを考えていたとしても発動する。

だから、彼らはこう錯覚している。

「発動詠唱の存在しない神術は使えない」と。

だが、本当は詠唱など必要ない。

高度な神術を使う際にはプロセスは複雑化するが、具象化できるならばできることは無限だ。

それは、この世界が実在していないからだ。

墓守は、詠唱と神力量を管理することによって世界に秩序を用意したのだろう。

それが神術の正体だ。

ファルマはそのことを心のうちに秘めておいた。

この世界の登場人物全員の”箍が外れてしまう”、気づきによって消滅してしまうのが、怖かったのだ。

「あにうえって、薬局でも薬草あまり売ってなかったよね。どうして薬草を真剣に見始めたの? 心境の変化?」

「今、異世界薬局で売っている薬。あれは化学合成によって工場や研究室でいちから作るのは大変なんだ。時間もかかるし、コストもかかる」

「ふーん」

実際には難しい化合物は物質創造で作っているのだが、そんなことは知らないブランシュは納得して頷く。

「だから、途中まで自然界に作ってもらうにこしたことはない」

「お前とキャスパー教授は放線菌も使って抗菌剤や抗がん剤を作ろうとしていただろう」

「それもだけど、生物資源、特に植物も活用していこうと思ってるんだ」

持続可能な発展を促すために、ファルマの物質創造に頼らず、天然の資源から異世界の市場で使える薬剤を工業ベースで作り出す。

マーセイル製薬工場の設立目的といってもよく、長期的な安定生産と市場への供給を目標としているところだった。パッレはファルマの意図するところを理解する。

「なるほどな。医薬品の合成出発物質にするってことか」

「ふーんわかんない」

「もっと学ぶ姿勢を見せんか、不心得者が!」

「いたいいたい! やったなー! もーゆるさないー!」

「おう、杖を抜け。決闘だ」

「まいったって言うまで許さないんだから―!」

パッレとブランシュの二人は、揉みあってそのまま問答無用の神術戦闘に発展しそうになっていた。隙あらば兄弟げんか、最近はブランシュも神術の腕が上達してきたこともあって、売り言葉に買い言葉で少し目を離すと戦闘が始まってしまう。あわやというところで、ファルマが間に入る。

「二人とも喧嘩はそこまで。ほらブランシュ、ここは新しいビート(Betterave sucriere)を作っている薬の試験場だ、見学しよう」

「ビートって、砂糖のこと?」

「そう、砂糖」

ビートとは、甜菜のことで、比較的冷涼な地域で栽培されている寒冷地作物であり、根の部分から砂糖が取れる。サン・フルーヴ帝国ではマーセイルを中心に広く栽培されている。

「薬じゃないじゃん、砂糖じゃん」

ブランシュが口をとがらせた。

「砂糖も作る。そして砂糖を作るついでに、薬も作る」

「出発物質にする話はどこいった?」

「それはそれでやってるよ。根の部分で砂糖を、葉の部分で薬を作る」

ファルマが何を言っているかというと、遺伝子組換え植物を作り、植物に薬を作らせようとしているのだ。既存の薬用植物を製薬に利用する、という話ではなく、農作物を利用し応用をもくろんでいた。

「砂糖に薬が紛れ込まない⁉」

「茎より上の部分でしか薬ができないようにしているんだ」

「ですから、ビーツの首のところで葉をちょん切れば、薬は紛れ込みませんよ、お嬢ちゃま」

横から割り込んできた農家の女性が、ファルマの後をうけてブランシュに説明する。

マーセイル領主館にほどちかいこの農家は、異世界薬局の契約農家だ。異世界薬局と提携している農家は、アダムの気前のいい報酬提示もあって年々増加を続けている。

ビートは、日本でも遺伝子組換えが認められていた作物で、ついでにいうと、ファルマが遺伝子工学的に工夫をこらしたことにより、茎より上の薬用部分は特殊な方法を使わなければ、精製ができない。

マーセイル製薬工場が収穫後運び込まれた葉身から、薬剤の精製を担う。

珍しい作物だからといって万が一転売されたり盗難にあっても、さほど心配はいらない。

精製と製剤化ができないので、ただの砂糖として取引されるぐらいだ。

砂糖は砂糖原料として売れるうえに、捨てていた葉身の部位を売って収入が何倍にもなるとあれば、しめたもの。葉は、現地の人間が食べることもあるが、日持ちがしないためあまり帝国に流通していない。お互いの利益が確保されるとあって、農家も快く応じてくれ、せっせと苗を育ててくれている。ブランシュの首が傾きっぱなしだ。

「葉っぱの部分は何を作っているの?」

「ワクチンを造らせてるよ。B型肝炎ワクチンと、インフルエンザワクチンだね」

「マジか!」

「の、予定。ちゃんとできるかどうかは未定だよ」

ワクチンは細胞培養や鶏卵法、酵母などでも生産できる。

しかし、鶏卵法は1年もかかるし、動物細胞培養での生産はコストも高ければ手間暇もかかる。酵母などの真菌を用いても安価にできるが、専門技術者が張り付かなければならないし、ファルマが進捗を確認しようにも、パッシブスキルである”聖域”によって細菌を全滅させてしまう。

放線菌を培養することすらできなかったファルマは、キャスパー教授のグループに生産を任さざるを得なかった。

そこで、農家が作物を作る”ついでに”薬を作らせてしまう方法を思いついた。

これならファルマも「全滅させるかも」などと気にせず生産と試験に参加できる。

「収穫時にほかの薬を生産している植物が紛れ込んだらどうする」

「葉っぱの形で区別がつくようにしておいたから、混入してもすぐに気付くよ」

「完璧じゃないか」

「目論見通りにいけばね。そうはいかないだろうから、検討はこれからだよ」

「確かに」

その後、マーセイル化学工場へと足を延ばす。

マーセイル化学工場での生産体制も、少しずつ整いつつあった。

現地責任者の、もと医療神官のキアラと、プラント開発の専門職員テオドール・バイヤールがファルマに応じる。

「お久しぶりです、キアラさん、テオドールさん」

化学工場は複数の化学工業プラントにわかれ、異世界薬局をはじめ、帝国各地の薬店へと供給される医薬品の製造が行われている。

そのうちの第一プラントはテオドールの担当だ。

テオドールはノバルートからスカウトされた名の売れた敏腕錬金術師で、奇しくも異世界薬局の薬師であるセルスト・バイヤールの弟にあたる。彼は火炎術師であり、ファルマと出会う前から、神術を利用した金属精錬や、純度は低いものの硫酸、硝酸などの合成にも成功していた。

テオドールは飛び級に飛び級を重ねて、パッレの二つ上の学年の主席だったほどの逸材。頭脳と神術に申し分はないのだが、視覚過敏を持っており、光が苦手だ。

そのため、ファルマが採用面接で彼と出会った当初はフードを顔が見えないほど深くかぶっており、隠者のような個性的ないでたちをしていたのだが、ファルマがそれに気づいてサングラスを作ってプレゼントすると、気に入って常用している。

そのサングラスをかけた錬金術師テオドールにファルマが尋ねる。

「生産体制の進捗はあれからどうなっていますか?」

「最高だぜ、店主」

口調のラフさとサングラスの印象もあって、少し粗野な印象を受ける。

彼の知識と実務経験をファルマの知識が補強し、彼は絶好調らしい。

「溶媒と、基本的な出発物質の選定と確保をすすめてるぜ。いやあ、あんたの指示書は今までどれだけ考えても分からなかった全合成の回答集のようだ」

「無理をせず、できることなら半合成を使いましょう。工業生産のためですから、労力と時間の節約のためです」

「まあな。だが、神術抜きの全合成のほうが面白くてな」

「学者はそう言うでしょうね、小さなパーツから大きなパズルをくみ上げてゆく面白さがありますからね」

最初にファルマが調達を指示していたのはエタノールだ。

殺菌や消毒などに広く使われ、もちろん有機溶媒でもある。麦藁や廃材、雑草、生ごみなどのバイオマスを買い集め、それを発酵させて蒸留を繰り返すことで得られる。無水アルコールを精製する場合には、ペンタンを加えて共沸させることによって純度を上げる。

これは難なくクリアしてみせた。

次に、メタノールはアルコールの一種で、種々の化学反応に用いられる重要な有機溶媒である。ホルマリンの原料などにもなるため、ぜひ押さえておきたかった。テオドールは炭焼き職人に会いに行き、そこで出る廃棄物であった木酢液を買い上げた。木酢液を蒸留することで得られるそれには飲用毒性があり、メタノール中毒を引き起こすため、絶対に飲用されないよう保存管理は徹底している。

得られたエタノールから、酸触媒を加えて脱水縮合でジエチルエーテルを生成した。ジエチルエーテルは溶媒抽出として用いられるほか有機溶媒として工業的な利用価値が高く、さらに吸入麻酔薬としても用いることができる。引火点が低いため、生産、管理時は火気厳禁を徹底して管理しているが、燃料として用いることもできる。テオドールは燃料の研究も面白がっていた。

「指示書通りにやって、アンモニアの合成に成功したぜ」

(フランク・カロー法がうまくいったか)

ファルマは目を細める。アンモニアは、有機合成反応の窒素源として用いることができる。

「合成おめでとうございます。着々と進捗が生じていますね」

「生石灰と炭素からカーバイドを作る火力を上げるのが骨が折れるがね。もっと大容量の神力量を持つ火炎神術使いを雇用しないと、俺のなけなしの神力を使い切ってしまう」

「2000度も必要ですからね。雷の神術使いがいれば簡単に反応できるのですが。火炎神術使いや、メロディ様のお弟子に協力を要請しましょう」

(ハーバー・ボッシュ法やビルケランド・アイデ法よりは省エネで、高圧もいらないし苦労しないからな)

「聞いてみようと思ってたんだが、この化合物、マーセイルで有名な”火山塩”を加熱したときに出るにおいと同じにおいがするぜ」

「火山塩?」

(あー、塩化アンモン石。塩化アンモニウムを加熱したと言っているのか?)

アンモニアにも様々な合成法がある。どれでもいい。どれでもいいが、工業的に大量に必要になるからには、純度と合成のコストは大切だ。それらを検討して、収量、収率が最適な方法を探ってほしいと思う。

「店主さん、あとで純度を確認してくれ」

「サンプルをいただければ、神術で測定しますよ」

「反応中間体でベンゼンも作ったった!」

「予定より早く進んでいるのですね」

「寝てないからな!」

「寝てください」

過労を自慢してふんぞり返るテオドールに、ファルマがくぎを刺す。

「寝ないとどうなる?」

「過労死します」

「まさか!」

今日一番説得力のあるファルマの言葉なのだが、テオドールは信じない。

(頼むから定時で帰る姉のセルストさんを見習ってほしい。姉弟でも正反対だな)

「キアラさん、テオドールさんの労働時間をしっかり管理して、錬金術師の人員を増やしてください」

「かしこまりました」

「えっ、もっと働きたい」

「だめです。今日から一日10時間を労働時間の上限とします」

「足りない。あんまりだ! 忍び込んでやる!」

「だめです!」

ファルマは三徹目だと言って自慢していたテオドールを強制的に馬車に乗せて帰らせた。馬車を見送りながら、「労働時間に厳しいのですね」とキアラが冷や汗をかく。

(こういうのは死んでみないとわからないものなんだ。死ぬ直前まで、まだ若いとか、自分だけは大丈夫だと思っているんだよ)

過労死経験者、薬谷は虚しい自省をする。

「他のプラントの報告はまた後日にしましょう。今日は時間がありません、ほかには何か問題がありますか?」

「バイオマスが不足しています」

「そうですか。かといって麦藁を売ってくれる農家がそうそう増えるわけでもありませんし、他の領地から調達となると輸送費もかかりますしね」

コストがかかりすぎては、赤字が膨れ上がって不採算になってしまう。

今は資金を補填できるからいいが、ほかの業者が参入できなくなってしまう方法を模範として残してはだめだ。

むー。と、ファルマもキアラも憂わし気に唸る。

話を聞いていたパッレは安直だ。

「このあたりの森を全部伐採すればいいだろ」

「環境破壊は領土の荒廃を生む。それに、伐採したらそれっきりで終わりになる」

パッレの提案は敢え無く却下される。持続可能性は常に考えていかなければならない。原料の調達は一回こっきりしかできない、というのでは困るのだ。

「宿題にさせてください」

「わわわ、宿題にしないでください。お忙しいところ、なんだか申し訳ありません。ファルマ様をわずらわせず原材料の調達を進めていければいいのですが……なにぶん、知識不足で」

キアラが肩を落として落ち込む。

ファルマが多忙だというのは、複数の筋から聞いているようだ。

隠さなくても、見た通りなのだが……。ファルマは疲れを見せず愛想よく応じる。

「煩わしく思っていないので、困ったらすぐに話をしてください。それに、こういう考え事は嫌いではないんですよ。あと、忙しいといってもテオドールさんほどは働いてません」

「はあ……おそれいります」

ファルマがキアラとそんなやり取りをしながら、マーセイル化学工場を出たときのこと。

「代行領主さま、お助けを」

「領主館に行きましたら、こちらにおでましだと伺って」

ファルマたちと同行していたアダムに領民数名が直訴をしにやってきたらしい。

彼らはマーセイルの北東にあるマリニャーニャ地方の住民代表だ。夜明け前に出発して、朝いちでやってきたとのこと。ただ事ではない様子だ。

「どういうことだ? 災害にでも見舞われたのか?」

「聞いてくださいよ」

「あ、ああ。とりあえず領主館で話を聞こう」

アダムが領民たちを領主館へ招き入れて対応する。

ファルマらも同じ馬車だったので、その気はなくてもついて戻った。

領主館の同じホールで、ファルマらも彼らとお茶をたしなみ、ブランシュはおやつにありついた。いつのまにかその隣にはロッテがいて、ブランシュとともにおやつの相伴にあずかっていた。

「今年はひどい水害でして、代行領主様」

「水の神術で領地を庇護してくださっていたシヨン伯爵が帝都に赴任になりまして、その影響だと思いますが」

神術は戦闘時にのみ重宝されるのではなく、生活の中でこそ真価を発揮する。

土属性神術使いの領主などは、農作物の収穫量を何倍にも伸ばすこともでき、領民を豊かにすることができる。水属性でも降水量調節や、潅水管理などの熟練者は重宝がられる。

マーセイル尊爵領は、潟湖をはさんでシヨン伯爵領に隣接している。

水の負属性の優れた神術使いであったシヨン伯爵は、潟湖に面した海抜が低く水はけの悪い湿原を農地として利用できるよう、マーセイル領の領民の生活までも守っていた。そのシヨン伯が帝都に赴任になったという報告は、アダムの耳にも入っていた。

(シヨン伯爵って、あのドールマニアのか。珍しい属性だったんだな)

数年前にファルマにかかっていた、銀皮症だった伯爵だ。

最近は宮殿でもめっきり会わないが、元気でいるのだなと懐かしく思う。

シヨン伯爵は、マーセイル領の領民に恩恵をもたらしてくれていたらしい。

領土と領民は地続き。

神術は確かに、領民の生活を守っている。

お隣さんとはもちつもたれつだな、とファルマは実感する。

「代任の代行領主様は水の正属性。潟湖の水面を管理することはできず、畑は水浸し。土地を失った領民は青息吐息でございます」

「なるほど」

「ですがシヨン領の代行領主様に申し上げようにも管轄が違いますし」

「いかにも。本来はマーセイル領の仕事であり、領土をブリュノ様から預かった私の不手際だ」

農地が冠水してしまったうえ、その状態で冬の間放置していたものだから、汽水湖の塩により塩害にも苦しんでいるというのだ。

「こういう状況ですので、今年の春は畑の種植えができません」

「当面は免税をお願いしたい。このままでは食い詰めてしまいます」

申立書を提出しながら、領民が嘆く。

それを聞いていたアダムは了承した。

「よくわかった。シヨン伯に頼り切りになっていたのは、そなたらにも申し訳ない」

「ありがとうございます。マーセイル代行領主様のご配下には、負属性神術使いのお方はおられませんか」

「あいにく、配下に負属性を抱えていない。負属性神術使いが手配できるまで、別の管理された小作地を貸すから、今年はそちらで耕作しなさい」

「お心遣い痛み入ります」

「部外者の浅知恵ですが、風車での揚水はどうですか?」

ファルマが横から割って入った。この領民らはファルマと面識がない。

「大きな風車で揚水するには予算もかかります。職人を呼ばなければなりません」

「風車は何基立てるのですか?」

「予算はどこから出てくるのですか? 今から着工したとして、いつ完成するのですか?」

「水は引くかもしれませんが、塩はどうやって除けば」

領内の設備投資は、領民ではなく貴族側に任される。

つまり、アダムが投資をしなければならないのだ。これは本当に浅知恵だったな、とファルマも反省する。

「真水を降らせ続ければいつかは除塩できますが、真水がないって話なんですよ」

「その排水設備をだれが作ってくれるんですか」

収拾がつかなくなってしまった。

首をつっこんでしまった責任を感じ、ファルマは視察を提案する。

「一旦、その状況を見せてもらえますか?」

異世界生活も四年目に突入。

なんでもかんでも知識チートで設備を近代化すればよいというものではない。

神術のほうが便利なこともあり、神力量とコストとの相談になる。というのはファルマも身にしみる。

異世界で神術を知ったときには「負属性なんて何に役立つんだ」と思ったりもしたものだが、負属性使いが希少だということもあり、案外正属性より需要があったりする。

「あなたは何属性なんですか」

「……負属性も使えます」

領民たちはきょとんとしていたが、ファルマを担ぎ上げると、有無を言わせず荷馬車に乗せた。

「なんで早く言ってくださらなかったんですか!」

「ちょ、待って。慌てないで」

ファルマが領民の案内で現地入りしてみると、領民がここですと言って示した指の先には、だだっ広い湖が広がっていた。半ば誘拐に近い格好で連れていかれたファルマを追って、アダムとパッレ、そしてロッテもやってきた。

「ええ、ここが畑だったんですか?」

「沼地になって、こんなに藻が生い茂ってしまいました」

「ああ、これは一大事ですね」

「わあ、緑の絨毯のようです」

ロッテが詩的なことを言うが、目の前に広がっているのは藻の絨毯なのだ。立派なアオコである。

「三月になって温かくなってきましたので、増殖も盛んになってきました。人海戦術で駆除をしていましたが、断念しました。駆除を諦めると、これから藻が増える一方です」

「困りましたね」

「あなたが何とかするんですよ!」

「そうでしたね。でもこれは、水の負属性神術でもお手上げかもしれません」

(といっても、どこの世界に藻を消せる水の負属性神術使いがいるんだ。しかも、水中生物に悪影響を出さない形で……)

施肥が行われているので、窒素もリンも豊富で有機物により藻が生える。

口ではそんなことを言いながらも、ファルマは水質検査をするためにコップに一杯、池の水を汲んでサンプル採取を行った。

藻の種類を特定できれば、消去能力で一網打尽にできるからだ。

すぐ横で、暇を持てあましたロッテが顕微鏡をのぞき込み、それをスケッチブックに写し始めた。

ファルマの頼りない様子に、領民が大きなため息をつく。

「藻はゴミですからねえ」

「そうですねえ……海苔とか寒天になるならまだしもですねえ」

「ファルマ様、藻ってきれいですね。なんだかカレイドスコープみたいですよ」

「万華鏡ねえ……。ロッテが藻アートでも作るかい?」

ふざけているのではなく、藻アートというものも存在する。

地球においても顕微鏡を覗き込めば万華鏡やステンドグラスのように広がる藻を使ったアートは、ヨーロッパの貴族の間でもてはやされたこともある。

(っても、藻アートじゃ埒があかないしな)

ファルマはぼんやり見ていたロッテのスケッチを二度見してはっと目を見開くと、それを取り上げてもう一度顕微鏡をのぞきこんだ。

(あれ)

そして、振り向いて領民に真顔で申し出た。

「売ってください」

「えっ」「藻を?」「なんで」

ファルマの突然の掌返しに、ロッテと領民が同時に口を開いた。

「用があるのは一種類ですが、全部買い取ります」

「買い取って捨てるのかい?」

「捨てません。これこそが藻類バイオマスとして利用できると思います」

「ど、どういうことなんですか?」

ファルマがかねてより困っていたことだが、この異世界には石油というものがない。

石油というものは数億年前の、藻類などの生物遺骸が高温・高圧で変質することによって作られる。

それがどこからも採掘されていない。

あればどれだけ技術革新が捗ったかと思うのだが、ないのだ。

石油がないということで、チート能力以外でプラスチック製品の合成も断念していたし、合成医薬品を造ることもできなかった。炭化水素が手に入らないため、ワセリンの製造にも苦労していたありさまだ。

(この世界には、歴史がない。”最近”作られたんだ)

このことを裏付ける証拠がもうひとつ。

この世界のどこにも、いわば地球でいうところの地層が確認できない。

神聖国の古文書を紐解いても、さかのぼれる地下構造は数千年前が限度だという。

深い地層から、古い化石が発掘されたりすることもない。

そんな状況下で、藻がある!

「藻類を高圧下に置けば原油ができるし、そんなことしなくてもボトリオコッカスはボトリオコッセン(C34H58)を作るから……それを抽出すれば石油ができる」

藻由来バイオマスを炭素源とすればよいのだ。

それを使って製薬を進めてゆけばよい。

「つまり、どういうことで」

「この藻から薬を作れるんです」

ファルマの瞳は爛々と輝いていた。

前世では石油から薬ができると一般人に説明すると、「体に石油を⁉」と忌避感情が出る人間もいたが、石油自体が生物由来なのだから、落ち着いて考えてみてほしいと思うファルマである。石油というものを知らない領民は、忌避感情こそないようだが、ゴミが薬になるというのは信じられないといった顔をしている。

「私が設備投資をして増殖プールを作りますから、作物の代わりに藻を育てて、異世界薬局マーセイル工場に売りつけていただけますか?」

「一体藻で何をするんじゃ」

「この土地で取れていた作物の総額より高く買い取りますよ」

「ということは、これは売れば金になる藻なんですかいのう?」

ファルマは藻を駆除せずに、藻を増やせという。

それは畑をつぶすことになるし、領民の生活がかかっている。ぜひ知っておきたい情報だろう。それに、子供のいうことだ。ファルマは不敵にほほ笑んだ。

「買おうと思うのは私ぐらいでしょうね」

「何であんたは買いたがる」

「この藻を市場に出荷したとしても価値は全くないでしょう。しかし我が社に限っていえば、その藻から重要な製品を作り出すことができます。それはありとあらゆる薬の原料や、画期的な燃料になるでしょう」

「そういえば坊ちゃんはどこのお偉いさんじゃ、失礼じゃが子供の与太話に付き合うわけには」

「申し遅れましたが、私はファルマ・ド・メディシスといいます」

目の前の少年が異世界薬局の店主だと気づいた領民は、声に張りが出る。

「おお、あんたが創業者か!」

「尊爵のせがれじゃないか」

「宮廷薬師だって話の……」

「いや待て、異世界薬局の羽振りがいいのはわかる。じゃが、事業を広げすぎじゃ。薬局が倒産したらどうする。世界で一カ所しか製品化できないものを全力で育てては、共倒れじゃ」

「何かやらかして、メディシス家がおとり潰しになったりせんこともなかろう」

「倒産したら、ですが」

ファルマの前置きを受けて、パッレがアオコを眺めながら呟いた。

「うちの家が取り潰されるかはともかく、異世界薬局が倒産するといったら、帝国と神聖国が滅びるときぐらいじゃねーか。異世界薬局は、今や帝国唯一の勅許薬局であるばかりか、神聖国の勅許もあるんだし」

「ひっ……いつの間にそんなことに」

領民は誰を相手にしていたのかを思い知ったらしく、黙りこくった。

異世界薬局はもはやただの薬局というより、医療保健機関としての役割を一部果たしている。

ファルマは若干居心地の悪さを感じながらも、改めて切り出す。

「契約書はしっかりと作成しますので、商談に応じていただけますでしょうか」

次に反論するものはなかった。