軽量なろうリーダー

メイドの忠告

作者: 柚屋志宇

本文

(ウォルター殿下は、またアグネスさんと一緒にいるのね)

マーチンデイル公爵家の娘である私、ローラ・マーチンデイルは、その日の夜会でも一人で壁の花となっていました。

もちろん付き添い役のメイドはいます。

ですが私をエスコートするはずの婚約者ウォルター王子は、必要な挨拶をすませるとすぐに私を放り出してアグネスさんのところへ行ってしまいました。

ウォルター王子は、今、アグネスさんと一緒にダンスを踊っています。

アグネスさんはドーズ男爵家のご令嬢で、か弱い小動物のような愛らしい容姿の女性です。

ウォルター王子は、王立貴族学院でアグネスさんと親しくなり、行動を共にするようになりました。

最近は、夜会でも堂々とアグネスさんと親密にしています。

婚約者である私を放り出して。

(……!)

ダンスの曲が終わりました。

ウォルター王子が、私のほうに向かって歩いて来ます。

その腕にアグネスさんをぶら下げて。

(嫌な予感がするわ……)

婚約者である私のことなど放置して、アグネスさんをエスコートしているウォルター王子が……。

壁の花になっている私に気を使って、いたわりに来るというのは、希望的すぎる予想でしょう。

「ローラ、君はアグネスをいじめているそうだな」

ウォルター王子は険しい顔をして、私にそう言いました。

(嫌な予感が的中ね……)

ウォルター王子はまるで悪人を見るような目で、私を睨みつけています。

「ウォル様ぁー」

ウォルター王子の腕にぶら下がっているアグネスさんが、ウォルター王子を愛称で呼びました。

アグネスさんは私を恐れているかのように、怯えた素振りで、ウォルター殿下に身を寄せています。

「アグネス、怖がることはない。私がついている」

ウォルター王子はアグネスさんに優しい目を向けてそう言いました。

(私に向ける目とは、大違い)

私は社交用の笑顔を浮かべながら、内心でげんなりしました。

私と、アグネスさん。

ウォルター王子の心がどちらにあるかは明白です。

「ローラ、いい加減にするんだ。アグネスを威嚇するんじゃない」

ウォルター王子は厳しい表情で私にそう言いました。

私は何もしていないというのに。

「ウォルター殿下は何か誤解していらっしゃいます」

私は弁明しました。

「私はアグネスさんをいじめたことも威嚇したこともありません」

「君は醜い嫉妬心から、いつもアグネスに圧力をかけているだろう」

「そのようなことはしておりません」

(嫉妬心などありませんもの)

婚約した当初は、私とウォルター王子は良好な関係を築いていました。

ですがウォルター王子は、アグネスさんに出会ってから、すっかり変わってしまいました。

最初はアグネスさんに対して、私は嫉妬しました。

ですが今はもう何もありません。

ウォルター王子に対する私の気持ちはすり減り、何もなくなってしまったからです。

私の自由意志で結婚を決められるなら、すぐにでも婚約を解消したいです。

「しらを切るのか。マーチンデイル公爵家の娘である君に睨みつけられたら、アグネスが怯えるのは当然だ。そのくらいのことも解らないのか」

「……私はアグネスさんを睨みつけたことなどありません」

「公爵家の権威をふりかざし、弱い者いじめをするとは見下げた行為だ」

(やっていないと言っているのに。私の話を全く聞いていないのね……)

「慈愛の心を持てない者は王子妃にふさわしくない。君が態度を改めないなら、君との婚約も考え直すことになる」

「そうですか……」

もう疲れてしまって、私は無気力な相槌を打ちました。

それが気に障ったのか、ウォルター王子はむっとした顔で私に言いました。

「反省をする気がないのだな」

「やっていないことを反省することはできません」

「残念だよ」

ウォルター王子はそう言うと、踵を返しました。

「アグネス、行こう」

「はい、ウォル様」

ウォルター王子はアグネスさんを連れて去って行きました。

「……」

私は半ば呆然として、ウォルター王子とアグネスさんの背を見送りました。

(もう疲れたわ……)

遠巻きにして、私とウォルター王子とのやりとりを見ていた人々が、ひそひそと囁き合っています。

それはそうでしょう。

こんなやりとりは話の種ですものね。

王子が婚約者を放り出して、堂々と、別の令嬢に浮気しているのですもの。

そして私は……。

ウォルター王子が去り、実はほっとしています。

婚約者が別の女性を連れて去って行ったら、悲しむ場面なのでしょうけれど。

不機嫌な顔で、私に不満をぶつけるウォルター王子がいると、空気が荒れて居心地が悪いのです。

いなくなってくれたほうが、ほっとします。

「ローラ嬢……」

「……!」

声を掛けられて顔をあげると、そこには心配そうな顔で私を見る令息がいました。

「グレゴール様……」

それはグレゴール・シェルベ様でした。

グレゴール様は隣国のシェルベ公爵のご令息で、我が国の王立貴族学院に留学しているお方です。

勤勉で真面目で成績優秀で、そのうえ容姿も優れていらっしゃいます。

私は学院の図書室でグレゴール様と何度か顔を合わせるうちに親しくなり、世間話をする仲になりました。

「ウォルター殿下が何やらすごい剣幕でしたが……。ローラ嬢、大丈夫でしたか?」

グレゴール様は私を気遣ってくださいました。

グレゴール様の優しさに、私の心は温かくなりました。

「ええ、大丈夫です。いつものことです。慣れていますわ」

「いつも? ウォルター殿下はいつも、ローラ嬢にあのようにきつく当たられるのですか?」

「ええ、まあ……」

「それは、さぞお辛いでしょう」

「……私たちの婚約は政略ですので。気持ちがないのは仕方のないことです」

私が自嘲気味にそう言って流すと、グレゴール様は悲しそうなお顔をなさいました。

「ローラ嬢、無理をしなくても良いのですよ」

「……別に、無理は……」

「あのような扱いをうけて平気なわけがありません。婚約者の女性をエスコートするのは当然のことなのに、それを……。婚約者を放り出して、堂々と別の女性を連れているなんて……。男の風上にもおけない」

グレゴール様は、ウォルター王子の行動に憤慨してくださいました。

そのお気持ちが嬉しく、私は溜飲が下がる思いでした。

「ローラ嬢、私でよければいつでもお話を聞きます。もしお辛ければ、私を頼ってください。それで少しでもローラ嬢の助けになれれば嬉しい」

「グレゴール様……。ありがとうございます……」

「ウォルター殿下は、ローラ嬢と婚約できるという幸運に恵まれていながら、あのような女にうつつを抜かすとは、まったく……。ウォルター殿下はどうかしています」

グレゴール様はそう言い、少し寂しそうなお顔で微笑しました。

「私なら、ローラ嬢を悲しませたりしないのに……」

「え……」

グレゴール様は切ない表情で私を見つめました。

私の心臓が跳ねました。

「……」

私が言葉を失っていると、グレゴール様はばつが悪そうに眼を逸らしました。

「すみません。今のは忘れてください……」

「……」

「そうだ、今度一緒に気晴らしなどいかがですか? 嫌なことがあったら、気晴らしをするに限る」

「そ、そうですね。気晴らしに何かするというのは、良いかもしれません」

私は内心でドキドキしながら、ありきたりな受け答えをしました。

「ローラ嬢、音楽はお好きですか?」

「ええ、好きです」

「ノース伯爵の音楽サロンに招待されているのですが、よろしければご一緒にいかがですか」

ノース伯爵は音楽に造詣が深いことで有名なお方です。

「ぜひご一緒したいです」

ウォルター殿下は、アグネスさんと自由に出歩いているのですもの。

私だって気晴らしに、少しくらい自由にしても良いですよね?

「素敵なお誘いをありがとうございます」

(グレゴール様が婚約者だったら良かったのに……)

ウォルター殿下に糾弾されたときは、げんなりして、憂鬱になりましたが。

お優しいグレゴール様とお話しして、私は癒されました。

グレゴール様のおかげですっかり温かい気持ちになっていた私ですが。

そんな私の心に、付き添いのメイドのキャッサは、冷や水をかけました。

「お嬢様、あの男はいけません」

帰りの馬車に乗り込むとすぐに、付き添いのメイドのキャッサが私に言いました。

「え? 誰のこと?」

私がそう問うと、キャッサはベテランのメイドらしい無表情で言いました。

「王子殿下の後に話しかけてきた、あの……虫みたいな名前の男です」

「グレゴール様?」

「そう、その男です」

「グレゴール様はとても親切で良いお方よ」

「どうだか……」

メイドのキャッサは、無表情を崩して、ふっと皮肉っぽい笑みを浮かべました。

「あれは、悪い男がよく使う手口です」

「え?」

「悩みを抱えている女性に近付いて、慰めるんです。弱っている女性は、話を聞いてもらえて、共感してもらえると、喜んですぐに尻尾をふりますからね。そうやって弱っている女性の心に付け込んで、誘い出すんです」

「付け込むだなんて、そんな……。グレゴール様は真面目なお方よ」

「真面目な男なら、王子の婚約者を連れ出そうとしたりしません」

「……」

キャッサの指摘に、私は言い返せませんでした。

「で、でも……」

グレゴール様に心が傾いていて、グレゴール様を弁護したい私は、必死に反論を探しました。

「ウォルター殿下だって、アグネスさんと出歩いているわ。お友達とお出掛けするくらいなら許されるはずよ」

「お友達って、異性じゃありませんか」

「やましい関係ではないもの。ただのお友達よ」

「お嬢様……」

キャッサは真顔で言いました。

「お嬢様は異性と二人きりになることの意味をご存知でいらっしゃいますよね。ウォルター殿下と同じことをなさるおつもりですか」

「わ、私は、ウォルター殿下とは違うわ……!」

「ご婚約者がいる身で、言い寄って来た異性に絆されて、ホイホイ付いて行くなら同じです」

「……!」

私が言い返せずに、反論の言葉を探していると。

キャッサは考えるような顔をして、さらに言いました。

「それに、ウォルター殿下にくっついているアレは、どう見ても 色仕掛け(ハニートラップ) です。似たような手口で殿下も言い寄られたのでしょう」

「え……?」

「悪い女がよく使う手口です。めそめそして可哀想ぶって、目当ての男性を頼って、相談をするんです。人前では言えないからと、相談にかこつけて二人きりになるんです。男性は頼りにされると、自尊心をくすぐられますからね。男性と親密になるための良くある手口です」

「そ、そうなの?」

「あの女はウォルター殿下に、お嬢様にいじめられていると相談したんだと思います」

キャッサの言う通りかもしれません。

ウォルター王子は私が、アグネスさんをいじめていると思い込んでいましたから。

「婚約者の不始末だと思って、ウォルター殿下は、あの女の相談に乗ったのでしょう。それで二人きりになって、あの女の手口にはまって、どんどん親密になったのではないでしょうか」

「……」

「もしかすると、あの女はどこかの国の工作員かもしれません」

「え、ええ?!」

「末端の男爵家でも、貴族の未婚の娘なら、婚約者でもない男性にイチャイチャしたりしません。自分の評判を落とすだけですから」

言われてみれば、たしかにそうです。

「それに、男爵家の娘なら、公爵令嬢という婚約者のいる王子にはふつうは近付きません。横恋慕したら、公爵家と戦うことになるのですから。そんな危険なものに普通は触りません」

「……たしかに……そうね……」

「王家からマーチンデイル公爵家を切り離す目的ありきの工作ではないでしょうか」

「……」

キャッサの話を聞いて、もう、何が何やら……。

何を信じて良いやら。

もう何も信じられないような。

私は訳が解らなくなって混乱しました。

「お嬢様、あの虫の男は学院で一緒なんですか?」

「グレゴール様よ。学院で一緒よ。隣国のシェルベ公爵のご令息で留学生なの」

「隣国の工作員かもしれません」

「……」

「学院でも、あの男と二人きりになってはいけませんよ。あれは悪い男です」

「わ、解ったわ……。気を付ける」

「お嬢様、あの男の件は公爵様にご報告なさいませ」

「え? お父様に言うほどのこと?」

「もし隣国の工作員だったら一大事。調査して疑いが晴れれば、それはそれで安心でございましょう」

「そ、そうね……」

それから、しばらくすると……。

アグネスさんは姿を見せなくなりました。

学院からいなくなりました。

そしてアグネスさんの実家ドーズ男爵家は、当主が代わったそうです。

ウォルター殿下は国王陛下の命令で、しばらく謹慎になりました。

表向きは病気療養です。

私はキャッサの忠告に従い、グレゴール様と二人きりになることは避けました。

それで解ったのですが。

キャッサが言う通り、グレゴール様は私と二人きりになるチャンスを狙っているようでした。

グレゴール様は、私を心配する素振りで話しかけて来て、私の話を聞くという口実で二人きりになろうとしました。

隣国の公爵令息が、我が国の王子の婚約者である私と、二人きりになろうとするのは、よく考えてみれば怪しいです。

王子の婚約者を、隣国の公爵令息が誘い出したら、国際問題になります。

グレゴール様が優秀ならその程度のことは解るはずで、グレゴール様が真面目ならそんなことはしないはずです。

キャッサに言われるまで、そんな単純なことにすら私は気付きませんでした。

グレゴール様などに一瞬でも絆されていた自分が恥ずかしいです。

グレゴール様なんかにときめいてしまったのは、私の黒歴史です。

あのときの私を、永遠に土に埋めたい……。

(キャッサがいてくれて良かった。あんな男によろめいてしまったことは墓場までの秘密よ……)

持つべきものは、有能なメイドですね。

私とウォルター王子との婚約は解消されました。

私は王立貴族学院を卒業した後、アチソン伯爵家の三男ジョエル様と婚約しました。

ジョエル様は爵位は継げませんが、宰相府にお勤めの文官で、宰相閣下が後継者として目を掛けているお方です。

私がジョエル様と結婚すれば、私の実家マーチンデイル公爵家がジョエル様の後ろ盾となるので、ジョエル様の宰相への道は確実となるのでしょう。

ジョエル様はとても真面目で誠実なお方です。

いつぞやの、私が土に埋めた思い出の中の、真面目という触れ込みで行動がともなっていないお方とは違い、正真正銘の真面目なお方です。

「ジョエル様、一つお願いがありますの」

私はジョエル様と結婚後の生活についての話し合いをしました。

その話し合いの中で私はジョエル様にお願いをしました。

「メイドを一人連れて行きたいのです」

「メイドなら一人でも二人でも、どうぞご自由になさってください。私は仕事で王宮に詰めていることが多いので、家政はローラ嬢にお任せします」

「ありがとうございます」

有能なメイドは手放せませんものね。

「そういうわけだから、キャッサ、これからもよろしく頼むわね」

「かしこまりました、お嬢様」

――完――