軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第69話『これから』

大神殿へ戻る前に、ロヨンが水魔法で水球を生み出し、それを使って体の汚れを簡単に洗い流した。

「便利だね、水魔法」

「これくらいは朝飯前にございます。もっとも、ルイス殿の御身を雑巾のように扱うわけにもまいりませぬゆえ、奥まった箇所までは神殿内で改めて整えた方がよろしいでしょうな」

私たちはそのまま大神殿の扉をくぐった。

外での模擬戦の余韻がまだ土の匂いとして残っていたが、神殿の中に入った途端、それらは薄い膜で隔てられたかのようにスっと遠ざかった。

白い床石は相変わらず曇りひとつなく、壁に刻まれたサクス文字は、こちらを迎えるように緑の光をゆっくりと走らせている。

あれだけ外で砂煙を巻き上げた後だというのに、私の足元から落ちたはずの水滴や細かな土埃は、床へ触れた瞬間に淡く解けて消えていった。

「あれ、消えた?」

「消えましたな」

ロヨンも床を見下ろして、感心したように髭を撫でた。

「どうやら神殿全体に、清浄を保つための術が込められているようですな。祭具や神域を汚れから守るためのものと思われます。いやはや、神御の御業とはまことに……」

神殿側が勝手に清掃をしてくれるなら、拠点としての快適性が更に上がるね。外で激しい戦闘訓練をして、泥まみれで戻ってきても、神殿内を不必要に汚さずに済むということだ。

なにしろ私は、これからも碌でもない素材を拾い、碌でもない敵と戦い、碌でもない場所へ平然と踏み込む予定なのだから。汚れないはずがあるまい。

客間へ戻る途中、ロヨンがふと足を止めた。

「そういえば、先ほどは気づきませなんだが、客間の奥に水場がございましたな」

「水場?」

「ええ。もしかすると浴場として使えるやもしれませぬ」

「……この神殿、風呂まであるの?」

急に生活感が出てきたな。

ロヨンに案内され、私は先ほど使った客間の奥へ進む。寝台や机の並ぶ部屋の端に、壁と同じ白い石材で作られた扉があった。

最初に入った時は意識していなかったが、よく見ると扉の縁に細い水路のような模様が刻まれている。手を近づけると、淡い青の光がそこを走り、音もなく扉が開いた。

中には、想像よりずっと立派な浴室があった。

「おお……」

思わず声が漏れた。

「風呂だ」

「風呂ですな」

ロヨンが深く頷く。なぜそんなにしみじみしているのかは分からないが、私も似たような気分だった。

浴槽の縁に手を触れると、壁に刻まれた文字がふわりと灯り、透明な水が底から湧き上がった。水は湯気を立てるほど熱くはないが、冷たすぎもしない。

「では、儂も一風呂浴びてきます」

「また後で」

ロヨンがこの部屋の外へ出ると、私は壁際の台に腰を下ろした。

浴室を出る頃には、装甲の表面が淡い光を返していた。見違えるほど、というほどではないが、少なくとも砂まみれの戦闘後には見えない。神殿内の術も働いているのか、床へ落ちた水はすぐに消え、浴室は使う前と同じ清潔さへ戻っていった。

客間の外で待っていたロヨンは、私を見るなり満足そうに頷いた。

「うむ。清められましたな」

「神殿側が優秀すぎるのさ。ここ、普通に暮らしやすいよ」

「サクスザント様の神域にございますれば」

「ロヨンもサッパリとしたじゃないか」

私たちはそのまま吹き抜けのエリアへ向かった。

天井は大きくガラス張りになっており、その向こうには夕暮れの空が広がっている。オレンジ色の光はガラスを通る間に少しだけ淡くなり、室内へ赤とも橙ともつかない穏やかな色を落としている。

白い石床はその光を受けて温かみを帯び、壁の金属装飾も冷たさを失っていた。ここは妙に居心地がいい。神殿というより、かなり気合いの入った高級ラウンジに近い。

「なんだか、お洒落な気分になるね」

「お洒落、でございますか」

「うん。よく分からないけど、こういう場所で優雅にお茶とか飲む人、たぶんお洒落だろう?」

「それはそうですな」

吹き抜けの中央には、ふかふかした大きなソファが置かれていた。白と薄い灰色を基調にした布地で、ところどころに植物の蔓のような模様が刺繍されている。私はそこへ近づき、遠慮なく腰を下ろした。

ぼふん、と身体が沈む。

「おお……」

思った以上に柔らかい。機械の体が沈むほどのクッション性とは、いったい何でできているのだろう。私は背もたれに体を預け、左腕をだらんと投げ出した。

ああ、なんだか気が抜けなあ。

恩寵を克服し、ロヨンと模擬戦をし、体を清掃し、夕暮れの大神殿でソファに沈む。今日一日で起こった出来事を並べると、なかなか意味が分からない。ゲーム開始直後、廃ビルの屋上で箱から転がり出た時の私が聞いたら、たぶんこの情報量に負けて黙り込むだろう。

ロヨンも少し離れたソファに腰掛けた。彼は周囲を見回し、吹き抜けの高さや壁面の装飾、天井のガラスを順に眺めている。私もそれに倣って周囲を見渡す。

うーん、やはりかなり広いな。広いが、今ここにいるのは私とロヨンだけだ。

「……さすがに二人は少なすぎるよね」

思わず呟いた。

ロヨンも静かに頷いた。

「ええ。あまりにも寂しゅうございますな」

「管理権限まで貰ったけど、多くの設備をフルで利用するには、どう考えても人手が足りないよ」

私はソファに沈んだまま、フレンド欄を開いた。先ほど送ったメッセージの一覧が表示される。モリア、林さん、それから他にも何人か。送信済みの文字が並んでおり、返信はまだない。

そう都合よく返ってくるものでもない。現実世界の端末からもある程度のやり取りはできるが、数時間で全員が反応すると思う方が欲張りだ。

そう思った直後、一つの通知が浮かび上がった。

差出人は、モリア。

「お」

私は体を起こした。

「どうされました?」

「未来の仲間候補からの返信だ」

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頂いたメッセージの件ですが、こちらも森の探索が一段落つきました。メッセージを確認する限り、どうやらそちらの拠点には大きな畑があるそうですね。

その畑を使わせて頂けるようでしたら、合流に否やはありません。植物系素材の扱いも多少はできます。

お互いに持ちつ持たれつの関係を結べそうだなと思った際には、また改めてメッセージを頂けますと幸いです。

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「畑に食いついたか」

思わず笑ってしまった。

このアイランドには大きな畑がある。神殿の外に整えられた区画を見た時から、いつか使うことになるとは思っていた。だが、私やロヨンはお世辞にも畑の管理に向いているとは言いがたい。

たしかに植物に関する属性は持っているが、私は機械素材や魔物素材の方が性に合っているし、ロヨンは図書館と研究と信仰で忙しくなる未来が見えきっている。

そこへ植物系種族のプレイヤーに畑を任せることができるなら、願ったり叶ったりだ。

私はすぐ返信を打った。

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モリアには是非畑の管理をやって頂きたい。むしろ困っていたところなんだ。

それから、畑の他にも大きな植物園がありますよ。

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送信してから数十秒ほどで、返信が来た。

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条件が良すぎて少し怖いですね。

何か裏があります?

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「いやまあ、この旅路の先は地獄行き確定なんだけども」

「伝え方次第ですな」

私は少しだけ考え、返信を打つ。

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決して安全で平和なスローライフ拠点ではないとだけ。

ここはかなり拡張性がある拠点で、いずれクランなんかも作れたらなって思っているんだ。

目標は直接会ってからのお楽しみで。

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モリアからの返答は早かった。

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最後の一文が不穏です。

でも面白そうなので、合流します。

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「よし」

私はソファの背に沈みながら、小さく笑った。

当面の目標は仲間集めだ。その最初の一人は、どうやらモリアになりそうだ。植物系の身体で、枯木の神に連なる恩寵を持ち、根や植物を使う彼女なら、このアイランドの畑や植物園との相性は悪くないはずだ。

何より、ただ善良な農業担当で終わる雰囲気がない。そこがいい。今はモリアだけでも十分な収穫だ。だが、問題は合流方法である。

私は続けてメッセージを送った。

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場所の確認をしたい。

今いる森の近くに、なにか目印になりそうなものはある?

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少し間が空いた。

やがて、返答が来た。

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近くには小さな集落跡があります。

それと、遠くに浮島のようなものが見えます。空に浮いている岩の島です。

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「浮島?」

私は思わず呟いた。

ロヨンがこちらを見る。

「浮島が見えるそうだ」

「ふむ。ルイス殿と儂が通った岩槍の広場の周辺にも、遠目に見えるものがありましたな」

「だよね」

なら、途方もなく遠い場所というわけではないかもしれない。

もちろん、この世界の縮尺を甘く見てはいけない。見えているから近いとは限らないし、森の中から見える浮島が、こちらの知っているものと同じとは限らない。

私はもう一度メッセージを打つ。

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その浮島の形は?

それから、周囲に岩が槍みたいに突き出た広場は見える?

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返事は今度も少し待ってから届いた。

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大小様々な形の岩が浮かんでて、一際大きな浮島がひとつありますね。

岩がやりみたいに?心当たりはありませんが、探してみます。

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私は顎に左手を添えた。

彼女が生まれ落ちた森から浮島が見えるのは、吉報と言えなくもない。岩槍の広場が近くにあるなら、こちらの移動経路と繋がる可能性が出てくるしね。

これならどうにかして合流できるかもしれない。

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では、そちらは岩が地面から突き出している特徴的な地形を探してみて。

こちらはモリアが生まれ落ちた森を探してみる。

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返信は短かった。

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分かりました。

畑に植物園、大いに期待しています。

それから、変な植物を育てるつもりなので、後ほど確認お願いしますね。

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「変な植物か……」

いい響きだ。私はメッセージを閉じ、ロヨンへ向き直った。

「一人、こちらに合流できそうだ」

「おお!」

ロヨンの顔がぱっと明るくなった。

「それは重畳にございますな。どのような御方で?」

「植物系の旅人。名前はモリア。畑の管理を任せるなら来てもいいってさ」

「おお、畑を!」

ロヨンは感極まったように椅子から身を乗り出した。

「それは実にありがたい。畑を空けておくのはあまりにも勿体のうございます。植物園もございますれば、植物に通じた者がいてくだされば、今後の管理も大きく進みましょう」

「だよね。しかも、彼女は戦闘もできるからさ。楽しみだよ」

「ほほう。ならば、合流できた暁には、儂自らその力を試しましょうか」

この広すぎる神殿に、ようやく三人目が来るかもしれない。ここへ別のフレンドが加われば、アイランドはただの神殿が聳える島ではなく、本当の意味で私たちの拠点になっていくことだろう。

同時に、面倒事も増え、意見の違いも出るに違いない。だが、ゲームっていうものはそうでなくては面白くないだろう?

ロヨンはしばらく嬉しそうにしていたが、やがて何かを思い出したように立ち上がった。

「では、儂は少し図書館を散策してまいりまする」

「え、今から?」

「ええ。モリア殿の森に関する手掛かりが、古い地理資料に残っているやもしれませぬ。それに、神殿内の資料を一刻も早く確認したくて、先ほどから指が震えておりますので」

「禁断症状みたいに言うなよ」

「似たようなものですな」

ロヨンは悪びれもせずに言った。彼の足取りは軽い。先ほど模擬戦で見せた達人の動きとはまた違う、酒に酔った老人のような足取りだ。

「何か分かったら知らせてね」

「承知しました。ルイス殿も、どうぞ御身を休めてくだされ。いかに加護を得たとはいえ、本日は多くのことがございましたゆえ」

「そうするよ」

ロヨンは深く一礼し、図書館の方へ向かった。吹き抜けの端を抜け、白い柱の影へ入る。その背が通路の奥へと消えると、広い空間はまた静かになった。

私はしばらくソファに沈んだまま、天井の更に上を流れる夕暮れの色を眺めていた。

けれど、ただ一人で座っているのも落ち着かなくなり、ゆっくりと立ち上がる。私は吹き抜けを抜け、ロヨンが行った方向とは逆の植物園の入口へと向かった。

扉の手前まで来ると、むせ返るような緑の気配が流れてきた。中には、神殿の外とは違う湿度と匂いが満ちている。透明な壁越しに見える植物園は、夕暮れの光を受けて静かに輝いていた。

私は入口の前で足を止め、しばらくその景色を眺める。モリアが来たら、いったいこの場所をどう見るだろうか。畑を見て喜ぶのか、植物園に目を輝かせるのか。

想像するだけで、口元が緩む。

《優先方針を更新しますか》

マリーの声が脳内に響いた。

私は植物園の奥で揺れる葉を見つめたまま、小さく頷いた。

「そうだね、更新しておこう。当面の目標は、仲間集めだ。最初の合流候補はモリア。並行して、周辺地理の確認と、もしもの場合の森の探索準備だね」

《優先方針を記録します》

視界の端に、小さなログが浮かぶ。

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【優先方針更新】

♦協力者を集め、各施設の管理担当を確保

♦合流候補〈モリア〉の現在地を特定

♦岩槍の広場、および周辺森林地帯との位置関係を確認

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ログは淡く光り、すぐに視界の端へ畳まれていった。サンクティンに居た頃は頻繁にしていたが、最近はめっきりだったから、少し新鮮だ。

この先に何が待っているかは分からない。敵か、素材か、はたまた勇者か、それともこの世界の底に沈むもっと厄介なものか。まあ、そのどれでも構わない。むしろ、厄介であればあるほどいい。

GoAをもっと楽しみ尽くしたい。

「ああ」

声が自然と漏れた。

「これからが楽しみだ」